過去の投稿

あなたは現在 2009年6月 の投稿をご覧頂いています。
インターネットの情報に疲れています
検索エンジンのシステムがブラックホールというのも頂けません。

ところで、M.A.P.after5はなんでもかんでもごちゃ混ぜのおもちゃ箱、そこからやがてピックアップされ、カテゴライズされた情報を、暫時Officialなサイトに公開していくという、当初の基本方針は変わりません。
http://lince.jp/hito…
(おまけ⇒http://lince.jp/mugon/shounin…

しかし、その元ネタは、やっぱりきちんとしたものでありたいという至極当たり前のことを、あらためて気をつけていこうと思っています。

だから、このところ、毎日勉強です。
勉強中

そういう姿勢を理解し応援してくださる方々もいらっしゃるわけで、ありがたい限り、國吉眞正さんから、このような本が届きました。
「沖縄語の表記について」
表記の統一と沖縄文字の導入(ご提案)
沖縄語の表記について

國吉さん。ありがとうございました。
一生懸命、でも楽しんで勉強しています。

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KYOKOさんのことです。
ご本人のブログによると、鳩間島から小浜島に渡ったとのこと。
KYOKOさんの6月28日のブログ
元気そうですね。
海はやっぱり美しい。とっても楽しんでいるみたい。うらやましい限りです。

そのKYOKOさんから、電話がありました。たくさんの人たちとの出会いがあるらしい。

今、KYOKOさんが肌で感じているであろう空気と、私たちが東京あたりで語っている能書きと、きっとそこにはおおきな隔たりがあるのでしょう。
それから、KYOKOさんが感じているのは「沖縄」ではなく、その先にあるそれぞれの「島」。
沖縄はひとつじゃありません。

KYOKOさんの写真のブログ
竹富島や波照間島のシーサーがいっぱいですね。
いい写真が、たくさん届くのを、首を長くして待ってます。


そしてもうひとつ、とてもうれしいお知らせ。
又吉健次郎さんが第53回沖縄タイムス賞文化賞を受賞されました。その記事のコピーが今日、届きました。
記事その1
記事その2
又吉さん、おめでとうございます。
残念ながら公式Partyにはお伺いできませんが、首里の工房での酒盛りはいつですか?
是非、おしらせくださいますように。


さらにもうひとつ。
國吉眞正さんが東京学芸大学付属高等学校で、学習旅行(修学旅行)の事前学習のための「特別授業」を受け持たれたことが、琉球新報に掲載されました。
琉球新報のHP
その授業で使われたテキストを、先日の沖縄語を話す会の時に頂きました。
授業で使われたテキスト

今週の土曜日、またお伺いいたします。とても楽しみにしています。



玉川のお母さんが話していたお店に、昼食を食べに行ってみました。

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夜もやっています。
喜多見で飲める店を網羅したいと思っていたので、ブログで紹介してもいいですかと伺ったのですが、一切そういうことはしていないと、実に丁寧に断られました。
それはそれで結構なのですが、事務所に戻って検索したら、ポロポロと紹介記事が出てきました。お店の方はそのことを知らないのかどうなのか、若い男性の板さん二人でやっているお店、PCで検索くらいはなさるだろうとお見受けしたのですが。
もしかすると、こちらが、掲載料がどうのこうのと言い出すような、業者に見えたのかもしれません。

お店の方から、打ち解けた話しが聞けない限り、そのお店のストーリーを語ることは無理、機が熟すのを待ちましょうか。

ちょっと前まで世田谷通り沿いの「美登利寿司」にいた菊地さんの話を思い出しました。
「どうしたら自分の握った寿司を、お客さんに旨いと思ってもらえるか。それは味だけじゃねえんだよ」

これって、我々が始めた楽天市場沖縄mapにもいえること。お客様に、どうしたら商品を手にとってみたくなるようなプラスアルファのストーリーを伝えることができるのか。そのストーリーにお金を払ってくださるお客様と出会いたいのです。ストーリーがあれば、さらにおいしくもなり、商品に愛着を感じてもいただけるようになる、そう信じています。
もちろん、商品がすばらしいものであることが大前提、それを忘れては本末転倒です。

というわけで、ストーリーを感じていただくことにおいては、沖縄map、今は100点満点の3点くらい。上原くん、頑張れ…。

6月28日日曜日: にょろ系

帳簿、ようやく一段落。
今日はちょいと早めに帰れたので、書斎の本棚をガサガサしていたら…

こんなもの見つけました。
琉球ハブ酒
開けてみようかな。
やめた。長いものがグルグルしてるのは苦手。でもこれ、早く飲まなくていいのかな。というか、飲んだ分だけ泡盛を注ぎ足すらしい。
どなたか、お飲みになりたい方いらっしゃいますか。

「やもり」だとか「うなぎ」だとか、このところ、そういう系が続いています。


ちょっと早めに仕事を切り上げたら、何故だかどうしてもウナギが食べたくなった

前から、事務所の近くに、ちょっと気になる店があった。
南灯寮から北西方向に50mくらい、栄華の並び、大衆割烹“玉川”。
ふぐ、すっぽん、うなぎ……。
気にはなるが、そうそう気安く入れる感じがしない。

でも、どうしてもウナギが食べたいとなったら話は別。思い切って覗いてみた。

ご近所の商店主という感じの常連さんで、それなりに賑わっている。厨房はちょっと広そうだけれど、でもカウンターとテーブル席と、奥に座敷があって、ごく普通の居酒屋さんと同じである。

「うなぎ、食べられますか」
「はい、でも蒸してから焼くので、40分くらいかかりますよ」

結構ですとも。ウナギ食べに入って、スッと出されちゃあ、却って気持ちが悪い。
それまでチビチビやってます。

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ネタに間違いはない。例えば銀杏500円也。学生さんが気軽に飲めるような値段ではないけれど、いっぱしの板さんふたり抱えて、それでこの値段なら決して高くはない。

生ビール一杯と、久しぶりの日本酒を冷やでやっているうちに、程よく1,800円の「うな重」がやってきた。
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いやいや、たいへんおいしい。ここらあたりで、この値段で、このウナギが食べられるのなら文句なしです。これを頂けばお腹いっぱい、ご予算おひとりさま3000円ちょっとで十分に満足できる。飲むより食べたい夜には、かえって安く済んでお勧めかもしれません。

本当は、ふぐが専門。一年中食べられるというのが売り。

ほんとはね、居酒屋じゃなくて食べ物屋をやっているつもりなんだけど、喜多見あたりでふぐやすっぽんだけじゃやっていけないでしょ。毎日のように飲みに来てくださる常連さんも大切。でも常連さんがいるから入りにくいお店にもしたくないし。それに、20年もやっていれば常連さんも歳をとる。若いお客さんを開拓しなくちゃと思っているんだけれど、なかなか難しい…

(ブログも同じだ、と、つくづく思う)

最近、写真には写らないことにしてたのだけど…
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また来ます。お酒をちょこっと毎日飲みにくる常連さんのようにじゃなくて、きちんと食事を頂きに。
今度は、すっぽんかな…

6月27日土曜日: 夜に訪れる友

一日中、帳簿とにらめっこ。
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いつしか、夜。
お、ホーシュ君か?
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シッポと頭。

なんだかゴーシュの気持ちがわかる。

しばらくぶりだな。
さあ、ちゃんと顔を出せよ。
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わかったよ。もう、今日はやめるよ。

仕事を、いつもよりちょっと早めに切り上げたら、なんだかムショウにウナギが食べたくなった……

6月26日金曜日: 確かにフリーターです。

子ども劇場首都圏版のプレゼンテーションに行ってきました。
一年ぶりです。
一年前は少し気張り過ぎたのがいけなかったのかどうか、成果なしでしたが、今年は作戦も何も立てずに楽に喋ってきました。まあ、例会の演目に選んでくれなくても、それはそれで結構くらいに考えています。

先日ご紹介したこの日のための首都圏版用チラシは、宇夫方隆士さんがデザインした題字と絵を素材に、M.A.P.の若手、上原がレイアウトしたものなのですが、本日、創造団体席に座らせられたあと、それらの資料にチラチラ目を通していたら、見つけちゃいました。チラシの裏、小生、高山正樹のプロフィールです。
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「20代より、フリーターの役者として…」だって。
どうやら上原め、間違えたらしい。
“フリーター”じゃなくて“フリー”なんだけどなあ。でも、おんなじようなもんか。
おかげで、これを話題にしたら、プレゼン会場は突如和みました。というわけで、まあ良しとしましょうか。
電通や博報堂だったら、始末書もんだけどね。

事務所に戻ってこのことを彼女に告げたら、やっこさん、ガッツポーズをしやがった。変なやつです。

さて、決算の続き、休む暇なしです。

6月25日木曜日: ちっぽけな決算なのに

株主総会。
引き続き、決算処理。
数字ばっかり……
3円合わなかったり、8円足りなかったり、ちっぽけな数字で大の大人たちが頭を抱える。
結局、終わらず…
税理士さんの後姿。
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また月曜日におねがいします。
帰途…
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6月24日水曜日: 休まないとね

山ほどある!

アップしなければならない記事20個以上。
行かなければならない会社7つ。
進めなければいけない企画5つ。
直したいサイトなど8つくらい。
書きかけの芝居3本。
推敲中の小説2編。
練習しなければならない楽器3種類。
減らさなければならない体重10キロ。
稽古しなければならない芝居1本。
覚えなければならない言葉、言語1プラス方言1
読むつもりで積んである本、χ(数え切れず)。
積んである期間10年以上。
なるべく思い出さないようにしている不義理の件数はχ(不明)。
愛した人の記憶、忘れたので0
思い出さねばならぬもの、χ(いくつ?)あるのか。
ほったらかしにしている家庭1個。

弱音、3日に1回。


歩ける道は1本だけ。
短い人生だから。

やめた。





お願いです。9時間くらい、休ませてください。


6月23日火曜日: 冥福を祈り…

通夜…

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どうすることもできない。

だから、わらっていい。
わらうほうがいい。

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やはりまっすぐ帰れなくて、La_Port…
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JINさんがいて

kaoruさん、起きたの?
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もう、帰ろう
この記事は、本当は7月2日の未明に投稿したのだ……



比嘉光龍さんにお会いした時に頂いたプリントと同じものが、ネットにアップされました。
「日本語」と、「うちなぁぐち」と、「うちなぁやまとぅぐち」を比較した表です。
これは、光龍さん自身によるものです。
http://blog.goo.ne.jp…

実は先ほど、光龍さんにふたつほどの質問のメールを送っていたのです。それに対して、さっそく丁寧なお返事が届きました。
まず質問その1です。
日本語=「おじいさん」
うちなぁぐち=「たんめー(士族)」「うすめー(平民)」
うちなぁやまとぅぐち=「おじぃ」

比嘉光龍さんは、「うちなぁやまとぅぐち」について、言語学では「ミクストランゲージ(Mixed Language)」に分類され、「スラング(俗語)」と同じような言葉と定義されているとし、次のように書いていらっしゃいます。
「それをもう少しくだけて言うと『タメぐち』のようなものだと思って下さい。仲間うちで使う、仲間だけしか知らない言葉のようなものです。それは、目上の人や学校の先生などには使えない」

確かに、沖縄の地方紙のコラムなどで、お年寄りを「オジイ」や「オバア」と呼ぶ最近の風潮は失礼でけしからんというなご意見を目にしたこともあります。(僕としては、敬意と愛情を持って使われれば「スラング」も悪くはないと思っていたのですが。)
では、沖縄のお年寄りを、ウチナーグチで呼ぼうとしたとき、どのように呼べばよいのでしょうか。
目の前にいるお年寄りが元「士族」か「平民」かなどわかりません。元士族の方に「うすめー」と言ってしまったら、気を悪くされるかもしれないし、かといって誰でも彼でも「たんめー」では、男性のお客さんだれかれ構わず「社長さん」と呼ぶ安キャバレーのホステスさんみたいで、これも気が進みません。というか、どちらにしても、そうした区別のある呼び方を使うことはどうなのだろう。言葉狩りはしたくはないが、なんだか難しい。沖縄語を話す会の國吉眞正さんは、もう今は、みんな「たんめー」でいいのではないですかとおっしゃっていました。
そこで、光龍さんのご意見も、聞いてみたくなったのです。

