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11月30日月曜日: 不十分な告知集

宇夫方隆士詩画集『幻影』出版記念パーティー&朗読会
 12月22日那覇パラダイス通りBar“土”  詳細未定喜多見沖縄語を話す会、金城さんの沖縄料理を食べる会
 12月25日(金) 時間未定・場所未定
山猫合奏団
 “セロ弾きのゴーシュ”
  2月10日(水) 都内某所詳細一切未定
 5月4日の“セロ弾きのゴーシュ”(しんゆり芸術祭)
  2月15日から前売り開始。
  全席指定。
  お早めに、是非ともM.A.P.を通してお買い求めください。
  といっても、まだ開演時間未定だもんね。
なんとも中途半端で不十分な告知集でした。

なお、沖縄語を話す会の各月のご案内は、おきなわおーでぃおぶっくのOfficial_Blogで行います。
沖縄語を話す会、案内記事

楽天市場“沖縄map”で、いよいよあさってくらいから、焼物(壷屋焼き)の販売を開始します。石鹸も新しい商品が完成し、1月から販売開始です。

楽天市場のメルマガも始めました。メルマガ担当は糸満の女、上原です。
新しい商品の情報や、ちょっとしたこぼれ話などを“沖縄map”のお客様にお届けするものですが、楽天会員にならなくても、アドレスを登録していただくだけで、メルマガをお送りすることが出来ます。

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登録は簡単!
こちら(↓)をクリックして、メールアドレスを登録するだけでOK。
【now on click!】
携帯のアドレスでも大丈夫です。

皆様、ぜひ登録して下さい。よろしくお願いしま~す!
(宇夫方路からのお願いでした!)


販売サイトのこと。
どんなに素晴らしい作品だとしても、同じ種類の商品をたくさん並べて比較して選ぶことができなければ、なかなか買っていただけるものではありません。それがお客様の当たり前の心理ですよね。

というわけで、商品を増やさなければなりません。
やっとちょっと増えました。そして今日は、五味さんがその商品を撮影しに来てくださいました。

そのうちのひとつです。
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五味さん、いつもいつもありがとうございます。
そして、何よりも、早く作品を提供してくださいね!
それから、五味さん情報によると、C・W・KYOKOちゃんが素敵な賞をGETしたらしい。
皆さんに買っていただくためには、信頼できる筋から評価された実績をご紹介することも重要なことです。だからKYOKOちゃんの賞のことも、詳しいことがわかったらお知らせしましょう。
宇夫方隆士氏の詩画集「幻影」が発売され、ひと月半ほどになりました。
M.A.P.販売サイトの詩画集販売ページ
先日11月21日の沖縄タイムスに、書評が掲載されましたので、やっぱりこれもご紹介いたします。
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【大きな画像で見る】← on click

また、「幻影」をお読みくださった方々から、作者宛てに多くの感想が寄せられています。そのいくつかもご紹介いたします。掲載をお許しくださった方々には、心よりお礼を申し上げます。ありがとうございました。


【お寄せいただいた感想集】
ざっと流し読みをさせていただいて、これはひとつぶひとつぶ噛みしめて読ませていただきたいと思っています。
けれども、まあ、人生をこよなく楽しむ術にたけておいでになる。スペインで、沖縄で、その地にいともたやすくとけ込み、楽しんでおられるご様子、伺い知ることが出来ました。
(東京都江東区 梅本様)

昨日、詩集「幻影」が届きました。ブルーのレザックの表紙も「幻影」という描文字も、グリーンにスミのイラスト、白ヌキ文字の帯も全てステキです。居心地のいい喫茶店で、エスプレッソ飲み乍ら何度も読みたいです。もちろん、全ページを何度かめくり、各パートの新イラストを眺め、散文はきちんと読みました。かつての600篇から厳選した126篇とありますが、もちろん新しい本の版型に合わせて、あらためて手描された文字ですよね。だから初めて出会ったような新鮮さがあります。新イラストは詩集のムードにぴったりでステキです。
(東京都豊島区 藤田様)

沖縄の海、あるいはバルセロナの海でしょうか、青い色がすてきな表装ですね。仙台の友人との電話では、心にしみる本で、気に入っているとのことでした。
(東京都品川区 小原様)

私、散文からよませていただきました。同じ世代を過ごした者としてウンウンうなづきながら… 岩手山登山は私もおにぎり+キウリ+味噌でした。胸が少し痛み涙がにじみました。歳のせいでしょうか。私もまもなく78才となります。がんばらなくちゃ…
(横浜市港南区 松中様)

静かに深まりゆく秋……。とても穏やかな気持にさせ、自分を見つめさせてもらっています。
(東京都足立区 桜井様)

図らずも昨日、前に送って戴いた2007年12月の浦添市美術館の詩画展のポストカードの詩を拝見しておりました。挿し絵と詩、素敵な線描の絵をさる事ながら詩の一行一行がまるで絵そのものです。小生など風景と四ツに組んで撮っていましたが体力の衰えで撮れなくなり苦しんで居りましたが宇夫方さんの詩の一行を絵に差し替えてゆく事が出来るかもしれない、そんな希望が湧いてきました。
(北海道当別町 宮城様)


もひとつおまけ。
三線の数だけティーガーもある。斬新なティーガーに変えたいなと思っても、それには元のティーガーを外さなくてはならない。ちょっともったいない。エコの時代、もっともな気持ちです。だったらさあ、三線買う時にティーガーが選べたらいいんじゃないの? ということはさあ、三線を売ればいいんじゃないの?
ミステリー……
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YUSUKE氏所蔵の忍び駒です。
要するにミュート。
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「幻影」にまつわる沖縄での記事をアップしました。
おきなわ堂にて「幻影」販売中(11/18)

三笑亭夢丸師匠、新宿末広亭の11月下座で口演中。
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「聞いていかないの」
残念ながら、本日、地図関連の仕事が山積みで、ゆっくり聞かせていただく時間がないのです。

新江戸噺の、5枚組のCD。
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お受け取りするものだけお受け取りして、そそくさと楽屋を後にせざるを得ない失礼。
もちろん、飲んでる暇なんかありません。
null今月中に時間取れるかなあ……
もちろん、飲むほうじゃなくて、聞くほうですよ。
(宇夫方路、代筆:高山)

11月26日木曜日: 東京奏楽舎の新メンバー

名田(めいだ)綾子さんを囲んで。
プロフィール、見ーつけた!
http://www.pia-julien.com/profile/ayako_nada…
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三笑亭夢丸師匠は颯爽と。
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11月25日水曜日: 来年のこと

昭和音大はもうクリスマス。
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来年のはなしです。
1月9日
新宿の芸能花伝舎にて
“日本演出者協会・近代戯曲リーディング第一回公演”
……が行われます。
演目は……
木下杢太郎「和泉屋染物店」(ふじたあさや演出)
久保田万太郎「釣堀にて」(中村たかお演出)
……の2本。

そして、高山正樹と宇夫方路が、ふじた組に参加することになりました。
開演は15:00。
共演は流山児祥・瓜生正美・小竹伊津子・中西和久その他、怱々たるメンバーです。
台本は只今制作中ですって。
料金はどうなっているんだろう。詳細が分かったら、追ってお知らせいたします。
そして、来年の、こんなカレンダーの販売を開始しました。
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楽天市場“沖縄map”の手漉き和紙暦のページ

大判の吊るすタイプのものは、明日あたり販売開始かな。
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でも、来年のことよりも、このところの記事がなかなかアップできずにいます。
それがずいぶんとたまってしまったので、“未決定稿”というカテゴリーを作りました。
http://lince.jp/hito/zantei…

未決定稿の記事が完成したり、記事の情報を変更したりすると“新規情報”のカテゴリーへ。
記事の日付ではなく、実際に書き終わった日時の新しいものから順に10件の記事を“新規情報”のカテゴリーにしています。
http://lince.jp/hito/update…

沖縄から帰ってきた日の夜です。
今日は喜多見で沖縄語を話す会の第2回。11月9日の第1回に続いての開催です。
第1回も参加してくださった夏子さんと金城さんです。
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夏子さんについては以前ちょっとご紹介したので、今日は金城さんのこと。
金城さんは伊江島のご出身です。伊江島は本部(もとぶ)半島の北西に位置する島。沖縄本島から約10kmという近さですから、美ら海水族館などからも、伊江島のシンボルであるタッチュー(城山)がよく見えます。
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かつてこの伊江島には、沖縄での日本軍最大の飛行場があり、そのために、あの沖縄戦で熾烈な戦いが繰り広げられた島でもあります。
金城さんは今更あらためて勉強する必要のないくらいウチナーグチが堪能です。でも、私達の沖縄語を話す会に参加してくださいました。金城さんも、きっと充実した時間を楽しんでいらっしゃるのだと思います。うちなーぐち初心者のメンバーたちにとっても、金城さんのような方が一緒にいてくださることが、とっても楽しくて嬉しいのです。
「あめーけんちゃけんちゃ、ちゃーちゅーぱんじゃやてぃー」
伊江島の言葉です。沖縄本島からたった10kmしか離れていないのに、我が沖縄語を話す会の國吉眞正先生にしても、この言葉をスッと理解することはできませんでした。
「あめーけんちゃけんちゃ」は「あらー、まー」みたいな感じ。那覇あたりのウチナーグチなら「あいえーなー」といったところでしょうか。「ちゃー」は「ずーっと」、これは那覇や首里でも同じ。「ちゅーぱんじゃ」「がんじゅー」、つまり「元気」ですね。
久しぶりに会った人に、「あらまあ、ずっと元気だった?」と、はじけて思わずハグでもしそうな言葉です。沖縄本島の首里那覇周辺の沖縄語で表現するなら、「あいえーなー、ちゃーがんじゅーやてぃー」

こんな難しい勉強を、最初からやっているわけではありません。でも話はこんなふうにあっちこっちへ脱線します。これがまた楽しいのです。

で……
うちなーぐち講座《6》
今日正式に習った言葉は「~やん」。日本語に訳せば「~だ」「~である」。基本的に勉強したは、たったこれだけです。

後は単語を少し。眼鏡は「がんちょー」で、砂糖は「さーたー」、間違いが「まちげー」だとか。単語は頑張って憶えようというわけではなく、ボチボチと、「へー、そうなんだ」みたいにゆるーいテンポでやっていきます。
「がんちょーやん」は「眼鏡である」で、「がんちゅーやん」は「元気である」だね。「なかなか上等やん」なんて言いながら。

あ、そうだ、ちょっと面白い単語のハナシはご紹介しておきましょう。
「スプーン」は「スプーン」ですが、「匙(さじ)」なら「けー」。「しゃもじ」は飯を掬う匙だから「みしげー」、鍋で使う「おたま」は「なびげー」。おー、分かりやすい。

そして新しい仲間のご紹介。夏子さんのルームメイトで広島出身の西武門(にしんじょー)もみ子さんです。
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独学で三線をやってます。西武門もみ子はもちろん芸名。「もみ子」の「もみ」は広島名物もみじ饅頭の「もみ」、西武門は「西武門節」からとったようですが、沖縄の人なら女性の名前にいくら芸名でも「西武門」とはつけないかな。北海道で言えば「すすきの花子」ってところでしょうか。でも、いい感じ。

今日もあっという間に終電近くなってしまいました。今日はここまで。
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みなさま、末永く宜しくお願いします。

11月24日火曜日: どこへ向かっているの

雨。二階建てジャンボ。久方ぶりのANA。
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このところSkyMarkばかりでした。なぜならチケットが安いから。
ではなぜ今回ANAにしたのか。それは一人一個、15kgまでの宅配便を1,000円で送れるから。でも荷物の保障はしてくれない。だから送る荷物は、仕入れてきた大切な壷屋焼きではなく、旅の衣類など。
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もし、日本に富士山というものが無かったら、つまらない妄想です。
僕は、いったい、どこへ向かっているのかなあ。



11月23日月曜日: もうひとつの沖縄(4)

今回の沖縄の旅、最後の晩餐。
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ゆし豆腐。にんじんしりしりーがある。それ以外には、特に沖縄っぽいものはない。
オリオンビールに続いて島酒。
琉球酒豪伝説とやらを飲んでおくと、次の日が楽らしい。
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進貢船の模型が飾ってある。
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そういえば“おきなわワールド”の進貢船は復活したのだろうか。最近は裏の業者用通用口から入ってそこから出るのでわからない。
ダッコちゃんがウィンクしていたり……
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アンガマのウシュマイとンミーのお面が微笑んでいたり。

お隣の与儀さんから貰ったアダンの手作り草履。
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神輿を担ぐ下町では分からないが、東京の山の手あたりの人間は、手作りの草履なんて観光地で売られている民芸品のレプリカくらいでしかお目にかからない。それが、まだここでは生きている。でも、貰ったはいいけれど、たぶんきっと誰も履かないで、このまま部屋の隅っこにずっと転がっているんだろう。そしていつしか古い記憶の中でしか見つけることができなくなるんだろうな。

命名札だって同じ。
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数年前まで、居間の壁には数十枚の命名札が貼られてあったが、家の内装を変えてから、新しい数枚だけ捨てずに取ってある程度になった。
沖縄の命名儀礼も、調べればちょいと面白い。今日のところは深入りはやめるけれど、最近の僕は、こういう時いつも、日本ではどうだったのだろうと考えるようなった。沖縄は僕にとって、日本を知る糸口でもあるらしい。

昔の話を始めると、昭和一桁生まれの義母からは、興味深い話がたくさん出てくる。
義母の童名(わらびなー)はチル。今でもヤンバルの田舎へ行けば、みんなから「ちる小(ちるぐゎー)」と呼ばれる。童名とは、戸籍上の名前とは違う、家庭内とか近所の友達の間で呼び合う名前のことである。
だが、義母には童名と今の戸籍上の名前と、その他にもう一つの名前があった。「鶴」という「やまとなー(と義母は言った)」。近所の女の子は、みんな大概「ツル」か「カメ」だった。こっちは姉がツルで妹がカメ、あちらは姉がカメで妹がツル。ツルカメだらけ。同じ苗字も多かったので、名前の前に「~の」という屋号が必要だった。
ある時、小学校の先生がこれでは拙いということで、片っ端から名前をつけた。あんたは「きみ子」あんたは「よし子」というように。その日から、義母の「やまとぅなー」は「とみ子」になった。この日はじめて聞いた話しである。
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僕は、義母の童名が「ちる」だなどとは全く知らずに、十数年前、生まれた娘に「なちる」と名づけたのである。その命名札が、今も残っているのかどうか、何となく聞くことはしなかった。

明日の朝早く、沖縄を発つ。トートーメーに線香をあげる。トートーメーの棚には、大和風の線香と平御香(ひらうくー)が置いてある。
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平御香とは沖縄の線香。6本の線香が板チョコのように並んでいて、割って使う。
この線香を見ると、いつも思い出すことがある。20年前の義父の葬式でのこと。大和から送り込まれていたのであろう若い坊主の説教。「平御香は香りがない。こんなものを使っていては、亡くなった人は成仏などできない。香りのある大和の線香を使わなければいけない。」
当時、沖縄で線香といえば、平御香の他にはなかった。僕は怒りに震えた。しかし、家族はみんな穏やかに黙って聞いている。そうでなければ、僕はその坊主をぶん殴っていたに違いない。今も思い出すたびに殴っておけばよかったと、後悔するのである。
でも、最近は平御香に火をつけた憶えが無い。今日も結局、「大和の上等線香」に火を点けて、そして手を合わせたのである。

《おまけ》
義母にも「カンゼークー」のことを聞いてみた。
「来ていたさ、なーびなくーさ。鍋とかヤカンとか、直しにきていたさ」
「いつごろですか?」
「戦前かねー」
眞永座の仲嶺眞永さんのお話とはずいぶん違う……

11月23日月曜日: 浦添美術館訪問

2007年の8月31日から9月9日まで、「沖縄の金細工~うしわれようとするわざ・その輝き~」という展覧会が、浦添市美術館で開催されました。
(余談ですが、実はこの時、又吉健次郎氏が宇夫方隆士氏に、ぜったい詩画集の展覧会をやったほうがいいと、乗り気ではない隆士氏に代わって、浦添美術館の空いている日を押さえてしまったのです。それがきっかけで、隆士氏は沖縄タイムスの新聞小説の挿絵を描くことになり、我々M.A.P.は隆士氏を通じて、沖縄タイムスの文芸部長さんから大城立裕氏を紹介いただきました。なんだか不思議。)

8月28日付けの「沖縄タイムス」に、この展覧会を紹介する記事が掲載され、そこには次のような一文がありました。
「琉球では、金銀を扱う金細工(クガニゼーク)、錫・銅を扱う錫細工(シルカニゼーク)の金工職人がいた」
もしかすると、浦添市美術館に行けば、何かわかるかもしれない、そう思って訪ねてみました。
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その時のチラシをコピーしてくださいました。
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他にも、又吉健次郎さんの工房の案内や名刺などもファイリングされていましたが、それらには「カンゼーク」と書かれてありました。
「なぜカンゼークではなく、クガニゼークとしたのですか」
「この時の展覧会は、又吉さんだけではなく、クガニゼーク全体を紹介する企画だったので」
僕の問いの立て方がまずかったのかもしれませんが、なんとなく意外なお答えでした。それまで、漠然として、「カンゼーク」という大きなくくりのなかの一分野が「クガニゼーク」なのかもしれないと思い始めていたのに、お答えの印象はその逆です。でも、それは要するに、カンゼークについての見解が定まっていない、というか、「カンゼーク」の言葉にこだわることに大した意味はないという感じなのです。

今回の旅で、「カンゼーク」の本質にどうしてもたどりつけないもどかしさがどんどん増大してきています。しかし、もしかすると、僕の求める明確な答えなどハナから無かったのではないか、ここに至って、そんな風に思えてきました。「カンゼーク」の原点を求めても、そんなものは初めから存在しない。「カンゼーク」という言葉は、廃藩置県以後の大きな変化の中で生まれてきた、比較的新しい言葉なのではないか。「金細工」と書いて「カンゼーク」と読むのは、元来のウチナーグチでは考えにくいけれど、大和の感覚を通すと、「クガニゼーク」より、一見自然で、かつ沖縄風に聞こえてきます。

さて、この僕の推測は正しいのかどうか、まだ調べる本もある、聞ける人もいます。
もう少し、「カンゼーク」の影を、追ってみようと思っています。

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きのう閉まっていたお店へ、諦めきれずに再訪しました。
それは仲嶺舞踊小道具店。
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踊りで使うジーファーは、ここで売っているものがいいという噂を聞いたのです。ジーファーを作っている「クガニゼーク」は、もう又吉健次郎さんしかいない。ならば、ここで売られている踊り用のジーファーを作っているのは、いったい誰なのだろう。もしかすると、「カンゼーク」の謎を解く手掛かりがあるかもしれない……

しかし、残念ながら今日も人の気配はありません。仕方が無い、あきらめて帰ろうとしたその時でした。
向かいのお店のお兄さんが、近くで遊んでいた子どもに声を掛けた。
「お客さんが来ているよ」
すると、その子どもがこちらに向かって
「ちょっと待ってください。今おじいちゃんを呼んできます」
そう言って、お隣のお家に消えたのです。
「ありがとうございました。」と、向かいのお店にお礼を言って待つこと数分。
「お待たせしました」と、お店を開けてくださったのがこの方です。
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どことなく垢抜けして、キリリとしたお顔立ち。後で名刺を頂いて分かったことなのですが、劇団眞永座の座長、仲嶺眞永さんでいらっしゃいました。納得であります。
昭和10年のお生まれ。昭和28年に沖縄芝居の役者になったが、昭和46年、生活のために小道具製作に専念することにした。でも、やはり舞台への想いが強く、2年前、眞永座を旗揚げた。その舞台には、八木政男さんも、北村三郎さんも出演された。

「カンゼークについてお伺いしたいのですが」
「カンゼークというのは鋳掛屋ですよ。壊れた鍋やヤカンを直す職人です。ナービナクークーサビラー、鍋の修理をいたしましょうと掛け声をかけながら旅をした。数年前までこのあたりにも来ていましたよ」
数年前というのは、果たしていつごろなのだろう……
「鍛冶屋の仲間ですよ」
「カンジャーヤーとはどう違うのですか?」
「カンジャーヤーは仕事場を持っていて、もっと大きなものも作ったが、カンゼークは小さな道具箱を持って小さなものを直す仕事。カンジャーヤーより下に見られていた。」

