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こんなご案内を頂きました。
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場違いだとは思いつつ、ちょっとお邪魔してみることにしたのです。会社なんかを始める前は、こういう会に出席するなんて考えられないことでしたが。

会場は新百合ヶ丘にある21ホール。
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“佐藤忠男先生神奈川文化賞受賞祝賀会”
佐藤さんは日本映画学校の校長先生です。そういえば今度の市民劇で稲毛三郎を演じる石山海君は日本映画学校の出身ですね。

まずは佐藤先生の記念講演です。演題は「私の映画人生」。予定を大幅に20分もオーバー、映画のことは全くの門外漢ですが、しかしお話しは大変面白かった。

そのあと立食パーティー。
乾杯のお話しが少し長めだったので、ビールの泡が消えちゃいました。
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食べ物が出てくるとつい撮影したくなる悪い癖。
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“アルテリッカしんゆり”副実行委員長の北條秀衛さんが発起人のおひとりで、会場にいらしたので御挨拶をさせて頂きました。

昭和音大の皆さんによるミニコンサート。
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右端の演台のところにいらっしゃるのが、今度のしんゆり芸術祭に山猫合奏団が参加するにあたり、お世話になった熊谷仁士先生です。昨年の公演も観てくださったのに、その時はご挨拶もせず大変失礼いたしました。今日はしっかりと最敬礼。
熊谷先生は「白石君はよく……」と言ったあと、何故だか思わずニヤッとされました。どういう意味かしらん?

ところで、日本映画学校が今年の4月から大学になります。
祝賀会の最後、再度登壇された佐藤先生が語ったエピソード(で、また長くなった)。故今村昌平氏曰く「高校中退のやつが面白い。日本映画学校にはそんな連中を入れよう」。でも、大学になったらそうはいかないというハナシ。ユーモアでカモフラージュされたペーソスとお上への皮肉。しかし……
「普通の大学にするつもりはありません」
その力強い宣言に、会場から大きな拍手が起こったのでありました。

新百合ヶ丘のアートセンターでは、佐藤忠男先生が選りすぐった世界各国の映画が観られるのです。
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これを機会に、小さな国の映画を観始めようかな。アメリカではない国々の文化が、きっとたくさんのことを教えてくれるに違いない。そんなふうに思った夜なのでした。


1月30日日曜日: 広福寺から桝形山を歩く

今朝の富士には雲が乗っかっていた。
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何故か桝形の城址に行ってみたくなった。
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多摩の横山まで歩いていくことにした。
「そういううちにここはもう生田の杜。あれに見ゆるは、桝形の城跡……」
旅の僧は鎌倉から歩いてきた。多摩川沿い、今の府中街道あたりを歩いてきたのなら東からアクセスすることになるのだが、南や西からの道もあったのかどうか。今日の小生は世田谷街道、つまり北側の津久井道から桝形城址へ向かう。

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この“くらやみ坂”を上り切れば桝形の城跡である。
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「このあたりに、桝形の城主・稲毛三郎殿と奥方を葬った御寺があると聞いたが……」
少し上がった右側に、広福寺はある。
広福寺の北の門。参道は少し一時の方向、つまり鬼門の方角に傾いている。正面に観音堂が見える。
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その門を入る。昨年の10月31日以来の再訪である。
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本堂は左側。
鐘越しに見た本堂 
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稲毛山廣福密寺とある。
承和年間(834~848年)、慈覚大師円仁が開いた。その後荒れ寺になっていたが、1200年初頭、稲毛三郎重成が阿闍梨を招いて中興したと言われる。真言宗のお寺である。

御本尊は木造五智如来坐像。
1500年台の終わり、秀吉が天下を取った後、桃山の時代に作られた重成の坐像が祀られているのもこの本堂である。
本堂の反対側、つまり広福寺の東にはもうひとつ別の門がある。
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こちらは裏門なのだという。
しかし、本堂の正面にあるこの門が、方角からいっても本来の正門なのではないかとも思ったのだが、よく分からない。
再び境内に戻って観音堂への階段を上がる。
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「されば、稲毛三郎殿の奥津城は……」
「はい、あの奥に……」
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「奥方もともに葬られたとか……」
「お二方にふさわしく、比翼の塚でござりまする」
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手を合わせ、“くらやみ坂”を上って城跡へ向かう。
冬で木々に葉がないせいか、今日のこの坂は明るい。それでも、振り返れば、建物に遮られてもう広福寺は全く見えない。
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城跡まで、もう少し上らなければならない。
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そして……
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誰が書いたのか、四隅に東西南北の文字がある。
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今日は展望台に昇ってみることにした。
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エレベーターもあるのだが、もちろん健康ゲーム中の小生、階段を使う。
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いやはや、驚いた!
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こういう景色をご紹介するとなると、いいカメラが欲しくなる。ブログの横幅を拡げて、もっと大きなサイズの画像を貼り付けられるようにしたくなる。そうか、フォトなんとかみたいなサイトを利用してそこにリンクを貼ればいいのかな。
「どなたかお教えくだされ」
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いつも渡っている多摩川の橋も見えるではないか。
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そうか、ということは、あちらからもここが見えるわけだ。気がつかなかった。今度は向こうからこちらを撮影してみよう。

だんだんと曇が増えてきたが、富士山もまだ辛うじて見えた。
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新宿である。
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さらに右へ。
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スカイツリーが写っているのだが、お分かりになるであろうか。
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あ゛ー、いいカメラが欲しい。
ともかく、360°見渡せる絶景なのである。横浜も写したのだが残念ながらピンボケで使えない。

いつの間にか旅僧の静かな気分は何処へやら。いかんいかんと多摩の横山の連なりに目を凝らせば、よみうりランドが良く見える。
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しかし、すぐそこにあるはずの広福寺は、幾重もの木々の向こうに隠れている。
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灯台下暗し。そろそろ人生の半ばを大きく越えて、旅僧くん、少し遠くを見過ぎてはいないかと、自省している。




一次会は銀座会議室にてミニ講演会。
記念撮影の画像を無断掲載。前回もそうだったし、許していただけることを信じて。
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撮影者が交代してもう一枚。
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そして二次会へ。
本日の講演者のふたり。
日立の成瀬くんと「まんじゅう」

まんじゅう(ってなんのこっちゃ)の話しは、実にいい話でした。他のみなさんも、それぞれ大変御活躍であります。でもね、昔の同窓生が今何をしているかというようなハナシは、やっぱり今年も、なかなか書く気になりません。

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どうやら、誰もがまだ何者でもなかったあの頃のママ、時間が止まっているようなのです。ファンデーションを分厚く塗らなければならなくなったにせよ、です。

それにしても写真だけ載せるんじゃ、あんまり芸がない。いつかアトムとビスコで遊んだみたいに悪戯してみようかなと思ったのですが、女性陣の写真が全部集まらなかったのでやめました。
でも、一次会で帰ったFさん、いいの見っけたから遊んじゃおうっと。それからまんじゅうも講師だからね。ということは、なるせくんもか。
ホイッと……。ホイっ、ホイっと。
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最近は全く見知らぬ方にも、定期的に当ブログにお越しくださる有難き方がいらっしゃるようで、そうした方々には、「この記事はいったいなんなんだ」ってなもんでしょうねえ。申し訳ございません。このM.A.P.after5には、「都立駒場高校」というカテゴリがあるのです。なぜか成り行きで作っちゃった。高山正樹の母校なのであります。
ただこのカテゴリ、Yusukeばかり出てくるので、鬱陶しい。というわけで、駒場のカテゴリの下に、「Yusuke」と、M.A.P.役員の「Hokoo」と、おきなわおーでぃおぶっくで手伝ってくれた「菅家ゆかり」と、そして「それ以外の人びと」というサブカテゴリを作ることにしました。
鈴木雄介 渋谷保幸 菅家ゆかり
お薦めは“その他の人びと”です

男性陣の方は画像が揃ったので、公開しちゃおっと。
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男だけね。
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だから女性は青春画像ナシだってば。
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男だけ!
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今日のサプライズ。
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いったいいくつになったのって、みんなおんなじか。
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お店のイケメンと一緒に撮ってくれっていうから撮ったけどさあ。
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ホントに彼、いいかあ?
30年以上前の青年たちの方が、ずっといいだろう。

それから、菅家ゆかりさんと、セブンイレブン社長の井坂隆一くんです。
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「今誰が何をしているなんて書く気にならない」
その舌の根も乾かないうちに、嘘ばっかりだ。いいのです。ここから、一人でも沖縄に目を向けてくれる人があらわれるのなら、僕は何でも使おうと思っているのです。
 ⇒“沖縄のこと”のサブカテゴリ[基地のこと・戦争のこと]

沖縄にセブンイレブンがないのは、全国共通の品質を保つために必要な市場規模がないということらしい。M.A.P.が考えていることとは正反対。なんてね、M.A.P.と天下のセブンイレブンを比較しちゃあ申し訳ないよな。
「セブンイレブンがウチなんかと商売の話しなんかするわけないよなあ」
「そんなことはないよ」
今日だけの外交辞令?本当ならば夢のような話だけれど。

そして、今日は懐かしい男が来ていました。上海で、M君と会ったらしい。(俺は六本木だったけど。)そしてこの会に誘われた。
でも……
「いやあ、おりこうさんグループだからなあ、俺、無理だよ」
するとMくんは……
「大丈夫だよ、高山もいるから」

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おや、まさひで・みゆき・まさきで3Mじゃない。では特別に、ポン!
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1月29日土曜日: 居酒屋“あさの”でOB会

浅野さんからお誘いを受けていました
「昔からの仲間やかわいい後輩たちが集まるから、良かったら来て」
ほんとに久しぶりの夜の“あさの”です。
笹崎ボクシングジムOB会のメンバー、浅野さんの同期と後輩の方が8名集まっていらっしゃいました。
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浅野さんが私を皆さんに紹介してくれたのですが、挨拶をしただけで、後は皆さんそれぞれの話しに夢中。久しぶりに会う仲間ですから、それは当然ですよね。

話しに入れない私は、仕方なくカウンターで一人で飲んでいました。隣にやっぱり一人でタクシーの運転手さんが飲んでいらっしゃいました。
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これ(↑)、そのタクシーの運転手さんが、自宅では作れないので“あさの”の厨房で調理したおつまみです。それを頂きました。カウンターでの小さな出来事。

しばらくすると、水才君登場。
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今日は高山正樹氏が欠席なので、助っ人に水才君を誘っていたのです。

水才君を紹介すると、やっぱりお父さんのやっている沖縄のジムのことや、弟のプロボクサー、光石君の話で盛り上がりました。作戦成功です。
でも、若干今日の水才君、緊張気味かな。

今はみなさんそれぞれ色々な仕事をしているのですが、ボクシングの話題になれば俄然興味が沸くみたい。
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でも、浅野さんはどうして今日、私を誘ったんだろう。私、ボクシングのことなんか、ちっとも知らないのに。いったい浅野さんは、これからこのお店に、どういうお客さんに来てもらいたいと思っているんだろう……。ちょっと、そんなことを思ってしまいました。

OBの中に一人、ボクシングマガジンの編集に携わっている人がいて、浅野さんは取材を受けていました。
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集合写真を撮るときには水才君もしっかり混ざっていました。
2月17日か18日くらいに出るボクシングマガジンに記事が載るそうです。もしかすると、水才君もちゃっかり写っちゃうのかも!

そうか、浅野さん、もしかしたらこの日のことを、M.A.P.after5でも記事して欲しかったのかもしれない。それで私を呼んだのかもしれない。
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でもさ、私、「おおばまさお」という人がどういう人なのかも知らないんです。だから、画像を載せるくらいのことしかできないんです。
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でも、浅野英一という人の写真が、浅野さんの若い頃の写真だっていうことくらいは分かってるからね。

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この日、2年かけて通算5本目のボトルがなくなりました。
そうすると6本目のボトルがサービスになるんです。

最近なかなか来られないけど、また必ず来ますから、ちゃんと置いといてくださいね。浅野さん。

【追伸】
ボクシングのことを知らない人がこの記事を読んで、居酒屋“あさの”を敬遠することがありませんように。

(宇夫方路)
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※1月29日の記事です。
《1月28日-4(26時30分)》
下北沢から電車に乗りました。なんだかどうしても斉藤哲夫が歌いたくなって、“ぎま”に行ってしまいました。
「されど私の人生」
吉田拓郎のバージョンで、音声だけをお送りします。


今日も浅野さんがいました。
第7代日本J・フェザー級王者スナッピー浅野。引退後、調布の駅前で車輌を誘導する仕事をしていた。ある時、バスの前を横切ろうとしたおじさんがいたので、怒鳴って注意した。そのおじさんは世界的指揮者の小澤征爾であった……
それがきっかけで、浅野さんと小澤征爾さんは仲良くなりました。
居酒屋“あさの”を開店して3年目になります。勝負の年です。それなのに、仕事が終わると、つい“ぎま”に来てしまう。浅野さんは決してカウンターには座りません。それはきっと、かつて浅野さんがヒーローであった頃、何人もの若者を引き連れて、一晩何十万も使った記憶があるからに違いない。
間もなく午前2時。明日の仕事のために、浅野さんはお先にお開きです。
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沖縄の女性ふたりがお見送り。浅野さんは、只今、居酒屋“あさの”にて、お客さんを多数募集中。

もちろん、あんちゃんもいました。
材木屋さんの番頭さんをやってウン十年?それ以上のことは不明。
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午前2時20分。只今花嫁をひとり募集中? 先着順?

もうどうでもいいのさ
つまらぬことは考えないで
そこからの道を急ぐのさ

されど私の人生は……



智内好文さんです。
智内好文さん
ここは“今成”というお店です。生ビールが180円です。発泡酒ではありません。ちゃんとしたモルツです。

またもやネット情報ですが、このお店をボロクソに書いているコメントがチラホラ。でもそれは、予約するような店じゃないのに予約なんかして、会社の人たちと大人数で来たりして、2階の座敷に上がって何千円コースみたいなのを頼んだりして、そんな連中のレビューばかり。僕はそういう書き込みをしている人のセンスを疑うのです。ラーメン屋に入ってエビチリがないって文句言ってるようなもんだ、なんてね、全部戯言ということで。

昭和の飲み方を愛して止まない大人なら、この店は十分に楽しめます。
「智内さん、このお店、よく来るんですか?」
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「いやいや、そんなに来ないよ」
「来るでしょ。2週間も顔が見えないと心配しますよ、智内さん」
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「そうだっけ……」
店長の銭谷さんです。
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なんかいいねえ、正直な名前で。

智内さんが、ご自分の携帯電話に入っている画像を1枚見せてくれました。
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高田渡と智内好文のツーショット。
アップ。
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時代だなあ。智内さんも若い。
天空企画の智内好文は、こういうシーンで生きてきた方なのです。

高田渡のyouTube動画、2度目の貼り付けです。「銭がなけりゃ」

今は亡きワタル(と智内さんは呼びます)の、若き頃の歌声です。

この日、智内さんのお知り合いの映画監督も、この店で飲んでいました。下北沢っぽいね。

それから、智内さんは斉藤哲夫に電話をしました。残念ながら、留守電でしたけれど。今度是非会わせてくださいと、お願いしました。
「哲夫も喜ぶよ」
斉藤哲夫も、youTube動画、2度目の貼り付けです。「悩み多き者よ 」


一見、悩みのなさそうな二人なのでした。
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楽しき夜でありました。
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1月28日金曜日: 下北沢の“農民カフェ”

※本記事は、若干の改稿を加えて新ブログにアップしました。
 ⇒http://mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-2052.html

智内さんに誘われて、下北沢にある“農民カフェ”に行きました。
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民家を改造したお店。

近頃の智内さんは、こういう傾向のモノに興味があるらしい。
去年智内さんの天空企画で出版した「ウチナー・パワー」にも、農業に関するコラムがありました。

今、農業が旬なのかもしれない。

雄介氏の知り合いの女性も、やっぱり民家を改造して野菜中心の居酒屋を出したいって言っていました。
そういえばその話し、どうなったんだろうなあ。

ここ“農民カフェ”は夜は居酒屋になるのですが、メインは有機野菜とお米にこだわった昼間の食事らしい。

智内さんは、最近、こんな翻訳本を手がけられました。
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パーマカルチャー創始者、デビッド・ホルムグレンの著作。
「未来のシナリオ」。
出版元は農文協。

パーマカルチャーとは、パーマネント(永久)とアグリカルチャー(農業)をつなげた新しい言葉です。直接的には、持続可能な土地利用のあり方を考えること。

しかしそこから発展して、扱う分野は農業だけではなく、健康、教育、地域のあり方などへと拡がっていきます。つまり、恒久的な環境デザインといったところでしょうか。

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数軒の農家と契約しているのだそうです。決して安くはありません。いや、むしろ値段は高い。自然食って、お金がかかるんですよね。僕は、腎臓癌の術後数年間、野菜を自然食のお店で買っていました。値段はそこいらのスーパーと比べて倍近かった。
もしあの病気がなければ、今のM.A.P.はきっとありませんでした。でもその替り、もう少しまともな役者でいられたのかもしれませんが。人生、何がいいのか分からない。

“農民カフェ”には、ちょっと無愛想な店員さんもいます。このお店について、ネットでそんな店員さんのことを指摘する人たちがいます。でも、許してください。このお店には、様々な事情を抱えた若者たちが働いているのですから。

オーナーは、1997年に活動を休止したバンド“JACK KNIFE”のリーダー、和気優さんです。武道館を一杯にするという道を捨て、今は全国の少年院や施設へ、ギター一本抱えて出かけていく活動もしています。

「たくさんの若者が夢をかなえるために下北沢で店を出そうとやってくる。ところが今の下北沢は、若者のエネルギーを吸い取って潰してしまう街になってしまった」
そう和気さんはおっしゃいました。どうもべらぼうに家賃が高いらしいのです。

「流山に田んぼがあって、明日、朝早く田起しに行くんですよ」



智内さん曰く、「彼は信念があってさ、なかなかいいんだよ」

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「ラストオーダーですけど」

ずいぶん早い。彼女も明日は田起しに行くらしい。

「みんな、行くんです」

そうだよな、農民は早く寝なくちゃね。でも、農民にしては量が少ないのと、値段が高いのがちょっと気になるけれど。
家賃の高い下北で店をパーマネントで続けるためには、仕方ないのかもしれません。

帰り際、和気さんがまた出てきてくださいました。
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あれ、宇夫方さん、後ろで何やってるの?
いいお値段のトマトを購入中。
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飲み足りないし、食い足りないので、もう一軒行くことにしました。智内さんお勧めの、下北沢で最もリーズナブルなお店へ。