1「おじいさんのことをどう呼べばいいのでしょうか。今はどのご老人に対しても『たんめー』でいいのでしょうか。」

それに対する光龍さんのお答えは、次のようなものでした。

これは、そうは呼べませんと答えておきます。一つに統一した呼称が必要だとの考え方から、少し視点を変えて考えてみて頂きたいのですが、明治12年までは琉球王国で身分制度が存在したので、二つ、もしくは三つの「おじいさん」の呼称が存在しました。しかし、現在のうちなぁは、複雑かつ日本と言う国の一部です。そこに琉球王国時代の身分制度の呼称をあてはめようとするとかなり無理が生じます。そこで、相手にどう呼んでほしいのか問うということが面倒でも必要だと思います。個人はそれで対応できるのでしょうが、お年寄りの総称ですが、うちなぁぐちでは「御年寄い(うとぅすい)」、もしくは「思しーじゃ方(うみしーじゃかた)」と呼べばとても丁寧ですので、お年寄りよりは良いと思います。

なかなか難しいですねえ。みなさんはどうお考えでしょうか。
僕はチョイ悪おやじ。元不良なので、スラング万歳「オジイ」で、いっちゃおうかなあ。今度、儀間進先生にお会いした時に「オジイ」って、最大限の親しみを込めて呼んで見ようかな。そうしたらどうなるのでしょうか。

質問その2は長母音について。
光龍さんの作った表では、唯一「うちなぁ」だけ二重母音の二番目に小さな平仮名を使って、後は全て「ー」の文字を使っています。それは何故なんだろう。そういえば、ウチナーグチには二重母音は無いのだろうかということを考えながら、質問してみようと思ったのです。

2「うちなぁ」と「うちなー」、さらには「うちなぁー」もありそうですが、これには何かルールのようなものがあるのでしょうか。

光龍さんの回答。

これは、確かに問題ですね。私は「うちなぁ」と表記します。しかし、語尾の小さな「ぁ」ですが、これは棒線でも良いと思います。私は、うちなぁぐちを表記する時に、カタカナは何かうまく表現できていない気がしてひらがな表記にすることにしました。それらは、実践うちなあぐち教本の著者比嘉清さんや、ラジオ沖縄の伊狩典子さん、また、私のうちなぁぐち師匠である、うちなぁ芝居の名優「真喜志康忠(まきしこうちゅう)」先生の芝居を漫画化した新里堅進さんの本(琉球新報出版から三冊出ています)などを参考にする所が大きいです。

ただ、語尾の母音を棒線にするか、それとも、母音を文字化するかどうかは、私自身試行錯誤、変更に変更を繰り返して、母音はすべて棒線で書くことにしました。それならば「うちなぁ」は「うちなー」と表記しなければなりません。ただ、「うちなぁ」と言う表記だけは「ぁ」にしています。それは、沖縄タイムス紙に二年近く「光龍ぬピリンパランうちなぁぐち」と題して連載をしたのと、琉球新報紙にも「光龍ぬアハーうちなぁぐち」、また現在、おきなわJOHOという月刊情報誌に「光龍ぬうちなぁぐちアリンクリン」と書いてきたので、慣例でというところが大きいです。

(中略)

表記は高山さん御自身でお考え下さい。では、また、いつでもご質問下さい。御無礼さびら。
比嘉光龍(ふぃじゃ ばいろん)


この中略の部分には、表記について、もっと突っ込んだことが書かれてありました。光龍さんの主張は、基本的には柔軟にということなのですが、これについては当方勉強不足、もう少しそのあたりの現状を把握してからあらためてご紹介いたします。

このメールを公開することをお許しくださった比嘉光龍さんに、心から謝辞を申し上げます。


新宿に、談話室滝沢はもうない。
が、今も同じ場所で、同じような形態の店が、別の名前で営業している。ブレンド一杯880円。要するに、場所代である。
今の新しいお店の名前を紹介するつもりはない。なぜなら、その名前に、談話室滝沢のようなノスタルジーを感じることがないから。
談話室滝沢は、もっと高かった。コーヒー一杯1,000円。それでも、たくさんの人が訪れた。作家と編集者、演出家とスタッフ、時間を気にすることなく静かに打合せができた。ウェイトレスは全て正社員だと、後で知った。場所代だけではない、プラスアルファがそこにはあった。

僕は、しょっちゅう利用していたわけではない。何度か来たことがあるだけである。しかし、それはいつも、人生の転機であった。
ふじたあさや氏の手
880円のコーヒー。安くなった分だけ、今日のこの日には、さほどの「重さ」はない。
はたして、半世紀を生きてしまったこの僕にも、まだ人生の転機がやってくるようなこともあるのだろうか…

…などと考えながら、喜多見まで戻ってきたが、もはや仕事をする気にはならない。

だから酒菜に寄る。
何もかも忘れて飲めばいいものを、「ああそうだ、沖縄で食べたちょっと変わったヒラヤーチーと比較してみよう」などと、ブログのネタするために、ヒラヤーチーを注文してしまう。
新しい泡盛の銘柄を見つければ、そのボトルをキープして、空いたボトルと並べて、デジタルカメラのシャッターを切る。
“ひらやーちー”と“残波”と“まさひろ”

マスターのスーさんは、そういう事情をさり気なく知っているから、帰り際に、取っておきの泡盛を、ちょいとサービスで、やっぱりさり気なく一杯飲ませてくれるし……
泡盛“龍”とお店の女の子1
それから店の女の子の母親が、沖縄出身だということを、こいつもさり気なく教えてくれて…
そうとわかればやっぱり写真を撮って…
泡盛“龍”とお店の女の子2
「ブログに載せてもいい?」などと聞いているときには、もうスーさんは、あっちの方で、さり気なく知らない顔をしているのである。

何故だか今日はそれでもおさまらず、La-Portのドアを開ければ「おかえりなさい」と迎えてくれる。
そうして珍しい泡盛なんかを見つければ、やっぱりそいつを注文して、やっぱりカメラを持ち出すのである。
泡盛“琉球”

最近は、沖縄よりも東京での方が、泡盛っぽい泡盛が飲めるという不思議。
これも、ちょっと考えさせられる……



今日の“話す会”は、あれやこれやフリートーク。

“沖縄語を話す会”の表記法は、僕のようなウチナーグチ初心者には、極めてわかりやすいものです。僕は、“おきなわおーでぃおぶっく”の儀間進さんのコラムを読む企画を立てた張本人ですが、自分が読み手として参加することなど思いもよりませんでした。しかし、“沖縄語を話す会”の表記法を知ってから、もう殆ど参加するつもりになっています。

ただ、さらに深く関わっていくと、沖縄の表記について、ただ単に沖縄語の初等教育のテクニカルな問題だけでは収まらない背景も見えてきます。

たとえば「かぎやで風」。
琉球古典音楽のひとつで、その歴史については省きますが、歌詞も付いている楽曲です。
また「かぎやで風」には老人踊りも振付けられていて、古典の中ではもっとも知られた踊りです。
沖縄で何かお祝いの席などがあると、その冒頭で必ずといっていいほど踊られるし、また沖縄の結婚式に「かぎやで風」抜きなんて考えられません。それはもう「てんとう虫のサンバ」の比ではないのです。
ずいぶん前の小生の結婚式でも、かみさんの妹が踊ってくれましたし、先日の宇夫方路さんのお披露目公演の最初の演目も、やはり「かぎやで風」でした。

しかし、この「かぎやで風」を、そのまま「かぎやでふう」と読んでしまったら間違いです。「かじゃでぃふー」というのが正しい。
つまり、「かぎやで風」と書いて「かじゃでぃふー」と読むのが「正しいこと」なのです。

でも、それでは何もわからないウチナーグチの初心者には難しすぎます。日本人が歴史的仮名遣いを放棄したように、この「かぎやで風」も、音のママに「かじゃでぃふー」と表記してくれれば、きっと分かり易いでしょう。
しかし、沖縄の踊りの先生や三線の先生方が、それを認めるとは到底思えません。なにしろこれは伝統的表記なのですから。沖縄で一番偉いのは、きっとこうした先生たち、その方たちの御意向に背いてことは進みません。

題名ばかりではなく、歌詞も同じようなことがいえます。
でも、沖縄の先生たちが守ろうとしているこの伝統的な表記が、極めて大和風であることを、沖縄の人たちはどう感じているのでしょうか。

もうひとつ、「かぎやで風」という表記ですが、実はこれ比較的新しい表記で、古くは「かぢやで風」でした。その変化は受け入れたのに、なぜ、さらなる変化のほうは受け入れ難いのでしょうか。これは研究課題です。

いずれにしろ、この問題を解決するのは、ウチナーンチュの人たち自身であるより他にはありません。私たちは、ただ見守ることしかできません。

そんな話をしていたら、実はねと、國吉眞正さんが見せてくださった一冊の本。
「現代仮名遣いで易しく読める沖縄の古典歌詞118」

沖縄の古典音楽歌詞
まだ、試作品ですが、國吉さんたちが編まれたものです。

下の文字をクリックすると、一頁目を見ることができます。
沖縄の古典音楽歌詞の1頁
やっぱりTOPは「かぎやで風」です。
上段に伝統的表記が書かれ、下段に、“沖縄語を話す会”の表記での歌詞が書かれています。

國吉さんはおっしゃいました。
「私たちは伝統的な表記を尊重しています」

これが出版されれば、宇夫方路はじめ、特に東京で琉球舞踊などを習っている人たちの中には、欲しいと思われる方がたくさんいるだろうと思いました。はやく出版できるようになればいいですねえ。M.A.P.にお手伝いできることがあれば嬉しいのですが。

話はさらに巡ります。

沖縄の言葉を、大和の言葉に直訳しても、なかなかその本当の意味が伝わらないということはママあることです。

例えば「なんくるないさー」。
どうにかなるさ、沖縄好きの若者に人気のウチナーグチです。
しかし、その本当の意味は、むしろ人事を尽くして天命を待つに近い。何にもしないでどうにかなるだろうと、ダラッとした心もちをいうのではありません。とことんできることをやりつくした後に、ようやく言える言葉なのです。

もうひとつ。肝苦しい(チムグルシー)。これも沖縄フリークのヤマトゥンチュにはよく知られたことばです。でもまずそれが間違い。これはウチナーヤマトゥグチ。
正しくは「チムグルサン」。
そしてその意味。直訳すれば「かわいそう」。

しかしこの言葉には、直訳しては伝わらないニュアンスがあります。
先日、沖縄で会った、玉城さん(玉城さんは「キリ学=キリ短に併設」の学生さんです)が、この話をしていました。
その日の記事へ
玉城さんに、もう一度教えてと頼んだら、メールを送ってくれました。感謝です。

では、そのご紹介。
「本田哲郎さんというカトリックの神父さんによると、日本語の『同情』や『憐れみ』という言葉が上から目線のニュアンスがあるのに対して、この沖縄の言葉の『肝(チム)グルサ』というのは、『相手の痛みに共感する』、『やむにやまれぬ気持ちで、腹わたが突き動かされる』というようなニュアンスがある」
そしてそれは、キリストの精神に近いものだと、彼女は説明してくれました。

沖縄タイムス社が刊行した『沖縄大百科事典』の「チムグルサン」の項目には、こう書かれています。
「<かわいそう>が不憫な人や気の毒な人を、できるならなんとか救ってあげたいと、自分のいる安全な高みから発しているのにたいして、<チムグルサン>は相手を見下ろす立場からではなく、気の毒な状態にいる相手のところまで降りて、相手の痛みを自分の痛みとして感じる心の働きである。」
なお、この項目を担当して執筆しているのは、儀間進さんです。

おじいさん子だった玉城さんは、バイリンガルです。日本語とウチナーグチの。

そうだ思い出した。『沖縄大百科事典』をプレゼントしてくれたのは、沖縄タイムスを定年退職してすぐ死んでしまった義理の父親。きっと玉城さんのおじいさんと、生きていれば同じくらいの歳だったんじゃないのかな。

