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6月29日水曜日: 深夜のやりとり

《6月28日26時》
東日本大震災から110日目、そして111日目になりました。

【真夜中に呟いたこと】

2:03
毎日睡眠3時間。後は20時間近く数字と格闘。未収納金2円天引きしたつもりが2円多く払って未収納金4円になった。ああ…。おとといからクスリが切れた。しかし自宅に帰るヒマが全くない。直ちに健康に影響が出そう。


すると、丸尾聡氏から「なんといっても身体、ご自愛あれ。まずは命」というようなメッセージが来ました。丸尾ちゃん、こんな時間なのにまだ起きてるの。ダメだよ、体に悪いよ。

2:40
若い頃、あんなにアイヌの人たちからいろんなことを学んだのに、そう思ったら涙が出てきた。結婚式のとき二風谷で買ったアイヌのでっかい俎板は、ずっと本棚に飾ったママ。使わなきゃだめだよと、萱野さんに言われたのに。

2:49
昔、萱野さんに芝居で使う弓を作ってくださるように頼みました。本番が近づいてきても一向にできる気配がない。曰く「まだ木が切ってくれと言わないのです」と。結局初日には間に合いませんでした。


それに対して、また丸尾ちゃんからメッセージ。
「前に、萱野さんが国会でアイヌ語で質問した話を中心に書いた本を読ませていただきました。『まだ木が切ってくれと言わないのです』、いちばん、今、必要で、なくなっている感覚なのでしょうね」

ほんとのことを言うと、当時萱野さんはとても忙しく、ただオンコ(イチイ)の木を切って削るだけの時間がなかった、それだけのことなのです。要するに、ちょっと洒落の効いた方便だったわけで。当時、劇団の代表は怒ってたなあ。彼は劇団の代表なのに、団員に自分のことを「社長」と呼ばせる人でした。今、でっかい劇団(会社?)になっちゃった。

でも、丸尾さんにはそんな返信はしませんでした。世の中、なかなか140字では収まらないものです……



去年の2月、こんな記事を書きました。どうぞ読んでみてください。
 ⇒二風谷の記憶、アイヌの俎板《1986年の萱野茂氏の思い出》

そして“社長とは呼ばないで”に書いた萱野さんのこと、ふたつ。
 ⇒萱野茂「アイヌの碑」
 ⇒着いた日のこと

今夜も4時間眠れればいいほうだな……


「銀の滴降る降るまわりに 首里1945」を観てきました。

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やっぱり、詳細は後で……



12月 8日水曜日: アイヌのこと、少し……

智内さんから電話があった。松元さんがNPOを立ち上げて、そのパーティーが今日の夜、青山であるから行かないかというお誘いである。智内さんはいつもいつも今日の今日電話してくるからなあ。今晩は三線教室、残念ながらパーティーには行けそうにない。

三線教室のことは宇夫方女史が専用ブログに書くだろうから、こちらは別のこと。

最近、比較的大きな劇場に芝居を見に行くと、大量のチラシを渡されて辟易する。開演前の時間つぶしにはいいのだが、その後の始末に困る。それでも、沖縄関係の演目があれば、それだけは商売柄スクラップ用に持ち帰るので抜き取るが、後は座席の下に重ねておく。

先日の紀伊国屋ホールでは、文化座のチラシを一枚だけ持って帰った。それと同じチラシを、今日、持田明美先生が持ってきた。その芝居で三線の指導をしたのだという。文化座は沖縄にずっとこだわってきた劇団でもある。宇夫方女史の琉球舞踊の先生で、高山正樹のカミサンの親友である関りえ子さんが、文化座の「ハブの子タラー」で踊りの指導をしたのはもう20年も前のことだったと記憶するが、2004年の再演の時には、持田さんのユニットのシーサーズが、三線に加えて踊りの指導もしたらしい。

「銀の滴降る降るまわりに 首里1945」
「首里1945」のチラシ
詳細は下記サイトからご覧いただくとして……
 ⇒http://www.bunkaza.com/theater/ginnosizuku…