1月28日金曜日: “あさの”は頑張る

明日の夜、浅野さんからお店に来てと誘われた。しかし先約があって行く事ができない。今夜は今夜で約束があるので、それで今日、お昼を食べにやってきた。
去年の10月20日の夜以来である。

肉野菜炒め。減塩でね。

「殆ど塩入ってませーん。生姜のからさで食べてねー。」
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「3年はやるって決めてましたからねー。もう少し頑張ってみまーす。」
いつもの浅野さんの明るい声である。

そうだよね。頑張って欲しい。色々とさ。本部から一番近い親しい居酒屋なのだから。

お昼は、500円のワンコインメニューもある。もしかして、それを注文して、宣伝しなくちゃいけなかったのかなあ。今度ね。

きっと、まだ色はいらない。
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ふじたあさや氏から、読んでおけよと言われた岩波新書の「琵琶法師」。
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《いやはや、僕が背負っているものは、ただ琵琶だけではなかったのか》
「お前ならそこまで突っ込んで考えるだとうと思って旅僧の役をつけたんだよ」
また始まった。いつもあさやさんは、こうして能天気にうそぶく。ただ何となく成り行きでこうなってしまったことを、後から尤もらしい理由をくっつけて擽っているのだろう、と、分かっているのに、こうして考え込み始めているわけだから、あさやさんの思う壺にどうやらマンマと落っこちてしまったらしい。

「東国」のアクセントについても、ちょっと迷っている。それについてご説明するために、かなり遠いところから話を始めるが、どうかついてきて頂きたい。

日本語は、どんどんと平板化してきている。

さて、そもそもイントネーションの範疇でいうところの「平板」とは何ぞや。俳優たるもの、みんなそのぐらいのことは知っているはずと思いきや、正確に理解している役者はさほど多くはない。

日本語のイントネーションで意味を成すのは、音が上から下へ変化する時だけで、下から上への変化は、基本的には話し手も聞き手も意識してはいない。
いわゆる標準語では、「箸」は( ̄_)でなければならないが、「橋」の方は(_ ̄)でも( ̄ ̄)でも構わないのだ。もちろんアクセント辞典では(_ ̄)となっているが、意味を伝えることだけにおいては、どちらでも伝わるのである。つまり、単語だけを見れば、「橋」のアクセントは平板なのである。

(※もしかすると平板なのは「端」( ̄ ̄)じゃないのと思い違いしている役者もいそうだが、アクセント辞典では「端」も(_ ̄)である。では何が違うのかというと、続く助詞との関係が違うのである。「端」の場合、続く助詞も下がらない。「端を」は(_ ̄ ̄)となる。上昇点は無いのと同じなので、下降点の存在しない「端を」は平板である。従って「端」という単語は「平板型」である。
一方「橋」は、それに続く助詞が下がる。「橋を」は(_ ̄_)となる。こういう単語を「平板型」に対して「尾高型」と呼ぶ。因みに「箸」は「頭高型」だ。)
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(※「尾高型」は最後をカギ括弧で表す。「尾高型」は「尾高型」「頭高型」や後から出てくる「中高型」とともに起伏式の仲間で、平板式の「平板型」とは区別される。)

つまり「東国」を(_ ̄ ̄ ̄)と読めば平板である。( ̄___)というイントネーションのほうがたぶん古い。この「東国」しかり、「北條」しかり、「民藝」「親父」しかり、どれも同じように二通りのイントネーションがあるが、古い方のイントネーションが起伏式アクセント(つまり下降点を含む言葉)なのは、日本語の平板化の現象はずっと前からあったということを証明しているのではないか。

言語の平板化は、何も日本語に限ったことではないらしい。その例をここで上げることはできないが、どうやら発音の労力を軽減しようとする言語の省エネ化現象がその原因で、それは、長い時間をかけて変化していくあらゆる言語に共通した大きな方向性なのだという。
(※もうひとつ、日本語の場合には意味と関係する下降点をなくしてしまうことで、下降点を憶えなければならないという学習の負担を軽減しているらしい。また特定のグループ内でよく使われる言葉は、他の言葉と差別化する必要性が薄く、平板化していく。「彼氏とクラブ行く」、「彼氏」も「クラブ」も若者の世界では日用品だというわけだ。)

また「中仙道」や「赤とんぼ」の現代の標準的な発音は、途中で一旦上がってその後に下降点がくる「中高型」である。それに対して古い発音は、どれも最初の音が高い「頭高型」である。これはどちらも起伏式で、つまり平板ではないのだが、この「頭高型」から「中高型」への変化も、実は省エネ化らしいのだ。「頭高型」の言葉は、声を出し始める前から声帯を強く緊張させておかなければならない。まずだらだらとしゃべり始めて、助走がついてから音を上げるという「中高型」の新しいイントネーションの方が、ずっと楽なのだ。

言葉がコミュニケーションツールである限り、省エネ化されて使い易くなることが悪いわけではない。ただ、平板型より起伏型の方が、また「中高型」や「尾高型」より「頭高型」の方が、単語そのものは際立つ。
「平板化した言葉は、舞台での表現力に乏しい。言葉の平板化は、演劇にとって困った流れだ」
いつか、ふじたあさや氏がそう語っていたことがある。

また少し、話しが変わる。
はたしてついてきて頂けているだろうか。

次は、単語ではなく文章の話し。
主語と述語、修飾する言葉と修飾される言葉の関係を正しく伝えるためにも、下降するイントネーションをどう操るかが、役者にとって大きな課題となる。基本的には、主語は述語よりも高く、修飾する言葉は修飾される言葉よりも高くなければならない。その高低の差が大きければ、意味がはっきりして理知的に聞こえ、小さければ、意味よりも情緒が立つ。あるいは、高低の差がより大きければ感情的に聞こえ、小さければ冷徹だともいえる。これは正反対のようだがそうではない。例えば「高い」という形容を強調するかしないかは、ある時は感情であり、ある時は論理的な度合の数値に左右される。

若者は、音の高さをある程度強さで置き換えることもできる。声に力のない老人は、極端な高低差で表現する。

だが、いずれの場合も、修飾関係の基本的なルールを無視して、あちこちで正しい高低差を逆転させたりし始めると、感情も論理も年齢も関係なく、台詞から伝えるべき意味が消え、ただ節の付いた臭い芝居になってしまう。

最初の読み合わせの頃は、どなたもあまりこんな間違いはしない。しかし稽古が進み、感情が入り始めると、芝居に悪臭が漂いはじめる。雰囲気のことを言っているのではない。それは好みの問題である。そうではなくて、極めて論理的な話しなのだ。つまり、意図なく主語よりも述語の音が高くなり、修飾する言葉よりも修飾される言葉が強調されると、伝えることを無視した不思議な日本語が出現するのだ。記号として従わなければならない音の高低関係のルール崩壊である。今日の読み合わせでは、いたるところでそれが起こっていた。

意味に注意を払わなくても語れるくらい台詞に慣れて、台詞に感情を盛り込む余裕ができると、往々にしてこうなる。だが、これはきっと一過性のものだろう。意味を完璧に理解して設計図を引き、さらにそのプランが頭にしっかり定着すれば、きっと消えるものだろう。皆さん、役者なのだから。

芝居の稽古において、意味が不在になるこのエアポケットのような一時期に、役者が犯すこうした間違いの多くが、先に述べた省エネと関係しているように思えてしかたがない。

日本語は、その構造上、どうしても文章全体が高い音域から下降していき、述語の音が一番低いということになる。
「僕は」「とても(1)」「重い(2)」「荷物を(3)」「持って(4)」「歩く(5)」
主語の「僕は」の音は、(1)~(3)との音とは直接的な修飾関係がないので、(1)~(3)の単語に対して高くなければいけないというようなことはない。しかし、(5)の「歩く」よりは高くなければならない。
また、(1)~(5)の音の高さは、特別な理由の無い限り、次のようでなければならない。
(1)>(2)>(3)>(4)>(5)
「>」は、それぞれ下降点であるとも言える。つまりこの文章を言うためには、これだけで最低5つの音階が必要ということになる。ところが、そう語らない役者が続出する。(1)>(2)>(3)までは問題なく来たが、さらに続けて(4)を(3)より下の音にするのはちょっと苦しいなんてことが起きる。意識して下っ腹に力を入れたりすれば出るような場合でも、それはやらない。そして(4)の頭でポンと音を上げたりする。きっと無意識である。すると途端に台詞が節に聞こえてきて臭くなる。

長い文章を語るのが難しいのは、その息の長さのためだけではない。意味を正しく伝えるために必要な音階の数は、修飾関係が多層的になればなるほど増えることになる。音階の数が多く必要になれば、当然それを表現する音域も広くなければ語れない。
(テクニカルなことを言えば、最初の(1)の始まりを高い音から始めるという緊張感を持てば、意味が分からなくても破綻なくクリアできることが多い。初見で、意味を瞬時に把握できないような複雑な文章を読まされる仕事の時は、この手を使ってきた。)

さらに各文節を見てみよう。
「荷物を(3)」「持って(4)」「歩く(5)」の中には下降点がある。この下降点のある言葉、つまり「荷物を(3)」と「持って(4)」の、その次の音がくせものなのだ。下降点のある単語を使った後は、楽に発音したいという理由で、次の単語の頭の音が高くなりがちなのである。上昇点は意識しないので、文章の論理的構造に無頓着な話し手は、音を上げることに躊躇がない。従って次の音は、上がりたいだけ上がった音で発せられるということになる。

「持って」の「も」が「荷物を」の「に」より低音の領域で収まっていればよいのだが、それを越えてしまうと、修飾関係が分からなくなる。何度も言うが、意味の抜けた状態で台詞を言うとそうなるのだ。イントネーションは論理の構造なくしてはありえないはずなのに、論理を失った台詞は、自分でコントロールしているつもりでも、実は無意識の領域で、省エネという全く別のエンジンに支配されていることがママある。

さて、この5つの音階を出すために必要な音域を獲得できていない役者は、どうやってこのエアポケットから脱出するのか。

極めて(1)=(2)=(3)=(4)=(5)に近くしてしまう。こうなると、もはやダイナミックな台詞は期待できないが、論理的な破綻からは逃れている。比較的ベテラン女優さんに多い。また、若い役者は強弱を駆使して補う。また語尾が消えたり、息になったりもする。
しかし話し言葉の文章におけるイントネーションの論理的構造を意識し始めれば、短期間の訓練で格段に音域は広がるであろう。逆に意識しなければ、きっといつまでも変わらない。

要するに下降点が少なければ少ないほど、日本語は楽に喋ることができるのだが、たぶん多くの役者が、自分が少エネというエンジンに捕らえられているということに気がついていないのではないか。
 ⇒関連記事【変わらぬ味・近代文学・変わりゆく言葉】

言葉は、長い時間をかけて省エネに向かって歩んでいる、それは確からしい。しかしである。ならば時代を遡れば遡るほど、人は広い音域を使って、話すという行為に、より大きな労力をあてがっていたということなのか。どうも、それは俄かには信じがたい。
もしかすると、世の中が進み、増大した情報を含む文章を(つまり複雑な修飾関係を)的確に伝達するために、せめて一個一個の単語をシンプルにする(余計な下降点は削る)必要性が出てきたということなのかもしれない。

論理は益々複雑になるが、それに伴って、ひとつひとつの言葉に存在していた言霊が、どんどんと失われていく。重要なのは関係性、そんな世界の中において、個は深化することをやめる。論理のしがらみによって平板化された言葉そのものは、古から受け継いできた豊かさを、つまり刻まれた歴史の記憶を捨て去っていく。

さてこの稽古場に集まった者たちは、ならばいったいどんな言葉を選ぶべきなのか。それを決めるのは、この芝居において、我々がどのように古の時代と対峙しようとするかにかかっている……

ずいぶんと回り道をした。最初の課題に戻ろう。
《なぜまだ「東国」のアクセントについて迷っているのか》
ここまで話せば結論は決まったように思える。古の言霊を自らの中で復権させるためには、「東国」は( ̄___)と発音されなければならないと。

しかし、それでは、まだ半分なのだ。
「足を伸ばして、東国の、鎌倉殿ゆかりの寺々に参ろうと思いまする」
短い文章である。僕はこの一節を、九州にあるボタ山のようなひとかたまりにして、まろやかに語りたいと思っている。その理由を説明するための確たる何かがあるわけではないのだが、まずはそんなものかと思って頂きたい。言霊には論理に納まりきらない姿があるということなのだ。

「東国」を(_ ̄ ̄ ̄)と発音すると、文章全体をボタ山に近づけることができるような気がする。しかしやはり「東国」は( ̄___)と言いたい。だが、そのように「東国」を「頭高型」で発音した瞬間、出現した下降点がボタ山を潰してしまうのだ。それは、僕の役者としての音域不足という技能の問題なのか、あるいは、小川信夫氏が書き、ふじたあさや氏が上演台本に手直したこの台本の文章が、現代の論理の呪縛に囚われているからなのか。
もう少し考えてみることにしようと思っている。

おまけだが……
今回の台本では、「最愛」と「友愛」と「慈愛」という言葉が使われている。それがどうもしっくりこない。鎌倉時代にそんな言葉あったのだろうか。一挙に現代に引き戻される感覚がする。そのことを問わずに放置しておいて、ちっぽけな「東国」にココまでこだわるというのも、おかしな話ではある。

でも「最愛」も「友愛」も「慈愛」も、人様の台詞だからなあ……

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1月27日木曜日: 3度目のお昼の“重味”

一時、人が増えてきたような感じがあった喜多見だが、最近なんとなく淋しい。

さてどこで昼飯を食べようか。やっぱり、なんとなく淋しい。
久しぶりに“重味”に行ってみた。

今週のランチ。
ふぐ、ちり蒸しポンズあん掛け。
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筍と豆腐の揚げ出し。
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蒸し鶏のサラダ。
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御飯と赤出汁と香の物が付いて税込み945円也。
今日はお料理の画像だけ。人の顔が見えなければ記事にしない。それがM.A.P.after5のコンセプトだが、“重味”のカテゴリを作った。喜多見のために。

人の顔が見えてこない。それが今の喜多見の顔か。
初心に戻ってもう少し夜の喜多見も応援したいのだが、今夜も市民劇の稽古である。

【2月28日追記】
この日は琉球舞踊教室。宇夫方女史がやっとその日の記事を書きました。
 ⇒http://mapryukyubuyou.ti-da…
M.A.P.after5の方がどうしてもリアルタイムの記事が書けないので、それで琉球舞踊と三線と沖縄語と、三つの沖縄関連は別のブログにしてフットワークよく報告しようと思ったんですけどねえ。ダメだこりゃ……

1月26日水曜日: 沖縄からトンボ返り

《1月25~26日》
※宇夫方路2011沖縄旅日記(4)
25日。
松山のホテルで一休みをして西原町にある家元の稽古場に。
6月4日の公演の演目の相談と、沖縄の先生方の協力のお願いをしました。
その後、稽古も見て頂き、家元の車で那覇に戻ったのは夜中の2時でした。私の稽古自体は12時頃に終わったのですが、その後、家元の息子さんのたかひろ君を待っていたのです。たかひろ君は組踊りの研修生になり、発表会のため稽古が1時過ぎまであったのです。

ともかく、沖縄での芸能関係の稽古は夜遅い場合が多いのです。それにはワケがあるのですが。

今度から教師会(教師の勉強会)が水曜日になります。参加するためには、最低平日1日半事務所に行くのを休まなければ行かれなくなりました。困ったなあ。

26日。
沖縄から、事務所に直行です。
沖縄のファミリーマートで買ったおみやげ。
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それから幸地さんが両親へのお土産にと買ってくださったチャーリーレストランのアップルパイ
夜の第24回ゆんたくの会で、皆さんにお裾分けしました。
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(宇夫方路)
次の記事へ

【追伸】
宇夫方路女史は、1月18日の合同新年会のことを“ゆんたくの会”専用ブログで記事にして、その中で、例のいろは歌の巻物のことを國吉先生に聞いてみよう、と、書きました。
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そして今日、“ゆんたくの会”で、それをせっかく國吉先生に聞いたのに、宇夫方さん、専用ブログには何にも書かないんだもんねえ。ほんとにワジワジするさーって言う感じ。やっぱり表記が問題なんだそうです。
これについてはいずれ別途記事できっと報告します。

※1月27日
《1月26日24時30分》

(只今画像整理中。書き忘れている記事がいっぱい。どうでもいいようなものは、今更アップしませんが、今年最初の“中む食堂”の記事を忘れちゃあいけないよな。でも時間が無いので後日報告。とりあえず画像だけアップ。)

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ちょっとブレイクを入れるつもりが、すっかり手間取ってしまった。

再び、市民劇の稽古場である。
正しくは「連母音」なのかもしれないが、演技の話しなら「二重母音」の方がしっくりくる。
「滑舌(あるいは活舌か)をよくする方法」なんてネットで検索すればいくらでも出てくる。そんなものに興味はない。

ふたつの単語の連結部に生じる重母音。
「参ろうと-思いまする」mairooto-omoimasuru
「そういう-うちに」sooiu-utini
「三郎殿と-奥方を」saburoodonoto-okugatawo
「御寺が-あると」mideraga-aruto


いくらでもある。数え上げればきりが無い。
たぶん二重母音のふたつ目を言い直すような感覚があればそれで十分なのだろう。だが今回の僕は、きっちりとブレイクを入れて語ってみている。それが正解なのかどうか、ちっとも分からない。

もう5年前のこと。
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藤田傳氏が文学座出身の若い俳優にダメを出していた。
「おんなじ母音が続く時は、必ず間にブレイク入れるんだよ。じゃないと何を言ってるのか分からない。今の文学座はそんなことも教えないのか。江守徹は完璧にやってるぞ」



あえて強い表現を使っていたのだろうと思う。しかし、そこまで言われても、彼は芝居に没頭すると、言われたことが出来なくなった。言われたことを意識すると、芝居が崩れた。傳氏は彼に何を伝えたかったのか。

ここのところ、沖縄語の音韻に拘っている。そうしていると、興味深いことがたくさん出てくる。古の大和の言葉の世界へつながる門が、そこにあるような気がする。だが、このカテゴリの記事では語らない。沖縄語関連の記事で書く。

読み合わせに耳を傾けている。
二重母音を意識して台詞を読んでいる人がいるのかいないのか。意識しなければ台詞にならないと言っているわけではない。意識すれば台詞になると言っているわけでもない。ただ、役者であるなら、一度くらいはとことん意識して言葉の音そのものに拘ってみるべきだろうと思うだけだ。この中のどれだけの人が、それに同意してくれるだろうか。そんなことを考えていた。

言葉の中に長い歴史を探すことをしなければ、時代を語る芝居などできるはずはい。かつらを被ったファミリードラマなら、演らなくてもよい。

母音と母音の間で休んでいたい。
何を言ってるのだ。ボインなんて死後だよ。
死後に息を吹き込む。
あーあ、ダメだこりゃ。
さあ、自転車乗って帰ろう。自宅まで25km。精子が減少する。

少し捻り過ぎたな。川っぷちを走って頭を冷やせ!
凍えそうだよ……

色んなことが交錯している。


《One Break》
昨年の3月21日以来、ほぼ10ヶ月ぶりに沖縄語音韻講座を再開します。いよいよ本編です。
まずはア行から。
同時に、声門破裂音のア行も説明しましょう。
沖縄語の「あ・い・う・え・お」には声門破裂音とそうではないのと2通りあるということは、10ヶ月前の記事で書きました。
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上段が声門破裂音をともなわない音で、下段の赤文字が声門破裂音です。[ʔ]は声門破裂音を表すIPA表記です。この[ʔ]の有無が「弁別的な機能を果たしている」ということが、沖縄語の特色なのだということも書きました。
まず、10ヶ月前の記事をお読みください。
 ⇒声門破裂音について【沖縄語音韻講座プロローグ(5)】
厳密に言うと、声門破裂音と区別するために、声門破裂音でない音には、その前に[’]を付けます。
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沖縄語50音表のア行は、この2行で確定です。

日本語にも、声門破裂音の「ʔあ」「ʔい」「ʔう」「ʔえ」「ʔお」と、そうではない「’あ」「’い」「’う」「’え」「’お」の両方の音が存在しているのだけれど、どちらを使っても言葉の意味が変わることはないので、意識して使い分けられることもなく、したがって表記は弁別性のない「あ」「い」「う」「え」「お」の一通りしかありません。従って、聞き分けることもしません。

しかし、沖縄語の場合は、声門破裂音かそうでないかによって、意味が変わってしまう単語があります。

「ʔうとぅ」:音、「’うとぅ」:夫
「ʔいん」:犬、「’いん」:縁
「ʔおーじ」:扇、「’おーじ」:王子
……etc.

