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ちょっとブレイクを入れるつもりが、すっかり手間取ってしまった。

再び、市民劇の稽古場である。
正しくは「連母音」なのかもしれないが、演技の話しなら「二重母音」の方がしっくりくる。
「滑舌(あるいは活舌か)をよくする方法」なんてネットで検索すればいくらでも出てくる。そんなものに興味はない。

ふたつの単語の連結部に生じる重母音。
「参ろうと-思いまする」mairooto-omoimasuru
「そういう-うちに」sooiu-utini
「三郎殿と-奥方を」saburoodonoto-okugatawo
「御寺が-あると」mideraga-aruto


いくらでもある。数え上げればきりが無い。
たぶん二重母音のふたつ目を言い直すような感覚があればそれで十分なのだろう。だが今回の僕は、きっちりとブレイクを入れて語ってみている。それが正解なのかどうか、ちっとも分からない。

もう5年前のこと。
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藤田傳氏が文学座出身の若い俳優にダメを出していた。
「おんなじ母音が続く時は、必ず間にブレイク入れるんだよ。じゃないと何を言ってるのか分からない。今の文学座はそんなことも教えないのか。江守徹は完璧にやってるぞ」



あえて強い表現を使っていたのだろうと思う。しかし、そこまで言われても、彼は芝居に没頭すると、言われたことが出来なくなった。言われたことを意識すると、芝居が崩れた。傳氏は彼に何を伝えたかったのか。

ここのところ、沖縄語の音韻に拘っている。そうしていると、興味深いことがたくさん出てくる。古の大和の言葉の世界へつながる門が、そこにあるような気がする。だが、このカテゴリの記事では語らない。沖縄語関連の記事で書く。

読み合わせに耳を傾けている。
二重母音を意識して台詞を読んでいる人がいるのかいないのか。意識しなければ台詞にならないと言っているわけではない。意識すれば台詞になると言っているわけでもない。ただ、役者であるなら、一度くらいはとことん意識して言葉の音そのものに拘ってみるべきだろうと思うだけだ。この中のどれだけの人が、それに同意してくれるだろうか。そんなことを考えていた。

言葉の中に長い歴史を探すことをしなければ、時代を語る芝居などできるはずはい。かつらを被ったファミリードラマなら、演らなくてもよい。

母音と母音の間で休んでいたい。
何を言ってるのだ。ボインなんて死後だよ。
死後に息を吹き込む。
あーあ、ダメだこりゃ。
さあ、自転車乗って帰ろう。自宅まで25km。精子が減少する。

少し捻り過ぎたな。川っぷちを走って頭を冷やせ!
凍えそうだよ……

色んなことが交錯している。


《One Break》
昨年の3月21日以来、ほぼ10ヶ月ぶりに沖縄語音韻講座を再開します。いよいよ本編です。
まずはア行から。
同時に、声門破裂音のア行も説明しましょう。
沖縄語の「あ・い・う・え・お」には声門破裂音とそうではないのと2通りあるということは、10ヶ月前の記事で書きました。
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上段が声門破裂音をともなわない音で、下段の赤文字が声門破裂音です。[ʔ]は声門破裂音を表すIPA表記です。この[ʔ]の有無が「弁別的な機能を果たしている」ということが、沖縄語の特色なのだということも書きました。
まず、10ヶ月前の記事をお読みください。
 ⇒声門破裂音について【沖縄語音韻講座プロローグ(5)】
厳密に言うと、声門破裂音と区別するために、声門破裂音でない音には、その前に[’]を付けます。
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沖縄語50音表のア行は、この2行で確定です。

日本語にも、声門破裂音の「ʔあ」「ʔい」「ʔう」「ʔえ」「ʔお」と、そうではない「’あ」「’い」「’う」「’え」「’お」の両方の音が存在しているのだけれど、どちらを使っても言葉の意味が変わることはないので、意識して使い分けられることもなく、したがって表記は弁別性のない「あ」「い」「う」「え」「お」の一通りしかありません。従って、聞き分けることもしません。

しかし、沖縄語の場合は、声門破裂音かそうでないかによって、意味が変わってしまう単語があります。

「ʔうとぅ」:音、「’うとぅ」:夫
「ʔいん」:犬、「’いん」:縁
「ʔおーじ」:扇、「’おーじ」:王子
……etc.

