九段会館大ホールで「沖縄芸能フェスティバル2009」が開催され、関りえ子琉球舞踊研究所も出演しました。

昼の部は13時開演。「浜うりてぃ語ら」と「エイサー」を踊り、「浜うり」にはM.A.P.カルチャーのメンバーも参加しました。
みんなの着物の色が白と黄色の2種類だったので、リハーサルで前列と後列を色で分けることにしました。そのため、まだ慣れてないメンバーが前列に入ることになってしまい、その緊張と、地謡に慣れていないせいもあって、ちょっと踊りが乱れてしまいました。一応順番どおりには踊ってはいたのですが、上手と下手で音のとり方が違ってしまったのです。真ん中の人は大変。ちょっと残念でした。
でも踊りの後半は、なんとか盛り返して、最後のポーズでは拍手を頂きました。とても暖かいお客様に感謝いっぱいでした。

昼の部が終って、國吉さんが見に来てくださっていたので、今回の私たちの踊りの地謡をお願いした仲宗根善久先生の楽屋へ、二人でご挨拶に伺いました。何故國吉さんと御一緒したのかは内緒、いまのところミステリーです。
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左の方が、野村琉古典音楽保存会の師範、仲宗根善久先生でいらっしゃいます。
写真を撮ってくださったのは、やっぱり今日の昼の部を見にきてくださった五味さんです。いつもいつも撮影をお願いしているので、五味さんが写ることはあんまりありません。いつもありがとうございます。

夜の部は、昼とは出し物が違います。「エイサー」は同じですが、もう一つは「繁昌節」を踊りました。みんな稽古の時よりも良かった。客席からも手拍子があがって、それに乗って踊れたみたい。

終演後の九段会館ホール玄関口。
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帰りに、昼の部で踊った「浜うり」を来年もう一回踊りたいという意見がありました。このまま終わらせては悔しいというのです。そういう気持ちが大切。是非やりましょう!リベンジです。

今日の舞台を見てくださったお客様へ。もしこの記事をお読みくださった方がいらっしゃいましたら、是非率直な感想をコメントでお寄せください。それを糧に、来年も頑張ります!
(宇夫方路でした)
[subcate.MAP琉舞教室]


宮城文子さんは、いよいよ今月の16日、沖縄へ引きあげます。今日がみんなと踊る最後の舞台、「繁昌節」で花を飾ることができました。良かった。
(うぶかた)


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沖縄タイムス系、琉球新報系、また野村流系、安冨祖流系、それが一同に会しての公演でした。流派が違うと地謡も若干違う、それが踊りが乱れた原因? いえいえあくまで未熟の所為です。

(2009年10月11日、沖縄タイムスの特集記事「至宝の舞 次世代へ」より)
1954年。沖縄タイムスが主催する「第1回新人芸能祭ベストテン」(後の琉球古典芸能コンクールの前身)が開催されます。この時ベストテンに選ばれたのが真境名由苗と由乃の姉妹、喜納幸子、根路銘房子、嘉手苅静子、屋嘉澄子、比嘉ヨシ、仲里澄子、饒波ゆう子、亀川美年子の10人。
それが1965年に中断されるのですが、その理由は、一部の関係者が出演料を要求したことにあったらしい。それから2年後の67年に、第1回の芸能コンクールとして再開されるのですが、その間に琉球新報ホールが完成し、琉球新報主催の芸能コンクール祭が66年に開かれ、その時一部の芸能家がそちらへ移動して、以来「タイムス系」「新報系」の二大派閥ができたといいます。
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ちなみに、高山正樹の義理の妹は、どちらの派閥にも属さないところで琉球舞踊を習っていたといいます。今でも、その頃から続いている孤高の教室というのもあるのでしょうか。
(高山正樹)
[subcate.琉球舞踊]