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《2月28日(月)》
"あさの”にお昼を食べに行きました。
諸々、後日ご報告します。
(まずは画像だけ……)
笹崎ボクシングジムのOB会のことが記事になりました。
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水才くん(右後ろ)がちゃっかり写ってます。
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そして、秋武一也君のバイト最後の日……
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《2月27日(日)》

《高山正樹の報告》
朝、事務所でちょいと仕事して、9時、みんなが出勤してくるころに自転車で鹿島田へ。10時から市民劇の稽古なのである。
それについては後日。
(だからさ、順番に書くってば……)

夕方まで稽古なのだが、高山正樹は午前中で失敬した。今日は3月13日の“つどいコンサート”に向けての合同稽古があるのだ。仕掛け人としては、どうしても参加しておかなければならない。
市民劇の稽古を早退して、M.A.P.合同稽古に遅刻して参加、まるでふじたあさや氏みたいだなあ……

《宇夫方路の報告》
3月の3週目の日曜日は三線教室の日ですが、その日、川崎先生のご都合が悪くなって、その振り替えの稽古を、遡って今日やることにしたのです。そして会場を押さえたのですが、そしたらなんと3月13日のつどいコンサートの会場となる狛江中央公民館のホールが空いていました。ラッキー。

そこで、せっかくだから、と、琉球舞踊と沖縄語のメンバーも交えて、合同練習をやろうということになりました。
本番当日は「場当たり」なんかやっている時間はありません。ぶっつけ本番です。また、30分しか持ち時間がないので、段取り良く進行させなければなりません。みんな素人ですから、不安が一杯。だから今日は貴重です。どんなところでやるのか、広さはどのくらいなのか、確認しておけば、少しは安心できますから。

午後1時。川崎先生も到着。三線のメンバーは、舞台の上での並び順を決め、川崎市民劇の稽古を早退してきた高山氏も加わって本番のように練習をしました。

3時からは踊りのメンバーと沖縄語のメンバーが合流してのリハーサルです。
三線のメンバーが並んでいる舞台の前に平台を置いて、その上で踊ることになっているのですがと、今日はその台がありません。どのくらいの幅があるかがよくわかりません。狭かった場合のことを考えて、それでも大丈夫なように踊りの体系を変えました。舞台経験の少ない人たちの発表会では、こういう危機管理が重要なのです。

司会は沖縄語のメンバーがウチナーグチでやります。三線と踊りのみんなはチンプンカンプン、そこで、どこでどんなことを話しているのかをみんなに説明しました。

後は本番を待つばかり? いえいえまだまだ練習が必要みたい。みんな頑張れ!



《2月26日-4》
三越劇場で踊りを堪能して、"芭蕉布の里”という沖縄料理のお店へ。
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《2月26日-3》
三越劇場で観たのはこれ。
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後日執筆。

《2月26日-2》
お昼を食べた後、高山正樹は川崎へ向かう。
川崎駅を降り、ちょいと川崎アゼリアのサンライト広場へ。そこで川崎に伝わる民俗芸能フェスティバルがあるらしいのだ。
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ただ今準備中。
こんなチラシが置いてあった。
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ははん、菅の獅子舞は3時40分からか。見たいんだけどなあ、残念ながら本日の目的地は違う。川崎市役所のそばにある稲毛神社へ行かなければならない。
そこで、こんな催しがあって、聞きに行かなきゃならないのだ。
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これについては後日書く。順番に。
川崎市民劇「枡形城・落日の舞」についての記事をお読みくださっている皆様、もう少々お待ちくださいませ。

ともかく、画像だけ。
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この日の夜、市民劇の稽古があるのだが、高山正樹はどうしても見ておかなければならない公演があって、稽古は休ませて頂くことにして、三越劇場へ向かったのである。


2月26日土曜日: 両極端のメロン

とても忙しい宇夫方路さんの今日の朝食。
セブンイレブンのスティックメロンパン
98円。安(やす)…。消費期限3月1日。結構持つんだね。保存料は……
2月3日のお弁当に続いてのチェック。
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ふーん、入ってないんだ。

ところで、つい先日、事務所にある女性から贈り物が届きました。
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千疋屋の果物。はたして、生まれてこのかた千疋屋の果物なんて食べたことあるだろうか、記憶にない。メロンも入ってるんだぜい!きっと高いんだろうなあ。
2月16日の中島セイジという方の講演で、あのバブルの時も、千疋屋の社長さんは全くやり方を変えずに、結局それで痛い思いをせずに乗り切ったらしい。千疋屋は「偉い!」、セブンイレブンは「……?」だってさ。まあ、そう単純でもないんでしょうが。

ともかく、上等な果物だから、食べごろが難しい。消費期限じゃないよ。忙しい宇夫方さん、管理任せて、大丈夫かねえ。

両極端のメロンの話しでした。

そしてお昼は丸屋さんから出前を取りました。
宇夫方女史は五目そば。
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小生はおろしそば。
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丸屋さんのおろしそばは海老まで入っているのです。健康ゲーム中の小生としては、もうちょっとあっさりしたのも食べたいんだけどなあ。といって、コンビニのお蕎麦じゃねえ……
[subcate.丸屋さん]
(高山正樹)
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《2月24日26時45分》
24日は木曜日で、M.A.P.琉球舞踊教室の稽古日でした。そこで三線教室のメンバーも加わって、狛江市の合同発表会(中央公民館のつどいコンサート)に向けて合同練習をすることになったのです。
 ⇒この日のM.A.P.琉球舞踊教室のブログ記事
 ⇒この日のM.A.P.三線教室のブログ記事

しかし、小生高山正樹は、残念ながら市民劇の稽古があって参加は叶いませんでした。
市民劇の稽古後、ちょいと一杯やっての帰り道、今どのあたり?と宇夫方女史から電話。今日の琉舞と三線の合同稽古があんまり面白かったので、雄介氏と喜多見の酒菜で一杯飲っているから、今から来いというのです。何か理由をみつけちゃあ飲む、まったくバラクーダーみたいな奴らですな(分かるかな)。
しかし、この時間になってその誘いに乗るのだから、人のことは言えないか。

いきなりローストビーフ? 重いねえ。
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こいつを口に入れたのは午前1時。なんたること。

踊りの呼吸に合わせながら三線を弾く、それがとっても新鮮で、ホントに楽しかったらしいのです。三線教室を開いてまだ1年足らずというのに、それで地謡(じかた)を経験できるなんて、やっぱりM.A.P.の三線教室は他には滅多にない稀有な教室です。もっともっと生徒さんが増えてもいいのになあ、宣伝が下手なのかなあと反省。

さすがの酒菜もボチボチ看板です。ごちそうさんと表へ出て、タクシー乗るなら左なんですけどね、何故か右へ。世田谷通り沿いのゴリラビルの地下にあるごうさんの店に向かいます。この時間、開いている店は限られています。
前から行こう行こうと思っていた“MusicBAR GO”、でも今まではなかなか行く機会がなかったのですが、今日こそ絶好のチャンスです。
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チャージ2000円、カラオケフリー、ドリンクオール500円の明朗会計。
ボトルキープは3,500円~。知った名前や見た顔がチラホラ。
中真水才のボトル

歌った歌を即PCに録音再生。おもしい。今度来たときはCDに焼いて貰おうっと。

喜多見で通う店が、また一軒増えました。



「テンション高い大人数で飲むのが苦手でさ」
そんな屈折男に付き合ってくれた面々。
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実はこの記事、3月30日に書いている。だからこの日、いったい何を喋ったのか、もうさっぱり覚えていない。

「市民」が主役になる方途について、いよいよ語り始めようと思ってはいるのだが。

しかし時間がない。今日はこれから山猫合奏団の合わせ。夜は沖縄語の勉強会。なんとかして2~3日中には必ず書く。
(3/30)

……なんて嘘ばっかり。もうちょっと待って。
(4/11)

……もう、全然嘘。とりあえず、この日の役名紹介だけはやっとこう。居酒屋で撮影した画像の真ん中の眼鏡の女性は南敦子さん。里の子供あやを演じます。彼女は標準語と関西弁のバイリンガルです。(実は小生、関西弁を使う女性に……)
これで小生の参加した稽古後の「飲み」は12回目となりました。役名紹介はこれで14名です。
(4/27)

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【川崎市民劇2順目の報告その1】
(2011年6月12日に記す)
大人数で飲むことが好きだとか嫌いだとか、意識なんかしたことはない。だが今回は何故か辛かった。
でも、今となってはそんなことはどうでもいい。なにもかも、3月11日から狂ってしまった。あの日以来、僕は、市民劇について沈思黙考し、たどり着いた想念を丹念に文章に起こしていくという辛抱強さを失ってしまったのである。

それから三ヶ月、決して萎えた気力が復活したわけでもないのだが、6月7日の制作主催のちょっと間の抜けた打ち上げの記事を書き終えたので、お約束の2順目の連載を、なんとか匍匐前進するみたいに始めてみることにした。

しかし、まずここまでの記事を読み直して、何をどう書いていたのかを思い出さないと、どうも続きが書けそうにない。

その1。「源平交代」という「歴史」から、源頼朝と稲毛三郎重成と畠山二郎重忠だけは自由であった。
 ⇒ 「枡形城・落日の舞い」仮想演出ノート(1)

その2。頼朝は北条の謀略によって殺された。たとえそれが史実でないにしても、それが歴史の真実である。でも、なんだか気に入らない結論だ。
 ⇒「枡形城・落日の舞い」妄想演出ノート(2)

その3。頼朝は平家の怨霊によって殺されたのである。それは北条の謀略となんら矛盾するものではない。それは単なる怨霊の棲家の違いだ。
また、頼朝の前に「源平交代」の歴史はなかった。壇ノ浦で平家が滅ぼされた時から「源平交代の歴史」が始まった。稲毛三郎重成と畠山二郎重忠が殺されたのは、この「源平交代の呪縛」に抗い、自由であろうとしたからである。
 ⇒古の歴史の真実

なるほど。だがその上で、「歴史からの自由」というここまでの到達点について自ら疑い、次の段階へ行こうとしていたらしい。少しづつ思い出してきた。

また、この前の記事では、ふじたあさや氏のツッコミをさらりとかわした古屋和子さんのことを書いた。
 ⇒ストーリーテラー《物語りたいことを物語る》
それまで「平家物語は息だ」と語っていた古屋さんが、「なんでもあり」と開き直ったどんでん返し。それをさらりと受け取ってしまういい意味(?)でのあさやさんのいい加減さ。
きっと「息」とは、歴史を抱え込んだ言霊と密接に関係している。無意識の領域にある一見非論理的な何物かとの交信である。「息」は、これまで述べてきたイントネーションにも通じることだ。

しかし、はたしてここでいう「歴史」とは何なのか。その「歴史」から本当に自由であったのはいったい誰だったのか。ここに「市民」が主役になる方途があると、この時僕は考えていたのである。

それにしても、この日どんな稽古をしたのかは全く記憶なし。2順目で追記しなければならない記事は、この先まだまだたくさんあるのにどうしよう。憶えているネタもあるにはあるが、書くにはちょいと憚られる。なので、あんまり書きすぎると手詰まりになって余計な言わんでもいいコトを言っちまいそうなので、今日のところはこのくらいでおしまい。
ボチボチいきまっさ。

【おまけ】
この日、神野美奈実さんが“のらぼう”を茹でてきて、みんなに食べさせてくれました。
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感想は、普通。この頃の神野はまだおとなしかった。
大震災の半月前のこと……


《2月23日-2》
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夜は沖縄語を話す会。
本日のおやつ。
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 ⇒「第26回ゆんたくぬくゎい(喜多見で沖縄語を話す会)」

その後、鳥研へ。
なんと泡盛の一升瓶を頼んじゃった……
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後日執筆予定。
一升瓶は店内に無造作に置かれたビールケースの中にキープ……
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いつまで、持つかな……
[subcate.鳥力中央研究所]
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《2月23日-1》
宇夫方女史は銀座へ、ある方にあることをお願いするために出かけて行きました。待ち合わせ場所はわしたショップの前。
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銀座わしたショップは、2009年の11月8日の記事以来2度目の登場です。ああそうだ、そちらの記事も是非読んでください。コメントも合わせて。是非……
 ⇒http://lince.jp/hito/demo…
チョンダラーか……
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 ⇒チョンダラーのこと

おい、何か見えるのか?
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俺は眼が悪くてさ、ちっとも未来が見えないんだ……
(宇夫方路が撮影した画像を使って、高山正樹が3月25日に記事を書きました。)
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2月22日火曜日: 二十日正月・尾類馬

昨日は琉球舞踊厚着カルチャーのメンバーは自主稽古をした模様。
 ⇒琉球舞踊専用ブログ記事

旧暦1月20日、二十日正月(ハチカソーグァチ)
正月行事の最終日。仏壇に田芋練り(ターンムニー)を供えるところが多い。
辻町ではジュリ馬が行われた。その起源は不明だが、辻遊郭の豊年と商売繁盛を祈るお祭りである。「ジュリ」とは遊女のこと。「尾類」とも書く。『沖縄大百科事典』によると「獅子とミルクを先頭に、各楼から選ばれたジュリが板を馬首に象った<ジュリ馬>を前帯にはさみ、装いも美しく遊郭内を練り歩いた」とある。

今年も辻町の町内会主催で開催。昔のように大々的にできない原因は「遊郭」。


踊っている人たちのウチナーカンプーとジーファーがいいですなあ。


2月21日月曜日: 深夜のラ・ポール

※2月21日の記事。3月24日にアップ。
《2月20日24時45分》
哲っちゃんに会って、なんとなく火照った気分を冷やすように、下北沢の居酒屋で一杯やった。それから喜多見に戻ってきたのだが、やっぱりまだなんだか落ち着かない。青臭いハナシだが、きっと「青春」ってやつはそんなものなんだろうなあ。

こういうときはたいがい駅前のラ・ポールが目に入っちまうんだよな。そしてフラフラっと扉を開けるんだ。

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お客さんに貰った韓国からのお土産。
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チョコにとんがらし入れる必要ある? 頭冷やしに来たのにさ。

いつもと同じラ・ポールだったが、まさかあんなハナシが持ち上がっているなんて、この時は全く知らなかったのだ……


昼間の三線の稽古を終えて、だいぶ早いけれど、まあいくらでも時間は潰せるだろうと事務所を出た。

若い頃、下北沢ではずいぶん遊んだが、ロフトがあったなんて知らなかった。まずはロフトまで行ってみようと、トボトボ歩き始めた。そうか、だいぶはずれにあるんだな。30年前、下北沢もここまで賑やかではなかったから、こんなところまで来ることはなかったんだな。

と、「高山さん」と声がする。あ、智内さんだ。
「今まだリハやってるところ」

開演まではまだだいぶ間がある。ロフトの近くの居酒屋に入ることにした。
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斉藤哲夫さんに会わせてというお願いが、こんな早く実現するなんて、智内さんに感謝感謝だ。
智内好文氏と高山正樹

