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You Go 麻生~ぼくらはみんないきている~
今回は第5回だと聞きました。継続は力、頑張ってるなあ、頭が下がります。
 ⇒第4回の時の記事

今年は去年のように案内を頂いたわけではないのですが、ちょっと気になることがあって、ノコノコと出かけて行ったのです。
ひとつは、山猫合奏団の楠定憲氏が出演するというので、楠さん、ちゃんとやっているかな、ということ。
楠定憲
そしてもうひとつ、プロの舞台人が、いわゆる市民の方々とどういうふうに一緒に舞台を作っているのか。
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前回見せてもらった時は、そうした苦労についてはすっかりひとごとでした。でも今年は違います。来年、川崎の市民劇に参加したり、狛江市の公民館で三線の発表をしたりと、以前の僕なら絶対にありえない挑戦をすることになって、その中で、アマチュアの方々とともに作る表現の場について、いろいろと考えるところがあって、それで今回はそのあたりをきちんと見たい思ったのです。しかし……

今年の舞台は、昨年と比べると、ずいぶんと洗練されていました。楠さんの参加も、舞台を厚くしていました。さすがプロというパフォーマンスで、山猫合奏団のプロデューサーとしてホッとしました。
舞台装置も照明も、昨年とは比べ物にならないくらいに凝っていました。
ただ、去年は障がいを持っている方々が数多く出演していらっしゃいましたが、今回は二人だけというのが残念でした。

確かに、去年はもっと学芸会のようでした。この催しを立ち上げた頃は、さらにバタバタだったと聞きました。でもそれだけに、とても時間のかかることを、コツコツ一生懸命やっているんだろうなあと感心していたのです。

もし、昨年と同じような方々の構成で、今年の舞台の出来だったとしたら、その「進化」に、僕は無条件に拍手喝采したことでしょう。しかし実際は、できる人たちが手馴れた技術を持ち寄って、それらを簡単な交通整理で融合ならぬ結合させて仕上げた舞台、そんな印象を受けてしまったのでした。
つまり、プロやそれに準じた人が多く参加するようになって、逆に障がいを持つ人たちが減って、結果的にそれで舞台が洗練されたということなのではないか。

もちろん、そうした人たちが進んで参加したいと思えるような催しにまで育てあげたということは大変なことで、それについては敬服します。もしかすると、それこそがYou-Go(融合)という目的だったのかもしれません。でもねえ……

川崎市民劇は来年4回目ですが、毎回毎回、前回よりも質の高いものをという周囲の期待と、それに答えなければという主催者側の意気込みが、市民劇の規模を大きくしてきたようです。
しかしその結果、プロの役者が増え、いわゆる一般の市民の方々の参加を難しくしている、つまり対外的な評価が高まる一方で、肝心なことを損なっているのではないか、そんなふうにも感じているのです。
もしかすると、“You Go 麻生”も、川崎市民劇と同じような状況になっていくのではないか、それが少し気にかかったのです。ドドはどう考えているのだろう。前回まで参加していて、今回参加をしなかった人たちは、いったいどんな存在なのだろう……

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もちろん、入場料は無料の公演。じゃないと、助成金を貰えないのかな。そのあたりの事情はよく分からないけれど。聞けば楠氏も装置を作ってくださった方もノーギャラらしい。楠さん、ノーギャラでの出演はダメだよってちょっと言いたくなりました。それはなぜでしょう。
また、今回の公演が成功したのは、斉藤隆介氏の物語に追うところも大きいのだと思います。切り絵作家の滝平二郎さんはもうずいぶん前にお亡くなりになりましたが、その娘さんを知っているだけに、ちゃんとそれらの関係の方々に連絡したのかなあ。

そんなふうに、去年はちっとも気にならなかったことが、今回は気になりました。
いろんなこと言ってゴメンナサイ。つまり、そのくらい質の高い舞台であったからこそ妙なことが気になった、ということにして、どうか許してください。

既に来年の日程が決まっているらしい。さて、今後どういう方向に向かって展開していくのか、もう少し見守ってみたいと思っています。

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※まもなく12月18日です……
《12月17日(金)27時30分》
市川海老蔵の私生活には全く興味はないが、海老蔵の芸は頗るいい。テレビのワイドショーなんかで流される印象と、役者で舞台に立っている姿が、これほど違う有名人を他に知らない。たった一度観ただけの観客を、まるでずっと歌舞伎ファンであったかのような気にさせる、そんな魅力のある芸なのだ。