実は、ボクの沖縄はここから始まった。
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そして今、ウチナーグチの勉強をしているのも、きっとここが始まりなのだと思う。
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“社長とは呼ばないで”に、「アイヌのこと」というカテゴリがあって、遅々として進まず停滞中だが、しかしそれがもう少し進めば、いずれこちらの表のブログでも、アイヌのことを正面から扱う時がくるのかもしれない。だから、「アイヌ」というカテゴリを作ってしまうことにした。今はまだ、アイヌの周辺をウロウロしているだけの記事ばかりだが。
果たして、あらためて読んでくださる方などいるのだろうか。
アイヌのことを語り始めれば、沖縄のように大変なことになることが分かっている。
だから、文化座の芝居、見に行こうかどうしようか、迷っている。

やっぱり、これから青山は無理だな。智内さんに連絡したが、留守番電話でだった。しょうがない、皆さん、一時間一本勝負で飲みに行きましょう。

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上野の東京文化会館を後にして、代田橋の稽古へ向かう。
小道具が来ていた。
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杉原千畝が外務省と交信する通信機。本当にこういうものを使っていたのかどうかは定かではないが、それらしきものが見つかるのだから、やっぱり高津小道具はたいしたもんだ。
(※9月14日追記:実はこれ、昔のレジの一部分なんだとか。いくら高津だって第二次世界大戦中に日本が使っていた通信機などありっこない。
それを本番ではこんな風にひっくり返して使うのです……
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……いつでもどこでも持ち運べるようにカバンに入っているものなので、お客さんからはカバンからちょっとはみ出している部分しか見えないのです。)


小生の父親は第二次世界大戦で通信兵であった。できれば本物の通信機がどんなものであったのか、聞いてみたいと思うのだが、要介護5の老人から要領を得ない話をじっくりと聞いている時間がない。いけないことだと思いながら、今の多忙に追い回されている。
晩年の千畝を演ずる時、いつも弱ってしまった父親の姿を思い出している。こちらの言葉はちゃんと理解している。しかし、それに対してこちらが分かる反応は返ってこない。だが、稽古場で千畝をその父のように演じるてみると、「ト書きに合った反応を」とダメが出る。

先日、母親が「こんなものが出てきたよ」と持ってきた古い手紙。
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「謹啓猛暑凌ぎ堪く覚え候折柄高堂皆々様には苛烈なる現時局下愈々御勇健の趣と存じ大慶至極に御座候
陳者●●殿には入隊以来頗る志気旺盛にて目下将校としての修養に専心努力致居り候間何卒御安心被下度候 小生儀
今般幹部候補生隊長の大命を拝し微力乍●●殿の訓育に全力を尽し居り候間御連絡御援助の程願上候
就いては●●殿将校軍装品の調達の件に御座候共甚だ不躾乍其の費用約七百円十月中に當隊ニ到着する如く御配慮相成度候
時局愈々重大の秋我等も又来るべき大陸決戦場に備へ磐石の決意を固め居候間何卒皆々様にも更に御自愛の上邦家の為御奮闘の程祈上候
右簡単乍御挨拶御連絡迄斯の如に御座候」

●●の部分には父の名が入っているのだが、明らかに他の部分より太く墨が濃い。おそらくガリ版で印刷した原本に、後から名前だけ書き込んだのであろう。最後に「幹部候補生隊榎本登」とある。日付は昭和20年7月20日、終戦間際である。
お宅の息子は間もなく将校になるので、そのための軍装品の費用700円(今の30万円から40位万円くらいといったところだろうか)を送れという手紙である。封筒の裏、差出人は「北支派遣北支第一八六九部隊力隊」。
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そして軍装品の一覧表も同封されている。
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祖父母はとっくに他界しているから、この手紙の「御援助の願い」をどう受け止めたのか、今となっては確かめようもないが、当時そんな大金があったとは思われないから、たとえ払いたくても払えなかったに違いない。しかしおそらく同じ内容の手紙が相当数送られたに違いないから、息子のためならと大枚七百円を送ってしまった親がいてもおかしくはない。だが、そんな話しは聞いたこともない。これは北支第一八六九部隊だけの特殊な出来事だったのか、それなら裏にどんな事情があったのか、興味は尽きないのだが、いったいどうやって調べればいいのか、何の手掛りもない。
ご存知の方がいらっしゃったら、是非ご教授いただきたい。

