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去年の11月以来の“うりずん”です。今日も亘さんと一緒です。デジカメでたくさん画像を撮ったのですが、無くなりました。しつこいですが……
 ⇒どうして画像が無いのか
どういう画像を撮影したのかというと、うりずんの“どぅる天”とか、泡盛のボトルとか、亘先生が三線を弾いて歌っているところとか、壁に貼られている亘先生の博士号の免状とか(自宅じゃなくてうりずんにってのが亘さんらしい)、宇夫方路さんが亘先生の奏でる唄三線に乗って“ちじゅやー(浜千鳥)”を踊っているところとか、他のお客さんたちの笑顔とか……
ぜーんぶなくなっちゃいました。

東京に戻って間もなく、東村山にお住まいの子安さんという方から葉書が届きました。
「先日、うりずんでご一緒させて頂いた子安です」という書き出し。そうか、この日うりずんで一緒に飲んだご夫妻だ。

「路さんの琉球舞踊、とても素敵でした。うっとりしました。うりずんに居た、あの時間だけが、何だか別の場所に居たような、不思議でキラキラした時間でした」

読んだら、なんだか目頭が熱くなりました。どうしてだろう。子安さん、ありがとうございました。

そうだ!確かあの時、店の人に頼んで、子安さんのカメラでみんなで記念撮影したっけ。もしかしたら、子安さんにお願いすれば、その画像を送っていただけるかもしれない!

というわけで送っていただいた画像がこれです。
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左のおふたりが子安さんご夫妻です。高山正樹の右の方も、この日一緒に飲んだお客さん。そのお隣が亘先生がうりずんで飲んでいれば飛んでくる前城さんで、さらにその隣の宇夫方路の頭の上に写っているのが、亘さんの博士過程終了の免状です。

これでなんとか記事が書けました。子安さんに感謝です。子安さん、いつかまたどこかでお会いできる日を楽しみにしています。その日まで、お元気で……。

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宮城さんの工房“PEANUT'S”に伺いました。しかし、画像がない。ここが一番の問題なのです。せっかく撮影したでっかいシーサーの画像がないのです。
 ⇒どうして画像が無いのか
去年の暮れの時点で、でっかいシーサーをM.A.P.が扱う沖縄関連グッズの目玉商品にしようと考えていたのに、そしてようやくGOするために画像を撮影してきたのに、なんたることでしょう。その画像がないのです。沖縄の遠さが恨めしい。
※実はこの記事、10月15日に書いています。どうやって売り出そうか、ずっと考えていたのです。色々な意味で担当者がネック。しかし、いよいよ断固何とかしなければいけません!

でっかいシーサーの画像ゲットは思わぬことで失敗でしたが、他にもうひとつ、宮城さんにお願いしていたことがありました。それはハンサム・マーキーさんが主宰する“S1グランプリ”の優勝トロフィーの制作。
 ※“S1グランプリ”については、あらためてご案内することになると思います。
宮城さんはそのためにふたつの焼き物を準備してくださっていました。
 ※以下の画像は受け取ってきたものを東京に戻ってから撮影したものです。
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低予算でご無理をお願いしてしまいました。なのに2種類も。
「どちらでも。問題があれば言ってください」
「いえいえ、どちらも捨てがたいので、両方とも預らせてください」
工房の入り口nおところに、島トウガラシの木があって、黄色や赤に色づいた実がたくさんついていました。これもしっかりカメラで撮影してきたのに、残念です。
 ※貰って帰ってきたトウガラシ。ちょっと皺くちゃになってしまったけれど。
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今日はありがとうございました。なかなか思うようにはいかなくて申し訳ないのですが、色々作戦を立ててやっていきたいと思っています。
次回沖縄に来る時は、また必ず伺いますね。

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(この記事、実は10月の14日に書いたのです。)

玉那覇ウシ商店と対馬丸記念館はすぐ近くです。対馬丸記念館に行くのが本日の一番目の公式作業。でも画像はありません。
 ⇒どうして画像が無いのかを書いた明日の記事を読む
でも、もともと画像は写しませんでした。あまりその気にならなかったのです。
ちょっと残念なご報告をしなければなりません。
事務局長の瑞慶覧さんが突然お辞めになりました。お父様の具合が悪くなって、その介護をなさるというのが理由だと伺いました。ふっと、宮城文子さんのことを思い出しました。文子さんは義母の宮城巳知子さんが少し弱られたからという理由で、長年続けてきた仕事も辞めて東京から沖縄に行ったのです。仕事よりも家族、そんな沖縄の心みたいなものを感じます。

実は、ここ対馬丸記念館で、あるイベントが実現間近だったのです。それをすべて仕切ってくださっていたのが瑞慶覧さんでした。残念ながら、それが白紙に戻ってしまいました。瑞慶覧さんに任せっきりにしていたのが……、というような瑞慶覧さんの上司の方のお話でした。本当の理由はわかりません。例の事業仕分けも大きく影響しているのかもしれません。いいたいことは山ほどあるのですが(実際、この日全部申し上げてしまったのですが)、ここでご報告することは控えます。
仕切り直しをすれば実現できるのかもしれません。その糸口をちゃんと作っておくのが今日の仕事、無理に拝んだり、ごり押ししてやるものではありません。まずは気持ちよく何かを共有できるかどうか、その可能性の見極めることからやり直しです。

M.A.P.after5には“mystery”なるカテゴリがあって、その中に“消えたmystery”というサブカテゴリがあります。そこに加える記事がひとつ増えました。