これが、僕の探していた答えなのでしょうか。よくわからない。だが、まだ繋がらないものがある。辻の遊女が踊っていた踊り。その頭に挿していたジーファー。それはいったい誰が作っていたのか。そのジーファーは又吉健次郎さんが受け継ぐ「クガニゼーク」の作るジーファーと何がどう違うのだろう。
仮に、雑踊の「金細工(カンゼーク)」のように、遊女のジーファーを直していたのが「カンゼーク」であったとしたら、僕が持ち込んだジーファーを直してくださる健次郎さんは、それこそ「カンゼーク」の仕事をしているということなのではないか……。

お店で売っているジーファーを見せていただきました。
ジーファーとカミサシ(男性用のかんざし)、どちらも3,000円とのこと。カミサシの方は他に耳かきのような押差(オシザシ)がついて2本セットです。
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軽い。
「アルミです。」
「流し込み(鋳型)ですか」
「いえ、叩いて作っていますよ」
「そうなんですか」
僕には、道具を見る目はありません。でも、どうしても眞永さんの言葉を信じることができない。眞永さんは、何か勘違いをされているのではないだろうか。いくらアルミとはいえ、叩いて3,000円はあり得ない。
(※ちなみに「津波三味線店」という那覇のお店では、踊り用の合金メッキのジーファーが4,500円で売っています。また、健次郎さんのおっしゃっていた那覇の又吉さんが、アルミのジーファーも、ちゃんと叩いて作っていたという話を聞いたことがあるのですが、まさか3,000円ということはなかったと思うのです。)
  ⇒那覇の又吉さんについて書いてある記事
「又吉健次郎さんがジーファーを作っていますよね」
「ああ、コンクールとかに出るようなときは、いいものを挿すでしょうが、普段はもっとね。でも、それを作る人がいなくなってしまって」
「その方は、那覇の又吉さんでは」
「いや、なくすわけにはいかないのでね。頼んで作ってもらっています。」
何だか頭の中がシクシクしてきました。「クガニゼーク」を継承する又吉さんたちではなく、僕の全く知らない別の「金細工」の世界が、どこかにあるのでしょうか。
「その人のところへご案内しましょうか」
「え、それはうれしい。ありがとうございます。」
「今日はこれから出かけなければならないので、明日か……」
「明日、東京に戻らなければならないのです。今度来た時に是非とも」

僕は、ジーファーとカミサシのセットを購入して、お店を後にしたのです。
  ⇒上原直彦氏が書いた仲嶺真永さんのこと

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那覇にもジュンク堂がある。かつて、ダイエー那覇店(旧ダイナハ)があったビルの1階から3階までがジュンク堂書店。
沖縄本コーナーの傍に貼ってあったポスター。七三刈り上げの津嘉山正種氏発見。
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沖縄で瀬長亀次郎を知らない人はいません、なんて、ちょっと沖縄をかじったヤマトゥンチュにありがちな、ステレオタイプの思い込みでしょうか。

国際通りから平和通りに入ったところにある花笠食堂。
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アイスティー飲み放題。
ライスは白飯と赤飯と玄米から選べる。昔はジュシーも選べたはず、とはカミサンの記憶だが、最近の彼女はテーゲーさが増してきているので、情報の正確性は疑わしい。
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普通の沖縄の家庭料理。検索して出てくるブログなどでは、結構皆さんおいしいという評価。否定はしません。家庭料理が不味いわけない。でも、東京あたりで普通の家庭料理屋をやろうとしたら、相当美味しくなければ商売にはならないでしょう。沖縄は違う。むしろ普通の家庭料理のママがいい。このことは、東京の沖縄居酒屋でも同じことがいえる。それをどう考えるかは色々。

メニューによっては、モズクかぜんざいが選べる。
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沖縄で「ぜんざい」といえば氷ぜんざいだろうと選んだが、やってきたのは違った。
考えてみれば氷がそんな昔からあるわけない。現代だって家庭で氷イチゴを食べるなんて、「家庭でたこ焼き」に匹敵する一大イベントだ。
テーゲーなカミサンによると、オバーたちはこれを甘菓子と言っていたらしい。ということは、ぜんざいといえばこの甘菓子のことだったのかと聞けば、あたしの子どもの頃はもう氷があったと睨まれた。なんで睨まれたのだろう。よくわからん。
ともかく、僕はこの「ぜんざい」は苦手です。

食べ過ぎました。おなか一杯。店を出て、デジタルカメラでもう1ショット。
(左の奥にお店があります。お客さんが続々と……)
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でも、このアベックは、結局入りませんでした。

M.A.P.after5でも、一度くらいは有名な公設市場を紹介しておかないとねえ。
豚みっつ。
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色鮮やかな南国のお魚たちは、次の機会に。

2階の食堂へ。
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食べたわけではないですよ。トイレを借りました。

外へ出て。外といってもアーケード。
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ゴーヤーを買ったりして……
これからちょっと行きたいところがあるのです。


11月22日日曜日: もうひとつの沖縄(3)

親戚10名ほどで飲みに出る。こういう場合、沖縄では「~人」とは言わず、たいがい「~名(めい)」という。でも、普天間移転反対の集会に集まった人数は21,000名とは言わない。それは沖縄でも21,000人という。
この「~名」と「~人」の使い分けの基本は、名前の把握できるリストがあれば「~名」、不特定多数ならば「~人」ということらしい。それならば、言葉が乱れているのは「大和」の方だ。
今のマスコミは客観性を装って「~人」しか使わない。「日本人」は、それに影響されたのか。
マスコミが「~名」を避けるのは「~名」が軍隊で使われていたからというような話もあって定かではないが、それなら沖縄から最初に「~名」が消えてもよさそうなものだがそうはなっていない……

てなことを考えているうちに、おもろまち(新都心)の居酒屋に着いた。
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大きな居酒屋。

その昔、沖縄の飲み屋には泡盛などなかった。主流はスコッチやウィスキー。島酒は家で飲むもの、高いお金を出して飲むようなものではないと、沖縄の人たちは思っていた。
1960年、岡本太郎はこう書いた。
「聞くと、ここの人はあまり泡もりを飲まなくなった、せいぜい場末のおでん屋か屋台みたいなところで、肩身せまくこっそりやっているという。そこで製造業もだんだん衰えて廃業するものが出てきているそうだ。もっとも酒にかぎらず、土地で出来たものというとどうも卑しいように思いこみ、舶来はすべて上等と考える沖縄的コンプレックスがある。――なんてことを聞くと、くすぐったくなってくる。それなら日本の方が御本家だ。」

今は沖縄の飲み屋で泡盛のない店など見たことがない。

今や泡盛と沖縄料理と三線、それが沖縄の飲み屋の定番。ところが、そういう店は地元の年配の方か観光客ばかりで、沖縄の若者たちはあまり見かけない。
でも、この店にはたくさんいた。逆に、観光客らしい人はいない。何の不思議もない、当たり前のこと。

といって、メニューに沖縄的料理がないのかといえば、そんなことはない。各種チャンプルー、ラフティー、しまらっきょのてんぷら、たいがいある。
でも、みんなは焼き鳥や寿司を頼む。にんじんしりしりーなんて頼むのは僕だけだ。
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細くて、なよなよしている。カミサンの作るにんじんしりしりーはもっとシャキシャキしていて旨いのだが。

カラオケボックスなんぞに行ってみた。
普通の歌(って、何が普通なのかよく分からんが)に交じって、沖縄のインディーズの曲があったりする。
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これがなかなかいい。
そして、手拍子も掛け声も、全て裏打ちなのであった。

11月22日日曜日: もうひとつの沖縄(2)

宇夫方隆士夫妻と路女史。
親子水入らずの、ささやかな出版記念パーティー。
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お寿司とワイン。沖縄色、ゼロ。
宇夫方隆士の本音

これを沖縄ではないというなかれ。
これも、もう一つの沖縄です。沖縄に住む人の数だけ、沖縄があるのです。

沖縄、浦添、国立劇場おきなわ、楽屋口。
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本番前、津嘉山正種さんは屋外の喫煙所で、ひとり風に打たれていらっしゃいました。煙草を吸っていたのかどうか、それはわかりません。
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色々ありましたが初めてこの沖縄で、聞かせていただきます。
「カミサンの実家の家族を招待したのです」
津嘉山さんはニッコリと笑われました。

ロビーへ。
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拝啓、津嘉山正種様。
舞台、拝見させていただきました。この舞台を、CDとして残したことが間違いではなかったと、あらためて確信しました。そして、その仕事をさせてくださった津嘉山さんはじめ青年座関係の皆様に、重ねて感謝申し上げたい気持ちでいっぱいです。
招待した妻の家族が、今日の舞台にどんな感想を持ったのか、とても興味があるのですが、僕はきっと、それについて聞くことはしないでしょう。
僕は、妻の家族から、敢えて離れて座りました。それは、彼らが舞台を観て泣くにしても笑うにしても、僕はその傍にいてはならないという気がしたからなのです。僕を知らない人ならば、僕が隣に座っても、僕は見知らぬ路傍の石なので、その人は自由に笑うことも泣くこともできるでしょう。でも、妻の家族にとっては、もはや僕は路傍の石ではありえないのです。
やがて客席の明かりが落ちていきます。密かに僕は、この後この劇場が、津嘉山さんのウチナーグチで大きな笑いに包まれることを期待していました。30数年前の、あの伝説の舞台がそうであったように。
しかし、そうはなりませんでした。それが残念なことなのかどうか、僕にはよくわかりませんが、きっと今日のお客様は、70年代の沖縄の人々よりもはるかに冷静であり、幸福であり、そして、諦めに包まれているのかもしれないと思ったのです。そして、みんな静かに涙されていた。
とすると、僕が人類館をCDにしようと決意した個人的な一つの事件、家事をしていた僕の妻が、青年座にお借りした人類館の記録DVDから流れ出てくる言葉、僕には全く理解できない言葉を聞いてゲラゲラと笑っていたのは、妻が不幸だということなのでしょうか。まあ、たとえそうだとしても、妻はまだ諦めてはいないのだと納得しておきましょう。
昨日は、隣の大劇場で大城先生の新作組踊りがあって、僕はそちらを観るために来ていたのですが、一般のお客さんに混じって、ロビーの椅子でひとり小劇場の開場を待っている知念正真さんをお見かけしました。
「ちょっと早く来すぎてしまった」
僕は開場前の小劇場に潜り込んで、制作の紫雲さんに、知念先生が既に来ていらっしゃることを伝えました。紫雲さんはあわてて知念さんを呼びにいかれた。
「彼は人付き合いが下手でね」
そんな幸喜さんの言葉を思い出したのです。
今度、もう一度知念さんを訪ねて、たくさんのお話を聞かせて貰おう、今、なぜかとてもそう思っています。今日の舞台のことも、妻の家族には聞けないが、知念さんには是非とも聞いてみたいと思うのです。もし聞けたなら、またお手紙でご報告します。
これからも、津嘉山さんがこの舞台を持って全国を巡り、沖縄の心を伝え続けられますこと、心より願っております。
今日は、ほんとうにありがとうございました。
(2009年11月22日 高山正樹)

是非、下記記事をお読みください。
知念正真さんにお会いした日のこと。爆笑に包まれた初演のこと。
つかこうへいの芝居は泣けてしかたないといった加藤新吉氏のこと。

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ロビーで、人類館以外のCDも売ってくださいました。
諸々清算。
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ありがとうございました。

妻の実家へ戻ると、こんなCMをやっていた。
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介護保険のご案内。
「だいわはうちゅ」とは全く違う、泥臭い沖縄の普通のおじさん。
そういえば、役所広司さん相手の映画監督役、変わりましたねえ。ところで、あのコマーシャルは沖縄でやってたのかなあ。

11月22日日曜日: あっち・そっち・こっち

県立博物館ミュージアムショップ“ゆいむい”
人類館のCDを納入。
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店長の池宮城さんは、うぶかたパパの隆士さんのお友達。
大城立裕氏の著作に並んで、宇夫方隆士詩画集「幻影」販売中。
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紅型のポストカード。どこかで見た図柄。
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そうだ、生活の柄のクラゲだ。
この紅型を制作した りえさんの旦那さま、宜保聡さんが、今、久茂地で展覧会を開いていると、池宮城さんに教えてもらいました。生活の柄ルートと博物館ルート、ふたつ繋がれば会いに行く、これM.A.P.の鉄則。
那覇久茂地の青砂工芸館。
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宜保聡さんです。奥さまは育児休暇中。
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お子様のために作った七五三の着物の前で。パパ渾身の作。
「小物も作ってはいるのですが……」
聡さんの目は、反物に向いている。
紙漉きの上江洲睦君のことを、何となく思い出しました。紙そのものを売りたいという我々の提案に「まだまだ修行が足りない」と言った上江洲君。
のんびりと考えればいい……
ステキな名刺を頂戴しました。
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「今度は、“生活の柄”あたりで……」

ジュードーチョップへ
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看板猫チャミと、お別れする日も近い?
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ついに、裏チョップ作品の販売を開始しました。
楽天市場“沖縄map”JudoChop「カバン」のページ
あっち、そっち、こっち。
だが、もう一軒、ちょいと行きたいところがあった。ここ、ジュードーチョップからすぐ近く。だが、残念ながら人の気配が無い。そうなると、どうしても行きたくなった。
明日もある。

11月22日日曜日: “金細工またよし”再訪

一昨日おじゃましたばかりなのに
昨日のジーファーを持って
今日また来てしまいました。

一昨日とは一本違う路地から入ろうとしたら、そこにこんな看板が。
「くがにぜーく」とルビを振られた「金細工またよし」の看板「また来てしまいました」
「誰も来なくなったらおしまいさ」
「今日はどうしても見てもらいたいものがあって」
そう言って、義理の妹が使っていたジーファーを手渡しました。
「ほー」
そう言って、又吉健次郎さんは、いきなりそのジーファーを叩き始めたのです。
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見る見るうちに、曲がっていたジーファーがまっすぐになっていきました。知る人ぞ知る又吉健次郎が、記録として残すジーファー以外はもうは作らない、まして踊りのジーファーは一切作らないと宣言している名工が、昨日までカミサンの実家の箪笥の奥あたりに埋もれていた踊り用のジーファーを、たった今、僕の目の前で修理してくださっている、なんだか信じられない感じです。
「親父からこのカンカン叩く音を聞けとよく言われたが、その意味が分からなくてねえ、近頃やっと少し分かってきた」
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「これ銀ですか? 叩いて作った銀のジーファーは折れないと聞いていたから、こんなに曲がるのは違うと思ったのですが」
「銀だから曲がる」
そうか、曲がるから折れないんだ。そうでなければポッキリ折れてしまう。
「なかなか質のいい銀を使っているんじゃないかなあ。銀貨ではなさそうだ」
「は?」
聞けば、昔はいい銀が手に入らなくて、アメリカの25セント銀貨を溶かして使ったらしいのです。
「国の象徴の硬貨を潰すのもどうかと思うが」
今から60年前、健次郎さんが20歳の頃、戦後間もなくです。でも、その頃の銀貨は、それでも比較的質が良かったのですが、その後、銀に銅を挟んだりして使えなくなったとのことでした。
(当時、健次郎さんの父上、6代目盛睦さんは、米兵向けの指輪を作られていたようです。ちなみに、盛睦さんが濱田庄司や棟方志功と出会うのはそれから10数年後、1960年代のことです。)
しかし、このジーファーは、それほど古いものではないと思います。義理の妹が踊りを始めてから購入したものだから、復帰直後くらいに作られたものなのではないでしょうか。
「この頃は丁寧な仕事をしていたんだなあ。これはなかなかいいものですよ。大切にしなければいけない」

叩けば表面が荒れてツヤがなくなります。だから後は、磨かなければなりません。その作業は、磨くための道具を、専用の砥石で研ぐところから始まります。
「ずいぶん使っていなかった」
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ジーファーの尖った方を木の台に突き立てて固定し、道具の取っ手側を足の指で挟み、そこを支点にして、車のワイパーのように道具を動かして磨くのです。
「今度来る時までに、ちゃんと磨いておこうね」
「ほんとうですか! ありがとうございます」

それから、この刻印はなんなのでしょうか。
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「ああ、これはね、細いところに刻印してあるから、両側が切れてしまって分かりにくいのだが……」
健次郎さんは一本のポンチを出して、それを銀片に打ちつけて見せてくださいました。
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「これと同じ、わかる? 王府の紋だ」
なるほど、左三巴紋です。沖縄では「左御紋(フィジャイグムン)」と呼ばれました。
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(※後でよく見てわかったことなのですが、又吉さんのポンチは渦巻きが反対、これは右三巴紋です。これはいったい……。また謎が一つ増えました。)

やはり健次郎さんは、踊りのジーファーの大きさが気になるようでした。
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7代目のクガニゼーク、又吉健次郎が作るジーファーは、この小さな銀の塊から叩き出していくのですが、その重さは13匁、叩き磨いていく間に1匁ほど減って、完成品は12匁くらいになる。
(※1匁=3.45g)

「このジーファーは16匁あるなあ」
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踊りのジーファーは作らないという又吉健次郎さんが、箪笥に埋もれていた曲がった16匁のジーファーに手を入れて磨いてくださる。なんて幸せなジーファーでしょう。沖縄には、今も家のどこかに眠っているジーファーがたくさんあるのではないか、そんな気がしてきました。

ひとりの若者が、工房にやってきました。
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「お、8代目かい?」
「いえ、違います。ちょっと興味があって、叩かせてもらいに来ました」
すると健次郎さんがおっしゃいました。
「彼女に何か作ってあげたいのだろう。最初はそんなもんだよ」

僕は彼に席を譲って、ジーファーを預けて、工房を後にしました。

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うぶかたです。
わたし、来年から三線を始めます。
そこで、思い切って三線を買うことにしました。

安冨祖流三線の名手、人間国宝照喜名朝一先生の一番弟子、じゃなくて一番出来の悪い弟子のなかじんさんに相談して、クニさんという方を紹介していただきました。

そしてわたしがクニさんに送ったメール。
「ほとんど未経験なので、上等なものでなくてもいいのですが、もしかしたら新人賞まで狙うかもしれない。という感じのものが欲しいです。11月に沖縄に行きますので、そのときに受け取れると嬉しいです。」

そうしたら「了解」という返事が返ってきました。

ということで、昨日電話をしました。夜遅い時間にお電話したのがいけなかったのでしょうか、どうも酔っ払っていたようで。
「はいはい、わかりましたっト、でン…、あなた、どなた で したっけン?」
「うぶかたです」
「ああ…ん…、で…、なんだっけン」
「あの、ですから……」
「あン、そっか、そうね…。でヘ、あなたハ、お名前は?」
本当に大丈夫でしょうか。
とっても心配したのでが、今日、「今晩ななしん屋に持って行きます」という電話をクニさんから頂きました。

夜11時。ななしん屋。じゃーん!
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新しい三線とクニさんです。
さっそく、ななしん屋のママに教わった、私が唯一弾ける「安里屋ゆんた」らしきものを弾いてみた。
そしたら、なかじんさん。「いい音してるね~」って。

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クニさんは、ただの酔っ払いではありませんでした!

