1月18日火曜日: M.A.P.の沖縄サークル合同新年会
(後日追記予定記事)
《1月18日(火)》
M.A.P.沖縄サークル合同忘年会に続き……
本日はM.A.P.の沖縄サークル合同新年会です。

“琉球舞踊教室”と“ゆんたくの会”と“はいさい三線教室”それぞれの専用ブログにも記事がアップされています。
⇒“M.A.P.琉球舞踊教室”のこの日のブログ
⇒“ゆんたくの会(喜多見で沖縄語を話す会)”のこの日のブログ
⇒“はいさい狛江三線教室”のこの日のブログ
それらのブログには掲載しなかった画像を使って……
恒例です。金城さんの足テビチ、レタス付き。

宇夫方隆士さんが作ってくれた煮物。

すごく薄味。
サラダも隆士さんが準備してくれました。

主催者席?

参加された面々……



上地さんが面白いものを持ってきてくれました。
まずはこれ。名護親方、程順則(ていじゅんそく)のいろは歌。

沖縄語のブログで宇夫方女史がすごく珍しいもののように紹介していますが、実は沖縄では結構ポピュラーなんです。面白いのは、それを巻物にしたものが上地さんのおじさんの家の蔵から出てきて、それがボロボロだったので、おじさんがわざわざ書き写して、さらにそれをタオルにしてお知り合いに配ったということ。
程順則については、あらためて後日追記します。
むしろ貴重なのはこれ。
「劇聖・玉城朝薫」

⇒玉城朝薫についての記事

沖縄「本土復帰」の3年前の発行ですね。
この本については、上地さんからお借りして、しっかり読んでからいずれあらためてご紹介したいと思います。
ともかく、上地さんが持ってきた「お土産」で、みんななんだかんだと盛り上がったのでした。

お待ちかね、演芸大会です。
豪華3先生揃い踏み。

M.A.P.沖縄サークル合同忘年会に続き……
本日はM.A.P.の沖縄サークル合同新年会です。

“琉球舞踊教室”と“ゆんたくの会”と“はいさい三線教室”それぞれの専用ブログにも記事がアップされています。
⇒“M.A.P.琉球舞踊教室”のこの日のブログ
⇒“ゆんたくの会(喜多見で沖縄語を話す会)”のこの日のブログ
⇒“はいさい狛江三線教室”のこの日のブログ
それらのブログには掲載しなかった画像を使って……
恒例です。金城さんの足テビチ、レタス付き。
宇夫方隆士さんが作ってくれた煮物。
すごく薄味。
サラダも隆士さんが準備してくれました。

主催者席?

参加された面々……





上地さんが面白いものを持ってきてくれました。
まずはこれ。名護親方、程順則(ていじゅんそく)のいろは歌。

沖縄語のブログで宇夫方女史がすごく珍しいもののように紹介していますが、実は沖縄では結構ポピュラーなんです。面白いのは、それを巻物にしたものが上地さんのおじさんの家の蔵から出てきて、それがボロボロだったので、おじさんがわざわざ書き写して、さらにそれをタオルにしてお知り合いに配ったということ。
程順則については、あらためて後日追記します。
むしろ貴重なのはこれ。
「劇聖・玉城朝薫」
⇒玉城朝薫についての記事
沖縄「本土復帰」の3年前の発行ですね。
この本については、上地さんからお借りして、しっかり読んでからいずれあらためてご紹介したいと思います。
ともかく、上地さんが持ってきた「お土産」で、みんななんだかんだと盛り上がったのでした。

お待ちかね、演芸大会です。
豪華3先生揃い踏み。

踊る先生……

……見る生徒。

……見る生徒。

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1月18日火曜日: 多摩の横山の北東の端
今日は世田谷通り(津久井道)の多摩川の橋から、富士山がよく見える。

1月9日には霞んでいた「多摩の横山」も見渡せる。
桝形城址はこの画像の左、津久井道の反対側にある。

その右。

さらに右、中央あたりによみうりランド。

ここから見通せる「多摩の横山」はこのあたりまでだ。

遠い山並みではなく、その手前に見える森のような丘陵がきっと「多摩の横山」だ。しかしこれは「多摩の横山」のごく一部。画像奥(南)の港北ニュータウン、右(西)方向の多摩ニュータウンから八王子ニュータウンまでも、かつては「多摩の横山」だったらしい。つまり「多摩の横山」の大部分が、開発の波に晒された。
我が家も、ふじたあさや先生のお宅も、スッポリと「多摩の横山」の範囲の中だ。あさやさんの家の裏手には涼しげな木々が生い茂っていたが、数年前に宅地開発があって、以前とは様変わり、夏の温度がずいぶん上がったのではなかろうか。我が家の近くからもだんだんと野原が消えていく。しかし、文句の言える立場ではない。自分だって自然を潰して開いた土地に、後から入ってきたのだ。同じ穴の狢である。狢が増えた分、山から狸がいなくなった。スタジオジブリの映画「平成狸合戦ぽんぽこ」は、ここの開発を題材にしているのだと、後から知った。
今日は仕事の後、M.A.P.沖縄関連サークルの合同新年会である。
三重生活。
1月9日には霞んでいた「多摩の横山」も見渡せる。
桝形城址はこの画像の左、津久井道の反対側にある。
その右。
さらに右、中央あたりによみうりランド。
ここから見通せる「多摩の横山」はこのあたりまでだ。
遠い山並みではなく、その手前に見える森のような丘陵がきっと「多摩の横山」だ。しかしこれは「多摩の横山」のごく一部。画像奥(南)の港北ニュータウン、右(西)方向の多摩ニュータウンから八王子ニュータウンまでも、かつては「多摩の横山」だったらしい。つまり「多摩の横山」の大部分が、開発の波に晒された。
我が家も、ふじたあさや先生のお宅も、スッポリと「多摩の横山」の範囲の中だ。あさやさんの家の裏手には涼しげな木々が生い茂っていたが、数年前に宅地開発があって、以前とは様変わり、夏の温度がずいぶん上がったのではなかろうか。我が家の近くからもだんだんと野原が消えていく。しかし、文句の言える立場ではない。自分だって自然を潰して開いた土地に、後から入ってきたのだ。同じ穴の狢である。狢が増えた分、山から狸がいなくなった。スタジオジブリの映画「平成狸合戦ぽんぽこ」は、ここの開発を題材にしているのだと、後から知った。
今日は仕事の後、M.A.P.沖縄関連サークルの合同新年会である。
三重生活。