そして会場へ……
下北沢ロフト、35周年記念ライブ。
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鈴木雄介によるカンペ盗み撮り。
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カンペのアップ。
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そして……
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終演後……
サンディエゴアニマルパーク?何かのメッセージなのかな。
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米国カリフォルニア州サンディエゴ郊外にある世界最大級のサファリパーク。広大な敷地で動物たちが放し飼いにされている。
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古いレジスター。いまだ現役。
古いレジスター

そして……

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《2月19日26時》
扉を開けると、おやまあ、混んでること。でも、おやじさんがいない。
「もうすぐ、帰ってくるヨ」
真弓さんが、どっかで飲んでるオヤジさんに電話を掛けたらしい。オヤジさん、ほどなく戻ってきた。
「なんだよ、オレがいねえとダメなのかよ。これからカラオケやるとこだったのにのによう」
いい調子である。
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「泡盛飲みてえって言うからよ、買っといたのに、ちっとも来ねえじゃねえか」

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前回来たのが9日でしょ、たった9日来なかっただけじゃない。何しろ色々あって無茶苦茶忙しくてさ、もういっぱいいっぱいなんだよね。

それにしても“まさひろ”という選択は、なかなか渋くてうれしいのである。
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泡盛はタイ米を使用。だからコンケン・アイに似合うはず。今まで無かったのがおかしいくらい。これから飲む人増えるかな、でもここのお客はみんな唯我独尊、マイペースだから、きっとここの泡盛は全部M.A.P.が買うことになりそう。

今日のお通しはタイ風。
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「何食う?」
わざわざ仕事関係の飲み会を中途で戻ってきたオヤジさん。もし刺身を頼まなきゃ怒られるよな、きっと。そうじゃなくても当然頼むわけだけど。

「アジとカンパチとカツオ、それからバツグン」
「ええと、アジと、それから、なんだって」
いい調子なのである。
「大丈夫なの、包丁、持てるの? オヤジの指なんか食いたくねえぞ」
「食うもん紙に書いてくれ」
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これがバツグン。
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「作るの、めんどくせい」とオヤジに却下されたが、でも、最期にはちゃんと出てきた。オヤジの指が入っていないか、ちょっと心配だが。

平らげてしまえば追加の注文。
サザエ。
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その肝。臭みゼロ。
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生ダコ。
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サービスの毛ガニ。
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ネタは尽きない。赤身、イカ、ホッキ……、まだまだ頼もうと思えばいくらでもあるが、こっちの腹がもたない。寿司屋でもないのに、これだけ生ものが揃っている店なんて、やっぱりこのあたりじゃあ考えられない。それもこの値段で。きっと、登戸にも成城にも仙川にもないだろう。

初めてさつま揚げを頼んだりして。
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「勘定のとき何食ったか自己申告してくれ」

ここから先は勘定外。
これ、真弓さん手作りのタイ風味噌。
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辛いけれど飯の上に乗っけて食ったらこれが最高に旨い。残った味噌をラップに包んでもらって持って帰ることにした。

終盤はタイのひまわりの種をポリポリと。
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「明日は、本業が休みだからよ」

気がつけばもう午前2時近く。
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オヤジはとっとと寝床へ。でも真弓さんはこれから片付け。ご苦労様。あ、そうだ、肝心の看板娘の愛ちゃんは、今年から小学校。早く寝るクセをつけなきゃ、ということで最近は10時前にはご就寝。まだ遅いけれど、ともかくひとりで寝れるようになったんだな。いいことです。

泡盛は2cmぐらい残ったので、ボトルキープとなりました。


《2月19日(土)》
宮澤寿君の御土産。
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岩手県の銘菓“かもめの玉子”です。
ミニって書いてあるけど、ということはでっかいのもあるの?

2月10日の記事を書き終えたら、この記事にも少し追記します。


事務所で仕事をしていると、あさやさんから電話が入った。
「今日の2時から4時まで、体、空かないか」
新百合ヶ丘の昭和音大で古屋和子さんとあさやさんのトークショーがあるらしい。なんでも古屋さんが琵琶を持ってきているとのこと。
北校舎の5階。
へえ、こんなホールがあったんだ。ラ・サーラ・スカラというコンサートホール。
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連続講座の第4回。
「心より心に伝うる~ストーリーテリングの力」
今回の語る人(ゲスト)は古屋和子さん。武順子さんの師匠で、チラシにはこんなふうに紹介されていた。
1947年京都市生まれ。ストーリーテラー。早稲田小劇場を経て、観世栄夫氏に師事。水上勉氏の「越前竹人形の会」「横浜ボートシアター」等で活躍した。その後は近松作品、説経節、泉鏡花作品などのひとり語りを行い、ここ20年ほどは、北米先住民など世界のストーリーテラーたち交流をふかめ、優れた語りや民俗音楽、絵本などの紹介につとめる。
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聞く人はふじたあさや氏。トークショーの前に古屋さんの語りを聞く。
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まずは近松門左衛門の「曽根崎心中」道行の場面。その後も「平家」などいくつか。予定の時間を大幅に超えて殆ど古屋和子独演会の様相、トークに残された時間は30分くらいになってしまった。

さて、ストーリーテラーとは何なのか。物語る人ということだが、いったいどう説明したらよいのだろう。朗読と物語ることとは何が違うのか。どうやら古屋さんは、ストーリーテラーとは、語るべきものを抱えて物語る表現者だといいたげである。

しかし、ならば「語るべきもの」とは何なのか。

古屋さんは言う。日本人は出自を聞かれても、たいがい親の出身地ぐらいしか答えられない。しかし例えばアメリカインディアンなどは、そういう時、自分のルーツを何代も遡って語り始めるのだと。
つまり「語るべきもの」とは、祖先の長い歴史の中で培われてきた自らも属する文化の記憶の総体と、それに対する祈りとでもいうべきものなのだろうか。

かつて古屋さんは、師である観世栄夫氏から、「上手くなったが悪くなった」と言われたという。その意味が古屋さんにはずっと理解できなかった。ざくっとハナシを端折ってしまうが、その壁を、古谷さんは「意味」でもなく「情緒」でもなく、「息」で克服しようとしてきた。

自分の話になるが、僕は学生の頃、歌舞伎研究で著名な今尾哲也氏から、「がっぽう」という芝居を通じて、台詞を息によってコントロールすることの重要性を教わった。呼吸は生理である。だから役者は無意識のうちに楽をして気がつかない。「止める」「吸う」「吐く」、呼吸を意識して操ることは極めて面倒な作業だが、それをしなければ碌な台詞など喋れない。
以来、古典を演ずる者にとって、息とは、古の言霊を復活させるために必要な、黄泉の国から吹いてくる風のようなものだという感覚が、ずっと僕にはあった。

「日本人は語るべきものを持っていない。沖縄とアイヌにはそれがあるけれど……」
ふじたあさや氏は、そう古屋さんに問いかけた。さすがふじたあさや氏、核心を突いた問いだと思った。さて、古屋さんは何と答えるか。
「そんなことないですよ。例えばおじいさんなら子供の頃の話をすればいいんです。みんなそれぞれ伝えたいことがあるでしょう、それを語ればいいんです。この本を読んで聞かせたい、それだけでもストーリーテラーなんですよ」
あさやさん、してやられたな。もう予定の時間。これ以上突っ込んだら終わらなくなる。
「なるほど、そういうことね。誰もがストーリーテラーになれる。大いに日本人も語れということだね」
「そうですよ」
僕としてはだいぶ残念な結末であったが致し方ない。
「しかし、昔はあなたのことを、ちょっと朗読の上手い役者がいるくらいに見ていたが、でもその頃のあなたの朗読は、どうだ!っていうような朗読だったねえ。それがずいぶん変わった」
「少しはよくなりましたか」
「うん、よくなった。変わるもんですねえ」
「そうですか、よかった、少しは私も成長したんですね」
「今日はたくさんの刺激的な話、ありがとうございました」

つまり、ただ語りたいという理由だけで「平家物語」が語れるわけはないということなのだ。自分が本当に語りたいものとして「平家物語」を語ることの困難さを、僕は思っていたのである。

世の朗読好きの方々、古屋和子さんのポジティブな結論に騙されてはいけません、ということかな。

それにしても、僕の琵琶の件はどうなっているのだろう。

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2月18日金曜日: 後生の正月・正月十六日

旧暦1月16日、後生の正月
去年は「十六日祭(ジュールクニチー)」と紹介した。そしてこんな記事を書いた。

久米村:ポーポー(沖縄のお菓子)などを持って墓参りをする。
首里:墓参りする。一年間に不幸のあった家では、ミージュールクニチ、あるいはミーサという。
那覇:前の年に亡くなった家族の冥福を祈る。
天久:ミーサ。那覇に同じ。
小禄:ミーサー。那覇に同じ。昔は三年間毎年続けた。


つまらない記事である。今年はもう少しなんとか、と調べ始めたら、大変なことになって、どうやら今日中に書き終わることはなさそうだ。
2011年版の“この日何の日沖縄篇”について、2月2日の記事に「リアルタイムでアップできるのでは」と書いたばかりだというのに、たった3週間足らずでもう挫折した。
それどころではない。今年のトゥシビー(新暦1月3日、旧暦2月5日)も、旧暦12日のアマウェーダーも書きそびれている。

ともかく、なんだかんだと忙しいのだ。それなのに、こうまでしてブログを書く意味なんてあるのかな、とも思いつつ、続けている。まあ、もう少し頑張ってみよう。

“社長とは呼ばないで”にいたっては、1年以上も間が開いてしまったが、それもなんとか再開するつもりである。

後生の正月についても、こうなったらゆっくり書く。

【3月3日に追記】
まずは……
 ⇒「今年のトゥシビー」を追記しました。
 ⇒「今年のアマウェーダー」を追記しました。

そして……
『沖縄大百科事典』より

後生の正月:(グショーヌソーグヮチ)沖縄諸島では旧暦1月16日の〈正月十六日〉をいうことが多いが、本島北部の大宜味村では8月10日の柴差、八重山諸島では八月十五夜以降のシツィの祭りにも〈後生の正月〉という。正月十六日には一族そろって墓参りをし先祖供養をしたが、宮古諸島の狩俣ではこの日を〈正月の大祝い(ウフヨー)〉、池間島や伊良部島で〈正月の祝い(ユーイ)〉、また奄美の徳之島で15日の〈小正月〉の晩を先祖の〈年の夜〉(大晦日)とし、翌16日を〈親方祭り(ウヤホーマチリ)〉という例からすると、大正月以前の先祖の正月は小正月だったと思われる。柴差の日を一年中の行事の総括りといい、八重山諸島でシツィの初日を〈年の夜〉(年の晩とも)とよんで〈節振舞(シツィフルマイ〉を盛大にするのは、現世で祝いを怠ると死霊があの世の呪いに誘うため、村里に近づいてくると考えられているからである。この伝承に、収穫祭が生産年の変わり目の正月儀礼であり、死者儀礼ともする古代意識をうかがうことができよう。

正月十六日:祖霊供養の祭り。ジュールクニチーと称し、正月元旦がイチミ(生身)の正月であるのにたいし、グソー(後生)の正月であるといわれている。清明祭が盛んな那覇や沖縄本島中部では、過去1年に死者のでた家、いわゆるミーサ(新仏)の家だけが墓参りをするが、本島北部や宮古・八重山地方では、ミーサに関係なくそれぞれが所属する墓へ行って先祖供養をする。(中略)過去1年に死者の出たばあいを初十六日という。

そういえば、ななしん屋のママが「宮古には正月や清明祭(シーミー)より大切な“後生の正月”というものがあるんだよ」と言っていたっけ。
 ⇒2009年2月の沖縄の旅2日目の夜のこと
「宮古」のカテゴリーを作りたい、でも、きっと僕には、まだその資格はない。


2月17日木曜日: 古の歴史の真実

山猫合奏団の合わせ。
相変わらずの白石准の勘違い
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それを写している俺も阿呆だな。


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今日も立ち稽古。少し気になって、がさごそとリュックからカメラを取り出した。

鎌倉の時代に行灯、どうもミスマッチなのである。行灯は江戸の匂いがする。時代劇の室内の灯は行灯という簡単な勘違い、とりあえず稽古での代用品、そうであって欲しい。

鎌倉ならきっと灯台ではないか。
 ⇒「灯台下暗し」のはなし

いや、貴族の住む京の屋敷ならいざ知らず、東国武士の館には灯台すらなかったかもしれない。

江戸になって行灯が普及しても、庶民にとって植物油は高嶺の花で、替わりに魚の油をつかっていたという。しかし稲毛の里では、アブラナ科の“のらぼう”が採れたというから、もしかすると稲毛三郎は、贅沢に油を燃やしていたという解釈も、この芝居の背景としてはおもしろいかもしれないが、それでもやっぱり行灯は似合わない。

ただ、鎌倉の時代から“のらぼう”を栽培していたと川崎市では言っているのだが、1700年代のジャバナの種が“のらぼう”の起源だという説もあるわけで。

要するに、それほどにも確定的なことが分からない時代の芝居をやっているのだということは、きちっと抑えておかなければならないのだろう。道具にしろ所作にしろ、そして言葉にしろ、江戸あたりの親しい時代と混同する勘違いには十分に気をつけることだ。現代から100年少し遡ればもうちょんまげの時代だが、江戸と鎌倉との間には500年以上もの時の隔たりがある。

一昨日の稽古の帰り、「なんだか気に入らない」と思ったのも、どうやらそのあたりに原因がある。遠い古の人びとの心を、現代の感覚で容易に理解できるところまで引き寄せて解釈しようとした勘違い

相模川の橋供養からの帰途、頼朝は平家一門の亡霊に出会って落馬し、そのまま怨霊の祟りで死んだという類のハナシを、現代の歴史家がまともに取り上げるはずもない。だが僕は、平家の怨霊など存在するわけが無いという現代の常識を疑ってみたいと思うのだ。怨霊が頼朝を殺したという当時の民衆の常識を素直に受け入れてみるとどうなるのか。

それにしても橋供養の日に事件が起こったとは、なんとも象徴的である。川は現世と異界との境界(三途の川しかり)であり、橋は二つの世界を結ぶものだと考えられていた。だから橋の上は、昔からあの世の住人の出現しやすい場所だとされてきたのだ。辻や村境、峠も同様である。そうしたところに、道祖神や地蔵が多くあるが、それらを前近代の遺物として顧みないのが歴史家の仕事ならなんとも詰まらない。

怨霊は、確かにいたのである。問題はその棲家である。

頼朝は北条の謀略によって殺された。また、頼朝を殺したのは、平家の怨霊であった。そのどちらも歴史の真実である。いったいどういうことなのか。
簡単なことではないか。つまり、平家の怨霊は北条時政の心の中に棲んでいたということである。「頼朝は北条の謀略によって殺された」と「頼朝を殺したのは平家の怨霊であった」とは、同じことを別な視点で言ったに過ぎない。真実はひとつだった。それが「源平交代の呪縛」の意味であった。

心理学のハナシをしているのではない。時政の中の怨霊は、決して幻覚などではなく、自由に体外へ抜け出すことのできる実存であった。たとえそれが頼朝の眼前に現れたとしても、疑うことは何も無い。その不思議を信じてはいけない理由など、どこにもないのだ。たとえ水飲み病が頼朝死因の事実だとしても、歴史の真実は変わらない。