これから頑張って稽古して、もっと上等三線が欲しくなったら、またクニさんにお願いします。
それまで何年かかるかしら。。。
(宇夫方路)
旅の続きへ

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カミサンの実家へ。
まずはトートーメーにウートートゥー。
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義母の実家が本部(もとぶ)。だから伊豆味の伊佐さんに頂いたミカンを、お土産に持ってきました。シークァーサーと、それから、えーと、なんだっけかな。
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みんなも「わからん」。

カーブチー。
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沖縄では普通に食べる。種は多いけど、みんなやっぱりこれがおいしいって。

ここへ帰ってくると、いつも思うのです。もうひとつの沖縄がココにはある。どこにも無いココだけの沖縄。これはどうにも説明しにくい感覚です。
お義母さんがいつも作ってくれるイカの墨汁。
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前回の墨汁(おんなじ器だ……)
20数年前、はじめて食べさせてもらった時は驚きました。まだイカ墨のスパゲッティなど見たこともない頃です。
それから数年後、今からちょうど20年前、荒尾美代さんという女性が、イカの墨汁のルーツを探ったという新聞記事を読みました。イタリア旅行中に食べたイカ墨のスパゲッティがおいしかったこと、ある本で知った沖縄の墨汁のこと、それから彼女は、日本中の海沿いの町に片っ端から電話をかけて、イカ墨の料理を探したといいます。すると北陸に一ヶ所、「くろづくり」の塩辛はあったけれど、ポピュラーな料理としては沖縄の墨汁以外にはなかった。いったい沖縄の墨汁のルーツはどこなのか。まず中国を調べたが中国では全く食べない。そこから一年かけて、世界の料理をチェック、するとキリスト教信仰の土地が浮かび上がってきた。ならば長崎にもあるはずだ、そうして見つけたのが生月島の“くろみあえ”。つまり、沖縄のイカの墨汁は、フィリピンあたりから、キリスト教の宣教師と共に沖縄にやってきたのではないか……。
さて、この仮説は正しかったのかどうか、その後の研究はどうなったのでしょう。

今やイカ墨料理はちっとも珍しくないけれど、20数年前の沖縄は、僕にとって今よりずっと異国でした。そしてその異国性は、手懐けられ利用されている現代のそれとは全く違うものでした。でも、沖縄が変わったのではありません。それをいつも教えてくれるのが、この家なのです。

結婚した頃の僕の土産ばなしは、東京のことばかりでした。でも最近は、僕が沖縄で会った人たちの話をすることが多くなりました。今は、その方がずっと話が盛り上がります。
今日は、又吉健次郎さんの話題です。
すると、義理の妹が踊りを習っている時に使っていたジーファーと房指輪が、確かどこかにしまってあるはずと、家捜しが始まりました。そうして見つかったのがこれです。まずは房指輪。null
これは型抜きしたようで、左程のものではないと感じたのですが……

気になったのはジーファーです。null
誰かが踏んずけたのか、曲がっているのですが、ずっしりと重い。
姪っ子は、興味なさそうに漫画を読み耽っています。
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なかなかいい形をしているように思います。
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刻印がふたつ。なんだろう。
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下の方の刻印は、文字が書いてあるようですが、最近老眼が進んで、全く読めません。
姪っ子に頼むと、あっさり「シルバー」。
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なんだって!
「すいません。このジーファー、ちょっとお借りできませんか? 明日、健次郎さんのところへ、これ持って、もう一度行って来ます。」
もしかするとこの家には、たくさんのお宝が隠されているのかもしれない。
沖縄定番のジミーで、ランチバイキング。食べ過ぎ。
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そして浦添の国立劇場“おきなわ”へ
国立劇場おきなわのHPのこの日の案内ページ
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正面玄関を入って、左の大劇場では大城立裕作の新作組踊“さかさま「執心鐘入」”。13時半開場、14時開演。
右の小劇場では、津嘉山正種ひとり語り“人類館”の公演。1回目が14時半開場の15時開演。2回目は18時半開場で19時開演。
両方のロビーでおきなわおーでぃおぶっくのCDを販売しています。
人類館は明日もあるので、今日は“さかさま「執心鐘入」”を観るのです。
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大劇場の入口では、おきなわ堂の金城さんが、“おきなわおーでぃおぶっく”の宣伝チラシを配るお手伝いをしてくださいました。
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それにしてもなんだろうこのふざけたポスターは!
ほんとうにこれが組踊りのポスターなのだろうか……
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琉球の国劇である組踊りを、馬鹿にしているのではないかという声が、昨日までの沖縄の旅で、全く聞こえてこなかったというわけではありません。しかし僕としては、このポスターを見て、密かに不謹慎な(?)期待がどんどんと高まっていったのです。

果たして、この日の舞台は期待以上のものでありました。会場は爆笑の渦に包まれて…… まあ、そのあたりのことは、他の誰かがきっとどこかでお書きになるでしょう。また、あの単純な筋立て、脚本を、ここまでに仕上げた演出をはじめとするスタッフ・役者を賞賛する劇評も、あっちこっちで語られることでしょう。だからここでは、ちょいと違った視点から。

演出家や役者の創造力を掻き立てるような本を書くことは、実はなかなか難しいのです。読んだ時にはすきだらけで一見物足りなく感じられる本の方が、結果的には生き生きとした素晴らしい舞台を生み出すということはよくある話です。大城立裕という劇作家は、そこのところを熟知しているのではないかと僕は思っています。考えてみれば、歌舞伎にしろ狂言にしろ、古典の本はスキだらけ、だからこそ歌と踊りと、役者の技量を引き出すことができるのだといってもいい。必要なのは、スペクタルな背景を感じさせる筋立てなのです。

前に、執心鐘入が、いわゆる「道成寺もの」の一つであるといわれているという話しをしました。
執心鐘入についての記事
その際、大和の「道成寺もの」が安珍・清姫伝説ではなく、その後日談を元に創作されているということもお話ししました。しかし「執心鐘入」は、「道成寺もの」の発端である元の物語、安珍・清姫伝説の方に似た筋で、こちらにはその後日談はありませんでした。
このことも、今回大城立裕氏が「執心鐘入」の後日談を書こうと企んだ動機のひとつではなかったのか、今度大城先生にお会いした時に伺ってみようと思うのです。

和歌などの世界に、すぐれた古い歌や詩などから、その発想や言葉を意識的に取り入れ、新しい歌を創造する「本歌取」という表現手法があります。元の作品の存在をはっきりと示し、またその作品に対するリスペクトを表明し、その上で独自の表現を加味して作るのです。しかし、この「本歌取」は簡単なものではありません。原作に対する深くて広い教養がなければ、優れた作品を生み出すことはできないのです。

その意味で、今日の“さかさま「執心鐘入」”は、まさに本歌取でした。

幕が下りても拍手は鳴り止まず、やがて手拍子に変わります。これは芝居のカーテンコールではなく、まるでコンサートのアンコールのようでありました。舞台中央に迎え入れられた大城立裕氏がカチャーシーを踊って、最後の幕となりました。
終演後のロビーは、あっちでもこっちでも満足そうな笑顔で満ち溢れていました。そのロビーで大城先生とお話しすることができました。
「最後は踊らされてしまったよ。」
そこへ見知らぬ女性が寄っていらして、大絶賛の言葉の嵐、絶対に再演しなければダメだと言って去っていかれました。

先に言った「本歌取」について、大事な要素がもう一つあります。「本歌取」は連歌の技法でもあるのですが、「本歌取」で作られた歌を受ける方にも、作り手と同じような教養が必要であるということなのです。今日の公演の大成功は、実は客席を埋めていた方々の組踊りに対する理解に支えられていたのだと思うのです。いかに「執心鐘入」という組踊りが沖縄の人たちに知られている演目であるかを、僕はあらためて知ったのです。
僕は今回の沖縄の旅で、玉城朝薫の組踊「執心鐘入」の稽古を見学させていただくことができました。もしその経験がなかったならば、はたしてこれほどに今日の“さかさま「執心鐘入」”の公演を楽しめただろうか、いささか疑問です。
「執心鐘入」の稽古を見学した日の記事
でもだからといって、そのことが“さかさま「執心鐘入」”の価値を落とすことにはなりません。沖縄を本当に楽しもうとするなら、沖縄をもっともっと深く勉強してみてはいかがでしょうか。これ、絶対にお薦めです。

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那覇市ぶんかテンブス館。国際通りのほぼ真ん中。
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臍(へそ・ほぞ)をウチナーグチで「フス」といいます。
「テンブス」はでべそのこと。

おお……
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島袋常栄先生のシーサーがお出迎えです。
今日と明日の2日間、“第16回沖縄工芸ふれあい広場”が開かれているのです。
私達は、先日お邪魔した“やまあい工房”の上山弘子さんの作品を是非とも拝見させていただこうと、やってきました。
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何と申し上げればよいのか。下手な感想を言えばボロが出そうで。布を評して「ボロ」は頂けない。安物の表現力と安物のデジカメでは、この美しさをお伝えできないことが残念です。
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かりゆしウェアーです。一着30,000から。
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とてもお忙しいらしい。つまり、制作依頼に作業が追いつかない。自分の作品を発表して販売する場所を探している若いものづくりの人たちが聞けば、さぞやうらやましがることでしょう。でもそのかわり、簡単には真似の出来ない大変なご苦労がある。オオシッタイにある上山さんの工房が目に浮かびます。

まさかそんな方が、私達のサイトに商品を提供してくださるなんてありえないと思っていました。ところが、それが実現したのです。
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実際の販売開始はもう少し先になると思いますが、またお一方、強い助っ人ができました。後は若い人たちに、是非とも私達のサイトを知って貰って、利用して貰いたいと思っています。この指とーまれ!

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11月20日金曜日: 知花昌一と西山正啓

※本記事は新ブログへ移行するにあたって若干の改稿を加えました
 ⇒新記事はこちらから

Bar“土”では、今日からこんな上映会をやっています。
西山正啓監督の“知花昌一沖縄読谷平和学”
null  ・・・⇒【PDFで開く】
今日の沖縄タイムスにその記事が出ていました。
朝刊か夕刊かって? 愚問です。今年の3月から、夕刊は廃止されました。
null ⇒【大きな画像で見る】
結構でっかい記事です。

パラダイス通りから土のある路地に潜り込むと、それらしき人たちとすれ違います。
ああ、青年座の飲み会がお開きなのかな……
土の扉を開けると、案の定、制作の紫雲さんがお勘定の最中です。顔見知りの方々と言葉を交わして、最期に津嘉山さんと挨拶して、カウンターに座りました。

「儀間さんは」
「バスの時間があるから帰りました」
「残念」
「青年座は打ち上げもココでやるって?」
「どうかな、でも津嘉山さん気に入ってくれたみたいで嬉しいなあ」
「津嘉山さんが涙を拭いたおしぼり、どうしたの」
「洗わないでとってあるさ」

青年座の飲み会は上映を終えたあとからのはずだから、上映会が終ってずいぶん時間が経っているはず、でもお店の中は、その熱気が、まだ残っているような感じでした。

カウンターの向うでは、今日の主人公、知花昌一さんと西山正啓監督がグラスを傾けながらゆんたくしています。何やらコアな話しが聞こえてくる。

日の丸焼き捨て、象の檻。お名前はよく存じています。内ゲバのことは定かではありませんが。今は読谷村の議員さん。何我舎(ぬーがやー)という民宿も経営。想像していたよりもずっと体のでっかい方でした。
ごうさんが書いた「知花昌一のこと」

お二人のゆんたくにお邪魔させてもらいました。とはいうものの、結構酔っていて、話しの細部までよく憶えていないのが情けないのですが。
「左翼」、「右翼」。最近の「ネトウヨ」「ネトサヨ」なる納豆のような軟弱な輩のことではなく、しかし右左の単純なカテゴリーでは語り尽くせない情念の如き思索。知花さんの通って来た過去は、きっと大きな体でなければ歩く事の不可能な道だったに違いないと、僕はひとり妄想していたのです。
きっと同じことが津嘉山正種という役者にも当てはまる。だが、その体の大きな津嘉山さんが、森口豁氏のフィルムを見て嗚咽したのだ。
「映像の力ですね」といった僕に、
「いえ、記録の力ですよ」と、西山さんは言われました。
津嘉山正種氏が嗚咽した日

記念に。左、知花昌一さん。右、西山正啓監督。
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「ねえ、ごうさん。日の丸ない? 日の丸バックにして撮りたいんだけれど」
酔っ払いのアイデアとしては面白い。
だが、そんなもの(?)、あるわけない。
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10ヶ月ぶりの“じんじん”です。
 ⇒前回“じんじん”に行った日の記事4ヶ月ぶりの儀間進さんです。
 ⇒前回、宇夫方が儀間進さんにお会いした日の記事null
そして2ヶ月前、宇夫方路が“儀間進のコラムを読む”那覇チームの皆さんとお会いしました。前回は6名のメンバーのうち2名でしたが、その後メンバーが1名増えて、今日はその7名のうち4名の方が集まってくださいました。僕は皆さんと初対面です。
 ⇒前回2名の方と宇夫方がお会いした時の記事
実際に儀間進さんのコラムを読んで録音するのは少し先になりそうですが、その準備段階として、とてもステキな広がりが見えてきました。
沖縄語を話す会の國吉眞正さんにも、大変お世話になっています。今日のところは、その全てをミステリーということにしておきますが、近日中に、色々な発表ができると思っています。

それにしても、今日はわたくし高山正樹が喋りすぎました。まずは僕の知っている大好きな儀間さんを、どうしても皆さんに伝えたくて仕方が無かったのです。本当は儀間先生がいらっしゃるのだから、儀間さんご本人のお話をたくさん聞けばよかったのに。
 ⇒わたくし高山正樹が儀間進さんのことを書いた文章

しかし、やっぱり今日も儀間進さんは儀間進さんでした。
「訛っている言葉なんてない。みんな同じ言葉なんですよ」
ややもすると首里や那覇の言葉が正しいといいたくなる、それを笑顔でたしなめる儀間さん。それは儀間さんのエッセイそのものです。

「はいさい」。沖縄の挨拶としてよく知られた言葉です。しかし女性は「はいさい」とは言わない。「はいたい」が正解。そのことも、コアな沖縄フリークたちには常識になりつつあります。でも、この日、儀間さんは教えてくださいました。女性が「はいたい」というのは、首里や那覇あたりでのこと。ちょっと北に行けば男も女も「はいさい」と言っています。
(もちろん、これにも注釈があります。北部でも、「はいさい」と「はいたい」を言い分けるところもある。どちらの方が多いかは定かではありません。)
さらに田舎へ行けば「さい」も言わずに「はい」だけ。
「まるで英語のようだ」
ウチナーグチは一筋縄ではいかない、と、ますます気が引き締まります。たとえば、と僕は思うのです。「沖縄の標準語」ということを、慎重に考えてみるのはどうだろう。首里という政治・文化の中心地。那覇という街の経済の力。沖縄芝居の心。先日会ったうるま市のおばあさんのように、日本の標準語と、沖縄の標準語と、そして自分の間切りの言葉と、とりあえず三つの言葉を勉強してみるというのはどうだろう。
うるま市のおばあさんに会った日のこと
(でも、それには異論があるでしょう。宮古や石垣などは全く別の言語なのですから。使われている音韻さえ違う。首里や那覇の言葉に関わる人たちが、それぞれの地域はそれぞれでおやりなさいというのは簡単です。しかし、首里や那覇だからできるという状況もあるのではないでしょうか。たとえば鹿児島県の奄美はどうするのだろう。沖縄県の条例からは漏れてしまう。間切りが違えば言葉が違う沖縄。いったいどうすればいいのか。このことはいずれ考えたいと思います。)

昼間、大城立裕さんに「新沖縄文字」について話したことを、僕は儀間さんに報告しました。
「驚きました。こんな若造の意見をきちんと聞いてくださり、ご自分にはなかった視点だということを認めてくださった。大城さんは、とても柔軟な頭脳をお持ちだということを、あらためて感じました。」
儀間さんはそれに対して、次のように答えられたのです。
「そうですね。彼のそういう柔軟さのことを、一番分かっているのは、僕だと思うんだ。」
その言葉に、僕は鳥肌が立ちました。
あの琉大文学時代にあったこと、それは調べれば調べられます。ここで僕が書くことは控えましょう。そのかわり、「社長とは呼ばないで」という怪しげなブログに書いた文章ふたつ、どうかお読みください。
 ⇒儀間進氏の「ほんとうのはなし」(儀間進氏のひとつの負い目)
 ⇒三太郎からのバースデーカード(儀間進氏のふたつ目の負い目)
そして、今まで儀間さんが話されたユーモアたっぷりの大城立裕氏のことを、きっといつかここでお話できる日が来るだろうと、確信したのでした。

今日も、じんじんのマスターが、こんな差し入れをしてくださいました。
null
マスター、いつもありがとうございます。

そして、この日初めてお会いした皆さま。今日はちょっと遠慮してご紹介を控えましたが、もしお許しいただけるのなら、次回は是非とも皆さん一人ひとりのウチナーグチに対する熱い思いをご紹介させていただきたいと思っています。

宜(ゆた)さる如(ぐとぅ)御願(うにげ)ーさびら

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夏からずっと楽しみにしていた「さかさま執心鐘入」、いよいよ明日ですね。
特に何か用事があったわけではないのですが、ちょいとご挨拶に伺いました。
お馴染みの大城立裕先生宅です。
null最近、親子みたいです。用が無くたって教えて頂きたいことがたくさんあります。
まずは「クガニゼーク」と「カンゼーク」のこと。「クガニゼーク」のことは、はっきりしてきました。それは「クガニゼーク」が首里王朝に関わっていて、少なからず資料が残っているからです。でも今の僕が知りたいのは「カンゼーク」のことです。残念ながら大城立裕先生でも、はっきりしたことはお分かりにはなりませんでした。
立裕先生は書斎からこんな本を持って来られました。
「琉球舞踊歌劇地謡全集」です。(画像はM.A.P.所蔵本)
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この本には、こんな写真も掲載されています。
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昨夜も一緒だった関りえ子さん。
「黒島口説(くるしまくどき)」というコメント付き。

この地謡全集の40ページに、懸案の雑踊り「金細工(かんぜーく)」の歌詞が載っているのです。
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(※雑踊り「金細工(かんぜーくー)」については、過去記事に説明がありますので、どうぞそちらをお読みください。⇒http://lince.jp/hito/okinawa/kogane…
雑踊り「金細工」は明治18年に創作されたものです。
(※沖縄の廃藩置県、いわゆる「琉球処分」が明治12年ですから、首里城が明け渡されて6年後の作。「琉球処分」について⇒http://lince.jp/hito/arumise…
その地謡には、「金細工」と「鍛冶屋」(「かんじやえ」とルビが振られている)と、両方の言葉が出てきます。このことは、立裕先生も認識してはいらっしゃらなかったようです。
「伊波の金細工の加那阿兄」と「上泊鍛冶屋」。
沖縄県の運営する情報サイト「Wonder沖縄」では、それぞれ「美里村伊波の鍛冶屋の加那兄」と「上泊の鍛冶屋」と訳しています。人を指す場合と、仕事場を指す場合と、そんな区別がされているような感じです。

加那兄は、親譲りの「鞴(ふうち)」と「金具(かなぐ)」を売って辻遊廓の遊女の揚げ代を工面しようとします。「鞴」は「ふいご(吹子)」で、溶けて真っ赤になった鉄に風を送り続けて、その温度を1400℃以上に保つために必要な道具です。また「金具」のほうは、前出の「Wonder沖縄」では、「かなとこ」と訳されています。「かなとこ」を漢字で書くと「金床」で、すなわち鍛冶や金属加工を行う際に用いる作業台のことです。

果たして、遊女の真牛(モーシー)は、遊郭でジーファーを挿し、房指輪をつけて踊っていたのかどうか、加那兄は真牛に結び指輪を作ってやったことがあるのかどうか。

ところで、そもそも琉球舞踊ってなんなんだろう。琉球舞踊の現状についてはちょっと書いたことがあるし、岡本太郎の能書きも知ってはいます。でも基本的な成り立ちと変遷については、よく知らなかったなあと反省。そこで、まずはそれを調べてみよう。ということで、「カンゼーク」については、本日ココまでということに。(※琉球舞踊についての勉強成果は本記事の後ろに追加してあります。)

今日は、もうひとつ大城立裕先生に聞きたいことがありました。
船津好明さんが考案した新沖縄文字のこと。船津さんは大城立裕氏について、いつもこうおっしゃっていました。
「大城さんはウチナーグチはなくなってもいいという考えで、僕のやっていることには批判的だと思う」
しかし僕は決してそんなことは無いと思うのです。大城立裕という文学者は、その文学活動の当初から、沖縄の言葉に対して深い思いを持っていたのだと思う。ただ時代が、大城立裕の内面の襞を見なかったのです。船津さんも、大城立裕の一面だけを見て判断していらっしゃるのではないだろうか。たとえ大城さんが、ウチナーグチはなくなっていいと船津さんに言われたのだとしても、本意はそう単純なことではなかったはずだと、大城立裕の仕事を知れば知るほど、僕はそう思うのです。