これが「弁別的」ということであって、従って正しい沖縄語を習得するためには、どうしても声門破裂音を自由に使い分け、聞き分けられなければならない、というわけです。

この声門破裂音を具体的に理解するために、我々が無意識に発音している母音が、いったいどういう時に声門破裂音になり、またどういう時にならないのかを、実際に実験してみたいと思います。
まず、「あ」の一音だけ単独に発音してみてください。欠伸をしながらとか、息遣いの荒い状態であるようなことがなければ、その「あ」は、きっと声門破裂音です。「い」も「う」も「え」も「お」も、一音だけ発音すれば声門破裂音になるはずです。
次に「あいうえお」をひとつの単語であるかのように、「あいうえお」と、一気に続けて声に出してみてください。その場合、きっと最初の「あ」だけが声門破裂音で、後に続く「い」「う」「え」「お」は破裂しない音で発音されているはずです。
この実験でわかることは、日本人が普通に発音する場合、語頭の母音は自然に声門破裂音になり、語中の母音は声門破裂音にはならないということです。

沖縄語でも、単語の途中に声門破裂音が現れることはありません。ということは、声門破裂音の「弁別的」な問題は、単語の最初の一音だけに着目して、それが声門破裂音ではない場合だけを意識していればいい、なぜなら、それ以外は、日本語と同じだから、ということになりそうです。

そこで、新沖縄文字を考案した沖縄語を話す会の船津好明先生は、声門破裂を伴わない音の方にだけ、新しい文字をあてがいました。以下が新沖縄文字を使ったウチナーグチ50音表の、ア行の部分です。
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上段の赤文字が声門破裂音(ということにしておきましょう)。下段が声門破裂を伴わない母音です。
「あ」には、声門破裂音ではない新しい文字はありません。それは、声門破裂音ではない「あ」が語頭にくる単語が、沖縄語にも存在しないからです。
また声門破裂を伴わない「お」の音には、新字ではなく既存の「を」の字を船津先生は充てられました。
※しかし、「を」と表記しては[wo]と発音されてしまう惧れがあり、この船津先生の選択に、僕は疑問を持っています。それについては下記記事を是非お読みください。
 ⇒「うちなーぐち講座《2》の2」

さて、僕自身が学習者としてこの新沖縄文字を実際に使ってみて、このア行に関して、少し戸惑ったことがありました。それについて、補足説明が必要であるように思います。

繰り返しますが、声門破裂音は語頭にしか現れません。単語の中間で現れる母音は、すべて破裂しない音です。
しかし、新沖縄文字の表記法では、語頭に破裂しない母音が来た時だけ新文字を使うというのがルールです。それ以外はすべて、つまり語中の破裂しない母音に対しても、見慣れた通常の仮名文字を使って表わすのです。

実際には、「あ」にも声門破裂音とそうでない音が存在するのですが、しかし文字はひとつです。それは先に述べたように、単語の頭に声門破裂音ではない「あ」が来ることがないからなのです。

当初僕は、音と文字が1対1に対応していないことに、大変戸惑いました。しかし今は、それで新沖縄文字に不備があるとは思っていません。新沖縄文字は、日本の仮名文字に慣れた方々が、できるだけ負担なく沖縄語を学べるアイテムとして開発されたものですから、論理的整合性よりも現実的な使い易さを優先することは正しいし、それこそが他の言語学者の方々が考案した表記法と、新沖縄文字が一線を画しているところで、だからこそ沖縄で沖縄語を守ろうとする多くの人たちから歓迎され、採用され始めている理由なのでしょう。

しかし、にもかかわらず、あえて指摘させていただきたいことがあります。

再度、上の新沖縄文字の50音表を見てください。下段の赤文字は「声門破裂音ではない音」ですが、それに対して上段は「声門破裂音」なのかというとそうではなく、「弁別性のない表記」というのが正しい説明でしょう。「声門破裂音」であることを強調する必要はないという判断があるようです。なぜなら、通常日本語を使っている学習者は、特に意識しなくても、「声門破裂音」については正しく発音するであろうということが、暗黙のうちに期待され信じられているからだと思うのです。確かに、実験結果はそれを裏付けているようにも見えます。

しかし、果たしてほんとうにそうでしょうか。

「あなた」という単語を、単独に発音すれば、いわゆる「標準語」を使う日本人は、語頭の「」は自然と声門破裂音になります。しかし単語は、一連の文章の中で使われることの方が多いのです。
「わたしと、なた」
句読点「、」でワンブレイクを入れれば、「あなた」の「」は声門破裂音のママでしょう。
しかし……
「わたしとなた」
……と続けた時、「あなた」の「」は途端に声門破裂音ではなくなってしまいます。

単独で「とぅ」を発音すれば「ʔうとぅ(音)」になります。一方「’うとぅ」を単独で発音するのはなかなか難しい。かなり練習を要します。
しかし、文章になるとどうでしょうか。
例えば「うるさいとぅ」と言ってみましょう。声門破裂音は意識しなくても大丈夫だという期待が正しければ、「うるさいとぅ」は「うるさい音(ʔうとぅ)」になるはずです。しかし結果は逆です。続けて発音すると「’うとぅ」になります。「うるさい音」と言っているつもりが「うるさい夫」になってしまうのです。

つまり、文章の中間で使われる単語については、破裂しない音よりも、むしろ声門破裂音にこそ気をつけなければならないということなのです。

この問題にしばらく僕は困っていました。しかし、母音が頭にある単語が出てきたら、無条件にその単語の前にワンブレイクを入れて話せば、この問題はクリア出来るということに、最近気が付きました。そしてこれにはさらに想定外のうれしい発見があったのです。
母音から始まる単語の前にワンブレイクを入れ、破裂音を意識して発音すると、自然と単語の頭の母音が強調されます。それを母音から始まる単語の全てで行うと、沖縄のネイティブな人たちの雰囲気が出てくるのです。そのコツがわかれば、標準語の文章でも沖縄の人っぽく話すことができるようになります。これはいったいなぜなのでしょうか。

僕はこう考えました。
「沖縄語は声門破裂音かそうでないかによって意味の違う単語があるために(あったために)、声門破裂音をより強調して発音するという傾向が昔からある。たとえ標準語を喋っている時でも、沖縄の人の身体に染みこんだこの沖縄的発音の傾向はそのまま残っている。」
この発見に僕は最近益々確信を持ってきました。

今現在、新沖縄文字を使って沖縄語の勉強をしているのは、殆ど沖縄の人たちです。その人たちが、文章途中の声門破裂音に苦労しない理由も、ここにあるのではないかと思うのです。つまり、沖縄の人たちは、母音が頭にある単語が出てくると、無意識にわずかなブレイクを入れているのです。

しかしながら、それをするためには、文章の中でどこが単語の頭なのか、それが判断できなければなりません。しかし、沖縄語初心者にとっては、それがなかなかむずかしいのです。
従って僕は、単語の頭の母音については、声門破裂音にも専用文字を充てて欲しい、と思っているのです。そうなれば、新沖縄文字は、ますます沖縄語習得に便利なグッズになるでしょう。数少ないヤマトゥンチュのユーザーの意見ではありますが。

さて、船津先生は如何お考えでしょうか。



宇夫方女史が沖縄にいる頃、小生高山正樹は午前中人形町の主治医へ。2ヶ月前に貰った薬が切れた。正月のドサクサで、禁を破ってちょいと味の濃いものを食べたりしているうちに、健康ゲームも少し飽きてきた。そんなことを思いながら、事務所に戻って仕事をする。

このブログを読んでくださる方は、小生は酒ばかり飲んでいてちっとも仕事をしていないと思われているかもしれないが、そんなことはない。昨日だって税理士さんが来て、昨年、M.A.P.で働いてくれた60人くらいの源泉徴収表を作成し、山猫合奏団の合わせの開始時間ギリギリに間に合わせたのだ。僕の健康を害しているものがあるとすれば、酒よりも仕事だ、なんてね、嘘ばっかり。
酒をやめないのなら身体を動かすしかない。今夜は市民劇の稽古である。喜多見から鹿島田の稽古場まで自転車で行く。20km弱といったところかな。自転車に乗りすぎると、精子が減少するって知ってた?まあ、もうどうでもいいけれど。

稽古場に着く頃は、もう真っ暗である。多摩川の向こう岸の東京が、なんだか異様だ。
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厳密にいえば日本語には二重母音は存在しない。たまたま母音が続けて出てくるに過ぎない。例えば英語の[day]などは「二重母音」だが、それは言語学的には1音節である。日本語で母音がふたつ繋がる場合は、あくまで2音節なので連母音という。
連母音とは、「愛(あい:ai)」とか「上(うえ:ue)」とか、母音が2回続けて出てくる場合に限っていうのではない。「貝(かい:kai)」とか「杖(つえ:tue)」とか、言葉の途中に母音がくれば、必ずそこには連母音([ai][ue])が存在する。
ところで、「音節」と「モーラ」は違うらしい。

なんでまた唐突にこんな話を始めたのか。

M.A.P.after5は、複数の連載読み物の集合体である。市民劇の成り行きだけが御所望ならば、「川崎市」のカテゴリの中の「枡形城・落日の舞い」というサブカテゴリをピックアップして読んでいただければ事足りる。だがそうはいかないのがM.A.P.after5。こっちの連載とあっちの連載が、時に化学反応を起こし始める。
「連母音」についても、今回の市民劇の稽古のハナシをしたくて持ち出してきたことなのだが、間違ったことを書かないようにと調べていたら、沖縄語と関係するとても興味深いことがたくさん見えてきたのだ。それを語るために、唐突ではあるが、言語学的な導入が必要だった。

英語などの発音記号では、長母音は[a:]とか[i:]というふうに表記する。一方沖縄語の長母音は、例えば沖縄語辞典では[aa][ii]と表記している。しかしカナで書く時は、「ゴオヤア」とは書かず「ゴーヤー」とするのが一般的である。
 ⇒関連記事「うちなぁ」か「うちなー」か(比嘉光龍さんからの回答)
それはいったい何故なのか。音節とモーラの微妙な違いと、なにか関連があるのではないか。

また、日本語の連母音と沖縄語の長母音の関係には法則性がある。いくつか例を挙げれば、日本語の連母音[ai]は沖縄語では[e:(ee)]となり、[au]は[o:(oo)]、[oo]は[u:(uu)]となる等など。
 ⇒関連記事「うちなーぐち講座《2》の2」
今まで僕は、この関係を口蓋化や高舌化との関連で考えようとしていた。「言語の省エネ化」として、一般化できないだろうかと思ったのである。

ところが、どうもそう単純ではないらしい。話しは沖縄にとどまらないのだ。
日本の話し言葉には、古い時代から二重母音(連母音)が極めて少なかったという。二重母音が出てくると、母音融合を起こして一文字の母音(長母音の場合もある)に変換してしまう。しかし、書き言葉は依然二重母音を保持して、母音融合を起こしたがる話し言葉と対立していたというのである。やがて、書かれた文字の通りに話すことが「正しい」とされるのだが、母音融合は無くならず、江戸弁をはじめとするアウトローの方言に、たくさん受け継がれて現存している。

僕は、母音融合の有る無しを、地域差だと考えていた。だが、どうやらそうではないらしい。これを書き言葉(権威)と話し言葉(スラング)の対立として捉えたらどうなるか。すると、沖縄語(ウチナーグチ)も、新たな相貌を帯びてきて興味が尽きない。

ウチナーグチのカテゴリの下に「母音融合」というサブカテゴリを作ってみた。そして、それらのすべての記事に若干手を入れた。市民劇の話題だけが御所望の方にも、お読みいただければとてもうれしいのだが、役者には無用だろうか。

もちろん、専門的な言語学の知識を全く持たないこの僕には、母音融合の背景について、云々する能力も資格もないのだが、理が勝ちすぎている不幸な役者なので、日本の語り物のことばの形を、今一度じっくり探ってみたいと思ってしまうのだ。そんなことをしているから、自分の芝居は一向に弾けないのではあるが。

日本の語り物は二重母音(連母音)を大切に発音するという僕の思い込みが、果たして正しかったのかどうか。そういえば狂言には、特有の母音融合があるではないか。

例えば[au]は[o:]となる。
「謡う」は「うたう」ではなく、[utoo]と発音されるのがその例だ。
また、形容詞の「~しい」は「~し」となる。これは[ii]という二重母音(連母音)を嫌った結果である。
「ややこしや、ややこしや」


ほんとにややこしくなった。ここらで、話しを市民劇の稽古に戻そう。しかし少し記事が長くなりすぎた。ひとつワンブレイクを入れることにする。


※宇夫方路2011沖縄旅日記(3)
健次郎さんの所をお暇して「おきなわ堂」にちょっと寄りました。
お店は昔の半分の広さになったけど、こじんまりして落ち着いた感じになりました。
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金城店長、じゃない、金城オーナー、頑張ってますよ、高山さん。
 ⇒前回訪問時の記事

そして宮城さんの工房“PEANUT'S”へ。去年の精算です。S-1グランプリvol.4のトロフィーの代金のお支払もしました。2種類作ってもらって、ハンサム・マーキーさんに渡しましたものです。そのうちのひとつが、S-1グランプリで優勝した岡村聡士君の手に渡っているはずです。
【2月3日に追伸(1)】
ハンサム・マーキーさんが持っているはずのもうひとつのトロフィーは、どうやら今年のS-1グランプリvol.5で使うことになったらしい、と久しぶりに現れた山川夏子さんが言ってました。こんどマーキーさんに聞いてみよう。

宴会シーサー。宮城さん制作ミニチュア版です。
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ああ、悪い画像。実はデジカメを忘れてきてしまったのです。
実は今回の重要な仕事のひとつが、おととしの暮れにご紹介したでっかいシーサーの商品紹介用の写真を撮影することだったのに。M.A.P.での注文販売が決定して、前回キジムナーのツアーの時にお邪魔してデジカメで撮影したのですが、そのデジカメをなくしてしまったあの事件がなければ、今頃は東京のいくつかの沖縄料理のお店に、宮城さん制作のでっかいシーサーが飾られてあったかもしれないのに。

今回ともかくコンパクトカメラを買って撮影してみたのですが、どうかなあ……。

【2月3日に追伸(2)】
現像してみた結果。この画質じゃあシーサーが可哀想です。
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只今、今後の対策を検討中です。

それから、いしだ文栄堂へ行きました。
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新しい商品がたくさん出たのです。

【2月3日に追伸(3)】
これが新商品です。あとでデジカメで撮影しました。
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これSくん。はやく販売サイトにアップしなさい!