これが「弁別的」ということであって、従って正しい沖縄語を習得するためには、どうしても声門破裂音を自由に使い分け、聞き分けられなければならない、というわけです。

この声門破裂音を具体的に理解するために、我々が無意識に発音している母音が、いったいどういう時に声門破裂音になり、またどういう時にならないのかを、実際に実験してみたいと思います。
まず、「あ」の一音だけ単独に発音してみてください。欠伸をしながらとか、息遣いの荒い状態であるようなことがなければ、その「あ」は、きっと声門破裂音です。「い」も「う」も「え」も「お」も、一音だけ発音すれば声門破裂音になるはずです。
次に「あいうえお」をひとつの単語であるかのように、「あいうえお」と、一気に続けて声に出してみてください。その場合、きっと最初の「あ」だけが声門破裂音で、後に続く「い」「う」「え」「お」は破裂しない音で発音されているはずです。
この実験でわかることは、日本人が普通に発音する場合、語頭の母音は自然に声門破裂音になり、語中の母音は声門破裂音にはならないということです。

沖縄語でも、単語の途中に声門破裂音が現れることはありません。ということは、声門破裂音の「弁別的」な問題は、単語の最初の一音だけに着目して、それが声門破裂音ではない場合だけを意識していればいい、なぜなら、それ以外は、日本語と同じだから、ということになりそうです。

そこで、新沖縄文字を考案した沖縄語を話す会の船津好明先生は、声門破裂を伴わない音の方にだけ、新しい文字をあてがいました。以下が新沖縄文字を使ったウチナーグチ50音表の、ア行の部分です。
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上段の赤文字が声門破裂音(ということにしておきましょう)。下段が声門破裂を伴わない母音です。
「あ」には、声門破裂音ではない新しい文字はありません。それは、声門破裂音ではない「あ」が語頭にくる単語が、沖縄語にも存在しないからです。
また声門破裂を伴わない「お」の音には、新字ではなく既存の「を」の字を船津先生は充てられました。
※しかし、「を」と表記しては[wo]と発音されてしまう惧れがあり、この船津先生の選択に、僕は疑問を持っています。それについては下記記事を是非お読みください。
 ⇒「うちなーぐち講座《2》の2」

さて、僕自身が学習者としてこの新沖縄文字を実際に使ってみて、このア行に関して、少し戸惑ったことがありました。それについて、補足説明が必要であるように思います。

繰り返しますが、声門破裂音は語頭にしか現れません。単語の中間で現れる母音は、すべて破裂しない音です。
しかし、新沖縄文字の表記法では、語頭に破裂しない母音が来た時だけ新文字を使うというのがルールです。それ以外はすべて、つまり語中の破裂しない母音に対しても、見慣れた通常の仮名文字を使って表わすのです。

実際には、「あ」にも声門破裂音とそうでない音が存在するのですが、しかし文字はひとつです。それは先に述べたように、単語の頭に声門破裂音ではない「あ」が来ることがないからなのです。

当初僕は、音と文字が1対1に対応していないことに、大変戸惑いました。しかし今は、それで新沖縄文字に不備があるとは思っていません。新沖縄文字は、日本の仮名文字に慣れた方々が、できるだけ負担なく沖縄語を学べるアイテムとして開発されたものですから、論理的整合性よりも現実的な使い易さを優先することは正しいし、それこそが他の言語学者の方々が考案した表記法と、新沖縄文字が一線を画しているところで、だからこそ沖縄で沖縄語を守ろうとする多くの人たちから歓迎され、採用され始めている理由なのでしょう。

しかし、にもかかわらず、あえて指摘させていただきたいことがあります。

再度、上の新沖縄文字の50音表を見てください。下段の赤文字は「声門破裂音ではない音」ですが、それに対して上段は「声門破裂音」なのかというとそうではなく、「弁別性のない表記」というのが正しい説明でしょう。「声門破裂音」であることを強調する必要はないという判断があるようです。なぜなら、通常日本語を使っている学習者は、特に意識しなくても、「声門破裂音」については正しく発音するであろうということが、暗黙のうちに期待され信じられているからだと思うのです。確かに、実験結果はそれを裏付けているようにも見えます。

