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11月20日金曜日: 知花昌一と西山正啓

※本記事は新ブログへ移行するにあたって若干の改稿を加えました
 ⇒新記事はこちらから

Bar“土”では、今日からこんな上映会をやっています。
西山正啓監督の“知花昌一沖縄読谷平和学”
null  ・・・⇒【PDFで開く】
今日の沖縄タイムスにその記事が出ていました。
朝刊か夕刊かって? 愚問です。今年の3月から、夕刊は廃止されました。
null ⇒【大きな画像で見る】
結構でっかい記事です。

パラダイス通りから土のある路地に潜り込むと、それらしき人たちとすれ違います。
ああ、青年座の飲み会がお開きなのかな……
土の扉を開けると、案の定、制作の紫雲さんがお勘定の最中です。顔見知りの方々と言葉を交わして、最期に津嘉山さんと挨拶して、カウンターに座りました。

「儀間さんは」
「バスの時間があるから帰りました」
「残念」
「青年座は打ち上げもココでやるって?」
「どうかな、でも津嘉山さん気に入ってくれたみたいで嬉しいなあ」
「津嘉山さんが涙を拭いたおしぼり、どうしたの」
「洗わないでとってあるさ」

青年座の飲み会は上映を終えたあとからのはずだから、上映会が終ってずいぶん時間が経っているはず、でもお店の中は、その熱気が、まだ残っているような感じでした。

カウンターの向うでは、今日の主人公、知花昌一さんと西山正啓監督がグラスを傾けながらゆんたくしています。何やらコアな話しが聞こえてくる。

日の丸焼き捨て、象の檻。お名前はよく存じています。内ゲバのことは定かではありませんが。今は読谷村の議員さん。何我舎(ぬーがやー)という民宿も経営。想像していたよりもずっと体のでっかい方でした。
ごうさんが書いた「知花昌一のこと」

お二人のゆんたくにお邪魔させてもらいました。とはいうものの、結構酔っていて、話しの細部までよく憶えていないのが情けないのですが。
「左翼」、「右翼」。最近の「ネトウヨ」「ネトサヨ」なる納豆のような軟弱な輩のことではなく、しかし右左の単純なカテゴリーでは語り尽くせない情念の如き思索。知花さんの通って来た過去は、きっと大きな体でなければ歩く事の不可能な道だったに違いないと、僕はひとり妄想していたのです。
きっと同じことが津嘉山正種という役者にも当てはまる。だが、その体の大きな津嘉山さんが、森口豁氏のフィルムを見て嗚咽したのだ。
「映像の力ですね」といった僕に、
「いえ、記録の力ですよ」と、西山さんは言われました。
津嘉山正種氏が嗚咽した日

記念に。左、知花昌一さん。右、西山正啓監督。
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「ねえ、ごうさん。日の丸ない? 日の丸バックにして撮りたいんだけれど」
酔っ払いのアイデアとしては面白い。
だが、そんなもの(?)、あるわけない。
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10ヶ月ぶりの“じんじん”です。
 ⇒前回“じんじん”に行った日の記事4ヶ月ぶりの儀間進さんです。
 ⇒前回、宇夫方が儀間進さんにお会いした日の記事null
そして2ヶ月前、宇夫方路が“儀間進のコラムを読む”那覇チームの皆さんとお会いしました。前回は6名のメンバーのうち2名でしたが、その後メンバーが1名増えて、今日はその7名のうち4名の方が集まってくださいました。僕は皆さんと初対面です。
 ⇒前回2名の方と宇夫方がお会いした時の記事
実際に儀間進さんのコラムを読んで録音するのは少し先になりそうですが、その準備段階として、とてもステキな広がりが見えてきました。
沖縄語を話す会の國吉眞正さんにも、大変お世話になっています。今日のところは、その全てをミステリーということにしておきますが、近日中に、色々な発表ができると思っています。

それにしても、今日はわたくし高山正樹が喋りすぎました。まずは僕の知っている大好きな儀間さんを、どうしても皆さんに伝えたくて仕方が無かったのです。本当は儀間先生がいらっしゃるのだから、儀間さんご本人のお話をたくさん聞けばよかったのに。
 ⇒わたくし高山正樹が儀間進さんのことを書いた文章