そうして、とりあえず松山のホテルにチェックインしたのでした。でも、今日はまだ終わらないのです。
夜の部の報告はあらためて。
(ちっとも宇夫方女史が記事を書かないので、仕方なく高山正樹が代筆)
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※宇夫方路2011沖縄旅日記(2)
又吉健次郎さんの工房です。
健次郎さんの結び指輪を、結婚何周年かの記念にと注文される方が時々いらっしゃるのです。その度、健次郎さんに結婚記念日に間に合うよう制作をお願いします。今日もそうして仕上がった結び指輪を受け取りにきたのです。

でも今日は健次郎さんはお留守でした。なんでも若い女性とどこかへ出掛けたとか。さて、何時に帰るか分からない。夜は夜でやっぱり若い女の子と桜坂劇場にCoocoのライブを観にいく約束があるらしい。お元気だこと。
主人不在の仕事場
仕方がないので、いつもと変わらない仕事場だけ撮影させていただいて帰ろうと立ち上がったところへ、健次郎さんがお帰りになりました。まあいいタイミング。
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実は先日の1月15日、M.A.P.after5のアクセス数が突然倍になりました。検索ワードを調べてみると、又吉健次郎さん関連の記事を目当てに来る人がその原因らしい。そこで井上真喜ちゃんに「何かあった?」と電話で聞いてみたのです。そうしたら、なんでも世界不思議発見というテレビ番組で、健次郎さんの房指輪が紹介されたのだとか。

M.A.P.では房指輪は扱っていませんが、それでも結び指輪の注文がバタバタといくつか入りました。うちのサイトでもそうなのだから、さぞ工房“またよし”は大変だったはず、こちらに入った注文の制作をお願いして大丈夫かなあと心配したのですが、いつもの通り気持ちよく請けてくださいました。

coccoの時もすごかったけれど、それにも増して今回はたくさんの問い合わせあったらしい。全国放送のテレビって、やっぱり影響力大きいんですねえ。M.A.P.にも取材来ないかなあ。

さて、高山正樹氏に頼まれたことを聞かなくっちゃ。ある小道具屋さん(実は外間小道具店)で聞いたもうひとりの金細工師のこと。
少しここまでのことを整理します。浦添美術館での展覧会の時は三人の又吉さんの作品が展示されました。又吉健次郎さん(首里の又吉)と開南で小道具店を開いていた又吉さん(那覇の又吉)と、そしてもう一人の「首里の又吉」さん(実は修さんとおっしゃいます)。那覇の又吉さんはすでにお亡くなりになりました。
 ⇒関連記事を読む
「もう修さんも作っていないはずだよ、見に行ったけど道具もなかった。小道具屋は叩いて作っているというけど、本当はもう作る人はいなくて、外国で作っているんだよ」これが健次郎さんのお答えでした。
真喜ちゃんによると、修さんはまだ作っているはず。でも、健次郎さんと修さんは同じ門中ではあるけれど、それほど親しくない。そして健次郎さんは、踊りや芝居の小道具には興味がないから、修さんのことは分からないのだと思うとのこと。
仲嶺舞踊小道具店の仲嶺眞永さんのお話しを思い出しました。
「コンクールとかに出るようなときは、いいものを挿すでしょうが、普段はもっとね。でも、それを作る人がいなくなってしまって」

民具として、本物のジーファーにこだわる健次郎さんは、それを作る技術が途絶えてしまうのはいけないと思っています。若い金細工師がいないのは食べていけないから。だったらみんなで若い職人さんを育てて、琉球舞踊の先生になったら、その人から道具を買うというシステムにすればいい。これは健次郎さんのアイデアです。
でも琉球舞踊の人たちは、家元レベルの方々でも、小道具が本物かどうかにはあまりこだわってはいません。また、たとえこだわったとしても、本物のジーファーはとっても丈夫で、母から娘に、先生から弟子にと伝えていける道具だから、新規の需要はあまりないでしょう。上等な漆器が、何百年経っても使えるために却って新しいものが売れないという事情と同じです。

一方、房指輪は手に入らなくて琉球舞踊の人たちは困っています。でもそれも、琉球新報の舞踊コンクールのルール変更で、房指輪を使わなくてはならなくなったから、それだけのことなのです。

ともかく、「もうひとりの首里の又吉」=修さんにお会いしたくなりました。もしかすると、修さんこそ「クガニゼーク」ではない小道具を作る職人「カンゼーク」なのかもしれない……

やっぱり、小道具屋さんに何度も通って、こちらの諸々の思いをお話しして、修さんに伝えてもらうしかないのかなあ、そんな風に思ったのでした。
(宇夫方路から報告を受けた高山正樹が、宇夫方路のフリをして代筆をしました。)
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※宇夫方路2011沖縄旅日記(1)
昨日の夜は山猫合奏団と東京奏楽舎の合同新年会で午前様。朝3時に目覚ましをかけ仮眠。調布駅4時半発のリムジンバスで羽田へ。飛行機の中で爆睡して無事那覇に到着。そうして、5ヶ月ぶりに沖縄へやって行きました。

6月4日の公演の事で、家元にお願いと相談を兼ねてご挨拶に行くのが今回の旅の一番の目的です。
でも、沖縄にはしばらくご無沙汰だったので、取引先にも行かなければなりません。沖縄で動くには車がないととっても不便。父の知り合いの幸地さんにご無理をお願いをして、車を出して頂きました。

まずはしよんさんの工房へ。
しよんさんの工房は沖縄ワールドの中にありました。最後のお伺いしたのは去年の7月16日です。その時「沖縄ワールドの工房を訪れるのはこれが最後、“しよん”さんはついに自前の工房を開設することになったのです」とお知らせしました。その後、9月1日から南城市の新工房に移転するという御案内を頂きました。
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ご紹介しなければしなければと思いつつ、タイミングを逸していました。ごめんなさい。やっと今日来ることができたので、遅ればせながらあ、機織工房“しよん”の新工房のご紹介です。
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新しい工房では販売はせずに作るだけと聞いていましたが、時々訪ねてくる人がいるので、今では少しですが商品を置いて販売もしているとのこと。皆さん、お近くに行く機会があれば、一度お寄りになってはいかがですか?

新しいマース袋をおあずかりしました。まもなくM.A.P.販売サイトと楽天市場沖縄mapにアップする予定です。
 ⇒機織工房しよんのホームページ
 ⇒機織工房しよんのブログ
しよんさんの工房を出るともうお昼の12時を過ぎていました。どうりでお腹が空いていると思いました。そこで、南城市の有名なチャーリーレストランに行きました。
チャーリーレストラン
終戦後すぐアメリカ人相手に開店したお店で、当時はドライブインとして休憩所や売店もあったそうです。
店に入るとすぐ目に入るのはショーケースに並んだたくさんのパイ。
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アップルパイ、ブルーベリーパイ、チェリーパイ、おいしいと評判なんだって。
幸地さんが両親へのお土産にと、アップルパイを一つ買ってくださいました。何から何まですいません。
食事はステーキとかもたくさんあるのですが、私は煮付け(てびち)定食、幸地さんは魚汁の定食を頼みました。
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てびちも魚もでっかい。これこそ沖縄の定食、というか、アメリカ人仕様なのかな。戦後の沖縄は長寿の称号を失いつつあります。

さあお腹一杯です。またよしさんの工房へ向かいました。
(宇夫方路)
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※1月25日の記事です。
《1月24日24時05分》
二軒目は“串かん”。
“串かん”のお通し
若かりし頃、芝居や政治や哲学について、友と語る時は、いつだってこういう飲み屋で飲んだ、てな話を、一昨年に書いたっけ。そのことを今日あらためて思ったのだ。
 ⇒2009年9月28日の記事
最近はトンとなくなったが、友人と深く語るために酒を飲み肴を食いたいと思う時は、焼きトンをツマミに安酒をあおることのできる店に行く。客は混んでいるに限る。そして座敷がいい。そんな店が喜多見にあるかと問われれば、今のところ“串かん”くらいしか思い浮かばない。

この日、“串かん”で語ったことは、山猫合奏団のブログに書いた。
 ⇒http://lince.jp/lince/nyaas/sinka…

例えば行きつけの店だと、ついついマスターとの軽口で時を埋めることになる。喜多見にはそんな店が多い。今夜もきっと、若者たちがそれぞれお気に入りの店で、そうした時間を過ごしている。M.A.P.after5としても、そんなお店は記事にしやすい。

“串かん”のオヤジさんとだって、カウンターに何度か座れば、やがて常連さんのように親しくなれるだろう。しかし、“串かん”で飲む時は、いつもたいがい連れと話しをしたくて行くものだから、必ず奥の座敷で飲むことになる。

そういうスペースが、喜多見の他の居酒屋にないわけではない。だが、マスターと親し過ぎてしまったり、雰囲気がおしゃれ過ぎたり、肴が美味過ぎたり、そうすると、話は決して深化しない。

例えば、美味い肴が売りの店なら、話の中心はどうしたって料理のことになる。居酒屋情報がお目当てのブログ読者は、そんな料理の話題を欲しがっているらしいが、今日の僕らは、肴を食いたいわけではない。
“串かん”の肴が不味いと言っているのではない。気持ちよく話しをするのに、不味い肴は水を差す。だが、どうだ美味いだろうなどと、出しゃばられても困るというだけだ。

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このレバ刺しも美味かった。“ばりき家”に比べてどうかって? さて、それは憶えていない。なぜなら、話に夢中だったから。

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深まる話の糸を切らないために、「焼きとり」はうまいカシラがいい。それと、ありがちな軟骨があればいい。例えば“鳥研”の肉は、主役になってしたい話を止めてしまう。

まだ青臭かった頃、まるで夜が永久に続くかのように話しに耽った。だが、もうそんなことはなくなってしまった。きっと、いろんなことが邪魔をしている。
気持ちよく話しを切り上げた大人の僕らが店を出ると“串かん”の看板の明りがそっと消えた。
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今日のような時間を過ごしたいと思った時は、僕たちはまた“串かん”の暖簾をくぐるだろう。はたしてこの感覚、伝わるかなあ。

今日は、5月のしんゆり芸術祭に向けての合わせでした。
 ⇒山猫合奏団Official_Blogの記事
(※白石准のブログ記事から画像を拝借)
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前列にはNEWメンバー、チューバの古本大志君とベースの稲垣護さんです。

そのあと、東京奏楽舎との合同新年会を魯園菜館で行いました。
今日は白石准がいるから、てっきりカメラ小僧になって写真を撮りまくるだろうと、昨年暮れのM.A.P.のお疲れさま会でうまく撮影できなかった料理の写真もと期待していたのだけれど、最近、准ちゃん、やっぱり自分の本職は音楽だったと思い出したようで、残念ながら画像なし、いえいえ、山猫合奏団をプロデュースするM.A.P.としてはそれでいいのです。
ただ、喜多見を応援するM.A.P.としては、美味しそうな料理の画像を紹介して魯園菜館の宣伝もしたかったのだけれど、それはまたの機会にね。

今夜の魯園菜館も、ちょっと空いてて少し心配。中華の名店の味と比べてはいけません。魯園菜館は本場中国の家庭料理のお店です。そう思って味わえばとってもおいしい。そんな中華をこの値段で食べられるのだから、もっともっと混んでいて欲しい店なのです。ココの料理は、お店が賑やかな方がきっとおいしいはずだから。

今日はマスターがいました。そのマスターを囲んでお店の前で記念撮影しました。三笑亭夢丸師匠は別件で、菅野恵子さんは子育てで残念ながら不参加、古本大志君はお仕事で先に帰られて、全員でとはいきませんでしたけれど。
魯園菜館のマスターを囲んで記念撮影
アップ。
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喜多見で山猫合奏団と東京奏楽舎をチャンプルーにする、それはM.A.P.の目指してきたところ、高山正樹は密かにいろいろと画策しているようです。
若い名田綾子さんを山猫合奏団のおじさんたちとチャンプルーしてみました。
山猫合奏団と東京奏楽舎のチャンプルー
具のバランスが悪いなあ……
喜多見駅の改札前で名刺交換する桃原健一くんと白石准ちゃんです。
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何故か笑って見守る宇夫方路女史と稲垣護さんです。

では、お時間のある方、もう一軒行きましょうか。


下落合のスワンベーカリーを後にして、神田に向かう。

こんな店が目に入る。
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タイに象はつきもの。そういえばコンケン・アイの看板にも象がいたっけ。
象にはアフリカゾウとアジアゾウがいる。アジアゾウの方が頭がいいらしい。さらにアジアゾウはインドゾウ・セイロンゾウ・スマトラゾウ・マレーゾウに分かれる。タイのゾウはインドゾウだが、独立したアジアゾウの亜種の「タイゾウ」とする分け方もある。井の頭公園にいたゾウもタイゾウなんだとか。

タイではゾウは神聖な生き物。ゾウに乗るのはタイ観光の売り物。しかし覚醒剤を打たれて働かされているゾウもあるらしい。今度、コンケン・アイのワニダ(真弓)さんに聞いてみよう。5月の“オツベルと象”のために。

“やいま”に着く。
null 居酒屋“やいま”の案内
狛江の“コンケン・アイ”は刺身とタイ料理の店だが、神田の“やいま”は沖縄料理とインド料理の店なのである。M.A.P.三線教室の専用ブログで御案内していた新城亘新春ライブを聴きに来たのだ。

いやそれだけじゃない。高山正樹は飲みに来た。そして宇夫方路は踊りに来たのだ。だからそのへんのことは、宇夫方女史が三線教室と琉球舞踊教室のブログで書くのだろうから、こちらはやっぱりそれを待って追記しよう。

チュニジア(الجمهورية التونسية)のこととかも……
唄う
そして、ようやく追記した。《続き》へ……

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菅の薬師様の命日は9月12日で、常盤御前が御本尊で、菅の薬師堂は毎月2の付く12日と22日には本堂が開く。いったいどんなシステムに従っているのかな、さっぱり分からないが、ともかく今日は22日、朝、事務所に出かける前、菅薬師堂に寄ってみた。

実は10日前の12日、毛糸のキャップを本堂の中に置き忘れてきたのだ。

しかし、この日も本堂はまだ開いていなかった。
ところが……
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あらら、もしかして10日間ここにあったのかな。一日も雨は降らなかったみたいだし。ということならば、もっと早く来てみればよかった。
ともかく、帽子君と無事に再会しました、というハナシ。

その日の午後、ある朗読会に出掛けた。
そこで……
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宇夫方路は、サンディエゴで出会った羽島実優さんと再会。
高山正樹は、岡田和子さんと再会。いったい何年ぶりでしょうか、和子さんはふじたあさや先生の妹さんである。

宇夫方女史が、琉球舞踊専用ブログに実優さんとの再会ばなしを書くだろうから、それを待ってこちらの記事は後日追記することにしよう。

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京王線の仙川から小田急線の和泉多摩川方面うを繋ぐバス通りは、武蔵野市八幡宮前交差点から続く都道114号線の南側に当たります。そのあたりの沿道及び周辺と、それより北のつつじヶ丘あたりまでを「114号線周辺」としてまとめて、「喜多見・狛江情報」のサブカテゴリにすることにしました。とりあえず北は仙川まで含めちゃおうかな。

だからというわけではないのですが、コンケン・アイにお昼を食べに行きました。
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“コンケン・アイ”は「114号線周辺」のさらに枝別れしたサブカテゴリということです。

前回の記事を仕上げた後に、こっちの記事もちょいと追記する予定。今日のところ、ここまで。

【前回の記事をアップしたのでこちらも追伸(2月9日)】
この日食べたお昼は三色丼でした。つまりは早く売っちゃおうってやつ。知ってて注文しました。なぜなら不味いわけがないから。お昼は真弓さんひとりで切り盛り、オヤジさんがいないから「やめときな」とは言われません。
それに、お昼の売り上げは真由美さんのお小遣いになるんだもんね。
そりゃ確かにさ、夜の刺身とは鮮度が違うけれど、このあたりでこれだけのお昼は食べられません。

え?誉めすぎ?
そうなんです。なんたって“食べログ”というサイトのコンケン・アイのページを見てビ・ツ・ク・リ。コンケン・アイのホームページがなんといつのまにかM.A.P.after5のコンケン・アイのカテゴリになっているんですから。誰が決めたんだろう。ま、いっか。
というわけで、M.A.P.after5にはコンケン・アイを宣伝する責務があるのです。

でもなあ、コンケン・アイはオヤジさんの本業に支えられているのです。じゃなきゃあんなに安くあのネタを提供するなんてできませんから。だからコンケン・アイの近所の、つまり都道114号線近くの同業各店は辛いよなあ。普通はお店だけで生活していかなければならないんだものねえ。

だからといってオヤジさん、仏心を起こして閉店したり値段上げたりネタの質落としたりしないでね。常連さんみんなのお願い。

え? あんまり宣伝すると混んじゃって困るって? なるほど、それが常連さんの意見か。それにそのほうが近所のお店も有難いだろうって? 確かにねえ、そうだよなあ。地域全体を盛り上げる、みんなが良くなるって、難しいもんですねえ……


《1月20日25時》
“ばりき屋”の記事は連載小説になりそうですが、“酒菜”はそうはなりそうもありません。つまり、もう出来上がっているんですね。

健康ゲームを始めてから、席に座れば頼まなくてもスーさんが何かしら特別に作ってくれます。今日は大根の葉っぱの炒めもの。
すごい量です。
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もちろん薄味。卵はトロトロ。好みです。
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いったいいくらかって?知りません。全然気にしていません。

“酒菜”は連載小説にはなりませんが、一回一回読み切り記事にするための登場人物には事欠きません。それは、隣合ったお客さんとすぐに会話が始まるから。そしてその殆どの方が、ブログに顔と名前が出ることを嫌がらないのです。きっとこの“酒菜”は、人生を堂々と歩いている(歩けている)人たちにとって、とても居心地のいいお店なのだ、そんな気がしてきました。
でもそこが、人生を堂々と歩くことのできない屈折した高山正樹の、今ひとつ“酒菜”で落ち着けない原因なのかもしれません。

今日も新しい人とお話ししました。伊藤明世さんです。新婚さんです。
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職場で知り合ったご主人の理敬さんは、この左側で水才くんと話し込んでいたのでほっときましょう。
彼女、沖縄が好きなんだって。ダンナ様が好きで、それに影響されて。
「沖縄のどこが好きなの」
「きれいな海とか」
「わたしも初めて沖縄へ行った時、飛行機から見えた海がものすごくきれいでびっくりした」
「そうですよねえ」

この先の会話は、たとえば沖縄の海岸の砂は珊瑚のかけらだから白いんだよとか、そういう展開で進めていけばいいのに、高山正樹の場合はそうならないんです。

「20年前の沖縄の海は、今よりもずっときれいだった。でも、もっと昔を知っている人は、その30年前の海のさらに何十倍もきれいだったって言う」
だからさ、確かに津嘉山正種さんがそんなハナシをしてました。
 ⇒津嘉山正種さんが語った“美ら海”の記憶でも、そんなことを意味深な雰囲気を醸し出しながらで語っちゃうから、聞かされた人もどう答えたらいいのか分からなくなって、結局、自分が堂々と生きられなくなっちゃうんですよね。弱ったものです。

というわけで、本日の読み切り短編はこれでおしまいです。
(高山正樹が宇夫方路のフリして書きました。って書かなくてもバレバレ。)
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“ばりき屋”のサブカテゴリーは、きっと連載小説です。
昨年暮れに来た時は市場が休みで食べられなかったレバ刺し、午後10時前に店に入ってまず注文したがやっぱり品切れ。ここのレバ刺しは、それを目当てに遠くから来るお客さんもいるという店長一押しの品なのだが残念。遅めの時間に“ばりき屋”のレバ刺しが食べたいならば、電話予約しておかなければダメみたい。

変わりにユッケ刺しを頼んだ。
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以前の画像は卵の黄身を崩した後だったので、本日は崩す前。でも今日はピンボケ。)

もうひとつの店長お勧めメニューは“にんにくハラミ”
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値段はカルビ並み。ホルモンとしてはちょっとお高め。

そうなんだ。今までは“ばりき屋”に来るたび、やっぱり焼肉定番のカルビとロースは抑えておこうみたいな思い込みがあって、必ず注文してきたが、ばりき屋がそれほど安い店じゃないと感じていたのは、そのカルビやロースの所為だったような気がする。“にんにくハラミ”以外のホルモンは実に安い。

そうなんだ!
ばりき屋は焼肉屋ではなくホルモン焼肉屋なのだ!
そして……
ばりき屋のホルモンは安くて旨い!
十文字昇氏がこだわっているのは牛の筋肉なのではなく、牛の臓器なのである。
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おや、泡盛のボトルも、久米仙に進化してるじゃないさ。
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あら、カウンターにHAJIMEちゃんを発見。
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HAJIMEちゃんは“魚と日本酒の会”を主催するくらい食物にはウルサイ。ばりき屋はそんなHAJIMEちゃんのお気に入り。曰く……
「こんな質のいいホルモンをこんな安い値段で出している店なんて他にないっすよ」