それから、玉城さんはさらにこんな話をしてくれました。

「ぬでぃん八十、ぬまんでぃん八十、ぬまんとぅちゃーすが」
どういう意味?
「酒飲んでも飲まなくても、同じ八十歳ならば、飲まなくてはどうしようか」
いいねえ、そういう言葉が沖縄にあるんだ。
少し首を傾げて考えた玉城さん、ちょっとの間があってから
「玉城家の家訓かな」
大ウケです。

これも、おじいさんの教えなのでしょうか。

僕の目標は、半年後くらいに、玉城さんとウチナーグチで会話をすることです。その時は玉城さん、よろしくね。

ということで、沖縄語を話す会の第3回のご報告を終ります。
長々と、ありがとうございました。
(文責:高山正樹)

この日の最初の記事から読む

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さて、今日の本題に入る前に、もう少し寄り道をさせてください。

初めて沖縄語を話す会にお邪魔した時(4/4)に、沖縄の3母音についてお話ししました。
まずそちらを、是非お読みください。
http://lince.jp/hito/okinawamap/benkyoukai…

その復習と補足です。

《復習》
大和の母音の[e]が、ウチナーグチでは[i]に、[o]は[u]となる。
それでよく沖縄語は3母音という言われ方をするが、実はそれは間違いである。
短母音の[e]も[o]も、数は極めて少ないが、存在する。
長母音の[e:]と[o:]は、いくらでもある。
大和の[ai]が[e:]、[au]が[o:]となる。
《補足》極めて少ない[e]も[o]について。
それらの多くは感動詞(ane=あれ)か、擬声語(horohoro=衣ズレの音)である。
それらの言葉の殆どに、[e]や[o]を使わない言い方(変わり語形)がある。(三百=[sanbeku]には、[sanbyaku]という言い方もある。)
上記以外の言葉は、唯一、haberu=蝶のみである。
(コメントの【補足】も、必ず併せてお読みください。7/11追記)

さて、ここからです。(いつもM.A.P.after5の“うちなーぐち講座”はややこしいので、頑張ってついて来てくださいね。)
M.A.P.after5では上記のように説明はしたものの、実は、一つの疑問があったのです。
上に述べた[ai]→[e:]、[au]→[o:]という「ルール」の他に、大和の二重母音や長母音と沖縄の長母音との関係には、もっと多くのルールがあります。例えば、[ou]及び[oo]は[u:]となる。(通りtoori→tu:ri※注)
しかし「扇」はうちなーぐちでは「おーじ」です。なぜ「うーじ」とならないのだろうか……
※注:「トゥーリ」は[tu:]か[tuu]か、これについてもお話ししたいことがありますが、これは別の機会に…

そして、色々と調べ始めたのです。でも、ウチナーグチに関するものをいくら探しても、満足のいく答えは見つかりませんでした。ところが、日本語の歴史に、この疑問を解く糸口があったのです。

日本の鎌倉時代から室町時代にかけて(1200年頃)「オ列の長母音」は、口の開き方の広い狭いによって区別がありました。口を広く開けた方を「開音」、狭い方を「合音」といいます。
「開音」は[au]が長音化したもの[ɔ:]、「合音」は[ou]が長音化したも[o:]です。
つまり「扇」がウチナーグチで「o:ji」となったということは、「扇」の「おー」が、もともと「開音」であったからではないのか。つまり、平仮名で「扇」を表記すれば、「扇」は「あうぎ」だったということなのです。
(但し、元禄時代、紀元1700年頃には、大和ではこの発音の区別は無くなっていたようです。けれども、文字としては「あうぎ」という風に書き分けていたのでしょう。)

これで、なぜ「扇」がウチナーグチで「うーじ」ではなく「おーじ」となるのか、そのことの説明がつきました。満足。

比嘉光龍さんにお会いした時、この話をしたら、「それ自分で考えたの」と、光龍さんの大きな目が、さらに大きくなりました。

このことに関連して、高山正樹は「社長とは呼ばないで」に、またわけのわからないことを書きました。
http://lince.jp/mugon…

【補足】
例えば「王子」も沖縄語では「おーじ」となります。これも「扇」と同じ事情なのですが、但し、この場合の「お」は声門破裂音ではない「お」なので、新沖縄文字を提唱する船津さんの表記法に従って「をーじ」としました。しかし、「を」と書くと、どうしても[wo]という発音を想起します。確かに現代日本では「を」は[o]と発音されるということになっているので、声門破裂音ではない「お」の文字として「を」使用するのは一見問題なさそうにも思えますが、大和の古典芸能の世界では、いまだ「を」を[wo]と発音しています。この伝統的な発音は、芸能の世界では今後も受け継がれていくでしょう。
従って、「新沖縄文字」においても、無用な混乱を避けるために、声門破裂音ではない「お」については、新規に文字を考案することを、私は提案したいと思っています。
本記事において、そのあたりの事情を解説せずに、「王子」を「開音」の例として使っていたため、とても分かりにくい説明に「なっていました。そこで、「王子」に関する部分を削除し、この補足を付記することにしました。
(2011年2月5日高山正樹)

しかしです。ここで新たな疑問が沸き起こってきたのです。

1:元来古く(日本の鎌倉時代以前の)沖縄で、その頃は大和でもそうだったように、[au]または[ɔ:]と発音されていたものが、大和とは全く違った音韻変化の道を辿って[o:]に変わっていったのか。
2:あるいは、元禄時代以前に大和からやってきた言葉の[au]または[ɔ:]が、既に確立されていた沖縄の音韻体系の中に組み込まれて、[o:]と言い換えられたのか。
3:はたまた、元禄時代以後、すでに大和では発音の区別が無くなっていたのに、大和から文字としてやってきたものに「あう」と「おう」の区別があったため、沖縄ではそれを音でも区別したということなのか。

ああ、興味は尽きません。
このことは、沖縄の歴史的仮名遣いをどう考えるのかという問題と、深く関わっているのではないか、そうとも思われてきました。

ともかくです。何百年も頑なに保持してきた仮名遣い(蝶々=てふてふetc.)を、日本は明治になってあっさりと放棄してしまったわけですが、その大和では失われてしまった区別が、その成り立ちや変遷がどうであれ、ウチナーグチに[o:]と[u:]という音の違いとして、はっきりとした形で残っているということは間違いなさそうで、とても興味深いことです。

もちろん、全てをひとつの公式に当てはめてしまうことは大変危険ですが、そのことをわきまえていれば、公式を探り出そうとすることは、極めて深く、楽しいことです。
そして、ウチナーグチを通して日本語を考える、これは日本を相対化するという、日本が国際社会で真に自立するために必要でありながら、しかし日本人が極めて苦手とする思考回路を鍛えるために、とても有効なことでもあると思ったのです。

【追伸】
そうしたら、沖縄語辞典に、こんなことがあっさりと書かれていたことを、後になって知りました。
「標準語の『開音』に対応するooは首里方言でooに、また『合音』に対応する標準語のooは首里方言でuuに、それぞれ対応するのが普通である」
うーん、『沖縄語辞典』は、たいしたもんだ。

この日の次の記事を読む

沖縄語を話す会に、またまたお邪魔しました。

今日の日のご報告をする前に、前回の宿題から片付けましょう。
(⇒前回の記事を是非とも読んでください。

まずは日本語の「~へ」「~に」の違いから。
簡単にいってしまえば、「~へ」は方向を表し、「~に」は点を表すというような違いがあるようです。
訪れるその場所に、何か明確な目的がある場合は、「~に」を使う。「役所行く」と「役所行く」とを比べると、確かに「役所行く」の方が、印鑑証明を取りにいくというような、何か明確な用事がある印象がありますね。
逆に、失った恋の思い出から逃れるための北国の旅(近頃あまり聞きませんが)は、「北行く」よりも「北行く」と言った方がよく似合います。それは、「~に」だと、なんだかはっきりした目的があるみたいで、あてのない放浪の寂しい感じがあんまりしないからでしょう。
ちゃんと授業に出席する(そんなこと滅多にありませんでしたが)つもりの時は、「学校行ってくる」と、堂々と母親に告げて家を出ましたが、ハナっから学校の近くの喫茶店や雀荘に引っかかることがわかっている場合は、根が正直な僕は、無意識のうちに「学校行ってくる」と、小声で呟いていたような記憶があります。(つまりいつもそうだった。)
とはいうものの、大概の場合、「~へ」「~に」に置き替え可能です。「~へ」は、方向を示す時など限定的にしか使われませんが、「~に」は、かなり広義に使われ、単に方向を示す場合に使ったとしても間違いでなさそうです。

『広辞苑』には次のように書かれています。
「え(へ)」:(1)移動の意味をもつ用言に対し、動作・作用の進行するその目的の所在の方向を示す。…の方に。…に向かって。
(2と3は今日のはなしとは直接関係ないので省略。)
「に」:(1・格助詞)存在し、動作し、作用する点を、時間的・空間的・心理的に「そこ」と指定するのが原義で、時・所・対象・目的・原因・結果・状態・手段・資格・よりどころなどを指定する。(1は時間に関するものなので省略)(2)所・方角を指定する。(3から6まで省略)(7)目的を指定する。(8から14、及び「接続助詞」と「終助詞」の記述も省略。)

さて、では本題に移りましょう。

先日おきなわ堂で購入した沖縄語辞典より引用します。
「-kai」(~かい):(助)。目的地を示し場所を表す語につく。
「-Nkai」(~んかい):(助)
「-nakai」(~なかい):(助)のなかに。存在する場所を表す。
極めて簡単な記述です。しかし、日本語の「~へ」「~に」を理解したうえで、じっくり考えていたら、もうちょっと詳しい説明は必要なのではないかと思えてきたのです。

日本語の「~に」には、先にご説明したように、多分に「~へ」という意味も含まれています。それを踏まえたうえで、沖縄語辞典の「~かい」「~んかい」の項目の説明を読み直してみました。
「~かい」の項にある日本語訳の「に」ですが、それは日本語の「に」に含まれる広義の意味のうち、「~へ」的な意味だけを表しているのではないかと思われるのです。ちなみに、「~かい」の項目の中で例文として採用されているのは、全て「~行く」といった、方向をきっちり表す文章ばかりです。
一方、「~んかい」の項の「に」の方ですが、今度は逆に、日本語の「に」が意味する全範囲から、「~へ」という意味を除外した、若干狭い意味に限定されているように思われます。
「~んかい」の項の例文は次の通りです。
「木に登る」「親に言う」「先生に差し上げる」「先生に習う」「兄に叱られる」「仕事に熱中する」
つまり、「北に行く」的な、「へ」に置き換えられる、方向を示すような例文はひとつもないのです。
「~なかい」は少し難しい。沖縄語辞典の例文の日本語訳をご紹介しますので、イメージでお考えくださいませ。「首里あったはなし」「どこもない」「あっち海が見える」「あの道お化けが出た」)

國吉眞正さんのお話によると、本来「~かい」というべきところを、最近はみんな「~んかい」で済ますようになってきたとのこと。國吉さんは、致し方ない変化かもしれないと、この件については寛容でいらっしゃいます。
しかし、日本語の「~へ」「~に」の意味を考えたうえで、「~んかい」「~かい」の区別がなくなっていくというこの現象を考えてみた時、僕はひとつの仮説にたどり着きました。
もしかすると、日本語の広義な「~に」が沖縄へ入ってきて、その結果、直訳的に「~に」「~んかい」となってしまって、本来「~へ」の意味のなかった「~んかい」に、「~に」に含まれる「~へ」の意味が付与されることとなり、そしてその結果、「~かい」というべきところも全て「~んかい」で言い表すようになってきたのではないか、ということなのです。
これも、比嘉光龍さんから教えていただいた、「ミクストランゲージ」の一種ではないだろうか。だとすれば、「~んかい」の乱用は、看過できないものなのではないか……
http://ameblo.jp/okinawaaudiobook…
このことについては、いずれ光龍さんの意見も聞いて、「ミクストランゲージ」の詳しい説明とともに、またここでご紹介したいと思います。