しかし、やっぱり今日も儀間進さんは儀間進さんでした。
「訛っている言葉なんてない。みんな同じ言葉なんですよ」
ややもすると首里や那覇の言葉が正しいといいたくなる、それを笑顔でたしなめる儀間さん。それは儀間さんのエッセイそのものです。

「はいさい」。沖縄の挨拶としてよく知られた言葉です。しかし女性は「はいさい」とは言わない。「はいたい」が正解。そのことも、コアな沖縄フリークたちには常識になりつつあります。でも、この日、儀間さんは教えてくださいました。女性が「はいたい」というのは、首里や那覇あたりでのこと。ちょっと北に行けば男も女も「はいさい」と言っています。
(もちろん、これにも注釈があります。北部でも、「はいさい」と「はいたい」を言い分けるところもある。どちらの方が多いかは定かではありません。)
さらに田舎へ行けば「さい」も言わずに「はい」だけ。
「まるで英語のようだ」
ウチナーグチは一筋縄ではいかない、と、ますます気が引き締まります。たとえば、と僕は思うのです。「沖縄の標準語」ということを、慎重に考えてみるのはどうだろう。首里という政治・文化の中心地。那覇という街の経済の力。沖縄芝居の心。先日会ったうるま市のおばあさんのように、日本の標準語と、沖縄の標準語と、そして自分の間切りの言葉と、とりあえず三つの言葉を勉強してみるというのはどうだろう。
うるま市のおばあさんに会った日のこと
(でも、それには異論があるでしょう。宮古や石垣などは全く別の言語なのですから。使われている音韻さえ違う。首里や那覇の言葉に関わる人たちが、それぞれの地域はそれぞれでおやりなさいというのは簡単です。しかし、首里や那覇だからできるという状況もあるのではないでしょうか。たとえば鹿児島県の奄美はどうするのだろう。沖縄県の条例からは漏れてしまう。間切りが違えば言葉が違う沖縄。いったいどうすればいいのか。このことはいずれ考えたいと思います。)

昼間、大城立裕さんに「新沖縄文字」について話したことを、僕は儀間さんに報告しました。
「驚きました。こんな若造の意見をきちんと聞いてくださり、ご自分にはなかった視点だということを認めてくださった。大城さんは、とても柔軟な頭脳をお持ちだということを、あらためて感じました。」
儀間さんはそれに対して、次のように答えられたのです。
「そうですね。彼のそういう柔軟さのことを、一番分かっているのは、僕だと思うんだ。」
その言葉に、僕は鳥肌が立ちました。
あの琉大文学時代にあったこと、それは調べれば調べられます。ここで僕が書くことは控えましょう。そのかわり、「社長とは呼ばないで」という怪しげなブログに書いた文章ふたつ、どうかお読みください。
 ⇒儀間進氏の「ほんとうのはなし」(儀間進氏のひとつの負い目)
 ⇒三太郎からのバースデーカード(儀間進氏のふたつ目の負い目)
そして、今まで儀間さんが話されたユーモアたっぷりの大城立裕氏のことを、きっといつかここでお話できる日が来るだろうと、確信したのでした。

今日も、じんじんのマスターが、こんな差し入れをしてくださいました。
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マスター、いつもありがとうございます。

そして、この日初めてお会いした皆さま。今日はちょっと遠慮してご紹介を控えましたが、もしお許しいただけるのなら、次回は是非とも皆さん一人ひとりのウチナーグチに対する熱い思いをご紹介させていただきたいと思っています。

宜(ゆた)さる如(ぐとぅ)御願(うにげ)ーさびら

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夏からずっと楽しみにしていた「さかさま執心鐘入」、いよいよ明日ですね。
特に何か用事があったわけではないのですが、ちょいとご挨拶に伺いました。
お馴染みの大城立裕先生宅です。
null最近、親子みたいです。用が無くたって教えて頂きたいことがたくさんあります。
まずは「クガニゼーク」と「カンゼーク」のこと。「クガニゼーク」のことは、はっきりしてきました。それは「クガニゼーク」が首里王朝に関わっていて、少なからず資料が残っているからです。でも今の僕が知りたいのは「カンゼーク」のことです。残念ながら大城立裕先生でも、はっきりしたことはお分かりにはなりませんでした。
立裕先生は書斎からこんな本を持って来られました。
「琉球舞踊歌劇地謡全集」です。(画像はM.A.P.所蔵本)
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この本には、こんな写真も掲載されています。
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昨夜も一緒だった関りえ子さん。
「黒島口説(くるしまくどき)」というコメント付き。