今日は元暴走族の特攻隊長の「M.A.P.のはじめちゃん」と来た。やがてカウンターの「ダンサーのはじめちゃん」も合流、厨房から十文字昇くんも加わって“ばりき屋談義”になった。
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「カルビとかロースなんか、出すの止めちゃえばいいのに」
「うち、家族連れが多くんすよ。親がホルモンを食べたくて来る。でも子供はホルモンがダメ、だからお子さんには肉を食べさせておいて、親は食べたいホルモンを注文するってことが結構あるんです」
なるほどねえ。

たぶん今後、僕は、“ばりき屋”でカルビやロースを頼むことは無いだろう。そういう肉が食べたい時は別の店に行く。“ばりき屋”のカルビやロースが不味いといっているわけではない。そうではなくて、“ばりき屋”はホルモンがスコブル美味しいホルモン専門店なのだから。

今日はホルモン一辺倒。それで十分満足なのだ。それどころかカルビやロースを注文しないほうが、気のせいだろうか、後味がいい気がするくらい。
この日、あんまりワサワサ食ったのでホルモンの画像なし。次回から、“ばりき屋”のホルモンを、ひとつひとつ紹介しようと思っている。

どう?十文字さん。今日の記事は結構宣伝した感じじゃない。お客さん増えたらどうしよう。そうしたら益々レバ刺し品切れ?いや、逆にたくさん仕入れることができるから、品切れ解消につながるのかもね。

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《1月18日(火)》
M.A.P.沖縄サークル合同忘年会に続き……
本日はM.A.P.の沖縄サークル合同新年会です。
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“琉球舞踊教室”と“ゆんたくの会”と“はいさい三線教室”それぞれの専用ブログにも記事がアップされています。
 ⇒“M.A.P.琉球舞踊教室”のこの日のブログ
 ⇒“ゆんたくの会(喜多見で沖縄語を話す会)”のこの日のブログ
 ⇒“はいさい狛江三線教室”のこの日のブログ

それらのブログには掲載しなかった画像を使って……

恒例です。金城さんの足テビチ、レタス付き。
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宇夫方隆士さんが作ってくれた煮物。
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すごく薄味。
サラダも隆士さんが準備してくれました。
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主催者席?
null まよちゃんから貰ったイチゴ
参加された面々……
片野さん・金城さん・五味さん・上地さん 三線2本 大城洋子さん智子さんと花田さん 五味さんがコンビニで買ってきた琉球ハイボール
大槻さんと川崎先生

上地さんが面白いものを持ってきてくれました。
まずはこれ。名護親方、程順則(ていじゅんそく)のいろは歌。
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沖縄語のブログで宇夫方女史がすごく珍しいもののように紹介していますが、実は沖縄では結構ポピュラーなんです。面白いのは、それを巻物にしたものが上地さんのおじさんの家の蔵から出てきて、それがボロボロだったので、おじさんがわざわざ書き写して、さらにそれをタオルにしてお知り合いに配ったということ。
程順則については、あらためて後日追記します。

むしろ貴重なのはこれ。
「劇聖・玉城朝薫」
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 ⇒玉城朝薫についての記事
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沖縄「本土復帰」の3年前の発行ですね。
この本については、上地さんからお借りして、しっかり読んでからいずれあらためてご紹介したいと思います。

ともかく、上地さんが持ってきた「お土産」で、みんななんだかんだと盛り上がったのでした。
みんなで研究中

お待ちかね、演芸大会です。
豪華3先生揃い踏み。
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踊る先生……
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……見る生徒。

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師弟コンビ。
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内容は琉球舞踊のブログ三線教室のブログをお読みください。

本日のメインカメラマンは鈴木雄介氏でした。
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1月18日火曜日: 多摩の横山の北東の端

今日は世田谷通り(津久井道)の多摩川の橋から、富士山がよく見える。
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1月9日には霞んでいた「多摩の横山」も見渡せる。
桝形城址はこの画像の左、津久井道の反対側にある。
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その右。
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さらに右、中央あたりによみうりランド。
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ここから見通せる「多摩の横山」はこのあたりまでだ。
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遠い山並みではなく、その手前に見える森のような丘陵がきっと「多摩の横山」だ。しかしこれは「多摩の横山」のごく一部。画像奥(南)の港北ニュータウン、右(西)方向の多摩ニュータウンから八王子ニュータウンまでも、かつては「多摩の横山」だったらしい。つまり「多摩の横山」の大部分が、開発の波に晒された。
我が家も、ふじたあさや先生のお宅も、スッポリと「多摩の横山」の範囲の中だ。あさやさんの家の裏手には涼しげな木々が生い茂っていたが、数年前に宅地開発があって、以前とは様変わり、夏の温度がずいぶん上がったのではなかろうか。我が家の近くからもだんだんと野原が消えていく。しかし、文句の言える立場ではない。自分だって自然を潰して開いた土地に、後から入ってきたのだ。同じ穴の狢である。狢が増えた分、山から狸がいなくなった。スタジオジブリの映画「平成狸合戦ぽんぽこ」は、ここの開発を題材にしているのだと、後から知った。

今日は仕事の後、M.A.P.沖縄関連サークルの合同新年会である。
三重生活。


お待たせいたしました。今年初のコンケン・アイです。
「おめでとうございまーす」
しかし、オヤジはそれには答えない。
「もう松が明けてんだよ、来るの遅せーじゃねえか」
いやいや年明け色々あってさ、自転車で転倒、そしたら風邪引いた。こういうの「転んだら糞の上」っていうの?違うか、ハハ……
「8日はみんな来たよ」
ヤダヨ、あんまり混んでるの……

今日のお通し。
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「もう、撮んなくていいよ」
そうはいかない。コンケン・アイで出てくるものをデジカメで撮影するのは、もう趣味みたいなもんだ。

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まずは「おまかせの3点盛」を頼んでみた。そしたらひと間おいて「やめときな」ときた。オヤジさんとしてはちょいと気に食わないらしい。
「早く売っちまいたいから三点盛りにしてるんだからよ」
なんだか言ってる事が矛盾している。
「商売っ気ねえなあ」
しょうがねえ、三点盛りは諦めた。

で、薦められたのがこれ……
カツオ!
でっかいカツオの刺身
寒ブリ!
でっかい寒ブリの刺身
どっちもでかい!

「沖漬け食うか。釣ってきたイカ。うめえぞ」
「食う食う」
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絶品。

コンケン・アイで人気の地鶏鍋。キリタンポ入り。
地鶏鍋
「前は比内地鶏を使ってたんだけどよう、高くて使いきれねえよ」
なんとも正直なオヤジである。

真弓さんにウィンクしてサラダを作ってもらった。
タイ風サラダ
これがなくっちゃコンケン・アイじゃない。
「そんなもん食わなくていいんだよ、タイ料理なんか辛れえだけなんだからよ」
今日はタイの唐辛子一個使用。(※去年の12月13日は3個だった!)

「牡蠣、食わねえか。生でもいいんだけどよう、ちょっと炙ってよう」
やっぱりほんのちょっとだがオヤジさんとしては鮮度が気に食わないらしい。
真弓さんが炙ってくれた。
ちょっとだけ炙った牡蠣
「なんだよ、炙りすぎだよ。縮こまっちまったじゃねえかよう、ったくよう……」
いやいやまったく問題なし。これなら生でもよかったんじゃないの、というくらい。それをちょっと炙ったいい感じ。それでもオヤジはまだブツブツ言っている。

「毛蟹食わねえか……」
特大一匹丸ごと5,000円也。
「安いんだぞ、これ」
それは分かるんだけどね、さすがにねえ。無口になっちゃうし。
「生きてんだぞ……」
生きてる毛蟹
ホントだ。動いてる。でも蟹って、獲ったらすぐに茹でないと、どんどん身が痩せるっていうじゃないの。
「明日、お通しにして出しちまうか」

こんな調子だからコンケン・アイのお通しは旨いのである。
「お通しが一番大変よ。作るのメンドクサイよ。」
真弓さんである。
「お通しいらねえって客もいるけどよう、なんかツマミがなきゃ、酒が飲めねえんだよ。お通しがねえと、客を待たせることになるだろ。だけどうちのお通しは安すぎるよな。赤字だよ。でもしょうがねえんだよ。」
真弓さんがこっち向いてまたウィンクした。

只今、毛蟹が生きてる証拠を皆様にお見せする方法を思案中である。

【というわけで、お待たせしましたの追伸です。(2月9日)】
ついに毛蟹の生きていた証拠完成。
道頓堀の“カニ道楽本店”的宣伝の実写版!

たった27秒。こんなのyouTubeにアップしていいのかしらんと思いつつ、この方法がやっぱり一番簡単だった。はたして再生回数は増えるのかどうか。確かめたい方は下記をクリック。そうするとすぐに動画が始まって、再生回数が1回加算されます。
 ⇒http://www.youtube.com/watch?v=xPQvBnN1nCc

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昨日は三線教室でした。
 ⇒三線教室専用ブログのその日の記事
今日は3月に行われる“狛江市中央公民館のつどい”の3回目の実行委員会があり出席してきました。高山正樹氏がもう2度と出ないと決めた会議です。
 ⇒高山氏がお茶を濁して書いたそのときの記事

今日のご報告は、一昨日のエコルマホールに行った時の記事を高山氏が書くのを待ってからにしまーす。
くわばらくわばら……
(宇夫方路)

【3月4日追伸】
高山氏がエコルマホールの記事をやっと書いたので、それを受けて。

この日は、前回までに決まったことの確認をしたあと、本番当日の受付の当番を決め、必要な提出物や提出期限などを確認して、40分くらいで全体会議は終了。
その後、やはり前回と同じように、コンサートに出演する団体だけが残りました。

この日はあの人がいなかったので、しまきさんとよねやまさんという男性二人が仕切って、当日使用するものの確認など、打ち合わせが進みます。
控え室は女性と男性に別れているので、女性の部屋に男性は入っちゃ駄目、という至極当たり前のことを確認しました。なにしろ前回は、女性の部屋でリハーサルをするというなんともケッタイな話しになっていましたから。。。

私達は終わった後、着替えなければなりません。それなのに自分の演目が終わった団体はもう控え室は使えないという決まり。でも、私達は後ろから2番目なので、終わったときにはもう次の最期の方々は会場にいるはず。その時はもう控え室を使っている人はいないはずなので、終わった後の着替えに控え室を使わせていただけることになりました。今日は、当たり前のことが当たり前にお話できて良かったです。

次回の会議は2月14日です。
(再度、宇夫方路?)

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※1月15日の夕方です。
“サイゴン”を出て、そのまま狛江駅前のエコルマホールへ向かいました。
思い立ったが吉日です。
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昨年の11月の奏楽舎の合わせでここエコルマホールのリハーサル室を使いました。その時にちょっと顔を出したのです。それ以来です。
狛江は「音楽の町」。M.A.P.の所在地は狛江市です。

「山猫合奏団さんのことは前からちょっと気になっていたんですが」
去年のしんゆりのご案内だってしているんだから、そんなことなら来てくださればよかったのに、なんてことは言いませんし思ってもいません。きっとお忙しいのでしょうから。
「もっと早くお伺いすればよかったですねえ」
「そうですよ」
まあ、こちらも忙しかったわけなのですが。

ともかくお客さんが入らなくなった、それでとても苦労していらっしゃるようです。町田や相模原ではすぐに一杯になるようなものでも、ここ狛江ではダメ。どうも都心に近い過ぎるというのも原因のひとつのようです。数年前なら発売後すぐチケット完売となるような有名な落語家さんを呼んでも苦戦だとか。予想以上に厳しいようです。

エコルマホールのキャパは700くらい、少し大きい。ココで赤字を出さない催しをするのはとても難しい。小さい市なのに、なぜ300くらいの小屋にしなかったのか、劇場には、「大は小を兼ねる」っていう言葉は当てはまらないんですよねえ。

狛江にはたくさんのアマチュア音楽グループがあるのですが、お互いは殆ど交流しない。人様の公演は見ない。ただやっているのが楽しい自己満足。なるほどねえ、よく分かります、と、例の会議の話をしちゃいました。
「やっぱりそうですか」だって。

狛江市在住の斎藤ネコさんにも、狛江の音楽シーンを盛り上げるために色々お手伝いを願っていらしたらしいのですが、たぶん「市民」に嫌気がさして手を引かれたらしい。その気持ち、よく分かります。

このあたりからすっかり意気投合。しかし、気持ちだけではどうにもならないことばかり。角筈の公演の時にもあった指定管理者制度の弊害ですが、狛江にも形を変えてそれがあるようです。どちらの場合も決して指定管理者が悪いわけではない。問題は上だな、やっぱり。
結果ばかり求められる。数字、数字、数字。事業仕分けにビクビクして、だからリスクの少ない選択ばかりするようになる。せざるをえない。でもその結果、代わり映えのしないものばかり見せられて、結局お客さんは離れていく。悪循環。

この先のハナシは、全てミステリーということにしておきましょう。

事務所の午後5時です。
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土曜日なのに煌々と灯りが点いている。助っ人が支えてくれています。
土曜日に働くのは外注さんと……
えっと、それからあとは……
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※1月15日の昼です。
守備範囲を狛江まで拡げて、かつ軽い記事でもよしということに自分で決めちゃったので、少し楽しくなりました。

世田谷通り沿いにあるサイゴンへお昼を食べに行きました。M.A.P.after5としては昨年6月以来2度目の訪問記事です。

サイゴンラーメン。
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ハノイカレー
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サイゴンは今のホーチミン市。ハノイはベトナムの首都。知ってるようで知らないこといっぱい。

でっかいナン。
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でもナンて、インド料理ですよね。中央アジアにもあるらしいけれど、ベトナムはどうなんだろう。
そういえばベトナムカレーってあるのかしらん。
今ではベトナムでもカレーは日本と同じように一般的な家庭料理らしい。要するに、たとえば日本のカレーは本場インドあたりのカレーとは似て非なるもの、それにあえて名前をつければ「日本カレー」。「ベトナムカレー」も同じようなことなのかもしれません。この話し、全く根拠のない僕の想像なので、鵜呑みにして断定的に他で話さないでくださいまし。

このサイゴンというお店、決してベトナム料理専門店ではないようです。エスニック料理全般に亘って、少し日本人の口に合うようにアレンジして出している、そんな感じなのかもしれません。泡盛も置いてあるのは、沖縄もエスニックの範疇っていうこと?

あら、怪優、梅津栄さんのお写真が貼られてありました。
梅津栄さんのお写真
ネット情報では、“サイゴン”は俳優の梅津栄さんがオーナーだとか、あるいは常連だとか、色々出てきます。そこで、お店の方にちょっと聞いてみました。
「顧問みたいにお世話になってます」
ふーん……。

梅津さんはこんなCDもお出しになられているようで。

狛江市にお住まいなのだから、山猫合奏団と何か御一緒できたらおもしろそうですねえ。そのためにも我々の狛江市での認知度をまず上げなければならないということかな。

さらに、梅津さんは書家でもいらっしゃるってご存知でしたか。ばりき屋のゆかりさんが着ていたあの海人のTシャツの「海人」の字は梅津さんが書いたのだとか。

なんだか連想ゲームみたいに出てきますね。こんな調子で狛江散策していこうっと。



※引き続き1月15日です。
《2011年1月14日26時45分》
「夜の酒は控えない」と決めた健康ゲームだが、行き詰まりの気配。やはり今年からは「酒」も事業仕分けの対象にしないとダメかな、と考えていたのだが……。
「まあ、お年始だから仕方ないな。」
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今年はいったいどんな年になるのかな。
12日に会った時も何も聞かなかった。
今日も同じ。あのこと
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僕の裏ブログ「社長とは呼ばないで」のURLは「mugon」です。
 ⇒http://lince.jp/mugon/

和情久美ちゃん、3月の発表会は、せいぜい楽しみましょう。プロのステージの華やかさとは比べものにならないけれど。
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間もなく、午前3時。


カテゴリ: 狛江市
※1月15日になりました。
《2011年1月14日24時10分》
鳥研を出ると、ちょうど日が変わった。
目の前は電力中央研究所。へえ、まだ働いてるんだ。
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そういえば、電研の大部分が移転するという話を聞いた。でも跡地をどうするかが決まらない。だからとりあえず公園にするのだという。
鳥研の高田君によると、そういう話は今までにも何回もあって、そのたびに立ち消えになるらしい。

電研が出してくるデータについては、結構黒っぽい噂もある。原発は安全だという、お上のための方便。小さな原子力発電の施設がこの中にあるとも聞いが、本当なんだろうか。

原子力発電所といえば、日高さんから昨年届いたレポートがあるのだが、なかなかご紹介するタイミングがない。今日の記事がチャンス、電研に絡めて書くかなとも思ったのだが、やめておこう。

その昔、電研と狛江市は税金のことで最高裁まで争ったことがある。結局狛江市の勝訴、電研の土地全てが公共の研究のためにあるわけではないから、その部分については税金を払えという判決。公共のため、公共の利益って何なのだろう。
今、電研と狛江市は仲良くやっているようだ。狛江市としても財政のためにはずっと電研にはいて欲しいんだろうな。電研が近隣の住人を安心させるために開く催しを、狛江市は協力して積極的に広報もしているようだし。

なんだか、沖縄の基地のようだ。米軍基地を時々開放して開催するマーケットには、たくさんの住民が押しかける。まさに、カクテルパーティー

新しい飲み屋ができると、電研はツケが利くなら飲みに来てやるというふうに言ってくるという。あちこちでそんな話を聞いた。鳥研も例外ではなかったらしい。高田君は断った。僕は、そんな高田君を全面的に支持するよ。今年の鳥研、目標12回。

そうか、ここは狛江市なんだよな。鳥研もそうだ。ということは、「喜多見・狛江情報」というカテゴリの中に、「喜多見限定」と「狛江市」のサブカテゴリを並列させるのはおかしいな。でないと、「鳥研」をどっちに入れればいいのかわからなくなる。
やっぱり……
「喜多見限定」→「喜多見駅周辺」
「狛江市」→「狛江駅周辺」
……に変更しよう。
そして「狛江市」というメインカテゴリを新設しよう。当初のポリシーには反するが致し方ない。

新しい狛江市のカテゴリはメインカテゴリである。



1月14日金曜日: 2011年初“鳥研”

なんかね、今日の“鳥研”、ちょっと変だったんですよ。
「ホッピーは黒にしますか、赤にしますか」
「え?」
「あれ?」
あれじゃないよ。
それから始まって、そのほかにも色々と。高田君もすっとぼけたこと言ってるし。まあ、どれもこれも何てこと無いことばかりなんですけどね。炭の一酸化炭素に当たったのか、まだ正月ボケなのか。
去年、鳥研にはちょうど10回来ました。