琵琶法師は平家の怨霊を鎮めるといいながら、その実、人びとの心の中に棲む霊魂に命を吹き込み続けてきたと言うべきであろう。盲僧は戦いに倒れた者たちを供養するどころか、琵琶を奏でる度にツワモノの怨念を再生産してきたのだ。現代風に解説するなら、人々が平家の記憶をいつまでもとどめておくように、ということになるのであろうが、そういう表現では、きっと怨霊の、つまりは歴史の実体を取り逃がすことになる。

いったい、この琵琶法師のシステムは、何故に必要だったのか、おぼろげに見えてきたものもあるのだが、それについては、今少し考えてから、書いてみよう。

ああ、現実に進行している市民劇の課題からすっかり遠く離れてしまったようだ。
たださ、稲毛三郎重成を現代に蘇らせる意味と方法を、徹底的に考え尽くす以外に、今回の市民劇には一般市民があまり参加していないというような表層的な批判を無効にする方途はないと思うのだ……、なんてね、そんな偉そうなこと、一兵卒の僕が言うことではない。

だから僕は、再び自分ひとりの妄想的ゲームに逃げ込むんだ。
そうしてもうひとつの課題。「源頼朝と稲毛三郎重成および畠山二郎重忠は歴史から自由であったのか」という僕の仮想的解釈に対する自分自身の疑義について、ゆっくりと考え始めようと思う……

稽古が終わって。
今回の演出助手、オフィスプロジェクトMの代表、劇作家の丸尾聡氏である。
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間もなく、こんな舞台が始まる。
“死刑執行人”
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3月9日(水)から15日(火)まで。中野“テアトルBONBON”にて。
チラシの裏の解説に、こんな一文があった。
「問わねばならない、見えてはならない存在を、国家と善き人が作り出してよいのかを」
少し意味合いは違うが、沖縄を考えるようになってから、「見えてはならない存在」に類したモノと出会い続けてきたように思う。僕が盲目の琵琶法師に拘るのも、そのことと無関係ではない。
そして、僕は書きたい沖縄の芝居が達磨のように書けなくなった。書けなくなって、25年間を悶々と過ごしてきた。そのことは、いずれ“社長とは呼ばないで”に書く。
 ⇒“社長とは呼ばないで”「沖縄のこと」のカテゴリ

丸尾氏は沖縄に関わるモノを書くことになったらしい。

この日、宇夫方女史は厚木と狛江で琉球舞踊を教えていた。
 ⇒http://mapryukyubuyou.ti-da…

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2月17日木曜日: 酒菜で口直し

《2月16日26時》
実は霞ヶ関ビルの1階にあったお店が、考えられないくらいにまずかったのである。皆さんもこりゃダメだと言っていた。要するにあのお店は商談か何かに使うお店でなのであって、あそこに食べものを期待してやってくるお客なんていないということだ。それなのにゴーヤーチャンプルーなんてものも置いてあるから、つい頼むのだが、結局ほとんど生ゴミになる。

なんか間違っている。

だから、口直ししたくなる。喜多見に戻ると、既に日付が変わっている。この時間に何か食べようと思えば酒菜しかない。
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そしてうどんでシメて、やっと気持ちが収まった。
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2月17日午前1時45分。

飲み過ぎ? いや悪いのは霞ヶ関の店さ。


宇夫方路女史の荷物持ちで霞ヶ関ビルへ。
会場は35階。
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1968年(昭和43)にオープンした日本最初の超高層ビル。36階建て。一般客が利用できるのは35階までである。当時、ずいぶん高いビルが出来たもんだと、わざわざ上りに来た記憶がある。今やこの程度では全くびっくりしないけれど。
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関東沖縄IT協議会の新年会だそうで。そこで、宇夫方さんがまた頼まれて踊ることになったそうで。去年の6月15日以来、2度目だそうで。

懇親会の前に講演会があった。中島セイジ氏という方の講演。花笠やら衣装やらを控え室に運び込み用無しになって暇な僕は、途中からだがそいつを聞かせていただくことにした。
なんだか遠い話しをしている。業務をマニュアル化して拡大していく大手企業に対する批判、その矛先はセブンイレブンなんかにも向かう。それだけ聞けば沖縄の人たちにも受けそうなハナシだが、何かが違う。そんなことでうまくいくのならば、もう少し沖縄にも生き生きした会社がたくさんあってもよさそうだが、そうはなっていない。
結局、登り方は違うが、登ろうとしている山に大差はない、そんな感じ。僕らが目の前にしている山は、それじゃあない。
関東沖縄IT協議会の会長である重田辰弥さんが、この講演について、ご自分のブログでこんなことを言っている。
「激烈な生き残り競争に喘いでいる我々零細企業の現実には俄かに首肯出来ない点、様々あるとは言え……」
首肯である。そういうふうに聞いていた人も結構いたんだろうなと思うのだが、中島さん、その感覚、分かるかなあ。

踊りのことは、琉球舞踊専用ブログで宇夫方女史本人が書くのかと思いきや、なんだか画像はこっちでアップしてちょうだいみたいなことになってる。
 ⇒M.A.P.琉球舞踊教室ブログのこの日の記事
しょうがねえなあ。でも碌な画像ねえよ。
ほら……
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四ツ竹だっけ。だって、殆ど誰も見ちゃいねえんだもん。
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鳩間節は少しテンポがいいから、四ツ竹よりはチラチラ眺める人もいたけれど。
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右手前の方が重田会長さんだが、やっぱり見てない?
玉城デニーさんとか瑞慶覧長敏さんとか、衆議員の議員さんもいたりして。
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佐藤忠男氏の祝賀会の時も思ったが、いったい皆さん、こういう催しに何を求めて来るのだろう、なんてね、自分のことを考えればわかりそうなもの。

もし、昨年の10月20日、新富町の“仲宮里”に行って、関東沖縄IT協議会副会長の今井恒子さんに偶然お会いすることがなければ、今日のこの日はなかったのかもしれないわけだし、きっとみんな、登山口を探している……

東京沖縄県人会および東京琉球舞踊協会の名誉会長の仲田清祐さんの奥様の仲田美智子さん(ここまで肩書きをご紹介する必要があるのかい?)もいらしていた。
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今日の会を仕切っていたスタッフの方々の打ち上げにお招きいただいた。僕は付き添い。だが、低い丘にさえ上がれずにいるM.A.P.にとっては、これからが本番か。
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僕の隣(右手前)にいらっしゃるのは東京沖縄県人会の副会長であり、東京沖縄県人会機関紙「おきなわの声」の編集長、金城驍(たけし)さんである。
実は金城さん、先月18日のM.A.P.沖縄関連サークル合同新年会に御主席くださるべく狛江の駅までいらしたとのこと。ところがメモを忘れて、結局そこから場所が分からずに帰られたのだとか。なんと残念なこと。

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皆さんと名刺交換などさせて頂いた。ほとんどが会社の社長さんである。でも名刺を見る限り、何をやっていらっしゃる会社なのか、チンプンカンプン。お互い様か。それにしても、IT関連の会社ってホントによく分からない。

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右の女性が副会長の今井恒子さんで、やっぱりフロッサという会社の社長さんである。石垣のご出身。

あらためて、関東沖縄経営・IT協議会の会長の重田辰弥さん。ご両親は奄美の方である。日本アドバンストシステム代表取締役会長はじめ役職多数。
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そのほかの初対面の方々まではとても御紹介できない。チンプンカンプンということもあるし。今日お会いした方々のうち、再会して御紹介できることになる方がいらっしゃるのかどうか。

霞ヶ関ビルを出ると、ビルの間から東京タワーが見えた。
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君はもうすぐ2番になっちゃうんだね。2番になると肩身が狭い?

「どうして2番じゃいけないんですか」
そういって総スカンを食らった女性がいたけれど、あまのじゃくな僕は、おっしゃるとおり、2番でも十分だと思っている。
日本のGNPは中国に抜かれて世界で3番になるらしい。いったい世界にはどのくらいの数の国があるのだろう。200位?


2月16日水曜日: 大倉正章さんです

何しろ、after5ですから、通常はあんまりこういう記事は書かないのですが、昨日の今日だったのでつい……

観世桂男さんが座付き作家を務める岸野組の役者、大倉正章さんです。
大倉正章さん
M.A.P.ではたくさんの役者さんが仕事をしてくれていますが、大倉さんもそのひとりです。

神野美奈実さんって知ってる?」
「知ってますよ、でも、もう十何年も会ってないかな。あの頃、美奈実ちゃんは……」
その先は内緒。

だからさ、芝居の世界は狭いってことだってば。


兵藤裕己『琵琶法師』より。
「平家の物語が琵琶法師によって語り出されたのは、平家一門が壇ノ浦で滅亡してから間もなく、その死霊のたたりがいわれはじめた当初からだった」
「壇ノ浦で平家がほろんだのは、元暦二年三月二十四日である。それから、三ヶ月半後の七月九日、京都の町を大地震がおそった」
「大地震の原因として、『竜王動く』とも、『平相国(清盛)、竜になりてふりたる』ともうわさされたのだ。民間では、盲僧・琵琶法師や下級陰陽師などの巫覡の徒によって、さかんに『地神経』が読誦されたろう」
「王朝の秩序世界を混沌におとしいれた清盛以下の平家一門は、死後もこちら側の世界をおびやかしている。竜王の眷属となった平家のたたりをいう流言には、うちつづく天災や飢饉に苦しむ民衆の情念(ルサンチマン)が投影しただろう。平家怨霊の慰鎮は、治承・寿永の乱という祝祭的なオルギーが去ったあとの京都の貴族社会にとって、きわめて深刻な政治課題だった」


さて、頼朝の死の原因について、その本当の史実を探ることには何の興味もない。ただ当時の人びとの間では、頼朝は「平家の怨霊」の祟りで死んだと信じられていた。それが歴史の真実というものだ。旅僧(ワキ)もまた、それを疑ってはいなかった。

しかしこの芝居のストーリーテラー(シテ)である老女、かつて稲毛三郎重成に仕えていた元侍女は、「平家の怨霊」という巷の噂の影に、もう一つの真実のあったことを匂わすのである。
「『吾妻鏡』のこの(頼朝の死の)前後は、十二月二十二日より二月までの間、何者かの手で切り取られておるそうにございます」
「はて、なにゆえに」

頼朝の死と北条の謀略。

何度でも言う。本当の史実に興味は無い。というより、頼朝が事故で死んだとしても、つまらぬ病気で死んだとしても、あるいは謀略がその死の原因だとしても、それらにどんな違いがあるのか。犯人探しをして、罪あるものに罰を与えようとしているわけではない。いずれにしても頼朝の死が、北条にとっては都合のよい出来事であったということに変わりはない。だが、北条が自らそれを認めるわけにはいかない。それこそが北条が編纂した正史「吾妻鏡」の欠落の理由ではなかったのか。しかし、小林秀雄に倣って言えば、その欠落が却って陰謀の存在を想像させる。

源氏の後に権力を握った北条にとって、頼朝の死の原因は「平家の怨霊」であってくれる方がいい。そうすれば自分たちに責任はないと澄ましていられる。怨霊を鎮める役割は、盲目の琵琶法師に任せてある。
しかし、時代を動かしているのは、時の支配者にとって都合のいい「怨霊」などではない。歴史は、いつだって生身の人間が作っているのだ。ただ、権力者の手によって改竄された歴史だけが、積み重ねられていく。傍らにある数多くの真実の物語を抹殺しながら。
老女は、そのようにして置き去りにされた物語たちの中から、一篇の美しき物語を、旅僧に向かって語り聞かせるのである。

「これは、聞きしに勝る哀れなことでございました。かくなるうえは、この物語、この琵琶にのせて、末永く語り伝えてまいりましょう」

さて……。本当かな……。
なんだか気に入らない。
ちょっと手の届かないところにゴールがあったからこそ面白そうなゲームだったのに、尤もらしい屁理屈を考え出して、自分を誤魔化してそのゴールを手前に引き寄せてしまった感じ。
頼朝は北条の謀略によって殺され、続けて畠山重忠と稲城重成も、北条によって誅殺される。それが歴史の真実だ!なんだかとても詰まらなくなった。歴史の真実に興味はない。

何かが足りねえんだよなあ……

そして稽古を終えて、今日もちょいと居酒屋に寄った。

確かにさ、この芝居、頼朝が重成と重忠に深い寵愛の感情を抱いていなければ、お客さんはきっと、頼朝に忠義を尽くす従兄弟に納得しないだろう。では頼朝と重忠・重成を結びつけるものはいったい何なのか。それこそが彼らに共通する自由の感覚なのである……。
ふん、なかなかうまくまとまっているのだが。

だらだらと、言いたいこと言ってお開き。
神野美奈実さんと石山海くん
お疲れさま。4人いるの分かる?遠くでふたりほど手を上げているのだが。本日はnew faceなし。

帰り道、僕はひとりツラツラと考えていた。

たぶん、お客さんが重成に感情移入するために最も効果的なのは、重成とその最愛の妻、綾子の場面をどう作るかだ。重成は綾子から天真爛漫に愛されていて欲しい。そうすれば、頼朝の重成に対する態度に微妙な影があったとしても、この芝居は成り立つ。

だいたい人間そうそう単純な感情で行動を決めているわけではない。重忠と重成が頼朝に忠義を尽くす理由に、義理や建前や夢といったどうしようもない男の論理が重なってきても構わない。むしろその方が、この芝居の懐は深くなるだろう。何よりも、女性である綾子の純粋さが際立ってくる……

そんなふうに、実際の芝居作りに即して、色々考えてみるのも悪くはない。しかし、それは僕がとやかくいうことではない。僕がこのブログで書いている興味は、それとは別なゲームなのである。

はたして頼朝の死は、「平家の怨霊」の仕業ではなかったのか。また、源頼朝と稲毛三郎重成と畠山二郎重忠は、「源平交代思想」の呪縛からは自由であったにしても、歴史からも自由であったといえるのか。

M.A.P.after5は連載ブログである。結論は、きっとまだだいぶ先にある。

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今日もまた市民劇の稽古である。

真実の歴史など一向に興味はない。しかし……
どうもまた、ややこしい記事になりそうだ。

小林秀雄は『実朝』の中で、鎌倉幕府後期の北条氏の編纂による一級資料「吾妻鏡」について、こう述べている。
「吾妻鏡には、編纂者等の勝手な創作にかかる文学が多く混入していると見るのは、今日の史家の定説の様である」

そこから小林は、「では真実はいかようなものであったのか」と素直に問うのかと思いきやそうではない。そんなことは無駄だと言わんばかりに、肩透かしのように別の話しを始める。
「文学には文学の真相というものが、自ら現れるもので、それが、史家の詮索とは関係なく、事実の忠実な記録が誇示する所謂真相なるものを貫き、もっと深いところに行こうとする傾向があるのはどうも致し方ない事なのである。深く行って、何に到ろうとするのであろうか。深く歴史の生きている所以のものに到ろうとするのであろうか。とまれ、文学の現す美の深浅は、この不思議な力の強弱に係るようである」

