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3月 4日木曜日: 琉球舞踊教室と沖縄そば

厚木の教室に来ている山田さんと安藤さんは沖縄出身のご姉妹です。お二方ともこちらへお嫁に来ました。先日、お母様のトゥシビーのお祝いがあって、沖縄に行ってこられました。そして今日、その時の引き出物のお菓子をわけてくださいました。
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トゥシビーとは今年の干支の人のお祝いです。今年のトゥシビーは旧暦の1月8日(新暦2月21日)でした。
 ⇒トゥシビーについての記事を読む
お祝いのお菓子をいただいて、「あやかって」ということですね。
「あやかーり」
「あやかーゆん」

あやかってね、あやかりますって感じでしょうか。

この3月から、厚木教室が第1第3木曜日、終わるのが午後5時。狛江の教室が毎週木曜日の午後7時からなので、なかなか忙しいのです。
稽古が終って、みんなで中む食堂に沖縄そばを食べに行くことにしました。
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でも、稽古が終わってからは、たーみー(金城さん)はダイエット中なので沖縄そばのような重いものは食べません。ゴーヤーのおひたしでお付き合い。
それにしても量が多くて、りえちゃんとすゞ子さんは食べきれませんでした。

例の、極辛石垣仁ラー油のラベルです。
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石垣君の手作りと聞いて、みんな「売ったらいいのに~」
そしたら石垣君、「売ったらまずいでしょう~」
確かに!
(宇夫方路)


朝一、桜井篤史の寝首を襲って……
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昔の写真を持ち出すという桜井篤史の反則技で、親父の過去が曝露されたりして……
ここに長居すると碌なことがなさそうなので……
早々と懐かしき円町へと向かう。

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この川の上の方には西陣があって、染めたばかりの布を川の水で洗っていたから、当時、この川はいつも青や赤に染まって不気味であった。
しかし、西陣織もすっかり様変わりしたらしい。

自動機織機の導入。生産地の移動。品質の低下。それらが西陣織の衰退を招いたのか、あるいはなんとか衰退を止めようとした苦肉の策であったのか。「本当の西陣織とは」、それを恐れずに問うた時、西陣織は「正しく」復活するのかもしれない。しかし、そうなればきっと、一握りの名工たちが「先生」となり、「匠」の作品は芸術となって高値で売られるが、一方、多くの人たちが生活の糧を失うことになる、それが望ましいことなのかどうか。
こんなサイトを見つけた。
 ⇒http://www.macnet.or.jp/pa/yasuto/genzyou…
そして、ふと沖縄のmoso'sのことを思い出した。

娘が行きたいというから、40年前に住んでいた場所を訪れたのだ。
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(青いのだーれ?)
昔の面影など何一つ残っていなかった。あんまり普通すぎて、何の感慨も起こらない。

通っていた小学校まで歩いてみた。こんなに近かったっけ。
校庭側の裏門から。
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元々こんな裏門は無かった。今立っているこの場所は蒸気機関車の通る線路であったはず。今はそれが高架になって、その下に新しい道が通ったということらしい。
そういえば小学校では、組の名を、「い」「ろ」「は」といったっけ。三年い組。四年ろ組。今でもそうなのかな。

御前丸太町の交差点。
記憶の片隅に残っている一つの思い出。母親に連れられて初めて京都に来た日のこと。京都駅から路面電車に乗ってこの御前丸太町で降り、ちょうど昼時なので蕎麦屋に入った。そこで食べたきつねうどんの味が、忘れ得ぬ記憶となって残った。おいしいまずいではなく、それは今まで知らなかった世界の味だったのだ。
その店が、たぶんここなのではなかったか。この日、貸し店舗の張り紙がしてあった。
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40年前の蕎麦屋が、最近まで残っていたことに、変化の遅いいつまでも変わらぬ京都を見るのか、40年続いた蕎麦屋が無くなってしまうことに、時の流れを感じるのか。
(老いた母親は憶えていないという。もしかすると記憶違いなのかもしれないが。)

京都に革新的な文化が生まれ易いのは、元来京都人気質が新しもの好きである所為なのだ。だがそれは、どんなに新しい文化が現れても、決して太刀打ちできない京都の伝統があるという余裕のなせる業なのかもしれない。

西陣織は元々平安後期の新しい人気ブランドだったが、以後一度すっかり衰退した歴史も持つ。現在の技法を取り入れたのはそれからずっと後、安土桃山の時代である。
仮に西陣織がすっかり消滅したとしても、もしかすると京都の人は、平然とこう言うのかもしれない。
「結局、西陣はんは、京の町とは合わへんかったのと違いますやろか」
京都は、500年かけて文化の価値を見極める、ありそうな話である。
そうだとすると、やはり、京都は恐るべしなのである。

3月 4日木曜日: サンシンの日

この記事は、3月4日の午前0:30に自動的にアップするように設定しました。
さて、どうでしょう。アップされたかなあ。
今僕は、京都にいます。きっと。たぶん。

3月4日、サンシンの日
1993年、琉球放送が3月4日をサンシンの日にしようと提唱。以来、この日は沖縄県内各地で三線の演奏会が行われる。

明日の夜は沖縄語を話す会です。それまでには東京に戻ります。たぶん……


高山正樹 Masaki Takayama
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