でも、新沖縄文字についてはどうだろう。立裕先生は「おもろ」などの古典的表記にも造詣が深い。そういう方にとって、船津さんの新しい文字はどういうふうに受け止められるのだろうか。
そこで僕は、思い切って、この旅の始めに西岡敏先生に語ったのと同じことを、ウチナーグチを殆ど分からない者が学ぶのに、新沖縄文字が如何に有効なアイテムであるかということを、大城先生に説明してみたのです。
沖縄国際大学の西岡ゼミの研究室に伺った時の記事
すると、大城立裕先生は即座にこう答えられました。
「なるほど、そういうふうには考えたことはなかったなあ」
この反応には驚きました。こんな若造の言うことを、とてもニュートラルに受け入れてくださった。その柔軟さに、大城立裕という文学者の、物事を極めて多面的に捉えるあり方の根本を見たような気がしたのでした。
「大城立裕」は、その一面だけしか見ない多くの論者たちから、ずっと誤解されているのかもしれません。

大城立裕先生。今日はありがとうございました。
また明日、浦添の劇場でお会いしたいと思います。

《追伸》
2001年8月に出版された『琉球楽劇集真珠道』の「口上」で、大城立裕氏は次のように書いています。
(画像再掲:関連記事⇒http://lince.jp/hito/sinsaku…
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「書く動機になったのは、琉球語(うちなーぐち)のネイティヴ・スピーカー(日本とのバイリンガル)として、組踊りの書けるおよそ最後の世代ではないか、という自覚によるもので、ほとんど責任感に発しています。」
「古典を読みなおしてみたら、あらためて自分の語彙の貧しさを嘆いています。」
また「凡例」では
「歴史的仮名遣いは『沖縄語辞典』『沖縄古語大辞典』『琉歌古語辞典』に多くを負ったが、拗音、音便などについては、現代仮名遣いに拠ったり、さらにたとえば『召しおわれ』を『召しょうれ』とするなど、若年読者のための配慮である。」とあり、さらにローマ字表記についての説明では、沖縄的音韻にも、正確を期す配慮がなされていることがわかります。(※表記についての興味深いあとがきについては、少し長いので、後日あらためて。)

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11月20日金曜日: 那覇のジーファー

“金細工またよし”の工房へ伺いました。
M.A.P.に注文が入って、それで制作をお願いしていた結び指輪を受け取るのが目的だったのですが、工房に上がると、いきなり又吉健次郎さんは、「あんたには感謝しているよ」とおっしゃられた。なんのことかと思えば、房指輪の意味のこと、「クガニゼーク」のこと。
「前からこれでいいのかなあと思っていたんだけれどね、あんたに言われて、あれがきっかけでちゃんとすることにしたんだ。」
健次郎さんがそう決められたという話は、前から宇夫方路に聞いていたことです。でも考えてみれば、そのはなしの後、僕が健次郎さんと直接お会いするのは今日がはじめてのこと、つまり健次郎さんは、僕ごとき者にも、きちんと礼を尽くしてくださったのだということに、後になって思い当たりました。なんとも頭が下がるばかりです。
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工房の看板、パンフレット、ホームページ、それから県の資料、それら全て直すことにされたそうです。
「大変ですねえ」
「一年ぐらいかかるかな」
「パンフレットだっていっぱい残ってるのに。僕の所為ですかね」
「いや、これはやらんといけないことだから」
健次郎さんご自身も熟考された結論なのだと安堵しました。

しかし、又吉健次郎さんが背負おうとしている伝統が「クガニゼーク」であるとしても、又吉さんの工房の看板は何故か最近まで「かんぜーく」だった。どうして「クガニゼーク」が「カンゼーク」と名乗ることになったのか、それについてあらためて伺ってみたのですが、残念ながら、やはり明確なことはわかりませんでした。

何年か前まで、踊りの小道具を作る、やはり「かんぜーく」を看板に掲げる工房があったそうです(※注)。銀のジーファーを1本2万円にも満たない値段で売っていた。材料の銀だけだって相当高くなっているのに。健次郎さんは、何故そんなに安く売るのかとその方に聞いたことがあったそうです。すると「仕事がなくなるのがこわくて値上げできない」という答えが返ってきた。
(※注:健次郎さんが首里の又吉と呼ばれていたのに対し、この方は那覇の又吉と呼ばれていた方であると思われます。)
気持ちも分からないではないと、健次郎さんは、ご自分の若い頃の話をしてくださいました。人がたくさん通るところに店を開いてはみたが、全く売れなかったはなし。

今だって、一週間どこからも連絡のないことがある。そんな時はとっても不安になる。

その踊りの小道具を作っていた「カンゼーク」の方はお亡くなりになった。踊りの人たちはとっても困ったはずなのですが、誰一人として健次郎さんに相談しに来る方はいなかったそうです。

いつから飾り職人は踊りの先生に頭が上がらなくなってしまったのか。対等だったはずなのに。

昔、ある時、お店に一人のおじいさんが来てこういった、なんで「クガニゼーク」というか知っているか、それは高い金細工を注文する時は、手付金として小金を置いていくからだ。クガニゼークが一番偉いんだ、なぜなら、頭の上に挿すジーファーを作っているから。だから一番上なんだ。

お父様である6代目の技術は神業だったというはなし。小物を作るための小さな道具しかないのに、それでおおきなものも作った。どうするとそんなことができるのか、今となっては知る由もない。ある時、父はそうして作ったヤカンを抱えて出ていった。戻ってきたとき、ヤカンは食料に換わっていた……。

健次郎さんは僕たちに1本のジーファーを見せてくださいました。千葉県に住んでいる方が大切に所蔵していたジーファー。それは時代を感じさせ、小ぶりの、実に美しい姿をしている逸品でした。
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「ジーファーは女性の姿をしているのだが、これは那覇のジーファーでね、首里のジーファーに較べて顔が小さくて、首の角度が少し深い。完璧な形だ」
はっきりと見えない刻印。
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「たぶん父の作ったものだと思うんだが」

那覇のジーファー、そして踊りの小道具…… もしかすると、それが「かんぜーく」と何か関係があるのでは? いや、決して先走ってはいけません。それはゆっくり調べればいい。

健次郎さんは、ジーファーの良し悪しを確かめる秘密の方法を教えてくださいました。このジーファーは見事に……
いえ、このお話はココまでです。
「この方法で僕の作ったジーファーを調べられたら困るからなあ」

又吉健次郎さんは、今の踊りのジーファーは大きすぎるとおっしゃいます。バランスも悪い。踊りの美意識はそれでいいのだろうかと思ってしまう。
「僕はあくまでも民具を作っているんだ。踊りのためだけの道具は作らない」
だからジーファーばかりではなく、房指輪も、踊り用の注文にはお応えにならないでしょう。
実は今日、宇夫方路は、来年やる予定にしている教師免許取得のお披露目公演のために、ジーファーを作って頂けないだろうか、無理を承知で頼んでみるつもりだったのです。でも、健次郎さんは踊り用でなくても、もうジーファーは、「クガニゼーク」の伝統のために、資料館のようなところ以外には作ることをしないと決められた。体力的にもそれが精一杯。それを知っては、もうお願いすることなどできるものではありません。きっぱりと諦めました。
でも、踊り続けるためには、ジーファーはどうしても必要なのです。さてどうしようか、宇夫方は、これからゆっくり考えることでしょう。

「あんたほど、一生懸命聞きに来て、一生懸命調べてくれた人はいなかったよ。」
又吉健次郎さんは、そう僕におっしゃってくださいました。
「何かわかったら教える。新しい資料もみんな送る。僕の言ったこと、何でもインターネットに書いてもいいよ」

ありがとうございます。健次郎さん。また来ます。


おまけです。
12月に又吉健次郎さんとcoccoの対談があるとのこと。「対談の相手は是非又吉さんに」、coccoのご指名なのだそうです。対談が終わったら報告してあげるから、ブログのネタにしなさいと、健次郎さんは言ってくださいました。楽しみだなあ。

ちょっと前の、又吉健次郎さんとcoccoさんの記事です。よろしければお読みください。
http://lince.jp/hito/husayubiwa…

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11月20日金曜日: 羅針盤のない航海

対馬丸記念館。
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美しい女性はすぐアップにしたがるM.A.P.after5の悪い癖。
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うれしきミステリー。

納品を終えて首里へ。コンビニに寄る。
できることならば、全てにおいてよき航海であることを願っているのだが。
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沖縄でコンビニといえば「ローソン」か「ファミリーマート」。セブンイレブンはない。
僕にとって、ここ沖縄は、船に乗って来るか、空を飛んで来るかでしかたどり着くことのできない場所なのだということをあらためて思う。それから、僕の妻の、愛する故郷に歩いて帰れぬ場所に住むということの決意。
そして、この島を闊歩する故郷を持たぬ若者たちの喧騒。
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まず、乾いた喉を潤して、あらためて「対馬丸」に向かおうと思っている。
「本当に伝えるべきことは何なのか」
座礁を避けて蛇行している間に、目的地を見失ってはならない。

ただ、頼れる羅針盤がない。

11月20日金曜日: 第30回壺屋陶器まつり

またメタボ朝食かい。
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ポークたまごのおにぎりを、色々と食べ較べてるのさ。何事も比較研究だい。

壺屋小学校。第30回壺屋陶器まつりの初日。23日まで開催される。
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うりずんでお会いした前城さんが場内放送を担当していらっしゃいます。
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まずは玉城さんご夫妻の売り場へ。
M.A.P.にとっての、待ちに待った日がやってきました。
あらためて。玉城若子さん玉城望さんご夫妻です。
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(若子さんはいつも望さんに半分隠れるのです。)
  ⇒前回は反対側が隠れてました。

玉城 望
平成03年 國場陶芸 國場一 師事
平成11年 國場陶芸独立
平成12年 大宜味村に登り窯を築窯
平成13年 日本民芸公募展にて優秀賞
平成14年 沖展にて浦添市長賞
平成15年 現代沖縄陶芸展奨励賞(石川酒造場賞)
平成16年 壺屋陶器まつり若手陶芸公募展奨励賞
平成17年 壺屋陶器まつり若手陶芸募展金賞
平成18年 沖縄県工芸公募展奨励賞
平成19年 沖展奨励賞
平成19年 沖縄県工芸士認定
平成19年 現代沖縄工芸公募展銅賞
平成20年 沖縄県工芸公募展佳作
平成21年 沖展奨励賞
平成21年 沖展準会員推挙

玉城 若子
平成05年 小橋川陶芸店 小橋川昇 師事
平成11年 独立
平成12年 夫の望と大宜味村に登り窯を築窯
平成17年 壺屋陶器まつり若手陶芸公募展奨励賞受賞
平成18年 沖展日本民藝賞協会賞受賞
平成20年 沖縄県工芸公募展優秀賞受賞

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昨日の記事で、又吉健次郎さんを取り上げている雑誌をいくつかご紹介しましたが、そのうちの「チャンプルー」には、「陶芸玉城」の記事もありました。
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もっともっとたくさんの作品が欲しかったのですが、まだまだひよっこの販売サイト。今回はこれが精一杯。でも、この次の窯出しの時は……
一歩一歩頑張っていきます。
いよいよ陶芸玉城の作品がM.A.P.の販売サイト楽天市場沖縄mapに登場です。

そして、玉城さんは素敵なお仲間を紹介してくださいました。
(交渉中……)
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そして。
宮城敦さん真弓さんご夫妻です。
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敦さんは1968年生まれ、1996年に沖縄県立芸術大学大学院を修了、2000年に真弓さんと陶器工房「ピーナッツ」を開業。
真弓さんも1968年生まれ、1992年に沖縄県立芸術大学卒業。
どうです、カラカラとおちょこ。
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いいでしょ。これも間もなくM.A.P.で販売開始です。
陶器工房「ピーナッツ」のご案内です。
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壺屋の組合の理事長、島袋常栄氏と。
やっぱり前城さんが繋いでくださったのです。感謝感謝です。
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前城さん曰く「宇夫方さんは理事長好みの女性だから高山さんはいない方がいいかもしれません」だって。という事で……
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「インターネットの時代ですからねえ。やらんとはいかんと思っているのですが。各工房がやるのは自由ですから、どうぞそれぞれ交渉してみてください。」
こういう一言を頂くことが重要なのです。

でも、慌ててガツガツするのは禁物です。本当にいいと思ったもの、若い人たちの可能性を感じる作品、そういうものを見つけて、そのことをきちんと作った人に伝える、そこからです。それにはまず、自分達の目を肥やさなければいけません。
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あっちこっちと見てまわって、「ウン、やっぱり“陶芸玉城”と“ピーナッツ”は悪くない」なんて分かったようなことを呟いて……  おや、このデザインはきっと……
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気がつけばもうお昼です。
壺屋小学校のPTAの皆さんがボランティアでお店を出しています。カレーライスを頼んだら、使われているのは壺屋焼のお皿でした。
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聞こえてきた前城さんの場内アナウンス。
「カレーをお食べになったお客様、器はお返しくださいますようお願いします」
(文責:高山正樹)
旅の続きへ

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Banちゃんに連れられて、Banちゃんの知っている店へと向かいます。

ななしん屋の前を通って。
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「ママ、今日はごめんね、また今度きまーす」
ママはいつだって笑顔です。

国際通りを渡り、浮島通りを歩いて行ったところ。
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お店の名前? さて。目だった看板も無かったような。Banちゃんに聞いてもよくわからない。

ビールを飲みながら、又吉健次郎さんの話しをちょっとしていました。首里王府に抱えられていたクガニゼークたちは、王朝という後ろ盾が無くなってどうしたのだろう。それからカンゼークのこと、カンジャーヤーのこと。
「銀のジーファーを挿して踊られていた王府御用達の琉球舞踊も、廃藩置県の後どうやって発展してきたのか」
すると、それまでお店のマスターを相手に、カウンターで一人飲んでいた男性が、こう言ったのです。
「飾り職も踊りも、辻に引き継がれたんですよ。遊女が踊って客に見せたんです。ジーファーも、辻の遊女が挿した。すいません、口を挟んで。僕は遊女が好きで、そのへんに興味があって。」

そういえば、健次郎さんの工房に貼ってあった説明書きを思い出しました。それは結び指輪についてのもので、前にも一度M.A.P.after5でご紹介しましたが、その一部をここでもう一度……
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芹沢銈介の説によりますと、この指輪はその昔、辻町の遊女が身につけていたということです。首里王朝が衰退し、明治になってからは急激な世替わりが進み、そして戦争により遊女は姿を消しました。

確かにカウンターの男性のおっしゃるとおり、「金細工」の仕事は辻の遊女と深い関わりがあったらしい。
では、首里王朝が衰退する前はどうだったのだろうか。結び指輪は、王府が無くなって初めて辻の遊女も嵌めることができるようになったのだろうか。

実は沖縄の遊郭の歴史も古く、1672年、摂政の羽地朝秀が私娼を集めて仲島(今の泉崎)に作ったのが始まりとされます。1908(明治41)年に、その仲島と渡地(わたんじ:那覇埠頭の一角)の遊郭が辻に合併され、辻は沖縄唯一の遊郭となりました。
『沖縄大百科事典』によると、王府時代の辻は、冊封のために来島した中国人の出入りする場所であり、また薩摩から派遣される在番奉行の宿舎に出入りできる女性は辻のジュリー(娼妓)だけであったとあります。つまり、王朝時代も、王府のお抱え職人が遊女のために装飾品を提供したということも十分考えられそうです。
さらに廃藩置県(琉球処分)後も、辻は衰退することはなく、昭和10年代まで沖縄の社交の中心であり、政財界の要人から農村の男まで、あらゆる階層の者が出入りする場所でした。ということは、飾り職人の技術が首里から那覇の辻へ引き継がれたのではなく、王府管轄でなくなっただけで、辻においてそのまま生き続けていたということなのかもしれません。
僕が知りたいのは、又吉さんの受け継ごうとしている「クガニゼーク」は、こうした「首里~那覇」の地理的歴史的状況と、どのように係わり合っているものなのかという事です。
そしてまた「カンゼーク」と呼ばれるものも、この関係の中に存在していたのだろうか。「クガニゼーク」が「カンゼーク」に名前を変えたのか、あくまでも別物だったのか、いずれにしてもこれは、沖縄の「伝統」を何もかも根こそぎズタズタにしてしまった、あの戦争よりもずっと前の話なのです。

僕たちは「沖縄の伝統」という時、実はふたつの大きな悲劇があったのだということを忘れてはなりません。それは、まずは戦争のこと。そして「廃藩置県」のこと。

少し歴史の話をさせてください。
日本の学校では、「廃藩置県」は1871(明治4)年に行われたと教わります。しかしそれは「大和」だけのこと、この時点では、琉球は薩摩に支配されてはいたけれど、間違いなく独立国でした。明治政府は、日本で「廃藩置県」が行われた翌年、強引に琉球国をまず「琉球藩」とするのです。その後、色々な経緯を経て、1979(明治12)年3月27日、日本は琉球藩に廃藩置県の布達をします。そしてついに首里城は明け渡され、琉球国は滅びる。この一連の措置が、いわゆる「琉球処分」と呼ばれているものなのです。

この史実を、人民の解放と捉える人たちもいます。僕はここで、その議論をするつもりはありませんし、どんな立場もとりません。でも少なくとも、大和の「廃藩置県」と沖縄の「廃藩置県」を、同じものとして論ずることは間違っていると思います。また、「琉球処分」を考えることによって、日本の廃藩置県とはいったいなんだったのかを問い直すきっかけにもなると思うのです。

話が大きくなりすぎました。元に戻しましょう。はたして又吉健次郎さんは、自らの仕事を、あらためて「クガニゼーク」とすることによって、どの時代まで回帰されようとしているのでしょうか。
(※僕は、1880年、明治13年に新制度の学校教育が沖縄に導入された前の時点の、その頃の言葉を一度復活させることが重要なのではないかと、密かに思っているのです。何故なら、それ以後の言葉の変遷は、沖縄自身が主体的に選び取った結果ではなかったのだから。)

首里王府の時代から琉球処分を経て戦争までと、その戦争の後から現代までと、きちんと切り分けて、「クガニゼーク」と「カンゼーク」とは、いったいなんであったのか、もう少し探ってみたいと、僕は思っています。
カウンターの男性と、色々とコアな話をしていたら、店の外で入りずらそうにしている若者3人。
彼らはカウンターの男性、仲石亨さんのやっている、“MAXⅠ”と“MAXⅡ”と“CASA MAX”というお店の若い子たちでした。
どういうお店かというと、おじさんには説明しにくいんですが、要するに着るものだとかアクセサリーだとかを売っているお店。工房も持っていらして、そこでオリジナルなものも作っているのです。若くして(っていくつだか知らないけれど)たいしたものです。
そんなわけで、仲石さんは又吉さんの銀細工にもご興味があったらしいのです。
好青年3人が加わって、話は益々ヒートアップ(って俺だけか)。沖縄の工芸のこと、言葉のこと、偏屈な首里のオジイのこと。
「この店のマスターの金城さんも首里ですよ」
こいつは失礼。

とっても盛り上がって、その勢いで記念撮影。
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左のでっかい人が仲石亨さんです。後ろでバンザイしてるのがお店のマスター金城正尚さんです。関りえ子さんも一緒。
撮影してくれたのはBanちゃんです。

それから、みんなで名刺交換しました。お店のマスターの金城さんの名刺も頂きました。肩書きは映像ディレクター。裏には、「どっちの料理ショー」とか「タモリ倶楽部」とか「ボキャブラ天国」とか、「主な担当番組」が印刷されてあります。でも店の名前がわからない。でも、場所覚えたから、ま、いっか。

明日、久しぶりに健次郎さんの工房に伺います。

《追伸》
MAX CASAの暖簾です。
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中華料理屋かと思ったら、よく見るとたしかに「MAX」ってなってるね。
MAXのSHOP MAP
それから、帰ってインターネットで検索したら、金城正尚さんのお店の名前が分かりました。
“立ち呑みBar Kahu-si(カフーシ)”だって。
http://www.kahu-si.com(“カフーシ”のHP)
でね、そのインフォメーションのページのNEWSによると
「2009.06.30 OKINAWAN BAR 100に掲載されました」
とあるではないですか。
こいつは大変失礼いたしました。
そして、さらに、この「OKINAWAN BAR 100」の文字をクリックすると、わが楽天市場沖縄mapに飛ぶではありませんか。
もう、びっくり!