瑞慶覧さん、きっとまたどこかでお会いできる日があることを願っています。

対馬丸記念館で、こんな本を買いました。
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(買ってきた本を後から撮影したのです。)
もう一度、きちんと勉強します。このツアーで、つい先日、プリティー千恵ちゃんから聞いた武州丸のこともあるしね。もしかすると、M.A.P.がやらなければならないのは、対馬丸ではなく武州丸なのかもしれません。

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※実はこの記事、8月の19日に書き始めたのですが……
今日(24日)と明日(25日)の画像がないのです。その原因は、デジカメをなくしたから。
 ⇒どうして無くしたのかを書いた明日の記事を読む
時系列が無茶苦茶でごめんなさい。。

まずはこの日、つまり今日、もうお昼。まずはソバを食べに行くことにしたのです。那覇の久米にある玉那覇ウシ商店へ。
しかし、さて、その画像がありません。どうしよう……

(……と思案しているうちに、10月になってしまいました。)
しょうがない、もうこうなったらなんとかしましょう。
まずはネットで玉那覇ウシ商店を検索して、よさげな画像のあるブログ記事へのリンクを貼っておくことにしました。
 ⇒http://blogs.yahoo.co.jp/kitamae_suba…

この玉那覇ウシ商店ですが、今はもう大阪に引っ越してされてしまった長島さんに教えてもらったお店。一日50食限定の手打ち麺で値段もすごく安い。女性ばかりのご家族でやっていらっしゃるようですが、これで生活していけるのかと心配になるくらいでした。
それ以来、沖縄へ来る度、時間があれば食べに来ました。個人的には、今まで食べた沖縄ソバの最高峰です。通常、沖縄ソバは油麺ですが、ココは生麺で、そのコシがすばらしいのです。

前回来た時、たまたま麺を練っているところに行き合わせました。そこで僕が「一日50食では大変でしょう」と、余計なことを口走ったのですが、「本当はもっと作りたいのだけれど、50食が限界だ」と、正直に答えてくださいました。

ところが、今日は少し違っていたのです。まず値段が上がっていました。「諸物価の値上がりにより」というような張り紙がしてありました。でもそんなことはどうでもいい。もっと高くてもいいのです。そうではなくて、楽しみにしていたコシが、残念ながらなかったのです。何が原因なのか、それはよく分かりません。生麺は扱いが難しいというハナシも聞くし。

次回、もう一度挑戦しよう。今度はきちんと「カタメで」とお願いしてみようっと。
今日のところは画像がなくてよかったのかも、です。

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《追伸》
去年の2月の長島さん
長島さんへ。
山猫合奏団を沖縄に呼ぶために、あんなに一生懸命手伝ってくださったのに、当時はなかなか実現困難で、やっと沖縄に来れたのに、そうしたら長島さんがそこにいないなんて、神様は何を考えているのでしょうか。本当に残念です。

いつの日か、長島さんの住んでいらっしゃるすぐそばで、山猫合奏団の公演が出来ることを切に願っています。その時は、是非ともご家族みなさんをご招待したいと思っています。
そんな日が、一日も早く訪れますように。
(10月4日記)


7月24日土曜日: やっとネット

やっとネットに繋がる那覇のホテル。
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でも、昨夜(というか今朝というか)部屋に戻ったのが午前3時過ぎ。起きて、まずメールをチェックしたりして、ようやくデジカメから画像をPCに取り込んだのですが、結局そこまで。只今お昼。もう出発の時間です。ああ、ちっともブログがアップできません。

と、たった今、先に東京に帰った准ちゃんから電話。沖縄ツアーのブログ、書いてるみたいです。東京はすっごく暑いらしい。きっと沖縄の方がいいかも。

そうか、こういう場合、Twitterが便利なのか……。
個人のつぶやきなんか興味ないけど、会社用Twitter、導入検討中。
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《2010年7月24日午前1時54分》
CHIKIから流れて、みんなで“ななしんや”にやってきました。
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當間みえさんはもうすっかり出来上がっていました。
だから、とってもいい調子でした。
ママに借りてキジムナーフェスタで使わせて貰った三線をお返ししました。
ママありがとうございました、でした。
恩納村で貰ったマンゴーをママにあげました。
「もらいものですが」でした。
ママに剥いてもらってみんなで食べました。
高山正樹が一切れ落としました。
とっても悲しそうな顔をしていました。
……と、後で西岡さんが言ってました。
そんな、ななしん屋でした。
[subcate.ななしん屋]

それから、やっぱりみんなで“土”に行きました。
ごうさんのお宅に泊めてもらったお礼を言うつもりでした。
でもごうさんはいませんでした。
せっかくだから一杯くらい飲んでいこうということになりました。
与儀勝之さんの「雨とヤリ」がありました。
おきなわおーでぃおぶっくの、津嘉山正種さんの“人類館”がありました。
久米明さんの“ノロエステ鉄道”もありました。
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でも、高山正樹の“カクテルパーティー”はありませんでした。
カウンターで、仲村清司氏が飲んでいました。
沖縄好きにはよく知られた作家でした。
西岡さんは仲村清司氏と顔見知りでした。
やっぱり沖縄は狭いのでした。
西岡さんはしばらく仲村清司氏の隣に座っていました。
仲村清司氏はバックにネコを連れていました。
西岡さんはそのネコをしばらく触っていました。
……と、後で西岡さんが言ってました。
西岡さんが戻ってきました。
高山正樹がみんなの写真を撮りました。
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そんな、“土”でした。
[subcate.沖縄Bar土]

午前2時51分。

もはや、記憶が断片的なのでした……

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高山正樹 Masaki Takayama
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