この地謡全集の40ページに、懸案の雑踊り「金細工(かんぜーく)」の歌詞が載っているのです。
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(※雑踊り「金細工(かんぜーくー)」については、過去記事に説明がありますので、どうぞそちらをお読みください。⇒http://lince.jp/hito/okinawa/kogane…
雑踊り「金細工」は明治18年に創作されたものです。
(※沖縄の廃藩置県、いわゆる「琉球処分」が明治12年ですから、首里城が明け渡されて6年後の作。「琉球処分」について⇒http://lince.jp/hito/arumise…
その地謡には、「金細工」と「鍛冶屋」(「かんじやえ」とルビが振られている)と、両方の言葉が出てきます。このことは、立裕先生も認識してはいらっしゃらなかったようです。
「伊波の金細工の加那阿兄」と「上泊鍛冶屋」。
沖縄県の運営する情報サイト「Wonder沖縄」では、それぞれ「美里村伊波の鍛冶屋の加那兄」と「上泊の鍛冶屋」と訳しています。人を指す場合と、仕事場を指す場合と、そんな区別がされているような感じです。

加那兄は、親譲りの「鞴(ふうち)」と「金具(かなぐ)」を売って辻遊廓の遊女の揚げ代を工面しようとします。「鞴」は「ふいご(吹子)」で、溶けて真っ赤になった鉄に風を送り続けて、その温度を1400℃以上に保つために必要な道具です。また「金具」のほうは、前出の「Wonder沖縄」では、「かなとこ」と訳されています。「かなとこ」を漢字で書くと「金床」で、すなわち鍛冶や金属加工を行う際に用いる作業台のことです。

果たして、遊女の真牛(モーシー)は、遊郭でジーファーを挿し、房指輪をつけて踊っていたのかどうか、加那兄は真牛に結び指輪を作ってやったことがあるのかどうか。

ところで、そもそも琉球舞踊ってなんなんだろう。琉球舞踊の現状についてはちょっと書いたことがあるし、岡本太郎の能書きも知ってはいます。でも基本的な成り立ちと変遷については、よく知らなかったなあと反省。そこで、まずはそれを調べてみよう。ということで、「カンゼーク」については、本日ココまでということに。(※琉球舞踊についての勉強成果は本記事の後ろに追加してあります。)

今日は、もうひとつ大城立裕先生に聞きたいことがありました。
船津好明さんが考案した新沖縄文字のこと。船津さんは大城立裕氏について、いつもこうおっしゃっていました。
「大城さんはウチナーグチはなくなってもいいという考えで、僕のやっていることには批判的だと思う」
しかし僕は決してそんなことは無いと思うのです。大城立裕という文学者は、その文学活動の当初から、沖縄の言葉に対して深い思いを持っていたのだと思う。ただ時代が、大城立裕の内面の襞を見なかったのです。船津さんも、大城立裕の一面だけを見て判断していらっしゃるのではないだろうか。たとえ大城さんが、ウチナーグチはなくなっていいと船津さんに言われたのだとしても、本意はそう単純なことではなかったはずだと、大城立裕の仕事を知れば知るほど、僕はそう思うのです。

でも、新沖縄文字についてはどうだろう。立裕先生は「おもろ」などの古典的表記にも造詣が深い。そういう方にとって、船津さんの新しい文字はどういうふうに受け止められるのだろうか。
そこで僕は、思い切って、この旅の始めに西岡敏先生に語ったのと同じことを、ウチナーグチを殆ど分からない者が学ぶのに、新沖縄文字が如何に有効なアイテムであるかということを、大城先生に説明してみたのです。
沖縄国際大学の西岡ゼミの研究室に伺った時の記事
すると、大城立裕先生は即座にこう答えられました。
「なるほど、そういうふうには考えたことはなかったなあ」
この反応には驚きました。こんな若造の言うことを、とてもニュートラルに受け入れてくださった。その柔軟さに、大城立裕という文学者の、物事を極めて多面的に捉えるあり方の根本を見たような気がしたのでした。
「大城立裕」は、その一面だけしか見ない多くの論者たちから、ずっと誤解されているのかもしれません。