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津嘉山正種さんの涙に触れて、なんだかみんなちょっと高揚していて、でもそれは後から来た人にとっては迷惑な話。だから今日はもうややこしいはなしはやめよっと。

カウンターに座っている男性は、ちょっと似てるけど津嘉山さんではありません。津嘉山さんはもうとっくにお帰りになりました。Yusuke氏が紹介してくれたBanちゃんです。よく見ると、津嘉山さんとはやっぱり全然似てません。
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Yusuke氏によると、会社の金使って遊びまくっているとんでもない奴だそうです。
Banちゃんは、会社のお金でアメリカ行って好きな釣りやって、こんな本まで書いちゃいました。
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左の「アメリカの竹竿職人たち」という本は、残念ながら現在amazonでは品切れです。右の御本でよろしければ、共著ですが買えます。
今は、会社のお金で一年の半分くらい沖縄にいて、南国生活を謳歌しています。そうして、横スクロールの、不思議なブログを書いています。
Tokyo/Naha Chromatic
(横スクロールも、慣れると悪くない。そういえばminaki君のサイトも横だっけ…)

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ご出勤した大西君、語っているごうさんには全く頓着せずに、まずPCを立ち上げて土のブログを、書きはじめました。これが日課なのでしょうか?
大西君は本当の沖縄に興味あるのかな、なんて思ったりして。
でも、本当の沖縄って何だ?

ごうさんお薦めの、とっておきの泡盛。
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でも僕は、こんな上等シマーを飲んでいるウチナーンチュを見たことがありません。
まあ、本当の沖縄がどうだからどうしろなんてことを言う必要もないわけで。
今日は恒例のチーズの日です。
前回のチーズパーティーの記事
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オーナーのごうさん、ブログ用に写真を真剣に撮ってますが、大西君がその気にならなければお蔵入りでしょうな。
能書き読みながら最高に旨いチーズをつまみにワインを飲む。
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沖縄で、世界のチーズを食って何が悪い?
シマーもオリオンビールも飲まずに、那覇のわけのわからんバーでワインを飲んでどこが悪いんじゃ?
あれ、今日はもうややこしい話はやめようと思ってたのに。

まあまあまあ……
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「フンだ」。「フーンだ」。

Banちゃんは、数日後のモアイの為に、チーズを買って帰ることにしました。

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11月19日木曜日: 内間安男と津嘉山正種

森口豁さんの“人類館”のフィルムがどうしても見たい。高山正樹の我がままを、Bar“土”のごうさんが森口さんに繋いでくれた。そうして実現した、たった一人のための上映会。
見れなかった前回の上映会のこと

その話を青年座に連絡したら、津嘉山正種さんが是非見たいといっているという連絡が来た。幸喜さんにも知念さんにも、青年座の方から連絡してもらうことにした。結局、幸喜さんは仕事、知念さんは体の具合で来られなかったけれど。

津嘉山さんが来ることを伏せて、上映会の告知をしてみたが、結局他には誰も来なかった。

約束の時間、パラダイス通りへ出てみた。案の定、遠くの方で、紙切れを持った津嘉山さんが、きょろきょろしていた。僕は大きく手を振った。津嘉山さんはこちらを見て、ちょっと笑った。

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カウンターで、生ビールを飲んで森口さんを待った。
「オリオンはないんですか」
「ありません。エビスだけです。」
「沖縄では、地元のオリオンを飲むことにしているのだが」
「メンテナンスが悪いんです。生ビールのサーバーは毎日洗わなければならないのはもちろんですが、週に一度くらいはメンテナンスに来てもらわなければならない、それなのに、いくら頼んでも来てくれなかった」
「アサヒ系列になってからそうなったの」
「いえ、その前からです」
「それはいけないですね。コマーシャルの話があるのだが、考えなくちゃいけないな」
「津嘉山さんが上に言ってくれれば変わるかもしれない」

(高山君、こんなこと、書いていいの)
(それで変わってくれればいい。変わってほしいから書くのです。)

2Fギャラリーにて
「沖縄の18歳」と、「一幕一場・沖縄人類館」の2本。

上映が終わって、宇夫方路が明かりをつけても、津嘉山さんは、しばらく振り返ることはなかった。

左から、関りえ子、土のオーナーごう、津嘉山正種、森口豁、高山正樹。
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その車座を、宇夫方路が撮っている。

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あの日、腕組みをして微動だにしなかった男が、調教師を演じた内間安男という男を褒めた。
「内間がいたから、この芝居ができたのだろう」
微動だにしなかったこと
その日の《表》の記事

津嘉山さんは、「人類館」をひとりで演じることの苦労を語った。泣けて泣けて仕方がない。しかしあまり泣いてしまうと、調教師役ができなくなる……、そう言った津嘉山さんの目から涙があふれた。
ごうさんの差し出したタオルで、津嘉山さんは涙をぬぐった。
「なんで俺は泣くのかなあ」

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「津嘉山さんは、何故この芝居をひとりでやろうと思ったのですか」
ある時、津嘉山さんは、東京の役者たちと沖縄の芝居をしたことがあった。津嘉山さんは方言指導も兼ねていた。稽古の最中、他の役者の言葉ばかりが気になった。稽古が終ると
「なんでネーネー(二回目のネーが下がる)というのかなあ、なんでネーネー(限りなく平板)と言わんかなー」
人類館をやりたいと思った時、やれる役者を東京で探すのは無理だと思った。
「ひとりでやるしかなかった」

ある芝居を、沖縄の連中とやったことがある。朝10時の稽古開始なのに、昼過ぎても集まらない。いつも早く来る役者は決まっているので、いつも同じところの稽古ばかり。「なんで時間通りに来れないかー」と聞くと「歯医者があってさー」。
蜷川幸男の芝居で稽古に遅れたら大変。稽古初日から立ち稽古だから、それまでにみんな台詞を入れてくる。
「そんな稽古を沖縄でやったら、三日で役者はみんなやめるね」

津嘉山さんは、この後予定が入っていてケツカッチンだったはずなのに、一時間も長くいて、あわてて帰っていった。

ちなみに、宇夫方路の踊りの先生で、高山正樹のカミサンの親友である関りえ子はミーハーであることが判明した。
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ごうさんの携帯が鳴った。
「ビール代を払うのを忘れました」
「いえいえ宇夫方が払うと言っているから大丈夫です」
おい、ごう、そんなこと言ってない。
「やった、津嘉山さんの電話番号ゲット!」
ごうさんも、ミーハーであった。
(文責:高山正樹)
[subcate.人類館]
[subcate.Bar土]
《そういえば…》
人類館の初演で辻の女性を演じた北島角子さんは、とっても若くてかわいいのでした。

11月19日木曜日: “おきなわ堂”にて

おきなわ堂へ。
新100店シリーズ入荷。
 ⇒みんなの社会科見学
 ⇒テイクアウトグルメ
宇夫方隆士氏の「詩画集」も、さっそく置いてくださっています。
nullそれから……
古いガイドブックです。
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100円で投げ売りしても、当然売れない。(沖縄では……)
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ここ沖縄堂は、M.A.P.の、小さなミステリー誕生の拠点です。

「クガニゼーク」と「カンゼーク」のことを伺おうと、文化担当の平良さんという女性にお会いするために南風原町役場を訪ねたのは、一昨日の17日のことでした。
その日は組踊りの稽古を見学させていただいていたのですが、途中ちょっと抜けて、そこから500mほどのところにある役場まで歩いていきました。
案内所で伺うと平良さんは南風原文化センターにいらっしゃるとのこと。その文化センターは役場の隣にあったのですが、最近さらに500mほど先に移転したらしい。
「歩いて行かれるのですか」
もちろん歩きますとも。どうぞご心配なく。沖縄の人はほんとに歩かない。

新しい文化センターは旧陸軍病院壕跡のすぐそばにありました。
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大きな地図で見る

東京で電話した時、親切に対応してくださった学芸員の平良次子さんに、あらためてお話しを伺う事ができました。
まず電話で聞いた話の内容(11/14日の記事)を読む
残念ながら特に新しいお話しは出てこなかったのですが、それだけに電話でも精一杯の対応をしてくださったのだということがよくわかったのです。
さらに平良さんはその電話の後、金細工について詳しい方にわざわざ聞いてもくださったようで、ただ「カンゼーク」についてはやはりよくわからない、また「クガニゼーク」に「黄金細工」という文字をあてたのは、南風原文化センターで開催された「黄金細工と鍛冶屋展」以外にはないということを教えてくださいました。

今回の旅のテーマのひとつである「クガニゼーク」について、南風原文化センターで聞くことはもうありません。それなのに今日再度訪れたのには、ふたつのわけがあったのです。
そのひとつは、一昨日は時間がなくて見ることができなかった常設展を、どうしても見学したいと思ったからです。

「御真影」と「教育勅語」を保管する奉安殿のこと。
「慰安所」で「慰安婦」にされたのは、辻の女性(今回の旅の隠されたテーマ)であったということ。
「沖縄語を以テ談話シアル者ハ間諜トミナシ処分ス」の命令。新垣弓太郎が妻の墓に刻んだ「妻タガ子 日兵逆殺」という文字のこと。
南風原の、ある地域のこと。
一人でも戦死者が出た家79.9%
一家全滅した家17.6%

思った通り、細やかでじっくり練られたたいへん見ごたえのある展示でした。沖縄へ来て、とりあえず「ひめゆり」だけは押さえて、ついでにお土産屋さんをウロウロするというのもいいけれど、是非ともこの南風原文化センターと、裏の黄金森(クガニムイ)にある旧陸軍病院壕跡へ行くというコースを検討してみることをお勧めしたいと思います。

南風原町史第3巻「南風原が語る沖縄戦」
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1,000円は破格に安い。
「行政のやることですから利益を出してはいけません。印刷代を回収しようとも思っていません。皆さんに知って戴くことが重要なのですから」

「黄金森」です。
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あのナゲーラ壕も、ここ南風原と那覇の間にあるのです。
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あの宮城巳知子さんの、ずいせん学徒隊の辿った道なのです。
ナゲーラ壕に行った時の記事

そして、南風原文化センターを訪れたもうひとつの理由。それはここ南風原が、“琉球絣のふるさと”だということ。でもこれは、今日のところはミステリーということにしておきたいと思います。

平良次子さんと記念撮影。
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病院壕跡への入口。
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黄金森は、実に穏やかに佇んでいたのです。
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現在の真珠橋。
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旧真珠橋は、沖縄戦で破壊された。

真珠橋には人柱伝説があった。それを聞いた役者、平良良勝が「真珠橋(またんばし)由来気」」(「七色元結」)という芝居を書く。初演は昭和10年頃。
そして大城立裕氏は小説『花の碑』を、また「嵐花」という芝居を書き……
「嵐花」のパンフレット
さらに2004年、新作の組踊「真珠道」を発表するのである。
《関連記事》
http://lince.jp/hito/arasibana…
http://lince.jp/hito/madamamiti…
組踊「真珠道」が東京の国立劇場で上演されたことはこのM.A.P.after5でも記事にした。だがそれ以上のことは語らなかった。というより、その背景にある歴史・文化・政治の深さを知れば、簡単に語れるものではなかったのだ。だが、今は、いずれ書いてみたいと思っている。

ちなみに、この大城氏の書いた「真珠道」を、横道萬里雄氏がその論評の中で絶賛したということを、後で知ったのである。
《横道萬里雄さんのこと》
http://lince.jp/hito/yokomiti…

気軽に、無責任に始めてしまったブログなのだが、だんだんと、そういうわけにはいかなくなってくる。

亘さんの弟子(?)の前城さんのお陰で、RBCテレビを訪れることができた。八木政男先生とお会いした時以来の琉球放送。前城さんも付き合ってくださった。感謝である。
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《一昨日のこと》
http://lince.jp/hito/urizun…
そういえば、亘さんも、横道萬里雄さんは大変な方だと言っていたっけ……。

RBCに、何しに行ったのかって? なんでもかんでも書いてしまうことは、もう許されないのかもしれない、と、思い始めているのさ。
そば家鶴小(ちるぐゎー)で…
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牛肉そば680円を食す。
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ボリュームがあって、安くて、おいしくて、こんなことなら、いくらでも書けるのだが。

今日は、なんだかいい天気。
裏口から見た“おきなわワールド”
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なんか、いい写真。
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コオロギかなんかに見えるけど、サンダル。
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特に意味なし。
長池さんと、小銭のやり取り。
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平和だね。
あ、ティーガー、いいこと考えた! でも内緒。
13個目の“機織工房しよん”のカテゴリー記事でした。
そして、紙漉き工房“紙芳”のカテゴリー記事はこれで7個目。
上江洲睦君4度目の登場にして初めての笑顔。null null null
コメント不要。今日はその笑顔だけで十分。
あとひと月半しかないけれど、がんばってカレンダー売るさ。
楽天市場沖縄map“紙漉き工房紙芳”のページ

栄町の市場の中、6月に来て以来の4度目の“生活の柄”です。
生活の柄の看板
でも、「生活の柄」のカテゴリーは作りません。なぜなら、お店の方と一度も話ししたことがないから。これはM.A.P.after5が、自らに課しているルールです。
今日あたりは、下のカウンターで飲めばよかった。色々と繋がりがあるのだから。2階の座敷で飲んでいるかぎり、きっと進展はないだろうなあ、と、壁のくらげに目をやる高山正樹でした。さて。
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「生活の柄」という名前についても、マスターと話しをしていないので、これまでM.A.P.after5では適当にお茶を濁してきたのですが、きっと山之口貘の詩から取ったのに違いない。

歩き疲れては
夜空と陸との隙間にもぐり込んで
草に埋もれては寝たのです
ところかまわず寝たのです

高田渡が歌っていましたっけ。


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はたして、次はいつ? それまで中の泡盛が残っているわけないよね、長池さん。
店を出ると、赤いライトの中に隠れる女。いつものことなのだけれど、今回の旅では妙に気になる。辻の女のこと。もう新宿あたりじゃあ見なくなったなあ。残念ながらカメラを向けることはできませんでした。

西岡さんと“ななしん屋”へ。
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ななしん屋はカウンターしかないから、じゃなくてママがステキだから、ちゃんとカテゴリーがあるのです。

「西岡さん、なんだかとってもきれいになったね。何かあったのかな」
「おじさん、余計なことは言わないの」
「作品が変わるかもしれないな」

昨日の17日、“M.A.P.after5情報”を見たという世田谷の方から、こんなメールが届きました。

琉球藍染め展のご案内です。
2009年11月21日(土)~23日(月・祝)
 11:00AM~7:00PM(21日はPM1時~)
会場:らくだ&TUBO(楽多ビル2F)
世田谷区南烏山6-8-7 03-5313-8151
22日午後より作家の上山さん来場。
22日16時から、23日14時から、トークイベント開催。

お誘い合わせてお出かけ下さい。
美しい藍染め(美ら藍・ちゅらえ)に出会いに来てください。

◎上山弘子(沖縄県名護市やまあい工房)琉球藍染め展◎
沖縄・自然からの贈り物-オーシッタイの豊かな自然の中で育てた琉球藍を100%使用した手作りの染物です。

自然があるからこそ、藍染めができる、そんな上山さんの思いは、
http://www.qab.co.jp/news/20080611…
2008年6月11日、琉球朝日放送で放送された「美ら島の提案 未来へ残せるか沖縄の姿 琉球藍を育て自然を守る」を参照してください。
また、国土緑化推進機構の今年度「森の名手・名人100人」に選ばれました。
(沖縄タイムス、琉球新報にて既報)


行きたいなあ。でも、その期間はまだ沖縄にいます。そうか、だったらこの上山さんという方が東京に向けて出発する前に、この沖縄で会えばいいんだ、これも何かの縁、電話しちゃえ。

上山さんはとても丁寧に“ふれあい工房”までの道順を教えてくださいました。きちんと聞いておかないといけません。近くまで行って分からなくなって聞こうとしても、とっても山奥なので、携帯電話は通じませんから。

森山さんにそのお話をしたら、一緒に行ってくださることに。
ちょうど名護市と東村の境のあたり、オオシッタイ(大湿帯)の中に上山さんの工房はありました。数年前まで、電気も来ていなかったらしい。

今、ちょうど染料を作る時期で、刈り取られたばかりの藍の畑は、静かに整然としていました。
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那覇の“てんぶす”で開かれる沖縄県の展覧会と、東京の展覧会が重なって、てんてこまいの忙しさなのに、上山さんは丁寧に工房を案内してくださいました。
沖縄の藍染めについては、私たちはまだまだ勉強不足、いずれきちんとお話できるときも来るでしょう。だから今日は、画像だけのご紹介です。
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若い人が、何人か働いていらっしゃいました。寝食を共にしているのかなあ。
「お弟子さんですか」
「ええ、でもみんな内地の女の子、ウチナンチュはなかなか続かない」
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那覇の“てんぶす”にお伺いする約束をして、お忙しい工房を後にしました。

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11月18日水曜日: 石鹸の材料探索その2

本部(もとぶ)の伊豆味(いずみ)にある伊佐みかん園。
伊佐常信さんと奥様。年齢を伺ったらびっくり。
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本部は平地の少ないところ。若いころ、常信さんひとりで開墾されました。でも生活は苦しかった。みかんなんてぜいたく品だから、ちっとも売れない。穏やかに話される奥様。ただ黙っている常信さん。でも、きっと大変なご苦労があったに違いありません。サラリーマンになった同年輩の方々が、定年後にみかん作りを始められる。でも殆どはうまくいかない。
「体もきついし。そんな簡単なことではないですよ。ねえ。」
やっぱり常信さんは、静かに微笑んでいらっしゃるばかりです。
「好きだったからさ」

そろそろみかん狩りの季節。
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入場料250円で食べ放題。お持ち帰りは1kg250円だそうです。安い。
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色々と説明してくださったのですが……
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採って食べるのに忙しくて……
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いずみべに、紅ざくら、シークヮーサー、タンカン、アンコール、カーブチー……
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どれがどれだかわかんなくなっちゃいました。

でもこれは間違いなくカーブチーです。
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種が多いので、都会の腐れ女は「いやだ」とか言いそうですが、実にみずみずしくて、そしてさっぱりしていておいしいのです。
みずみずしい乙女ふたり……?
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夏に収穫したグアバのネクターとシークァーサージュースの冷凍保存。
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種から皮から丸ごと全部ジュースにしたシークァーサーは、サーターアンダギーに混ぜるのだそうです。
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名刺交換などしたりして、お土産たくさんいただいてしまったりして、再会を願って、伊佐さん、有難うございました。

森山さんのお薦めのお店、“さくら庵”へ。
全てがキティちゃん。ピンクの洪水に、若干背筋がゾクゾクしましたが……
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薬膳料理。テビチがあったり、ゆし豆腐があったり。
飲み疲れている体がすっきりした気がします。これで今日からまた飲める。ん?
森山さんに御馳走して戴いてしまったのです。ありがとうございました。

このお店で、森山さんの石鹸が買えるのです。
それから、ここ伊豆味の歌のCDも。
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あれ、作詞と、そして歌っているのも、なんと伊佐常信さんではありませんか!
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もう、びっくり。

11月18日水曜日: 石鹸の材料探索その1

森山さんに案内されて、石鹸の材料のルーツを巡る。
〈海藻〉
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具志堅用高の父上と同じ。海アッチャー。
「ウミンチュ」と「海アッチャー」のこと

〈牛脂〉
中村畜産。
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「*+<●!%#△・・・」
「???」
後ろから、森山さんの奥さんが助け舟をだしてくださった。
「どこからいらしたのですかって」
「あ、東京です」
「あいや、そうですか、よくいらっしゃいました」
きっとこのおばあさまは、ヤンバルの言葉と、那覇あたりの言葉と、いわゆる標準語と、みっつの言葉を使い分けることのできる「スーパーオバア」に違いない。「ちゃんと写真を撮らせていただけませんか?」
するとおばあさまは「あたしなんか」といいながら、上着を脱いで襟のあたりをさりげなく整えた。
なんてかわいいおばあちゃんなのだろう。
「息子さんもご一緒に」
すると朝考さんは、極々自然に母の肩を引き寄せた。なんて素敵な親子なのだろう。
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中村朝考さんの育てた牛は、宮城に送られて宮城産として市場に出された。あのけたたましい知事の宣伝に乗って。
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でも今は、沖縄の中村さんのブランドとして売れるようになった。朝考さん自慢の牛なのである。

ひときわでっかい牛が散歩から帰ってくる。
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聞けば、闘牛の牛なのだという。

〈ヤギの脂〉
丸市食肉。
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丸市の奥様と、森山さんの奥様と。
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ヒージャー君たち。
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君たち、食われちまうのか……

