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《7月31日(日)-3》
画像のみ先行アップ。
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そして……
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後日執筆……


《7月31日(日)-2》
11時の回が終わって、食事を食べに行く。
近くにはこんな施設がある。
海底戦跡調査潜水士会
今も活動しているのかどうか。

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すばやー“ケンサン”、県産の食料品にこだわったおそば屋さんである。
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今日の2回目、キジムナーフェスタ最後の舞台は1時から。終演後すぐにバラシ、バタバタするだろうから、この間に記念撮影。
特設会場1の舞台・照明・音響スタッフの皆様。
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大変お世話になりました。あと一回、よろしくお願いいたします。
表方はボランティアスタッフの皆さん。
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ありがとう。感謝!
乗りがいいのでもう一枚。
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さあ、ボチボチお客さんが集まってくるころです。

そうして、無事4ステージ、“チョンダラーの歌”を含めて山猫一族全6ステージ、盛況のうちに幕を閉じたのでありました。


7月31日日曜日: 中の町社交街の朝

《7月31日(日)-1》
あの大震災から143日目……
当然、このビルは与座さんの持ち物。一階のテナントには居酒屋が入っている。
二階はまだ営業はしていないようだったが、与座さんが自分の趣味で作った居酒屋とコヒーショップ。
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「行列のできないコーヒーショップをやるんですよ」

羨ましい限りである。

そして三階への入り口。
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「え?あんなところに……」
と、奥様が呟いた場所。でも奥様は一度もここに来たことがないのだと与座さんはおっしゃっていたが、その真偽は不明。
では、ちょっとだけ……
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午前8時30分。寝不足ではあるが、一回目の開演が11時だから、ゆっくりはしていられない。表に出れば太陽が眩しい。
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中の町社交街。決して賑っているというわけではないが、キジムナーフェスタが開催されているパークアベニュー周辺ほど萎びてはいない。違う文化圏だと感じる。キジムナーフェスタに対しても、どこか白けている。
でも琉球舞踊の稽古場だけはしっかりとある。
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なるほど、考えた名前だな。
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“いちゃりばちょーでー”
会えばみんな兄弟。確かにね、しかし、兄弟は他人の始まりでもあるわけで。沖縄での相手との距離感は、なかなか大和の人間には計れないところがある。ずっと馴れ合いで緊張感なく接していると、時々大きな落とし穴に嵌ることになる。きっとお互い様なのだろうけれど、違和感が微妙であればあるほど、こちら側の気持ちしかわからぬものだ。ともかく、行き過ぎた甘えは禁物である。

町に雇われているのか有志なのか、夜の生ゴミの山は、朝のうちに比較的年配の女性たちによってすっかりきれいに片付けられていた。
客待ちのタクシーがたくさん停まっていた。
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運転手さんとは、なるべく目を合わさないようにする。兄弟になっているヒマはないから。しかし、我々の他に人は殆どいない。もしかすると、これからみんな起き出してくるのか。あるいは、この町の夜は、閉ざされた店の扉の奥で、まだ終わっていないのか、きっとそうに違いないと思うことにした。

(昨夜撮影した画像だが……)
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昨夜、与座さんに教えてもらった24時間営業の惣菜屋さん。そこで朝食を仕入れることにした。
null null ポーク玉子のおにぎり

沖縄の人は歩かない。中の町からパークアベニューまで歩くなんて言ったら間違いなく「アキサミヨー」と言われる。
やっぱり、僕らの他には、ひとっこひとり歩いてなんかいなかった。
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この歩道、無駄に広い……


《7月30日(土)~31日(日)》
白石准、楠定憲、大島純は宿へ。

与座一男さんから頂いた名刺の肩書きにはこうあった。
「泡盛蔵大興坐(おおくみざ)初代蔵守」

この夜のことはとても簡単に書けそうもないので、こいつも後日。
とりあえず何枚か画像だけでもアップしておこう。

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(鈴木雄介撮影)

鈴木夫妻はホテルへ。
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我々は……
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さらに……
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「もう一軒」を鄭重にお断りして今夜のお宿へ。
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ここがどんなところなのか、今夜は限界、朝になったら……


7月30日土曜日: 食堂ミッキー

《7月30日(土)-5》
与座一男さんにお会いした。初対面である。与座さんは、宇夫方路の公演で制作として大変ご尽力下さった来間佳代子さんにご紹介頂いた方である。まずは食事をということで案内して下さったのは食堂ミッキー。昨日からずっと気になっていたお店。
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とりあえず食べたものの画像をアップ。
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山猫合奏団と鈴木夫妻。すっかりご馳走になってしまった。お店からも与座さんのお客ということでサービスしていただいたり。ほんとうにありがとうございました。

食べたものの詳細などはいつものごとく後日。少々お待ちあれ。

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「ブログで紹介していいですか」
「是非是非」
ではクローズアップ!
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しかし、これが驚くべき夜の始まりなのであった。


7月30日土曜日: 見極めて行動すること

《7月30日(土)-4》
第一回目の公演は午後3時開演で4時に無事終了。(キジムナーフェスタの出し物は基本的に全て1時間なのである。)二回目は午後7時から。つまり5時枠のものをどれかひとつ見ることができる。
スウェーデンからやってきたシアタートレの“ブロック”か、オーストリアとジンバブエのアフリカの血が流れる人たちのグループ、シュゲルウィーンイサヤの“The・アフリカ”か、はたまた日本の双子の姉妹、三倉茉奈・佳奈ちゃんの“ハンナとハンナ”か。
結局、会場が一番近いということもあって、“The・アフリカ”を見ることにした。
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さて、ことの顛末は後日報告のお楽しみということにして……

お、黒足袋に雪駄、あきらかに業界人。
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我々が使っている特設会場の舞台監督、谷田部硯士さんが、やっぱりこの空き時間を利用してお子さんを連れて見にきていらしたのである。
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因みに、右の女性はM.A.P.の宇夫方路で、谷田部さんの奥さんではない。

谷田部さんは今から142日前のあの日、新宿の劇場で仕事をしていた。そして次の日には、幼い子供さんと身重の奥様と、この沖縄に避難してきたというのである。なんという決断力と実行力。

「谷田部さん、きっと、その判断は正しかった。あなたは頼りになる一家の大黒柱です」


《7月30日(土)-3》
沖縄市に着くと、まずチケットセンターに寄って新聞を読んだ。
すると……
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来年のキジムナーフェスタに合わせて、アシテジ(国際児童青少年演劇協会)の国際会議が開かれることが決まったという記事。全世界84カ国から約300人がやってくるという。こいつは大きなニュースだ、と認識する人が、この沖縄にどのくらいいるだろうか。
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知ったお顔がふたりばかり。


続きは後日書くが、とりあえず画像だけ先行アップ。
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ランチのハナシも後日。
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キジムナーフェスタに参加すると、こんなのが配られる。
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出演団体は“GUEST"、スタッフさんは“STUFF”。いずれもこいつを首からぶら下げて、関係者用チケットを提示すれば、基本的にどの出し物でも無料で見ることができる。
※しかし満席の場合は入れてもらえない。25日の“コザ物語”がそうだったが、しかし当日券の割り当てもあり、また来るはずの人が来なかったりで、当日券のお客様が全員入り終わった後でも、多少の空きが残っているのが常である。“コザ物語”の時は那覇からそのためだけに行ったので小生ちょいと裏工作して入場を担保していただいたのだが、結局その必要はなかったようだ。

今日の我々の一回目の本番は15時開演。そこでひとつ前の枠の13時からの出し物を見に行くことにした。
サルトルヴィル国立演劇センター、平田オリザ演出……
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フランス版“銀河鉄道の夜”、言わずと知れた宮澤賢治、まあ敵状視察だね。批評はいたしません。でも僕、こういうの、とっても好きです。寝たけど。

さあ初日だ。
昨日の「チョンダラーの歌」のたて看板が「セロ弾きのゴーシュ」に変わっていた。
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間もなく開演。
(久高友昭氏撮影)
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なんか妙に楽しそう。
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なんかお客さんとやり取りしたみたいだが、忘れちゃった。

本編はOfficial_Siteにて……
 ⇒http://lince.jp/lince/acorns_history/kijimunaa2011




《7月30日(土)-2》
山猫一族を名護の小屋に残して、僕は一足先に山を下りた。
そして鈴木雄介夫妻と待ち合わせている基地のフリーマーケットへ。

キョンプコートニーは小さな基地。
でも広い。
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ここでは第2・4・5の土日にフリーマーケットが開催される。バーベキューだとか、米軍ならではのグッズとか、そんな店も並んで、人がごった返しているのかと期待していたのだが、なんのことはない、古着だらけのしょぼいマーケットであった。
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大きな基地も、同じようなものらしい。

いったい、何から何を守っているのか。
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ここは金網の中。
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じゃあ後ほど、コザの特設会場で待ってるさ。
次の旅の記事へ


7月30日土曜日: 名護の山の朝

《7月30日(土)-1》
大震災から142日目だということ、忘れてはいない。忘れられるわけもない。

でも、明るく「おはよう!」と挨拶をしよう。
ここは沖縄だから、「いい天気だね」くらいのことは付け加えよう。
 ⇒沖縄の挨拶のこと

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後は後日……


《7月29日(金)-4》
おお……
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うふふ……
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沖縄だから「カリー」と言いたいところだが……
やっぱり「乾杯!」
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(白石准氏撮影)

ここはどこかって?
後日書く。


《7月29日(金)-3》

(久高友昭氏撮影の画像による)

特設会場1
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案内人は高山正樹。いわばトリックスターたちを呼び出すワキのようなもの。
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謎の男? いや京太郎だ。
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【鳥刺】
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大震災から141日目に原発を歌う。
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【あらぐすくわたる教授】
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【名人ワタローシンジョー】
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ニンブシャーたち……
新城亘。
新城亘のニンブシャー
特別出演の入嵩西康文さん。八重山古謡研究者。本物のお坊さんではない。
入嵩西康文

新城亘、七月エイサーを歌う。
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そして創作演舞ユニット“琉球鼓楽舞(コラボ)”の新チョンダラーエイサーへ。
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琉球鼓楽舞は創作芸団レキオスの中心メンバー照屋真也君と幼馴染の平義信君、そして那覇市の芸術監督を務める安田辰也君で構成されたユニットである。
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なんと贅沢な1時間。
大拍手の中で終演。
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詳細は後日報告します。


《7月29日(金)-2》
キジムナーフェスタの特設会場(1)で、“チョンダラーの歌”の最後のリハーサルをしている頃、鈴木雄介は那覇にある世界遺産の識名園を訪れていたらしい。

実は一昨日の27日、鈴木夫妻と識名園の入り口まで行ったのだが、残念ながら定休日だった。どうも小生、識名園に縁がないらしい。いつ行っても何故か定休日の水曜日なのである。M.A.P.after5では2009年の2月4日の水曜日に門の画像だけアップした。

今回、鈴木雄介氏から識名園の中の画像が届いたので、ご紹介しよう。
識名園1 識名園2 識名園3 識名園4 識名園5

もう識名園の定休日が水曜だということは忘れない。いずれ訪れて、M.A.P.after5的記事を書こうと思う。ただ、それまでM.A.P.の息が続いていればのハナシだが。

そして鈴木雄介氏から届いたもう2枚の画像。
コザの街にある照屋林助三線店“てるりん”。
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そこで鈴木雄介が聞いたコザの町こと。家賃を払っている店はみんな閉めてしまった、家賃を払ってなお利益の上がる街ではなくなってしまったというハナシ。