ちょっと前置きが長くなりました。その上、だいぶ難しい話になってしまいましたので、ここでちょっと小休止。この後は次の記事にて。

この日の次の記事を読む

また沖縄です。
お忍びでというわけでもないのですが、今回は時間がないので、特にどなたにも連絡していません。

朝5時15分。調布からバス。6月のこの時間はもう明るいのです。
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羽田。
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もう8時を過ぎているというのに、明るさはちっとも変わりません。むしろちょっと暗い感じ。

zzz…。
飛行機の中で金縛りになりました。不思議な経験です。「倒したシートを元に戻してください」という声が、はっきり聞こえるのだけれど、全く動けませんでした。
那覇空港に着くと、高山正樹から連絡が入った。この日未明の2時半頃に、お世話になった方が亡くなったという報せ。
もしかしたら、あの金縛りの時、会いにきてくださったのかもしれない…、でも、ちょっと時間が違うからなあと高山。確かにね、ただ疲れが溜まっていただけなのかもしれません。

“国立劇場おきなわ”に到着。
やっぱり暗い。明るいイメージの沖縄が暗いと、ますます暗く感じます。

でも、これから夜まで、劇場内にある第一稽古場にずっと篭りっぱなしなのです。
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今日も明日も、8月のコンクールに出るお弟子さんたちの稽古のお手伝いです。終ったら、すぐ東京へ戻ります。空をゆっくり見上げてる余裕なんかないかもしれない。
だから、今のうち、よく見ておきます。恩人が、昇天した空を……
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(本記事は、高山正樹が宇夫方路の報告を受けて、それを題材にして書きました。金縛りも、誰かが来ていたような気がしたということも、ほんとうのことです。心から、ご冥福をお祈りいたします。)


13日のお披露目公演の記事が、沖縄タイムスにも掲載されました。

6月19日の沖縄タイムス
記事を大きくして読む

速報する必要のない記事は、少々遅れても問題ないから、芸能欄でまとめて紹介するという感じなのかな。

6月18日木曜日: 今年のお友達

去年、この日と…
http://lince.jp/hito/zenya…
この日に…
http://lince.jp/hito/yamori…
やって来たお友達。

今日、ついに来ました。
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でも、ちょっとお腹の色が違うかなあ……


6月17日水曜日: 琉球新報の記事

13日のお披露目公演の記事が、琉球新報に掲載されました。
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(中略)
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13日のことが17日の新聞に。ちょっと遅いですねえ。
夕刊が無くなったからなのかなあ。
前にも書きましたが、夕刊が無くなるのは不景気の所為もあるけれど、むしろインターネットによる若者の新聞離れが原因なのだとか。

6月16日火曜日: 子ども劇場2010

東京に戻ってきたら、上原さんが初仕事でデザインしたページが掲載されている2010年子ども劇場企画作品集が届いていました。
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はてさて、いかがなりますことやら。
上原さんのデザインの効果は現れるのでしょうか。楽しみですね。

楽天市場沖縄mapも君に任せているのだから、全部、君のセンスでいいのだから、ゆっくり急いで頑張れよ。
暖かく、見守っています。今のところは(?)。


“Bar土”がランチを始めたことは知っていました。100店シリーズの「昼ごはん夜ごはん」にも掲載されました。となればなんとしても行かねばなるまい、というわけで、沖縄に着いた日にごうさんに電話をしましたが、その時は繋がりませんでした。
そうしたら、昨日の夜になって、ごうさんの方から電話がかかってきました。
※お昼の土は9月をもって終了しました。残念。(9/30追記)

「携帯のデータが飛んじゃってさ。今、沖縄にいるの?」
「明日帰るけど」

帰りの飛行機の時間は19:30。じゃあ4時頃なら会えるねということで、今日、特別に早い時間から店を開けてくれて、ごうさんが出てきて待っていてくれました。
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特別に、食事も出してくれました。
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ごうさんがM.A.P.after5に初登場した時、ごうさんは「のんさん」でした。「のんさん」が「のんさん」を辞めたという話は聞いていないので、きっとまだ「のんさん」でもあるのでしょうが、表の世界での通り名は「ごうさん」のようです。

ごうさんは、最近、読谷に引っ越しました。夜のお店の営業は大西君に任せて、しばらく自分はお昼だけ出てきていたようですが、それも今は人に任せてしまいました。
ごうさんはいろいろと考えているようです。読谷で土を耕すこと。また“Bar土”での企画も盛りだくさんで、そのたんびにごうさんはお店に出てきて遊んでいるようです(失礼)。
大西君によると、“Bar土”は、今、沖縄で何かと注目されているのだそうです。でも、いったいどういう種類の人たちに注目されているのかなあ……

どんな催しを企画しているのかは、“Bar土”のブログでも覗いてください。
例えば、あの「日の丸事件」の知花昌一さんが、島唄を歌っていたり……
http://tsuchi2009.ti-da.net…
ちなみに、僕は知花昌一さんについて、ちょっとだけ書いたことがあります。
http://lince.jp/mugon/okuba…

ごうさんが知花昌一さんと初めて会った時に、知花さんから聞いた話を、ごうさんは「mixiという場所」で書いています。mixiという閉じられたところだけじゃもったいないから、ここに転載させていただくことにしました。
(まあ、ここで紹介しても、どれほどの方に読んでいただけるものか、あやしい限りですが、少なくともここは署名入りで全世界に公開しているわけで、それが、理念としてmixiとは違うのだと言いたい訳です。あれ、でもそういえば、ごうさんのほんとうのなまえ、知らないや。)

【沖縄通信 No.4】(from ごうさん)
あれは、高校国体が始めて沖縄に呼べると喜び、沖縄中で盛り上がってたんですね。
開催県は全ての種目にエントリー出来るので、必ず総合優勝出来るんですよ。
沖縄を総合優勝させることによって、大和に対する劣等感を払しょくさせ、自信をつけせるチャンスだったんです。
読谷村もその会場の誘致に懸命で、やっとその夢が実現する運びになりました。

しかし、大きなネックになったのが、国旗掲揚でした。

読谷村では4カ所で集団自決しているんですね。
僕が調査した「チビチリガマ」では85人が死に、83人が集団自決です。
そのうち12歳以下の子供が47人を占めています。
とても自分で死ぬことはできないわけで、その子たちは、お母さんに殺されたのです。
調査していて「あなたたちにはわからないかも知れないけど、当時はそういう教育だったんだよ」という話をある生き残った母親から聞きました。
降伏するくらいなら自決せよという軍国主義教育が母性さえ奪ったんだと思います。
沖縄戦は実は戦争が終わった後の9月7日まで散発的戦闘が続きました。
“最後の一兵まで戦闘せよ”と指令されていたからです。沖縄は、米軍の本土上陸を長引かせるために、まさに捨て石にされたのです。
また、戦闘の最中の5月に出た日本軍指令で、沖縄語をしゃべった者はスパイとみなして処刑されました。
こうした日本軍による住民虐殺や集団自決の象徴となったのが日の丸・君が代です。

当時、読谷村は村長も日の丸掲揚に反対していたし、議会でも日の丸強制反対決議を採択していたんですね。
国体のソフトボールの会場でも当初は掲揚しないことになっていた。
しかし、日本ソフトボール協会の会長が「日の丸・君が代をやらないのなら国体を他府県に移す」と言って紛糾したんです。
話し合いを重ねて妥協案が決まりました。
普通、旗のポールは5本だけど、6本目のポールを作って、その端っこに日の丸を立てる。
その反対側の端っこには非核宣言の旗を立てる。
メーンポールには国体旗を立てるというのが妥協案で開会式前日までこれで決まっていました。

村としても、がんばったんだし、端っこなら僕は焼くことはしなかった。
日の丸反対の横断幕を掲げるだけのハズでした。
ところが、当日になって協会長が「慣例なんだからメーンポールに立てろ」と強行したんです。
僕は、とっさにスコアボードに上って国旗を降ろし、燃やしました。燃やせば、もう揚げられないと考えました。
ところが、国旗に火をつけても、すぐに消えるんですね。
もう一度火をつけ、燃やすために火をつけた国旗を振りました。
そのことが、後になって、自分の行為を誇示したと見られ、裁判ではより重い刑が科せられる一因にもなったのですが。
スタンドから拍手喝采が起こりました。みんな、読谷村では当然のことと思ってたんでしょう。

その後、ぼくは逃げるつもりはなかったのですが、仲間が車を乗りつけ、逃げるんだ、早く乗れ。
と言うんで、成り行きでその車で家まで送ってもらいました。
家に帰り、妻に事情を話し、改めて警察に出頭しました。

以来、僕は「国賊」だと言われたりしましたが、本当に僕が国賊なら、僕の店はつぶれているハズです。
僕は30年間スーパーマーケットをやってきました。
日の丸を焼いた翌々日から右翼に店を襲撃され冷蔵庫を壊されました。翌年まで営業妨害を受けました。
でも、地域に支持されたから店はつぶれませんでした。
8年間闘って、裁判には負けました(一審で懲役1年執行猶予3年、二審で控訴棄却)けど、大変満足しています。
日の丸が大変な旗だということを全国で話すことができました。
日本人は、戦争で日の丸が果したことについてケジメをつけないとダメですよ。
それで新たに国旗を制定して日の丸が国旗になるのなら構わない。
でも、国旗が国内向けに必要なのでしょうか。旗というのは識別表示の記号であり思想を明示するものです。
船舶に立てたり、在外の大使館に国旗を立てるのは記号として当然です。
しかし、それが国内で自国民に向けて振られる時というのは、国が外へ出て行く意思表示をしている時、すなわち戦争につながると思っています。



M.A.P.としては、知花昌一さんの考えを全面的に支持するものではありません。というか、いかなる立場も主張することはいたしません。
また、ご紹介した文章の事実関係等を検証したわけでもありません。
あくまでも、“Bar土”のオーナーである「ごうさん」が、実際に知花さんとお会いして、そしてごうさんの頭の中に記憶された知花さんの話を、ごうさんが誠実に書き綴った文章があって、それをここに転載させていただきたいと思ったということであります。
(快く許してくださった「ごうさん」に心から感謝いたします。)
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ありがとう、そしてご馳走さまでした。

とまりんでレンタカーを返却して、空港へ向かいます。
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インターネットにある膨大な情報、その有効性を疑うものではありません。でもその恐ろしさを、この旅では考えさせられました。
あることを検索した結果、上位100個の記事全てに同じようなことが書かれていたとしたら、それを正しい情報だと信じてしまうのもいたし方ないことかもしれません。そしてその情報を、また自分のブログに書いたりしてしまいます。ところが実は、100個の情報の出所はたったひとつで、異論は101個目に押しやられている、しかし本当はその意見のほうが真実に近いということもよくあるのです。
間違っているかもしれない情報を、正しいものとしてしまうことに加担しないよう、あらためて肝に銘じています。

我々の過去の記事の中にも、安易に書いてしまった文章があるかもしれません。もし気づいたことがおありになりましたならば、是非ともご指摘くださいませ。

この旅の始めの記事から読む。



今回の旅の大きな目的は、楽天市場の沖縄mapに作品を出してくださる皆さんと、会って話をすること。
その最後がJUDO CHOP!
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いつも寝ている看板猫のチャミ、ついに目覚めた一瞬を捕らえた。
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うふふ……

「え? いや、僕、猫は嫌いですよ…」
「いえ、好きなんでしょ」
「嫌いだよ」
「屈折してますにゃあ」
「君に言われる筋合いはにゃい…、あれ…」

JUDO CHOPのストラップ!
楽天市場“沖縄map”で販売開始!
http://item.rakuten.co.jp/okinawamap…

でも、もっと他の事も考えているのです。はたしてどうなりますことやら……

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おきなわワールドに行きました。
前回おきなわワールドへ行った時の記事

まずは機織工房“しよん”さんへ。
しよんの皆さんからのメッセージです。

~忙しい日々の中、ほっとくつろげるような手作りの物に出逢ってほしい~
そんな思いで、私たちひとりひとりは、手染め・手織りの一点一点を作っています。
沖縄の南、青い空、豊かな緑、色とりどりの花の中
赤瓦民家の工房で制作しています。
沖縄の大らかな風を感じてください。


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“しよん”さんの作ったマース袋の記事


そして、紙漉き工房“紙芳”さんへ。
“紙芳”さんは、おきなわワールドの直営の工房です。今日は上江洲睦さんがお休み。ということで、工芸部の伊敷さんとお話させていただきました。
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漉いた紙で作ったポチ袋や葉書やら、それはそれでとても素敵なのですが、本当は紙そのものを売りたいのです。
おきなわワールドという観光施設の中では、なかなかそれは難しい、でもM.A.P.なら、まだまだ力は不足していますが、そのお手伝いが出来るかもしれません。

例えばこのお酒…
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サトウキビのお酒です。そして、ラベルには“紙芳”さんの漉いたサトウキビの紙が使われていて、それに著名な書家の方が一瓶一瓶、文字を書いているのです。いわば酒造りと紙漉きと書道家のコラボレーション。紙そのものを提供すること、それは新たなものづくりの可能性を生み出すことでもあります。

伊敷さんは、会社の管理職という感じが全くしませんでした。謙虚すぎる(?)上江洲さんをはじめ、若きものづくりの人たちを、とても大切にしているいらっしゃるようにお見受けしました。まあ、会社だから、外からでは見えない様々なご苦労もあるのでしょうけれど。

いろいろと、アイデアを出し合って、頑張ってみましょうね。
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「ちょっと、いい写真を撮りましょう。キャッチライトで照らして」
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「いいですよ、そんな…」「いやいや…」

カシャ!
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ほら、素敵な笑顔、ありがとうございました!

