過去の投稿

あなたは現在 2009年10月 の投稿をご覧頂いています。
東京国立劇場の小劇場。
川口喜代子芸道六十周年記念公演“錦秋に舞う華舞台”
昼の部13:00、夜の部17:00……

パンフレットと、記念品の紅型の風呂敷です。
null

幕開けはやっぱり「かぎやで風」。
川口喜代子先生が老人に扮し、その後ろで、東京琉球舞踊協会に所属している団体の先生方が花を添えました。
違う流派の先生方が一緒に踊るというのはなかなか見られないことなのですが、こうしたことが実現するのは「東京琉球舞踊協会」があればこそなのです。でも流派が違うと同じ“かぎやで風”でも「手」が違います。
微妙な間を合わせるのに、先生方も結構苦労していらっしゃいました。

開演前、かぎやで風を踊る先生方が解説の三隅治雄先生を囲んで。
null
左から川口弘美、諸味喜子、関りえ子、川口喜代子、三隅治雄、藤原悦子、吉浜久枝、野原千鶴の各先生方です。

野原千鶴先生は琉舞「鶴之会」の会主。
null
野原先生は鶴見でお稽古場を持っていらっしゃいます。
琉舞「鶴之会」のホームページ
最近、高山正樹が興味を持っている鶴見の居酒屋事情をお伺いしたのですが、残念ながら野原先生は飲まないので分からないらしい。

真踊流「佳藤の会」会主、藤原悦子先生。
null
8月の会議のとき、にコンクールを受ける受験生の稽古で足を痛めていらっしゃいましたが、もう大丈夫なのでしょうか。教えることも大変な重労働なのです。

そして玉城流喜納の会関東支部関りえ子先生。
null
私の師匠です。

本番当日、みなさんお忙しい。東京琉球舞踊協会は現在14団体が参加しています。追々ご紹介していきたいと思っています。

舞台では、琴の方たちが最後の合わせをしていました。
その中に、あら、知っている顔が。中村志津子先生のお弟子さんの前川美智子さん。
(前川さんには去年の10月、新百合ヶ丘での麻生区芸能協会の発表会に出演して頂きました。)
null
「私、踊りより琴の方が長いのよ」ですって。もう8年になるそうです。沖縄には琴もあるんですよ。正しくは、琴ではなく「箏」ですね。

そして楽屋へ。

昨日たきどぅんでお会いした芦垣さんの奥様にご挨拶するために野原千鶴先生の会のお部屋へ。

いらっしゃいました。
null
「ああ、聞きました。帰りがすごく遅かったんですよ。もう1時くらい。ほらほら昨日お父さんと飲んでいた方よ」
違います違います!一緒に飲んでいたわけではありません。隣のテーブルにいただけです。お父さんが遅かったのは私の所為ではありません!
昨日の“たきどぅん”

一緒の楽屋にいたメンバーもついでにパチリ。
null

笛で御出演の杉田さんと前田さんです。
null

今日の会の主役、川口喜代子先生を挟んで左が有銘美智子さん(東京沖縄県人会名誉会長・東京琉球舞踊協会名誉会長の仲田清祐さんの奥様)、右は私の師匠。
(有銘美智子というお名前は歌手としての芸名です。今日も歌手としてご出演されました。)
null
川口喜代子先生と有銘美智子さんの2ショット
仲田会長ご夫妻の2ショット

最後になりました。M.A.P.カルチャーのメンバーも本部の皆さんと一緒に舞台を踏ませていただきました。
出番前に紅型を羽織った「じゅり馬」の衣装を着て記念撮影。
null
この格好で馬の頭を帯にさして踊ります。
(⇒参考HP
今日はこの他「エイサー」にも出演しました。
エイサーは12月13日に九段会館で行われる東京沖縄県人会主催のフェスティバルで踊る予定、その時に衣装などご紹介したいと思います。

カメラのシャッターを押してくださったのは玉城流康舞会金城康子琉舞道場の田中京子さん。
null
金城康子琉舞道場のブログ
田中京子さんは府中にある沖縄居酒屋の「海人」のマスターのお母様です。私が本部で一緒に稽古をしている田中きとみさんの義理のお姉さんですね。
「海人」については、きっと21日にご紹介する予定です。
何故なら、デクノボーがあるから……


10月17日土曜日: 青年座“千里眼の女”

今日は、宇夫方路女史が国立劇場の川口喜代子六十周年公演で踊っているので“デクノボー奏鳴曲”の稽古は休み。
お陰で時間は出来たが、本番を控えて、沖縄語を話す会は少し重いし、たきどぅんでのライブは夜だからちょいとつらい。青年座の昼公演くらいがちょうどいいかな。

千里眼の女のチラシ

紀伊國屋劇場、「千里眼の女」。
ロビーで、津嘉山正種さんの「人類館」のCDが販売されていた。売れていればいいのですが。津嘉山さん、ついにきっぱり煙草をやめたとのこと。どうかお太りになりませんように。

ほぼ満席。2時間半。最近の芝居にしては長いですな。
明治時代、透視能力を持つと評判になった御船千鶴子のはなし。千鶴子の透視は真実であったのか否か、歴史的な検証では、ほぼ否定されているらしいが、この芝居ではそのあたりを巧みにボヤかして、でもどちらかといえば真実であったかのように描きながら、帝国大学がその能力の科学的解明を放棄したということに光を当てる。超能力などイカサマであると宣言して、はびこる蒙昧に冷水をかける、それは一等国になるための致し方ない選択だったのか、あるいは、霊は死後も存在してこちらの世界と交信できる、そんなスピリチュアリズムの数十年後の台頭を許さぬために、透視能力を認めた上でとことん科学的な解明をする必要があったのか。

しかしこの芝居は、スピリチュアな世界は存在し、そしてそれは、科学などでは決して解明できない領域なのだ、とでも言いたげだ。それがなんだか気にかかる……

てなことを、ブログに書くつもりはなかったのです。しかし今僕が稽古している“デクノボー奏鳴曲”には、死んだ賢治の妹トシが、平然と登場してくるわけで、それは単なる演劇的な道具立てでしかないと、僕は何の疑問も感じてはいなかったのだけれど、でもやっぱり、頑なにこの世の内側にとどまって思考を構築すべきなのではないかなどと……

死者とは、何者なのか。
本番を控えて、今日は、一番悪い選択をしたのかなあ。

そういえば、「千里眼の女」の音楽は、全編ピアソラでした。バイオリンだかチェロだか、よく分からなかったけれど。
(文責:高山正樹)


高山正樹 Masaki Takayama
人気ブログランキングへ