大城立裕先生。今日はありがとうございました。
また明日、浦添の劇場でお会いしたいと思います。

《追伸》
2001年8月に出版された『琉球楽劇集真珠道』の「口上」で、大城立裕氏は次のように書いています。
(画像再掲:関連記事⇒http://lince.jp/hito/sinsaku…
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「書く動機になったのは、琉球語(うちなーぐち)のネイティヴ・スピーカー(日本とのバイリンガル)として、組踊りの書けるおよそ最後の世代ではないか、という自覚によるもので、ほとんど責任感に発しています。」
「古典を読みなおしてみたら、あらためて自分の語彙の貧しさを嘆いています。」
また「凡例」では
「歴史的仮名遣いは『沖縄語辞典』『沖縄古語大辞典』『琉歌古語辞典』に多くを負ったが、拗音、音便などについては、現代仮名遣いに拠ったり、さらにたとえば『召しおわれ』を『召しょうれ』とするなど、若年読者のための配慮である。」とあり、さらにローマ字表記についての説明では、沖縄的音韻にも、正確を期す配慮がなされていることがわかります。(※表記についての興味深いあとがきについては、少し長いので、後日あらためて。)

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11月20日金曜日: 那覇のジーファー

“金細工またよし”の工房へ伺いました。
M.A.P.に注文が入って、それで制作をお願いしていた結び指輪を受け取るのが目的だったのですが、工房に上がると、いきなり又吉健次郎さんは、「あんたには感謝しているよ」とおっしゃられた。なんのことかと思えば、房指輪の意味のこと、「クガニゼーク」のこと。
「前からこれでいいのかなあと思っていたんだけれどね、あんたに言われて、あれがきっかけでちゃんとすることにしたんだ。」
健次郎さんがそう決められたという話は、前から宇夫方路に聞いていたことです。でも考えてみれば、そのはなしの後、僕が健次郎さんと直接お会いするのは今日がはじめてのこと、つまり健次郎さんは、僕ごとき者にも、きちんと礼を尽くしてくださったのだということに、後になって思い当たりました。なんとも頭が下がるばかりです。
関連記事を読む
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工房の看板、パンフレット、ホームページ、それから県の資料、それら全て直すことにされたそうです。
「大変ですねえ」
「一年ぐらいかかるかな」
「パンフレットだっていっぱい残ってるのに。僕の所為ですかね」
「いや、これはやらんといけないことだから」
健次郎さんご自身も熟考された結論なのだと安堵しました。

しかし、又吉健次郎さんが背負おうとしている伝統が「クガニゼーク」であるとしても、又吉さんの工房の看板は何故か最近まで「かんぜーく」だった。どうして「クガニゼーク」が「カンゼーク」と名乗ることになったのか、それについてあらためて伺ってみたのですが、残念ながら、やはり明確なことはわかりませんでした。

何年か前まで、踊りの小道具を作る、やはり「かんぜーく」を看板に掲げる工房があったそうです(※注)。銀のジーファーを1本2万円にも満たない値段で売っていた。材料の銀だけだって相当高くなっているのに。健次郎さんは、何故そんなに安く売るのかとその方に聞いたことがあったそうです。すると「仕事がなくなるのがこわくて値上げできない」という答えが返ってきた。
(※注:健次郎さんが首里の又吉と呼ばれていたのに対し、この方は那覇の又吉と呼ばれていた方であると思われます。)
気持ちも分からないではないと、健次郎さんは、ご自分の若い頃の話をしてくださいました。人がたくさん通るところに店を開いてはみたが、全く売れなかったはなし。

今だって、一週間どこからも連絡のないことがある。そんな時はとっても不安になる。

その踊りの小道具を作っていた「カンゼーク」の方はお亡くなりになった。踊りの人たちはとっても困ったはずなのですが、誰一人として健次郎さんに相談しに来る方はいなかったそうです。