小林にとって「吾妻鏡」は史書ではなく「文学」なのである。彼は「史実」など全く興味がないように見える。小林が見ているのは、ただ吾妻鏡に記された文字だけだ。だが彼は、ここで再び歴史の真実に立ち返るというマジックを使うのだ。
「吾妻鏡の文学は無論上等な文学ではない。だが、史家の所謂一等資料吾妻鏡の劣等な部分が、かえって歴史の大事を語っていないとも限るまい」

しかし、小林の言う「歴史の大事」とは、学者が探る「真実」とは程遠いものである。
 ⇒“社長とは呼ばないで”「小林秀雄が語るロシア革命のこと」

少し話しは横道に逸れるが、小林秀雄は『モオツァルト』の中でこう言った。
「千七九一年七月の或る日、恐ろしく厳粛な顔をした、鼡色の服を着けた背の高い痩せた男が、モオツァルトの許に、署名のない鄭重な依頼状を持って現れ、鎮魂曲の作曲を註文した。(中略)モオツァルトは、この男が冥土の使者である事を堅く信じて、早速作曲にとりかかった。冥土の使者は、モオツァルトの死後、ある貴族の家令に過ぎなかった事が判明したが、実を言えば、何が判明したわけでもない。何もかも、モオツァルトの方がよく知っていたのである」

結局「レクイエム」はモーツァルトによって完成されることはなかった。モーツァルトは弟子のジュスマイアーに後を託した。そうして完成されたジュスマイアー版「レクイエム」がいいとか悪いとか、以後多くの作曲家によって様々な版が生み出されることになるのだが、小林秀雄はそんなことには一切興味を示さない。
「確実に彼(モオツァルト)の手になる最初の部分を聞いた人には、音楽が音楽に袂別する異様な辛い音を聞き分けるであろう」
小林秀雄は、本当にモーツァルトの音楽について論じていたのだろうか。
 ⇒“社長とは呼ばないで”「小林秀雄のモオツァルトのこと」

小林秀雄は、何について論じても結局自分のことしか語っていないではないか、それが嫌で、小林秀雄を読む度に離れ、しかしまた吸いつけられるように小林秀雄を読む、若い頃、そんな一時期があったが、それについて今日は語るまい。少なくとも真実は史実とは別のところにあるのだということを、小林秀雄を引き合いに出して言いたかっただけのことだ。

史実の実朝ではなく、小林秀雄の『実朝』に戻ろう。
「北条氏の陰謀と吾妻鏡編者等の曲筆とは、多くの史家の指摘しているところで、その精細な研究について知らぬ僕が、今更かれこれ言うことはないわけであるが、ただ、僕がここで言いたいのは、特に実朝に関する吾妻鏡編者等の舞文潤飾は、編者等の意に反し、義時の陰謀という事実を自ら臭わしているに止まらず、自らもっと深いものを暗示しているという点である」
小林の言う「もっと深いもの」とはいったい何なのか。
「実朝の死」に強く揺り動かされた周囲の者たちは、自らの心を鏡に映すかのように「吾妻鏡」という「文学」の中に伝説となる実朝像を作り上げていった。その実朝像に対して、「真実ではない」と言える者はどこにもいない。「吾妻鏡」から読み取れる実朝こそ、真実の実朝なのだと、そのように小林秀雄は言っているように思えてならない。
にもかかわらず結局、小林秀雄の描き出す「実朝」は、小林秀雄自身の分身に過ぎぬではないかと、僕は言いたいのだが。

しかし、今日の僕は小林秀雄に寄り添っている。

「源平交代」という、いかにも眉唾物の思想がある。平家が壇ノ浦で滅びて以来、未来永劫、平氏(桓武平氏)と源氏(清和源氏)がが交互に政権を獲ってきという俗説である。

実際、源氏の後、鎌倉幕府の執権を握った北条氏は桓武平氏・平貞盛の流れを汲む平直方の子孫であったし(といっても、それさえ怪しい話しなのではあるが)、また鎌倉の後、室町幕府を開いた足利氏は、清和源氏一族の河内源氏の流れを汲む武将であった。
その後、信長は平氏を名乗り、家康が源氏を名乗った。何をとち狂ったのか、山猿の秀吉までもが自らを平氏と言い張ったので、織田と豊臣の間が繋がらなくなった。しかし三日天下の明智光秀を源氏ということにしてうまく帳尻を合わせた。まともな歴史家はそんな「源平交代思想」など相手にしない。

しかしである。問題なのは信長や家康の出自の真偽ではない。信長や家康までもが、「源平交代思想」に呪縛され左右されていたということが重要なのである。そう考えれば別の歴史が立ち現れてくる。つまり、長きに亘る戦国の世に散っていった兵(つわもの)の怨霊たちは、あの時代の只中に跋扈し、戦国の歴史に大きな影響を与えていたという確かな真実である。歴史の英雄たちはそんな怨霊を畏れていたのだ。

源平交代の呪縛は、壇ノ浦から始まったのだが、それを仕掛けた頼朝は、未だその呪縛から自由であったといっていい。だから平氏の流れを汲むとされる北条政子を妻とすることに何の躊躇もなかった。

稲毛三郎重成と畠山二郎重忠は平氏であった。しかし後に頼朝に帰伏し、頼朝の寵愛を受け、生涯源氏に尽くすことになる。「源平交代思想」から言えば、あってはならないことだが、その理由を、頼朝同様に重成と重忠も源平交代の呪縛から自由であったからだと捉えるとどうなるだろう。
頼朝が重成と重忠を誰よりも信頼し、重成と重忠もそれに答えるように頼朝に忠義を尽くしたのは、歴史の重みから自由であることが困難になってきた時代にあって、なおまだ自由であらんとした数少ない者同士にしか分からない共感があったからだ、そんなふうに想像してみることは実に面白い。
頼朝は、政子の妹たちを、重成と重忠それぞれふたりに嫁がせた。平氏も源氏もない。それを気に掛けていたのは、政子とその妹たちの父、北条時政であった。

再び言う。真実の歴史を探ろうとしているわけではない。そんなことには興味はない。

ここから先は、今までにも増して戯言である。勿論、市民劇「枡形城・落日の舞い」の行方について、とやかく言うつもりは毛頭ない。ただただ空想である。

「枡形城・落日の舞い」第一部第一場。治承五年(1181年)鎌倉頼朝の館。
源頼朝が義父の北条時政に向かってこう言う。
「折り入っての相談だが、親父殿、政子の妹たち、嫁にやる気はないか。畠山重忠と稲毛三郎重成。勲功著しいこのいとこ同士に、嫁を持たせようと思ってな」
重忠と重成が元は平氏であったことで躊躇する時政に、彼らの所領である武蔵と稲毛が、いかに鎌倉にとって重要であるかを頼朝が説く。
それを、義理の妹たちを嫁がせる本意を正直に語った頼朝の言葉だと読めば、この場面は頼朝の策略の場ということになる。頼朝の独壇場である。説き伏せられた時政は言う。
「流石は頼朝殿、読みが深い。畏れ入り申した」

だが、多摩の横山は厳然と鎌倉と武蔵の間に横たわっているのだ。それを指摘することに、それほど深い読みが必要であろうか。武蔵と稲毛が鎌倉にとって戦略上重要な拠点であることは、農兵でも知っているような分かりきった事ではないか。「畏れ入り申した」? 時政が阿呆では、この芝居は学芸会に堕する。

芝居を成立させるための真相はきっと別にある。頼朝は純粋に重忠と重成とが可愛かったのであり、だからこそ義理の妹たちを彼らの嫁にしたかったのである。しかし、平氏である彼らと縁続きになるためには、それなりの理由が必要であった。頼朝が時政を納得させるために用意した「理由」は、間違いではないが、しかし方便に過ぎなかったのである。
時政も、そんな頼朝の真意を理解していた。そして、その方便に乗ったのである。
「流石は頼朝殿、読みが深い。畏れ入り申した」

頼朝もまた、自分の持ち出した「理由」を時政が方便であると重々理解した上で説得されるであろうことを、あらかじめ分かっていたのだ。なぜなら、北条時政は平氏であるのだから。

しかしである。頼朝には見えていないことがあった。それは時政が「源平交代」という歴史の呪縛に捕らえられていたということだ。なぜそれが頼朝には見えなかったのか。それは頼朝が歴史の呪縛から自由であったからだ。この時既に時政は、「源平交代」に準えて源氏の次の時代を見据えていたのである。頼朝にまんまと平氏の妻を嫁がせた時政だったが、さらに今、重忠と重成という最も有力なふたりの御家人をも縁者とするチャンスが、向こうから転がり込んできたのだ。
《いつの日か、重忠と重成は、源氏から政権を奪い取るための重要な手駒になるに違いない。たぶん捨て駒に……》
そしてこの幕開きの場は、頼朝の策略の場ではなく、一変して北条時政の謀略の臭気が漂う場面となる。

少し記事が長くなった。この先は別途記事にて。



2月15日火曜日: 紺碧会のおみやげ

宇夫方女史は昨日に続きこの日もどこかへお出掛け。紺碧会とかいう泡盛関連の会合だったらしい。そしてずいぶん偉い方々と会ってきたらしい。
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それをなぜ琉球舞踊専用ブログに書いたのか、なにやらワケがあるらしいのだがよく分からない。
まあ、なんでもよろしい。こういう御土産をゲットしてきてくれるのならば。
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紺碧色の瓶に入った紺碧という銘柄の泡盛。
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紺碧会と金武町のタコスの関係はよくわかりません。
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746って何だ?

25年も続いているのか。
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だめだ、オイラ行ってないから、この記事書けません。
(高山正樹)
次の記事へ

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今日はバレンタインデー。M.A.P.の西岡さんが、手作りお菓子を作ってきてくださった。
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本日、宇夫方女史は誰かの代理でどっかにお出掛け。
 ⇒http://mapryukyubuyou.ti-da…

ところで、琉球舞踊に“松竹梅鶴亀”というなんとも欲張りな演目があるそうで、頭に松・竹・梅・鶴・亀の被り物を乗っけて踊るんだとか。最低5人。松・竹・梅・鶴・鶴・亀・亀で7人の場合もあり。松・松・竹・竹・梅・鶴・鶴・亀・亀だと9人。松・松・松・竹・竹・竹・梅・鶴・鶴・亀・亀で11人。いったい何処まで増やせるのだろう。何故か梅は必ず一人。何だか想像しただけで笑えるが、決して笑わす踊りではないらしい。
因みに宇夫方女史の初舞台は痩せていたので鶴だった。今なら亀か。

高山正樹はお昼にツルツルっとカップ沖縄ソバを食べました。
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そして、この日の宇夫方さんが、出席した会合で貰ってきた御土産はこれ。
田芋のドラ焼き
ドラえもんの好物。バレンタインとは無関係。単なる日常。

沖縄の“オバー”の、カメー攻撃って知ってますか?
(※ウチナーグチで「カメー」とは「食べなさい」の意)

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今日は三線の自主稽古でした。
 ⇒http://haisaikomaesanshin.ti-da…

というわけで終わったらもうすぐ5時。じゃあ行けってなもんで“ふくや”さんへ。今年初。
今日は日曜日なので“ひも”は品切れ。“屋久島産トビウオのさつま揚げ”は欠かせない。
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しかしさあ……
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焼酎ボトル4本はいくら何でも飲み過ぎじゃあないの?
次々と倒れていく中で……
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最期におにぎりを食べる余裕を見せる上地さんでした。
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話した内容は全て忘却の彼方へ。
こういう日のブログは楽だなあ。次の日は辛いけど……

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今日はとっても空気が澄んでいる。また本部のベランダに出て、富士山を、というより多摩の横山を眺める。
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雪がうっすらとかかった連山は丹沢山系。その手前の緑っぽいところが多摩の横山だからね。でも稲毛三郎重成が最期を遂げたのはもっとずっと奥。でももうそこには緑はない。

さて、桝形城址の展望台は見えるかな。
富士山から左へゆっくりパン……
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はあ、このさらに左にはでっかい建物が目の前にあって、もう見えません。

その昔の夏休み、母親の実家で、こんな山並みにキツネ火を見た。という記憶があるのだが、さてあれは夢だったのか。
「おい、キツネ火、見えるか」
母方の親戚のおじさんがそう言ったのだが、その記憶も今となってはなんだったのかわからない。

今の僕には、あの横山の頂に、鎌倉時代のモノノケたちが踊っている姿が見える。

「見えるわけがない。うそばっかり」

《追伸》
今度の市民劇で、音楽を担当してくださる川崎絵都夫さんが、僕が書いた記事にコメントしてくださった。弱ったなあ。僕はモノノケたちと話しているつもりだったのに。


その頃、カミサンは杉並公会堂にいた。

八重山古典民謡保存会関東支部
設立三十周年記念公演
大濱安伴生誕百年記念公演

「どうだった」
「なんもわからんかったさ」

一昨年の11月の“八重山芸能 あやぱに会”の時と全く同じ感想だ。沖縄語を話す会で仕入れてくるウチナーグチの昔話を、僕が殆ど意味を理解しないまま読んでも、それを聞いてケラケラと笑うカミサンなのだが、八重山の言葉は全くチンプンカンプンらしい。

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今度の“狛江市中央公民館”のつどいで、我々三線教室のメンバーは、定番の新“安里屋ゆんた”と、この竹富島の正調“安里屋ゆんた”の両方を演る。
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八重山地方には、大和にも沖縄にもない音韻があって、こいつがまた難しいのだ。
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「八重山古典民謡保存会」といえば、いつか代田橋の“たきどぅん”で公演の打ち合わせをやっている時に居合わせたよなあ。
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確か、この支部長さんは、たけみママのお兄さんだったはず、と、昔の記事を探してみた。あったあった。
 ⇒八重山古典民謡保存会の皆様(画像再掲)
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ね、オイラの向こう隣で何故かソッポを向いているのが東玉盛靖修さんだ。
おや?、この画像の右側一番手前の美しい女性、どこかで見たような、ああ、もしかして、亘さんの“やいま”でのライブの時、ゲストで歌った女性じゃないかいな。
さっそく“やいま”で貰った名刺を出してきて確かめた。それからそのお名前を、この日のプログラムに探した。
するとほら、ありました!宮薗あき子さん。
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そうか、“やいま”で歌う姿を見て、どこかでお会いしたような気がしたのだけれど、それが“たきどぅん”だったんだ。あー、すっきりした。

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《2月12日(土)》
ある秘密結社の、年一回の活動日なのだ。M.A.P.は今回初めての正式参加である。
前回は桜新町の、とある家屋で行われたが、磯野家とは関係はない。今年は場所を変えて、MHKの原点に戻って阿佐ヶ谷で開かれることになった。だが、もちろんオームとも全く接点はない。
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いったい、何をたくらんでいるのだ。