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“おきなわおーでぃおぶっく”のCDは…
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大城立裕先生の色紙と並んでます。
関連記事を読む(金城君の初コメントあり)

昨日、比嘉光龍さんがバイブルだと言っていた「沖縄語辞典」を発見。
間違えてはいけないので、さっそく光龍さんに電話。
「後ろに政府刊行物販売所一覧が載ってるページがありますか? なら大丈夫、それです!」
さっそく購入しました。

沖縄語辞典

国立国語研究所編、発行は財務省印刷局。初版は昭和38年。平成10年に沖縄県の人々や研究者の要望に答えるかたちで第8刷が刊行されるとアッという間に完売、そして平成13年に、若干の変更を加えられて刊行されたのが、この第9刷なのです。
光龍さんが持ってるのは、第8刷かな9刷かなあ。

店長さんのお話によると、この辞典、光龍さんが沖縄のメディアで紹介してから、よく売れているのだとか。
「光龍さんは、あの格好(甚平姿)で、よくおきなわ堂にもヒョコッといらっしゃるんですよ」

店長さん、こんど光龍さんがいらしたら、おきなわおーでぃおぶっくの宣伝もしてくださいませね。
よろしくおねがいします!

(右は変更される前のものです。)


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“嘉例山房(カリーさんふぁん)”
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「かせかけ(かしかきと読む)」の踊りで使う道具が飾ってあった。
平べったくて大きいのが「枠(わく)」、筒状なのが「綛(かせ)」
かせ
昨日、moso'sの工房で、ほんものの「かせ」を見せてもらったばかり。
その記事を読んでみる

朝昼兼用の食事。
黒米カレー800円。
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メニューには何も書いていないのに、グアバジュースがついてきた。
お水にはさりげなくシークヮーサーの果汁が入っている。
カレーは文句なし。間違いなく、たくさんの食材を長い時間かけて煮込んだのであろう深い味。

ぜんざい450円。
氷ぜんざい
沖縄で「ぜんざい」といえば氷ぜんざいのこと。豆は小豆ではなく金時豆。
この味も、国際通りあたりのぜんざいとは一味違って、どこか落ち着きがある。白玉も、いい意味で少し粉っぽくて嬉しい。

本当はこのお店の名物はぶくぶく茶。
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(メニューの向こうに置かれた龍の皿。
「沖縄における龍とシーサー」は研究課題。

20年くらい前、どこか南部の観光地でぶくぶく茶を飲んだ(食べた?)時、ああ、なるほどこういうものかと思って以来、特に敢えて飲みたいとは思わなかったのだが、このお店でカレーとぜんざいを頂いてみて、このお店のぶくぶく茶を頼まなかったことを後悔した。でも、もう追加で注文する時間がない。

「ここのぶくぶく茶はおいしいのに」と、お店のママ、大城さん。
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また来ます。その時は、絶対にぶくぶく茶を頂きます。

首里の路地裏にあるお店。知らなきゃきっと辿り着けない。
場所をお知りになりたい方は、100店シリーズの「カフェ」をご覧ください。

M.A.P.販売サイトへ
http://www.ownmap.jp/article…
楽天ならクレジットも使えます。
http://www.rakuten.co.jp/okinawamap…

他の商品と、併せてご購入くださいませ。

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金曜日の夜に続いて、今日もまた生活の柄へ。
生活の柄の入口

ちょっとまじめな感じでしょ。
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そうなんです。まじめに語り合っているのです。

今日は、サンパレス球陽館の木佐木さんと、一杯やりましょうとお約束していたのですが、そこにみんなが合流してくれました。
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「最近の沖縄のホテル、すごく安いと思いませんか?安くしないと、お客さんが来ないんです。」
確かに、ちょくちょく沖縄へ来なければならない私たちにとっては、安いホテルが多いのは、とっても嬉しいことだったのですが、問題は、そう単純ではないらしい……。
「ホテルで沖縄の地のものをお客様に提供したい、でも、そういうものは、とっても値段が高くて使えないんです。」
いいものなら高く売れる、そんなふうに考えていたのだけれど、そういうものが高いのは、それだけ手がかかっているからであって、決して作り手が潤っているわけではないのです。ただ、苦労に見合った値段というだけのこと、でも、そうしたものを手に入れることができるのが、内地のお金持ちだけなのだとしたら……。
それが、沖縄のもの作りを担う人たちの望んでいることなのでしょうか。

null null 井上真喜ちゃん null

誰もが皆、自分の経験からでしか考えられないのかもしれません。でも、隣にいる人の語る言葉を、あたかも自分が経験したことのように耳を傾けることならば、きっと出来るはずです。

そうだよね玉城さん。肝ぐりさの本当の意味を、どうかもう一度、教えてください。

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栄町の夜は更けゆく……
電気は煌々と点いていますが…
お店はもうやってません…

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夕方の5時ごろ、比嘉光龍さんから電話が入った。
「今、ラジオ沖縄の本番が終ったところです。ココの一階を使わせてもらえることになったので、ココで待っていましょうね」
おっと、6時半にお会いする予定で動いていたので、ともかく大急ぎで恩名村から那覇へ向かいました。金城君と合流して、ラジオ沖縄に到着したら、「結局6時半だね」と、大きな声とおおきな笑顔の比嘉光龍さんが迎えてくれました。

初めてぃやーさゐ!
それとも
初めてぃ拝(をぅが)なびら
光龍さん、こういう場合、どちらが正しいの?
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ちょっとデカ過ぎますか?
でも、存在感はまさにこんな感じなのです。

那覇へ(なふぁかい)向かって、ラジオ沖縄に(らじおおきなわんかい)到着して…、という感じでしょうか。
この「~かい」「~んかい」、それに「~なかい」については、日本語の「~へ」と「~に」とともに、現在さらに研究中、東京に戻ったらゆっくりとここで研究発表したいと思っています。
関連記事(6月6日の沖縄語を話す会のこと)を読む

「比嘉光龍」という名前を初めて聞いたのは、儀間進さんのお話からでした。うちなーぐちについて、いったいどんな方々にご指導をお願いしたらいいのかご相談した時に、儀間さんから出てきたお名前なのです。
儀間さんから光龍さんのことを聞いた日の記事を読む

光龍さんにお会いできることになったのは、金城史彦くんのお陰、金城君のお知り合いの親川志奈子さんが光龍さんをよくご存知で、それでご紹介いただいたのです。おふたりに心から感謝です。
親川志奈子さんに会った日の記事を読む

今日のことは、“おきなわおーでぃおぶっく”のオフィシャルブログでも記事にしましたので、必ずお読みくださいね。
http://ameblo.jp/okinawaaudiobook…

比嘉光龍さんから頂いた名刺には「ふぃじゃ ばいろん」とルビが振られていました。
肩書きは「唄三線者」。
比嘉光龍さんについても、またその考え方についても、ご報告したいことはたくさんあります。でも慌てて書くことはしません。ひとつひとつ、私たちも考え、理解したうえでご紹介したいと考えているからです。

とりあえず、今日はお会いしたということと、これからいろいろとご相談することになるであろうということのご報告でした。

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あ、それからもうひとつ、比嘉光龍さんは“沖縄語を話す会”の國吉眞正さん船津好明さんもよくご存知で、尊敬もしていらっしゃることが分かって、たいへんうれしく思ったことだけは申し添えておきたいと思います。
(問題は表記ですね…)

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ムーンビーチ入口の向かい側にある花屋さん。“フラワーショップ華絵”
ホームページはこちら…
http://www.hana-e.com/shop-info…

高山正樹は15年以上前に一度伺ったことがあります。時の流れは早いものです。

宇夫方路のお披露目公演にお花を贈ってくださったのは、華絵の奥様のルミさんです。このふたりと劇団昴の石井ゆきさんの三人は、演劇学校時代の親友なのです。

ルミさんは、お店での作業を従業員の方々に任せて、近くのレストランまで車で案内してくれました。
ちょっと南の“カサラティーダ”という素敵なお店。
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“カサラティーダ”のマスターはルミさんのお友達、ということで、売り切れの数量限定のランチメニューを、特別に用意してくださいました。
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せめてノンアルコールのビールで乾杯ぐらいしなくちゃね。
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デザートもついています。
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うるま市で、食事してきたのにねえ。おいしいものには勝てません。でも、これじゃあ痩せられない、困ったものです。

ルミさんは、近くのホテルやレストランに、丹精込めて育てたお花や観葉植物を届けて飾るのが仕事。ナイチャーのだんな様は、この時間ハウスでお花の世話をしていらっしゃいました。

近頃ムーンビーチ周辺のホテルが、みんな外資系にオーナーチェンジしてしまいました。何故かアメリカ人は大きな葉っぱが嫌いらしい。それで、ホテルのロビーからすっかり緑が消えて、全く趣きが変わってしまった。
従業員もみんな契約。アメリカ人はシビア、3ヶ月で結果が出なければ契約解除、要するにクビ。古い従業員の人たちは、それでみんないなくなってしまったらしい。
どうしてるんだろうなあ、かわいそうに…

完成間際にオーナー会社が倒産して、廃墟となってしまった大きなホテルが、この近くにあります。沖縄では有名なはなしです。巨大なゴミが、恩名村の美しい景観を壊しているのです。どこかが買い取るというような話も、この不景気では聞こえてきません。

ルミさんはそろそろリタイヤを考えています。そして、元気なうちに、誰かの役に立つようなことをしたいんですって。素敵ですね。

いろいろありますが、でも、“カサラティーダ”は頑張っています。100店シリーズの「海が見えるお店」にも掲載されています。
では、夜の“カサラティーダ”をご覧あれ!