確かに、中央パークアベニューの周辺は、シャッターを閉めた店だらけである。よくも悪くも、たくさんのアメリカ兵が闊歩していた頃とは比べものにならない。

※数日後、ある方からは、この街の衰退の原因は、米軍基地の縮小ではなく、大和と御同様、大型郊外店出店の影響だと伺った。それが本土資本なのかどうかはわからないが。

でも、この町を一見してゴーストタウンと呼ぶとしたら、きっとその人は、コザの何かを見落としている。確かにシャッター街であることに間違いはないのだが、「内地」の地方都市のそれとは何かが違う。
ここコザのシャッター街の中にも、かつてのコザの匂いを保っているような店が点在していて、そこは宇宙ステーションのように活気があるのである。
「家賃を払っている店はみんな閉めた」というが、ほんとうにそうなのだろうかと僕は思う。ところどころにある元気な店が、全て家賃を払っていないとは、どうも思えない。

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どうやらコザは、まだ死んではいない、しっかりと息づいている、と、僕は感じている。
だが、その確証を語るには、僕はまだまだコザの街を知らない。

【おまけ】
ちょうど2年前のパークアベニューを見つけました。途中、痩せた猫が二匹。それからチャーリー多幸寿、そして最後は去年のメイン会場だったコリンザまで。


※因みに、コリンザは40億円近い負債を抱え清算、はたして今後どうなることやら。今回コリンザ3階のあしびなー劇場以外をキジムナーフェスタで使えなかったのは、たくさんの債権者全てから合意を得ることが困難だったということらしい。芝居なんかに貸すなんてもってのほかだという人もいるのだとか。その結果、得られるはずの収益も得られず、コリンザはコザの街にムダに凛(リン)と立っている。そのかわり、コザの街に数多くある空き店舗の中から、劇場として使えそうなところを、オーナーに賃料を払って特設会場として使用することとなった。コザの街復活のためなら賃料不要、街の人たちがそんなふうに協力してくれれば何かが変わるとも思うが、コリンザの状況を見ればあり得ないことか。


7月29日金曜日: チョンダラーの朝

《7月29日(金)-1》
あの大震災から141日目……
お午前3時半。那覇空港へ宇夫方路を迎えに行き、そのまま沖縄市へ向かう。
沖縄市の手前のマクドナルドに入り、今日本番の“チョンダラーの歌”の構成台本を仕上げる。宇夫方女史は熟睡中。

やがて空が白みだす。
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そうして本番。だけれども、そいつはやっぱり別の記事にしよう。
どんなお方がお読みになるかわからないから……


7月28日木曜日: 観光か仕事か

《7月28日(木)》
あの大震災から140日目。
鈴木雄介氏が撮った勝連城。
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海中道路を通って伊計島へ。
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沖縄そばを食べて……
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又吉健次郎さんの工房。
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そしてピーナッツさんへ。
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それから……
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すべて後日報告。


《7月28日(木)東京》
東京の宇夫方路です。今日の朝、やっとゴーヤーを大きなプランターに植え替えました。
こっちが一昨年大崎で頂いた苗の孫。
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で、こっちが去年代田橋の沖縄タウンで貰った苗の子供です。
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これで沖縄へ行く準備が出来ました。
今日はこれから厚木と狛江の教室の日。しっかり先生をやって、深夜の飛行機で沖縄へ向かいま~す。
 ⇒琉球舞踊専用ブログ
(宇夫方路)

【追記(9月9日)】
この日から三日間、東京のモリタリングポストの数値が揺れた。それまでずっと0.06μSv/hに満たない値だったものが、この日28日が0.062、翌29日は0.067、30日が0.070。もちろん大した数値ではない。ただ、何年後にか振り返った時の備忘録として。
それ以後も小さな揺れはあるが、9月9日現在まで、比較的大きな値を示したのは8月19日の1日のみ。その数値は0.083であった。(ちなみに神奈川のモリタリングポストの茅ヶ崎でも0.081。)
 ⇒http://lince.jp/hito/sinjuku3……
それを知ったのが2日後の21日。
 ⇒http://lince.jp/hito/atonomaturi……

しかし気になるのは8月8日から9日にかけての、モリタリングポストのデータには全く表れない情報なのである。
 ⇒http://lince.jp/hito/omocha……
(高山正樹)

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《7月27日25時》
あの大震災から140日目に……
夜は栄町の“うりずん”へ。
キジムナーフェアの“チョンダラーの歌”の案内と名護市民会館の“どんぐりと山猫”のチラシを貼って下さってました。感謝。
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今夜の集まりの名目は“チョンダラーの歌”の打合せなのですが……
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詳細は後日。
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国際通りを西へ移動中。
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(鈴木雄介氏撮影)

まず“じんじん”に寄って……
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“ななしん屋”にたどり着いたのは11時過ぎ。
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ママです。
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おや……
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アップ!
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それから土へ。
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とりあえずの覚書き。


7月27日水曜日: 7月終わりの首里の風景

《7月27日(水)》
あの大震災から139日目……
浦添にある琉球舞踊の稽古場をお借りして、“チョンダラー”の稽古です。
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その後、鈴木雄介夫妻を那覇空港まで迎えに行きました。

懐かしき首里の石畳。
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蘇る記憶。
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撮影は鈴木雄介氏。

旧盆が近いんだ。
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授乳する若いお母さん。やっぱりなんだか懐かしい。
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後日追記します。

だからさあ……
好むと好まざるとに関わらず、首里も那覇市だから、猫は痩せているのです。
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7月26日火曜日: 痩せた猫と……

《7月26日(火)》
あの大震災から138日目……
沖縄ツアーの記事に即日記事なんてない。全て日を改めて投稿している。でもツイッターくらいならなら出来るかなと思っていたのだが、それもなかなかママならない。

ところで、カミサンの実家のテレビの写りが極めて悪い。ほんの少し風が吹いたり、ちょっと雨が降ったりすると全く写らなくなる。電波状況のテストをやってみたら電波がすこぶる弱い。二階の義理の弟の方はちゃんと写っているらしいので、たぶん分波が上手くいっていないということなのだろうけれど、なんで地デジに移行する前に対処しておかなかったのか、という至極当たり前のことが、ここ沖縄では通用しない。とりあえずアナログで見えている、それでいいではないか、見えなくなったらその時考える。こういうことに用意周到な人とテーゲーで行き当たりバッタリの人、いったいどっちが人間的なのか、そういう面倒な設問が沖縄にはゴロゴロと転がっているのだが、それに躓くには、どうやら何か資質が必要らしい。

全国の話。地デジ移行後の問い合わせが20万件だそうである。それについて白石准が「あれだけキャンペーンをしてきていたのに写らなくなってから焦る人たちが理解できない」と呟いた。

【そこで僕はこんなふうに呟いた】

10:08
沖縄では地デジ移行後電波が強くなるという話が。ところが映らない。問い合わせるしかないという現状。

これ、カミサンの実家での本当の話。でもそれをみんな信じていたのかというと、どうもそうでもない。そんなハナシもあったかねえという程度。だから、決して威張れたことではない。

准ちゃんから返信が来た。「それならわかるけど準備をしないで今頃なぜ映らないと訳の分からない質問をしている人たちのこと」。いやさ、だからよー、と、沖縄っぽく呟いてみる。
実際、この日の沖縄タイムスには、地デジ移行後に問い合わせする困ったちゃんが沖縄にはたくさんいるという記事が掲載されていたのである。ただ、沖縄特有の事情も、併せて報告されていた。
(※切り抜いてきたのだが見当たらない。見つかったらあらためて追記する予定)

ともかく、この感覚がどうも説明しにくくて、ましてや140字でどうなるものでもなく、次にようにリツイートしておくことにしたのだが……
11:02
そりゃその通り。でもさ、沖縄にいると感じる「中央」の遠さ。「何万人が問合せ」とメディアは一言で括るけど、その中にはいろんな事情の人たちもカウントされているのでは思ってしまう。

……しかし、これじゃあ、伝えたいことの10%だな。

そこでその気持ちを埋め合わせるために、三つばかり他人様の呟きをリツイートした。

中国の高速鉄道事件について。
「まずは運休し事故原因を突き止め、改善策を発表しろという上から目線の日本人。けど、同じ事が日本の原発にも言えるのでは?」

泡瀬干潟の問題について。
「仮に埋立に経済的合理性があったとしても、壊したら元通りにはできない自然と経済的合理性、将来に必要なのはどこにでもある人工物より自然。」

そしておまけ。
「沖縄のバスは手を挙げないと止まらない。タクシーは挙げなくても止まる」

いずれも、自分がこうだと思っている感覚の根拠を疑ってみようというハナシなのだが、自分の感性をとことん追求するのが芸術家だからなあ……

さて、“山マヤー一族”のことは気にはなるが、今日は小休止。
カミサンの土産物選びに付き合って国際通りへ繰り出すことにした。

那覇の猫はみんな痩せているのである。
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一方、小生は……
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詳細後日。


7月25日月曜日: 夜は“コザ物語”

《7月25日(月)》
あの東日本大震災から137日目……
那覇、栄町“うりずん”の2階にて、構成打ち合わせ。
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オーナーの土屋さんに感謝である。
こんなったら、“うりずん”のカテゴリを作らないわけにはいかない。
因みに、「うりずん」とは……
 ⇒「うりずん」についての薀蓄

“うりずん”と新城亘先生の深い関係をそこはかとなく匂わせる怪しげな看板。
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詳細は後日。


夜はコリンザの3階にあるあしびなー劇場へ。
“コザ物語”の千秋楽なのである。
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今回、早めに沖縄入りしたのには、これを見る目的があった。結果的に、そのおかげで“チョンダラーの歌”の詰めを沖縄でやれることになったわけで、もしそうじゃなかったらと考えるとちょいと冷や汗である。
“コザ物語”については、あちこちから色々な噂が耳に入っていた。ところが、幕を開けてみれば大変評判がいいのだという。連日満員で、当然お金を払ってくださるお客様が優先、消防法が厳密に適用される劇場なので、もう席に余裕がないらしい。「当日、空きがあれば見れるのですが」と事務局。そこで、調光室からでもいいからなんとかならないかなあと、演出のふじたあさやさんに連絡を入れてみた。
「わかった、受付に言っておく」

以下後日。

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《7月24日(日)》
東日本大震災から136日目……
朝。
構成台本とにらめっこ。
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降圧剤とマンゴ。
構成台本とにらめっこ。
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ドラゴンフルーツ。
構成台本とにらめっこ。

ピンと来ないので……
【昨日のことを呟くことにした】

9:25
いつもお世話になっている沖縄の小さなレンタカー屋さんの話。東京あたりから避難してきている家族が長期レンタルして車が足りない。みんなニコニコして観光気分。しかしもっと深刻な地域からの避難者はずっと少ないとのこと。経済的にも精神的にも余裕のある人たちが逃げてくる。

9:28
昨日の大きな地震のこと、今朝まで知らなかった。ここ沖縄は、東北からものすごく遠い。


白石准が昨日の宇夫方隆士氏の「雨ニモ負ケズ」の解釈について呟いていたので補足してみた。
9:45
なぜ賢治は「ひとり」を「ひどり」と思わず書いてしまったのか。賢治は標準語に憧れていながら花巻弁しか喋れなかったらしい。賢治作品の宇宙と東北の両義性の秘密を解く鍵です。

9:45
これから亘しぇんしぇーと「京太郎」のリハーサルです。



名護の羽地小学校にて、高山正樹が参加するもうひとつのキジムナー、「旅行芸能者・京太郎の歌」の稽古。
レンタカーで移動。
助手席には新城亘先生。後ろの座席から八重山古謡研究者の入嵩西康文さんの唄三線が流れてくる。
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この画像、仏頂面で何とも詰まらなそうな顔に見えるけれど、いえいえ全くそうではなく、ものすごく贅沢な時間なのだった。

