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東京奏楽舎の合わせはまだ続いていたが、僕は自転車で川崎市の久地小学校へ向かった。山猫合奏団の楠定憲氏が副社長を務める劇団あとむの学校公演で、准ちゃんが台詞を喋っているらしい。そいつをひやかしに行ったのである。

午後1時。久地小学校の体育館に到着。
準備中。
仕込み中
後ろの子供たちが見やすいようにと、長椅子まで持ち込んで仕込んでいた。

役者がスタッフを兼ねる、この学校廻りの業界では当たり前のことだが、本当はそれじゃあダメなのだと、僕はずっと思っていた。役者の仕事はいい芝居をすること。幕が上がって舞台に立つ前まで、演じるためだけに準備をする、大道具を組んだり照明を合わせたり、俳優がそんなことをしていていい芝居などできるわけがない。そういう当たり前のことが、薄利多売の(最近は薄利はそのままで多売が「少売」になっているらしいが)学校公演では通用しないのだ。そんなことを制作に進言したって相手にされない。下手すれば生意気な役者だと降ろされる。

代役で客人の白石准は、電子ピアノの調整に余念無し。
電子ピアノの調整をする白石准

子供たちが入場する際には、役者みんなで誘導までしていた。ここまでやるのかとちょっと驚いた。
「君たちのやるべきことは、本当は別にある」
そんな贅沢は言えないということも重々承知しながら、僕はやっぱりそう思っていた。

開演前、担当の先生の諸注意。
先生から開演前の注意
これもいるのかなあ、なんて。

ラストシーン
芝居のハナシ等々は、そのうち山猫合奏団のブログの方で書く。

4時過ぎに事務所に戻って、明日に迫った深川公演のために、奏楽舎関連でまだ書いていない記事を全てアップしようと思ったのだが、最後の“三笑亭夢丸独演会”の記事をひとつ書いたところで残り時間僅か、急いで午前中の東京奏楽舎の合わせのことだけ簡単に記事にして、急いで池袋に向かった。

東京芸術劇場大ホール。
エスカレーターの下で大島純氏に切符を貰い、大島君は楽屋口へ、僕はエスカレーターを昇る。
劇場入り口へのエスカレーター 東京ニューシティ管弦楽団定期演奏会のプログラム

「無声慟哭」。こちらも、そのうち山猫合奏団のブログに書く。

アップしなければならない奏楽舎関連の記事もあるが、それよりも明日の司会原稿にまだ全く手をつけていない。だから、後半のプーランクを半分まで聞いたところで席を立った。

幕が上がって舞台に立つ前まで、舞台の上でやるべきことのためだけに準備をする、 そんなこと言ったの、いったい誰だっけ?
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11月12日金曜日: “かがみ”最後の合わせ

“かがみ”
最後の合わせ。
鏡に映った東京奏楽舎

いよいよ明日。


11月12日金曜日: “土”に行った鈴木雄介

《11月11日~12日》
新城亘氏に置き去りにされた雄介氏は、パラダイス通りの“土”に行ったらしい。
“土”の棚 “土”の棚とオーナーのごうさん YEBISU
「ここは高山正樹が来る店ですか」
「そうですよ」
みたいな会話があったりして……
グラス越しのごうさん グラス越しの笑ったごうさん グラス越しの白黒のごうさん
こんなメニューを導入したらしい。
液晶画面のメニュー メニューのアップ
(※じゃなくて、これは楊夫人のお店のメニューでした。楊夫人というのは……)
そして、楊夫人と会ったらしい。
楊鈴君(yang)さん
楊夫人は久茂地のフラワービルにある楊香亭のオーナーさんらしい。
【Yusuke氏の世界配信その3】
 ⇒http://www.bcphotoshare.com/photos…
楊香亭の案内
こんな手書きのメニューもあったりして……
手書きのメニュー
それはこんな紙の裏に書かれてあったらしい。
4.25県民大会のビラ
そして、つけめんがスコブル美味かったらしい。
つけめん
午前2時頃、ごうさんと鈴木雄介氏は、こんなふうに、うちとけたらしい。
肩を組むごうさんと鈴木雄介
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高山正樹 Masaki Takayama
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