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沖縄に来た時は連絡する、それがBar“土”のごうさんと交わした約束。だから羽田で飛行機に乗る直前、ごうさんにメールしました。そしたら「今夜なら那覇にいる」との返信が来た。ということで、真喜ちゃんとの食事を終えて、金城君を誘って“土”へ行きました。

今日の“土”は、2階のギャラリーで「森口カフェin那覇」というイベントが開催されていました。元日本テレビの沖縄特派員でもあったジャーナリストの森口豁(かつ)さんが制作した映像作品を鑑賞し、その後、森口さん御本人を囲んでゆんたく(おしゃべり)するという企画です。今回はその第2回目、題して「人類館の舞台に立つ青年の足跡をたどるドキュメント」。

森口豁さんは1937年生まれ。森口さんがテレビ番組のために制作したドキュメンタリーは29本にのぼります。少ないですか? いえいえ、どれもこれも重い題材ばかり。そんな企画を中央のテレビというメディアに供給し続けることがどれほど大変なことであったか、想像するに難くありません。

この夜の「森口カフェin那覇vol.2」では、その中から、演劇集団「創造」の伝説の舞台、「人類館」の初演で調教師役を演じた内間安男さんを追い続けた『沖縄の十八歳 』シリーズの中から3本が上演されました。

第一作の「沖縄の18歳」は、沖縄の「祖国復帰」に先立つ1966年の作品。当時コザ高校の3年生だった一人の少年に焦点を当てたドキュメンタリーです。復帰を望んでデモにも参加するその少年の名は内間安男。
「熱い長い青春・ある証言から」(1972年)では、高校卒業後タクシーの運転手となった内間青年の目を通して、復帰しても何も変わらない沖縄の苦しみを見つめていきます。
まさかこの青年が、それから数年後、「人類館」の舞台に立つことになろうとは、森口さんはもちろん、内間さん自身だって知る由もありませんでした。
そして1978年、内間安男というひとりのウチナーンチュを、自分と重ね合わせるように追い続けた森口豁は「一幕一場・沖縄人類館」を制作します……

“人類館”の作者・知念正真氏の思いに関する記事
“人類館”初演時の台本についての記事

是非ともこの三作目を見たかったのですが、遅れて“土”に行ったバチが当ったのでしょうか、映像のトラブルがあって上映順が変わり、残念ながら第二作しか見ることが出来ませんでした。

上映が終わると、静かなゆんたくの時間。
森口豁さんです。
森口豁さん
まず森口さんのお話があって、そのあとお客さんから森口さんへの質問があったり、やがて森口さんの映像に触発された皆さんは、それぞれいろいろな思い出話を話し始めました。

復帰の頃、佐藤栄作首相が沖縄に来た時、歓迎のために振る日の丸を作るのが小学校の宿題だったという女性、復帰から6年経った1978年の7月30日(いわゆる「ナナサンマル」の時)、車がそれまでの右側通行から左側通行に変わったため、海へ行く道の右側にあった釣具店が、帰り道になってしまってたくさん廃業したというお話をされた男性、どれもこれも興味深く聞かせていただきました。

皆さんのいろいろな話を聞いていたら、やっぱり3本とも見たかった、見なきゃいけなかった、という気持ちになりました。
ねえごうさん、今日はちょっとお客さん少なかったから、11月に津嘉山正種さんの「人類館」が“国立劇場おきなわ”で上演されるはずだから、その時また来るから、それにあわせてもう一回この作品の上映会をやってくれないかなあ。国立劇場のお客さんにも宣伝してさあ。
津嘉山正種「人類館」沖縄公演のこと

イベントが終わって、久しぶりにごうさんと話をしました。
“土”のギャラリーでの様々な企画は、最近沖縄で密かに話題になっている、でも採算を考えると大変らしい。そりゃそうだよね、お客さんからお金取らないんだもん。

帰り際、ごうさんが「これ読んで」と壁に貼ってある詩を指差しました。
9.11の時に書いたんだって。
ちょっと長いけど画像を載せちゃおう。
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「ここのギャラリーでさ、何かやりたいことがあったら、早めに企画出してよ」
わかった。そうだよね、真剣に何か考えようと思っています。そのときは、よろしくです。
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でも、宇夫方路の夜は、まだ終らない……
(報告:宇夫方路、執筆:高山正樹)
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米須さん當間さんと再会を約束して別れた後、井上真喜ちゃんとお食事です。真喜ちゃんお薦めの店へ。食いしん坊の真喜ちゃんはおいしい店をたくさん知っているので、真喜ちゃんと一緒にご飯を食べるのがいつも楽しみです。
今日は牧志にある「青島(ちんたお)食堂」に来ました。