ルミさん、ご馳走様でした。
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マスターは接客中で写真には入ってません。
また来ます。今度は是非とも夜、そしてアルコールもたっぷりと。

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6月14日日曜日: 北へ…(6月の沖縄9)

勝連の城跡のある、うるま市で食事をして…
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ある人にお会いして…
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それから、さらに北へ…

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moso'sの織ったコースターを、楽天市場の沖縄mapで販売しています。
http://item.rakuten.co.jp/okinawamap…

織物とは、機織の機械使って作った布のこと、そしていろいろな織物を、それぞれ「~織」と呼ぶわけですが、それは、織り方の技法を表した呼び名だったり、また、その地域特有の、いわば「地域ブランド」を示す呼び方であったりして複雑です。
moso'sをあらためてご紹介する前に、沖縄の織物を総括的に説明したいと思っていたのですが、とても容易に出来ることではないと、今日のところは諦めました。

その代わりということで、沖縄大百科事典の「琉球の織物」の項から、その冒頭の記述をご紹介したいと思います。

「琉球の織物は、種類や技法の豊富さにおいても、またその発達の歴史においても、日本のどの地方のものとも比較にならないほど、特異なものがある。かつては琉球の女性たちのすべてが織手であり、家族の着るものを織っていた。それはたんに人間の身体を保護するのみでなく、人間の魂をも守るという、守り神の役目を果たすと考えられた。琉球の織物を発展させたもろもろの条件の根底には、女性たちの美しいものを造りだす力と魂があったことを忘れてはならない。」
(大城志津子)

なかなか奥深い記述ですねえ。
さて、これを踏まえた上で、moso'sの自己紹介文を読むと、イメージが膨らむのではないでしょうか。
「沖縄の古民家で染織する3人のユニット。沖縄の染料や技法を取り入れつつ“自分たちが欲しいと思うもの”をコンセプトに、自由に布を織っています。」

そして、彼女たちが採用している技法が「タテウキハナオリ」
それを、moso'sの皆さんは次のように説明してくれています。
「沖縄では、糸が浮いて模様をあらわすことをハナオリと言い、その中で模様がタテ方向に浮く織物をタテウキハナオリと言います。」

これについて、少しばかり補足をさせていただきたいと思います。
織物の中に「紋織り」という種類がありますが、これは全国に共通した織り方(技法)の名前です。そして、沖縄にある「紋織り」の総称を「ハナオリ」=「花織(ハナウイ)」と呼ぶのです。つまり、「花織」は、技法の名前でもあり、同時に地域(沖縄)限定の呼び名でもあります。
「花織」は、さらに地域的に細分化されます。「首里花織」や「読谷山花織」というふうに。そしてそれらは、単なる地域の違いだけではなく、違った歴史的背景を持っていて、基本的な技法は同じでも、やはりそれぞれ特色ある独自の技法を持っています。

また、技法だけの違いを捉えた名称の区別もあって、模様がヨコ方向に浮くものを「ヨコウキハナオリ」=「緯浮花織」(「読谷山花織」などがこれ)といい、そしてmoso'sは「タテウキハナオリ」=「経浮花織」の技法を使っているということなのです。

ということで…
moso'sの工房に伺いました。
(⇒前回宇夫方路が訪問した時の記事を読む
この日、初めてお邪魔した高山正樹は、きょろきょろ…
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タテ糸を巻く棒が2本ありますねえ。ちなみに、しよんさんは首里花織も織りますが1本です。

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女七踊のひとつに「かせかけ(かしかき)」があります。布を織るための糸作りのことを「かせかけと言うのです。その「かせ」がこれです。

「まあまあ、どうぞこちらへ……」
「ありがとうございます」
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「きいもも」をご馳走になりました。梅と桃を足して2で割った感じ。とてもおいしく頂きました。

「タテウキハナオリ」の他に、moso'sで忘れてはならないもう一つの「売り」が、全て天然素材で染めているということです。

これは「福木(フクギ)」。
福木
皮を剥いで使います。
袋に入れた福木
これで染めると黄色くなります。

それから「虫」。
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名前はコチニール。赤色の染料になります。でもちょっと紫っぽい感じもします。

色落ちを極力なくすために、染めては洗い、また染めては洗いを繰り返します。手間がとってもかかる。そこまでやっても、自然の染料なので色落ちは避けられません。でも、それが味になるんです。

「たくさんの命を頂いて染めているのです」

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3人の心が伝われば、値段が少々高くたって、絶対に売れます。
だから、3人の心を伝えるのが、M.A.P.の仕事なのです。
だから、3人の心が伝わるような作品を売りたいな。

今日は、会えて、話せてうれしかったです。又来ますね。

moso'sの工房の周りには、漆喰シーサーがいっぱい。
では、漆喰シーサーのミニ写真展です。
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漆喰シーサーについては、楽天市場で扱うようになることがあれば、またご説明したいと思っています。

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今日は宇夫方路女史の本番の日です。
チケットと島バナナ
朝食は島バナナ。
でも、まだちょっと早かったみたいで、右側の黄色いところに芯がありました。全部真っ黒になったくらいが丁度食べ頃なんですね。

那覇をぷらぷらしていたら、もうお昼。

昼間のパラダイス通りです。

大東そばを食べに行きました。
大東そば

“サンパウロ”“ななしん屋”
サンパウロとななしん屋

“bar土”への入口。ごうさん不在。
“bar土”への入口

昼過ぎからは土砂降りの大雨。
そんな中、佐喜真美術館へ。
比嘉豊光の写真展開催中。
その関連イベント…
イベントのチラシ

「復帰」以来、沖縄は何が変わり何が変わっていないのか……

第一部・シンポジウム「赤いゴーヤー」からいま・沖縄を視る
第二部・詩の朗読会、川満信一、中里友豪、高良勉が自作の詩を読む。

会場には、新川明氏の姿も見えました。
第一部のシンポジウムについては、色々と思うことあり、でも、このブログで書くことではなさそうです。「社長とは呼ばないで」で書きます。いずれ(?)。
第二部の詩の朗読会は、何としても聞きたかったのですが、残念ながらもう国立劇場へ向かわなければならない時間、後ろ髪ひかれながら、佐喜真美術館を後にしました。

国立劇場おきなわ大劇場・・・
玉城流喜納の会、会主・師範・教師お披露目公演
“初華に舞う”

開演は3時から。
受付には宇夫方路の先生の関りえ子さんが。「今踊ってるよ」と言われて急いで客席へ。

第一部の古典は、まるで能のよう、すぐに気が遠くなって、いつしか気を失いました。
(隣に座っていた金城君の「眠いですね」の囁きに起こされました。)
宇夫方路が踊った踊りは「天川」と、初代家元・喜納初子先生が創作した「銭掛の花」という踊り。

第二部は少し賑やか。八木政男さんが進行役、そのウチナーグチは、僕には95%理解不能でしたが、でも、会場をいっぱいにしていたご年配には、大いに受けていました。この年代の方たちの間では、まだまだウチナーグチは生きています。
宇夫方路は「仲島小唄」と「海のチンボーラー」を踊りました。

宇夫方路に、古いお友達のるみさんからお花が届いていました。
宮崎るみ子さんから届いたお祝いのお花

パンフレットのイラストは宇夫方隆士さんが担当。
パンフレットのイラスト
八木政男先生のご紹介。
八木政男先生の掲載写真
いったい何年前の写真を使っているのでしょうかしらん。

最後は、舞台に全員揃って、二代目家元の伊波正江先生と八木政男先生に花束をお渡しして幕、ちなみに、八木先生に花束を渡したのは宇夫方路さんでした。

沖縄の二日目は、M.A.P.としてはちょっと小休止っぽい一日でした。

《おまけ》
かみさんの実家へ。
近頃、「白百合」などというとても泥臭い泡盛が、一部で密かに流行っていたりするようですが、基本的には、最近の泡盛はどの銘柄もずいぶんと飲みやすくなって、どれもこれもあまり変わらなくなってしまいました。35年ほど前、僕が初めて飲んだ泡盛たちは、それぞれみんなとてつもなく癖があって個性を主張していました。
今日、そんな懐かしい味を思い起こさせる実にうまい古酒を飲みました。
古酒の瓶
瓶の裏側にはこんな説明書きが……
古酒の能書き
1956年ということは、52年ものの古酒ですね。
「2000年沖縄サミット各首脳晩餐会で乾杯の音頭に使用」とあります。そういえば2000円札も流通しなかった。あれから沖縄は何も変わってはいません。いや、むしろ閉塞感や絶望感が拡がっているのではないか、そして、とてつもない断絶が、密かに進行しているような気もします。
今日は、実に様々な沖縄を廻りました。
(文責:高山正樹)

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6月13日土曜日: 12日の26時(6月の沖縄6)

国際通りを歩いていたら、本物と思われる島バナナに遭遇。
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ずんぐりむっくり。これだ!
偽物らしき島バナナの記事を読む。

黄色くなったのをバラ売りしてた。
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隣にはサトウキビが。
へえ、最近はちゃんと袋に入って売ってるんだね。

島バナナを3本150円で購入。
今日はまだ食べちゃダメ。明日まで待つこと。

バナナをポケットに入れて、“生活の柄”に向かいます。
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西岡美幸さん、玉城さん、金城君、乾杯!
2時間後、宇夫方路さんは稽古へ。入れ替わって、長池朋子さんが合流。
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お開きは深夜25:00過ぎ。
宿まで長池さんに送ってもらって26:00。
今朝、起きてから、既に22時間が経過……

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カンキチ君に見送られて、又吉さんの工房をお暇したあと、私たちは“タイフーンFM”へ向かいました。
那覇の首里にある、コミュニティーFM局です。
2月の沖縄最終日には、アポなしの飛び込みで、慌ただしく御挨拶だけしてきたのですが、今日はもう少しゆっくりとお話ができそうです。

首里池端町。
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一階は、100店シリーズの「幸せディナー」で紹介されている“リュウタンパラダイスカフェ”
前回は改装中、今回は時間がなくて入れませんでした。
是非とも次の機会に。
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その二階にタイフーンFMがあります。
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ミニFM局といっても、タイフーンFMはかなり大規模で、とても質の高いコンテンツを数多く制作していらっしゃいます。
タイフーンFMのホームページを見れば、その様子が分かります。
http://www.fmnaha.jp/…

本日は長々とお話を聞いて頂き、ありがとうございました。是非ともご協力のほど、今後ともよろしくお願いいたします。

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北村三郎さんとお別れしたあと、私たちは又吉健次郎さんの工房にお邪魔しました。
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又吉さんは、先日東京へ行かれたそうですが、あんな忙しいところ、疲れるからもう二度と行かないとおっしゃっていました。
「20年前、二十歳の頃、歌舞伎町をウロウロしていたときは大丈夫だったんだけどなあ」
あれ? オジイ、幾つなわけ? 計算が合いませんよ。
そばから健次郎さんの話に突っ込みを入れる娘さんです。
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笑って仕事を続けるお弟子さん。
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なんでこの画像、こんなに大きいの?
手元がよく見えるようにです。大意はありません。

その傍の壁には、大和の書家(北古味可葉氏)の作品が。
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書かれてあるのは、「結ぶ」という文字です。

いよいよ「又吉健次郎」さんのカテゴリーを作りました。
http://lince.jp/hito/okinawamap…

又吉健次郎さんが“沖縄map”のために提供してくださるのは、既にお知らせしたとおり、結び指輪と、それから房指輪の七つの素材を使ったネックレスです。

あらためて房指輪の七つの素材をご紹介します。
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さて、この七つの図案にどんな意味があるのか、いよいよ懸案の謎解きを…、と、いきたいところなのですが、なかなか奥深いこともあり、また本当のところがいまひとつ判然としないので、今少し時間を頂きたいのです。
確かに、6月6日の記事のコメントにてご紹介した説明での「意味」が、“金細工またよし”の公式な御案内であることには間違いはありません。今や金細工(くがにぜーく)の第一人者は又吉健次郎さんなので、インターネットで「房指輪」を検索すると、この又吉さんの工房の正式な案内が、それぞれのサイトやブログなどで、若干言葉を変えながらも、これ以外にはあり得ないという印象で上位に並びます。中には又吉健次郎さんのお名前なしで説明書きのみ使われている場合もあり、もはやこの見解が、琉球王朝時代から連綿と受け継がれてきた伝統であるかのような様相を呈しています。

この日、又吉健次郎さんは、大切にされている、ひとつの古い房指輪を我々に見せてくださいました。
それがこれです。
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作者はわかりません。

1960年に「大和」からやってきた陶芸家濱田庄司と版画家棟方志功。
健次郎さんの父、6代目又吉誠睦。
そして、ここにも戦争の影が…。
健次郎さんが最も大切にしていることは、父親の遺志をそのものを受け継ぐこと。

なんだか奥歯にモノが挟まったような物言いで、大変申し訳ありません。健次郎さんにもお許しを頂いていますので、若干残る靄が晴れたならば、その時はきちんとご報告したいと思っています。

前回宇夫方路がお伺いした時の記事でご紹介したお孫さんの絵を、ここに再掲したいと思います。
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もしかすると。このお孫さんが健次郎さんの後を継ぐというようなこともあるのでしょうか。
父という「定立」、息子という「反定立」、その弁証法的統一。あるいは即自・対自・即自且対自といってもいい。
物事はトライアングルになった時、父と息子の関係だけであったものが、新たな定立(テーゼ)として確固たる伝統になるのだと思うのです。
このことと通じるものが、“おきなわおーでぃおぶっく”の新作、大城立裕氏の「ノロエステ鉄道」にもあるのです。
それに関するこんな記事も、どうぞお読みください。
http://lince.jp/hito/noroesute…
これもまた、第三の目に違いありません。
こんな記事もどうぞ…
http://lince.jp/hito/…

ああ、またややこしい話をしてしまいました。反省であります。
又吉さん。今度は島酒担いでやってきます。
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(文責:高山正樹)

今日は、カンキチに会うことができました。
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でもこいつ、男は嫌いらしい。特に大和の男が?
金城君と一緒?