後日、書く。


2月12日土曜日: 古鎌倉街道の中道の支道

二本担いでいくのはちょっと無理だな。
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詰日が刻印されていないほうが古いのかもしれないが……
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詰日が表示されているほうにしよう。じゃないと、古いことがわからないからね。
記録がないと、誰も信じない。
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2005年9月1日か。泡盛は瓶熟成するからね。5年ものの酒(クースー)だ。ずっと本部の暗い戸棚の中に置いてあったから、きっといい状態で熟しているに違いない。

喜多見の事務所で少し仕事をして、自転車で阿佐ヶ谷に向かう。と、すぐに雪が降ってきた。失敗したかな。
北上して国道20号(甲州街道)に出る。新宿方面に走り、上北沢から左に曲がるのだが、そこにこんな看板があった。地図調査用語で言えば交差点名板である。
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後で調べたら、鎌倉街道の中道の支道らしい。この南は、世田谷区を突っ切って、祖師ヶ谷大蔵から喜多見の南側を回るようにして登戸へと続いている。機会があれば、地図でも携えて歩いてみるか。

石橋山の合戦に破れ安房国に逃れていた源頼朝が、やがて味方を増やして武蔵を窺う。いよいよ畠山重忠らを味方につけ、武蔵の国を通って鎌倉入りする。記録には残っていないが、稲毛三郎重成も、従兄弟の重忠と共にその中にいたに違いない。その折に通った道がここだという説もあるらしいが真偽は定かでない。

ここから1km足らずのところに神田川が流れていて、架かる橋の名が鎌倉橋であった。
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当時の古い道筋と今のこの商店街とは位置が違うのかもしれないが、歴史などというものを学ぶと、なんでもないこんな道からも、古(いにしえ)の匂いを感じようとしている素直な自分がいて不思議だ。
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時の支配者が残した記録から抹消された真実……

鎌倉道は途中から東へ、中野の方角へ抜けていく。ボクはそれと分かれてまっすぐに北へ向かう。

今日はこれから、阿佐ヶ谷でMHKの会合なのである。

《祝日です》
今までは記事にしなかったようなことですが。
今日のお昼はとんかつ“テッ平”で。
とんかつ“テッ平” とんかつ“テッ平”のロースカツとカニクリームコロッケ エビフライとカキフライ
いちいち記事にしたことはないが、胃が元気なお昼には、時々食べに来る。

健康ゲームどこへやら。昼とんかつ食ったくせに、夜も肉が食いたくなった。今日は“ばりき屋”ではなく、浮気して“ホル狛”に行くことにした。
ところで、“ホル狛”はいつから“ホル狛”だったんだっけ。確かその前は違う名前の焼き肉屋さんじゃなかったっけ。よく憶えていないのだが、もう5年以上前だろうか、M.A.P.の前身であるM企画の頃、働いてくれている若い連中をたくさん連れてココにあった焼き肉屋に食べに来たことがある。金の無い役者やミュージシャンの卵たちだから、旨い旨いと喜んで食っていたが、ボクは首を傾げた。食後、タレの味しか口の中に残らなかった。それが“ホル狛”という名前になる前の店だったか、“ホル狛”になってからか、ともかくそれ以来、ココに来たことはない。そのあと、肉質を上げて値下げしました、みたいな貼紙を見たような記憶もあるが、それでも来る気にはならなかった。

一昨年9月、一度だけお昼を食べに来たことがあるが、夜は躊躇した。それは味というより、プライベートなスペースを作るために考えられたのであろう座席を仕切るロールカーテンが、M.A.P.的には詰まらなかったからだ。これでは、店が見えない。人と出会えない。食べ物ブログは書きたくない。

だが喜多見を応援すると決めたのだ、と行くことにした。

カルビとかロースといった定番の肉たち。
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ほほう、ちっとも悪くないじゃないのさあ。そりゃね、どっかの高級店と較べちゃあいけないけれど、十分満足である。というかさ、オイラはね、肉は筋があって噛み切れないようなのが好きで、口に入れたらすぐ溶けるみたいな貧弱な肉を喜んでいるグルメという輩が信じられないのだ。そんなオイラの言うことだから、これ読んで行ってみたけど、旨くなかったなんて文句は決して言わないこと。

モツ鍋が喜多見で食べられるのも気にいった。
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チャンジャ三種。
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オイラは好きだ。

ただ……
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今日のホルモン系はどうもいただけなかった。盛り合わせなんかを頼んだからいけないのかもしれない。明日になったら売れなくなるネタを、お任せの盛り合わせにして安売りするというのはこういうお店の常套手段だからね。
しかし、たとえそうだとしても、きっとココでは二度とホルモン系は頼まないだろう。“ホル狛”という屋号なのに。
でも、肉を食いに、また来ようと思っている。

現在のところ、定番の肉なら“ホル狛”、ホルモンなら断然“ばりき屋”ということで。

あーあ、ほーらね、そこいらの食べ物ブログとおんなじになっちゃった。
皆様、今日の記事は全部忘れてください。そして喜多見周辺にお住まいの方々、是非一度、ご自分の舌で確かめに行ってみてください。世の中に氾濫する食べ物ブログの評価は、絶対に信じてはいけません。

今度は世田谷通り沿い狛江方面にある“鳥政”に行ってみよっと。聞くところによると、“鳥政”という名前なのに、焼き鳥屋ではなく焼き肉屋らしい。


今日も市民劇の稽古に自転車に乗って行ってきた。
一昨日の記事で、川崎絵都夫大先生の曲は、はたして「古の霊を呼び出す磁気を帯びているだろうか」と申し上げたことについて、いま少し補足しよう。

琵琶に、「さわり」というものがあることをご存知だろうか。わざとノイズを混ぜる仕掛けで、三味線にも受け継がれている。youTubeに三味線の「さわり」を説明している画像を見つけたので、まずそちらをご覧いただきたい。



フレットが低すぎる出来の悪いギターなど、弦をちょっと強く弾くと、本来触れてはいけない隣のフレットの金具に、弾いた弦が当たってジジーンというノイズが出ることがある。琵琶や三味線の「さわり」は、その「雑音」を意図的に出そうとする仕掛けなのである。

もういい加減に兵藤裕巳氏の著作『琵琶法師』から離れたい(あさやさんの罠から抜け出したい)のだが、なかなかそうはいかないらしい。兵藤氏は、薩摩琵琶を使った曲も作曲している武満徹氏のことを紹介している。
武満徹は、「薩摩琵琶などの盲僧(琵琶法師)系の琵琶におけるサワリの工夫を、『雑音(ノイズ)というものを媒体として自然世界に連なってゆく』ための積極的な方法」と位置づけているというのだ。
余談だが、山猫合奏団の白石准は、今度のしんゆり芸術祭で、ボクに南アフリカのサッカーW杯で話題になった応援グッズのブブゼラを吹かせようという魂胆を持っているらしい。白石准は、武満徹氏によって見出されて道が開けたピアニストである。もしかすると彼も武満氏のように「ノイズ」好きなのかもしれない。なんだかとってもそんな気がしてきた。
兵藤氏は更に言う。
「(サワリは)『自然世界』のざわめきに声をあたえる盲人芸能者たちの創造だったろう」

youTubeにはたくさんの琵琶の演奏がアップされている。第一人者である田原順子さんのものも数多くある。
(またもや余談だが、田原順子さんは、ふじたあさやさんも関昭三さんもよくご存知の方である。ボクのカミサンも、沖縄から東京に出てきた頃に、順子さんのご主人にはずいぶんとお世話になった。今回の市民劇でも、ボクの琵琶演奏指導を順子さんに頼むとかいうハナシもあるようなのだが、いったいどうなっているのだろう、ね、関さん。)
その田原さんの画像を貼り付けようかと思ったのだが、あえて数少ない男性、それも外国人の方のものにしてみた。そのほうが、きっと今日の記事の趣旨には合っている。



三つ目の余談。三味線の直接のルーツは沖縄の三線だという説もあるが、三線には「さわり」はない。沖縄の唄を、大和風のコブシを入れて唄うと「変だ」と言われる。ビブラートなどはもってのほかなのである。
「何もせず、ただまっすぐに歩くように唄う」
これが難しい。三味線と三線の違いについては、あらためていつか考えてみたいと思うのだが。

さて、ハナシを戻す。
同じ琵琶でも、雅楽琵琶には「さわり」はない。鳴る音は純音のみである。そこに穢れた異形の「もののけ」が入り込む余地はない。

川崎絵都夫先生の曲もまた、ざわめきを「ノイズ」として取り除いてしまった後の「純音」なのである。いくら耳を澄ましてみても、残念ながら異界からの風の音が聞こえてこない。おぞましい「もののけ」たちのうごめく声が、ボクの肌に触れないのである。ボクは、穢れた河原モノでありたいと願っているので、出来ることならば異界へと逃げ出したくなるのだ。

きっと、ステージングが始まれば、不本意なことが起き始めるに違いない。

「これは市民劇なんだから、市民劇なんだから……」

稽古場で、不機嫌な顔をしないようにしよう。そうでないと、またたくさんの敵を作ることになる。

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《2月10日》ア行に続き、カ行です。

ちょっと面倒なので、後日書きますが……

でも、ならば何故「カ行」をこの日に記事にするのか。
それは宮澤寿君が宇夫方隆士さんに盛岡弁を習いに来ていたから。
(M.A.P.事務所の奥の部屋にて)
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全て、後日です。


2月10日木曜日: アウトローの悪い癖

《2月9日26時30分》
コンケン・アイを出て右へ曲がる悪い癖。そこには“ぎま”が。今日は真弓さんも一緒です。コンケン・アイのオヤジさん? とっくに寝たさ。
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あ、ここにもアウトローがいました。筋金入りです。
第7代日本ジュニアフェザー級王者スナッピー浅野さんと
腕相撲っぽいことしたりして。もちろん小生が勝てるわけないんですけどね、でも左は結構いける。右手はさ、30年前マージャンしてて薬指を骨折して以来、握力がペケなのです。

いつもあんまり写真に写りたがらないミエちゃんのお母さんが作ったサーターアンダギー。
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[subcate.サーターアンダギー]
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結婚と愛は同じですか?
「この写真、気に入らない」
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じゃあ、もう一枚。
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「なんだかね」
真弓さん、幸せですか?
「ま、いっか」
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コンケン・アイは婚・兼・愛ですか?
ここは“ぎま”、歌うところ。ね、浅野さん。

「あんちゃん、これ、いいじゃんいいじゃん」
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アウトローの特技か、悪い癖か。
[subcate.スナックぎま]
次の記事へ


ようやく毛ガニの動画をyouTubeにアップしたので、やっと1月17日のコンケン・アイの記事を一個仕上げることができた。
 ⇒ お待たせコンケン・アイ《活き蟹と茹で蟹とどっちが旨い》
  

そしてそれから、1月21日にコンケン・アイにお昼を食べに行った時の記事を書いた。
 ⇒
都道114号線沿線《コンケン・アイのホームページはM.A.P.after5です》
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書いた記事を眺めていたら、どうしてもコンケン・アイに刺身を食べに行きたくなったので、今から行くよという電話を入れた。だって、ちょっと遠いからさ、行って閉まってたら悔しいからね。

テーブルに座ったら、いきなりこんなのが出てきた。
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「来るってえからよ、さばかねえで待ってたんだよ」
ホウボウ(魴鮄)である。
そうなのかい。写真に撮られるの、待ってたんだね、ほうぼうちゃん、いい子だこと。
パシャ!
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目が、怖い……

電話するのがちょっと遅くて、既に半身にされてしまったカレイ(鰈)。
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そうか、君は半身のママ、僕を待っていたのか。
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頼むよ、そんな目でオイラを見ないでおくれ。

「食うか」
「食う」
人間とは、むごたらしいものである。
山口昌男氏が、「磁気を帯びすぎている行為」の範疇に「食べること」を含めているが、妙に納得してしまうのだ。
 ⇒異界と交信する琵琶法師
土に植わっている野菜を見たこともなく、ブリ(鰤)は切り身で海を泳いでいると信じている子どもたちが住んでいる日本なのだ!って威張ってどうする。なんだかなあ。

今日のお通しが出てきたのはその後。
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大根もわさび(山葵)も野菜だからね。大根の葉っぱなんか虫だらけ。貝柱は筋肉だ。

カレイの死体、じゃない、お刺身です。
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縁側だってあるさ。
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しょうがねえよなあ、うまいんだから。原罪って、きっとこういうことなんだよね。

しかし、ホウボウの刺身は絶品だ。なんたって、目がないのがいい。
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目は鍋の中に水没していた。
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そしてやがて溶けていった。
成瀬川土左衛門。
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「どざえもん」と「どらえもん」は一字違いだ。太っていることはどっちもおんなじだね。

誰かさん、ついこういうの頼んじゃうんだよね。
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生きている「どざえもん」を「どらえもん」という。

寒ブリの刺身。
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その昔、芝居のツアーで泊まった江田島の民宿でハマチの養殖をしていた。そこで、魚犇めく水槽にハマチエードという肝臓の薬(と聞いた)を大量に放り込んでいる光景を見て以来、ブリ系の刺身は一切食べられなくなった。しかし、コンケン・アイに来るようになって、ブリの刺身もついつい口にするようになった。
しかし、今日はいったいどれだけ殺生すれば満腹になるんだろうか。

今日はあんちゃんもコンケン・アイで殺生をしていた。
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そのあんちゃんからのおすそ分け。ウニ(雲丹)。
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これね、ウニの生殖巣です。知ってた?