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ちなみに100店シリーズの「昼ごはん夜ごはん」でも紹介されています。
http://www.ownmap.jp/100series/lunch_and_dinner…

このお店の一押しの水餃子と、真喜ちゃん一押しのトマトと玉子の炒め物と、お腹を空かせた私が食べたかったひき肉かけご飯(魯肉飯)と、坦々麺と似ている麺(坦ズン麺)を注文しました。(空腹の私に歯止めは利かないのです。)

ここは真喜ちゃんがまだ沖縄に旅行者として来ていたころによく訪れたお店、でも沖縄に住むようになってからは、真喜ちゃんも今日が始めて。なぜ遠ざかっていたかというと、看板が新しくなって「カフェ」という文字が書き加えられていて、それがソコハカとなく怪しさを醸し出して、それで何となく入れなくなったのだとか。

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たしかにソフトドリンクのメニューが増えてはいる。
「でも他は昔のマンマだ。よかった。おいしい。」
皆さんも是非行ってみてください。
ちなみに100店シリーズの「カフェ」には紹介されてません。

今日はお酒抜き。なぜならカフェだから、というのは冗談、真喜ちゃん昨日までとっても忙しくてお疲れだったから。
なぜ忙しかったのかというと、又吉健次郎さんのドキュメンタリーTV番組のディレクターをしていたから。

又吉健次郎さんの仕事を残したいと、フリーのディレクター井上真喜が2年前にテレビ局に出していた企画、それが忘れたころに動き出す、こんなこともあるんですね。又吉さんは沖縄タイムス賞を受賞したし、時代が又吉健次郎を発見したということなのかな。

そういえば、自分の仕事を画像で残そうとしているという話を、又吉さんから聞いていましたっけ。
その時の記事を読む

沖縄屈指の名カメラマンが撮影して下さって、映画のように美しい画像が撮れました。
又吉健次郎さんの作ったジーファー(簪)を挿すために、琉球結髪の第一人者小波則夫さんが沖縄民謡の第一人者大城美佐子さんの髪を結う、そんな場面もあって、それは見逃せない貴重な画像です。

又吉健次郎さんが語る飄々とした言葉の数々、でもそれらの言葉は、実は深いところで、又吉さんのたったひとつの思いにつながっていたのだということが、この番組の制作を通じてわかったと真喜ちゃん。そんなミステリーの謎解きは番組の最後で、だから今日は内緒です。

番組は「生きる×2」。副題が「琉球金細工・最後の職人」。
放送予定は…
【沖縄】
10月10日(土)朝5時45分からRBC
10月11日(日)朝5時30分からOTV
【関東圏】
10月18日(日)朝5時20分からテレビ朝日

番組紹介の詳細は民間放送教育協会のホームページをご覧ください。でも、放送の一週間前にならないと番組内容などアップしないみたいだけれど。
民間放送教育協会のホームページ
他の地域の「生きる×2」の放送予定などはこちらからどうぞ。
テレビ朝日の「生きる×2」のページ

さあ井上真喜ちゃん、11月は“おきなわおーでぃおぶっく”「儀間進のコラムを読む」のディレクター、よろしくね。

お疲れの真喜ちゃんと別れても、宇夫方路の沖縄の夜はまだまだ終わらないのでした。だってここ、パラダイス通りが近いんですもの……



那覇空港からモノレールに乗って、いきなり今回の旅のメインイベントです。

昨年の那覇市のカルチャーで、比嘉光龍(バイロン)さんのウチナーグチの講座を受講していた方々が、“おきなわおーでぃおぶっく”の企画、「儀間進さんのコラムを読む」の読み手として、この度、手を上げてくださったのです。
総勢6人ほどのメンバーの内、今日はお二人の方にお会いしました。

久茂地の寿山(ジュザン)という古い喫茶店にて。
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米須美津さんと當間みえさんです。
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お亡くなりになった當間さんのお父様は、一切ウチナーグチを使われることはありませんでした。お母様も御同様、でもお父様が亡くなってからは、やっとウチナーグチでお話をされるようになったのだそうです。

お二人とも聞くことはある程度できるのだけれど、話すことができない、それで市民講座を受けてみようと思い立った、でも、9月から11月の3か月間、やっぱりそんな短期間でマスターできるものではありません。