いつから飾り職人は踊りの先生に頭が上がらなくなってしまったのか。対等だったはずなのに。

昔、ある時、お店に一人のおじいさんが来てこういった、なんで「クガニゼーク」というか知っているか、それは高い金細工を注文する時は、手付金として小金を置いていくからだ。クガニゼークが一番偉いんだ、なぜなら、頭の上に挿すジーファーを作っているから。だから一番上なんだ。

お父様である6代目の技術は神業だったというはなし。小物を作るための小さな道具しかないのに、それでおおきなものも作った。どうするとそんなことができるのか、今となっては知る由もない。ある時、父はそうして作ったヤカンを抱えて出ていった。戻ってきたとき、ヤカンは食料に換わっていた……。

健次郎さんは僕たちに1本のジーファーを見せてくださいました。千葉県に住んでいる方が大切に所蔵していたジーファー。それは時代を感じさせ、小ぶりの、実に美しい姿をしている逸品でした。
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「ジーファーは女性の姿をしているのだが、これは那覇のジーファーでね、首里のジーファーに較べて顔が小さくて、首の角度が少し深い。完璧な形だ」
はっきりと見えない刻印。
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「たぶん父の作ったものだと思うんだが」

那覇のジーファー、そして踊りの小道具…… もしかすると、それが「かんぜーく」と何か関係があるのでは? いや、決して先走ってはいけません。それはゆっくり調べればいい。

健次郎さんは、ジーファーの良し悪しを確かめる秘密の方法を教えてくださいました。このジーファーは見事に……
いえ、このお話はココまでです。
「この方法で僕の作ったジーファーを調べられたら困るからなあ」

又吉健次郎さんは、今の踊りのジーファーは大きすぎるとおっしゃいます。バランスも悪い。踊りの美意識はそれでいいのだろうかと思ってしまう。
「僕はあくまでも民具を作っているんだ。踊りのためだけの道具は作らない」
だからジーファーばかりではなく、房指輪も、踊り用の注文にはお応えにならないでしょう。
実は今日、宇夫方路は、来年やる予定にしている教師免許取得のお披露目公演のために、ジーファーを作って頂けないだろうか、無理を承知で頼んでみるつもりだったのです。でも、健次郎さんは踊り用でなくても、もうジーファーは、「クガニゼーク」の伝統のために、資料館のようなところ以外には作ることをしないと決められた。体力的にもそれが精一杯。それを知っては、もうお願いすることなどできるものではありません。きっぱりと諦めました。
でも、踊り続けるためには、ジーファーはどうしても必要なのです。さてどうしようか、宇夫方は、これからゆっくり考えることでしょう。

「あんたほど、一生懸命聞きに来て、一生懸命調べてくれた人はいなかったよ。」
又吉健次郎さんは、そう僕におっしゃってくださいました。
「何かわかったら教える。新しい資料もみんな送る。僕の言ったこと、何でもインターネットに書いてもいいよ」

ありがとうございます。健次郎さん。また来ます。


おまけです。
12月に又吉健次郎さんとcoccoの対談があるとのこと。「対談の相手は是非又吉さんに」、coccoのご指名なのだそうです。対談が終わったら報告してあげるから、ブログのネタにしなさいと、健次郎さんは言ってくださいました。楽しみだなあ。

ちょっと前の、又吉健次郎さんとcoccoさんの記事です。よろしければお読みください。
http://lince.jp/hito/husayubiwa…

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11月20日金曜日: 羅針盤のない航海

対馬丸記念館。
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美しい女性はすぐアップにしたがるM.A.P.after5の悪い癖。
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うれしきミステリー。

納品を終えて首里へ。コンビニに寄る。
できることならば、全てにおいてよき航海であることを願っているのだが。
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沖縄でコンビニといえば「ローソン」か「ファミリーマート」。セブンイレブンはない。
僕にとって、ここ沖縄は、船に乗って来るか、空を飛んで来るかでしかたどり着くことのできない場所なのだということをあらためて思う。それから、僕の妻の、愛する故郷に歩いて帰れぬ場所に住むということの決意。
そして、この島を闊歩する故郷を持たぬ若者たちの喧騒。
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まず、乾いた喉を潤して、あらためて「対馬丸」に向かおうと思っている。
「本当に伝えるべきことは何なのか」
座礁を避けて蛇行している間に、目的地を見失ってはならない。