生殖巣といえばコンケン・アイの常連代表、西川さんである。
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中学を卒業してからずっと、中東からアジアにかけて世界中で仕事をしてきた人。そんな西川さんのセクシュアルな体験談は実に刺激的なのだけれど、ブログじゃあ危なっかしくてとても書けないのが残念。ただ、世界は、まともなニュースを見ていただけでは決して知ることのできない巨大な裏の世界の力によって動いているんだよなあと、あらためて思ったわけで。そんなことはわかっているつもりだったんだけれど、やっぱり世界はだだっぴろい。きっと沖縄は、日本よりもそうした世界に近い。だから面白い。

コンケン・アイのオヤジさんの過去だって、ブログで書けないことばかり。お知りになりたい方はコンケン・アイの常連におなりください。簡単になれますから。

この日2回目という若者がいた。
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黒澤覚くん。四谷三丁目の牛禅というお店で働いているんだってさ。さて、彼はコンケン・アイの常連になるのでしょうか。

みんな訳あってひとり者。
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人間は、やっぱりアウトローのほうがおもしろいんだよなあ、きっと。
 ⇒アウトローの人生こそおもしろい

エロスとタナトスがなければ世界そのものが死んじまう。「働かざるもの食うべからず」、いやいや「食わざるもの生きるべからず」だな。
魴鮄と鰈たちに合掌。

“ぎま”に続く……


久方ぶりに日高さんが“喜多見で沖縄語を話す会”にやってきました!
……という記事を書こうと思ったのですが、M.A.P.沖縄関連教室合同新年会のことをまだアップしていなかったので、まずはその記事を先に書きました。
 ⇒「M.A.P.の沖縄サークル合同新年会」の記事

それから、日高さんから届いていたレポートが二つばかりあったので、それも先に御紹介しておかなければと思ったのです。

まずは【ネオニコチノイド】のこと。
でも、これについては添加物を使っていないというセブンイレブンのお弁当のことと一緒に記事にしたかったので、まず「セブンイレブンの社長に会ったぞ」という記事を、さらに先に書くことにしました。
というわけで……
 ⇒《同窓会でセブンイレブンの社長に会った》
 ⇒【ネオニコチノイド】のこと

日高さんのもうひとつのレポートは川崎市にあった【原発】の話し。
こっちはもっと大変です。この原発がかつての多摩の横山の範囲にあったのと、狛江市の“鳥研”の前にある電力中央研究所の中にも原発があったとかなかったとかで、まずもって川崎市民劇の暫定記事と“鳥研”の暫定記事を仕上げなければなりません。
というわけで……
 ⇒「2011年初“鳥研”」の記事
 ⇒「電研のこと」と「狛江市のカテゴリ」の記事
 ⇒市民劇《省エネ化した言葉から言霊が消えていく》
 ⇒市民劇《広福寺から桝形山を歩く》
 ⇒市民劇《異界と交信する琵琶法師》
 ⇒市民劇《稲毛の今昔物語》多摩の横山に【原発】があったという話

これでやっとこの日の日高さんについて書けるようになりました。
というわけで……

日高さんが“沖縄語を話す会”にやってきました!
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まるで、ヘリコプターから降って来たようないでたちです。
“沖縄語を話す会”でどんな勉強をしたかについては、専用ブログをご覧ください。
 ⇒「第25回ゆんたくぬくゎい(喜多見で沖縄語を話す会)」

たったこれだけのことを書くために、どんだけ手間取ったのでしょうか。

M.A.P.after5はいくつもの連載記事で成り立っているのです。
めんどくせえブログ。

【追伸】
狛江の「中央公民館のつどい」では、“沖縄語を話す会”のメンバーが、ウチナーグチで司会をします。


旧暦1月7日、七日の祝(ナンカヌスク)
久米村:ナンカノシュク。七草雑炊(ナナクサジューシー)を霊前に供える。
首里:七日の節供(ナンカヌスク)といって雑炊(七日粥)と酢の物を供える。
那覇:七日祝(ナンカヌスク)である。七草を入れた雑炊をご霊前に供える。
(※那覇の項を担当執筆した方は、子供の頃経済的な理由でやらなくなったそうである。)
真和志:七日(ナンカ)の祝(シュクー)。年の夜(ユルー)に飾った、仏壇、神棚、床、火の神、および門の芯松(シンマーチー)、色紙など一切を取り下げる。晩に、御仏壇に雑炊飯を供える。
小禄:豚のコー引きといって豚小屋を拝みに行く。
(以上すべて『那覇市史』資料篇より)

『沖縄大百科事典』では……
七日節句(なのかのせっく)
【奄美】〈ナンカンセク〉という。奄美諸島では、床の間、先祖棚などに飾ってあった供え物を下げて雑炊(七草がゆ)を作って食べる。また地域によっては、この日に天から鬼が降りてくるとか、正月料理を食べて肥満した人間を、夜、鬼が食べにくるとかいう伝承があり、雨戸をたたいたり、鉄砲を天に向かって撃ったり、ホラ貝を吹きたてたりして、村中いっせいに騒ぎたてた。
【沖縄】〈ナンカヌシュク〉という。各家夕食時に火の神、仏壇に雑炊、汁を供える。地域により祈願目的に相違があり、折目であることを報告するだけ(与那原町板良敷)、豊作を乞う(石川市)、正月豚の初七日でその厄を払う(本部町備瀬)など。七日の祝いの料理は豚肉雑炊を供えるところが多いが、那覇市久米村のように七草雑炊というところもある。竹富島ではこの日を後生(グショー)の正月だとして墓地へいくのを忌む。読谷村宇座那覇市泊与那城村伊計のように、この日に正月飾りを取り払うところもある。

たぶん、これごく一部です。はあ、もう大変。
これが沖縄なのです。

今晩は“ゆんたくの会(沖縄語を話す会)”です。勉強しているのは首里の言葉です。那覇の言葉とはニアリーイコールです。ヤンバル(沖縄本島中部)とは…… 勉強不足でよくわかりません。
これが沖縄なのです。


2月 9日水曜日: 少し白い雪が降った

※2月9日の記事です。
《2月8日23時50分~9日9時》
市民劇の稽古から自転車で喜多見に戻ればもう11時。
あの世のモノと出会うためには磁気を帯びた行為が必要。よって「食べる」!
(一つ前に記事をお読みくだされば意味が分かります。きっと……)
この時間から何かちょいと旨いものをつまもうと思ったら、喜多見では今のところ“酒菜”しか知らない。
あら、へー、そうなんだ……
開店16周年記念ドリンク女性半額の貼紙
まあ関係ないけど。
スーさん曰く「男性半額なんかやったら17周年はないね」

久しぶりにゴーヤーチャンプルーなんかを頼んでみた。
「減塩でね」
「わかってますよー」
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“酒菜”に、ゴーヤーチャンプルーはこうでなくちゃいけないなんてルールはない。そういうことにこだわるお客さんもいない。スーさんの思い付き料理を、みんな軽く楽しんでいる。今日のゴーヤーチャンプルーはタマゴがトロトロ。好きだな、これ。

「小松菜、どうします」
「なんかさあ、飽きちゃったんだよね」
「そうだよね、飽きるよねえ」
そこで今日は胡麻和えにしてくれた。
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それから煮付けなんか頼んだりして。
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あ、雪だ。
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結構降って来たね。
今日も本部に泊まり。畑もうっすら雪化粧。
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最近、農業が気になっている。しかし、ここにどんな作物があったのか、ちっとも思い出せない。どうせ税金逃れの農地だろうくらいにしか見ていなかったように思う。結局、俺は流行に影響されてるだけなんだよな、と反省している。きっと雪の所為だろうなあ……

今日の朝。
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昨夜の雪はどこへやら。「最近農業が気になっている」だって、それ、ホントかよ。やっぱり案の定だ。ちっとも反省なんかしていない。


天気予報では夜から雪らしい。迷ったが、やっぱり自転車で行くことにしました。
旅僧の道行きの音楽が仕上がっていました。でもねえ……
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川崎絵都夫さんは、大変に著名な作曲家です。坂本龍一氏と仕事をしているなんていったら喜びそうな連中が僕の周りにも結構いそうだな。



あ、そうだ、因みに来る3月13日、狛江の「中央公民館のつどい」で、小生この“安里屋ゆんた”を三線弾いて唄うのです。いずれそっと告知しますけどね。そうか、その日は市民劇の稽古がある日だから、市民劇のお仲間はいらっしゃることはできませんねえ。残念。僕、申し訳ございませんが稽古、お休みさせてくださいませ。

2月1日の稽古の記事で書いたことなのですが、山口昌男氏が難しげに論じていたことをを噛み砕いてもう一度。
この世ならぬ者に対する行為の「かたち」は「呪文」か「歌」か、はたまた「詐術」、時には「食べる」だ……、というハナシです。なんのことかというと、つまり、呪文を唱えるとか歌を歌ったりとか、そういう日常生活に入り切らない行為によってのみ、あの世の住人と交流できるのだ、ということですかね。そうした異界の存在を呼び寄せる行動を、山口先生は「磁気を帯びた行為」と呼ぶ。

さてね、川崎絵都夫先生(僕より年下ですが、これ、暴走族と沖縄では絶対なんですよ、だから会ったらまず干支を聞く)の音楽は、それはそれは素敵なのですが、果たして古の霊を呼び出す磁気を帯びたような曲なのかどうか……

なんだかさ、今まで僕がなんだかんだとここで書いてきたことが、音を立てて崩れていくような。

それにしても琵琶はどうなるのでしょう。一応ね、語り担当とは言っても、僕、山猫合奏団の一員なのです。作り物の張りぼてでエアー琵琶ってわけにはいかないのです。それがはっきりするまで、私、市民劇のチケットを知り合いに宣伝することに、どうしても積極的にはなれないのです。

関さーん、一ヶ月で人様にお金頂いて聞いていただける琵琶の演奏なんて、無理ですよーん。

絵都夫くん。早いとこ音楽全部作曲したまえよ。

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丸屋さんのカテゴリを作ったからというわけではないのですが、今日もお昼は丸屋さん。それも何故かまたカレー系。
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メンチカツカレーです。

しかし、この記事、必要か?
丸屋さん、いつもお客さんいっぱいだから、宣伝の必要もないし。

【3月3日に追記】
今日は今年の初牛(旧暦1月6日)です。
だから今日はアマウェーダー
正月初午の日、田植えのはじめにアマウェーダーを歌って五穀豊穣を祈願します。
南城市玉城字百名にある受水走水(ウキンジュハインジュ)は、沖縄の稲作発祥の地とされていて、その親田(ウェーダ)では今もこの行事が行われているようです。
南城市のホームページによると、今年も行われたようです。
 ⇒受水・走水で親田御願(ウェーダウガン)
ホームページでは今日の様子が報告されていました。
稲を運んだツルが落ちたとされる場所などで拝みを行ったあと、3人の男性が親田で田植え。
その後、祝毛(ユーエーモー)と呼ばれる場所に移動し、東西南北に向かって拝しました。
祝毛では参加した住民が「エー アマウェーダーヨー 米ヌ湧上ユイ」と、稲作の発祥や米作りの行程を歌った「天親田のクェーナ」を歌いながらお供え物や神酒を楽しみました。


これで今日の記事が整いました(?)。

去年の12月24日の朝のニュースだった。
ヘリパッド建設工事が再開された翌日の23日夜、沖縄東村高江区の最も集落に近い建設予定地の傍に設置された反対派テントが、米軍ヘリコプターのホバリングによって一部損壊されたという小さな報道。
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写されたこの椅子は、まさに僕らがあの日の高江で座った椅子ではないか。
7月17日の記事の画像再掲)
あの日のテント

僕は即日そのことをブログに書こうと思ったのだが、前日の工事再開を伝えずに、この日、自分が座った椅子が倒れている画像を見つけて、いいネタがあったなどと喜んでいるような気がして、記事にすることはやめにした。

その日の午前9時半、沖縄防衛局は、工事着工に向けての環境調査を始める。反対派住民は強く抗議、午前11時15分に作業は打ち切られた。

29日、在沖米海兵隊報道部は23日夜の「事件」について、「ヘリはテント上空でホバリングしていない」という見解を発表した。 

今年は、新暦の2月3日が旧正月であった。それから数日間、沖縄から何枚もの年賀状が届く。つまり、沖縄ではまだまだ旧正月が生きているのだ。その元日の午前10時26分、沖縄防衛局の職員と作業員約60人が、テントの壊された「集落に最も近い建設予定地」で、磁気探査や伐採作業を始めたのである。

ここ3日間くらい、ずっと自宅の近くの書斎で仕事をしているのだが、昼間時計代わりにつけているテレビから、沖縄の名護にいる斉藤祐樹の情報が、連日大量に流れ出てくる。ある人の情報によると、プロ野球のキャンプが始まると、沖縄ではテレビカメラが不足するらしい。きっと今年は「祐ちゃんフィーバー」で尚更だろう。
そして、カメラのないこの機会に乗じて、高江の作業が大規模になっていく。

高江は名護から車を飛ばせば1時間もかからない。しかし斉藤祐樹に張り付くカメラのうち、たった一台すら高江に向けられることはない。つまり、斉藤祐樹を追いかける報道陣とやらの中には、高江を伝えようとするジャーナリストがひとりもいないということなのか。

沖縄語を話す会の富久さんは、「今、高江が大変なことになっていますから」といって、沖縄へ向かった。

僕も、どうしても、書かずにはいられなくなった。
斉藤祐樹に、何一つ悪いところなどないことはよく分かっている。しかし僕は、この先何年か、彼を応援する気にはきっとなれないであろう。


旧暦1月4日、ヒヌカンウンケー(火神加那志の下天)
前年の12月24日に天に昇った火の神加那志(かまどの神)が再び降臨してくる日。かまどの神にお供えをする。『那覇市史』資料編に拠る。「小禄」には記述なし。

『沖縄大百科事典』火の神(ヒヌカン)の項によると「元来〈かまど〉そのものを拝したのであるが、やがてかまどをかたどった3個の石に変わる」とある。また「沖縄諸島に仏壇が登場したのは後世のことで、それ以前、家庭を守る神は火の神であった。したがって、家庭に吉凶のあるときは、火の神を拝した。現在でも、家庭における重要なできごとは、最初に火の神、つぎに仏壇を拝する順序をとっている」。

昨年の記事、殆ど其のママ。
只今午前0時。自動的にアップする設定。さてヒヌカンウンケーは何時頃降りて来るものなのだろうか。


2月 5日土曜日: 今日は“三日の祝”です

旧暦1月3日、三日の祝
「ミッカ」だったり「ミッチャ」だったり、「シュク」だったり「シュクー」だったり「シク」だったり。わけわからん。首里の場合。「ミッチャヌシク」一般農家は午後仕事を休む。昔、国王の初行事があったらしい。
以上は去年の記述です。

芸が無いので『那覇市史』資料編からもう少し詳しく拾ってみる。
※印は高山正樹のコメント
●久米村(クニンダ):「ミッカノシュク」(三日の節供)
夕食の膳を霊前に供する。
※「ミッカヌ~」が正しいのでは?
●首里:「ミッチャヌシク」(三日の節供)
一般農家は朝のひととき、田畑を廻って午後は仕事を休む。
※首里の仕事始めは優雅に一日遅れって感じ?
●那覇:(記述なし)※商業の町だってこと?
●真和志(天久):三日の祝(シュクー)
御仏壇にお昼の御膳を供える。午前は畑に出て農作業を営み、午後から、親戚の御仏壇を拝んで巡る。
※この微妙な違い……
●小禄村:初ウクシ・初バル
暮れに飾った農機具をおがんで下ろす。昔はごちそうを準備して、畑におがみに行った。
※たぶん、もっとたくさんのバリエーションがあるんだろうなあ……

【3月3日追記】
今年も忘れてました。今年はウサギ年。そして今日は旧暦で今年初めてのウサギ。従って今日は……
(今年の)トゥシビー
 ⇒去年のトゥシビー
 ⇒【トゥシビー】についての説明


今日は、とてもキュートなお客様がM.A.P.の事務所にいらっしゃいました。実は2度目なのですが、最初の時は記事にしませんでした。それは、まだまだミステリーだったから。今回は少し具体的に見えてきたこともあるのですが、その内容についてお話しするのは、もう少し先かな。いずれ近いうちに、“おきなわおーでぃおぶっく”のブログでご紹介することになりそうです。