しかし、果たしてほんとうにそうでしょうか。

「あなた」という単語を、単独に発音すれば、いわゆる「標準語」を使う日本人は、語頭の「」は自然と声門破裂音になります。しかし単語は、一連の文章の中で使われることの方が多いのです。
「わたしと、なた」
句読点「、」でワンブレイクを入れれば、「あなた」の「」は声門破裂音のママでしょう。
しかし……
「わたしとなた」
……と続けた時、「あなた」の「」は途端に声門破裂音ではなくなってしまいます。

単独で「とぅ」を発音すれば「ʔうとぅ(音)」になります。一方「’うとぅ」を単独で発音するのはなかなか難しい。かなり練習を要します。
しかし、文章になるとどうでしょうか。
例えば「うるさいとぅ」と言ってみましょう。声門破裂音は意識しなくても大丈夫だという期待が正しければ、「うるさいとぅ」は「うるさい音(ʔうとぅ)」になるはずです。しかし結果は逆です。続けて発音すると「’うとぅ」になります。「うるさい音」と言っているつもりが「うるさい夫」になってしまうのです。

つまり、文章の中間で使われる単語については、破裂しない音よりも、むしろ声門破裂音にこそ気をつけなければならないということなのです。

この問題にしばらく僕は困っていました。しかし、母音が頭にある単語が出てきたら、無条件にその単語の前にワンブレイクを入れて話せば、この問題はクリア出来るということに、最近気が付きました。そしてこれにはさらに想定外のうれしい発見があったのです。
母音から始まる単語の前にワンブレイクを入れ、破裂音を意識して発音すると、自然と単語の頭の母音が強調されます。それを母音から始まる単語の全てで行うと、沖縄のネイティブな人たちの雰囲気が出てくるのです。そのコツがわかれば、標準語の文章でも沖縄の人っぽく話すことができるようになります。これはいったいなぜなのでしょうか。

僕はこう考えました。
「沖縄語は声門破裂音かそうでないかによって意味の違う単語があるために(あったために)、声門破裂音をより強調して発音するという傾向が昔からある。たとえ標準語を喋っている時でも、沖縄の人の身体に染みこんだこの沖縄的発音の傾向はそのまま残っている。」
この発見に僕は最近益々確信を持ってきました。

今現在、新沖縄文字を使って沖縄語の勉強をしているのは、殆ど沖縄の人たちです。その人たちが、文章途中の声門破裂音に苦労しない理由も、ここにあるのではないかと思うのです。つまり、沖縄の人たちは、母音が頭にある単語が出てくると、無意識にわずかなブレイクを入れているのです。

しかしながら、それをするためには、文章の中でどこが単語の頭なのか、それが判断できなければなりません。しかし、沖縄語初心者にとっては、それがなかなかむずかしいのです。
従って僕は、単語の頭の母音については、声門破裂音にも専用文字を充てて欲しい、と思っているのです。そうなれば、新沖縄文字は、ますます沖縄語習得に便利なグッズになるでしょう。数少ないヤマトゥンチュのユーザーの意見ではありますが。

さて、船津先生は如何お考えでしょうか。



宇夫方女史が沖縄にいる頃、小生高山正樹は午前中人形町の主治医へ。2ヶ月前に貰った薬が切れた。正月のドサクサで、禁を破ってちょいと味の濃いものを食べたりしているうちに、健康ゲームも少し飽きてきた。そんなことを思いながら、事務所に戻って仕事をする。

このブログを読んでくださる方は、小生は酒ばかり飲んでいてちっとも仕事をしていないと思われているかもしれないが、そんなことはない。昨日だって税理士さんが来て、昨年、M.A.P.で働いてくれた60人くらいの源泉徴収表を作成し、山猫合奏団の合わせの開始時間ギリギリに間に合わせたのだ。僕の健康を害しているものがあるとすれば、酒よりも仕事だ、なんてね、嘘ばっかり。
酒をやめないのなら身体を動かすしかない。今夜は市民劇の稽古である。喜多見から鹿島田の稽古場まで自転車で行く。20km弱といったところかな。自転車に乗りすぎると、精子が減少するって知ってた?まあ、もうどうでもいいけれど。