これから僕が書くことは、極めていい加減な戯言なので、一切信じないで頂きたい。

ある人から聞いた話。海老蔵が負った怪我は、あのビートたけしより酷かった。ビートたけしは、外側から手術したので顔面に後遺症が残ってしまったが、今回の海老蔵は、顔をめくって内側から手術を施した。大変高度な技術で、その費用は8,000万円であったとか。誰がその治療費を負担したのかは知らないが、あの海老蔵の芸のためなら、そのくらいの金、松竹も簡単に出すだろう。海老蔵の芸は、それに見合う以上の客を呼ぶ。

今回の事件があって、例えば、海老蔵と裏社会との黒い関係が暴かれることになろうとも、そんなこととは全く無関係に海老蔵の芸に魅せられている人がたくさんいるに違いない。どうやら元暴走族側は、そこがちっとも分かっていない。彼らが出し惜しみしている情報に興味を持っているのは、舞台での海老蔵を観た事のないミーハーたちだけである。それほど海老蔵の芸は圧倒的なのである。

僕は、海老蔵の出演する歌舞伎のチケットが手に入ったら、万難を排して観にいく。しかし、諸事情で歌舞伎の招待券を入手するルートが無くなってしまったから、きっと歌舞伎とは再び縁遠くなりそうで残念だ。あは……。

しかし、なんでこんなに“有名”な舞台のチケットって高いのだろう。まったく儲からない無名の芝居をやっている連中には高嶺の花だ。芝居に志す若者たちが歌舞伎を観にいけないという状況。我々の山猫合奏団や東京奏楽舎の、一生懸命抑えた安いチケットだって、なかなか彼らには買ってもらえない。

途端に話が私的になるが、それなりに金を持っていそうな友達がこぞって僕の舞台を観に来てくれるのかというと、それもない。彼らは我々のチケットの何倍もするような“有名”な舞台の方なら観にいくのである。我々のやっているものは、2,800円の価値しかないんでしょとでも言いたげに。

話はすっかり変わるけれど、美味いものを食うにも金がかかる。我々が喜多見情報で紹介しているお店だって、お金のない若者が通える店ではない。
学生や若い役者のタマゴならそれも致し方ない。早く稼げるようになれってなもんだが、いい大人たちが、大手居酒屋チェーン店や、激安居酒屋の、合成調味料まみれのレトルトメニューで満足している姿は、なんとも悲しくなる。だからなのか、若い連中も、美味いものに頓着しなくなる。やがて、美味いものがどういうものか、それがわからないということも平気になる。それが役者なら、芝居の厚みを獲得するひとつのルートを失っているのだが、彼らにその自覚もない。

とはいえ、どこか遠い産地から札束の力で収奪した食材を、高い輸送費をかけて手元に届けさせ、いいところだけ使ってあとは捨ててしまうような阿呆な料理人の「高級作品」に、舌鼓を打って満足するような成功者が信頼できる舌を持っているなどというつもりも更々ないのだ。彼らは彼らで、大切な何かが見えなくなっている。

要するに、あちこちで断絶している、そんな気がしてならないのである。

だから今日は、「社長とは呼ばないで」との断絶を僕は埋めてみたのだ。時々企てる個人的なリハビリである。

いい加減な戯言はまだ続く。どうか読み飛ばしていただきたい。

海老蔵なんかどうでもいいのである。実は海老蔵より気になるのが、鬼塚ちひろである。「男がいないとダメ」みたいな女性、好きだなあ。それにしても何であんな男に引っかかるんだろうなあ。彼女が落ち込んでいる時に、あの男じゃなくて、僕がソバにいりゃあよかった。
てなことを言ってはみたが、僕は鬼塚ちひろがどういう人間なのか、どんな傾向の歌を歌っているのか、殆ど何も知らないのである。ただ、家のPCの中にあった「私とワルツを」という曲を聞いて、たいそう気に入ったというだけのこと。

鳥研を出たら、何故か最近話題になっている鬼塚ちひろにエールを送りたくなって、どうするのかというと、「私とワルツを」を歌ってみたくなって、“ぎま”に行くことにしたのだった。

しかし歌えるわけがないのである。なにしろ1、2度しかまともに聞いたことがないのだから。

よし、練習して、歌えるようになろうときめたのであった。久美ちゃん、しばらく待ってなさい。

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高山正樹 Masaki Takayama
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