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「後日執筆する。少々お待ちを」……と書いたきり、御報告したいことはなかなかブログで簡単に書けるようなことではなく、ずいぶんと間が空いてしまった。

実はこの記事、9月21日に書いている。もうこれ以上引っ張るワケにもいかず、ボチボチここらでツラツラと書いてみようか。

藤木勇人さんは「うちなー噺家」と名乗っている。立川志の輔さんを師と仰ぐ。談志御大にはなかなか受け入れてはもらえないらしいが、志の輔さんからは「オレの弟子だと名乗っていい」とお墨付きを貰ったらしい。
実は、藤木勇人さんがこの世界で生きていこうと思ったきっかけは、沖縄の高校在学中に観た劇団創造の“人類館”だったという。
藤木さんは“人類館”の作者である知念正真さんのことを深く敬愛している。しかしその敬愛の仕方はそう単純ではない。
僕が知念さんについて、「おっかない顔してるけど、話すととってもシャイで優しくて、普通の人ですよねえ」と言うと、藤木さんは次のように答えた。
「一番ダメな人間が一番すばらしいということを教えてくれたのが知念さんです。僕の最も好きな人」と。
この日伺ったふたりの交流のエピソードは、とても興味深いが、残念ながらブログでは書けないことばかりで困る。

藤木さんは“人類館”を一人芝居でやりたいと考えていた。ところが津嘉山正種さんが先に演ってしまったものだから、自分はもうやらんでもいいかなと思われている。驚いたことは、人類館の再演には決してあまりいい顔をしない知念さんだが、藤木さんには「お前、やらないか」とおっしゃったというのである。知念さんの藤木さんに対する信頼、それはなんなのだろう。

知念正真が書いた「人類館」は、結果的に大きな罪を犯してしまったと藤木勇人はいう。戯曲「人類館」が、それ以後の大和と沖縄の対立構造を作ってしまったのだというのだ。それについては異論もあろうが、しかし「知念正真の“人類館”考」としては実におもしろい。知念さんから聞いた「人類館」の創作意図、「自分にとって沖縄の日本復帰とはなんだったのか、それを整理したかっただけなのだ」という知念さんの思いとも符合する。しかし、そんな知念正真の私的な想念であったものが、伝説的な初演の幕が下りたその時から「社会的な事件」となってしまった。以来、戯曲“人類館”は、知念正真の手から離れていった。そして調教師という登場人物は(実は大和の兵隊は沖縄出身者であったのだが)、沖縄を差別する極悪非道の人物として固定化されることになったのである。

しかし“人類館”に登場する調教師が悪いのではない、本来、人間に悪者などいないのだ、そう藤木勇人さんは語った。
「だから、落語が好きなんです。落語には、ダメだけれど悪い人間はひとりも出てこない。登場するのはみんな愛すべき普通の人たちです。そんな芝居がしたいんです。」

僕は、藤木勇人さんが演じる人類館が観たいと思った。そしてその舞台を客席から観て、心から笑う知念正真さんの顔を見てみたいと思ったのである。

もうひとつ、前の記事で語り足りなかったことを書いておこうと思う。

ウチナーグチについて。

藤木さんと話していて、藤木さんはウチナーグチを相当勉強されたことがあるのだと確信した。最近、ウチナーグチを復活させようと沖縄ではだんだんと盛り上がってきているが、しかしそれがそんなに簡単なことではないということを、藤木さんは深く理解されていると思ったのである。

一口にウチナーグチといっても、地域地域によって大きく違う。ウチナーグチを残すというと、たいがい首里言葉の権威がちらつき始める。しかし、首里言葉を「正しく」復活させることは、同時に各地域の言葉を殺すことにもなるという現実。
そう藤木さんが言ったわけではないが、僕はそう理解した。
藤木さんに奄美の血が流れているということもあるのかも知れないと、僕は勝手に思っていた。

M.A.P.の沖縄語を話す会は、この藤木さんのような思いを、決して忘れないということを第一義にしなければならない。あらためてそれを確認しなければいけないと、僕は襟を正したのである。

この日、テレビマンユニオンの田中さんという方が、藤木さんの「落語」を絶賛していた。どういうふうに絶賛したか、残念ながらそれもブログでは書けないこと。
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テレビマンユニオンといえば超有名な制作会社だが、予算が大きく減らされて、テレビ業界は大変らしい。

シーサー玉城さんちゃんと一緒に記念撮影。
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シーサー顔みっつだってさ。

次の記事へ続く……

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ぼちぼち時間だ。今から出れば余裕、開場前には劇場に着くだろう。
喜多見で電車を待っていたが、いっこうに電車が来ない。しばらくして止まっているというアナウンス。運転開始のメドも立っていないという。なんでもっと早く知らせないんだ。事務所まで走って戻って、車で中野まで行くことにした。

車をコインパーキングに止め、10分ほど歩いて住宅街の中にある劇場へ。20分の遅刻。
藤木勇人の「南島妄想見聞録Vol.22」
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NHKの朝の連続小説なんて、真剣に見たことなどない。でも、毎朝カミサンは時計替わりにテレビをつけていたから、あの「ちゅらさん」で民宿のオヤジ役をやっていた沖縄のタレント「藤木勇人」という名前には聞き覚えがあった。その名前をはっきり認識したのは、儀間進さんに、ウチナーグチのコラムを読むために、どなたから指導を受けたらよいかをご相談していた時だった。
 ⇒http://lince.jp/hito/okinawamap/zatudan…
でも、その時書いた記事には、「藤木勇人」の名前は書かなかった。つまり、ウチナーグチの指導者として、藤木勇人さんは儀間進先生のお眼鏡に適ってはいなかったのである。