でも、かわいいお客様と一緒に食事に行ったということは、M.A.P.after5で、早速記事にしなくちゃね。

まだまださほど親しくない女性と一緒にお食事、となると、喜多見で選ぶお店は、やっぱり“はん家”。昨年5月以来です。
さて、と腰を下ろそうと思ったら、あ、円座だ。ちょっと失礼してパシャリ。
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円座とは、イグサや藁などを綱に編んでそれを渦巻き状にした敷物のこと。市民劇も昨日の稽古からいよいよ「立ち」になって、鎌倉時代には畳などなく、円座のようなものに座っていたのだ、というようなハナシが出たばかりなのです。でも、この円座に座れるのはとっても身分の高い人で、板の間に上がれるだけでも相当だったらしい。その代わり、身分が低くても正座は不要。立て膝か胡坐。正座が礼儀みたいになったのは、畳が普及して小笠原流なんかが出てきてからのようです。

“はん家”では靴を脱いで上がり、板の間に置かれた円座に座ります。
まずは生ビールでも頼んで、「さてツマミはどうしますかねえ」などと言っているとお通しが出てきます。
“はん家”のお通し
“はん家”のお通しはおしゃれなのです。これで掴みはバッチリ。
いえいえ、決しておかしな下心があるわけではないんですよ。だってふたりっきりじゃなくて、宇夫方女史も同席ですから。

お任せコースにしました。
前回来た時、その日突然バイトの子が休んだとかで、マスターひとりでてんてこ舞い。「お任せなら早いんですが」「それならそうしましょう」と頼んだコースがなかなかよくて、これから“はん家”に来た時はこれにしようと秘かに決めていたのです。
山芋のサラダ 慈姑 しめ鯖 おでん 白子のホイル焼き
串のパレード。
トマトの豚バラ巻き しいたけ オクラの豚バラ巻き イカげそ 舞茸の豚バラ巻き しそ長芋の豚バラ巻き
さらに続くよどこまでも。
穴子の白焼き 刺身 のれそれ
シメには御新香。
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これでお一人様2,500円。ホントかしら。

マスター曰く、不景気らしい。家飲みが増えたとか、土建屋さん関係の人が飲みに来なくなったとか、ランチをやめたワケとか、狛江に較べて喜多見の商店街はとか、JINさんのところの香さんの話とか、魯園菜館もやっぱり大変らしいとか、和田屋さんのこととか、アイアンポットが潰れないのが不思議だとか、ブログで言えるハナシ言えないハナシいろいろと……

一軒だけでどうなるもんじゃないのです。一軒だけ良くてもダメなんです。喜多見の街が盛り上がらなければならないのです。わたしたちM.A.P.に何ができるというわけではないけれど、せいぜい宣伝しなくちゃね。

オーディオブックも同じこと。自分のところだけ良ければみたいな発想でやっていたら、ドデカイところに敵いっこありません。結局巨大なサイトのひとり勝ちみたいなことになってしまう。
CDだって何万枚売れるという時代じゃない。最初から1,000枚売るという発想で制作すれば、もしかするとそこに新しい道があるかもしれません。
じゃないと、iTunesとジャニーズだけという、なんとも貧しい世界になってしまいますから。

僕は黒千代香(くろじょか)。
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宇夫方女史は泡盛。そして素敵な彼女はなんと日本酒。若いのに偉い!いいんですバラバラで。酒好きは一緒。
で、お待たせいたしました。日本酒好きの彼女がこちら(手前左)です。“でじじオーディオブック”を運営するパンローリングという会社の丸山ゆうきさんです。マスターとM.A.P.after5初登場の奥様も一緒に写ってくださいました。
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去年、早稲田大学を卒業したばかり。大隈講堂の公演の時に人類館のことを知ったのだそうです。
あとは、今のところ内緒です。でもね、なんだか自分の娘か、歳の離れた妹みたいで、彼女の幸せを祈るおじさんなのでありました。
(高山正樹)

でじじオーディオブック制作の商品。
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「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
と宮沢賢治は言いました。そんなことを昔日記に書いたっけ。
 ⇒社長とは呼ばないで《1984年9月13日のノート》
カンパネルラは、賢治の最愛の妹トシだったのかもしれません。


旧暦1月2日、ハチウクシー
(参考:『那覇市史』資料編第2巻中の7)
ハチウクシー(初興し)。要するに仕事始め。小禄では3日。久米村では書初めをする。首里は那覇市史に記述なくてわからない。
それから初拝み。これは小禄でも同じ。

(※ここまでは昨年の記事をコピペ)

『沖縄大百科事典』によると……
初起し はつおこし(ハチウクシー):年頭におこなう仕事始めの儀礼。正月2日か3日に仕事を手がけるまねをする。農家では〈ハチバル〉(初の畑仕事)といい、畑を3度鍬で掘り起こしたり、畑の見回りをして朝のうちに切り上げる。(中略)漁民は〈舟起し〉として、サバニに供物をしたり、鰹船などでは、大漁旗を掲げ、船霊に年間の安全、豊漁祈願をして祝う。大工は鋸の目立てをする。どの職業も本格的な仕事始めは初起しの翌日である。

もうひとつ。
マドゥトゥシビー
『沖縄大百科事典』によると、首里・那覇の還暦を過ぎた人は、今日から2月15日(つまり旧暦の1月13日)の間の、自分と同じ干支の日に小宴を開くのだそうです。それを「マドゥトゥシビー」という。

今年の旧暦1月は(括弧内は新暦)……
1月2日(2月4日)寅
1月3日(2月5日)卯(今年のトゥシビー)
1月4日(2月6日)辰
1月5日(2月7日)巳
1月6日(2月8日)午
1月7日(2月9日)未
1月8日(2月10日)申
1月9日(2月11日)酉
1月10日(2月12日)戌
1月11日(2月13日)亥
1月12日(2月14日)子
1月13日(2月15日)丑

これについては、まずトゥシビーのシステムを理解していないと分かりにくいですね。トゥシビーについては、去年の記事をお読みください。
 ⇒【トゥシビー】のこと

要するに、60歳以下の人は、自分の干支と同じ干支の年の、旧暦の正月2日から13日までの間の自分の干支と同じ日にトゥシビーの祝宴を開く、けれども60歳を過ぎたら、自分の干支と同じ干支の年だけではなく、毎年正月、自分の干支の日にお祝いをする、それをマドゥトゥシビーという、というわけです。

『沖縄語辞典』によると、「マドゥ(madu)」は「隙間」のこと。また「平素」「不断」「ふつうの時」という意味もあります。つまり本来の「トゥシビー」の合い間であっても、お年寄りに対しては、平素からいつも敬いましょう、といったところでしょうか。

こんな調子で“この日何の日沖縄篇”アップしていきます。
というわけで、“この日何の日沖縄篇2011年版”というサブカテゴリを作りました。

さて、隙間なしに、途絶えることなくアップできるかなあ、やっぱり不安。

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カテゴリ: 川崎市
枡形山からここが見えたのだから、ここから枡形山が見えるはず。
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おん……?
ズーム。
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見えた!
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しかし、相変わらず多摩の横山は、開発の波にさらされているんだね。
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確か神野美奈実さんはこの辺りに住んでいるんじゃなかったっけ。

少し話しが逸れるのだけれど、でも多摩の横山の範囲のこと。
【ネオニコチノイドのこと】に続けて、日高さんの昨年夏のレポート。
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川崎市麻生区と横浜市青葉区の境に原子炉が2基あります。今日、その辺りを見てきました。

付近は、かつて大規模に開発された分譲宅地であったらしく、小綺麗な個人住宅が並んでいました。
原子炉は、一見手つかずの自然であるかのような鬱蒼と繁った樹木に覆われていて、みごとに目隠しされていました。
枝の重なりが少し薄めの場所では、日立の建屋らしき建築物の輪郭が見えましたが、携帯でとらえた建物は煙突風の塔屋のみでした。
塔屋を写した私の背後は丘陵地でして、東側約3kmに東急田園都市線が走り、たまプラーザ駅やあざみの駅があります。

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直線道路の突き当たりの「森」が、旧武蔵工大の王禅寺キャンパスです。
※武蔵工大は今春から「東京都市大学」へ名称変更になりました。
「武蔵工業大学の研究用原子炉の廃炉が決定」という記事を見つけました。

 ⇒kawasakiseisou/news…
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なぜ今頃になって日高さんのレポートをお知らせしたのか、鳥研で原発のハナシを聞いたから。
原発の掃除は、貧しい人々によって行われていて、定められた被爆量に達すると、もうそれ以上仕事は続けられないという噂。このブログで、まことしやかに「都市伝説」とやらを語りたくはない。ネットの世界では、正史と伝説の各々の擁護者たちが、お互いを罵倒し合っている。日立の成瀬くん、本当のこと、教えて欲しい。
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ただ、これだけは言えるんだ。かつて土地を耕すことでさえ、大地を傷つける行為であると、人々は「地神」の崇りを畏れていた時代が確かにあったのだ。「平家物語」を語る座頭は、大地の守護神を宥めるために「地神経」をも読誦していたらしいが、一級史料(正史)には殆どその記録はないらしい。

そして、僕は今日も鹿島田の稽古場まで自転車に乗って行くのです。

「琵琶法師」の中で兵藤裕巳氏は、17世紀の筑前の「座頭」の持ち芸として「浄瑠璃」「小唄」「稽」があったという永井彰子さんの研究結果を紹介している。「稽」とはなんだろう。チャリという「戯物語」だというのだが、初めて聞いた。
「稽」とは、元来「考える」という意味である。つまり、「稽古」は古(いにしえ)について考えを巡らすことに他ならない。昔を研究し、つまり物の道理や故実を学び、今やるべきことを考える。
「稽」という「戯物語」、なんだか興味をそそられる。「戯れに古を考えてみる」、いいじゃないか。

あれ、女性しか写っていない。決して意図的ではありません。
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大地を守護する神は女神であったとか。
北條時頼率いる一万の軍勢が、南から稲毛領に向かってくる。稲毛三郎重成は、郷の民百姓を戦いに巻き込まぬために、城から出て南で待ち構えることに決める。
「稲毛の郷を人馬に踏み荒らされることは断じて許さぬ」
心優しき男は、歴史の表舞台から消え去るのが必定。でも、河原者は、常に隠された裏の物語を語るのです。

しかし、重成の思いも、あるいは今でもあちこちで行われている五穀豊穣の祭りも、大地に対する畏れを忘れて、ただのヒューマニティーや御利益宗教で理解しようとしたら、何にも見えてこないのかもしれませんねえ。そして何も伝えられない。

人間、この先いかなる道を選ぶべきなのか、そのためにこそ古(いにしえ)を考えて、なんてね、そんなことしている暇があったらまず台詞を憶えろ、少ない台詞なんだからってか、おっしゃるとおりであります、はい。

それを考えるのは男の仕事。女性はただ美しく蝶の如く舞っていればいいのでしょうか。宇夫方路さん、教えておくれ。
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 ⇒「琉球新報“晴読雨読”本物だと信じる踊り」を読む
やっぱり“晴読雨読”じゃなくて“晴耕雨読”じゃなきゃダメなんだよね。

そしてもうひとつ、役者って、女性の範疇じゃないの、と、いうこと。

1月28日発行の「タウンニュース多摩区版」に、関昭三さんの記事が掲載されているのを発見しました。
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役者より、制作のほうが断然偉い。だって「演劇を通じて地域交流」しようなんてお考えなのだから。役者は自分勝手に楽しんでいるだけ。でも僕は演劇を通じて古(いにしえ)と現代を結ぼうと思っているのですが、俺の仕事じゃねえか……

すいません、チケット、ちっとも売れなくて。

【2月28日追記】
この日は厚木カルチャーの琉舞教室でした。やっとその記事が、琉舞専用ブログにアップされました。どうやら新しい仲間ができたようです。知らなかった……
 ⇒http://mapryukyubuyou.ti-da…

農民カフェで買ったトマト。
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おお、昔のトマトはこうだったかもしれないなあっていう感じ。もちろん、おいしいです。だってさあ、いい値段だもんねえ。
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先日セブンイレブンの社長に会ったんですけどね。
 ⇒ 「恒例“駒28”の新年会」の記事
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セブンイレブン直営喜多見店の人によると、3人の専門家がメニューを評価するみたいなテレビ番組で、これ、満点だったお弁当なんだって。
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まあね、不味くはないのですが、満点だっていう意味がわからない。テレビのグルメ番組なんてそんなものなんだろうなあ。

なんだか今日の記事、赤っぽい。

“中む食堂”の仁くんから聞いたワイドショーのはなし。そいつにちょいと尾ひれをつけて……
いたずらで猫を解剖した人がいたというニュース。コメンテーターという連中が、「なんてことだ」と、みんなしかめっ面して声を合わせて大合唱。
司会者がまとめにかかる。
「ほんとにひどい動物虐待ですね。では次の話題にいきましょう」
CM挟んで始まったのが、マグロの解体ショー。
なお、最近、魚にも痛点があるらしいという研究結果が発表されました。

添加物を使わないというセブンイレブンのお弁当。
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確かに、一時に較べたらずいぶん少なくなったような気がします。pH調整剤も「危険なし」だし、グリシンはちょっと危険なんていう人もいるけど、まあ問題ない。他のコンビニはどんな感じなんでしょうかね。ただ、使われている材料に(例えば「こんにゃく加工品」に)添加物が使われているのかどうかは不明。表示義務なしだから。

ボク、かつて腎臓ガンの手術後、しばらく添加物の入った食べ物を極力避けていたことがありました。でも仕事を再開すれば、なかなかそうもしていられない。どうしてもコンビニで食事を調達しなければならないことある。でも最初の頃、それを食べた後、いつも気持ちが悪くなったのを憶えています。

もう17年も前のことです。世の中、少しはいい方向に向かっているのでしょうか。

右腎臓の摘出手術を無事終えて、転移の不安を抱えながら退院する日、主治医に聞いたことがあります。
「10年前にこの病気になっていたら?」
「手の施しようがなかったでしょう」
「何が違うんですか」
「手術の技術だね」

それから17年、今なら右の腎臓も残せたのかもしれません。
なんだかとてもとりとめのない記事になっちゃった……

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旧暦の1月1日
沖縄の正月は、まずは若水(ワカウビー:元日に最初に使用する水)を井戸から汲んできて火の神のお供えをします。
※『那覇市史』によると、イチミ(現世)がグソウ(後生)を供養する「お盆」に対し、「正月」はその「お盆」の返礼として死者が現世の者を招く月だという。(「久米村の一年」より) しかし、あの世にはあんまり招かれたくない。だから現世の人は「折角のお招きですが、こちらにもこんなに御馳走があるので、お招きは謹んで御辞退申し上げます」という意味を込めて、たくさんお供え物をするらしい。

へーそうなんだなんて、まるで異国の文化みたいに言わぬこと。「若水」は昔の大和にもあった風習なのですから。
どうやら大和では、どんどんとあの世とこの世が離れていくらしい。

さて、沖縄での新年の御挨拶。
「いー正月でーびる、若年わかわかーとぅ、うとぅんしぇーびてぃー」
※因みに「いー正月」の「い」は声門破裂音[?i]ではありません。破裂しない「い」、つまり['i]です。新沖縄文字では「い゛」と書きます。ああ、中断している「沖縄語音韻講座」を、早く再開しなくちゃいけないなあ。

沖縄では、お正月になると「またひとつ若くなりましたね」と挨拶する。だって「年を取る」んだから、年は少なくなるというわけ。これが長生きの秘訣でしょうか。

もうひとつ。今日は……
新暦の2月3日、ニンジンの日なのです。
2005年、糸満市において、沖縄県産ニンジンの消費拡大を目的に2月3日が「ニンジンの日」に制定されたました。「人参」のゴロ合わせです。

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今日は旧暦の12月30日、年の夜(トゥシヌユル)です。
一年の終わりの日。“この日何の日沖縄篇”の2010年版は、結局、一年半ばで頓挫。そこで改めて“この日何の日沖縄篇”の2011版を、明日から始めようと思っております。基本的には“2010”の記事をコピペしてインチキしますから、なんとかリアルタイムでアップできるのではないかなと楽観視しているのですが、はたしてどうなることやら、われながら見ものですな。

で、今日の年の夜ですが、まだ旧暦2010年です。つまり2010年版の「この日何の日~」はすでに頓挫しているわけですから、「トゥシヌユル」の説明は来年2011年版の最後の日までお預けであります。

つまり本日は……
“この日何の日沖縄篇2011”が明日から始まるぞ!
という告知でした。あはは……

ああ、来年は大丈夫かな、ちょっと不安?