稽古場に着く頃は、もう真っ暗である。多摩川の向こう岸の東京が、なんだか異様だ。
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厳密にいえば日本語には二重母音は存在しない。たまたま母音が続けて出てくるに過ぎない。例えば英語の[day]などは「二重母音」だが、それは言語学的には1音節である。日本語で母音がふたつ繋がる場合は、あくまで2音節なので連母音という。
連母音とは、「愛(あい:ai)」とか「上(うえ:ue)」とか、母音が2回続けて出てくる場合に限っていうのではない。「貝(かい:kai)」とか「杖(つえ:tue)」とか、言葉の途中に母音がくれば、必ずそこには連母音([ai][ue])が存在する。
ところで、「音節」と「モーラ」は違うらしい。

なんでまた唐突にこんな話を始めたのか。

M.A.P.after5は、複数の連載読み物の集合体である。市民劇の成り行きだけが御所望ならば、「川崎市」のカテゴリの中の「枡形城・落日の舞い」というサブカテゴリをピックアップして読んでいただければ事足りる。だがそうはいかないのがM.A.P.after5。こっちの連載とあっちの連載が、時に化学反応を起こし始める。
「連母音」についても、今回の市民劇の稽古のハナシをしたくて持ち出してきたことなのだが、間違ったことを書かないようにと調べていたら、沖縄語と関係するとても興味深いことがたくさん見えてきたのだ。それを語るために、唐突ではあるが、言語学的な導入が必要だった。

英語などの発音記号では、長母音は[a:]とか[i:]というふうに表記する。一方沖縄語の長母音は、例えば沖縄語辞典では[aa][ii]と表記している。しかしカナで書く時は、「ゴオヤア」とは書かず「ゴーヤー」とするのが一般的である。
 ⇒関連記事「うちなぁ」か「うちなー」か(比嘉光龍さんからの回答)
それはいったい何故なのか。音節とモーラの微妙な違いと、なにか関連があるのではないか。

また、日本語の連母音と沖縄語の長母音の関係には法則性がある。いくつか例を挙げれば、日本語の連母音[ai]は沖縄語では[e:(ee)]となり、[au]は[o:(oo)]、[oo]は[u:(uu)]となる等など。
 ⇒関連記事「うちなーぐち講座《2》の2」
今まで僕は、この関係を口蓋化や高舌化との関連で考えようとしていた。「言語の省エネ化」として、一般化できないだろうかと思ったのである。

ところが、どうもそう単純ではないらしい。話しは沖縄にとどまらないのだ。
日本の話し言葉には、古い時代から二重母音(連母音)が極めて少なかったという。二重母音が出てくると、母音融合を起こして一文字の母音(長母音の場合もある)に変換してしまう。しかし、書き言葉は依然二重母音を保持して、母音融合を起こしたがる話し言葉と対立していたというのである。やがて、書かれた文字の通りに話すことが「正しい」とされるのだが、母音融合は無くならず、江戸弁をはじめとするアウトローの方言に、たくさん受け継がれて現存している。

僕は、母音融合の有る無しを、地域差だと考えていた。だが、どうやらそうではないらしい。これを書き言葉(権威)と話し言葉(スラング)の対立として捉えたらどうなるか。すると、沖縄語(ウチナーグチ)も、新たな相貌を帯びてきて興味が尽きない。

ウチナーグチのカテゴリの下に「母音融合」というサブカテゴリを作ってみた。そして、それらのすべての記事に若干手を入れた。市民劇の話題だけが御所望の方にも、お読みいただければとてもうれしいのだが、役者には無用だろうか。

もちろん、専門的な言語学の知識を全く持たないこの僕には、母音融合の背景について、云々する能力も資格もないのだが、理が勝ちすぎている不幸な役者なので、日本の語り物のことばの形を、今一度じっくり探ってみたいと思ってしまうのだ。そんなことをしているから、自分の芝居は一向に弾けないのではあるが。

日本の語り物は二重母音(連母音)を大切に発音するという僕の思い込みが、果たして正しかったのかどうか。そういえば狂言には、特有の母音融合があるではないか。

例えば[au]は[o:]となる。
「謡う」は「うたう」ではなく、[utoo]と発音されるのがその例だ。
また、形容詞の「~しい」は「~し」となる。これは[ii]という二重母音(連母音)を嫌った結果である。
「ややこしや、ややこしや」