講座が終わってからも、何とかウチナーグチの勉強を続けていきたい、光龍さんにも相談をしてみたのですが、なかなかいい方法が見つからず、行き詰っていたところ、私たちM.A.P.の企画をお知りになったようです。

とりあえず勉強を再会するための、ひとつの目標になると喜んでくださいました。

私たちはこの“おきなわおーでぃおぶっく”の企画が、参加して下さった方々にとって個々さらに勉強を続けていくきっかけになってくれればいいと考えていました。しかし、ウチナーグチをめぐる色々な現状を知れば知るほど、ウチナーグチを守ろうという機運はとっても盛り上がっているのだけれど、そしてウチナーグチに関わる「イベント」もたくさんあるのだけれど、本当に学びたい人たちが継続的に学べる環境が、色々な面において整っていないということにも気づかされてきました。
今、私たちは、「儀間進氏のコラムを読む」という企画が、こうしたイベントの一つに埋もれてしまってはいけないのではないかと思い始めました。そうして私たちは、この“おきなわおーでぃおぶっく”の企画の先に、継続的にウチナーグチを学びたいと考える方々の受け皿を、何とかして作っていきたいと考えています。

その意味で、東京の「沖縄語を話す会」が、20年以上も地道な活動を続けてこられたことを、心から尊敬します。そして、M.A.P.がその「沖縄語を話す会」と繋がりがもてたことを、あらためてとっても嬉しく思っているのです。

米須さん當間さんはじめ、まだお目にかかっていない皆様、どうやったらウチナーグチの勉強を続けていけるのか、一緒に一生懸命考えていきましょうね。
どうぞよろしくお願いいたします!

この後、井上真喜ちゃんと待ち合わせ。
最近進出してきたジュンク堂書店前にて。
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そして「儀間進氏のコラムを読む」沖縄チームの録音の打合せ。

ところで真喜ちゃん、去年エイサーを習った。米須さんたちが参加したのと同じ那覇の市民講座。だから真喜ちゃん、米須さんたちと面識があるそうです。

真喜ちゃんのことは、次の記事にて、あらためて。

ところで真喜ちゃん、M.A.P.after5にしょっちゅう登場するので、この際「井上真喜」のサブカテゴリーを作っちゃいました。真喜ちゃんファンの方々は、そちらからどうぞ。


9月26日土曜日: 沖縄への機内で

沖縄への飛行機はいつものとおりお手軽スカイマーク。私は通路側。今日はそれほど混んでいなかったので隣は空席。そのまた向こうの窓側に座っていた方に声を掛けられました。
「よく沖縄には行かれるんですか」
それから2時間、空席を挟んで四方山話に花が咲きました。

その方は大城洋子さん、大崎でフラダンスを教えていらっしゃるのだとか。え、大崎でフラダンス?ちょっと心当たりがあります。
高山正樹が時々お邪魔している“沖縄語を話す会”は大崎駅前のマンションの一室でやっているのですが、その同じところで、確かフラダンスの会も開かれていたはず……
伺ったら、やっぱり大城洋子さんもそこで教えていらしたことがあるのだとか。今は大崎の別のところで教室を開いていらっしゃるのですが、始まりはそのマンションの部屋だったのだそうです。
本当は琉球舞踊をやりたかったのだけれど、残念ながらその機会がなく、そのかわりというわけでもないけれど、フラダンスを始めて、今は沖縄民謡にフラダンスの振付けをしたりして踊っています。
東京の沖縄県人会ともつながりがあるとのこと、もしかしたらどこかでお目にかかっていたかもしれませんね。

今、大城洋子さんは北海道の北見出身のミュージシャン、masatoさんを応援しています。定期的に沖縄でライブを開きたくて頑張っている。
なんで?
masatoさんという人は、あの「十九の春」を歌っているらしい。



沖縄に興味のある人なら、ちょっと聞いてみたいですよね。

というわけで、沖縄からの報告第一弾は、大城洋子さんでした。
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きっとまた、どこかでお会いすることがありそうな予感……

今回はたった2泊の短い沖縄ですが、記事は濃いものになりそうなので、また後日公開でしょうかね、東京の高山正樹さん?



9月26日土曜日: ゴーヤー解剖

緑のところはスライスして…
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黄色いところを割ってみた。
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血のように、真っ赤な種です。
貰ってきた苗へ
宇夫方路は、この後、沖縄へ2泊3日の出張へ。


高山正樹 Masaki Takayama
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