まずは腹ごしらえ。
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ジューシー付き。
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「京太郎の歌」のラストは“TEAM琉球・鼓楽舞”の照屋真也さん平義信さん安田辰也さんのエイサー。今日、初めて見せてもらった。絶品であった。
これを見逃す手はない!
しかし、相変わらず宣伝の下手なM.A.P.なので……

 ⇒Official_Siteの案内ページ

役者は揃っている。問題は構成台本。責任重大。

帰り、キジュムナーフェスタの受付に寄る。
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今年のチケットセンター。
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会場も準備万端。
問題は構成台本……

なお、この日の正午、地デジに移行したらしい……


《7月23日(土)-3》
高山正樹氏は沖縄へ。私宇夫方路は、まだまだ東京でやらなければならない仕事があって、ずっと遅れて沖縄入りする予定です。

今日は、八王子龍谷寺の御施餓鬼で、父、隆士さんの朗読会です。会場はいつも山猫合奏団の合わせで使わせていただいているホールです。
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まず白石准さんのピアノ演奏があって、その後、父の出番です。
宮澤賢治の詩を、盛岡弁で朗読します。
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賢治は花巻の生まれです。父によると、花巻弁と盛岡弁は本当は少し違うらしいのですが、賢治が生きていた頃の花巻弁を使える人は、もう滅多にいないと思います。今花巻で生活している人も、すでに当時とは違う言葉を使っています。
盛岡弁も事情は同じですが、父は若い頃に盛岡から東京に出てきたので、そのお陰で、盛岡弁は昔の言葉しか知らないのです。
賢治の生活ぶりや、賢治の弟さんから聞いた話などをはさみながら詩を朗読しました。
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みなさん静かに熱心に聴いてくださいました。
30分ほどかけて4つの詩の朗読終わり、最後にもう一度白石さんのピアノ演奏があって終わりました。

もう年だね、もう最後の方はとても苦しかった。もうあと何回もできないかもしれないと父は言っていましたが、やっぱり八王子まで電車で行って、バスに乗って、坂を上って行くのはちょっと大変だったのかもしれません。高山氏がいれば、車に乗せて行ってくれたのでしょうけれど。

でも逆に、できるうちにやっておこうという気になったらしく、10月あたりに狛江でも朗読会を、と企画をはじめたようです。その時は喜多見狛江周辺の皆様、是非ともおいでください。
(宇夫方路)

【おまけ】
さしずめ、宇夫方隆士氏はスーパー盛岡人?
 ⇒スーパーウチナンチュのこと


《7月23日(土)-2》

【この日呟いたこと】
11:06
アイルランドにフィドルという楽器があることを今朝のBSで知った。バイオリンと全く同じ楽器だが奏法は沖縄の三線の早弾きにものすごく似ている。
まるで打楽器。似ているのは奏法だけではない。人々と音楽の濃密な関係。いずれブログに書く。これから沖縄に向かいます。戻りは8月6日の予定。


あの大震災から135日目……
富士山か……。
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僕は、一度も富士を美しいと思ったことがなかった。だが、太宰治の富獄百景を読んで以来しばらくの間、富士を見つけると、真剣に眺めてみるようになっていた。何故だが今日はそんなことを、太宰の言葉とともに思い出した。

「実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり、東西、百二十四度、南北は百十七度、決して、秀抜の、すらと高い山ではない」
「ふと、この山を見つけても、そんなに驚嘆しないだらう。ニツポンのフジヤマを、あらかじめ憧(あこが)れてゐるからこそ、ワンダフルなのであつて、さうでなくて、そのやうな俗な宣伝を、一さい知らず、素朴な、純粋の、うつろな心に、果して、どれだけ訴へ得るか、そのことになると、多少、心細い山である」

沖縄への飛行機、熟睡しているのが常なのだが、この日は起きていた。昼の便ということもあるが、どうしても沖縄へ着く前に読み終えておきたいものがあったのだ。
大城立裕氏の新作「普天間よ」。
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 ⇒毎日新聞に掲載された「普天間よ」のこと
 ⇒朝日新聞に掲載された「普天間よ」のこと
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胸が熱くなった。何故か…、説明し難い。いずれ、言葉が見つかれば、その時に別途記事にて書く。

カミサンの実家。
着けばまず、沖縄タイムスに目を通す。「普天間よ」のことが、大きく取り上げられていた。
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「沖縄の心 ゆるがぬ深さ」
そりゃそうなのだが……
それから、今日からキジムナーフェスタが始まったという記事も。
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といって、特にそれらのことを話題にすることも無く……
虚ろな「深さ」に戸惑っている暇もなく、オリオンビールは夏バージョンなのだ。
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7月23日土曜日: 旅立つ日の朝

《7月23日(土)-1》
東日本大震災から135日目……
大きなプランターに移して、寄り添う支持棒を立てて、去年からずっと張りっぱなしのネットまでの道筋をつけて、それから沖縄へ出発したかったのだが、なんやかやで間に合わなかった。

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あの3.11以来、全てのことが何かの象徴に思える。神経症と揶揄されても構わない。多くの偉大な芸術家がそうであったように、もちろん、僕は彼らの足元にも及ばないわけなのだが、それが何かの原動力になっている。「何か」とは、決して政治であるわけもなく、上滑りした原発の存否のことでもなく、というか、原発こそが「何か」の影なのだと思っている。
※この記事は、オヤジが息を引き取った日の翌日、2011年夏の終わりの日の朝に書き直している。

そしてM.A.P.after5は、やっと2011年の、沖縄ツアーへと繋がったのである。


7月22日金曜日: 花水木にて

《7月22日(金)》
東日本大震災から134日目……
花水木にて。
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後日、後日で申し訳なし。

7月22日金曜日: 鳥研に呼び出され……

《7月21日~22日》
M.A.P.琉球舞踊教室。
きっと、宇夫方路が報告する。
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7月21日木曜日: 30数年前の似顔絵

《7月21日(木)》
東日本大震災から133日目……

恵みの雨。雨が降ればゴーヤーは元気になる。でも、どうも今年の雨は去年のように嬉しくない。
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それにしても、ボチボチ植え替えてやらないとなあ。

それから三越劇場へ。
懐かしき顔。
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その名は相羽源之助。今は劇団東少の代表である。
30数年前、僕が書いた似顔絵。
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この日の事は後日書く。


7月21日木曜日: after 三線教室

《7月20日~21日》
三線教室の後……

“はん家”
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二軒目は“酒菜”
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後日書く。


《7月20日(水)》

汚染された牛肉が出荷された。

【この日も朝から呟いていた……】
7:17
鳥は?豚は?野菜は?ばあさんからカツオを貰った。「どこのカツオ?」「知らない」「ふーん……」おいしく頂きました。

11:39
会社の方針大転換。今年度役員報酬ゼロ決定。今後3年は覚悟。それまでにどうにかできるかどうか。息子に「どうしようか」と言ったら「なんくるないさー」と来たもんだ。

11:48
「食べるもん気をつけろよ、先が長いんだから」と言ったら、「うん、わかってる、大丈夫」と息子。それを聞いてなんだかすっきりして、俺の方はいい歳なのだから、安心して福島産を食べられる気がしてきたのだった。




…と、代田橋沖縄タウンのSABANIが呟いた。
「本日代田橋沖縄タウンがNHKの全国地上波『ひるぶら』でこれから12時20分から放送です!」

…と、なるほど始まった。0にしていたボリュームをちょいと上げてみた。そしてデジカメでTVの画面を撮影してみた。

15:00過ぎ。このネタで、久しぶりに即日のブログ記事を書いてみることにした。
(8月29日記)

*******************************

東日本大震災から132日目……

M.A.P.after5は評判の悪い時間差ブログ。それでもなんとかなるべく順番にアップしようと思っていたのだけれど、色々と予定も詰まっていて、こんなことしていたらどんどん遅れる。ちょいとぶっ飛ばしてリアルに今日のこと。

台風が気になってテレビをつけていたら……
この道はどっかで見た道。
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代田橋の沖縄タウンの入り口じゃああーりませんか。
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あら、西武門もみ子さんだわよ。
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そうか、この人が例の旦那様なんだね。誰かに似てる?わかんない……

しかし、これで終わるようなM.A.P.after5じゃあないわけで。しかし、時間がないのでまた後日。

今後、このパターンでいこうかな。つまり、即日予告編みたいな記事書いて、後日ゆっくり追記する。どうかな、明日即頓挫しそうな思い付きだあね。

さて、なんで今日のこの記事に限ってアップを急いだのか?近頃ウソばっかりが判明してジリ貧のテレビだっていうのに、PCユーザーの中にもまだまだ昼真っからTV(NHK?)をご覧の方々が全国津々浦々にいらっしゃるようで、さきほど確かめた本日これまでのアクセス解析によると、「代田橋沖縄タウン」で検索してM.A.P.after5に訪れた方がチラホラ。なにしろM.A.P.after5には“沖縄タウン”というカテゴリがあるからね。

というわけで、真実の沖縄タウンの情報を、どうぞこちらからお読みくださいませ。

ともかく、どうやら台風が福島から逸れたみたいで、ほんとに良かったと胸をなでおろしております。

午後5時半を回りました。ボチボチ出掛ける時間です。

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そして、夜は三線教室。
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記事は三線教室専用ブログにて……
 ⇒http://haisaikomaesanshin.ti-da…


《7月18日(月)海の日》
東日本大震災から130日目の今日、巷は女子サッカーのワールドカップ優勝に沸き立っています。ずっと前からちょっと気になっていたことがあって、この機を逃したらもう言えそうもなかったので……

【そこで呟いてみました……】
10:42
「なでしこ」と「ひめゆり」が重なって……って、僕だけでしょうか。

僕だけみたいでした。

“琉舞鶴之会創立10周年記念パーティー”にお邪魔しました。
鶴乃会は野原千鶴さんの研究所です。

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踊っていないのは、僕だけみたいでした。

M.A.P.after5的報告は後日。

自宅に帰ると、こんなのがぶら下がっていました。

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ガソリンスタンドでバイトしている息子が、もうひとつバイトの掛け持ちを始めたのだとか。家族で知らなかったのは、僕だけみたいでした。

「セブンイレブンの社長は友達なんだぞ」というと、息子はつまらなそうに「へえ」と言いました。


7月17日日曜日: 飲んだから辛いのです

東日本大震災から129日目……

アップルって、どうなのさ。円高還元で値下げって、そりゃ勝手だけどさ、一言の相談もなしにコンテンツを提供してる方の取り分も勝手に値下げってどういうこった!なんて会社だ。あったまきた。ざーけんな。
もーiTunesなんて、ちったあハクがつくかと思ったが、もうそんな時代じゃあない。アップル大ッ嫌いだから配信やめちまうか。ってそれが出来ない奴隷契約。

【うんでもって呟いた】
7:46
嫌でもiTunes storeから撤退できない。メーカーにコンテンツの提供を止める権利なし。そういう最悪な契約。


まったく朝から腹が立つ。

コモンズが『脱原発社会を創る30人の提言』って本を出すらしい。執筆者は小出裕章、坂本龍一、田中優、上野千鶴子、保坂展人、飯田哲也、宇都宮健児、後藤政志、日比野克彦などなど……。コモンズさんは智内さんのどうもあんまり売れそうもない本を出版してくれる殊勝な出版社。

【うんでもって呟いた、その2】
15:31
智内さんの代弁「コモンズ頑張ってていいね」


ぼちぼちパンクしたタイヤを交換してパンクを直さないとイカン、と、重い腰を上げて事務所から外へ出た。

暑い…
ジリジリと太陽が照りつける…

この車とコンビを組んで日本全国を調査で走り回ってたんだ。タイヤ交換くらいどうってこたあない。
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しかし、昨日飲んじまったから辛いのよね。

あや……
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いったい何を踏んだのさ?