ほんとにややこしくなった。ここらで、話しを市民劇の稽古に戻そう。しかし少し記事が長くなりすぎた。ひとつワンブレイクを入れることにする。


※宇夫方路2011沖縄旅日記(3)
健次郎さんの所をお暇して「おきなわ堂」にちょっと寄りました。
お店は昔の半分の広さになったけど、こじんまりして落ち着いた感じになりました。
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金城店長、じゃない、金城オーナー、頑張ってますよ、高山さん。
 ⇒前回訪問時の記事

そして宮城さんの工房“PEANUT'S”へ。去年の精算です。S-1グランプリvol.4のトロフィーの代金のお支払もしました。2種類作ってもらって、ハンサム・マーキーさんに渡しましたものです。そのうちのひとつが、S-1グランプリで優勝した岡村聡士君の手に渡っているはずです。
【2月3日に追伸(1)】
ハンサム・マーキーさんが持っているはずのもうひとつのトロフィーは、どうやら今年のS-1グランプリvol.5で使うことになったらしい、と久しぶりに現れた山川夏子さんが言ってました。こんどマーキーさんに聞いてみよう。

宴会シーサー。宮城さん制作ミニチュア版です。
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ああ、悪い画像。実はデジカメを忘れてきてしまったのです。
実は今回の重要な仕事のひとつが、おととしの暮れにご紹介したでっかいシーサーの商品紹介用の写真を撮影することだったのに。M.A.P.での注文販売が決定して、前回キジムナーのツアーの時にお邪魔してデジカメで撮影したのですが、そのデジカメをなくしてしまったあの事件がなければ、今頃は東京のいくつかの沖縄料理のお店に、宮城さん制作のでっかいシーサーが飾られてあったかもしれないのに。

今回ともかくコンパクトカメラを買って撮影してみたのですが、どうかなあ……。

【2月3日に追伸(2)】
現像してみた結果。この画質じゃあシーサーが可哀想です。
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只今、今後の対策を検討中です。

それから、いしだ文栄堂へ行きました。
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新しい商品がたくさん出たのです。

【2月3日に追伸(3)】
これが新商品です。あとでデジカメで撮影しました。
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これSくん。はやく販売サイトにアップしなさい!

そうして、とりあえず松山のホテルにチェックインしたのでした。でも、今日はまだ終わらないのです。
夜の部の報告はあらためて。
(ちっとも宇夫方女史が記事を書かないので、仕方なく高山正樹が代筆)
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※宇夫方路2011沖縄旅日記(2)
又吉健次郎さんの工房です。
健次郎さんの結び指輪を、結婚何周年かの記念にと注文される方が時々いらっしゃるのです。その度、健次郎さんに結婚記念日に間に合うよう制作をお願いします。今日もそうして仕上がった結び指輪を受け取りにきたのです。

でも今日は健次郎さんはお留守でした。なんでも若い女性とどこかへ出掛けたとか。さて、何時に帰るか分からない。夜は夜でやっぱり若い女の子と桜坂劇場にCoocoのライブを観にいく約束があるらしい。お元気だこと。
主人不在の仕事場
仕方がないので、いつもと変わらない仕事場だけ撮影させていただいて帰ろうと立ち上がったところへ、健次郎さんがお帰りになりました。まあいいタイミング。
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実は先日の1月15日、M.A.P.after5のアクセス数が突然倍になりました。検索ワードを調べてみると、又吉健次郎さん関連の記事を目当てに来る人がその原因らしい。そこで井上真喜ちゃんに「何かあった?」と電話で聞いてみたのです。そうしたら、なんでも世界不思議発見というテレビ番組で、健次郎さんの房指輪が紹介されたのだとか。

M.A.P.では房指輪は扱っていませんが、それでも結び指輪の注文がバタバタといくつか入りました。うちのサイトでもそうなのだから、さぞ工房“またよし”は大変だったはず、こちらに入った注文の制作をお願いして大丈夫かなあと心配したのですが、いつもの通り気持ちよく請けてくださいました。

coccoの時もすごかったけれど、それにも増して今回はたくさんの問い合わせあったらしい。全国放送のテレビって、やっぱり影響力大きいんですねえ。M.A.P.にも取材来ないかなあ。

