09/05/14 : 今日も深川界隈へ
カテゴリ: M.A.P.縁の人たち
大川(隅田川)と旧中川(荒川の西側を流れるくねった川)を結ぶ小名木川という運河、その最も大川寄りにある橋が萬年橋です。

(萬年橋の北詰から南方向を見た画像。小名木川は、このすぐ右側で隅田川に繋がっています。)
赤穂浪士は本所の吉良上野介邸討ち入りの後、この萬年橋を渡って泉岳寺へ向かったのです。
萬年橋から南西方向を見ると、隅田川に架かる清澄橋が見えます。

ここは9日の土曜日に朗読会が開かれた“そら庵”のすぐ近くです。つまり、今日も昭文社にちょいと用事があったということです。
9日の記事ではご紹介できなかった芭蕉庵史跡庭園へ。
そら庵のすぐ脇にある入口から登っていきます。

芭蕉翁、この日はきれいさっぱりお掃除してもらっていらっしゃいました。

ここから清澄橋を望むと、大川の広さが実感できますね。

こんな案内板がありました。
本所深川絵図。

1858年、安政5年の江戸の街。
北を上にするために絵図を45度回転させて看板にしてあります。
なるほど、清澄橋はこの頃はまだ無かったようです。でも北側の新大橋は既にあった。こんな大きな川に橋を架ける技術が、既に江戸時代にあったんですねえ。
さて、この画像の一部を、ちょいと拡大してみました。

左上に万年橋があります。
そして、右下の、霊厳寺のお寺さんの絵の下あたりが現在の深川江戸資料館のある場所です。
実は今日の主要目的は、深川での宣伝なのです。
一昨日わかったこと、江戸資料館の近辺に住む方々ですら、“三笑亭夢丸with東京奏楽舎”の公演が深川の資料館で行われることを知らないというのが現状であるということ。
これではいかんと、この日は社員4人が、深川界隈を歩いて回ったのです。
1年前、こんなことを書いていました。昼間のパパは偉いのだという記事。
(そういえば忌野清志郎は死んじゃったなあ。)
まずは深川江戸資料館の掲示板にポスターを貼ってもらうことから始めました。

つまり、今日まで貼ってくれてはいなかったということです。
やっぱりお役所なのかなあ……
資料館前の酒屋さんにも行きました。

「御用聞きなんか、行くんですか」
「もうやんねえよ。コンビニやスーパーが出来ちまって、ちっとも儲からなくなっちまった。でも、まだ御贔屓さんがいるから、ちったあ役にはたってるってこったな」
そして落語の薀蓄もたっぷり。
文房具やさんの親父さんも、毎月開かれる落語会の世話役をやっている。
ほんとは落語家になりたかったんだというおじさんに出会ったり、お店の方と話をしていたら、お客さんが「あたし落語が好きなのよ」と興味を持って寄ってきてくださったり。
近くのお寺さんでも、やっぱりしょっちゅう落語会を開いていると聞いて、そこにもお伺いしました。
「最初の頃はお客さんも少なかったけれど、やっと今は、毎回120人くらいの方が来てくださるようになりました。はじめは大変だけど、頑張ってくださいね」
暖かいお言葉です。
こんな耳の肥えた人たちがたくさんいる街で、落語をやるのはとても緊張しますが、うまく受け入れていただければ、何かが始まりそうな気もします。
全てが勉強です。
夢丸さんがよくおっしゃること、「石の上にも10年だよ」。
おまけ。
落語会をしょっちゅうやっているというお寺さんに伺って、その境内で見つけたなんともかわいい猫。