ただ、頼れる羅針盤がない。

11月20日金曜日: 第30回壺屋陶器まつり

またメタボ朝食かい。
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ポークたまごのおにぎりを、色々と食べ較べてるのさ。何事も比較研究だい。

壺屋小学校。第30回壺屋陶器まつりの初日。23日まで開催される。
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うりずんでお会いした前城さんが場内放送を担当していらっしゃいます。
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まずは玉城さんご夫妻の売り場へ。
M.A.P.にとっての、待ちに待った日がやってきました。
あらためて。玉城若子さん玉城望さんご夫妻です。
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(若子さんはいつも望さんに半分隠れるのです。)
  ⇒前回は反対側が隠れてました。

玉城 望
平成03年 國場陶芸 國場一 師事
平成11年 國場陶芸独立
平成12年 大宜味村に登り窯を築窯
平成13年 日本民芸公募展にて優秀賞
平成14年 沖展にて浦添市長賞
平成15年 現代沖縄陶芸展奨励賞(石川酒造場賞)
平成16年 壺屋陶器まつり若手陶芸公募展奨励賞
平成17年 壺屋陶器まつり若手陶芸募展金賞
平成18年 沖縄県工芸公募展奨励賞
平成19年 沖展奨励賞
平成19年 沖縄県工芸士認定
平成19年 現代沖縄工芸公募展銅賞
平成20年 沖縄県工芸公募展佳作
平成21年 沖展奨励賞
平成21年 沖展準会員推挙

玉城 若子
平成05年 小橋川陶芸店 小橋川昇 師事
平成11年 独立
平成12年 夫の望と大宜味村に登り窯を築窯
平成17年 壺屋陶器まつり若手陶芸公募展奨励賞受賞
平成18年 沖展日本民藝賞協会賞受賞
平成20年 沖縄県工芸公募展優秀賞受賞

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昨日の記事で、又吉健次郎さんを取り上げている雑誌をいくつかご紹介しましたが、そのうちの「チャンプルー」には、「陶芸玉城」の記事もありました。
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もっともっとたくさんの作品が欲しかったのですが、まだまだひよっこの販売サイト。今回はこれが精一杯。でも、この次の窯出しの時は……
一歩一歩頑張っていきます。
いよいよ陶芸玉城の作品がM.A.P.の販売サイト楽天市場沖縄mapに登場です。

そして、玉城さんは素敵なお仲間を紹介してくださいました。
(交渉中……)
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そして。
宮城敦さん真弓さんご夫妻です。
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敦さんは1968年生まれ、1996年に沖縄県立芸術大学大学院を修了、2000年に真弓さんと陶器工房「ピーナッツ」を開業。
真弓さんも1968年生まれ、1992年に沖縄県立芸術大学卒業。
どうです、カラカラとおちょこ。
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いいでしょ。これも間もなくM.A.P.で販売開始です。
陶器工房「ピーナッツ」のご案内です。
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壺屋の組合の理事長、島袋常栄氏と。
やっぱり前城さんが繋いでくださったのです。感謝感謝です。
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前城さん曰く「宇夫方さんは理事長好みの女性だから高山さんはいない方がいいかもしれません」だって。という事で……
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「インターネットの時代ですからねえ。やらんとはいかんと思っているのですが。各工房がやるのは自由ですから、どうぞそれぞれ交渉してみてください。」
こういう一言を頂くことが重要なのです。

でも、慌ててガツガツするのは禁物です。本当にいいと思ったもの、若い人たちの可能性を感じる作品、そういうものを見つけて、そのことをきちんと作った人に伝える、そこからです。それにはまず、自分達の目を肥やさなければいけません。
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あっちこっちと見てまわって、「ウン、やっぱり“陶芸玉城”と“ピーナッツ”は悪くない」なんて分かったようなことを呟いて……  おや、このデザインはきっと……
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気がつけばもうお昼です。
壺屋小学校のPTAの皆さんがボランティアでお店を出しています。カレーライスを頼んだら、使われているのは壺屋焼のお皿でした。
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聞こえてきた前城さんの場内アナウンス。
「カレーをお食べになったお客様、器はお返しくださいますようお願いします」
(文責:高山正樹)
旅の続きへ

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高山正樹 Masaki Takayama
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