汗グダグダ。もう今日はおしまい。帰って寝ることにした。


東日本大震災から128日目……

今日はルーテル市ヶ谷で本番。車で行くのだ。さあ荷物は全部乗せたかなと指差し確認。よしOKと出発。するとなんだか右の後ろがおかしい感じ。まさかと思いつつ車を止めて確認すると、なんとパンクだ。何故?でっかい大介くんを乗せたから?まさか!パンクの原因はともかく、このママ走るとホイールまでダメにしちまう。ともかくゆっくり今来た道を戻って駐車場に停める。さあどうしよう。こういう日に限って会場への入り時間が開演ギリギリなのだ。タイヤ交換をしている時間なんかない。もはや電車で行かなきゃ間に合わない。しかしこの荷物をどうしたものか。販売グッズを諦めるかとも思ったが、今の経済状況で、目先の小銭の種を放棄するわけにはどうしてもいかない。しかたない、本日の公演は小道具なしだ。いや、しかし、今日は厚生省の審査員の面々が来るのだ。せめてなんとかカッコーの人形だけでも持って行きたい。さてその場合、どういう演出にするか、頭の中をぐるぐる回転させて考えながら、あれこれ荷物をひっくりかえす。だんだん頭じゃなく目の前がぐるぐるしてきた。ともかく最低限必要な荷物だけをまとめて、といってもでかいバッグ2個と紙袋みっつ、そのひとつの上にカッコーの人形を裸で乗っけ、ああ、このままどうにかして電車に乗るわけね。はたして駅までたどり着けるかしらん。それにしても大荷物だ。紙袋の紐が手のひらに食い込む。ああ、なんてこった……

短い時間でリハーサル。
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音の響きがいいので、気持ちよく最後の合わせをしています。
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小生はカッコーをどう使うか、あれこれ考えていたのであった……
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 ⇒Offisial_Blog“山猫合奏団が料理する宮澤賢治の世界”
方さんとキートンとマヤコさんとマリコさんが見に来てくれました。今度は招待しなくても見に来いよ、なんてね。せいぜい宣伝してくだされ。まだまだ認知されていない山猫合奏団ですから。

なお、Official_informationで、こんな画像を使っちゃいました。
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原田くん、大介くん、ありがとね。

車で来なかったので、打ち上げで、楽しい酒を飲むことができたので、結果オーライ?
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(撮影:高山正樹、白石准は早退)

劇団あとむの皆様、また是非おいでくださいませ。客席か、あるいは舞台の上か。
「注文の多い合奏団ですけーど、大歓迎いたします・・ だーいかんげーーーい!」


7月15日金曜日: いよいよ明日

東日本大震災から127日目……
「合わせ」というべきか、「稽古」というべきか……
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あっちこっち探して、やっと見つけた場所。駅から遠く駐車場もないので、僕がみんなを車でピストン輸送して、送り届けたら事務所に戻って自転車で、帰りはその逆って思っていたのだが、連絡しても応答なく、結局練習開始の時間間際、もう事務所に戻る余裕なく、施設の前に車が置けるスペースがあったので、管理人さんに相談しようと、とりあえず車を停めて待ったけど、結局管理人さんは現れず、こんなことならこの放射能の炎天下、宇夫方女史をひとり自転車で来させることもなかったのだ……

全くワジワジするさ。思わず「俺は役者だ」と喚きたくなるところを我慢して……
「いよいよ明日ですね、よろしくね」

帰りは結局劇団あとむの大介くんをはじめ、面々を車に乗っけて喜多見まで、だからやっぱり宇夫方さんは乗れなかったね。後になって考えれば、誰かに運転させて、この僕が自転車でって方法もあったのだけれど、そこまで気が回らなかった。だーれもさ。

事務所に戻ってツイッターを覗く。
菅直人首相発言情報。「脱原発は私の考え方」、つまり政府方針ではないと。
【そこで思わず呟いた】
17:42
脱原発、菅とともに去りぬ

続けて「そして、誰もいなくなった……」と呟いてみようかとも思ったが、洒落にならないので自粛した。
「鳩山由紀夫普天間県外移転」と同じ運命?嫌だなあ……

広瀬隆氏の言葉。「日本では、福島原発100キロ圏内では今後10年間に10万人以上が癌を発症。今後50年間では40万人が放射能によって癌になる」
【そこで思わず聞いてみた】
17:56
で、それって何人にひとりの確率なんですか?

だーれも答えてはくれなかった。

放射線のある環境で働いていて白血病になった場合、年間5mSvで労災が認定されるんだとか。自分で調べて検証したわけではないので真偽は定かではないと断ったうえでのハナシだが、福島じゃあ子供に対してその4倍の年間20mSvを適用というから背筋が寒くなる。
えーと、20mSvは20,000μSvだから、20,000÷365=1日54.7μSvで、それを24hで割ると2.28μSv/h!桁違いだ。
 ⇒安全デマか煽っているのか

取次ぎの拒否が続く『東電・原発おっかけマップ』について書いたリック・タナカのブログをふたつ紹介したツイートをリツイートしてみたが、結構やばい代物で、ここでは一個だけのご紹介。
 ⇒http://www.the-journal.jp/contents/rick/2011/07…
気持ちはよくわかる。でもさ、それにしてもやっぱり心配になる。リックちゃん、大丈夫かな。もしかすると、こうまでしなけりゃもはや変わらないところまで来ちゃってるってことかね日本は。

「コザ暴動」は、「コザ騒動」とか「コザ蜂起」とか呼ばれるのである。
回りくどい言い方で申し訳なし。

「ねえ、もういいからさあ、明日のこと、考えようよ」と、自分に言い聞かせているのであった。よくあることだけど。


7月14日木曜日: もしも明日が本当に……

東日本大震災から126日目……
種から芽は出たけれど、土を持ち上げる力のないゴーヤーたち。
あんなにたくさんあった種なのに、命を繋いだのはたった四つだけ。
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でもね、少し植えるのが遅かったけれど、放射能も気になるけれど、丹念に育ててみようと思う。

こんなの貰ったから食べてみた。
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特に意味はない。

【この日呟いたこと……】

管直人が脱原発を宣言した。すると、政財界から無責任だと一斉に批判の嵐。散々叩いて人気を底まで落としておいたから、巷の顔色をうかがうことも無く、安心して管直人を責め続ける。
「実現できるかどうか検証もせずに思いつきで勝手なことを言うなんて、首相としてもってのほかだ!」

13:08
まず目標を定めてそこへ向けて最大限努力するってダメなの。道筋を確かめてからでないと目標は掲げられないの。そうだとしたら、やっと見つけた小さな道たちはもぐらたたきのようにことごとく保守的な人々に否定され潰されだろう。そして結局何も変えられない。そんな国。

17:58
県外移設を言った鳩山由紀夫をできるわけないとボロクソにけなし、結果県外移設は頓挫。最低の首相として辞任。世論が支えていればどうなったか分からないのに。「脱原発」も同じ運命。責めるのはもう少し見極めてからでも遅くないのではないか。

18:07
今の菅直人像は、原発を推進したい勢力(大手メディア)によって作られたもので、それに世論が影響されているのだとしたら。絶対にそうではないと言えますか?このままだと菅直人の次は原発を止めない人。



「もし世界の終りが明日だとしても私は今日林檎の種子をまくだろう」
なんだか喩え話じゃなくなってきた気がする。


《7月13日(水)-2》

チケット……
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Yae……
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本名、藤本八恵。お登紀さんの娘。
客席は……
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「静かに、眠ってもいいですか」

もの売りリック……
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浦安の、それでも明るい……
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智内さんがいれば一軒では終わらない。
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全て後日、書く。


7月13日水曜日: 西山正啓監督をTVで発見

《7月13日(水)-1》

おや?
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【そこで呟いた】
7:38
たった今のニュース映像で佐賀県庁に突入(嫌な言い方だ)した人たちの中に西山正啓監督を発見。


監督、元気で頑張ってるんだ、偉いなあと思った。

「市民運動」の醸し出す雰囲気を、何故か嫌だなと思って敬遠する、そういう感覚が僕にもある。しかし、実際に彼らに会って話しを聞き、具体的なことをひとつひとつ知るようになると、真実があまりに理不尽なので、何かしなければ、せめて声でも上げなければと思うに到ることは、至極自然だと納得する。なのにそれでも僕は、違和感を拭い去ることができず、結局彼らが作る輪の外側で目を伏せてしまう。

そんな中にも、違和感のない人たちがいる。何が違うのかと考えるのだが、よく分からない。たくさんの選択肢を先入観なしに誠実に論理的に比較検討して、その結果として今ここにいるからなのだ、と、そういうことなのだろうと僕は思っているが、さてどうなんだろう。ともかく、自分たちとは違う思考との通路を絶って平気でいられる人たちが、僕はどうも苦手なのだ。そういうお前はどうなのかと問われれば、努力しているとしか答えられないのではあるが。

ともかく、現地に足を運び、見て聞いて調べて、そうやって真実を追いかけ、得られた具体の中でものを考え、そして行動し発言する人々に対して、何も知らず、知ろうともせず、遠目からの印象だけで白けたコメントを発する輩だけにはなるまいと、東日本大震災から125日目に、あらためて思っているのだ。

「監督、頑張ってるんだ、偉いなあ」

8:07
ストレステストについて、点数が付くのかと思っていた。原発の強度などが明確に分かるテストだと期待したのだが、もしかして0点か100点か、そういうテストなの?そんならやらなくていい。我が家の耐震診断だって例えば東西方向はどのくらいの揺れに耐えられるとか詳しく教えてくれたのに。


しかし、俺は何のためにこんなつまらないこと呟いているんだろう。

書斎から一歩出れば、シラフの僕は口を閉ざすのだ。
「西山監督は、偉いよなあ……」



只今、山猫合奏団です。ルーテル市ヶ谷センターの公演に向けて“注文の多い料理店”の合わせの最中です。
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劇団あとむの原田邦治君と林大介君も参加してます。
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愚痴。
市民運動っぽいところで知り合った方々は、基本的に僕の山猫合奏団の活動にはなかなか興味を示してはくださいません。でも、知り合いの知り合いの、そのまた知り合いの方に繋がって、その方が興味を持ってくださったり、そういうことでかまわないのだと、最近はおっとりと構えることにしています。

「へえ、こんなこともやってたんですか」
「こっちが本職に近いんですけど」

ふと、思ったこと。
「あなた」と「あの人」を繋ごうとする営みは、「あなた」と「あの人」を少しづつ裏切ること。その積み重ねが生む悲しさの色合いが、僕にとっての「違和感のない人たち」の尺度なのかもしれない……

“社長とは呼ばないで”のふたつの日記。
 ⇒《1983年9月3日のノート》「非党派的であること」
 ⇒僕は白でありたいと思っていますが…

いい加減、朝のニュースの画像は忘れないと、僕の分裂はいよいよ厄介なものになりそうだ。
夜はまた、別の世界に出かけてきます。


7月12日火曜日: 実感なく……


昨日、発注業者から担当者がやってきた。
あれ、心機一転じゃなかったの?
小さな仕事。だが背に腹は変えられない。

任せた。僕は手を出さないから。

【この日呟いたこと……】

19:30
なんで1ドル79円台なんだ?ってなことは今月からはどうでもいいことにしようって決めたんだ。だってちっとも実感がないから。だけど気になる円ドル相場。まるで放射線みたい。


経済弱者、情報弱者には実感なく、したがってしばらくは無関係。
「すぐには影響ありませんから」

東日本大震災から124日目……

千葉県流山市のごみ焼却処理施設から、基準値を大きく上回る放射性セシウムに汚染された焼却灰30トンが、最終処分のため秋田県に搬入された。

22:36
「辺境」の人々の心が踏みにじられていく。それに目を瞑った豊かさなどなくていい。原発全基即時停止は、経済や実感とは一線を隔した美学の問題。




7月11日月曜日: フラフープ教室?