後になって、「ちゅらさん」の「方言指導」を藤木勇人氏が担当していたということを知った。あの番組で使われる「方言」は、決してウチナーグチではなく、ほとんどがいわゆるウチナーヤマトグチであったが、聞くとはなしに耳に入ってくる堺正章や田中好子の台詞に、僕でさえ違和感を覚えた。カミサンの実家でも、みんな変だといっていたし、あれは「ちゅらさん語」だと眉をしかめるウチナーンチュも多いと聞いた。
藤木勇人は沖縄では知名度が高いから、彼の発信する間違った情報が、ウチナーグチを乱しているというような話も、しばしば聞いたことがあった。

それについて、僕に判断する能力があろうはずも無い。だから、僕は基本的に意見なしであった。しかし、3月14日の沖縄かりゆし寄席の記事を読み返してみると、沖縄の、どちらかといえばお年を召した方々の「正しく厳格な見解」に、僕は多分に影響されていたようである。

確かに、3月14日のかりゆし寄席の時の藤木勇人氏は、他の芸人たちの中に埋没した感じで存在感が薄かった。しかし今日、あらためてじっくり落ち着いて「藤木勇人」を体験して、彼の芸は、あの刺激の強いドタバタ芸と並べて観るものではないと実感したのである。
今日の藤木勇人は実におもしろかった。かりゆし寄席の若手の芸がつまらなかったというのではない。それはそれで大いに笑ったのだが、今となって何がどうおもしろかったのかと聞かれると、もはや大方が忘却の彼方なのである。しかし今日の藤木勇人の舞台は、きっと僕の記憶にずっと残るに違いない、そう思っている。

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(かりゆし寄席では漫才を披露していたシーサー玉城さんがお手伝いをしていた。宇夫方女史に右側の桟に隠れた青い服の女性。)

打ち上げに誘われた。いつもなら辞退するのだが、今日の舞台が気に入ったので、車で来ていて飲めないにもかかわらず、ずうずうしくお邪魔することにした。打ち上げの場所の案内の紙を頂いて、トボトボと歩き出す。

その途中にあった沖縄居酒屋“にぬふぁ屋”。打ち上げ会場は駅のそばの大手居酒屋チェーン店で、残念ながらここではない。
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大城洋子さんがそのお店のご亭主と挨拶を交わしていた。どうやらお知り合いらしい。と、宇夫方路が「このお店知ってる」と言い出した。宮城文子さんに連れられて来たことがあるという。ここのご亭主と文子さんはお友達。なんという狭いネットワークなのだろう。この大東京には、「沖縄人」の、小さくて、そして極めて強固なコミュニティーが存在しているのだ。
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宇夫方路は、今やその輪の中にすっかり溶け込んでいるように見える。が、きっと、それは上辺だけのことなのだろう。宇夫方女史も、まだまだ「沖縄のお客様」に過ぎないのだ。

打ち上げの店に到着。

このふたりも一緒に行った。
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筋金入りの重度沖縄病患者の川岸さん(左)とお友達の岡田由記子さん。岡田さんは女優さん。鳥獣戯画出身。今は退団して一人芝居をやっている。
(※川岸さんは今までもM.A.P.after5にちょこちょこ登場しています。喜多見で沖縄語を話す会の仲間です。)
みんなぐるっと一通り自己紹介をした。川岸さんは「私の沖縄病は一生完治の見込みはありません」とスピーチして受けていた。
お友達の岡田さんの番、「私は沖縄のこと、なーんにも知りません」!
そんな彼女は、シーサー玉城とすっかり意気投合した。沖縄を全く意識しないヤマトゥとベタベタのウチナーンチュとはとても気が合う、そういうパターンはよくある話。ウチナーンチュにとって一番厄介なのは、小生高山正樹のようなタイプである、って、ほっといてちょうだい……

さて、ここまでは軽いプロローグ。コアな話はこれからなのだが、あんまり長くなりそうなので、別途、次の記事にて。

次の記事へ続く……

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7月10日土曜日: 7月10日は指笛の日

7月10日、指笛の日
『沖縄大百科事典』で「指笛」を引くと……
「指を使って笛のように鳴らすこと」※指は10本だから10日らしい。
「フィフィともいう」
「人差指や小指を鍵型に曲げて口中に含み、舌にあてて吹き鳴らす」
※この時の指の形は7の字に似ているので7月らしい。
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「綱引きやハーリー、祝いの最後に踊られるカチャーシーには欠かせない効果音であり、火事やケンカなど異変のときに人を呼び集める合図ともなった」
※ハーリーが夏の行事なので10月7日ではなく7月10日になったらしいが、那覇の大綱挽は10月なのに、と高山正樹は思ったのだった。
『沖縄大百科事典』の「指笛」の項を執筆したのは船越義彰氏である。


高山正樹 Masaki Takayama
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