休憩時間、ロビーのテレビで速報。鈴木宗男氏の上告を最高裁が棄却し、実刑が確定したというニュース。
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「検察権力」
「青年将校化した検察官」
そうした鈴木宗男の言い分が100%正しいというつもりはないが、検察も巨大な官僚機構の一部、それを前提にして出来事を見直せば、マスコミが流す情報とは全く違うものも見えてくる。

かつて外務省のラスプーチンと呼ばれた佐藤優氏はこう語った。
「このタイミングでの上告棄却は非常に政治的。10日の郵便不正事件の公判では厚生労働省の元局長に無罪判決が出る公算が大きく、検察捜査への批判が高まる。また民主党代表選で鈴木氏を衆院外務委員長に抜擢した小沢一郎氏が勝って鈴木氏を要職に起用すれば手がつけられなくなる。その前に先手を打った。機密費問題などで外務省を追及する人物がいなくなって、一番喜ぶのは外務官僚。日本国家を支配するのは資格試験に合格したエリート官僚か、国民に信託された国会議員か、その権力闘争である」

関連記事ふたつ。
 ⇒http://lince.jp/hito/kinalive…
 ⇒http://lince.jp/hito/tositeha…

杉原千畝が外務省をクビになった理由はキャリアではなかったから。どうやらそれに間違いはないらしい。

専門学校の子どもたちは、そんなニュースに興味などない。
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さて、チラシが出来たようで。
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お時間がおありでしたならば、去年と同じ、照明を学ぶ若者たちの実習公演ですが、16日(木)は19時開演、17日(金)は18時の開演、東高円寺のセシオン杉並までお越しくださいますように。
 ⇒告知記事
このブログで書いてきたことを、ちょっと頭の隅においてご覧いただければ、少しは楽しんでいただけるかもしれない。

宇夫方路とふじたあさや氏の共演などもあり……
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(今年も子供たちとも共演…)
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[subcate.ふじたあさや]

最後に間もなく収監されるであろう鈴木宗男氏の会見から。
「アイヌ民族の権利の確立とか、政治は弱い人のためにあるということを、若い有為な人に訴えていきたい……」
 ⇒社長とは呼ばないでの“「アイヌ」のこと”というカテゴリ

稽古場で、密かに世界のことを考えていた。でも、あまりにも複雑な世の中で、考えれば考えるほど、何がなんだか分からなくなっていくのだった。

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《そして……》
朝、ちょっと早起きして、楠定憲さんと宇夫方路さんと、辺野古まで行ってみました。
宇夫方さんは、昨日の喧騒の後片づけがあるから行かないと言ったのですが、無理やり引っ張っていきました。M.A.P.で、これだけ沖縄のことに関わっているのだから、一度は見ておいて欲しいと思ったからです。
楠さんも黙って付き合ってくれました。若い頃、酒を飲みながら、アイヌのこと、沖縄のこと、ずいぶん話しました。たいがい楠さんは聞き役だったけれど。
 ⇒“社長とは呼ばないで”の「アイヌのこと」のカテゴリ
 ⇒“社長とは呼ばないで”の「沖縄のこと」のカテゴリ

沖縄らしくない小雨が降っています。空はどんよりと曇っています。
coccoの“ジュゴンの見える丘”、そのyouTubeの画像の中でcoccoが呼んだ「馬鹿みたいにきれいな海」を僕は見たいと思っていました。しかし……

車を小半時ほど走らせると、ジュゴンが棲息するという大浦湾が見えてきました。
大浦湾から滑走路が計画されている辺野古崎を望む
この海が、大規模なアオサンゴ群のある生物の宝庫なのか。僕は曇った空を恨めしいと思いました。もしも降り注ぐ太陽の光に照らされた海が、圧倒的な美しさで僕たちに迫ってきてくれたとしたら、僕の脳みそに巣食う政治的なあらゆる理屈を消し去ってくれたかもしれない。そうすれば無条件に美しい海を守ろうという感情が僕を満たしたに違いない、僕はそうなることを、少し恐れながらも期待していたのです。