東日本大震災から123日目……
【宇夫方路の沖縄報告】
7月9日、12時50分のスカイマークで沖縄に到着。まずホテルにチェックインをして、そのまま家元の稽古場に向かいました。関りえ子研究所から今年コンクールに出るのは2人、関優子さんが優秀賞に、久手堅鮎子さんが新人賞に挑戦します。
10日の午前中、喜納の会で琉球新報ホールを借りて、受験生みんなで舞台稽古をしました。私はそのお手伝いをするために沖縄に来たのです。

ところで、家元の伊波正江先生、先月の6月4日の公演のときよりも痩せたみたい。どうしたんですか?と伺ったら、今沖縄ではフラフープがはやっているんですって。中村志津子先生もそれで痩せているらしい。
そこで私も!と、稽古の合間に挑戦してみました。
私と関りえ子先生は初体験ですが、関優子さんと久手堅鮎子さんは「なつかしい!」だって。微妙な歳の差?

では、私の師匠、関りえ子フラフープ初体験の模様です。
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(宇夫方路)


コメントしようのない報告だなあ。こんなことなら琉球舞踊教室よりフラフープ教室のほうが流行るんじゃないか、というか、琉球舞踊って、そんな楽なわけ?
(高山正樹)
次の記事へ


7月10日日曜日: 一日中ぶつぶつ……

東日本大震災から122日目……
“チョンダラーの歌”をどうしよう、そのことを考えるために、今日の三線の稽古を休むことにした。
 ⇒この日の三線教室専用ブログの記事

しかし、いっこうにアイディアが浮かばない。勢い、ツイッターばかり眺めていた。
ぶつぶつ、ぶつぶつ……

【呟いたこと……】

10:00
シャワーを浴びようとパンツに手をかけたら揺れた。テレビつけて変なカッコでニュース速報を待つ。


民主党の前原誠司が辺野古移設について「どこが与党でも推進」と強調したというニュース。どこがって自民党以外にないのだろうが、ふと思ったので呟いた。

12:32
原発再稼動も同じ。それに反対する人間が総理になったら菅直人と同じようにボロボロにされる。メディアが共謀。洗脳される国民。


13:09
何か確信があって菅直人を擁護しているのではない。ただボクの周りには菅をボロクソに言う者ばかり。メディアが流す偏った表層的な情報のイメージを、何故これほど単純に信じているのか。疑え、と言いたいのだ。


我が家の比較的近くで、放射線量を継続的に調べてツイートしている方を見つけた。
 ⇒http://twitter.com/#!/Ilovemana
そこで……
13:15
一度我が家の傍でも計っていただきたい。その際は是非同行させていただきたいものです。

……と呟いておいた。

竹田圭吾は原発について比較的中立で信用が置けるというような誰かのツイッターを読んだので、しばらくフォローとやらをしていた。だいぶ前に一度書いたことだが、彼がこんなことを呟いた。

「そこまで反原発を唱えるなら、なぜ同じ熱意で反米軍基地と言わないのだろう。汚染や放射線が心配とか、要するに自分の身の安全を心配してるだけじゃないか。と、もし自分が嘉手納町民や名護市民だったら」

僕はなんだか引っかかったから、「だからよー」と呟いた。

彼は反原発なのか否か。また、嘉手納町民でも名護市民でもない竹田圭吾は沖縄の米軍基地をどう考えているのか。彼の過去の言説を調べれば分かることなのだろう。だが僕は、竹田圭吾の冷静を装った短い言葉が、どうも鼻についたのである。
彼は、この短い言葉で、反原発を唱える人々に向けて、原発と同様に沖縄の基地問題にも目を向けようというメッセージを送ろうとしたのか、全くそうではないだろう。結局彼は何も語っていない。
「この男は、人間的な感覚を無意識のうちに高みから見下しているのではないか」

だから彼の言説は無味乾燥で、生きた人間を置き去りにしている。国家全体の利害にとって、沖縄の基地や原発が必要だという理由を見つければ、彼は簡単に賛成に回るだろう、そんなふうに思えた。だから、「自分が嘉手納町民や名護市民だったら」という言い方が、やけに「汚い」と思った。

以来その印象は強くなった。何度かRTの実験もしてみたが、反応があるわけもなかった。

ある人が、竹田圭吾のツイートに対して、「いつからかすっかり脱原発に変身した?」と呟いた。竹田圭吾はそれに「元からだよ」と反応した。この「すっかり」が重要だったのだ。
そこで僕はRTした。

13:29
なんだそうだったんですか。そうじゃないと思ってたからフォローしていたのに。分かりにくいなあ


すると竹田圭吾から返信がきた。
「フォローしてほしいなんて誰も頼んでないけど。」
“元からだよ”といい、“誰も頼んでないけど”といい、初めてやり取りする年長者に対してなんとも失礼な言い方だ。
しかし僕はジッとこらえて真面目に答えたのである。

14:31
もちろんフォローするかしないかはこちらの勝手。分かりきったハナシです。なのにそこだけを突っ込んだ返信。本旨の「分かりにくい」に正面から答えが返ってくれば面白いと思ったのですがね。


竹田圭吾は僕をブロックした。僕は竹田圭吾を見限った。

すると、三線の稽古を終えた鈴木雄介からツイッターでメッセージが届いた。
「twitter いじってるヒマあるんだったらコンサートに来なさい」
今日の夜、シーサーズのライブなのである。“チョンダラーの歌”で閃けば、元気に出かけるつもりなのだ。しかし、どうも期待薄である。

ぶつぶつ、ぶつぶつ……

デーブ・スペクターが「菅さんが一番最初にストレステストを受けた方がいいと思ってるのは私だけ?」と呟いた。またこれだ、と、思った。そしてデーブ・スペクターに向けて呟いた。

18:24
貴方の他にもたくさんいます。きっと日本人の9割くらいは。しかし一番最初にストレステストを受けるべきはやっぱり原発でしょう。違いますか?


そして鳥越俊太郎の呟きを見つけてリツイートした。
「メヂイアやTwitterみてると、管さんに悪口雑言、悪口言いたいを放題、バッシング集中砲火だねぇ。管さんの悪口が日本の流行みたい。流行に乗り遅れないよう先を争っているよ。でも今回の震災・原発どれもが想定外のこと。何べんも現場を見てきた者が言うが。そんなに簡単にはいきませんぜ。」

18:34
でもさ、ストレステストなんかやらずに原発は停止する。その上で温暖化問題に叡智を傾け、もし電力不足があるならそれもなんとか対策を搾り出す。きっと哲学も必要。そんな日本発の潮流が生まれないかなあ。ストレステストの結果が原発再稼動の根拠なんてのだけは御免だなあ。


昼過ぎ、放射線量を調べている方に向けての呟きに、夕方返信が来た。
「当方幼子連れにて、予定を合わせるのが難しいので同行はご容赦ください。」
そこで僕も返事を書いた。
18:34
それは残念です。農作物と同じで、計測した人が分かる情報を人は信頼する、それがM.A.P.after5の理念(大げさ?)。でもしかたないですね


この方はGM管のTERRAとシンチレーション式のDoseという二つの機種を使っていて、いつもおおよそGM管が0.09μSv/h、シンチレーション式のほうが0.05μSv/hといったところ。その違いを直接伺ってみた。

19:23
二機種の数値の違いをどう読めばいいのか、ご教授頂けませんか?

すると、「私も素人なので正確にはお答え出来ません」との鄭重なお答えが返ってきた。

そこでちょっと調べてみた。
ここから先は、下記記事と合わせてお読みくださいませ。
 ⇒安全デマか、煽っているのか
いわゆるガイガーカウンターは、普通GM管(ガイガーミュラー計数管)のことを指す。GM管は本来β線を計測するもので、物の表面線量測定に向いている。空間線量で問題になるのはGM管では計測しにくいγ線。飛んでるγ線を感知するわけだけれど、GM管はγ線が1000個飛んだうち例えば10個程度しか捕まえられない。そこでγ線に合わせて×100というような補正するわけだが、β線の方は逆に1000個のうち100個を拾ってしまうので、その入射したβ線も100×100で計算してしまって結果とても大きな値になってしまう。それを避けるためには、アルミ板を使うなど、何らかの方法でβ線を遮断しなければならないのだが、これがなかなか完璧にはいかないらしい。つまりGM管はどうしても放射線値が高めにでる傾向があり、0.1μSv/h以下の値を正確に測定することはできないと思ったほうがいい。しかし、通常値を超える高い放射線の測定には十分有効とのこと。

一方、シンチレーション式はγ線を計るには適している。GM管は放射線が飛んでる回数しか検出できないが、シンチレーション式は放射線のエネルギーを検出できるものもある。要するに精度はよいのだが、ちょいと高価。

だが、β線や、さらにα線を無視てもよいのかということだけれど、α線・β線は透過力が低く、皮膚の表面で止まってしまう。皮膚は放射線に対する感受性が低い(放射線に強い)ので、空間の放射線量を計る場合はα線・β線をシーベルト(Sv)の計算(つまり人体への影響)に入れないほうがむしろよいのだ。
空間にα線・β線を出す放射能(放射線を出す元素及び物質)があったとしても、例えばヨウ素やセシウムが出すβ線は、プラスチック板で遮ることができる。悪名高きプルトニウムはα線、こちらは紙一枚でOK。とりあえず、外で呼吸したいのならマスクしろってこと。

但し、以上はあくまで空間線量の外部被曝の話である。今や危険なのは内部被曝。体内に取り込んだ放射能が出すα線・β線が問題なのだ。保育園の砂場の汚染状況などは、むしろGM管のガイガーカウンターを使うほうが有効なのかもしれない。しかし、それでもサンマの汚染は計れないのである。

ああ、本日のお勉強はここまで。これ以上は手に負えない。
というか、そんな勉強している場合じゃあなかったのだが。もう、シーサーズのライブはとっくに終わっている。
深夜、僕は、鈴木雄介に間の抜けた返信をした。

24:49
インスピレーションがいっこうに沸かないからtwitterいじくっているわけよ


ぶつぶつ、ぶつぶつ……



東日本大震災から121日目……

【この日呟いたこと……】
7:07
ストレステスト歓迎と言わない自治体の不思議。

やっぱり今日も捨て台詞。
「一度安全と言っておきながらストレステストとはどういうことか!」みたいなこという首長だらけ。親方日の丸、政府が安全と言ったらそれを検証もせず信じてしまう思考停止した首長たち。その後にストレステストと言われて怒る資格が彼らにあるようには思えない。怒るタイミングが違うんじゃないか、と思ったわけだが、咄嗟に一言で呟くのは難しい。

流れていってしまう言葉なのだから、どうでもいいようなものだけれど、こうしてブログでもう一回そいつを拾って説明するとは、下手なギャグみたいでなんとも情けない。

「考えたってわからない」
「たぶん大丈夫なんじゃないの」

そういう彼らは、そのうちボクを軽蔑し憎みさえし始めるのかもしれない。だが僕は、10年20年経って「ほら見ろ、なんでもなかったじゃないか」と後ろ指さされたとしてもかまわない。子供が元気に生きてさえいてくれれば。

だがもし……
きっとそれでも、一万人に何人という籤に当らずに済んだ彼らは、後ろめたさを抱えてボクを無視し続けるだろう。生きている人のほうが多いではないか。「病気になった原因なんて、考えたってわからない」と。原爆症、薬害エイズ……、みんな同じ。

今日は久しぶりに照明さんのお仕事なのだ。
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子供たちがいっぱい。もしここで、東京にも子供たちの健康に重大な影響を与えかねない量の放射性物質が降り注いでいますてなことを言い出したら、きっと殴る倒されるだろうななんて、なんとも危なっかしいことを想像している。