M.A.P.が作った“喜多見情報”という実に貧弱なサイトがあります。その中の鳥力中央研究所のページでは、今までM.A.P.after5で紹介した鳥研のメニューの一覧を表示してあって、そのメニューの文字をクリックすると、該当のブログ記事に飛ぶようになっているのです。
もう殆どのメニューをブログに乗っけたと思っていたら、案外抜けている。そういうわけで、今日はその抜けているやつを重点的に食すことにしました。

ハツと砂肝。
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……おっと、ホワイトバランス失敗。
やり直し。
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合鴨田楽、だったと思う。
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鳥焼きをポン酢で。これ、確か2度目の登場だな。
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やげん軟骨。
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皮。
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レバ。
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オクラ。
オクラ
アボガドとズッキーニ。
アボガドとズッキーニ
しいたけ。
しいたけ
ウズラのたまご。
ウズラのたまご
そして、たまごかけごはん。
たまごかけごはん
……の、たまご。
たまご
光る被写体にピントを合わせるのは難しい。つまり何を食べてもおいしいってことさ。

というわけで、鳥力中央研究所のページも更新しました。



中む食堂の隣にある“ふきの塔”というパスタ屋さんに、お昼を食べに行きました。
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2011年、狛江探索の助走です。
サラダ
めんたいクリームパスタ。
めんたいクリームパスタ
高菜のぺペロンチーノ。
高菜のぺペロンチーノ

細めんです。すごく量が多いです。これ以上のコメントは、他の食べ物ブログを探してくださいませ。
人を語らず、味についてだけ能書きを垂れるような資格は、やっぱり僕にはないんだなあという気がします。そんなグルメじゃないしね。
だから、狛江探索は、今のところこんな感じで軽く始めようと思っています。

ただ、小生、健康ゲーム中。次来た時は、薄味でって頼んでみよう。それが次へのきっかけになればいい。そこからどんな展開になるかはミステリーです。


カテゴリ: 川崎市
多摩の横山のイメージが伝わるような写真がなんとか撮影できないかと考えているのですが。今日も本部のベランダからの風景を撮影。ずっと向こうにうっすらと写っている富士山、分かりますか。
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よく分からない? じゃあアップ。
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よみうりランドの観覧車が見えますが、そのあたりの距離のところに多摩の横山があるのです。
体調もやっと戻ってきました。今日は元気に市民劇、今年になって2回目の稽古です!というつもりで出かけて行ったのですが……
「あら、この前の稽古の日、旅僧さんどうしたんですか」
などと言われ??
どうやら「2回目の稽古」は一昨日の11日だったらしい。

わたくし、自分のスケジュールを明日までしか把握していないのです。朝事務所に行って、ボードを見てその日と次の日のスケジュールをチェックします。事務所に行かない日は電話で聞きます。明後日のことは聞きません。聞いても忘れるから。明後日のことは明日決める。そんなわけだから、10日にダウンして自宅で臥せっていた僕は、12日に何があるか、全く頭の中から抜け落ちていたのです。
どうしてもやらなければならないことがあれば、事務所の誰かが連絡くらいしてくるだろうと高をくくっていました。ところが、業務に関係していない市民劇のことなど、会社の連中の念頭には無かったようで。

というわけで、わたくし、11日の稽古のことは、すっかり失念しておりました。皆様、大変失礼いたしました。そこで、私の役名は「旅僧」ではありますが、その法名を「失念」とすることにいたしました。
「失念した」の「失念」のアクセントは(_ ̄ ̄ ̄)ですが、法名なら( ̄___)ですな、ハハ……。

この日の稽古のダメ出しで、あさや先生は「東国」を( ̄___)と発音していらっしゃいましたねえ。2回も。僕もそう読みたいなあ。

7日の稽古で、ふじたあさや氏は鼻濁音のことを指摘していました。11日の稽古のことは知らないのですが、この日の読み合わせでも、何にも変わってはいませんでした。
僕個人としては、いわゆる標準語のルールとは関係なく、鼻濁音とそうでない音を、場面や個性に応じて使い分ければいいと思うのですが、今の状態はそれとはだいぶ違う。きっと、最後までこのままでしょうね。アクセントも同じこと。

稽古が終わって、近くのお店でちょっと一杯。
居酒屋ますき
6回目の「飲み」。新しい方2名。累計19名。(※小川信夫先生宅へのお年始と、稽古場での親睦会は除く)
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左手前から時計回りにご紹介。
まずは石山海くん。日本映画学校演出科出身。今回の芝居では主人公の稲毛三郎重忠を演じます。彼、パパになったばかりらしい。彼の明るい性格がこの芝居を支えます。そしてそんな彼を支える奥さんは間違いなくもっと偉い。
そのお隣はミズノタクジ氏。超電磁劇団ラニョミリという集団の中心人物。どこやら海の向こうの大学で舞踏などを学んでいらしたらしい。
男優不足なので、頼朝と農兵の二役を演じます。残念ながら踊る場面はみられそうもありませんが。父上の水野哲夫氏が代表をなさっている京浜協同劇団を、彼が退団されたその理由は不明?
そして井上思麻さんは中西和久さんが主催する京楽座の女優さんです。彼女の役は侍女・楓。
最も上座には福留千惠さん。堂々と北条政子の役です。適役? 彼女の自己紹介は、「私のダンナは野球選手の福留孝介のいとこです」。
中谷麻由子さん。超電磁劇団ラニョミリの女優さんで、里の子どもを、手を抜くことなくちゃんと演じています。だから僕は、いつも感心しています。
海浩気くんも京楽座の所属。畠山二郎重保と北条義時を演じます。さて彼がいったいどんな「はんぱない」演技をするのか、ちょっと興味が沸いてきました。注目。
寄せ集めの今回の集団、散漫になりそうな読み合わせ、それをきっちり芯になって引き締めているのが隈本吉成先輩。小沢昭一氏が1975年から5年間限定で立ち上げた芸能座のご出身です。京楽座の中西和久さんは隈本さんの高校の一年先輩とのことですが、中西さんは隈本さんに一年遅れて芸能座に入団されました。現在はザ・スーパー・カムパニイに所属。
(因みに、演出のふじたあさや氏は、芸能座で若手の俳優に演技を教える講師をしていました。)
そして最後がとのぎひろこさん。最近、ミズノタクジ氏を追いやって、超電磁劇団ラニョミリの代表に就任しました。福留さんとダブルで北条政子を演じます。こちらは彼女の学歴のママに……

皆さんきっと芝居をこよなく愛していらっしゃる。というより、俳優として演ずるということが、皆さんにとって人生における最大関心事なんだろうと感じてしまったのです。
すると途端に僕は、自分がここにいてはいけないのではないかと考え始めた。そしてずっと、沖縄の言葉と、古の大和の言葉の、その対峙する文化、などということに思いをはせていたのです。僕は確かに現代の只中にあるのだが、「演ずる」という行為を、単なる個の感覚として語るだけなら、僕はそれよりも、「個」とは無関係に、「言葉」が背負っている過去の総体というものを想うほうに、はるかに関心があるのだ、というふうに。

また、僕の悪い癖が始まりました。

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宇夫方路は、この日、川崎市の幸区にある夢見ヶ崎という特別養護老人ホームで琉球舞踊を踊ってきた。老人ホームには予算がない。交通費として僅かな謝礼を貰ったようだ。
 ⇒琉球舞踊専用ブログのこの日の記事

果たして、これはプロとしての仕事なのかどうか、なんとも微妙なハナシである。
たとえば、僕がもう少し三線がうまくなって、老人ホームからお呼びが掛かったらどうするか。プロではない。ギャラを要求するなんてとんでもない。もし交通費程度の謝礼でなんて言われたら、「ハイ、喜んで」と、きっとふたつ返事だろう。

しかし、今、そんなアマチュアがたくさんいる。老人ホームや病院などで行われる小さなコンサートはアマチュア花盛り。たまに問い合わせを頂いても、それ相応のギャラをお知らせした途端、こういう施設でそんなお金を取るなんて信じられないみたいな反応をされる。

たまにロビーですばらしいピアノを見つけたりすると、こちらから営業みたいなことをしてみることもあるのだが、たいがい「うちはアマチュアのボランティアの方々が定期的に演奏家を開いてくれるので間に合ってます」、なんてことになる。

かくして、プロの音楽家の生活の糧を得る場所は次第に少なくなりなり、余程お金と時間に余裕が無ければ、プロの演奏を生で聞く機会は得られなくなる。

琉球舞踊と山猫合奏団、一見全く無関係なようだが、意外に近い場所にいて、お互い全く相手の実感が見えていないというハナシ。

僕は山猫合奏団の東京ニャイト倶楽部の録音を終え、宇夫方路も戻ってきて、7時からは2011年M.A.P.三線教室の稽古始めだった。
どちらも書きたいことは山ほどあるが、きりがないのでやめておこう。

ただ、武富節に「尺」の音が三種類あるのでは、という僕の話に、持田明美先生は「もしかするとそうかもしれない」とおっしゃった。定かなことは分からない。ただ、このことをウチナンチュの三線の先生に話しても、きっと満足な答えは返ってこないような気がする。持田先生はヤマトゥンチュ。弁証法的に言えば、ウチナンチュの三線の先生は即自、ヤマトゥンチュの三線弾きは対自。この先、さらに即自且対自へと発展できるかどうか、これは沖縄文化全般に言える課題であるようにも思うのだ。

なんともたいそうなハナシになってしまった。ともかく不確かなことを、あまりネットで垂れ流すことはやめたほうがいい、と、十二神将の干支の件で思ったばかりではないか。
「尺」の音については、もう少し探ってみよう。しかし、それがここ東京近辺にいて可能なのかどうか。

因みに、沖縄では三線の人間国宝の先生でも、定年まで普通の会社に勤めている。どんな名人でも三線だけで生活できる人などいない。それが東京では、ギターの如く三線を弾くヤマトゥンチュが、たくさんのお弟子さんを集めて生活していたりする。毎日のように東京近郊でミニライブに出演する三線弾きの技量は、沖縄で学ぶ若者たちに遠く及ばないと聞いたこともあるが、僕に判断できるはずもない。

三線の稽古を終えて、狛江市“中央公民館のつどい”での発表会の打ち合わせを、持田先生とM.A.P.の事務所でして、それから酒菜へくり出した。
スーさんは酒菜を喜多見で唯一の割烹だと豪語する。半ば冗談にしても、年季の入った料理の腕前、肴にはこだわりと自負があるに違いない。それなのに、今までまともに出てくる肴を紹介していないことに気がついた。きっと店の照明が暗い所為だな。

天然ものの鰤。
氷見の天然ブリ
それから白子ポン酢。
白子のポン酢あえ
鹿の刺身。酒菜の鹿は一昨年の暮れ以来。
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あら、素材で勝負のツマミばっかり、あんまり料理の腕は関係ないね。まあ追々とね。
健康ゲームの効果が頭打ちなので、後は夜の酒宴を減らすしかないと思っていたのだが、さて弱った。

あ、そうだ、鹿は日曜日の“らりゅぬ”でも食べた。もしかすると同じ鹿じゃないのとスーさん。鹿肉の流通事情がよく分からないのでなんともいえないが、今度“らりゅぬ”に行った時の話題ができた。

さて、“酒菜”は安いか高いか。少なくとも“らりゅぬ”よりは安くつく。だからなんだというハナシではないのだが、客も謙虚さを失うと、いつしか味音痴になりかねないと、自分自身に言い聞かせているのである。
(高山正樹)
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1月12日水曜日: 菅薬師堂の十二神将

今日は菅薬師堂の初薬師である。午前9時。僕はまだフラフラしている。
午後にはどうしても事務所に行かなければならない。薬師堂の厨子の撮影と例の十二神将の件は、今日を逃すと、いつになるか分からないので、なんとしても午前中に片付けたい。体は本調子に程遠く、もう少しゆっくり寝ていたかったのだが、気合を入れて薬師堂へ向かった。

しかし……
閉まっていた薬師堂

でも昨年10月に市民劇御一行様で訪れた時と同じ、薬師堂を管理されている奥様がいらっしゃって、今日も本堂の鍵を開けてくださった。
「何時からなんですか」
「人が来れば」
「初薬師なのに、人、少ないんですねえ」
お正月だけですねえ」
境内には焚き火の準備があった。護摩焚きをするらしい。午後から近隣の顔役の方々が集まってくる。本堂で食事をして、夕方くらいまでは飲んでいるらしい。

ご本尊が安置された厨子。三度目の挑戦だがやっぱりつまらない写真。
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最近すっかりカメラ小僧の白石准ちゃんを呼ぼうかとも思ったのだが、そんなことしたら益々作曲しなくなりそうだ。せめて僕ひとりくらいは彼に無言のプレシャー(無言じゃないか)をかけておかないと、撮影旅行に行って来るなんて言い出しかねないからなあ。

さて、懸案の12人の怒れる男(?)たちなのであるが……
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近隣の御長老に伺えば何かが分かるかもしれないと思っていたのだが、午後まで待ってはいられない。
菅薬師堂の十二神将の説明
そこで、書斎に戻ってもう一度じっくりネットで調べてみることにした。
すると「十二神将が十二支のどれに対応するかは経典によってまちまちである」ということが分かった。毘羯羅を子として始め宮毘羅の亥で終わるというのが、確かに一番ポピュラーであるらしい。菅薬師堂にあった案内に則して言えば、左の毘羯羅から右端の宮毘羅に向かって「子」「丑」「寅」……とあてはめていけばいい。そうすると、正月の記事で書いたように、安底羅は「申」、摩虎羅が「卯」、迷企羅は「寅」となる。ネットの多くはこのパターンしか書いていない。
しかし、その逆周りのもの、つまり、宮毘羅を子にして毘羯羅の亥で終わるものもあるというのだ。それがここ菅薬師堂の十二神将のパターンではないか。つまり、間違いでもなんでもなかったのである。
そのほかにも、招杜羅を子にして真達羅を亥にするもの、毘羯羅を子にして招杜羅を亥にするものがあり、合計「四つのパターンがある」と書かれたサイトを見つけて、ひとつ懸案が消えたと僕は喜んでいる。
とはいうものの、それが本当に正しいのかどうか、保障の限りではない。ネットの情報を使うのは難しいとあらためて思う。

ところで、汚れたガラスがなければ、安物のデジカメでも、もう少しいい写真が撮れるのになあ。
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准ちゃん、なんかいい方法あるかね。
いやダメ、今の言葉忘れて。
憎まれ役のプロデューサー、強面の十二神将は、温和な本地仏の本性を隠しておかなければならないのである。

今日の午後は、喜多見の事務所で「東京ニャイト倶楽部」の録音である。准坊に作曲の進捗状況を厳しく聞かなければならない。むふふ……


1月11日火曜日: 具合悪しです……

一昨日の夜から、身体の具合がおかしくなってきた。どうやら体のあちこちが痛いのは、自転車で転んだだけの理由ではなかったみたい。昨日は果物以外何一つ喉を通らなかった。発熱でヒーヒー唸っていた。ようやく今日のお昼ごろから少し回復の兆しあり、なんとかお粥を食べた。

今しがた智内さんから新宿にいるのだがという電話があった。智内さんのお誘いはいつもこんな調子だ。流石に今日これから出掛けるのは無理、残念ながらお断り申し上げた。
しかしその智内さんの電話が布団から出るきっかけを作ってくれた。まず、血圧を調べてみた。上が117で下が80。なんだかな、ネタにならない数値で詰まらない。

ボチボチ個人の確定申告の時期だ。いやそれよりも、昨年働いてくださった方々に源泉徴収票を作成して送らなければならない。それを昨日やる予定だったのに、それが出来なかった。またしばらく連日予定が入っている。さて困った。
さらに今日は、預り源泉の納入期限の日、支払う金額を帳簿から自動的に計算するシステムなのだが、僕の入力作業が間に合わず、仕方なく宇夫方女史に報酬明細から一々計算して支払の処理を頼んだ。計算間違いがないか心配である。

てなことをPCに向かって打っているうちに吐き気がしてきた。なんだかフラフラする。書きかけのブログの記事を今日中にいくつかアップしてみようと思っているのだが、はてさて……

熱い日本茶ばかり飲んでいる。
「あわもり」と書かれた湯呑み

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毎年恒例の東京琉球舞踊協会の新年会が、霞ヶ関にある東海大学校友会館で行われました。
 ⇒去年の新年会の記事

来賓の中に、去年の宮古郷友会のふるさと祭りでお世話になったクイチャーパラダイスの草野さんを見つけました。

草野さんのこの日のブログを見つけました。
 ⇒http://quipara.ti-da.net…
ちょっとおもしろ不思議な方みたい?