ここにも闘牛の牛が。
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本部(もとぶ)へ移動する車中、森山さんに聞いた。
「闘牛は趣味なんですか」
森山さんは、そっと公然の秘密を教えてくれた。



11月18日水曜日: 森山さんの石鹸の中身

本日の朝ごはんです。
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沖縄が日本一の長寿県だなんて、今は昔。確かにお年寄りは長生きなのですが、アメリカ文化に塗れて以来、今や沖縄は日本一のメタボ県らしい。
でも今日は、沖縄の自然の力を感じることができそう。

うるま市の森山さんにお会いして、石鹸を作っている現場を見せていただけることになったのです。森山さんが丹精込めて作る石鹸は、何をどれだけ入れるかということがきちんと決まっているわけではありません。石鹸を作るその季節のその日に、沖縄の土地に自生しているものを摘んできて入れるのです。だからその時々によって、色々な風貌を見せてくれるのです。といっても基本的な要素はいつでも入っています。ただその比率が違ったり、プラスアルファするオマケが違ったりしているのです。

アセロラ。
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モリンガ。(※註あり)
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シークァーサー
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ノニ。(※註あり)
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パパイヤ。
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ハイビスカス。
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クワ。
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ゲットウ。⇒月桃についての記事を読む
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キンカン。
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などなど。
その他、企業秘密の素材も。
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今日はハイビスカスを多めに入れてみました。
「それでも赤くはならないよ」
それから海藻のエキス。
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海藻の元はこれ。
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ここまでが基本です。

この基本の素材に、何をどう加えていくのか、日々試行錯誤を繰り返して、そうしてスペシャルな石鹸が誕生していくのです。

たとえば、牛とか豚とかヤギの脂。
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どれがどれだか、聞いたのですが分からなくなっちゃいました。

森山さんが作る“世界一の石鹸”東京バージョン、M.A.P.は販売するスペシャル石鹸をどうするのか、最終の会議です。
そして、ついに決定! でもまだ内緒のミステリー。
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ヒント。画像左上の袋に入っているのは、沖縄の宝「クチャ」です。
森山さんに丹精込めて作っていただいて、それから最低でも一カ月くらい寝かせてまろやかにして、使ってみてからのご提供です。
今しばらくお待ちくださいませ。

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11月17日火曜日: “うりずん”の記憶

新城亘さんが栄町の“うりずん”と、とても縁が深いということは、南林間の“舞天”で知りました。
 ⇒その日の記事を読む
僕も、“うりずん”には少なからず思い出があります。
結婚した時、沖縄の親戚との約束は、必ず盆正月には帰ってくること、でした。考えてみれば妙なハナシです。東京にだって盆も正月もあるのですから。
でも、沖縄には行きたかったから、正月は沖縄で過ごしました。「行かなきゃならないんだよ、それが約束なんだから」と女房の親戚の所為にして。
沖縄に行けば、必ず栄町の“うりずん”に顔を出しました。
閉店後、店の若者に説教するオーナーの土屋さん。店の忘年会での豚の丸焼き、日航のパイロット、オリオンビールの社長……
ある時、歩き始めたばかりの長男を連れて行ったことがあります。営業時間が終っても、僕は土屋さんと飲んでいました。土屋さんは息子の顔を見て、お前はウチナンチュだと言って笑いました。やがて店に残っていた人たちのカチャーシーが始まります。息子のためのカチャーシー、息子を躍らせて楽しむために。

そんなハナシを“舞天”で亘さんにしていたら
「その時三線を弾いていたいい男は僕かもしれないなあ」
だって。
「いや、そんないい男はいなかった」
その日その場で、亘さんは“うりずん”に予約を入れてくれたのです。
「土屋さん?17日、行くからさ」

そして、十数年ぶりの“うりずん”です。
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今ほど安い航空券の無い時代。子どもが大きくなってくれば、しがない貧乏役者が毎年家族を連れて沖縄へ行くことなどできるものではありません。そのうちに、東京にいても“うりずん”の噂が聞こえてくるようになりました。亘さんによれば、今は予約しなければ入れないらしい。敷居が高くなっちゃたのかな。でも今日は新城亘御大がいるから心強い。
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20年以上前のこと、亘さんと僕は、意外に近いところにいたらしい。
結局、その時はお会いすることはありませんでした。それが今になって、ここでこうしていることの不思議。
亘さんの歌うトゥバラーマが心に染みるのです。
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「亘さん、偉い先生がね、声のために、酒飲んだら歌っちゃいけないんだって。」
「それは間違ってる。酒を飲んだら歌わなければいけない。難しいこという人に限って歌は下手さ」
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亘さんの酒と三線の弟子、前城さんです。
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でも前城さんは亘さんのパソコンの先生。前城さんがいなければ新城亘博士は誕生しなかったということは内緒。

今日も宇夫方路は踊ります。
「酒を飲んだら踊らなければいけない」
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土屋さんは、宇夫方が踊っている間、ずっとニコニコ笑っていました。
あの時と変わらない同じ笑顔で。
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U:「上原直彦さんに電話したの」
T:「もう定年になって15年だから、比嘉稔さんに直接連絡したらって」
M:「比嘉稔って、琉球放送のですか?」
T:「ええ、制作部長の」
M:「彼なら同級生ですよ。昨日も会ってました」
前城さんはその場でアポと取ってくださいました。
M:「イチャリバチョーデーですよ」

関りえ子氏も合流して。
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不思議な縁。今日も実に沖縄っぽい夜でありました。

《おまけ》
松山にある、沖縄の藤山寛美、仲田幸子のお店。
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お弟子さんは師匠に似ず……
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たまんない……
旅の続きへ

11月17日火曜日: 組踊“執心鐘入”考

宇夫方路は、今日も組踊りの稽古。僕はそれについて行く。
稽古場に入ると、先生は床を磨いていらっしゃった。
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だから、床はピカピカである。自然と、頭が下がる。

今日も、まずは読み合わせから。
読み合わせ

真ん中の、むこうの方に鏡に映った僕がいる……
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今日はカメラマンなのです。

指導してくださるのは瀬底正憲先生。
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伝統組踊保存会の副会長である。そんな偉い方が、こちらへどうぞと、僕に座布団を勧めてくださるのである。
教えを受けているのは、来年の4月10日、東京琉球舞踊協会の10周年記念公演で、組踊“執心鐘入”の舞台に立つ面々。
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手前から、玉城流敏風会東京支部諸見喜子琉舞研究所の諸見喜子先生、宇夫方路、玉城流喜納の会関東支部関りえ子琉球舞踊研究所の関りえ子先生、流舞鶴之会野原千鶴琉球舞踊研究所の野原千鶴先生。
そして、本番には今回の稽古には参加できなかった真踊流佳藤の会藤原悦子琉舞道場の藤原悦子先生が加わる。
要するに、我がM.A.P.の宇夫方路以外の皆さんは、それぞれご自分の教室を持っている先生方。宇夫方路の出演は大抜擢なのだ。
関連記事を読む

組踊については、下記記事で少し説明した。
http://lince.jp/hito/okinawamap/sinsaku…
今日は、いわゆる「道成寺もの」と「執心鐘入」について、もう少し説明してみよう。

道成寺は、和歌山県にある新西国三十三箇所観音霊場の第五番札所。安珍・清姫伝説の舞台となった寺院である。
延長6年(929年)、熊野詣に来た修行僧安珍は、清姫の家に一夜の宿を求めた。清姫は安珍に一目惚れする。困った安珍は、熊野からの帰り道に再び立ち寄ると嘘の約束をして去る。約束の日になっても、安珍は来ない。裏切られたと知った清姫は、安珍の後を追う。日高川を毒蛇となって渡り、ついには安珍が逃げ込んだ道成寺で、鐘の中に隠れている安珍を、鐘ごと焼き殺したという伝説。
この話には、さらに400年後の後日談がある。道成寺は鐘を再興することにした。完成の折、女人禁制の鐘供養をした。すると白拍子の姿をした清姫の怨霊が現れ、蛇となって鐘を引きずり降ろし、その中へと消える。
この話しが、いわゆる道成寺ものの題材となった。
まずは能の「道成寺」、それを元に歌舞伎の「娘道成寺」が作られた。浄瑠璃の「道成寺」も名高い。
組踊の「執心鐘入」も「道成寺もの」のひとつとされている。確かに大和の芸能に造詣の深かった作者の玉城朝薫は、そのヒントを能などから得たのかもしれない。しかし、『沖縄大百科事典』の「執心鐘入」の項には、次のように書かれている。

「沖縄に古くから伝承されている中城若松にまつわる話をもとに南島独特な内容の組踊として創作されている。内容は、中城若松という美少年が首里王府へ向かう途中、日が暮れて山中の一軒家に一夜の宿を乞う。はからずも若松に恋慕していた女の家であり、女は好機とばかりに誘惑する。若松は女から逃れて末吉の寺に救いを求め、鐘の中に隠れる。女は鬼女と化すが法力によって説伏させられ、若松も助かるというもの。」

中城若松は、金丸(後の第二尚氏王統の始祖尚円)の息子だと伝えられ、ひたすらに首里へのご奉公のみを考える儒教道徳の権化だとされてもいる人物である。

ともかく、「執心鐘入」と「大和」との関わりを考える時、「安珍・清姫伝説」そのものではなく、大和から渡って来た修験者たちがもたらした熊野権現信仰を、その背景に見たほうが興味深い。
しかし、それはまた別のはなしである。

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八八八六、サンパチロクのリズムとは、何なのだろう。八は、五三か、三五か。その音の響きの中で、僕は揺蕩(たゆた)っている。突然に現れる七五の大和風が、静かだった心を乱して、緊迫した空気が立ち上がってくる。これは朝薫の計算なのか。
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再び八八八六。
あ、宇夫方の稽古着の柄に、トゥイグヮーが、などど、僕は呆けている……

お茶の時間。
null
組踊の稽古の時は、喉のために黒糖が一番と瀬底先生。

そして立ち稽古。
null null

本番も、瀬底先生が、末吉の寺の座主を演じる。藤原悦子先生の若松は、今日の稽古では儀保政彦先生に代役をお願いした。
「されされ、座主加那志(ざすがなし)、露の身のいのち、救てたぼうれ」
null

「すいさんな小僧(くずー)」たち。
null null
小僧3人が、なんともユーモラスなのである。まるで、大和風をパロディーにして、笑っているかのよう……

null
本当に若松がシテで、鬼女がワキなのか。
何故若松は自ら若松と名乗る必要があったのか……
女は狂ったのではなく、狂わされたのではないのか……
null
「禁止(きじ)もきじららぬ、とめもとめららぬ」
null
null
……知我身者即身成仏
[subcate.執心鐘入]

得られぬ貴重な時間を過ごさせていただきましたこと、皆様に心より感謝いたします。
高山正樹
旅の続きへ


沖縄国際大学を後にして……
20:00 浦添にある“Big Time”というスナックへ。

でも閉まっています。残念、休み?
ところが亘さん、ポケットから鍵を出して扉を開けた!
「常連はね、みんな鍵持ってるの」勝手知ったる……
null

亘さんは、いつでもピース!!
null
國吉眞正さんと宇夫方路も勝手にやってます。
新城亘さんはいつでもピースなのだという記事

壁には、まだ見ぬママと、どなたかのお写真が。
null
お、この方は和泉流の狂言師、人間国宝の七世野村万蔵翁ではございませぬか。旧名は四世野村万之丞。現在の野村萬(隠居名)氏。あの「違いのわかる」野村万作さんのお兄様です。
このお写真を撮影した時には、亘さんも同席していらしたのだとか。

やがて、ママが登場しても、カウンターの中から出ようしない厚かましい二人。豆腐ようを勝手に盛りつけています。
null

それからママは、腕によりをかけて、たいへんおいしいお料理を作ってくださいました。
null
そのママの手料理を頂きながら……
null
亘さんの歌を間近で聞く、なんと贅沢な時間でしょうか。

常連さんたちもポツポツと……
null

弾き、歌う人。聞き入る人。
null 國吉眞正さん

お客様が古典を踊ってしまうところがすごいですなあ。それも男性まで。
null null

ホントはこのお父さんもただの近所のおじさんではない。
来年の2月に行われる“韓国と八重山の踊り”という公演に深く関わっていらっしゃる方。
null
つまり、沖縄ではそんじょそこらに芸能関係の方々がいるということなんですけどね。

そして、やっぱりカチャーシーは欠かせません。
null

そして、やっぱり宇夫方路は、ママのカチャーシーには、どんなに頑張っても及ばないのでした。
null
宇夫方路の“晴読雨読”(琉球新報)を読む

【シーブンです】
國吉眞正さんとママ。
國吉眞正さんとママ 高山正樹とママ
【ほんとのオマケでした】
旅の続きへ


《高山正樹》
那覇空港到着(16:00)。新城亘さん國吉眞正さんと、ホテルのロビーで待ち合わせて、沖縄国際大学、西岡ゼミの研究室へ(18:30)。
亘さんが西岡敏准教授に繋いでくださったのです。
新城亘さん 西岡敏准教授「ウチナーグチを守ろう」
最近の沖縄で、よく聞かれるスローガンです。
行政も動き始めているようです。あの悪名高き方言札の時代を思うと、隔世の感があります。しかし、いったいどうしたらウチナーグチをきちんと残していけるのか、なかなか困難なのです。
そのひとつに、表記の問題があります。このことについては、M.A.P.after5でも幾度か書いてきました。
http://lince.jp/hito/freetalk…
http://lince.jp/hito/kiritan…
今、何人かの言語学者の方々が、それぞれの表記法を唱えていらっしゃいます。しかし、どれがいいのかの評価は定まっておらず(というより大方の人は表記問題には無頓着です)、また言語学とは関係のない人たちは、自分の喋る音を、カナを駆使してその都度書き表わしているというのが現状なのです。
例えば儀間進氏のエッセイでさえ、同じ「どぅ」という表記でも、[doo]と読むべき場合があったり、[du]だったり、[duu]だったりするのです。ウチナーグチをある程度理解している方々なら問題なく読み分けてくださるでしょう。しかし、ウチナーグチのわからないものにとっては、これは大変に困ったことです。「どぅ」という表記を自然に読むとどうなるか、漫画で自由な擬音に慣れている若者と、明治の頃の小説をたくさん読んでいらしたご年配の方とは違っているかもしれません。そういう中で、間違った発音のウチナーグチが氾濫していくという事態が起こっています。

この日、國吉眞正さんは、船津好明さんの考案された新沖縄文字が、いかに優れているかについて、精力的に語られました。このお歳で、これほど情熱を持っていらっしゃる國吉さんに、あらためて頭の下がる思いがしたのです。

M.A.P.after5でも、新沖縄文字について、ちょっとだけご報告したことがあります。
http://lince.jp/hito/hisabisa…
しかし、今までのところ、まだきちんと詳しくご紹介はしていません。それは、M.A.P.として、様々な表記法を比較検討するまでに到っていないからです。
しかしながら今日は、船津さんの考案した新沖縄文字について、率直に思っていることを語ってみたくなりました。

「僕も当初、この新しい文字に、ちょっとした違和感を感じたのです。どの音にどの表記を当てるかは単なるルールに過ぎないのだから、どんな記号を使おうとかまわないはずだ。ならば今ある仮名文字を使って、この音のときはこう書くという決まりを作ればいいだけのことではないか、その方が一般にも受け入れてもらいやすいのではないかと。でも、実際に新沖縄文字を使って教えてもらうと、仮名文字を使うよりもはるかにわかりやすいのです。それは何故なのかと考えてみました。それは、新沖縄文字は、ここでこの発音をしなさいというわかりやすい指示となっているからなのです。いつも使っている仮名文字での表現ではそうはいきません。ややもすると、沖縄特有の音韻ということが、たいへんにぼやけてしまう。
また、現状、既存の仮名文字を使ってたくさんのウチナーグチの文章が書かれていますが、それらはいったいどのルールで書かれているのか、そもそも一定の決められたルールに拠っているのか、さっぱりわからない場合が多いのです。
その点、この新沖縄文字を使うと、この音で発音せよという明確な指示を伝えることができるのです。その意味で、新沖縄文字は、ウチナーグチを学ぼうとする初心者にとっては、たいへん有効な指針となるのです。」

僕のこの素人の意見に、若き言語学者の西岡敏先生は、ありがたいことに理解を示してくださいました。

ふと見ると、研究室の壁に、M.A.P.でも販売している50音表が貼られてありました。
調子に乗って、恐れを知らぬ素人は、なおも発言を続けます。
「沖縄の音韻を理解するためには、まず日本語の50音表のいい加減さを理解することが有効だと思うんです。」

さて、ここで……
前回のウチナーグチ講座で、次回は「半母音について」と予告しましたが、せっかくなので、半母音のことをお話する前に、この際「日本語の50音表」について、ちょっと考察してみたいと思います。

というわけで……
【急遽開催!沖縄語の音韻講座、プロローグ(3)】
沖縄語の音韻講座を始めから読む

仮名は、基本的には表音文字です。例えば「た」という文字は[ta]という音で読まれなければなりません。仮名1個が1個の音に、一対一で対応しています。
日本語には母音が5つあり、それぞれがすべての子音と完全に対応しているため、50音表は日本語の仮名を理解するためにはとっても便利なアイテムです……、ということになっています。

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はたして、ほんとういそうなのでしょうか。正しくは、「日本語の5つの母音は、子音と完全に対応していた」と、過去形でいうべきなのです。

わたしたち日本人は、たとえば「た」と「ち」は、それぞれ同じ子音[t]に母音の[a]と[i]がくっついていると思っています。しかし実はそうではありません。「た」は[ta]ですが、「ち」は[ti]ではありません。[ti]なら、それは「てぃ」と読まれなければならないのです。現代人は「ち」を[ci]と発音している。つまり「ち」の子音は[t]ではなく[c」なのです。
しかし、古代の大和では、「ち」は「てぃ([ti])」と発音していたらしい。同様の例はたとえば「さ行」にも「は行」にも、それ以外にもたくさんあります。つまり、その頃は、今よりもずっと、50音表の整合が取れていたのだといわれているのです。しかし、その後の音韻変化によって、その音自体は変わっていったのですが、50音表は旧来の並びのまま使われ続け、結果日本語の50音表の音韻的整合性は失われていきました。

ところが、沖縄語には、この日本語では失われた音韻が、昔のまま残っているのです。「てぃ」とか「どぅ」とかがそれです。さて、そうした音を、既存の日本語の50音表に入れ込もうとしたら、どうすればいいのでしょうか。沖縄語特有の音韻のために、新しい行を付け加えればいいのでしょうか。いえいえそうではありません。まずは現行の50音表を、現在の発音(子音)の通りに並び替えてみればいいのです。そうすると、新たな50音表の中に、沖縄語特有の音韻の、納まるべき指定席のあることがわかるはずです。

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※例えば、●赤丸のところには「てぃ(ti)」が入ります。
※また、このほかに、声門破裂音がらみと、j・wといった半母音がらみの新しい行が必要となります。

この新しい50音表に新沖縄文字を当てはめていけば、沖縄特有の音を、容易に理解することができるのです。

各行の詳しい説明は、後日“沖縄語の音韻講座”でお伝えしていく予定です。
沖縄語の音韻講座、プロローグ(4)へ

さて、西岡ゼミの研究室に戻りましょう。
表音文字の「かな文字」について、「仮名1個が1個の音に対応している」と述べましたが、しかしこれはあくまでも基本です。例えば、「~へ」という助詞は、[he]ではなく[e]と読まれています。というより「え」ではなく「へ」と書かなければならないというほうが正確でしょうか。また、かつては「てふてふ」と書いて「ちょうちょう」と読ませたとか、「けふ」は「きょう」だった、などなど。
http://lince.jp/hito/au-oo-uu…
こうしたことは、実は沖縄語にもあるのです。特に古典的な文章にそれが多い。これが沖縄語の表記の問題を、さらにややこしくしています。

また、拗音(「ちゃ」とか「ぎゅ」とか)は、1モーラ(※)でありながら大文字1個に小文字をくっつけて2文字で表わしています。(※モーラ:一定の時間的長さをもった音の分節単位。)
新沖縄文字は一音(1モーラ)につき一文字を基本としていて、「てぃ」は「て」と「ぃ」をくっつけた新しい図案の一文字で表しています。
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西岡先生は、「こういう文字のことを言語学では合字というんですよ」と、世界の他の合字の例を上げて教えてくださいました。
「でも、拗音はそのまま使うんですね」
これは学者の視点だと、密かに感じたのでした。「一音一文字」ということの統一性を確保しなくてよいのか、新沖縄文字の考案者で数学者でもある船津好明さんは、これについてなんとおっしゃるのか、今度聞いてみたいなあ。