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会社の社長がバイトするようじゃ終わりかな。というか、終わってるからバイトするのか。

仕事を終えて、A君と劇場のソバのホルモン屋でホルモン食べずに一杯やっての帰り道、呟いてみようかと思った。
「龍前照明は節電します」
しかし、あまりに下手なギャグなので呟かなかった。


《7月8日(金)》
東日本大震災から120日目……

【この日呟いたこと……】
12:06
TVだけ見てたらえらいことになると、いっくらここで呟いても一番伝えたい人たちには届かない。芝居の客席は出演者と御同類の観客で埋まり、市民運動の集会には常連ばかり。デモはお祭り。思い余って飲み屋で語れば友達をなくす。



……と、捨て台詞を呟いて事務所へ。

出遅れたゴーヤーだけれど、芽が出れば早いな。
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その他のハナシは後日。

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でも、これじゃあ芸がないので、この日の話題をひとつだけ先行して御紹介。

何故、謡の人は本番前に発声練習をしないのか。それは謡が武士の芸事だったから。
「敵から切りつけられた時、ちょっと待てと素振りをしますか?それと同じ。いつどこでもさっと出来るのが武士の芸」

講釈も武士の芸だった。したがって講釈の場合、落語と違って師匠とは言わず先生という。そういえばかくいう小生、プロになってから一度も本番前にアップやら発声練習なんかしたことがない。武士から程遠い精神の持ち主だけれど。



東日本大震災から119日目……

台湾は国家ではないため、日本政府が外国人留学生に対して支給している東日本大震災の補助金を、台湾の留学生は受け取る資格がないとして、学校側から支給を拒否されたというニュースがあった。

【そこで呟いた】
16:18
日本の役人とルール、鄭ちゃん、こんな国でごめんね


鄭ちゃんとは台湾から照明の勉強をしに日本へやってきて、今龍前照明で頑張って働いている子のことである。

先月の毎日新聞に続いて、朝日新聞にも「普天間よ」について大城立裕氏へのインタビュー記事が掲載された。

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大城さんはこんなふうに答えている。

「私は小説に政治問題を取り入れるのは好きではありません。政治的に描くのではなく、沖縄人のアイデンティティーを奪還できるかどうかというテーマで象徴的に描けないかと考えた。基地問題の本質は、奪われた土地を取り戻したいという沖縄人のアイデンティティーです。基地にされた土地には、もともと人間がいた。人が生き、生活を営み、歴史を紡いできた。土地にはその記憶が染みついている。我々沖縄人はそこに生きているというアイデンティティーを奪還するのだ、という思いを書いたつもりです」

重要なのは、大城さんが政治を作品に持ち込まないということではない。基地問題は政治問題ではなく、沖縄人のアイデンティティーの問題だと言っていることだ。大和にとっての沖縄の基地問題も、実は政治問題などではなく、沖縄の人々のアイデンティティーを踏みにじっている加害性のことなのだという自覚が、大和の人間にどれほどあるだろうか。

「琉球舞踊は沖縄の代表的な文化、いわば魂です。ヘリの爆音に伴奏の音曲はかき消されてしまうが、それでも主人公は踊り続ける。そしてヘリが飛び去り、再び音曲が聞こえてくると、踊りはぴったりと音曲に合って終わる。基地の重圧に琉球文化は負けない、との思いを込めました。沖縄人の基地への抵抗、闘いは粘り強く続く、との希望の表明でもあります」

例えば宇夫方路が、そんな意識を持って踊っているとは思えない。沖縄の琉球舞踊の先生方も同じであろう。ただ、外側から沖縄舞踊を見つめていると、確かにその背景に「政治的」な沖縄の歴史が見えてくる。
ほんの30年くらい前まで、日本もまた同じであった。今の日本の表現者の多くが、あらゆる政治的なものから自由でいられると信じているらしいのだが、しかしもしかするとそれは錯覚であって、やがて痛烈にそれを思い知らされる日が来ることになのかもしれない。

【そんなことを思いながら呟いた】
16:36
拝啓、大城先生。ぼくツイートしました。7人目です。たった。今月お伺いします。台風とお葬式がなければですが。/いま沖縄から考える。大城立裕さんに聞く/朝日新聞


すると、「台湾人留学生への震災補助金を拒否」はガセネタだというニュース。台湾の主要誌「自由時報」の誤報か、栃木県宇都宮市にある大学事務の誤解に基づく不幸だという。

【それでも僕は呟いた】
17:21
だそうです。中国メディアの環球時報が「台湾のNOWnewsによると」と報じたんだとか。でも鄭ちゃんに向けた「こんな国でごめんね」はそのままにしておこう。


さらにある方から情報を頂いた。どうやらガセネタというわけでもないらしい。日本と台湾は国交がないため国費留学がない。国費留学でないと震災補助金が貰えないのだというのである。詳しいことは分からない。ただ杓子定規の官僚的顔つきをした日本人の顔が浮かんでくる。

支援物資を被災地に上空から落下させて届けた米軍に対し、ルール違反だとクレームをつけた日本の馬鹿官僚に向かって、「重くて飛行に危険をきたしたから落としたのだ」と答えたとされるエピソード。なんだか映画のような出来すぎた話にも思えるが、ありそうなことだ。
しかし、その米軍の一部の兵隊が、沖縄で無茶苦茶なことをする。アメリカはたとえ犯罪者であっても自国民をかばう。しかし……

拝啓、大城立裕先生。日本の官僚たちは、沖縄の人々を自国民とみなしていないのでしょうか。今度、お会いできる日を、心から楽しみにしています。



【追伸】
「普天間よ」のことが新聞に大きく掲載されたので、宇夫方女史の父上、隆士氏が大城さんに手紙を送りました。数日後、大城さんからお返事が来ました。それには、この「普天間よ」を最後に、小説はもう書かないつもりである旨のことが書かれていました。


東日本大震災から118日目……

最初に出るボテッとした葉っぱが双葉で、本当の葉っぱのことはなんていうんだっけ?
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小学校の理科で勉強したこと、なーんにもおぼえていないような。
放射能のことなんか、なーんにも知らずに健気に伸びる植物たち。やっぱり原発は恐ろしく傲慢なシステムだと思う。

どうぞ、幼稚な感性だと笑いなさい。

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夕方、あの九州男児でB型の松本龍氏のことだが、実は「名古屋議定書」の立役者であるというようなことを知った。他にもいい評判が結構ある。もちろん、黒いハナシもあるわけだが。

【そこで呟いた……】
10:25
一応さ、こんな話もあるということ。毒入りカレー事件も、羽賀研二も、きっと、その他にも一杯いっぱい……


僕も全く知らなかったのだが、あの毒入りカレー事件も羽賀研二の件も、その有罪判決には色々と問題点があるらしいのである。特に「毒入りカレー」の方は、問題を追求し告発している市民団体もあって、その資料を読ませて頂いたが、その内容に愕然とした。もちろん真実は分からない。しかし当時あれだけ騒いで容疑者を徹底的に叩いたメディアが、新しい見解について一切報道しないというのは、やっぱりどうにもおかしい。親方日の丸の日本人ばかりなのだ。官僚もメディアもダメという状況の中で、「正しい政治家」を選ぶ能力は、今の日本人には無い。

「もう、日本を見捨てて、どこかの国へ移り住むことが、正しい選択なのかもしれない」
「しかし、それは簡単じゃない。足りないもの、捨てることのできないもの。少し、年を取り過ぎてしまった」
「せめて子供たちは、すくすくと伸びる力のあるうちに、と思うのだが……」

夜は三線の稽古である。
 ⇒三線教室専用ブログ
「僕の三線の腕前は、ワケあって、すくすく伸びる気配なし」
「ワケありのおとなには進歩なんかないな、きっと」
「しかたねえ、こんなときは飲むに限る」

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【追伸(8月19日)】
その「ワケ」とは“チョンダラーの歌”を、キジムナーフェスタのエンターテーメントとしていかに仕上げるかということ、それがどうやら頭から離れそうもないってこと。ともかく、アイデアはひねり出してもろくなことはない。湧き上がって来るのを待つのみ。三線も、もう少し上手ければ、稽古しながらフッと考えが思いつくってこともあるんだろうが、ここまで今の状態だといっぱいいっぱいだから、きっと脳みそにそんな余裕は生まれそうもない。
しょうがねえや、もう一軒行こう。


7月 6日水曜日: 志保ちゃんを拉致

《7月5日25時》
新宿できっせいさんの舞台を観て、石山海くんと神野美奈実さんを連れて久しぶりに“かりゆし”に行って(それらことについてはもうとっくに記事が書きあがっているのですが、その前に是非ともアップしておきたい記事がいくつかあって、それでちょっと出し惜しみしております。いま少しお待ちくださいませ)、だからもうもろもろぜんぶおなかいっぱいのはずなのに、志保ちゃんにバッタリ会ってしまったのが運のつき、彼女を拉致してカラオケへ。

ごうさんのお店です。
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チャージ2,000円。ワンドリンク500円。カラオケはフリーという明朗会計。つまりひたすら歌いたい時はお薦め。2,500円ポッキリです。
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とりあえずの記事アップでした。

 ⇒昨日の志保ちゃん
 ⇒2月のごんさんの店


7月 5日火曜日: 方言で朗読する

※本当はこの記事は、2月10日の沖縄語の音韻講座(2)【カ行】及び盛岡弁に関する記事と、川崎市民劇“枡形城落日の舞い2順目「民の母音融合」と名づける予定の記事を仕上げてからアップするつもりでいたのです。しかし、あとからあとから記事にしたい色んなことが押し寄せてきて、記事の論理的連続性にこだわっていると、いっこうに先に進めそうにないので、仕上がっている記事は先にアップしてしまうと決めました。過去の出来事は時を隔てれば隔てただけ忘れるのかと思いきや、むしろ書き足したくなって困ります。でもこの記事は、もう読み返すことはせずに、えいやっと目をつむってアップすることにしました。
えいやっ!(2011年8月19日)


《7月5日(火)-2》
川崎市民劇で御一緒した隈元吉成さんも出演するユニークな朗読会に出かけました。
新宿の青年劇場スタジオ「結YUI」です。
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南から北へ、日本全国方言リレー朗読とでもいいましょうか。

なかなか面白かった。特にきっせいさんの「狂歌師太郎次どん」は、今の日本での役者のありようを突きつけられて身につまされました。役者なんてものは小難しいことはなーんにもわからない阿呆、そんな役立たずがこの世に存在している意味ってなんなのか。付け焼刃の理屈をぶっこいて、あーでもないこーでもないと偉そうに能書きをたれる連中がいっぱいいるが、結局だーれも幸せになんかできやしない。言い合いばかりでみんなの心はどんどんギスギスしていく。だけど太郎次どんは……。

違うね、なんだかこういう感想がいけないんですよね、きっと。
「だんな、素直に楽しんだらいんじゃねえすか、理屈なんざあ捏ねくりまあさずにさ」

終演後、「今度は是非沖縄の方言も」なんてきっせいさんに言ってはみたけれど、「沖縄の言葉は方言ではない、一個の独立した言語だ」なんて声が、僕の頭蓋骨の中でぐわーんぐわーんと響いていたわけで。いかんともしがたい性癖であります。だからオイラは役者なんかには向いていないんだって、年がら年中言い訳しているのですが、そういうたびに「めんどくせえ役者だ」と言われるのです。