仲宗根善久先生もいらしていました。善久先生は現在沖縄と東京半々の生活なんだそうです。
「東京に彼女でも出来たらずっといるんだけどね」
(危ない発言、ばらしちゃって、いいのかしらん)

沖縄の映像制作会社映画、シネマ沖縄という会社の末吉真也代表とも名刺交換をさせて頂きました。何か一緒にできるかもしれない、またご連絡しますと仰ってくださいました。
後で分かったのですが、実は井上真喜ちゃんが制作を担当したDVDを、M.A.P.が委託販売するという話があるのですが、そのDVDを作ったのがシネマ沖縄だったのです。
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※このDVDについては、正式にM.A.P.での販売が決まってからご紹介します。
シネマ沖縄は1970年代にできた歴史ある会社です。真喜ちゃん情報だと、沖縄で一番のんびりした制作会社らしい。なんとおそろしい、いったい販売開始までどのくらいかかるのでしょうか。でも一度お会いしたので、少しは話しが進むかも、と真喜ちゃんは言っていました。

ともかく、沖縄は狭い。

【おまけ】
関琉球舞踊研究所の余興です。
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来賓の方たちに、テーブルごと3チームに別れて頂き、コップに洗濯ばさみをひたすらくっつけ、どこのチームが一番早く付けられるかというなんともくだらないゲーム。それを仕切っただけなんですけどね。でも、盛り上がりました。善久先生が必死に頑張って、善久先生のチームが1等賞を取りました。
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(左端が善久先生です。)
商品はちんすこう。実はこのゲーム、介護施設のボケ防止のゲームなんだって。これ内緒です。

琉球舞踊の専用ブログにこの日のことを書きました。そちらがオフィシャルかな?
 ⇒http://mapryukyubuyou.ti-da.net…
(報告:宇夫方路、代筆:高山正樹)
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1月 9日日曜日: ムーチーを食べました


《高山正樹》
午後の今頃になって、昨日自転車で転んであちこちぶつけたところが痛くなってきました。もう仕事やめて帰ろうっと。だいたい今日は日曜なんだしね。
でも、性懲りも無く、自転車乗って帰るのです。

途中、多摩川に掛かる橋から、多摩の横山を撮影してみたのですが、曇っているのか靄っているのか、よく写りませんでした。
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《宇夫方路》
今日は関りえ子琉球舞踊研究所の稽古始め。
関先生がムーチーを持ってきました。
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ムーチーはカーサ(月桃の葉)に包んで蒸します。
「昔はもっと大きかったよね~」と、ウチナーンチュの皆さん。
最近は大きな葉っぱが少なくなってきて、それにつれてムーチーも小さくなっているそうです。
ムーチーの日には少し早いですが、稽古前にみんなで頂きました。
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※みんなが小さくならなくてもいいでしょうに……(高山)

伊計島にはこのカーサムーチーの風習がないのだそうです。伊計島は沖縄本島中部勝連半島の東にあるいくつかの島のひとつで、本島から見て一番奥にある島です。今でこそ「海中道路」が島々を繋いで、伊計島も本島と車で行き来できますが、昔はもちろん船でなければ渡れませんでした。そのため、カーサムーチーの風習が伝わらなかったんだそうです。ひとつ手前の島ではあるのにね、と伊計島出身の関優子さんが言ってました。

石川市(現うるま市)出身の佐藤さんは、小さい頃遠くに見えた伊計島は、てっきり無人島だと思っていたのだそうです。

《高山正樹》
「ムーチーの日」は旧暦の12月8日です。去年は1月22日がそれにあたっていました。その日の記事に「鬼餅」のことを詳しく書いてあるので、どうか読んでくださいね。
 ⇒R-16的「【鬼餅】のはなし

その他にもムーチー関連の記事はいくつかあります。
 ⇒沖縄通信no.3
 ⇒月桃の使い道
 ⇒金城さんが作ったムーチー
※ムーチーのカテゴリ、作ったほうがいいのかなあ……

昨年、“この日何の日沖縄篇”というカテゴリを作って、一年間で主な沖縄の行事を全部紹介しようと企んだのですが、後半息切れしてしまいました。今年あらためて仕切り直ししようと思っているのですが、今年の旧暦の1月1日は2月3日です。それまでにどうしようか考えることにします。

ともかく沖縄のムーチーの日は、新暦の年が開けてから行われ、さらに大和の餅のイメージもあって、僕なんかずっと正月の風物詩みたいに思っていました。でもムーチーは「師走(シワーシ)ムーチー」ともいうように、本来は年の暮れの行事なのです。

さて今年の(というか去年かな)旧暦12月8日は1月11日、つまりあさってです。さてその日に昨年の「この日何の日沖縄篇」の締めに「ムーチーの日」のことを書くかどうか、只今思案中です。


《1月9日(日)》
このブログが、居酒屋情報になるのは避けたいが、喜多見情報を充実させることに異論は無い。
前から気になっていたお店“らりゅぬ”だが、ついに、まずはランチでM.A.P.after5初御目見え。
らりゅぬ
(とりあえず画像を数枚……)
手作りパン 豚 鹿 鹿はレアーで
このブログはなんてったってM.A.P.after5である。単なるお料理紹介で終わらせるわけにはいかないのだ。だから、まず嫌がるオーナーシェフを無理やり登場させるところからスタートである。
“らりゅぬ”のマスター
(記事は後日ゆっくりと書く。)


1月 8日土曜日: あゆちゃんのお店で

《1月8日(土)》
川崎市幸区にある、あゆちゃんのお店に行った。

記事は後日書く。
とりあえず食べたものの画像だけアップしておこう。
中味のお通し ソーキ肉 ゴーヤーチャンプルー もずく にんじんシリシリー ソーミンチャンプルー “あゆ”のお店の中 “あゆ”のお店の外


カテゴリ: 川崎市
今日は年明け最初の稽古だったので、少し早めに切り上げて、そのまま親睦会を兼ねた新年会となりました。
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1月2日の記事の「おまけ」で、「5月のしんゆり芸術祭で、山猫合奏団は『象』、高山正樹は『僧』になる」なんてわけのわからないことを書きましたが、実はこの「枡形城・落日の舞い」が、今年の川崎しんゆり芸術祭に特別参加するのです。

というわけで、この日は、しんゆり芸術祭関係の方々も稽古を見学にいらっしゃっていました。

川崎市文化財団副理事長、北條秀衛さんのご挨拶です。
北條秀衛さん
「北條」といえば、今回のお芝居では北条時政が悪役。一つ前の記事の続きですが、その「北条」を(_ ̄ ̄ ̄)と読むか( ̄___)と読むかみたいな話にもなっています。というのも、副理事長の北條さんが、御自分の苗字を( ̄___)と発音されるから。まあ、普通なら(_ ̄ ̄ ̄)なんでしょうけれど。

その後、出演者の自己紹介などあったりして、その際、僕が迂闊にも今年のしんゆり芸術祭に山猫合奏団が参加することをお話ししたりしたものですから、北條さんや芸術祭の実行委員会の方に気づかれて、後で声を掛けられました。本来ならばこちらから御挨拶に行かなければならないところなのに、大変失礼いたしました。そして名刺交換などさせていただいたわけですが、元来名刺は大嫌い、名刺交換などできることなら一生やりたくない性分なのに、企画制作会社の代表という立場上、小姑みたいな社員から名刺は持ったかといちいち注意されるわけで。

あーあ、来賓の方々と名刺交換している役者がいるって、感じ悪いよなあと思いつつ、これも仕事と割り切ったのですが、実は少しだけ内心憂鬱になっていたのでした。

そんなわけで、いよいよ今日からひとりひとり捕まえて写真を撮って、このブログでご紹介をと思っていたのですが、その意気込みが萎えました。

それでもあちらから声を掛けて貰えれば気分も晴れます。
「すっごい近いんですよね」
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そうなんです。
今回、ボランティアで衣裳をお手伝いしてくださることになった松延さんです。でも本当は劇団四季でもお仕事をされるようなプロです。それが地元のお芝居だということで、お手伝いに手を上げてくださったのだとか。頭が下がります。
松延さんのご自宅は我が家から数分。すっごい近い。でも一度もお見かけしたことがありません。なにしろ僕は、日曜だろうが祝日だろうが、明るい時間に家の近所を歩くことなんて殆どないのですから。
プロでお使いのお名前は違うようですが、今日のところは松延さんにしておきましょう。
これ、我が家のご近所の、その松延さん自家製の“のらぼう”の種です。
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まだ見ぬ“のらぼう”の本体、いったいいつになったら出会えるのだろう。

侍女・楓を演じる神野美奈実さんと関昭三さんのツーショット。
神野美奈実さんと関昭三さん
神野さんは劇団東少の役者さんです。(契約なのか団員なのかは存じ上げませんが。)劇団東少の代表相羽源之助氏とは旧知です。その縁で、今から35年ほど前、劇団東少の旅公演に大道具で行ったことがあります。

舞台監督に飲みに連れて行かれて、そして割り勘でした。いい経験しました。
もう時効でしょうから言っちゃいますけど、楽屋では、ベテラン役者さんたちが出番ぎりぎりまで花札をやっていらっしゃいました。
「~さん、間もなくです!」
「はいはい、わかりましたよ、それ坊主!」
座布団めがけてパシッ!っとやって立ち上がる、みたいな。

これぞドサ廻りって感じだったなあ。あんな状況でも、舞台に立てば皆さん巧かった。あれこそプロ、そんなことを言ったら、現代の進化した演劇に携わる志高い役者さんたちに叱られますね、きっと。でもね、僕はあの時代のああいう役者さんに、一種の凄みを感じました。役者のプロとして生きていくって、こういうことかと思ったのです。
35年も前のことですから、きっと僕の夢の中の出来事です。どうかこの話しは忘れてください。

でも、僕が神野さんのお芝居を観させていただいたのは東少の舞台ではありません。和泉屋染物店で一緒だった伊餘田笑子ちゃんのお芝居を観に行った時、神野さんは主演、キツネを背負ってるイタコのばばさまの役をやっていらっしゃいました。

最近の役者さんは、商業演劇でもない限り、大きな舞台に立つ機会が少なくなってきました。でも劇団東少は比較的大きいところでやられることが多いのではないでしょうか。神野さんには、大きな舞台に数多く立たれてきた底力みたいなものがあるような気がします。300人の劇場ならすばらしいのだが、700人の劇場、特に箱物行政で作られた多目的ホールなんかでは全く通用しない演技、それはよくあることで。
今度の多摩市民館のキャパは908人。川崎市教育文化会館にいたっては1961人ですからねえ。

さてさて、共演者のお芝居についてあれこれお話しするのはきっとタブー、これからは控えることにいたしましょう。ただ、旅僧という役を頂いて、今回の市民劇のレポーターみたいな気分になっているのです。あたり障りなくお伝えできることはお伝えしてまいりましょうか。

その1。神野美奈実さんのもうひとつの顔は、エステティシャンです。

その2。最後にみんなで集合写真を撮影しました。
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その3はまた今度……



カテゴリ: 川崎市
年明け最初の稽古です。
場所は、川崎区にある京浜協同劇団の稽古場。
京浜協同劇団の看板
「全日本リアリズム演劇会議」か、歴史を感じますねえ。

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僕の名前が抜けていたチラシですが、それも修正してくださいました。
しかし「順不同」ってなんなのでしょう。決してデジタルでランダムな処理をしたわけでもなさそうですし、後から付け加えた僕の名前が最後というのが、ランダムでない証拠。まあ「順不同」というのは、並べた順に特段の意味はありませんから気にしないでくださいという意味なのでしょうからいいんですけれど、これだけの人数の最後に並べられると、いくら「順不同」と但書があっても、なんとなくこそばゆい感じがするのです。真ん中あたりにそっと紛れ込まして頂ければ心穏やかだったのに、なんて。

新しいチラシでは最後なのですが、実際の舞台ではどうやら最初に声を発することになるらしい。役名は「旅僧(たびそう)」。いわば能におけるワキ。ストーリーテラーに話すきっかけを与え、それから始まる物語では聞き手という役どころです。

芝居は旅僧の名乗りから始まります。そして主人公稲毛三郎重成の妻である綾子の化身の蝶に誘われ広福寺にたどり着く。そこで、ひとりの老女に出会います。その老女は、かつて重成の侍女頭であった八重。この八重がこの芝居のストーリーテラーで、目の前の旅僧に昔を語って聞かせるという形で舞台の前半は進んでいくのです。
つまり、本筋だけなら旅僧なんていなくても十分成立するのですが、しかしそのスパイスみたいな存在によって、芝居は二重三重の構造となって深さが増すというわけ。古の平安を現代に繋ぐ役割といっては言い過ぎでしょうか。しかし、スパイスは好みの別れるところ、なんとも責任重大であります。

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さて、配役が100%決まっての初稽古、まずは頭から読み方や発音、アクセント(日本語の場合はイントネーションと言ったほうが適切かもしれませんが)などのチェックです。「鼻濁音が乱れていますねえ」という演出ふじたあさや氏の指摘。軽いジャブですな。

しかし、沖縄の言葉やその歴史を学び初めてから、僕は鼻濁音についての印象がすっかり変わってしまいました。特に最近、唄三線で古典を習うようになって、意識しないと出てしまう鼻濁音を、逆に封印する練習ばかりしているのです。鼻濁音を一切使わないというのもなかなか難しいのです。

でも、今回は平安の時代劇をやろうとしているわけですから、鼻濁音を「正しく」使うことは、必要なことなのでしょう。ただ、あたかも役者はいつでも「正しい鼻濁音」を使わなければならないと言い切ってしまうような表現は、それは違うのではないかと思うようになりました。

今までもM.A.P.after5や「社長とは呼ばないで」などで、鼻濁音について色々と書いてきました。そのいくつかをどうかお読みください。
 ⇒沖縄語の音韻講座、プロローグ(1)
 ⇒日本語の二大美点?
こんなことを言うから僕はまた敵を作るわけなのですが、性分なので仕方がありません。

仕方ないついでにもうひとつ言っちゃうことにします。

旅僧の「名乗り」は次のような台詞です。
「これは、諸国一見の僧です。このほど鎌倉に参り、寺社をめぐり、いくさの跡を尋ねての帰り道、足を伸ばして、東国の、鎌倉殿ゆかりの寺々に参ろうと思いまする。」

僕はこの中の「東国(とうごく)」のアクセントを( ̄___)と読んだのです。しかしこれに対して、ある超有名劇団のベテラン俳優さんからこんな御指摘を頂きました。「東国」を( ̄___)と読んでは「唐の国」に聞こえる。(_ ̄ ̄ ̄)が正しいのではないか。
ありがたき御教授、まず僕は、素直に受け入れて読み直することにしました。しかし何故かしっくりこない。
僕が「東国」を( ̄___)と読んだのには、それなりのワケがあって、僕の固い脳みそが、その「ワケ」をリセットできずにいるらしいのです。
「東国」を( ̄___)と読んで「唐の国」に聞こえるか否かはともかくとして、「東国」という言葉を実生活で使うことがあったとしたら、確かにおっしゃられる通り、僕も間違いなく(_ ̄ ̄ ̄)と発音します。にもかかわらず、この芝居において「東国」を( ̄___)と読みたいと思ったのは何故なのか。

その大きな要因として、この芝居の冒頭の「名乗り」を、「様式的」にしなければならないということがありました。
といって、能や狂言そのままに演ずるわけでもない。いったいどのように「様式的であること」を表現すればいいのか、まだまだ決めることはできません。そこでまず僕は、一音一音を浄瑠璃のように粒立てて語ってみること、そしてそれに加えて、「東国」を( ̄___)と読んでみることで、古典的な様式の「感じ」を付加することが出来るのではないかと思ったのです。
そう思ったのは感覚でしかありません。しかしその感覚は、僕のいくつかの知識やこれまでの経験によって、僕自身にはそれなりに根拠がありました。

日本語のアクセント(イントネーション※以後アクセントに統一)は、大雑把に言えば東と西の系統に大別され、いわゆる「標準語」はもちろん関東系、特段の地域性を芝居に持たせないのならば、たいがいそれ準じます。まして今回の芝居は東京に近い川崎の郷土劇なのですから、「標準語」のルールに従うのは当然でしょう。

しかし、古くは日本において関西のアクセントしかなかったという説を聞いたことがあります。少なくとも、古典的な芸能の多くは、京都あたりで成立したようです。「東国」を( ̄___)と発音するのが関西系のアクセントであるかどうか、その正確な知識は持ち合わせていないのですが、古典芸能のアクセントが、いわゆる標準語のアクセントとちょくちょくこれに類した差異を示すという感覚が僕にはあります。
そこで、(_ ̄ ̄ ̄)と発音するのが現代ではしっくりくる言葉を、あえて( ̄___)と発音することによって、一種の古典的な雰囲気が表現できるかもしれない、これが、僕がこのアクセントを選択した「ワケ」です。

そうした「理屈」が独り善がりなものであれば、勿論とっとと捨て去るべきですが、さて。

今から30年以上前のこと、「宗論」を演じたことがあります。しかしそれは狂言でも落語でもなく、台詞つきの日舞でした。
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指導してくださったのは名古屋の花柳流の重鎮、花柳芳五三郎師の御曹司である花柳伊三郎さんです。その冒頭にこんな台詞がありました。
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「まかりいでたる者は、都、東国の僧でござる。この度、思いたって……」

これが伝統的な台詞、文言であるのかどうかは不案内なのですが、少なくとも狂言の名乗りではありません。狂言の名乗りなら「このあたりの者でござる」というだけ、名乗らないのが狂言の名乗りで、こんな風に素性を明かしてしまう名乗りは狂言にはありません。
もしかすると、伊三郎さんの実験的創作であったのかもしれませんが。

この時、この「東国」を( ̄___)と伊三郎さんの口伝で語った微かな記憶が僕にはあるのです。とはいえ、名古屋出身の伊三郎さんですから、それだけの原因で( ̄___)と発音されたのかもしれません。だとすれば、これもいつまでもこだわるような話しではありませんが、確かにその時の経験によって、ひとつの感覚が植えつけられたということも事実のようです。

それから数年後こと、ひょんなことから、僕は講釈師の小金井芦州の弟子となり、今はなき本牧亭で前座を務めるような短い一時期がありました。
 ⇒28年の時を隔てて【小金井芦州のこと】
僕は芦州からよく「訛ってやがるなあ」と言われました。子供の頃3年ほど京都に住んでいましたが、これでも山の手生まれの山の手育ちです。訛っている自覚は全くないのですが、どうやら標準語と江戸弁の講談とでは、その発音もアクセントも似て非なるものだったようです。

講談には台本があります。しかし、修行はもちろん全て口伝です。
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最後の講釈師と言われた名人との一対一の稽古、それは貴重な時間でした。そしてこの経験においても、「東国」を( ̄___)と発音する「感覚」は、むしろ補強されたというふうに、今思い起こしてみると感じるのです。

最近、落語を演ずる機会がありました。三笑亭夢丸さんの新江戸噺のひとつ、「紅い手」という怪談噺を朗読するという企画です。
その「紅い手」の中に、「中仙道」という言葉が出てきました。普通に語れば「なかせんどう」は(_ ̄ ̄___)です。それが山の手で育った僕の感覚です。しかし、夢丸さんからお借りしたテープでは、師匠は( ̄_____)と語っていらっしゃいました。落語は個々自由な芸ではありますが、言葉の発音やアクセントなどの基本は口伝です。何度かその通りになぞっているうちに、なるほどこの方が、落語にはしっくりくると感じられ始めたのです。終演後、文芸評論家の大友浩さんとお話をさせて頂きました。その際、大友さんも中仙道をやはり( ̄_____)とおっしゃられたのを聞いて、なるほどとあらためて納得したのでした。

後で調べて分かったことなのですが、中仙道を( ̄_____)というアクセントは、少し古い言い方であるらしいのです。東海道もやはり古くは( ̄_____)といっていたらしい。そういえば小金井芦州の「芦州(ろしゅう)」も、若い人たちは(_ ̄ ̄先生)と言っていましたが、年配の方々は( ̄__さん)と呼んでいらっしゃいました。

因みに、僕の手元にあるNHK編の『アクセント事典』(昭和41年発行)には、「中仙道」も「東海道」も、そして「東国」も、ふたつのアクセントが併記されているということを付け加えておきましょう。しかし全て二字目上がりのほうが先の表示ではありますが。
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さてここで、ご存知の方も多いでしょうが、山田耕筰氏が作曲した「赤とんぼ」の歌詞の「あかとんぼ」のイントネーションについてお話しようと思いました。しかし、先にご紹介した大友浩さんが、それについて僕などよりはるかに深い薀蓄を書いていらっしゃるサイトを見つけたので、そのリンクを貼り付けておくことにします。是非お読みください。
 ⇒http://www.honza.jp/author/5/otomo_hiroshi…
(※但し『アクセント事典』では「あかとんぼ」は(_ ̄ ̄__)の記述しかなく、落語では常識という( ̄____)の記載はありません。)