招き猫になってくれればいいんだけどなあ。
【新大橋について】
松尾芭蕉は、この橋がだんだんと出来あがっていくのを芭蕉庵から眺めながら、こんな句を詠みました。
初雪や かけかかりたる 橋の上
ありがたや いただいて踏む はしの霜
でも、この新大橋は、それから何度も壊れたり、流れたり、焼けたりと、その数は20数回にのぼるのです。
芭蕉庵のすぐそばの昭文社から、一人でも二人でも20日の深川に来てくださる方がいらっしゃるでしょうか。
きっと、いませんね。それほど断絶している。
僕の体は、バラバラです。
(萬年橋の北詰から南方向を見た画像。小名木川は、このすぐ右側で隅田川に繋がっています。)
赤穂浪士は本所の吉良上野介邸討ち入りの後、この萬年橋を渡って泉岳寺へ向かったのです。
萬年橋から南西方向を見ると、隅田川に架かる清澄橋が見えます。
ここは9日の土曜日に朗読会が開かれた“そら庵”のすぐ近くです。つまり、今日も昭文社にちょいと用事があったということです。
9日の記事ではご紹介できなかった芭蕉庵史跡庭園へ。
そら庵のすぐ脇にある入口から登っていきます。
芭蕉翁、この日はきれいさっぱりお掃除してもらっていらっしゃいました。
ここから清澄橋を望むと、大川の広さが実感できますね。
こんな案内板がありました。
本所深川絵図。
1858年、安政5年の江戸の街。
北を上にするために絵図を45度回転させて看板にしてあります。
なるほど、清澄橋はこの頃はまだ無かったようです。でも北側の新大橋は既にあった。こんな大きな川に橋を架ける技術が、既に江戸時代にあったんですねえ。
さて、この画像の一部を、ちょいと拡大してみました。
左上に万年橋があります。
そして、右下の、霊厳寺のお寺さんの絵の下あたりが現在の深川江戸資料館のある場所です。
実は今日の主要目的は、深川での宣伝なのです。
一昨日わかったこと、江戸資料館の近辺に住む方々ですら、“三笑亭夢丸with東京奏楽舎”の公演が深川の資料館で行われることを知らないというのが現状であるということ。
これではいかんと、この日は社員4人が、深川界隈を歩いて回ったのです。
1年前、こんなことを書いていました。昼間のパパは偉いのだという記事。
(そういえば忌野清志郎は死んじゃったなあ。)
まずは深川江戸資料館の掲示板にポスターを貼ってもらうことから始めました。
つまり、今日まで貼ってくれてはいなかったということです。
やっぱりお役所なのかなあ……
資料館前の酒屋さんにも行きました。
「御用聞きなんか、行くんですか」
「もうやんねえよ。コンビニやスーパーが出来ちまって、ちっとも儲からなくなっちまった。でも、まだ御贔屓さんがいるから、ちったあ役にはたってるってこったな」
そして落語の薀蓄もたっぷり。
文房具やさんの親父さんも、毎月開かれる落語会の世話役をやっている。
ほんとは落語家になりたかったんだというおじさんに出会ったり、お店の方と話をしていたら、お客さんが「あたし落語が好きなのよ」と興味を持って寄ってきてくださったり。
近くのお寺さんでも、やっぱりしょっちゅう落語会を開いていると聞いて、そこにもお伺いしました。
「最初の頃はお客さんも少なかったけれど、やっと今は、毎回120人くらいの方が来てくださるようになりました。はじめは大変だけど、頑張ってくださいね」
暖かいお言葉です。
こんな耳の肥えた人たちがたくさんいる街で、落語をやるのはとても緊張しますが、うまく受け入れていただければ、何かが始まりそうな気もします。
全てが勉強です。
夢丸さんがよくおっしゃること、「石の上にも10年だよ」。
おまけ。
落語会をしょっちゅうやっているというお寺さんに伺って、その境内で見つけたなんともかわいい猫。
招き猫になってくれればいいんだけどなあ。
【新大橋について】
松尾芭蕉は、この橋がだんだんと出来あがっていくのを芭蕉庵から眺めながら、こんな句を詠みました。
初雪や かけかかりたる 橋の上
ありがたや いただいて踏む はしの霜
でも、この新大橋は、それから何度も壊れたり、流れたり、焼けたりと、その数は20数回にのぼるのです。
芭蕉庵のすぐそばの昭文社から、一人でも二人でも20日の深川に来てくださる方がいらっしゃるでしょうか。
きっと、いませんね。それほど断絶している。
僕の体は、バラバラです。
(文責:高山正樹)

kittenさんのコメント
機会があれば是非行きたいのですが、今は受験勉強中なので。