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今年の2月5日、金城君と待ち合わせたのと同じ場所で、今日も同じく金城君を待ちました。
2月5日と同じ場所で、空を撮影してみました。
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2月5日の空を見る
2月には無かった葉っぱがたくさん。

そしてこんな実もついていました。
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これ、何の木なんだろう。金城君、教えて。

はたして、私たちM.A.P.の「沖縄」という樹木にも、あれからいくつか実がついたのでしょうか。青く硬い実であるにしても。

車で、日航那覇グランドキャッスルへ向かいました。1973年に開業した首里の老舗のホテルです。
日航という名前は残っていますが、2007年に外資系の会社に売却され、今は別会社が運営しているようです。
今回の旅のテーマのひとつは、もしかするとホテルかな…。

一階のラウンジには、北村三郎さんがもうすでに来ていらっしゃいました。
ああ、また沖縄の「オジイ」(失礼)をお待たせてしてしまいました。申し訳ありません。沖縄全部が沖縄タイムだなんて、やっぱり間違っています。
関連記事を読む

北村三郎さんについては“おきなわおーでぃおぶっく”のオフィシャルブログに書きました。どうぞそちらをご覧くださいませ。
http://ameblo.jp/okinawaaudiobook…

ホテルの方にお願いして、記念撮影です。
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「ウンタマギルー」という映画をご存知ですか。1989年の映画、小林薫主演、監督は高嶺剛。その映画に、北村三郎さんは安里親方役で御出演されています。そればかりではなく、「方言指導」もなさっていたはずです。また「ウンタマギルー」は字幕スーパー付きの映画で、多分その翻訳も担当されていたのではないでしょうか。
この映画には、他にもたくさんの沖縄の芸能関係者が出演しています。間好子、平良トミ、玉城満、照屋林助、大宜味小太郎、藤木勇人、嘉手刈林昌。聞き覚えのある方だけでもこんなにたくさん。これからもっともっと沖縄と深く関わるようになれば、テロップで流れる方々のうち、さらにたくさんのお名前を知ることになるかもしれません。

北村三郎さん曰く、「僕も出てたけどね、あの映画はさっぱり訳がわからなかった」
シュールで好きな映画だったのですが、なんだか我々の青臭さを、たしなめられたような気もしたのでした。

Wikipediaの「ウンタマギルー」の項には、沖縄県西原町に伝わる民話「運玉義留」という記述がありますが(2009年6月時点)、1983年に沖縄タイムスから刊行された沖縄大百科事典では、船越義彰氏が、運玉義留は「沖縄芝居で有名な義賊」で、「あくまで明治以後発達した商業演劇の創作で、歴史上、運玉義留のモデルらしき人物はみあたらない」と書いています。
私たちにどちらの記述が正しいのかを判断する能力はありませんが、みんながWikipediaの記述の印象から判断して、「運玉義留」のことをインターネットに書き込むようになると、いつしか「運玉義留」は古くからの伝説であるということになってしまうのかなあと、ちょっと心配になりました。

「インターネットの情報とは」、そのことが、今回の旅の、ふたつ目のテーマかもしれません。
私たちも、こうして世界に情報を発信している限り、気をつけなければいけないのだと、あらためて襟を正しています。

私たちの記事においても、シーサーの歴史についての記述に誤りがあったことを発見し、直ちに修正をしました。
あたかも単体のシーサーが、もともとの沖縄土着の信仰であるかのような説明をしてしまったのですが、それは間違いでした。ここで謹んでお詫びを申し上げます。
修正した記事はこちら

また、修正した記事に対して、さらにここで補足の説明を掲載しておきたいと思います。
(『沖縄大百科事典』「シーサー」大城精徳氏による記述から)
「魔除けの獅子像のこと。(中略)獅子像を魔除けまたは守護神として用いる習俗は遠くオリエントにその源を発し、B.C.2世紀ごろ西域をへて中国に入り、中国―琉球の交流がさかんになった14,5世紀ごろ沖縄にもたらされたものと考えられる。(中略)明治以降瓦葺き建築がさかんになるにつれ、屋根に獅子像を据える習慣が一般に浸透していった。(中略)獅子像を据える形式には二通りあり、一つは開口・閉口の形態をもって対で据える形式で、城門や寺社の門に多く、いま一つは屋根獅子のように単躯のものである。」

今後は、十分注意をしていきたいと思っていますが、もし正確さを欠いた記述にお気づきならば、是非ともご連絡、コメントなどを頂きたいと思っています。よろしくお願いいたします。

【おまけ】
書斎で見つけた“ウンタマギルー”
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テレビ放映を録画したCDと、新里堅進さんの漫画。

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さて、かりゆしウェアーを着てシャキッとした(ダラッとした)後は腹ごしらえです。

最近の沖縄には、ランチに力を入れているホテルがたくさんあります。リーズナブルなものからちょっとおしゃれなものまで、バイキング形式も人気です。観光客や宿泊者向けというよりも、地元の方々をターゲットにしているようです。
(なぜそうなのか、要するに、観光客の宿泊だけではなかなかやっていけないということらしい。それについては、今回の沖縄報告のどこかで、またご報告したいと思っています。)

前々から「あそこのランチは安くてお勧めだよ」と聞いていたサンパレス球陽館へ。
ランチの宣伝幕 サンパレス球陽館の表札

今日のランチは味噌漬け牛肉のステーキ。
今日のランチ
やわらかくてレアーで、とても美味でありました。ご飯はおかわり自由、その上フリードリンク、これで650円というのですからびっくりです。
ちょっと上等に、月替わりのランチもあります。
「月替わりOLミニ懐石」
月替わりOLミニ懐石
上等といっても840円。やっぱり安いですねえ。
この日も12時を過ぎる頃から、観光客ではない感じの方々で賑わってきました。近くの会社のOLさんらしき方々もいらっしゃいます。

お昼のメニューを色々と企画しているのが、木佐木留美さんです。
木佐木留美さん
神奈川県出身、元東京ボードビルの女優さん。自称風来坊。それ以上のことは内緒。

留美さん、ごちそうさまでした。とってもおいしかったです。

ロビーには島野菜が飾ってありました。
これも木佐木さんのアイデアなのかな。
島野菜
真ん中の黄色い野菜はバナナピーマン。
味は? 
「ピーマンの味です。」
ああ、なるほどね。すいません、ひねりが無くて…

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書斎のドアを開けて、そうしたら見えた夜明けです。
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羽田を7時前に出発する一便の飛行機に余裕を持って乗るために、息子に頼んで羽田まで車で送ってもらいました。
息子は免許を取ったばかりで、車を運転したくて仕方がありません。でも自分の車など持てる身分ではありません。だからこんな時、親父の無理な頼みにもすんなり応えてくれるわけですが、はたして、いつまで都合よく運転手として息子を使うことができるでしょうか。
ともかく、息子に専用の車をあてがってやるなどという親馬鹿は決してしないことが肝要ですね。

沖縄へついて、まずは“かりゆしウェアー”を買うことを思い立ち、そこで国際通りのキーストーンへ向かいました。
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購入した“かりゆしウェアー”に、さっそく着替えました。
郷に入れば郷に従え? いや、沖縄の懐に飛び込んでのゲリラ戦に備えた迷彩服、気分は戦闘服なのです。
おっと、ここは沖縄、なんとも危ない言葉遣い、反省。
いろいろと複雑な思いが重なっているのだとご理解いただき、どうかご容赦を。

つまり、たくさんの気になることがあって、それで東京を離れ難かったのだけれど、それらを押しても沖縄へ行くことを選択したのだということなのです。

なんだか、よくわからないはなしで申し訳ありません。

「いざ、出陣!」
またまた、やめなさい、そういう言葉を使うのは……
再度、ご容赦を。

ほんとうはね、戦う相手は、自分自身なのです。きっと。
(文責:高山正樹)

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6月11日木曜日: ダークな世界を後にして

0時を回って、もう11日。深夜。
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いい歳コイタおじさん同士で、2時間を超える深夜の長電話。
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こんなふうに、世界と繋がっているのです。
遮断してしまえば、きっと楽になるだろうに。

「命あってのモノダネ。ダークな世界なんか捨てちまえ」
「簡単に言うな」


【深夜2時半を過ぎて届いた6月の沖縄報告第二便】
ほっともっと(ほっかほっか亭と分裂した弁当屋)の沖縄限定のゴーヤー弁当。null
430円です。
これを食べてから稽古に向かいました。
稽古の様子は撮れないのですが、ちょっと合間にJUDO_CHOPさんの房指輪を嵌めて、文字通り手近に一枚だけ。
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ちょっとななしん屋に寄って、たった今、ホテルに戻りました。(うぶかた)



夜が明けると、雨。
調査、はかどらないなあ。

それも昼過ぎには上がりました。

久しぶりにギターを出してきて、バッハのフーガを弾いてみたのです。

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チェロに触れて、すっかり忘れていたギターの基本を思い出して、それを確かめてみたかったから。

色々と気にかかることがあって東京を離れがたいのですが、あした週末、思い切って沖縄へ行くことに決めました。
色彩のある世界へ。


6月10日水曜日: ダークな一日

17時30分。うぶかたからの6月の沖縄報告第一便。

今日は朝からホテルの部屋で昼食も取らずに一日仕事。やることが山ほど……
でも、今日はもう稽古の時間なので、今日の仕事はとりあえずここまで。
行ってきま~す!


明るく装ってはいるが、なんとも。
添付された画像。沖縄のホテルの一室。
沖縄のホテルの一室の画像

僕は書斎で、こんな本を読んでいる。
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なんとも、ダークな日……

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6月 9日火曜日: 諸々急がねば

お?今日は、猫が寄ってきた。
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こいつは「一郎」である。

急いで仕上げねばなりません。まだドレミの練習。急げ急げ。

宇夫方路は、いよいよお披露目公演の本番のために、あわただしく沖縄へ旅立った。
チラシです。
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取り急ぎちっちゃな画像で。
大きな画像は本番当日の記事で紹介します。

ああ、しかし、前の前の沖縄報告の記事が、まだアップできていないというのに。
急がなくては…

やっと差し込んだ記事…
5月の沖縄その2のうぶかた第1報:moso's(5/23)

6月 8日月曜日: 地図の仕事は…

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忙し忙し…


6月 7日日曜日: 虎狩(音の暴力)

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ああ、肩に力が…
猫たちは飛んで逃げた。
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俺は、ドレミファを弾いても「虎狩」になるらしい。
この後、猫の食欲が落ちました。


毎月第1土曜日と第3土曜日に大崎で開かれている“沖縄語を話す会”に、先月の4日以来、2回目の見学に行って来ました。
前回の記事を読む

今日のお勉強の復習です。
「~なかい」「~かい」「~んかい」の使い分けについて。

これは、やまとぐちの「~へ」とか「~に」にあたることばです。最近は何でもかんでも「~んかい」を使ってしまうようですが、厳密には使い分けがあるらしい。で、それをここでお話したいと思ったのですが、その前に、なんだか「~へ」と「~に」の違いがとても気になってきました。「沖縄へ行く」と「沖縄に行く」の違いは何なのでしょうか。自分が使っている「日本語」も、実はよくわかっていない。それなのに、ウチナーグチの説明をしてしまうというのもいかがなものでしょうか。
まず「~へ」と「~に」の違いを調べてから、あらためて「~なかい」「~かい」「~んかい」の使い分けについて、ご報告したいと思います。
(いいなあ、こういうこだわり、と自画自賛。)

“沖縄語を話す会”の國吉眞正さんの、敬語についてのお話には、興味深いものがありました。
沖縄では、敬語を使うべきではない者に向かって(例えば自分より年少の相手に向かって)敬語を使うと、厳しいお年寄りには叱られますよというはなし。まあ、初対面だったり、学校の先生やお医者さんだったりすると、そうでもないようですが、例えばPTAのようなコミュニティーの中で、たとえ年下であっても、大和の感覚なら敬語でやりとりするようなシチュエーションでも、ウチナーグチでは敬語を使うべきではないというような、ちょっとした感覚の違いがあるようです。このあたりに、沖縄の人の繋がりの秘密が隠されていたりして、そう思うと、ますますウチナーグチを覚えたくなりました。