さて、高山正樹氏に頼まれたことを聞かなくっちゃ。ある小道具屋さん(実は外間小道具店)で聞いたもうひとりの金細工師のこと。
少しここまでのことを整理します。浦添美術館での展覧会の時は三人の又吉さんの作品が展示されました。又吉健次郎さん(首里の又吉)と開南で小道具店を開いていた又吉さん(那覇の又吉)と、そしてもう一人の「首里の又吉」さん(実は修さんとおっしゃいます)。那覇の又吉さんはすでにお亡くなりになりました。
 ⇒関連記事を読む
「もう修さんも作っていないはずだよ、見に行ったけど道具もなかった。小道具屋は叩いて作っているというけど、本当はもう作る人はいなくて、外国で作っているんだよ」これが健次郎さんのお答えでした。
真喜ちゃんによると、修さんはまだ作っているはず。でも、健次郎さんと修さんは同じ門中ではあるけれど、それほど親しくない。そして健次郎さんは、踊りや芝居の小道具には興味がないから、修さんのことは分からないのだと思うとのこと。
仲嶺舞踊小道具店の仲嶺眞永さんのお話しを思い出しました。
「コンクールとかに出るようなときは、いいものを挿すでしょうが、普段はもっとね。でも、それを作る人がいなくなってしまって」

民具として、本物のジーファーにこだわる健次郎さんは、それを作る技術が途絶えてしまうのはいけないと思っています。若い金細工師がいないのは食べていけないから。だったらみんなで若い職人さんを育てて、琉球舞踊の先生になったら、その人から道具を買うというシステムにすればいい。これは健次郎さんのアイデアです。
でも琉球舞踊の人たちは、家元レベルの方々でも、小道具が本物かどうかにはあまりこだわってはいません。また、たとえこだわったとしても、本物のジーファーはとっても丈夫で、母から娘に、先生から弟子にと伝えていける道具だから、新規の需要はあまりないでしょう。上等な漆器が、何百年経っても使えるために却って新しいものが売れないという事情と同じです。

一方、房指輪は手に入らなくて琉球舞踊の人たちは困っています。でもそれも、琉球新報の舞踊コンクールのルール変更で、房指輪を使わなくてはならなくなったから、それだけのことなのです。

ともかく、「もうひとりの首里の又吉」=修さんにお会いしたくなりました。もしかすると、修さんこそ「クガニゼーク」ではない小道具を作る職人「カンゼーク」なのかもしれない……

やっぱり、小道具屋さんに何度も通って、こちらの諸々の思いをお話しして、修さんに伝えてもらうしかないのかなあ、そんな風に思ったのでした。
(宇夫方路から報告を受けた高山正樹が、宇夫方路のフリをして代筆をしました。)
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※宇夫方路2011沖縄旅日記(1)
昨日の夜は山猫合奏団と東京奏楽舎の合同新年会で午前様。朝3時に目覚ましをかけ仮眠。調布駅4時半発のリムジンバスで羽田へ。飛行機の中で爆睡して無事那覇に到着。そうして、5ヶ月ぶりに沖縄へやって行きました。

6月4日の公演の事で、家元にお願いと相談を兼ねてご挨拶に行くのが今回の旅の一番の目的です。
でも、沖縄にはしばらくご無沙汰だったので、取引先にも行かなければなりません。沖縄で動くには車がないととっても不便。父の知り合いの幸地さんにご無理をお願いをして、車を出して頂きました。

まずはしよんさんの工房へ。
しよんさんの工房は沖縄ワールドの中にありました。最後のお伺いしたのは去年の7月16日です。その時「沖縄ワールドの工房を訪れるのはこれが最後、“しよん”さんはついに自前の工房を開設することになったのです」とお知らせしました。その後、9月1日から南城市の新工房に移転するという御案内を頂きました。
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ご紹介しなければしなければと思いつつ、タイミングを逸していました。ごめんなさい。やっと今日来ることができたので、遅ればせながらあ、機織工房“しよん”の新工房のご紹介です。
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新しい工房では販売はせずに作るだけと聞いていましたが、時々訪ねてくる人がいるので、今では少しですが商品を置いて販売もしているとのこと。皆さん、お近くに行く機会があれば、一度お寄りになってはいかがですか?