では、方言の感想をひとつ。

単語の違いとイントネーションの違いをマスターすれば方言はしゃべれるなんて思いがちですが、ホントはね、地方によって50音ひとつひとつ音韻が微妙に違っていたり、音節が伸び縮みしたり、これができるかどうかが味噌なんです。江戸弁だってそれを抜きにしちゃあ標準語と大差なく面白くもなんともない。
 ⇒「うちなーぐちの音韻講座」興味があったら是非お読みください。
さて、そのあたりが本日の公演ではどうだったのか。舞台表現として方言を語るって難しいと思ったのでした。特に滑舌よく標準語を話すのが俳優の仕事。かえってそういうプロが方言を使おうとすると、なるほどこうなっちゃうんだよなあというありがちな例もチラホラ。

「だからさ、そういう感想がいらねえんですよ、だんな」
「いっぺー飲りに行こ、しょうがねえから」

久しぶりの“かりゆし”です。近いからね。ちょっと高いけど。最後の贅沢?
ミミガー。
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最近沖縄居酒屋でよく見かけるカーリーポテト。A&Wオリジナルだと思っていたのだけど。
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タコライス。金武町が発祥の地だとか。
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沖縄やきそばケチャップ味。
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ソーミンチャンプルー。
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島らっきょ。
「まだ漬かってないんです」と初顔の店のお兄ちゃん。いやいや生のほうが美味いんだ。「ちょっと味見させて」と一本かじって……
「ノープロブレム。持ってきて」
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軟骨ソーキ。
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今日もステージ。へえ、お兄ちゃんも参加するんだ。
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最後は恒例カチャーシー。
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宇夫方路は踊る人。
連れの神野美奈実と石山海は撮る人。
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かく言うオイラはそれを撮る人。
こういう時は踊らないと、太郎次どんにはなれません。
わかっちゃいるのだが……
次の記事へ


《7月5日(火)-1》
東日本大震災から117日目……
政治は所詮マキャヴェリズム、そんなふうに思ったのはもう数十年も前のこと。以来政治家の手練手管についてとやかく言っても仕方がないと思った。見える政治手法がどうであれ、それについて感情的に突っ込んでいては、むしろ本質が見えにくくなると。

宮城県知事に対して、聞くに堪えない暴言を吐いた復興大臣がとっとと辞任した。だが、政治のハナシをしたいわけではない。

復興のため大企業に漁業権を与えるという宮城県知事の構想に漁民たちが反発しているという。住民の頭越しに打ち出される知事の復興構想のバックには野村総研がいる。「地元の方ではなく、物事を地球規模で考え大所高所から見れる人による復興を」と知事。
復興相はそれを問題視していたらしい。それが暴言の原因だったのかは定かではないが、湧き上がる非難の嵐にあっさり辞任した。

【そこで呟いてみた……】

10:25
あえて呟く。B型の所為にした政治家を弁護する気は全くないが、背景があってのことだとしたら、と感情を制御した。しかし辞めて終に最悪な男になった。喜ぶ知事と愚民。


要するに、目的を放棄してしまえば手法も何もありゃしない。仮にたとえ止むに止まれぬ思いからの必要な厳しい叱責だったとしても、辞めてはただの暴言に堕すると言いたかったのだ。もはや批判に対して弁解の余地はなくなった。
「いや、どんな立派な目的があろうとも、間違った方法を許してはならない」
そうだ、きっとそれがまっとうな考え方だ。だが、完璧な人間なんていやしない。ましてやメディアの流す情報にバイアスがかかっているとしたら、結果、感情的な世論の盛り上りが、役に立つ政治家を抹殺するということにもなりかねない。このことは、辞任した復興相がご立派な目的を持っていたかどうかとは全く別の問題である。

11:16
所詮政治家が政治家に向かって放った暴言。周りにいたのは電力会社に飼いならされていたマスコミ。その中の一社が豹変したことに意志があるわけもなく、きっと3.11がもたらした昂ぶった感情の所為。それに反応した世論が政治を停滞させる。


「これはオフレコ。書いたらその社はおしまいだから」
もしも野村総研が財界系シンクタンクでなければ、逆に宮城県知事が大企業に漁業権を与えることを拒否してのこの状況だったとしたら、はたしてどうだったのか。何の根拠もない。ただ、ふとなんだかずいぶん危なっかしい状況に思えて、つい呟いてみたのだが、吐き出した言葉を読み返すと、全く薄っぺらな床屋談義で、ひどく自分が嫌になった。

11:26
当然、僕、政治嫌いです。だから役者なんかになったのです。でも「沖縄問題」は僕にとってずっと政治ではなかった。「原発」もそうなりました。経済や政治を越えて突きつけられた根源的な問いだと僕は思っています。経済や政治に邪魔されずに向かい合いたい、それが僕の変わらぬ希望なのです。


そこでこう呟いてみたのだが、なんとも言い訳がましくて、ますます自己嫌悪なのである。



ゴーヤーのためのネット。2010年のまんま放置してある。
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たとえば去年の今頃、何かをしておけばよかったのだろうかと考えてみるのだが、何も見つからない。原発のことを言っているのではない。会社のこと、仕事のこと。あの頃、すでにこうなることを想定していたから、それに備えようと躍起だった。そうして想定の通りになったのだ。しかし、実際こうなる前は、僕以外の人間には、僕の想定は並列的な予測のひとつに過ぎなかったわけで、それが会社の代表の言うことだから否定はしないが、どうしても切迫した危機感を持てないということだったと思う。所詮「社長」以外の者にとっては他人事、あるいは、あれで精一杯だったというのだろうか。

「反省してるのか」
「他人の能力を信じることなどせずに、上手く使いこなすことだけを考えればよかったのかもしれない」
「思い上がった反省だな」
「お前は息子を叱咤することはないのか」
「息子なら、何があっても見棄てはしない」

覆水に微塵の未練もない。ただこれからのことを考えるのだ。やりたいことだけを考えればいい。そう、決めた。

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「去年使ったプランターの上に乗っけちゃってるけど、いいのかね」
3月15日も、21日も、このままここにあって雨にしっかり濡れた土が入ったプランター。なんとかこの土から出てくる放射線量を測ってみたい。

4月の初めにガイガーカウンターを注文した。だが時すでに遅く品切れ。入荷したら知らせるとのことだったがいっこうに音沙汰がない。もう十分儲けたからと商売を止めてしまったのか、あるいは粗悪品を指摘されでもしたのか。たぶん、この先もう業者から連絡は来ないだろう。

頼んだ製品が入荷しないうち、色々と調べてみた。どうやらガイガーカウンターでの計測は、素人にはかなり難しいということを知った。とくに低い放射線を正確に測ることは、安物の機械では不可能らしい。品切れでよかった。無用な買い物をするところだった。ただ、この土で育てたゴーヤーを食べても問題ないのかどうか、せめてそれくらい自分で調べて確かめたいのだが、その手立てがない。

ここ世田谷の喜多見にも、結構あちこちに畑がある。収穫された野菜は、いったい誰が食べるのだろうか。

去年よりだいぶ遅れたが、ゴーヤーの芽が土の上に顔を出した。
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「おい、俺のやりたいことは何なのか、お前、もし知っていたら教えてくれないか」
「……」
「よく分からなくなったんだ、社長なんかやっているうちにさ」
「……」

ひまわりが土の中の放射性物質を吸収してくれるというのはどうやら本当らしいのだが、咲いたひまわりは放射性汚染物質で、その処理に困るのだそうである。


《7月4日(月)》
東日本大震災から116日目……

3月30日以来、国弘志保ちゃん2度目の登場。
行ったお店は“花水木”。
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もうちょっとミステリー。
だから後日追記かな?
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《7月2日26時》
東日本大震災から115日目になる。
広告掲載のお礼に“忠兵衛”へ。
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「とうがん煮たのあるけど食べる?」
「食べる食べる」
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絶品。だけど画像はピンボケ。次来た時もあるかなあ……

しかし、こんな時間に、こんなに食ってどうするんだよ……

健康ゲームどこへやら。

※(7月18日に追記)
放射線のことがなんとなく引っかかって、外を歩いたり走ったり自転車乗ったりする気にずっとならなかったのです。現時点では、福島第1原発事故で東京に降り注いだ放射性物質のセシウム137の量は、雨の降った3月21日の朝から翌日の朝までの24時間だけで、1960年代の前半まで大気圏内で核実験が行われていた時期に降っていた1年間の放射性物質の3倍近く、というデータが、ほぼ信用の置けるものなのではないかと思っています。それが安全なのかどうなのか、それは全くわかりません。
1957年頃に生まれた日本人(つまりまさに僕らの年代ですが)には癌が多く、その原因が核実験であるという研究もあるらしい。僕も30代という若さで腎臓ガンに侵されました。若い頃の喫煙と発症した頃のストレスと、そして子供の頃に浴びた放射線と、いったいどれがガンの一番大きな原因だったのか、どうも放射線ではなさそうですが、もしかしたら放射線を浴びていなければ、喫煙と精神的なストレスを乗り越えることができたのかもしれないと思わぬわけでもありません。

でも、ボチボチまた健康ゲームを再開しましょう。現在の東京あたりでの放射線が、この歳の僕の体に影響を及ぼすことは殆どないでしょう。それを気にするより健康ゲームを再開するほうがずっと寿命が延びることは間違いないから。別に長生きをしたいわけではないのですが、フーフーしながら生き続けるのは辛いもんなあ。



7月 2日土曜日: 全てミステリー

《7月2日(土)-2》

全てミステリー……
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(※7月18日に追記)
言うか言わぬか迷ったが。
彼らはオーストラリアへの移住を決めた。55歳を越えると永住権を取得するハードルが一気に上がる。それまでになんとかと。

オーストラリアで泡盛飲めるかなあ。飲めれば移住するってわけではないけれど。



7月 2日土曜日: 630の講演会で

《7月2日(土)-1》
東日本大震災から114日目。

今日は大崎の沖縄語を話す会恒例の夏の宴の日。
 ⇒2009年7月4日の夏の宴
去年の夏の宴は知人の結婚式で出られず、今年は是非にと思っていたのだが、急遽思わぬオファーがあって、夏の宴の方を失礼することにした。

※後で聞いたことだが、今年の夏の宴には藤木勇人さんが来たとのこと。しょうがない。体はひとつしかないからね。しかし残念。
 ⇒藤木勇人さんとウチナーグチの話

オファーしてくださったのは“ゆんたくの会”の日高さん。
630事件を忘れてはいけないという講演会で琉球舞踊を踊ってくれないかとのことであった。講師は去年と同じ、あの牛島満中将の御子息の牛島貞満さんである。
 ⇒去年の講演会の記事
 ⇒630宮森小学校米軍ジェット機墜落事件のこと
 ⇒「慰霊の日」と牛島満中将のこと

沖縄戦や沖縄の基地問題などの市民運動に参加する「内地」の方々は、総じて琉球舞踊のような今の現実の沖縄の文化にはあまり興味を持っていない。僕は常々、それでは沖縄の諸問題も、その表層しか見えないのではないかと思っていた。

※逆に、大崎の沖縄語を話す会(ウチナーンチュが7割くらい)で基地問題が話されることは殆どない。例えば東京沖縄県人会では基地の話はタブーだとも聞いたことがある。

いい機会である。日高さんに感謝して、どうせなら三線もやるかということで参加した。
会場は明治大学のリバティーホールの教室。踊りの様子と三線演奏の様子はそれぞれの専用ブログにてご覧あれ。
 ⇒琉球舞踊の専用ブログ記事
 ⇒三線教室の専用ブログ記事