「パソコンで使える文字にするということも重要ですが、検索ということを考えた時、文字の順番も重要です。」
「パソコンの検索ですか?」
「いえ、辞書に掲載する文字の順番です。辞典などを引く時にはどうしても必要なことです。元来50音表はサンスクリットの音韻学がその起源だといわれています。その並びにも意味があるのです。新しい50音表は、是非そのあたりを考慮して作るのがいいと思いますよ」
なるほど、こういう話を聞くと腕が鳴ります。あ、これは船津先生にお任せすることですね。素人がでしゃばってはいけません。

そして、もうひとつ、忘れてはならない重要なことを西岡先生はおっしゃいました。
「首里や那覇あたりなら、この新沖縄文字で十分ですね」

西岡先生も、数年前に沖縄語の表記法を試案として考えられたことがあり、それをネットで公開していらっしゃいます。それは奄美から波照間島の音韻にまで及んでいて、並べられたその多様な音韻をあらためて眺めていると、目がクラクラしてくるのです。
http://www8.ocn.ne.jp/~nisj/

結論として、言語学的に沖縄語の音韻を網羅するのならば、新沖縄文字もまだまだ改良する必要があるのかも知れないが、ウチナーグチを勉強するためのアイテムとしての有効性は、西岡先生も十分に認めてくださったようです。
実は西岡先生は、船津さんの「美しい沖縄の方言」を大切に持っていらっしゃいました。
http://lince.jp/hito/densetu…
この「美しい沖縄の方言」は、西岡先生が沖縄語の勉強を始められた時の、最初の教科書だったのだそうです。
最後に、西岡先生は、もし新沖縄語を使った書籍を出版するようなことがあれば、推薦文を書いてくださるということを快くお約束してくださいました。
「この本には思い入れがありますから」
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新しい50音表が出来上がったら、またお伺いさせていただきたいと思います。
西岡先生どの。本日は、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いいたします。
(文責:高山正樹)
旅の続きへ

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11月16日月曜日: 2009年11月の沖縄の始まり

《宇夫方路》
4:00 起床
5:15 調布
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12:00 サンパレス球陽館でランチ。
木佐木留美さんプロデュース「月替わりOLミニ懐石」840円也。
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今回も大満足。
前回のサンパレス球陽館

13:00 稽古場へ。
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瀬底栄子先生と瀬底正憲先生はご夫婦。
今日は琉舞ではなく、組踊の稽古。
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間もなく、日付が変わります。
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たくさんのことをやり残して、明日、沖縄に出発します。

【11/25追記】(やり残したことのひとつです。)
昨日24日に沖縄から戻って、この日15日の昼間のことを追記します。でも、たった10日前のことなのに、あんまりたくさんのことがあって、あるいは飲みすぎで脳みそがとけてしまったのか、きちんとご報告する能力を失っています。
篠崎さんと雪さんには、とっても申し訳ないのですが、そっと画像だけを……

狛江、泉の森会館
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14:30開演
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告知した時の記事を読む……

そのほかにも、ご報告しそこなっていることがたくさんあるような気がするのです…
すっかり、忘却の彼方。
やらなければいけない重要なことを忘れていなければいいのですが……。


11月14日土曜日: 2010年沖縄手帖販売開始

今年も後一ヶ月半になりました。
そろそろ、来年の手帖など、お選びになる頃。
そこでM.A.P.では2010年の沖縄の手帖を販売することになりました。
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大小2種類。大(A5サイズ)税込み1,400円。小(ポケットサイズ)税込み840円です。
旧暦や沖縄の行事などが記入されています。
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ご購入希望の方は、楽天市場沖縄mapからどうぞ。
 ⇒A5サイズ
 ⇒ポケットサイズ

M.A.P.販売サイトでも近日販売開始予定です。


ことの発端はmixiとやらなのです。まず、下記記事をお読みください。
http://lince.jp/hito/okinawamap/tv2…
この後、コメントが付いた。どうして「くがにぜーく」が正しいなどと簡単に言えるのかというような主旨。

確かに、健次郎さんから頂いた名刺も、工房の看板も、「金細工」には「かんぜーく」のルビが振ってあった。健次郎さんの愛犬“カン吉”は、「かんぜーく」の「カン」と又吉の「吉」をとって健次郎さんが名づけたというくらいですから、「かんぜーく」が間違いだなんて、他人が簡単にとやかく言うことではない、それはその通りでしょう。
しかし、少しでも調べて素直に考えれば、やっぱり健次郎さんがやられている今現在の仕事は、「くがにぜーく」としかいいようのないものです。健次郎さん御自身も、そう認識されたということなのだと思います。健次郎さんはやはり「くがにぜーく」である、現時点で僕の知っている資料からは、そう結論するしかありません。

しかし、一方で「かんぜーく」と名乗った人たち、そう呼ばれた人たちの存在を否定するものでもありません。むしろそういう人たちがいたのならば、とっても知りたくなってきたのです。
さて、どうやって調べたらいいのだろう。
インターネットあたりで又吉健次郎さんを「かんぜーく」と呼ぶ人たちにそれを聞いても、わかるはずもありません。

そこで……

2002年に、南風原文化センターで「匠の技にふれる 黄金細工と鍛冶屋展」という企画展が開かれました。その「黄金細工」と「鍛冶屋」には、それぞれ「くがにぜーく」と「かんじゃーやー」とルビが振られてありました。しかし、僕の知る限り、「くがにぜーく」は「金細工」という表記でいいはずです。それを「黄金細工」としたことについて是非知りたいと思いました。
そしてこういうことに詳しい方がいれば、「かんぜーく」についてもはっきり説明してもらえるかもしれません。なぜ、又吉健次郎は「かんぜーく」ではなく「くがにぜーく」なのか。

話しをちょっと戻します。沖縄の言葉において、漢字とルビの関係は、とても難しいものがあります。元々ある言葉に漢字を当てたのか、最初に漢字があってその読み方を仮名で表記しているのか、それを見極めないと、関連する歴史そのものを間違えてしまうこともあるのです。

南風原の企画展において、なぜ「くがにぜーく」という言葉に「黄金細工」という文字を当てたのか、元々「黄金細工」という文字が何かの資料にあるのだろうか。

昨日の11月13日、東京から直接南風原役場に電話をして伺いました。
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対応してくださった平良さんという文化担当の女性の方は、「くがにぜーく」に「黄金細工」という文字を当てた理由について、次のように答えくださいました。

1:「かんぜーく」とはっきり区別するため。
2:2002年当時、くがにぜーくに携わっていらっしゃる方は、もう又吉健次郎さんのお一人しかいらっしゃらなくなっていた。その貴重であるということを表現するために、色々みんなで相談して「黄金」という字をあてたと記憶している。
3:また南風原町には有名な黄金森(くがにむい)があり、住んでいる方々は「こがね=くがに」といえば、自然に「黄金」という字を想い起こすという事情があった。

要するに、「くがにぜーく」に「黄金細工」という文字を当てたのだが、それには、何か歴史的学問的な事例に基づいた理由があったというわけではなさそうです。

さて、聞きたいのはここから先です。又吉さんのような飾り職人を、「かんぜーく」と呼んでいた歴史的な事実はないか、例えば健次郎さんの先代のころはどうだったのかろうか、僕はしつこく聞きました。平良さんは、それにも大変丁寧に答えてくださいました。
「多分、飾り職人のご本人は、ご自分のことを『くがにぜーく』とおっしゃることはないと思うのです。また周りの人たちは、飾り職人の方々を『かんぜーく』とは呼ばないでしょう。尊敬を込めて『くがにぜーく』と呼んでいたのだと思います。」

健次郎さんに電話をしました。
健次郎さんは、お父様が「くがにぜーく」とも「かんぜーく」とも口にされたことを聞いたことがないそうです。ただ王府に「くがにぜーく奉行」というものがあって、首里にはその職人町があった。その流れであることには間違いはないとおっしゃいました。
最近、県の金工部門の人にも「くがにぜーく」にしなさいと強く言われたそうです。
今、県内に「くがにぜーく」と書かれた史跡はひとつも残っていない。このままだと、50年たったら「くがにぜーく」という言葉は無くなってしまう。「くがにぜーく」を受け継ぐ者として、それでいいのか、なんとかしなければいけないという思いが強くなったのだと健次郎さん。

又吉健次郎さんは、受け継ぐ者が自分ひとりになった時、皮肉にもそれがひとりだけのものではないということに気が付いたということなのでしょう。なんとかしなければいけない、その決意には、謙虚な気持ちで自分のことを「クガニゼーク」とは呼ばずに「カンゼーク」と名乗る、などというような、ナイーブな個人的な心情の入り込む余地は、最早ないのではないかと、僕には感じられたのです。

平良さんは、金細工を研究している詳しい方がいらっしゃるので、聞いてくださるとのこと、来週から沖縄へ行くので、是非ともお伺いしようと心に決めたのでした。
(文責:高山正樹)
[subcate.クガニゼークーのこと]

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新城亘(わたる)さんと、色々ご相談することがあって、南林間にある“舞天”という沖縄居酒屋に。このお店は、毎日のように沖縄民謡のライブが行われています。だからお客さんには、そんな関係の方も多いのでしょう。「わたる先生」と、若い人たちが挨拶に来ます。
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本日の出演はスージーズ。
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明後日の15日には、沖縄タウンの離島フェアでライブをやるらしい。
スージーズのホームページ

新城亘さんについては、前回ちょっとお話しましたが……⇒http://lince.jp/hito/wataru…
今日は、もう少しきちんとご紹介してみましょう。石垣出身。高校卒業後、神奈川県でNTTに就職。傍ら三線の演奏も続けていらしたのですが、41歳のときに一念発起、「世界に誇れる沖縄の音楽を研究したい」と、沖縄県立芸大に入学。以来、家族を神奈川にほったらかして(?)、研究を続けてきました。そして2006年、芸術学の博士号を取得。
わたるさんの博士論文のテーマは「琉球古典音楽安冨祖流の研究」。声楽譜が無く、主に口伝によって伝えられてきた安冨祖流の古典音楽を、音声解析機器などを使って分析。音楽構造や伝承方法を科学的に明らかにしたのです。
今日は、そのほったらかされた奥様の弥生さんもご一緒です。
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前回はわたるさん・宇夫方路・高山正樹三人で泡盛一升、今日はほどほどにというはずだったのですが……
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だんだんおかしくなってきた……

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この夫にしてこの妻あり!
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最高に楽しい!!
わたるさんがどう思っているかは別にして。
店中乱舞!
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わたるさん、明日の本番、大丈夫ですか?

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沖縄語の音韻講座、プロローグ(1)
まず今回の記事に関連する記事を読んでみる

日本語の母音は5つということになっています。
あ(a)・い(i)・う(u)・え(e)・お(o)
それは舌の位置によって決まるということになっています。

《簡単な日本語の母音表》
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舌の高さについては、狭い広いというわけ方をする場合もあります。高い方が狭い。そりゃそうかもしれませんね、舌は下あごにくっついているのだから、舌を上げれば口は狭くなるというわけです。

「ということになっています」とか「そうかもしれない」とか、いい加減な言い方で申し訳ありませんが、いいのです。日本語では母音を5つしか区別しないので、その程度のいい加減な分類で十分なのです。

え?「5つしかない」じゃなくて「区別しない」? 妙な言い方ですね? 
はい。でもそれでいいのです。これからウチナーグチを考えていく上で、「区別」するしないということが、けっこう重要なことになってくるでしょう。

「区別しない」といった意味を、ちょっと具体的な例を示して説明してみたいと思います。
[く(ku)]を発音する場合と、[す(su)]を発音する場合の母音[u]を、よく較べてみてください。舌の位置が違いませんか。[く(ku)]の場合は確かに後ろですが、[す(su)]の場合はそれよりも前にありませんか?
でも、日本語にとっては、そんなことはどうでもいいのです。日本語の場合は、どちらも「う」、つまりおんなじ「音韻」なのですから。
(※音韻と音素については“音韻講座プロローグ(1)”をお読みください。)

もう一つ。
八代亜紀さんの歌を思い出してみてください。
「雨雨降れ降れもっと降れ(あめあめふれふれもっとふれ)」
「雨(あめ)」の「め」と「降れ(ふれ)」の「れ」の母音[え(e)]が、若干「い(i)」に近くありませんか? でもいいんです。[i]よりは[e]に近いから、日本人はみんな[e]だと思って聞いています。だからそれで何の問題もないのです。

でも、例えば英語ではそうはいきません。これもいろいろ諸説あるのですが、9個の母音というのが分かりやすい。
日本語に近い「イ」と「ウ」と「エ」と「オ」。
それから「イ」と「エ」の中間の音と、「エ」と「ア」の中間の音。
さらには「ア」と「オ」の中間の音で「オ」の口して「ア」を言う。
「オ」と「ウ」の中間の音は口を丸めないで「ウ」を言う。
最後に口をあんまり開けない「ア」。

要するに、八代亜紀さんも、もし英語だったらもう少し気をつけて発音しなくちゃいけないということかもしれませんね。

その他にも、唇を丸くするかしないかのような区別もあります。

そんなわけで、よく目にする、舌の位置と母音の関係を示した図がこれです。
《ちゃんとした母音の図》
  母音の舌の位置図

左が前舌、右が後舌で喉の奥の方。そして上が高舌。それから同じ場所にふたつあるのは、右側が唇を丸くする音です。
まあ、これ以上詳しい説明はいたしません。音声学一般をやるわけではないのですから。日本語の母音を考えるのなら、最初の簡単な表で十分です。

あれ、「ちゃんとした母音の図」とやらも、母音だけを示してあるんですよねえ。それなのに[y]とか[w]とかがありますけど、これって子音じゃないの?
おお、いいところに気がつきました。でも少々疲れたので今日はここまで。
次回は半母音についてお話ししましょうね。

いよいよ、ウチナーグチの音韻の世界の真髄に近づいていきます。
沖縄語の音韻講座、プロローグ(3)へ
このM.A.P.after5では、お伝えしきれないことがたくさんあります。どうぞ別のサイトやブログも時々チェックしてくださいね、というお願いの記事です。

昨日お伝えした楽天市場沖縄mapのヘッダーですが、上原さん、色合いが気に食わなかったらしく、色を変えてアップしたようです。
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M.A.P.では扱っていない100シリーズです。
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なぜ扱っていないのか。
画像の左と真ん中の7冊は
 「パンとスウィーツ」
 「インテリアと雑貨」
 「カレー」
 「ヘアサロンとネイル」
 「ファッション」
 「ランチバイキング」
 「和食」
これって、あんまり沖縄とは関係ないですからねえ。でも、やっぱり欲しい方がいて、時々問い合わせが来るのです。不思議。沖縄のことなら何でも知りたいという方々がずいぶんいらっしゃるということでしょか。どうしても欲しいという方は、何とか対処したいと思いますので、お気軽にお問い合わせください。

それでも、どうしてもご要望にお答えできないのが右側の2冊。
 「居酒屋」
 「やんばる編」
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これ、ちょっと情報が古くて、沖縄県内でも、間もなく販売中止となる予定のものです。そうご説明しても欲しいという方もいらっしゃいます。沖縄の魅力は底知れない力を持っているようですねえ。
M.A.P.販売サイト“100店シリーズ”
それから、石鹸の新しいキャンペーンをやっています。
http://item.rakuten.co.jp/okinawamap…
前回のキャンペーン
東京奏楽舎のOfficial_Siteのトップページの画像を変更しました。
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なお、山猫合奏団のブログの記事の新着情報、及び、高山正樹が一番言いたいことを書いている“社長とは呼ばないで”の新着情報はM.A.P.after5_Total_Indexで確認できます。

その他“おきなわおーでぃおぶっく”のブログ楽天市場のブログ“沖縄mapのつぶやき”なども是非覗いてみてください。

なお、ウチナーグチに少しでも興味を抱かれた方は、今、“おきなわおーでぃおぶっく”の人類館のページで、大変興味深い企画が進行中です。

さあ、そろそろサイトマップを作らなければいけないなあ……

おい、お前達も手伝ってくれよ……
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楽天市場“沖縄map”のブログ「沖縄mapのつぶやき」はM.A.P.の上原担当。今日の記事C・W・KYOKOさんの撮影した沖縄の空についてです。

楽天市場“沖縄map”のトップページのヘッダーにも、今までは夏バージョン用にC・W・KYOKOさんの写真をお借りして使わせていただいていました。
沖縄mapの旧ヘッダー
とはいえ、これは元データをトリミングして、その上に高山正樹がフリーソフトで書いた文字を載せてみて作ったもの。その結果、色あいと空間の拡がりを損なってしまって、とっても申し訳なく思っていました。

このたび、そのヘッダーを、上原さんが秋冬版の新バージョンに交換したようです。
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琉球絣の定番模様、「鳥小(とぅいぐゎー)」をあしらってみたようですね。

来年の海の季節には、またKYOKOさんと相談してみたらどうかな、上原さん。

さて、「鳥小(とぅいぐゎー)」にまつわるお話。
「とぅ」については、昨夜の沖縄語を話す会で話題にしたばかり。
「ぐゎー」はよく使われる接尾語。小さくてかわいいものの後につけます。だから「鳥小(とぅいぐゎー)」は「小鳥」っていう感じかな。
でもね、「ぐゎー」には軽蔑の意味もあります。「はーめーぐゎー」なんて言ったら、「ばばあ」という意味になってしまいます。沖縄の市場なんかでウチナーグチを使うと、お店のおばあさんはとっても喜んで、おまけしてくれたりしますが、十分に気をつけて使いましょうね。
(※分家にも「ぐゎー」をつけます。一番下の姉「んみーぐゎー」という言葉にもついています。)

「鳥小(とぅいぐゎー)」というと、ふじたあさや氏が1983年に書いた戯曲「翔びたてば鳥」があります。
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 女たちの思いが織りなす鳥小
 女たちの思いではばたく鳥小
 横糸のひとすじずつを
 まるで糸と語り合うように
 ぎりぎりの美しさを選んで織り込んで
 ひと柄できるまで行きかえり五十本
 五十の思いが 今 鳥小を作る
 翔びたつか鳥小
 女たちの思いをのせて
 翔びたたぬか鳥小
 女たちの思いをよそに
 翔びたてぬか鳥小
 女たちの思いの重さに

 翔びたてば鳥小
 その時島は鳥になる


表題の「鳥」の字には、「とういぐわー」というルビが振られています。
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この仮名遣いには作者のこだわりがあるのでしょうか。たとえそうだとしても、やっぱりウチナーグチを正しく残していくためには、表記も大きな問題であると、あらためて思うのでした。

いよいよ始まりました!
案内告知記事を読む

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本日の予定は、今後どのように進めていくかを皆さんとご相談しようということだったのですが、ちょっと入門の感じでウチナーグチの話が始まると、どんどん話題が膨らんで、当初2時間くらいの予定が、あっという間の3時間。
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宜(ゆた)さる如(ぐとぅ)御願(うにげ)ーさびら
「宜しくお願いいたします」
(「とぅ」は元来大和の言葉には無い音、だから新沖縄文字があるのです。)
「とぅ」の新沖縄文字の記事を読む

しばらくはこんな風に簡単な話し言葉を憶えたり、昔話を読んでみたりして、今日のように、“うちなーぐち”にまつわるいろんなおしゃべりをしながら、沖縄の「音」に慣れていこうということになりました。
今日の参加者はM.A.P.琉球舞踊教室の金城さんと片野さんと
そしてラジオ沖縄東京支社の山川さんの3人と…
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M.A.P.の高山正樹と宇夫方路。
先生は、もちろん國吉眞正さんです。
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第一回はちょっと少ない人数でしたが、あんまり楽しかったので、淋しい感じは全くありません。そして次回からはもっとたくさんの方々に集まっていただけることになりそうです。みんなでお菓子を食べながら。
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沖縄語を話す会は、大崎にならって隔週開催する予定なのですけれど、曜日を決めてしまうと出席できない方も出てきそうなので、例えばその都度曜日を変えるなど、検討していこうということになりました。
とりあえず、年内の日程は……
 11月24日(火)
 12月2日(水)

