東北地方太平洋沖地震発生から6日目……

地震がなければ、というより、福島原発の事故がなければ、この日、しいの実子どもの家で山猫合奏団の公演があったはずだが、それは残念ながら中止になった。「キャンセル料は」と聞いてくださったが、勿論頂くわけにはいかない。

腎臓ガンの手術をした翌年、まだ再発の恐怖を抱えて生きていた頃、1995年の1月17日、阪神大震災が起こった。その時、役者などという虚業に生きてきた自分が嫌になった。芝居仲間にそのことを話したら、彼はこんな時だからこそ芝居が必要なんじゃないかと言った。芝居や音楽に携わる者なら、誰もが言いそうなことだった。だから僕も、そうだよな、と答えておいた。

相変わらず何故か警官は嫌いだったが、この時から、お百姓さんの次に消防士さんが偉い職業だと思うようになった。幼い息子には是非消防士さんになってもらいたいと思ったが、それから16年、どうやら希は叶いそうもない。

僕は、ガンで死ぬものだと思っていた。阪神大震災で亡くなった人たちは、僕を追い越して一足先に逝ってしまったのだと思った。ところが僕はなかなか死ななかった。死ななければ、生きていかなければならない。子どもや家族に、飯を食わしてやらなければならない。地図調査のアルバイトを始めたのは、阪神大震災の翌年のこと。

今度の大震災が阪神大震災と決定的に違うことは、今も燃える原発の存在。言い知れない不安感。
これと同じ気分、いつかあった。デジャヴである。そうか、阪神大震災の時と同じなのだ。あの時、僕は転移の不安を抱えていたっけ、それを思い出した。

僕が調査した成果が商品になる。一冊の地図の手触りが、僕の精神を安定させた。虚業と実業との微妙なバランス感覚、役者仲間には理解してはもらえなかった。

今の僕は、地図業務に関して、殆ど実際の作業をしなくなってしまった。忙しさの中で、何かを忘れてしまった。

今日、本番がなくなったから、5月のしんゆり芸術祭の合わせの時間ができた。
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梶井基次郎「檸檬」の重さのような、モノの手触りのある作品をつくること、それができなければ、僕の精神のバランスは、きっと崩れるに違いない。

あーあ、「社長とは呼ばないで」みたいな記事になっちまった……

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