予定通り、今日も仕事です。

すると事務所にFAXが届きました。本日30日の、沖縄タイムス一面のコピーです。

沖縄タイムスの一面には、「大弦小弦」というコラムがあります。朝日新聞でいえば「天声人語」のようなコラム。
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そのコラムには、今月22日に行われた“宇夫方隆士「幻影」出版記念朗読会”のことが書かれていました。
「部屋の中央に階段があるカフェだった」
もちろんこれは“Bar土”のこと。
朗読会で、宇夫方隆士氏は自作の詩の他に宮沢賢治の詩をいくつか読んだのですが、そのことについて書かれてありました。

「その階段を使って宮沢賢治の『雨ニモマケズ』を盛岡弁で披露した。土地の厳しい風土を彷彿させる実に味のある読み方であった。そのなかで興味深いことがあった。詩の最後から5行目に『ヒデリノトキハナミダヲナガシ』とあるが、実はヒデリではなくヒドリではないかというのだ」

その日、宇夫方隆士氏はこんな話をしたのです。
宮澤賢治は花巻弁しか話すことのできない人だったらしい。「雨ニモマケズ」が書かれていた有名な黒い手帳、そこには明らかに「ヒドリ」と書かれてある。盛岡弁で「ひとり」は「ひどり」と発音する。賢治は声に出した音を、そのまま書き残したのではないか。
そしてこの日、隆士さんはこの箇所を「ひどり」と読んだのです。

コラムは、その解説と朗読について「実に説得力があり心にすっと落ち込んできた」と延べます。続けて「世界が激動し、日本が転換点に立つなかで聞く賢治の詩には、大いに考えさせるものがある。争いごとを嫌いつつましく暮らす理想郷を求めた賢治に思いをはせた」と。

日本がどのように転換していくのか、今それは、沖縄の普天間をどうするのか、それにも大きく関わっているはずです。賢治が願った「世界人類全ての幸せ」は遥か遠い。

そしてコラムは次のように結ばれていました。
「人事異動で他局へ移ることになった。10年間543回にわたって書いてきたこのコラムともお別れだ。話題になることを提供できたか心許ないが、長い間の愛読に感謝したい。よいお年を。(真久田巧)」

そうなのです。このコラムを書いたのは、M.A.P.が大変お世話になった沖縄タイムスの文芸部長の真久田巧でした。その最後のコラムで、宇夫方隆士氏のことを取り上げてくださったことに、深く深く感謝する次第です。真久田さん。ありがとうございました。
さてと……。
森山さんから預ってきた試作品の石鹸を、段ボールの箱から出して並べます。これも誰かがやらなければならない仕事です。
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こうしておかないとダメなんですって。

今日、事務所で作業をしてくれたTさんとYさんに、いくつか持って帰っていただきました。一ヶ月ぐらい熟成させてから使ってくださいね。
来年も、よろしくです。
さあ、もう、僕らも帰ろう……
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