昨年末からM.A.P.で販売している2011年版の手帳です。
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よろしければ、まだ売ってますよ。(在庫あと2冊くらいです。)
 ⇒楽天市場“沖縄map”「沖縄リゾートダイアリー」のページ


喜多見に丸屋さんというお蕎麦屋さんがあります。居酒屋さんではないので、お店の方と突っ込んだハナシをするということにはなかなかならない。そういう場合は基本的に記事にはしないというのがM.A.P.after5の方針だったんですけどねえ。ところがブログ内を「丸屋」で検索したら、すでに結構記事があるんですな、これがまた。まあ、喜多見を盛り上げるのが目的なので、ハードルを上げないで、カテゴリを増やすことにしましょうか。ちょっと気に入らないけど……。

というわけで、ほいっと。
お昼、出前取りました。

かつカレーライスと……
かつカレーライス かつカレーライスのアップ

かつカレー丼。
かつカレー丼 かつカレー丼のアップ

今まではずっとかつカレー丼派だったのですが、これからはもう卒業することにしました。だってすごい量なんだもん。

以上。

ほらね、ただのつまんないブログになっちゃった……。

【2月28日追伸】
この日は三線教室でした。今日は持田明美先生。やっと三線ブログに記事を書きました。シーサーズのDVD情報もありますのでお読みくださいませ。
 ⇒http://haisaikomaesanshin.ti-da…

2月 1日火曜日: 異界と交信する琵琶法師

前回の稽古の記事でちょっと紹介した岩波新書の「琵琶法師」。
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それには、“〈異界〉を語る人びと”という副題が付されている。

あさやさんの仕掛けた「壺」は深かった。というか、自分で勝手に穴を深くしているところもあるのだが。「聖と俗」、「異形のモノ」。書斎の本棚から、20数年ぶりに山口昌男氏の著作などを引っ張り出した。
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とても会社の業務の合い間に書くようなブログで扱える内容ではない。こいつらはもう“社長とは呼ばないで”の範疇だが、そっちはますます書く時間がない。だから過去の文章から関係ありそうなものを拾ってはみたのだが……
 ⇒“社長とは呼ばないで”のトリックスター「三太郎」のカテゴリ

「異形のモノ」のこと……
 ⇒《お天道様と友達になったオカマvs.つかこうへい》
 ⇒ジュネを装う三太郎
 ⇒生物多様性と自然淘汰

……いよいよややこしくなった。

だが、ここで絡まった糸を解すつもりもない。そんなことは無理である。トリックスターは矛盾に満ちている。善と悪。賢者と愚者。聖なるものと穢れたものが未だ渾然としていた原初の時の住人。そんな存在が今に現れれば、遭遇した者たちは過去を体現することになる。現代の権威は秩序を撹乱するトリックスターを抹殺する。だが、古の権力者たちは、道化を屋敷に招き興じた。トリックスターが世界を再生させることを、彼らは知っていたのだろうか。
トリックスターと山口昌男、とくればすぐに兎が思い浮かぶ。山口昌男はジュンク族の野兎噺と比較しながら、狂言の「月見座頭」について論じている。
野兎噺はここで紹介することを憚られるような大変グロテスクな物語である。簡単に言えば盲人を徹底的に苛めて愉しむ野兎の話。
「月見座頭」は、中秋の名月に虫の声を聞いている座頭と、月見に来た男の話しである。意気投合した二人は酒宴を楽しみ、その後、それぞれ帰途につく。
男は「さてもさても面白いことであった。座頭と月見を致いた。まず急いで戻ろう。が、いまひとしおの慰みに、作り声を致いて、きゃつに喧嘩をしかけてみょう」、そして男は座頭を小突き倒して去っていく。
失った杖をようやく見つけ、座頭は最後に言う。「アア、思えば思えば、今のやつは最前の人には引き代え、情けもないやつでござる。世には非道なる者もあるものじゃさて」

山口昌男は言う。
「(ジュンク族の野兎噺で)野兎が演じている役割というのは(中略)『シテ』を喚び出す『ワキ』の役割とでも言えるものである。野兎はまず、原野に出ることによって、日常のあたり前の世界から身を引いて、この世ならぬものに対して、反応しやすい状態に身を置く。この世ならぬ者(盲人・精霊・原野の霊・鍛冶師であるライオン等)が現れた時に彼が、その存在に対して対応する行為の『かたち』が時には呪文、時には歌、時には詐術、時には『食べる』という、つまり、日常生活に入り切らないか、入っても磁気を帯びすぎている行為である。こういった行為の『かたち』を通して、彼は、この世ならぬものに対する透視力を保証されているとも言えるだろう」

山口はこの「ジュンク族の野兎噺」と「月見座頭」に共通点があるというのである。
「偽善的告発ヒューマニズムの卑小さとは質を異にする強靭なヒューマニズムである。」
「何物かを欠くことによって、世界に決定的な何物かをつけ加える『シテ』的存在と、自ら何物か(知性・慎み深さ・道徳性)を欠くことによって、こういった存在の秘める濃い影を曳き出す力を帯びた『ワキ』的存在としてのトリックスターなのである。こういった位相において『シテ』と『ワキ』とは共犯関係にあるのであり、犯行は、我々を強靭なヒューマニズムに向って鍛え直すべく遂行されるのであり、演劇的舞台・神話が語られる場は、こうした祝祭が成立する特権的な場所なのである。」

僕が演じる旅僧の役どころは「ワキ」である。しかし、残念ながらトリックスターとは程遠い心優しき「お坊様」である。はたしてそんな偽善的坊主に、「この世ならぬもの」を呼ぶ出す力があるのだろうか。何かいい手はないものか。

演じるとは、狂気の自己を冷徹に監視するもう一人の自己が存在して初めて「深み」に到達できる行為だと信じてきた。というより、自分が役者であるならば、そうありたいと思い続けてきた。それ以外に、「世界」に匹敵する重層的な構造を表すことなどできない、それができなければ、僕にとって演じることは無意味であるというふうに。なんとも大げさなはなしであるが。

その文脈で、朗読の形而上学なるものも(今はすっかり中断しているが)書き始めた。また、このところずっと拘って書いているイントネーションについての能書きも同じことである。

さて、ふじたあさや氏に「読んどけ」といわれた兵藤裕巳著「琵琶法師」について、これから、語ろうと思うのだが、その内容は、「朗読の形而上学」や「イントネーションについての能書き」に冷水をぶちかけるかのように見えるかもしれない。だが僕自身はそうは思っていない。

僕は琵琶法師ではない。しかし彼らが住む島への橋はある。仮にその橋が絶望的に渡れぬ橋であったとしても、対岸に立ち込める霧も晴れる瞬間がある。盲ではない僕は、その時を逃さず異界を凝視することができるはずだ。

兵藤裕巳氏によると、平家物語の中には、「語りの『視点』がどこにあるのかわからない不思議な文章」があり、それは「『視点』という視覚性そのものを払拭したような文章」なのだという。いわば主語を探し出すことの困難な文章、というより、主語が刻々と変わっていく「非論理的」な文章。なぜそんな文章が生まれたのか。(この問い自体が、近代的論理に呪縛されている証拠なのかもしれないが。)
いくつもの時代の中で形成されていった平家物語には、数多くの人の記憶と、感情と、惧れと、作為とが重なり合っている。つまり「過去(むかし)の死者たち」の「異界」から折り重なって聞こえてくる声の複合体なのだ。それが主語の揺らぎの原因だとするならば、それは傷ではない。だが、これを語ることができる者とは、いったいいかなるものなのか。

兵藤氏は、異界との交流は聴覚によってなされるのだという。だが、視覚が声を文節化し、ざわめきをノイズとして除いてしまうのだ。ならば、盲目であることが、異界との交流を容易にする。
「聴覚と皮膚感覚によって世界を体験する盲目のかれらは、自己の統一的イメージを視覚的に(つまり鏡にうつる像として)もたないという点で、自己の輪郭や主体のありようにおいて常人とは異なるであろう」

だから盲目の琵琶法師たちは「自己同一的な発話主体をもたないモノ語り」になんの違和感も持つことは無い。むしろそれは彼らにとって親しい世界なのである。

琵琶法師は「不断に変身してゆく語り手」である。「『我』という主語の不在において、あらゆる述語的な規定をうけいれつつ変身する主体」なのである。

平家物語を語る琵琶法師について、「個々のペルソナ(人格)を統括するはずの語り手の『我』という主語が不在」なのだと兵藤氏は言う。「語り手がさまざまなペルソナ(人格)に転移してゆくのであれば、物語を語るという行為は、近代的な意味でのいわゆる『表現』などではありえない」。確かに「狂気の自己を冷徹に監視するもう一人の自己」などという「われ思うゆえにわれあり」的な「近代的な分裂」が、世界を小さく限定してしまったようだ。

「自己の輪郭を容易に変化させうるかれらは、前近代の社会にあっては、物語・語り物伝承の主要な担い手でもあった。」
まさに演劇の原点、これこそ「憑依体験」である。また、そうでなければ「見えないモノのざわめきに声をあたえること」など不可能であったのだろう。

彼らが母を神と崇めることについて、僕は母の愛の欠如を、古の語り手たちの共通項として読んでしまったのだが、それは間違いなのだろうか。
「母と子の神をまつり、父なるもの(規範)を他者としてもたないかれらは、『我』という主体を規定する根拠の不在につきまとわれるだろう」
「自己同一的な主体形成の契機となる父なる神(他者)が不在だということだ」
「そこに形成されるのは、自己同一的の不在において、あらゆる述語的な規定を受け入れつつ変身する(憑依する/憑依される)主体である」

だからきっと、彼らは「本質的に両性具有的」なのである。唐突ではない。僕は納得している。そして「両性具有的な主体こそ、非ロゴスの狂気のざわめきに声をあたえる」ことができるのだ。
「平家物語に頻出する慣用句、『あわれなり』は、人としてこの世に組みいれられてあることの根源的な矛盾とその哀感の表白である」
僕は深く深く同意している。

「言語化・分節化されないモノ(ことば以前の非ロゴス)」から言葉が「分離・発生してくる現場」
……ああ、あの頃の匂いがしてきた。そんな「事件」を舞台上に出現させる、しかし、なんとも困難な作業である。

トリックスターは命を賭けている。道化は、王の前でいつも死の危険と向かい合っているのである。しかし、ここは市民劇の現場なのだ。一緒に舞台に立つ方々は河原者ではない。
それでも僕は、少しでもそこに近づきたいと密かに思っている。そのために何ができるのか、例えばその一つがイントネーションにこだわることだと、僕は信じているのである。そうして、ことばひとつひとつに、なんとかして古の重なりあった言霊のざわめきを籠めようと、目を閉じて耳を済まして考えているのである。

僕は琵琶法師ではない。僕は、ロゴスによってしか言葉を考えることができない役者、ホントであれば舞台に立つ資格のない役者である。
だが、僕がやろうとしていることも、琵琶法師の非ロゴスの手法と根本的に矛盾するものではない、と、信じるしかないのである。

そうして更なる別の方法、しかしながら……

いや、それはまた、別のはなし。

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今年も5月の連休中に、新百合ヶ丘で「アルテリッカしんゆり芸術祭2011」が開催されます。
 ⇒アルテリッカしんゆり2011公式ホームページ
 ⇒“山猫合奏団”の案内ページ

“山猫合奏団”は3年連続の参加となりました。
今年は新作“オツベルと象”を上演いたします。新しいスタイル、なんとジャズっぽい雰囲気の山猫合奏団を体験していただきたいと思います。
※なお前半は“山猫合奏団”の原点「仔象ババールの物語」を久々に白石准のピアノ、高山正樹の語りでお届けいたします。

日時は5月1日の日曜日
今年もちょっと早いのですが午前11時開演です。
会場も昨年と同じ小田急線新百合丘駅北口スグ……
昭和音大北校舎第一スタジオ改めスタジオ・リリエです。
 ⇒山猫合奏団Official_Site
 ⇒山猫合奏団Official_Blog

そのチケットが2月1日より販売開始となりました。
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料金は2,800円です。全席指定ですので、お早めにご予約・お買い求めくださいませ。
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また今年の“アルテリッカしんゆり”では、特別参加事業として川崎市民劇が上演されます。

《川崎郷土・市民劇》
「枡形城 落日の舞い」

現在の川崎市多摩区にある生田緑地内に、かつて枡形城を築いたといわれる武将、稲毛三郎重成を描いた物語です。
この舞台に高山正樹が出演することになりました!
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 ⇒アルテリッカしんゆり2011HPの案内ページ
アルテリッカしんゆりのチラシ及びホームページには向ヶ丘遊園にある多摩市民ホールでの公演しか掲載されていませんが、20日と21日には川崎市教育文化会館でも公演があります。

2011年5月です。多摩市民館にて、6日金曜日夜6時30分開演7日土曜日8日日曜日昼2時開演。また川崎市教育文化会館では20日金曜日夜6時30分開演21日土曜日昼2時開演で計5ステージです。
こちらは全席自由。料金は大人2,500円(当日券は3,000円)学生さん以下1,000円です。
 ⇒川崎郷土・市民劇「枡形城・落日の舞い」のホームページ
 ⇒公演詳細のページ

山猫合奏団は象二篇。市民劇では高山正樹は旅の僧を演じます。
というわけで象と象と僧。5月の川崎は「ぞう」だらけ。

山猫合奏団、市民劇、どちらのチケットも下記のお問合せフォームよりご予約・ご購入いただけます。お名前、ご連絡先、ご希望の公演名、日付、枚数をご記入の上、お申し込みくださいませ。
 ⇒山猫合奏団のHPのお問合せフォーム
またお電話・ファックスでも受付いたします。
[TEL]03-3489-2246(株)M.A.P.(エムエーピー)担当:宇夫方(うぶかた)
[FAX] 03-3489-2279
 
たくさんの皆様のお越しを心よりお待ちしています。

高山正樹 Masaki Takayama
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