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DFSでは、結局食事はしなかったので…
cafe sui タコライス カレー
まだ、報告すべきことがないわけではないのだけれど…
今回は、もうフェードアウト。
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飛行機は、また雲の上に昇っていきます。

そういえば昨日、儀間進さんが、山之口貘は雲の上の人だと言っていたっけ。
標準語をしゃべれという学校の指導に反発してわざと琉球語を使った山之口貘さんだけれど、その詩は概ね「標準語」というやつで書かれています。貘さんは、東京に出て行ったきり、沖縄には晩年半年ほど戻ってきただけでしたね。貘さんが死んだのは59歳。もう10年もないな。

いったい雲の上からは何が見えるのでしょうか。沖縄の若者たちに笑顔があるのかどうか、貘さん、あなたには見えているのでしょうか。
往きと違って、夜を飛ぶ飛行機からは、残念ながら雲も何も見えませんが、この旅で出会ったたくさんの沖縄の「オジイ」の笑顔を、僕は暗闇の中に思い浮かべています。何故、「オジイ」たちは、こんな僕を暖かく笑顔で迎え入れてくれるのか、その意味を考えているのです。

そういえば、「オバア」にはカミさんの実家のばあちゃん以外には会ってないなあ。僕は流行に乗り遅れてる?

ブログとは、気が向いた日に、軽くその日だけ覗いて読むものだということはよくわかっておりますが、どうかお願いです。旅の最初から読んでいただきたいと、心より思っているのです。
旅の最初http://lince.jp/hito…

《おまけ》
企画室に着いて、腹が減れば“あさの”に行くしかない。
水才君を呼び出して付き合わせてしまいました。
水才くん
彼の両親も沖縄の人。東京で生まれた水才君には、沖縄に対する思いは全くない。沖縄のおじいさんの言葉は分からないが、悲しみなんか微塵もありません。それはそれで素敵なことです。

沖縄から一歩も出たことのない「沖縄」の人、東京という色のない街で、さほど自分と違わぬ人たちの中で「沖縄」を考えようとした人、留学してたくさんの「異人種」との交わりの中で、自らの「沖縄」に出会った人、はるか遠くブラジルで、「沖縄」という祖先の故郷を思う人、そして、雲の上から沖縄を眺める神のごとき人。

環境が、人の考え方に影響するのは致し方のないこと。しかし僕は…

ここでは、もうこの辺でやめておきましょうね。
あとは「社長とは呼ばないで」にて…



2月 6日金曜日: 沖縄出張6日目のお昼

おもろまちのDFS(デューティーフリーショッパーズ)ギャラリア3Fにあるフードコロシアム。大きいフロアの中央にオープンキッチンがあって、200種類の世界の料理が並んでいます。ちょっと楽しいのです。
テラスもあります。
フードコロシアムのテラス
この季節、とても気もちがいいのです。

でも…

テラスから、道を隔てた向こう側に高台が見えます。
高台の排水池
白い建造物は排水池。要するに大きな水槽ですね。おもろまちに住んでいる人たちは、この巨大水槽の恩恵を受けているのでしょうか。もう各家庭で水タンクを設置したりしなくてもいいのかな。

「上がっていく階段の入口には、何の表示もないのですが」
「何があるの?」

フードコロシアムを出て、金城君に案内してもらって、その階段を登ってみることにしました。
先ほどまでくつろいでいたテラスが見えます。
デューティーフリーショッパーズ

階段を登りきると、見晴らしのいいスペースがあって、そこにはこんな案内板が。
慶良間チージ(シュガーローフ)の案内
この辺り一帯が、シュガーローフという場所であったことを記すプレート。つまりここは、沖縄戦史上最も熾烈といわれたシュガーローフの戦いが繰り広げられた場所だということなのです。

その記憶が刻まれたこの土地が、開発によってどんどんと平坦にされていきます。

排水池から見た街
排水池のあるこの高台だけは、その地形が残っているように見えますが、元来ここはこんもりとした丘ではなく、なだらかな丘陵だったのです。つまり排水池の箇所だけ高さを確保して、その周辺は削り取られたということのようです。

近くにあるハーフムーンの丘も、開発され崩されていきます。
今、多くの沖縄の若者たちは、まだたくさんの遺骨が眠っているであろうこの土地が、このように惨たらしく昔の姿を失っていくことに、その心を痛めているのです。
インターネットで検索すれば、いくらでも情報を得られる時代です。どうか一度、調べてみて、知って欲しいのです。

それをしてくださるということを前提にして…
御幣を恐れず、今僕の頭に去来した色々なことをお話ししたいと思います。気楽なコメントが全く頂けなくなることを覚悟の上で。

今僕は、神奈川県で、川崎市の分譲した土地に住居を構えています。周りには緑が多い。その森が、やはり開発によって少なくなっていきます。僕は、出来ることならその森を残して欲しいと思っています。しかし、今僕が住んでいる土地を、市が分譲のために開発をはじめる時、近隣の人たちはいったいどう思ったのでしょうか。

また…
かつて、首里城が復元される前、首里の丘に首里城建設に反対するたくさんのビラが貼ってあるのを見たことがあります。
その後、沖縄料理を出す東京の居酒屋で、沖縄県人会の会長さんが、首里城はニライカナイの心だと、その復元を大変喜んでおられた。僕はその方に、首里城はオボツカグラではないですかと生意気なことを言ったのです。ニライカナイは海の彼方にある庶民的なあの世、オボツカグラは天上にある権威的な他界のこと。それまでご機嫌麗しかった会長さんの顔はいっぺんに曇り、「お前はなんにもわかっとらん」と、若き僕は叱られました。

地上戦の後の、この一帯の写真などを見ると、建造物はおろか木々すらも全くない焼け野原です。しかし、辛うじてその土地の形だけは残っているように見えます。その地形を、今誰かが変えようとしているわけですが、しかし、あのベトナムは、爆薬のみによって、その国土の全ての地形が、すっかり変えられてしまったのだと聞きました。もしかすると、ベトナムのお年寄りたちの故郷の山並みは、記憶の中にしか残っていないのかもしれません。悲惨さを比べて勝ち負けを競うことに、何の意味もないことは分かっています。ただ、何故か僕は、そのことを思い出してしまったのです。

間違っていたら教えてくださいね。

ヤンバルの森のこと。20年前に聞いたことです。アメリカが実弾軍事演習に使っていた森のこと。緑は弾薬によって傷つけられてはいるが、もしその土地が返還されたら、たちまち本土の資本がやってきて、あの自然は完全に失われるだろうという話。

同じ理由で、北方領土が還ってくれば、瞬く間に貴重な自然が失われていくでしょう。いったい今の日本人のうち、どれだけの者が、真剣にアイヌの人々に、「北方領土」と呼ばれている土地を返す可能性を考えているのでしょうか。

沖縄の旅も、残すところあと僅かです。数時間後には飛行機に乗ります。
もう少しだけ、どうかお付き合いくださいますよう。
(文責:高山正樹)
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高山正樹 Masaki Takayama
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