さて、では「東国」をどうするか、いまだ結論は出ていないのです。しかしです。僕は始めに「『東国』を( ̄___)と読んで『唐の国』に聞こえるか否かはともかくとして」と書きました。しかし、舞台の上でお客様に言葉を伝えるのが仕事の役者たるもの、発した言葉が正確な意味で伝わるかどうかは、「ともかくとして」しまうようなことではないはずです。その意味では、僕のアクセントについて御指摘くださった大先輩のお言葉には、しっかりと耳を傾けなければならないのだろうと思います。
(文責:髙山正樹)


ということで(というか、にも関わらず、というか)、色々な方に聞いてみることにしたのです。そしてまずは身近な方々に聞いてみることにしました。それから、今後も引き続き聞いてみようと思っているのです。粘着気質の役者の試み。それらは《続き》でご覧あれ……

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1月 7日金曜日: 今年初めての“PushPull”

お昼を軽く。そんな日はPushPull。

「あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします」
新年の定型文。

本日のランチ。
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夜は「枡形城・落日の舞い」の稽古。前回の稽古の時と同じパターン。そうと決めたわけではないのだが。

違うのは稽古場が鹿島田。だいぶ遠くなったが、自転車で行く。

稽古だと思うと、健康ゲームを思い出すのである。


1月 6日木曜日: 今年初めての“酒菜”

昨日、懐かしい男から電話があった。
宇夫方女史に電話をしたら「すぐ来てもらって」という。
そして今日。頼もしい助っ人である。

だから、今年初めての“酒菜”
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「親父さんとおふくろさん、元気か」
「去年、ふたりとも死んじまったよ。三年間おれが介護してたんだよ、あにい」
俺のことを「あにい」と呼ぶ。年の差ひとつが天地を分ける、やんちゃな世界の住人だった。

くわい。慈悲深い姑(慈姑)と書く。
クワイ



1月 5日水曜日: 貰ったお年玉のこと

京都からの御土産は北野天満宮の交通安全のステッカー。
北野天満宮の交通安全ステッカー
最近、健康ゲームで殆ど車には乗っていないのだが。

それから……
芸術新潮「沖縄の美しいもの」
どうしてまた……
かあちゃんの差し金かな。
パラパラとめくってみる。
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「骨董店で見た古いジーファーが気に入って、写しを作ったり……」てなことが書いてある。沖縄に骨董店なんてあったかな。だいたい新品を置いている店も、まるで骨董屋のようだしなあ。

今度沖縄へ行った時には、探していってみようと思った。

しかし、俺の娘は、親父が何にこだわっているのか、どこまで知っているのだろう。


昨夜は本部に泊まり。
そして朝。

12月4日の富士山
12月4日の富士山

そして今日の富士山。
今日の富士山
富士山の手前に見える山並みは丹沢にしては少し近過ぎる。もう少し近距離の神奈川の山地であろうか。富士山は11月の半ばからもう真っ白で、以降どの日の画像の富士山も同じ様子だが、手前の立ち木の葉の繁り方が違う。

ここは8階である。狛江市の町並み、その先に多摩川が流れ、その向こう岸が川崎市多摩区、よみうりランドの高台も見える。
「桝形城・落日の舞い」に、こんな稲毛三郎重成の台詞がある。
「多摩川沿いに多摩の横山に並んだ稲毛一族の山城は、すべて鎌倉の北の守りだ。」
その「多摩の横山」あたりまで見渡せているはずだ。山といっても100mもない丘である。標高83.9mの桝形山は左の方、さらに低いところにある小沢城址は、画像中央から少し右といったところだろうか。

その横山の麓あたりでは、今でも“のらぼう(野良坊と書くとか)”という野菜が作られているらしい。僕は今度の台本で初めてそんな名産のあることを知った。家の連中にも教えてやろうと話してみたのだが、「知ってるよ」と、あっさりした無感動の返答が帰ってきた。年中ではないが、“のらぼう”は近くのスーパーでも売られているという。子供が通っていた小学校の給食には、ちょくちょく食材として使われていたらしい。なんのことはない、“のらぼう”を知らなかったのは、子供の運動会に一度も顔を出したことのない父親だけであった。

その小学校の校歌を作詞されたのが、「桝形城・落日の舞い」の作者である小川信夫先生。子供たちは、例えば沖縄で初めて芥川賞を受賞した沖縄文学界の第一人者、大城立裕先生と親父が仕事をしていても、「ふーん」てなもんだが、自分の小学校の校歌を作詞した先生に会ったと言ったら「すごい」ときた。

昨年暮れ、その小川先生からお誘いを受けていた。そこで今日、お年賀に伺った。「桝形城・落日の舞い」の制作を担当されている関昭三さんもいらっしゃった。関さんは川崎市民劇場の代表、その前身は、かの京浜労演で、関さんはその創設から携わっていらっしゃる。

1967年の山本安英の会「夕鶴」から始まる川崎の市民演劇鑑賞会のおおよそ300回の上演記録を眺めれば、日本の新劇の歴史そのものを見るようだ。

……文化座「炎の人」、劇団東演「どん底」、文学座「女の一生」、俳優座「人形の家」、東京芸術座「蟹工船」、三十人会「日本の教育1960」、東京演劇アンサンブル「ガリレオガリレイの生涯」、劇団仲間「森は生きている」、民藝「奏山木の木の下で」、テアトル・エコー「11ぴきのねこ」、青年座「からゆきさん」、劇団四季「エクウス」、文化座「サンダカン八番娼館」、前進座「さんしょう太夫」、五月舎「薮原検校」、フォーリーズ「おれたちは天使じゃない」、自由劇場「上海バンスキング」、文化座「おりき」、こまつ座「國語元年」、青年座「ブンナよ木からおりてこい」、知人会「薮原検校」、劇団昴「アルジャーノンに花束を」……

しかし、それよりも前、京浜工業地帯の労働者に演劇という文化の種を蒔こうとした時代の話が興味深かった。だいたい「労演」にしても「労音」にしても、政党的な匂いをどうしても拭い去ることができない。振り返れば、それが演劇にとって「正しいあり方」であったのかどうか、決していい印象ばかりではない。とはいえ、演劇に刺激を受けた労働者によって日本を変えるという野望が、大きなエネルギーを持っていたことだけは確かだ。だが、関昭三さんが半世紀もの間、演劇鑑賞会の仕事を続けてこられたのは、そんな大層な理由とは少し違うところにあったようだ。演劇に携わる人たちが、実に楽しそうに生き生きとしていた。その魅力が、きっと関さんをこの世界に繋ぎとめた。そうだからこそ、回りの人たちも関さんを信頼して支えてこられたのかもしれない。そんなお人柄が今の関さんからにじみ出ている。

「川崎の労働者」と聞けば、僕はどうしても「沖縄」を思い起さずにはいられない。京浜労演はその立ち上げの頃、沖縄から出稼ぎに来ていた労働者の人々との関わりもあったのかどうか、でも、この日はそこまでお聞きすることはできなかった。いずれお伺いする機会があればとも思っているのだが。

左から、関昭三さん、岩崎明さん(小川先生の古いお知り合い)、そして小川信夫先生ご夫妻である。
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その後、僕と関さんが交代して記念撮影。
只今撮影中。
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小川先生、今日はご馳走様でした。
[subcate.枡形城・落日の舞い]
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1月 3日月曜日: 遠目から眺めてみる

お年賀を背負って自転車で代々木上原へ。
泡盛長老
たいそうなことが書いてある。
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学生時代から入り浸ったお宅。30年以上、ほぼ欠かしたことがない正月の行事。
Yusuke氏が撮影した画像を拝借。
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三十数年前、ほぼ雀荘で暮らしていた。今は年に一度、この日にしか牌を握ることはない。ここ10年ほどは飲み優先になって、昔の集中力は消え去っていたが、このところの健康ゲーム、あまり飲まずに卓に座ると、久しぶりに勝負師復活である。
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会社や芝居とは一切関係のないプライベートな一日。だから今まで一度もブログの記事にはしなかった。だが今年初めて書く気になった。それはこいつの所為である。
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昨日その根元まで行ったスカイツリー。近くに行けば行くほど見える場所を探すのが大変になるスカイツリー。それが新宿よりさらに西の代々木上原にあるビルの4階から、こんな風に見えるのだ。
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これは、ちょっとした驚きだった。だから是非ともご紹介したかったのである。

自分の人生を、遠目から眺めてみることも必要。目がこれ以上弱らないうちに。



京都から娘が帰ってきた。バイト先の乾物屋さんのご主人から娘が頂いてきた品々。
京都の乾物屋さんのお土産
一口に鰹節といっても色々あるらしく……
みそ汁・うどん・やさい煮物用の鰹節 品名:上花 品名:小亀花鰹 品名:枯本節
そもそも、「花かつお」っていったい何だ?
枯本節花かつお
調べてみたがよく分からない。いずれにしてもM.A.P.after5の扱うテーマからは外れている。分からないものは分からないままにしておくのがブログの良心。ともかくこれは最上級品らしい。
枯本節花かつおのラベル
料理に乗せる。
数の子の上に乗せた花かつお
なるほど、香る匂いが全く違う。きっとプリン体が詰まっているのに違いない。健康ゲームには反するが、まあ正月だから許してやろう。
雑煮に乗せれば踊る踊る。
花かつおが乗ったお雑煮
「そういえば」と、ばあさんが何やら食器棚の中をガサゴソ探し始めた。そして持ち出してきたのがこれ。
鰹節削り
あらま懐かしい。
「とがなくてもそのまゝ気持ちよく削れます」という表示
そういえば、鰹節を削るのは僕の役目だったっけ。
蓋を開けるとカンナが出てくる
開けてビックリ玉手箱。
かんなをはずすと昔の鰹節が出てきた
もしかすると30年近く前の鰹節かもしれない。なまり節だって枯本節になっちまうような年月。しかしもはやなーんにも匂わない。ちょいと削ってみたら、ちょいと香った。もしかすると、まだいけるかもしれない。

最上の田作り。
田作り 品名:最上田作

最高級の昆布。
天然利尻一等
「ダシしちゃあもったいない」と言ったらそれは違うと娘に教えられた。ダシだからこそ一番上等なもの使う。「ダシは金食い(かねくい)、近頃売れない」とは乾物屋さんの言。

乾物屋さん手作りの黒豆。
手作りの黒豆
まあーお上品なお味。

乾物屋さんの賄いでにしんそばを頂いたりするそうで、うらやましい限りである。
「にしんそばは表でたべるものではない」、これも乾物屋さんの言。

大本山相國寺のお坊さんも鰹節を買いに来る。店の片隅にある値段は安いが質は最高という品をひとつふたつ買っていくという。
「よう知ってはる」、これもまた乾物屋さんの言。領収書のあて名はもちろん「相国寺」。
(※相国寺は御所の北にある大きな由緒あるお寺。でも余程京都通、仏教通でなければ知らないみたい。実は金閣寺銀閣寺は相国寺の小院なのである。てなことを知ったかぶりして書いているが、小生も今日まで知らなかった。)

暮れは大家さんに年越しソバを御馳走になったらしい。大家さんの弟さんは割烹をやっていて、藤原道長の流れをくむ冷泉家の御節(おせち)を作っている。明治になって、多くの公家が東京に移り住んだが、冷泉家は京都に残り大震災や戦災を免れた。その現存する唯一の公家屋敷が御所の北にあるのだ。

娘は、除夜の鐘のハシゴをしたらしい。「第~鐘」という整理券のようなものを貰って、ひとつひとつしっかり余韻が消えるのを待ちながら、お坊さんの指示にしたがって突く百八つの鐘。いくつ鳴ろうが構わない好き勝手突き放題の鐘。僕が子供の頃、3年近く住んでいても知ることが出来なかった京都を、今、娘は味わっているらしい。

娘が、どうしてもスカイツリーが見たいというから、付き合うことにした。こんなことでもなければ、もしかしたら一生行かずに終わったかもしれないスカイツリー。
2011年1月2日現在、539m。
スカイツリーの根元
まだ2時をちょいと回っただけだというのに、スカイツリーと太陽の関係はこんな感じである。
スカイツリーの根元から除く太陽
それにしてもだ。あんまり近すぎてなんだかよく分からない。
(※スカイツリーがよじれているって知ってました?)
よじれたスカイツリーを見上げる
灯台下暗しとはこのことか。いや違う。「とうだいもとくらし」は、灯台の根元で暮らしていると灯台の全貌が見えないという意味じゃない。灯台の上から灯りに照らされて遠くはよく見えるが、逆に足元は暗くて見えないということだ。恥ずかしながら、今の今まで僕は「灯台元暮らし」だと思っていた。
※【3月7日追記】「灯台」について、コメントをお読みください。

「花かつお」といい、住んでいる地元の文化といい、きっと手を伸ばせばすぐに掴める豊かさがたくさんあるはずなのに、その殆どに興味を持たず、知ろうともせず、あるいは間違った思い込みのままに、きっと死んでいくに違いない。

もう少し足元を見つめてみよう、それが2011年の年頭にあたって、僕の今年の抱負である。

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1月 1日土曜日: 元日の菅薬師堂

カテゴリ: 川崎市
《2011年元日》
徹底して無信心である。初詣など、行った記憶がない。
自宅から歩いて5分の菅薬師堂。
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へえ、結構たくさん来るんだなあ。

年とって、信心深くなったからというわけでもない。

去年の12月3日から、薬師堂の行事日程が気になっていた。
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なぜなら、「桝形城・落日の舞い」に、菅薬師堂の場面があったから。
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それでもって今日来たのかといえば、それも少し違う。喜多見氷川神社のお祭りの時にも思ったのだが、川崎の市民劇に関わることになって、自分の住んでいる土地について、あまりにも知らないということを、柄にもなく反省した。だから来たのである。

去年、特別に中を見せて頂いた本堂が、元日の今日は参詣者のために開かれていた。
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前回、ピンボケ画像をご紹介したご本尊が納められた厨子。
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本堂の外で手を合わせる方々になんとなく申し訳なくて、あわててシャッターを押したので、今回もつまらない写真しか撮れなかった。今月の12日、初薬師の日に再訪しようと思っている。

また本堂には薬師如来の信者を守護する十二神将も安置されている。今年の干支の卯、安底羅とある像を撮影してみた。
安底羅
因みに、安底羅の本地仏(ほんじぶつ)は観音菩薩らしい。本地仏とは本来の姿。本来の姿とは仏教の仏で、その仮の姿が神道の神だという。温和な顔をした像が怒りの表情の神に変身して悪を懲らしめる映画「大魔神」を思い出した。
しかし、いろいろと調べてみると、なんだかおかしい。安底羅は申(さる)の神らしいのだ。卯(うさぎ)なら摩虎羅(まこら)ではないのか。
隣の阿弥陀如来の化身である迷企羅も、寅(とら)ではなく酉(とり)だし、如意輪観音の頞儞羅も辰(たつ)ではなくて未(ひつじ)らしい。
(※しかし、摩虎羅(まこら)の本地仏である大威徳明王は西方の守護者である。卯は正反対の東を指す。西なら酉。)
いったい、この食い違いは何なのだろう。さっぱりわからなくなってきた。まさか菅薬師堂の張り紙が間違っているなんてことはないだろうと思うのだが、なんとも謎である。

「桝形城・落日の舞い」の本番で、なんとかここの獅子舞を舞台に乗せようと画策しているらしいのだが、はたして実現するのかどうか。
小さな宝物殿に獅子頭が納められていて、ガラス越しに見ることができる。
ガラス越しの獅子頭
菅に獅子舞は近隣で農を営む名家の長男によって引き継がれてきた。その歴代の舞手の名が掲示されてある。
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境内で、甘酒が振舞われていた。
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よく見ると、皆さん獅子舞のはっぴを着ていらっしゃった。
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ご挨拶をしようかとも思ったのだが、ここに住んで20年、これまでの不義理が頭をかすめて迷った。そういえば今日はフト思いついて財布も持たずにサンダルがけでやってきた。賽銭箱を素通りして写真を撮って甘酒を頂いた。これでは挨拶などできるわけがない。一度家まで引き返して小銭を持って出直しても、10分とかからないほどの近所なのだが、正月の怠惰でそれもしなかった。まったくもっていやはやである。

薬師様の命日は9月12日。菅の獅子舞はその日に一番近い日曜日に行われる。ということは、今年は9月11日の日曜日だ。いずれにしても「落日の舞い」の本番前には、残念ながら見ることはできない。
その代わり、菅の獅子舞の画像がたくさん掲載されているサイトを見つけたのでご覧あれ。出演者が舞うことになるやも知れぬ。どうぞご参考に。
 ⇒http://hadachi0505.style.coocan.jp/sanpomiti/sisimai…


私ごとではございますが、要介護5の小生の父親の、本年最初の言葉は……

にゃーん

いったいどんな夢を見ていたのだろう。
「どういう意味?」としつこく聞く母、しかしそれには何も答えず父はただ笑うばかり。
「招き猫の真似?」
この母の問いも唐突ですが、父はそれにコックリと頷いたのでありました。
さっぱりわからん。
 ⇒山猫合奏団の新年のご挨拶

明けましておめでとうございました!
(高山正樹)


1月 1日土曜日: スペイン風の年越し

何年ぶりでしょうか。両親と一緒に年越しをしました。

私、宇夫方路の両親はスペインのカタルニア地方にあるサンポールに住んでいました。今年(去年?)の年越しはスペイン風にしようと張り切って準備をしていました。必要なのは蕎麦ではなく、葡萄です。
《2010年12月31日23時43分》
食べる前の葡萄
12時になると葡萄にかぶりつきます。早く食べないと福が逃げてしまうと言われているのです。時報と同時に「それっ!」と食べたので、食べている時の写真はありません。
食べた後がこれ。
《2011年1月1日0時3分》
食べた後の葡萄
本当は、皮も種も一緒に食べます。今の時期、日本ではあまり葡萄はありません。皮も種も食べられるような種類の葡萄が手に入らなかったので、仕方なく種を出しながら食べました。福、逃げなかったかなあ。

葡萄を食べた後はシャンパンと焼き菓子というのがスペインの定番なのですが、今日はシャンパン代わりにワインを飲んで、焼き菓子の代わりにおこげというおせんべいみたいなお菓子を食べました。

年越しも、お国柄ですね。
(宇夫方路)
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高山正樹 Masaki Takayama
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