さて、毎回こうしてウチナーグチのお話を伺うのはとても楽しいのですが、今日は、その他にも、二つの目的があってお邪魔しました。

ひとつは、おきなわおーでぃおぶっくの作品「人類館」の、津嘉山正種さんのウチナーグチを皆さんに聞いていただき、是非とも感想を伺いたかったのです。
最後に勉強会の貴重な時間をちょっと頂いて、CDの一部を聞いてもらいました。結果、皆さんから、大変すばらしい「那覇ことば」であるとのお言葉を頂き、ああやっぱり作ってよかったのだと、あらためて確信したのです。
ただ國吉さんによると、「ぅえー」が単なる「えー」となっていたりするようなところもあるようですが、しかしこのことは決して間違いではなく、先の、「かい」「んかい」の区別をしなくなったという状況と同じで、ウチナーグチも生きて変化していっているということを実感したのでした。残し伝えていくべきウチナーグチとは何か、やはり難しいです。

そしてもうひとつはこれです。
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今週の朝日新聞には、「生きている遺産、言葉よ、よみがえれ」と題した連載記事が、月曜日から昨日までの夕刊に、5回にわたって掲載されていました。ユネスコによると、約2,500の言語が消滅の危機にあるとのことですが、その中からいくつかをピックアップしての報告記事です。
昨日の記事はその最終回で、「琉球語」のことを扱っています。
写真に写っているのは、「琉神マブヤー」。今、沖縄の子供たちに大人気の変身ヒーローで、ふんだんにウチナーグチが使われるので、沖縄の子供たちに「琉球語」を伝えるいいきっかけになっているのです。
また、沖縄県立博物館で開催されている「しまくとぅば解説ツアー」も紹介されています。博物館の展示物を、島言葉(琉球語)で解説するという企画です。
「琉神マブヤー」も「しまくとぅばツアー」も、沖縄では話題になっているのですが、「内地」にいると、インターネットなどでアンテナを立てていない限りは、知る機会のない極めてローカルな話題です。

ところで、この新聞記事をわざわざ“沖縄語を話す会”に持参した理由は、記事に書かれたいくつかのセンテンスが気にかかったからなのです。

「ユネスコが沖縄県内の5言語のみを『独立した言語』とみなしたことへの違和感」
「残すべき琉球語とは集落ごとに800ともいわれる琉球諸言語のどの言葉なのか」


僕は、この800という数に対しちょっと疑問に思った記憶があるのです。その説明は、ここでは差し控えますが、この800という数について、國吉さんに確かめてみたかったのです。
國吉さんは大変にユーモアのある方で、「うそ八百の800だったりしてね」といたずらっぽく笑われました。
要するに、色々な考え方があるということでもあります。それはそれでとてもいいことなのですが、対立が目立っては、残せる言葉も残せなくなってしまうような気がして、何とかならないものかなあと感じているのです。

僕には、何が正しいかの判断は全く出来ません。ですから、この“沖縄語を話す会”の考え方が他に較べて優れていると言えるものでもありません。出来るだけたくさんの方々からご教授を頂きたいし、ご意見も伺いたいのです。

しかし、“沖縄語を話す会”の考えを知っていただくことも、意味があると考え、ここで少しご紹介することにしました。

“沖縄語を話す会”がこだわっているのは「表記」の問題です。そして沖縄語の表記の、ひとつの方法を、“沖縄語を話す会”は提唱されています。
その具体的な表記については、是非下記にアクセスしてみてください。
沖縄語を話す会会報創刊号PDFファイル

また、この表記の考え方については下記に船津好明さんの文章がありますので、どうぞお読みください。
船津好明さんの報告と提案PDFファイル

要するに「琉球語」に特有な発音に新しい仮名文字を作って対応させるべきということなのですが、確かに、最初は新しい「かな」に違和感を覚えたことも事実です。しかし、ちょっとこの表記方法に慣れてくると、正しい発音で沖縄語を覚えようとする者にとっては、大変分かりやすくて有効であるという実感を得ることができたということもまた事実なのです。
おきなわおーでぃおぶっくに、儀間進氏の「語てぃ遊ばなシマクトゥバ」というエッセイ集をたくさんの若者で読もうという企画がありますが、僕は、“沖縄語を話す会”の表記方法を知って、僕も読み手として参加することにしました。それほどハードルが低くなったと思っているのです。
現状、なかなか読み手が集まらずに困っていたのですが、この表記方法と出会ったお陰で、もっとたくさんの方々に声を掛けることができそうです。

もし「うちなーぐち」に興味のある方がいらっしゃいましたならば、是非ともメッセージをお送りくださいませ。


6月 6日土曜日: 房指輪のこと

喜納の会のお披露目公演がいよいよ迫ってきました。今月の13日です。
その御案内はあらためてさせていただくとして、今日、その公演で使用する房指輪が届きました。ジュードーチョップさんに注文していたものなのです。

ジュードーチョップの房指輪

房指輪とは婚礼の指輪です。そのことは、前にもちょっとご説明しましたが…
(⇒http://lince.jp/hito/matayosi…
房指輪は踊りにもよく使われます。でも、いつも使われるというわけでもなく、一昨年まで琉球新報のコンクールでは、房指輪の使用が禁止されていたので、私は持っていませんでした。それが去年からは逆に使わなければならないというふうにコンクールのルールが変わったこともあり、今度のお披露目公演でも、房指輪を使うことにしたのです。

又吉健次郎さんも房指輪を作っていらっしゃるのですが、踊り用の指輪は鎖を長くしなければならず、手作りの銀細工では銀がくっついてしまって加工が出来ないのだそうです。しかし既製の鎖は絶対に使わないというのが健次郎おじいのポリシー、ということで、又吉さんにお願いすることはあきらめたのです。

健次郎さんのいとこの方が踊り用の房指輪やジーファー(簪)を作っていらしたのですが、その方がお亡くなりになり、琉球舞踊の先生方は、道具の調達に、みなさん大変苦労するようになりました。

ちなみに、これは喜納の会の大先生から借りた房指輪です。
喜納の会の先生から借りた房指輪

そんな折、ジュードーチョップさんは去年、踊りをやっているお友達から房指輪の制作を打診され、そのお友達の踊りの先生から房指輪を借りて、それを手本にして房指輪を作った経験があるということを知り、早速私も注文したのです。

今後、皆さんがジュードーチョップの房指輪をつけて踊るようになったら素敵ですね。
そのためにも、ジュードーチョップの房指輪が美しく見えるように、しっかりといい踊りを踊らなければなりません。頑張らなくっちゃ!
(うぶかた)

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6月 5日金曜日: 今日は左手

企画室にて
大島先生のレッスン二日目。

左手。

自宅にて
復習。

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弦に対して直角に。親指は中指の下、ただ添えるだけ。
なるほど、クラシックギターと同じ。

ひとつひとつを確かめるように丁寧に。
右手も忘れるな。右手の全ての重さが弦に乗るように、肩には決して力を入れず…

雑になると、全てが乱れる…
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夜は更けるものさ
だってここは、太陽を回る惑星の上なのだから。
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それが、メリハリ…



今日はどうしても癒される店がいいなあ。

ならばと、はん家へ。
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空いていました。マスターにしてみればもっと混んでなきゃ困るのだろうけれど、今日の僕らとしては助かったのです。

友は、喜多見発、桜新町行きのタクシーでお帰りになりました。
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いくら酒を飲んでも、いくら語り合っても、どうにもならないことがあります。

ふと、考えました。
今まで人類って、何人くらいいたのでしょう。猿人の出現が400万年前。新人出現からなら10万年。人口が一億を越えてから、まだ5000年も経ってはいないらしい。
例えばです。人間が20歳で子供を産むとすれば、過去一万年で500世代ということになります。いったい一世代何人いるのだろう。仮に一万年間ずっと5億人の人口だったとして、一世代の数、つまり20年間に生まれる人間の数は5億人より多いのでしょうか少ないのでしょうか。平均寿命が20年で、全員がきっかり20年生きて、子供ふたり作ってすぐ死ぬというのなら、一世代5億人生まれて、いつも人口は5億人で変わらない。でもそんなことはありえないから、きっと平均寿命が20年なら一世代は5億人よりずっと多くなければだめな気がするし、でも平均寿命が長ければ長いほど複数の世代が共存しているのですから、20年で5億人生まれなくても5億の人口を保つことはできるということになりますよね。
ともかく一世代5億人と仮定して、それに1000世代をかけてみても、5兆人にしかなりません。意外と少ないと思いませんか?

人類が誕生してから今までに、天文学的な数の人間が存在して、その人間たちの殆どが既に死んでいった、だから死を恐れることも悲しむこともないのだというようなことを言いたくて、それで計算を始めたのですが、予想に反して出た結果の数が少なくてびっくりしています。なんか計算のしかたが間違ってるのかな。

やっぱり1個の人間の命というものはとてつもなく奇跡なのであって、だから人間は、必死に与えられた生に固執して、潔く死ぬことなど考えてはいけないのかもしれません。

このまま帰る気にもなかなかなれず、店の灯に誘われて、ra-portの扉を開けました。
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キャンディーのようですが、これコン●ー●です。ムッシュのいたずら?
だめだよ、奇跡を遮断しちゃあさ、なんて、現実はなかなかそうもいかないらしい。

ムッシュ越しに、変な客が…
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最高に変です。
振り返ればまともな方が。
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あれ、やっぱり変か。

今日のra-portのお客様は合計8名だったとか。それが多いのか少ないのかはわからないけれど、きっとみんな変なお客なんだろうな。ムッシュが変だから。
いいのです、それで。みんな奇跡なのだから。

なんだか不特定多数のたくさんのお客さんを呼ぼうとすることの意味が、よく分からなくなった夜なのでした。

ra-portを出て、ふと目を落とすと、いくつかの足跡が、青白く光ってそれぞれの塒へ向かって続いていたのです。人生の軌跡のように。


えへ…
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大島純先生です。
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おほ…

まずは右手から。
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うぎ…

天使の羽根は、そう簡単には生えてきませんな、やっぱり。

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企画室にて。


6月 2日火曜日: 肩甲骨は天使の羽根

生まれて初めて整体というものに通っています。
そうしたら、肩甲骨がゴキゴキいうようになりました。
もしかすると、天使の羽根が生えてくる兆候かもしれません。

ならば鳥類の研究に行こう!
鳥力中央研究所へ!

でも、まずは野菜の研究から。
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えーと、きゅうりと、とうもろこしと、それからこの葉っぱは何だ?
沖縄で言うところの、ハンダマーですな。

研究所の若き所長の高田さんはガラスの向こう。
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ガラスがあると話しにくいのですが、でも備長炭の場合、これが無いと、時々爆発するので危ないのです。

手羽先喰って、手羽元喰って、ひとしきり様々な鳥類の部位の研究にいそしみました。

実はこの研究所では、鳥類ばかりではなく、時々魚類の研究もしているのです。
所長さんが、とびきり新鮮なキンメをさばいてサービスしてくださいました。
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美味感謝です。

本日の助手は、関西系美女の朋子ちゃんでした。
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ところで、何故だかミラーボールのはじめちゃんのことが話題に。
そうだ、そういえば火曜日のミラーボールは、はじめちゃんが食べ物を出してるんだっけ、ということで、ちょっと帰りがけに寄って見ることにしました。

はじめちゃんでーす。
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本職はダンサー。JinDanceFactoryの先生でもあります。

はじめちゃんお手製料理のメニューでーす。
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火曜日のミラーボールで“カラボ”ってか。ベタだけど、ま、はじめちゃんらしくって、まあいっか。

しかし、お料理の方はどれもこれも手が込んでいて非常においしいのです。全てワンコイン。
皆様、是非とも火曜日は、ミラーボールでお食事を。お勧めです!

あれ、天使の羽根はどうなった?喰っちまったみたい。

6月 1日月曜日: 足で…

腱鞘炎なんだかどうだか、なかなか痛みが取れない…
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仕方がないから、足で弾くか…
(高山正樹)


高山正樹 Masaki Takayama
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