  ※12月5日(土)は本家大崎の忘年会です。
 12月25日(金)(12月21日月曜日の予定を変更しました。)
と、決定いたしました。


なんだかとってもワクワクしてきました。ここから、色々なことが始まる予感があります。
どうぞみなさんも、まずはお気軽に参加してみてくださいね。
大歓迎です。

さあ、M.A.P.after5のうちなーぐち講座も、ボチボチ再開しないとね!
(※「M.A.P.after5のうちなーぐち講座」はちょっと難解。でも実際の「沖縄語を話す会」はちっともアカデミックではありません。ほんとに気楽に参加してください。初心者大歓迎です。途中参加でも、時々休んでも月一回でも全然問題なしです。)




4:30から5時間近い長丁場。「見たー!」という感じです。
終演後、新橋演舞場の周りには何もないので、歌舞伎座近くまでちょっと歩いて居酒屋へ。
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顔面筋力増強(違うか…、なんだっけ、ああそうだ、フェイスニングだ)の菅家さんは…
http://www.ewoman.co.jp/winwin…
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…ちょっと脇に置いて、

今回の主役はビスコさんであります。
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淡水パールのピンク系天然色マルチカラー
「やだー、アップにしないでー」という叫び声が聞こえそうですが、そうはいかない。大丈夫、十分お美しい。それに、ネックレスとイヤリングをちゃんと見てもらわなきゃいけないからね。

そしてこの長いのは淡水パールのシャンペンゴールド色。
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小生、こういうアクセサリーに関しては、全く分からないのですが、整然と並んでいないところが、なんともいい感じ。(お前の感性は基準にならないってか、いやいや、きちんと並ばないのは、駒場基準でしょうが。出席しているだけでマシってもんです。
’75年生徒会(1)

そしてオニキス。
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鬼木、聞いてるか?(すいません。楽屋落ちです。)

ビスコさんが立ち上げたブランド名は“marivi”
M.A.P.で販売のお手伝いができないものか、現在、その方法を企画検討中です。ね、保幸くん。

値段等、はっきりしたことはまだ申し上げられませんが、ほんとにいいものを、ほんとに安くご提供したい、とビスコさん。30年以上のお付き合いなのですから、それで信用は十分でしょう。
とりあえず、駒場の皆様、いかがですか?
お問い合わせは
marivi.accessory@gmail.com
までどうぞ。
M.A.P.でも、お取次ぎします。

広報担当の宇夫方路さんです。
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ここから、輪が拡がっていけば面白いのになあ。
でも、オイラ同窓会費、払ってねえや。



銀座のデモから分かれて、新橋演舞場へ。
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今年の正月以来である。
http://lince.jp/hito/kabuki…

通し狂言「三人吉三巴白浪」と舞踊劇「鬼揃紅葉狩」。
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沖縄の、普天間と辺野古のことを考えると、筆が鈍る。だから、少し、沖縄に絡めて書く。正直に、書く。

先日、琉球舞踊の力を見せつけられた。それに較べて、なんと日本舞踊の貧弱なことか、と、思った。
http://lince.jp/hito/okinawamap/asaobunkasai…
しかし、いつものことだが、歌舞伎を観ると、嫌いなはずの日舞に、とことん魅せられてしまうのだ。三味線にしても同様である。
沖縄に行くと、そこら中に芸能者がいる。みんないっぱしの技能と心を持っている。だが、歌舞伎ほどの域に達した者がいるのか、残念ながら、僕は知らない。
こんなふうに書くと、きっと怒る人たちがいる。だが、今日は正直に書くと決めたのだ。その域に達した者がいないとは言わない。ただ、僕はまだ見たことがないと、正直に言うだけのことだ。

ここでも僕は、あの戦争によってズタズタにさせられてしまった伝統というものを思う。そして、戦後の焼け野原でかき鳴らされた、カンカラ三線を思う。

こんな案内を見つけた。
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つかこうへい「飛龍伝」。

春、駿河台方向から聞こえてくるシュプレヒコールの中……

「飛龍」とは、機動隊に向けて投げつける伝説の石の名である。
30年近く前、高田馬場の東芸劇場で観た。

60年安保の、学生たちのデモ。そして今日のデモ。

今は亡き文学座の演出家、加藤新吉氏が、僕にこう言った。
「つか君の芝居を観て、なぜ若い女の子達はゲラゲラ笑うのかね。つか君も言っていた。笑わせるつもりで書いてなんかいないのにってね。僕も笑えない。泣けて泣けて仕方がない。ねえ、高山さん。そうでもない?」

まさかこの芝居が、四半世紀経って演舞場で演じられるとは、それも沖縄出身の女優が主役で。どんな風に書き換えられているのだろう。一等席は9,000円である。

30年前に書いた僕のイタズラ書き。
加藤新吉氏
「高山さん。君の60年代演劇に対する思いは、幻想だよ。」
60年代演劇の幻想のこと
ちなみに、白石准の「どんぐりと山猫」の楽譜は、この加藤新吉先生に捧げられているのである。

楠定憲の「ピピン」も……
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僕の「ウィズ」も……
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セピア色の、遠い昔のことである。

そして、本日の観劇のお供は、もっと昔からの友……
nullアトムとビスコ。意味不明?

アトムとは菅家ゆかりのこと。なんとしても、沖縄で何かやらなきゃな。
ビスコとは……、これはまた別の記事で書く。

いずれにしても、過去など見ない。まだまだ、未来に向けてやることがあるのだから。
(新吉先生以外の方の敬称を省略しました。:高山正樹)



水谷橋公園には、人が溢れていました。
null
といっても、銀座にある小さな公園ですから、500人くらいかな。

「普天間基地の即時返還要求」
「辺野古を含む沖縄県内での新基地建設反対」

これが今日の集会の主旨。
ということであるならば、デモの先導車に「アンポをつぶせ」という横断幕を貼る必要があったのでしょうか。
先導車
「現状では日米安保条約の存続は致し方ないが、先の主旨には賛同する」という考えの人たちも、たくさんいると思うのです。「いや、安保の存在から問い直さなければ、根本的な解決にはならない」、それはよく理解しています。でも、今日ここに集ったのは、少なくとも普天間基地を縮小に向かわせ、辺野古で新基地の建設させないことが、緊急の課題だからではないのですか。大きな岩を、動かし始めるチャンスだとお考えではないのですか。
かつての学生運動は、理念の微妙な違いが原因で、憎しみまで伴って分裂していきました。同じ轍を踏んで欲しくはないのです。

デモはゆっくりと動き始めます。
null null

何故だか分からないのですが、涙が溢れてきたのです。
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でも、やっぱり言っておきたいことがあります。
デモの中では、あちこちでハンドマイクを持った人たちが、思い思いの主張をしています。

ある人がこう言っていました。
「今日、沖縄では3万人の集会が行われています……」
確かに沖縄の県民大会の主催者は3万人を目指すと語っていました。しかし、今この時、同時に始まっている沖縄の大会に何人集まっているのかなど分かるはずもない。
また、他の人は……
「沖縄では10万人が……」
それを言っちゃだめなんだ。公の場での自らの発言には、それなりの裏付けと、そして自分の発言に責任を取る覚悟が必要なんだ。こんな無責任なアジテーションなどいらないんだ……
このことを危惧していた記事を読む

null
行進に遮られて左折できない車がイライラして、クラクションを暴力的に鳴らします。見ると、サングラスをかけた若者が、助手席の女の子と一緒に、こちらを睨んでいました。

null
ありがちな街頭宣伝車もなく、通りすがりの人々は、特に興味なさそうに、デモに一瞥を与えるだけ……
null
人々の目を引くためには、アジも必要なのかなあ……

デモは、有名な、かの“わしたショップ”の前に通りかかります。
null null
店内は、お客さんで大盛況です。
しかし、店員さんも含めて、誰一人としてデモに関心を示す人はいません。
null null
沖縄から観光に来たと思しきアベックのふたりも、振り返ることはありませんでした。

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都会では 自殺する 若者が 増えている
けれども 問題は 今日の雨 傘がない

でも、人のことをとやかく言えた義理ではないのです。
僕は、デモから離れて、新橋演舞場に向かいます。そうしないと、開演時間に間に合わない。もし、その予定がなければ、はたして僕は、今日ここへやってこようと思ったかどうか、あやしいものです。沖縄が変わることができずにいる原因が、この僕の中にもあるのです。
(文責:高山正樹)

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傘がないこと

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11月 8日日曜日: 新橋方面へ

今日、沖縄では…
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関連記事は……
http://lince.jp/hito/kenmintaikai…

東京では…
“11・8沖縄県民大会とともに私たちも声をあげよう”
デモ。 午後2時、銀座の水谷橋公園に集合。

頭痛が、いっこうにおさまらないのですが
これから僕は、新橋方面に向けて出掛けます。

大隈講堂の記事を書きました。
ドラマ・リーディング『魚人』(11/4)
環境を考える前衛的な舞台?
僕は、いったい何をすればいいのだろう……

11月 7日土曜日: 八重山はわかりません

関連記事を読む(たきどぅんで見つけた今日のチラシ)

麻生市民館
八重山芸能 あやぱに会 第一回公演
結(ゆい)ぬ心(くくる)大空(うふずら)ゆ舞いつぃけ

八重山の芸能については、勉強不足のため、何も申し上げられません。
宇夫方隆士さんのお友達の小浜島出身の平田大一さんのミニコンサートもあるというので、是非観たかったのですが忙しくて行けませんでした。観ていれば何かを語れたかもしれないのですが。

でも、私(高山)の愚妻が観にいきました。
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そこで、ブログネタに感想など聞いてみたのですが……

 「どうだった?」
 「歌ってたさあ」
 「何を?」
 「わからん」

ウチナーグチを7~8割は理解する妻でありますが、今日は全くわからなかったようであります。

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よく分からないのではありますが、だんだんと宮古や八重山に惹かれ始めています。
理由は色々とあるのですが……
言えません。そんなこと。

11月 6日金曜日: 未練でしょうか

ご無沙汰していたゴーヤーです。
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まだしぶとく生きてます。
一ヵ月後の最期のゴーヤーへ

でも、ゴーヤー君たちは、時が止まったかのようにちっとも大きくなりません。黄色くもならない。ということは、全く養分が行ってないということでしょうか。
もう限界。切ります。
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null

ところが、まだまだ新しい雌花ができてきているのです。もう大きくはならないとわかっていても。結局全てを切れずにいます。
なんだかなあ……

11月 5日木曜日: 赤い“しか”

14:34
宇夫方路女史よりメール。

 岡山、9月3日に決定!

岡山こども劇場の日程が、2010年9月3日に決定しました、という意味。

http://lince.jp/hito/freeter…
1個 しか……
いやいや、贅沢言ってらんねえ。2年目で、上出来、と、しよう。
でも、大赤字?
http://lince.jp/hito/kodomo…

23:10
酒菜にて鹿を食う。
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レバーと、赤い心臓の刺身。
絶品。

早稲田大隈講堂にて。

“感劇・環境”
その第2部、ドラマ・リーディング『魚人』を観に行きました。演出は流山児祥氏。
出演者などについては、過去の記事をお読みください。
http://lince.jp/hito/kangeki…

TOYOTAがF1から撤退しました。ファンは大変残念がっている。
まさか太公望の静かな釣りが、環境を壊すなど主張する人はいないでしょう。でも、釣りの醍醐味を味わうために、湖にブラックバスを放つようなところまでいくと問題になる。マグロは保護されるべきなのでしょうか。マグロがいなくなることは、環境が破壊されることなのでしょうか……
てなことを、考えさせられるようなドラマであったかというと、そうではありませんでした。

魚を釣れば魚がいなくなる。水は魚がいるからそこにある。だから、魚が消えれば水は引く。水がなくなれば人は生きられない。
伝説の釣り師と湖の主である巨大な神魚との戦い。
その寓話は大変おもしろかったのですが、温暖化というような切羽詰った現実を考えるには、空想的に過ぎました。芸術は現実とどう関われるのかという、なんとも古臭い問題を、あらためて考えたのです。

リーディングと銘打っていたので、出演者みんな椅子に座って、スマートに本を読むのだろうと思っていたのですが、全く違いました。全員、台本を持ってそれに目を落としてはいるのですが、ほとんど芝居仕立てで、ただ台詞を憶えていないというだけ。しかし、決して中途半端という感じはしない。その人物になりきって演じたいのだが、台詞を読まなければならない。自分の語る言葉が台本に支配されているという微妙なイライラが不思議な緊迫感を生み出しているのです。完成された舞台では決して見えてこない、演じるということのあり方が、にじみ出てくるような舞台でした。
だから、ますます環境などというテーマは霞んでいったのです。
演劇とは、テーマを伝えるための手段なのか、それとも、テーマなどというものは、寓話という神話的構造に後付された薄っぺらな批評でしかないのか。
(文責:高山正樹)

終演後、楽屋へお邪魔しようとロビー下手の扉を開けると……
大隈講堂下手側通路
あ、外だ。
きょろきょろしていると、御大が出ていらっしゃいました。
通路から早稲田の杜を眺めるふじたあさや氏と宇夫方路

大隈重信像があったりして…
大隈重信像

反対側、つまりロビーへ通じる扉へ向かってもう一枚。
大隈重信像を眺めるふじたあさや氏と宇夫方路

表へ出て、外からこの通路を撮影しようと思ったのですが、銀杏を踏むと強烈に臭くて撮影ポイントまで近づけませんでした。
ぎんなん 大隈講堂と大銀杏

帰りがけの道に並ぶ古本屋を散策。僕は、神田よりずっと好きです。見つけた本について、お話したいこともいくつかあるのですが、それは日をあらためます。



11月 3日火曜日: 2回目の“狛食”です!

狛江の“狛食”に行きました。2度目です。
奥様は沖縄御出身。どうぞ前回の記事をお読みください。
http://lince.jp/hito/komashoku…

1回来て、そのあと何ヶ月もご無沙汰なのに、奥様は私の顔を見てすぐわかってくださいました。さすがにお店をやっている人はすごい。
「チラシ、ずっと貼っていたのよ」って。そうでした! おきなわおーでぃおぶっくのCDのチラシを貼っていてくださったのでした。もうなかったけど・・・

今日は“琉球舞踊教室”と“三線教室”と“沖縄語を話す会”のご案内を兼ねて、夕食をいただきに来たのです。こんな時だけ来るなんて、私もいけませんね。
あれ、三線教室についてはまだ内緒でしたっけ? ヒントはこちら…
http://lince.jp/hito/wataru…

うちなーぐち、聞けるけど、ちゃんとは話せないかもって奥様。月曜日はお店も休みだし、行けるかもしれないとのこと、是非是非、来ていただければとても嬉しいです。

(ちなみに、奥様のお父様は、喜多見の南灯寮にいたことがおありなのだそうです。)

もう遅い時間、お客は私一人、お店もそろそろ看板、私が食べ終わるころには、前回ご紹介できなかったマスターも厨房から出てきてくださって一緒にお話ししました。
狛食のマスター
そのうち一升瓶が現れて、お店はマスターのホームバーになりました。あら、泡盛じゃなくて“いいちこ”なんですね。

マスターは元々狛江の方です。そして、なぜか津軽三味線をやってらっしゃいます。
カウンターには撥(ばち)が置いてありました。
津軽三味線の撥
三角の部分はべっ甲です。手元の部分はプラスチックだけど、いいものは象牙でできていて30万円くらいするのだそうです。
私は以前長唄の三味線を習っていたのですが、長唄の撥はもっと薄い。「津軽三味線は打つからね」とマスター。長唄の三味線は「弾く」けど津軽三味線は「打つ」のですね。
マスターが奥様の実家に行ったとき、沖縄の海に向かって津軽三味線を弾いてみたのだそうです。そしたら、近くの家からは三線の音が聞こえてきた。その時、沖縄の海には津軽三味線は似合わないと思ったのだそうです。寒さの厳しい津軽の海だからこそ、太棹を叩く津軽三味線がいいんですね。
でも最近は三線も激しいリズムのものがはやってきて、ゆっくりじっくり弾くことができる人がいなくなってきたとおっしゃっていました。うん、やっぱり民謡じゃなくて古典の三線教室、それも安冨祖流、きっと正解ですね。

私が芝居をやっていたという話をしたら「芸人だね」とマスターの芸人の目がきらり。普通の人とは話が合わないんだよねだって。つまり。マスターは普通じゃないんですね。

(ちなみに、マスターは若い頃、ボロボロの南灯寮によく遊びに行ったんだとか。当時の南灯寮は相当にやんちゃだったはず、ということは……。マスターと奥様のなれ初めに興味がわいてきました。今度行った時に聞いちゃおうっと。)

ご主人は津軽三味線ではなく、三線を手にとって弾きはじめました。
null 狛食の奥さんの後姿
今日の奥様は裏側だけ。
ORIENTAL SUPER SHUGOSHIN
要するにシーサーのことですね。

お酒飲みながら、もっともっとお話ししたい気分でしたが、まだ仕事中。今日のところは琉球舞踊教室と三線教室と沖縄語を話す会のチラシを貼っていただいて、「また来ます!」といって店を出ました。
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あ、また肝心のお食事の紹介が抜けてしまいました。それについては必ず次回。
(宇夫方路でした)

それから、麻生区文化祭の記事に画像を追加しました。
麻生区文化協会の文化祭(10/31)

11月 2日月曜日: TV番組ふたつ

ラッコの着ぐるみ。
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詳しくはYusuke氏の方で…
http://www.bcphotoshare.com/photos…
撮影風景は……
http://lince.jp/hito/nhk…
…以上は、どうということのないはなしですが。

こちらの方は、遅ればせながら……
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ちょっとご報告です。
「生きる×2」、副題「琉球金細工・最後の職人」。
http://www.tv-asahi.co.jp/ikiru2…

井上真喜ちゃんが仕掛けたミステリー
http://lince.jp/hito/tintao…
又吉健次郎さんがこの番組で最後に語った言葉は……
「先を見通すには昔を知らなければならない」
……でありました。
関係あるんだかないんだか…
http://lince.jp/mugon/kako2000…

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M.A.P.after5というブログでは、政治的なことは極力書くことはしないと決めています。特に沖縄に関する時事ネタは語るまいと。
http://lince.jp/hito/jiken…

しかし、民主党が政権を取ったばかりのこの時期、もしかすると沖縄の現状を変えることができるのは今しかないかもしれない、今のこの時を逃したら、また数十年変わらないかもしれない、そんな気がしてきました。岐路は、すぐそこにあるのかもしれない。

だから、今日は少しだけ、自らの戒めを破ります。

来たる11月8日(来週の日曜日)、沖縄で「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」が開かれます。それに呼応して、東京でも集会等が開かれるでしょう。

反対声明に賛同するのかしないのか、賛同するとして、辺野古その他の沖縄に新しく基地が建設されなければ普天間が返還されなくてもいいのか、県外移設ならばそれでいいのか、あるいは、あくまでも代替なしの普天間基地返還を求めるのか。ここで私達は、何かの立場を表明することはいたしません。ただ、どうか考えていただきたいと思うのです。考えずに、選択の機会を逃すべきではない。

今まで通り、沖縄の人たちが基地から利益を得られるようにする、つまり変えないということもひとつの選択でしょう。でも、今まで変わらなかったのは、選択した結果なのではありません。選択の余地などなかった。しかし、それができるかもしれないのが今だと思うのです。

誰が選択するのか、それを聞かれれば答えに窮します。しかし、日本人の一人ひとりが考える以外に、きっと出口はありません。

その考える材料として「狙われた海」というTV番組がyouTubeにアップされているので、どうかご覧頂きたいと思うのです。(琉球朝日放送が制作し、ひと月ほど前に全国で放送されました。)もしかすると、youTubeにアップされていることが著作権に問題があるのかもしれませんが、今、この時に見てもらうことこそ、きっと制作者の希望であることを信じ、あえてリンクを貼りました。およそ8分の動画3本です。これ以上は申し上げませんが、ただひとつだけ……
辺野古は普天間の単なる代替地ではなかったのです。

※「狙われた海~沖縄・大浦湾 幻の軍港計画50年(1)~(3)は著作権侵害に関する通報により削除されました。通報したのは制作した関係者なのでしょうか。あるいは、著作権侵害が許せない正義の人か、はたまた別の立場の人が別の理由で……。
第一義に考えるべき重要なこととは、いったい何なのか。考えています。(2011/8/19)

(文責:高山正樹)

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高山正樹 Masaki Takayama
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