新しいマース袋をおあずかりしました。まもなくM.A.P.販売サイトと楽天市場沖縄mapにアップする予定です。
 ⇒機織工房しよんのホームページ
 ⇒機織工房しよんのブログ
しよんさんの工房を出るともうお昼の12時を過ぎていました。どうりでお腹が空いていると思いました。そこで、南城市の有名なチャーリーレストランに行きました。
チャーリーレストラン
終戦後すぐアメリカ人相手に開店したお店で、当時はドライブインとして休憩所や売店もあったそうです。
店に入るとすぐ目に入るのはショーケースに並んだたくさんのパイ。
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アップルパイ、ブルーベリーパイ、チェリーパイ、おいしいと評判なんだって。
幸地さんが両親へのお土産にと、アップルパイを一つ買ってくださいました。何から何まですいません。
食事はステーキとかもたくさんあるのですが、私は煮付け(てびち)定食、幸地さんは魚汁の定食を頼みました。
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てびちも魚もでっかい。これこそ沖縄の定食、というか、アメリカ人仕様なのかな。戦後の沖縄は長寿の称号を失いつつあります。

さあお腹一杯です。またよしさんの工房へ向かいました。
(宇夫方路)
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※1月25日の記事です。
《1月24日24時05分》
二軒目は“串かん”。
“串かん”のお通し
若かりし頃、芝居や政治や哲学について、友と語る時は、いつだってこういう飲み屋で飲んだ、てな話を、一昨年に書いたっけ。そのことを今日あらためて思ったのだ。
 ⇒2009年9月28日の記事
最近はトンとなくなったが、友人と深く語るために酒を飲み肴を食いたいと思う時は、焼きトンをツマミに安酒をあおることのできる店に行く。客は混んでいるに限る。そして座敷がいい。そんな店が喜多見にあるかと問われれば、今のところ“串かん”くらいしか思い浮かばない。

この日、“串かん”で語ったことは、山猫合奏団のブログに書いた。
 ⇒http://lince.jp/lince/nyaas/sinka…

例えば行きつけの店だと、ついついマスターとの軽口で時を埋めることになる。喜多見にはそんな店が多い。今夜もきっと、若者たちがそれぞれお気に入りの店で、そうした時間を過ごしている。M.A.P.after5としても、そんなお店は記事にしやすい。

“串かん”のオヤジさんとだって、カウンターに何度か座れば、やがて常連さんのように親しくなれるだろう。しかし、“串かん”で飲む時は、いつもたいがい連れと話しをしたくて行くものだから、必ず奥の座敷で飲むことになる。

そういうスペースが、喜多見の他の居酒屋にないわけではない。だが、マスターと親し過ぎてしまったり、雰囲気がおしゃれ過ぎたり、肴が美味過ぎたり、そうすると、話は決して深化しない。

例えば、美味い肴が売りの店なら、話の中心はどうしたって料理のことになる。居酒屋情報がお目当てのブログ読者は、そんな料理の話題を欲しがっているらしいが、今日の僕らは、肴を食いたいわけではない。
“串かん”の肴が不味いと言っているのではない。気持ちよく話しをするのに、不味い肴は水を差す。だが、どうだ美味いだろうなどと、出しゃばられても困るというだけだ。

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このレバ刺しも美味かった。“ばりき家”に比べてどうかって? さて、それは憶えていない。なぜなら、話に夢中だったから。

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深まる話の糸を切らないために、「焼きとり」はうまいカシラがいい。それと、ありがちな軟骨があればいい。例えば“鳥研”の肉は、主役になってしたい話を止めてしまう。

まだ青臭かった頃、まるで夜が永久に続くかのように話しに耽った。だが、もうそんなことはなくなってしまった。きっと、いろんなことが邪魔をしている。
気持ちよく話しを切り上げた大人の僕らが店を出ると“串かん”の看板の明りがそっと消えた。
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今日のような時間を過ごしたいと思った時は、僕たちはまた“串かん”の暖簾をくぐるだろう。はたしてこの感覚、伝わるかなあ。

高山正樹 Masaki Takayama
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