そのあと、牛島貞満さんの講演。
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1959年の6月30日の17名の命を奪った米軍ジェット戦闘機の宮森小学校墜落事件も、沖縄でさえ風化しつつあるという。しかし、と僕は思う。沖縄戦で命を落とした住人(軍人を含まない)は10数万人を越える。これがいかに異常な数であるか、沖縄という小さな県だけで、今度の震災での死亡者行方不明者3万人の数倍の人が、天災ではなく、人の手によって殺されたのだということを想像すれば、実に空恐ろしくなる。そして終戦後も、さらには日本に復帰した後も、次々と繰り返される基地がらみの事件。宮森小学校墜落事件がどんなに理不尽な事件であったとしても、それは沖縄で起こった数え切れない出来事のうちのひとつのエピソードにしか過ぎないのだ。630事件の真実を知れば知るほど、そんな悲惨な事件にもかかわらず、沖縄では単なるひとつのエピソードにしかならないということに愕然とする。それなのに、何故「内地」の日本人がこれほど沖縄問題に無頓着でいるのか、「それは絶対に許されることではない」と大声で叫びたくなるのだ。

原発の即時停止を主張する者たちを、非現実的でヒステリックな馬鹿だと見下す経済学者や政治家は、これまで数十年間、原発で命を削っていた最下層の労働者を見ようともせず、中央から離れた過疎の町に原発を押し付け、遠い未来の子孫に廃棄物の処理を丸投げしている。彼らは、階級と空間と、そして時間における辺境の者たちに対する想像力を完全に失っているとしか思えない。

「2番じゃいけないのですか」
それどころじゃない。3番だって10番だって50番だってかまわない。某政治家が、今のこの日本の豊かさを子孫に伝えたいと、良き爺さんのように語れば語るほど、世界中にどれほど貧しい人たちがいるのか、その数は、豊かな人々よりはるかに多いという事実をどう考えているのかと聞きたくなる。日本が良ければそれでいいのか。僕が貧しい国の親であったなら、きっと殺意すら覚えるに違いない。

そしてそれは、日本が沖縄に対してしてきたことと重なるのである。沖縄は辺境であり続けたのだ。だが、「沖縄」と「原発」の辺境は必ずしも重ならない。棄てられた者は棄て去っていた者でもあり、棄て去られてきた者が今度は棄て去る。そして僕は、いつも辺境から遠く、棄て去り続けていたのではないか……

そう思うと、琉球舞踊の静かな歩みと、三線の音の違和感が、ひどく身に染みるのである。

会の後、お誘いを受けた。牛島さんはじめ、皆さんと色々とお話をしたかったのだが、生憎この後約束があって失礼することにした。きっと毎年おやりになるのだろう。来年こそは、大崎の夏の宴と重なることがないことを期待して。

だけど、来年、いったいこの日本はどうなっているんだろうなあ。

(※7月18日に追記)
菅直人、国内で脱原発を言い、リトアニアやベトナムやトルコには原発輸出。本当なら許しがたい。日本から見ればリトアニアもベトナムもトルコも辺境。



7月 1日金曜日: 女ふたりの打ち上げ

《7月1日(金)-5》
《宇夫方路の報告》
久しぶりに田中きとみさんと会いました。

6月4日の公演で使用した衣装の費用などの清算をしながら、軽く打ち上げをしましょうということになったのです。きとみさんは明日の朝が早くて寝不足になるとつらいからということで、私の仕事が終わってすぐ始められるように喜多見まで来てもらって、さっと飲んでお開きにそましょうという予定だったのですが。

鳥力中央研究所に行ったら、まだ炭を起こしているところ、こんな早い時間に来たのは初めて。焼きものの準備ができるまで、まずはビールとから揚げを頼んで「おつかれさま」の乾杯をしました。

今の関りえ子琉舞研究所のメンバーの中では、きとみさんと私が一番の古顔。でも、考えてみたら二人だけで飲んだのは初めてかもしれません。

炭が起きれば焼き鳥や焼き野菜を頼み、お酒はキープしてあった一升瓶の泡盛。6月の公演のこと、稽古のこと、踊りのこと、8月のイベントのこと、話しが尽きなくなりました。

と、「どうぞ」と味噌汁が出てきました。
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おやまあ、もう11時近い。6時前にお店に入ったんですから、もう5時間も居座っていたわけね。
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たくさん食べるわけでもなく、キープしてあったお酒をひたすら飲んでしゃべって、あんまりいいお客じゃなかったですね。高田君ごめんなさいね。

でも、とってもいい打ち上げになりました。


7月 1日金曜日: (備忘録暫定記事)

《7月1日(金)-4》

宮台真司ボットより。
「ヒトの寿命は短い。だからモノが刻む歴史が一回的に感じられる。
私たちはそこに、人生の時間ないしヒトの尺度の中では、二度と繰り返しを見ることがないモノの歴史を見出す。入れ替え不能なのはヒトでなく、むしろモノなのだ。」

相変わらず分からない文章……。

僕も少し、ややこしい話をしてみたいと思う。

でも後日。

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7月 1日金曜日: 2011年7月1日その3

《7月1日(金)-3》

喜多見の新しいお店でお昼。
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宇夫方路の注文~
“プロヴァンス風ゴロゴロ野菜のラタトゥイユ”
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“ノルウェーサーモンのポワレ、ラビゴットソースで”
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“クレーム・フロマージュ”
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高山正樹の注文~
“スパイスを効かせた塩漬け豚とキャロット・ラペのサラダ”
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“仔羊のソテー、黒オリーブのタップナードソースで”
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“桃のグランテとパイナップルのマリネ”
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前菜とメインディッシュとデザートは組み合わせ自由。
つまり宇夫方路と高山正樹は全く好みが合わないということ。

感想は後日。


6月16日にゴーヤーの種から顔を出した芽がだいぶ伸びてきた。
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かわいい2009年に実ったゴーヤーの孫からも芽が出た。
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今日は7月1日なのだ。だから今年も頑張って育ててみることにした。そして、まずは小さなプラスチックの鉢に植えてみた。
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去年の7月1日には、もう花がたくさん咲いていたっけ。そして、あの正体不明の連中が現れた日だ。
 ⇒2010年7月1日:正体不明の生き物が生まれた日
だから、なんだか今年のゴーヤーが不憫で仕方がない。「ごめんな」なんて声を掛けてみたりして。

今年の栽培日記のカテゴリを作ることにした。

我が家の三匹の猫に加えて、またひとつ、東京から逃げ出すことを妨げる足かせを作っちまった。
ちゃんと食べられるゴーヤーが実ってくれるだろうか。そのころ我が家と会社とこの国は、いったいどうなっているんだろう。
 ⇒2011年最初のゴーヤー栽培記の記事


東日本大震災から113日目。

「現代思想」の5月号。
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ツイッターの「宮台真司ボット」で「党派的なヘタレ左翼雑誌」と揶揄されている。
「うしろめたかったりイケてなさに打ちひしがれたりする大学教員が、仲間はずれが嫌で『弱者の味方』自己イメージを交換して、左翼的コミュニケーションの接続を自己目的化する」
……ということらしい。

それを知った上で。

柄谷行人「地震と日本」より……
「ゆえに、世界資本主義は二、三〇年のうちに存続することができなくなるだろう。しかし、資本主義の終りは、人間の生活の終りではない。資本主義的な経済成長や競争がない状態でも、人は生きていける。というよりも、そのときに初めて、人は真に「生きる」ことができる。もちろん、資本主義経済がは簡単に終るわけではない。それに抵抗して、諸大国は資源や市場をめぐって争うだろう。しかし、私は、日本人は二度とそのような道を選ぶべきではないと考える。今度の地震がなければ、日本人は「大国」を目指して空しいあがきをしただろうが、もはやそんなことを考えられないし、考えるべきでもない。地震がもたらしたものは、日本の破壊ではなく、新生である。おそらく、人は廃墟の上でしか、新たな道に踏み込む勇気を得られないのだ。」
(For this reason, global capitalism will no doubt become unsustainable in 20 or 30 years. The end of capitalism, however, is not the end of human life. Even without capitalist economic development or competition, people are able to live. Or rather, it is only then that people will, for the first time, truly be able to live. Of course, the capitalist economy will not simply come to an end. Resisting such an outcome, the great powers will no doubt continue to fight over natural resources and markets. Yet I believe that the Japanese should never again choose such a path. Without the recent earthquake, Japan would no doubt have continued its hollow struggle for great power status, but such a dream is now unthinkable and should be abandoned. It is not Japan's demise that the earthquake has produced, but rather the possibility of its rebirth. It may be that only amid the ruins can people gain the courage to stride down a new path.)

(※なんで英文を併記したのか。もともとこの論文がアメリカの新聞のエッセイ用に書かれたからということもあるのだが、それだけが理由ではない。それはまたいずれ別途記事で。)

きっと、今日7月1日は、株式会社M.A.P.にとって特別な日だ。しかし何がどう特別なのか、はっきりしない。色々と変わった。でもそれを言うつもりは今のところない。問題は具体的な事象の陰に隠れている本質的な変化なのだが、どうもそれを説明するのが難しい。だからそれを匂わすような話題をいくつか並べて見ようと思っている。

浜岡原発が止まった影響がトコロテン式に関西に及び、関西電力も節電をと言い出した。大阪の橋下知事が原発の必要性をいうための脅しだと怒った。そして在阪の2.000社に向けて「事業活動に影響を及ぼすような節電はお願いしない」というメールを送ったという。

【そこで呟いてみた……】
12:57
電力会社の陰謀による節電は拒否だが、事業活動に影響を及ぼすような節電こそ日本に必要な根源的転換。その意味では橋本知事も所詮同じ穴の狢か?


なんとも関心しない呟きである。「事業活動に影響を及ぼすような節電こそ日本に必要な根源的転換」という言い方が全くなってない。なんのことだかさっぱりわからない。「同じ穴の狢」もダメだ。「同じ穴」ってどんな「穴」なのか。このどうしようもない呟きは、流れてきたツイートの返信として呟いてみたものだが、当然こんな僕の「呟き」に反応があるわけもない。

「実験結果報告:社会的に無名の輩が、ツイッターというシステムを使ってややこしい思いを伝えることは困難である」

何を言ってるんだか。

今日から、事務所の冷房をやめる。どこまでやれるものだか、これも実験である。幸い十数台あるPCだが、よほど状況が変わらない限り、今後は20%程度の稼働率。つまり3~4台しか使わない。作業する人もそんなもの。数ヶ月前のように十数人がすし詰めでPC使って仕事をしていればこうはいかない。「事業活動に影響を及ぼすような節電こそ~」と簡単に呟いて平気なのは、こういう事情があったからである。もしもM.A.P.の業務実態が昨年度と比べて何の変化もなかったとしたら、「日本に必要な根源的転換」なんて能天気なことを簡単に言えたかどうか、しかしその事は考えないことにした。個人事業を会社にした時からずっと、実はこの状態を目指していたのではなかったか。いや「そうだった」と思い込むことにした。

僕は“M.A.P.after5”と同時に“社長とは呼ばないで”というブログを立ち上げたのである。
 ⇒社長とは呼ばないで「公開して後悔して、分裂して」

この会社の状況変化は、誰の所為でもなく、この僕が希望したものなのだ。今日、そう、決めたのである。

これから、2011年7月1日の記事を別途にいくつか書く。が、どうやらいっぺんには書き切れそうにない。だから、これから何度も2011年7月1日に立ち返って、いくつかの記事は追記しては再投稿することになるだろう。


《6月30日25時》
飲み足りなくて……
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小腹が空いて……
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後日書きますが……

新しく“花水木”のカテゴリを作りました。
 ⇒[subcate.花水木]
“ムッシュとマンマ”のカテゴリを作ったことだし、ならばと“JINとかおる”のカテゴリも作っちゃいました。
 ⇒[subcate.JINとかおる]
そして、“JinDanceFactory”と“MIRROR_BALL”と新しい“花水木”を“JINとかおる”の子カテゴリにしました。

いったい何をチマチマとくだらないことをやっているのかなんて言わないでください。色々と整理をして、全てのシステムを変えようと目論んでいるということなのですから。


高山正樹 Masaki Takayama
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