しかし、空も、海も、沿道の集落も、「内地」の伊豆あたりの、梅雨時の風景と、少しも変わることはありませんでした。否応なしに、僕の中で全てが冷静に相対化されていきます。
路沿いの「大浦湾を守れ」という立て看板
日々間断ない現実の生活と、ジュゴンが棲む海の観念的な美しさが、天秤を静かに揺らし続けています。

何かを理由に、基地の移設に反対をする人々。
新基地移設絶対反対の横断幕を抱えて座り込む人たち
「私たちの土地に」と書いてあるのだから、きっと地元の人なのでしょうね。
座り込む人たちと演説する人とそれに聞き入る支援者たち
支援者らしい皆さんは、いったいどこから来たのだろう。普段、何をしている方たちなのだろう。国際反戦沖縄集会で、「大和から来た人たちは沖縄で活動しないで大和に帰ってください」と言ったUさんのような人たちが増えていることを、この方たちは知っているのだろうか。
雨の中に立つ支援者たち
(※Uさんとは誰なのか、いずれお話ししたいと思っています。)

ここで、6月26日の伊波洋一氏の講演で聞いた話、知った事実をご紹介したいと思います。
伊波洋一氏の講演会で配られた克明な資料
普天間の海兵隊基地の移転先はグアムに決定していて、その米軍の計画は既定路線としてすでに進められているというのです。移転先がグアムになった経緯と理由は色々とあるのですが、ともかく、ここ辺野古に普天間の基地機能が移転してくることは100%ないと伊波氏は語りました。しかし、アメリカ政府はそのことを認めない。日本外務省も、たとえグアム移転という米軍情報を得ていたとしても、表向き政府間の協議で決められたことしか公式には認めることはしません。ではなぜ、これほど辺野古の話が持ち上がるのか。そのもっとも大きな理由は、海兵隊海外移転費用を日本に負担させる条件を整えるためです。

またこんな話も聞かれました。最後の質疑応答で、高江についての質問が出た時、伊波氏はそれに対して、沖縄の米軍基地が国外に移転する場合、それに見合った基地を日本のどこかに作る(それは現状沖縄でしかないのですが)という決まりがあり、それが「高江のヘリパッド」なのだ答えました。
びっくりしました。本当なのだろうか、本当だとしたら、どれだけの日本人がその事実を知っているのだろうか。

基地を1減らせば、どこかで1を増やす。これはアメリカが日本に対しての威信を維持しておくために必要な措置で、それ以外に特段の理由はなく、ただ基地の量に応じて支払われる「思いやり予算」がこれを支える実質的な背景だというのです。本当にそんなことで、住民の生活がズタズタにされてしまうというのか。

もしも普天間のグアム移転が既に決まっていることだとしたら、反対すればするほど、日本が米軍に出すお金を引き上げるためだけにやっていることになりはしないか。そんなふうにも考えられてしまうことが実に厄介なのです。
(※例えば、沖縄の基地反対運動は、基地の賃貸料を引き上げるためにあるという話も、まことしやかに語られることでもあります。)

来た道を帰ります。まだ通行止めだけれども、ほぼ完成している立派な直線道路は、新基地へおおきな車輌でもいけるようにと作られている道です。旧道は新しい道にウネウネとまとわりつくように通っています。
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なぜ? 基地ができないことが分かっているのになぜ?
ひとつは土建業者の利権。それも本土の業者。もうひとつ、自衛隊としては米軍の要求で基地ができることを願っているらしい。その後を自衛隊が使うため。土地が返還されてしまったあとに、自衛隊基地を作ることは不可能だから。

色々なことが絡み合っていて、僕にはこの中から真実を見極めることが全くできないのです。考えれば考えるほど、口は重たく閉じようとします。それでも僕は、必死に語り伝えたいと思っています。僕が見たもの、聞いたもの、考えたこと。

さらに口を重たくするサイトを見つけました。辺野古の人たちと基地の友好的な関係を案内するサイトです。
 ⇒http://www.henoko.uchina.jp/index…
 ⇒http://www.henoko.uchina.jp/base…
サンディエゴでの日米安全保障条約50周年記念イベントとイメージが重なっていきます。

辺野古の海が決定的に美しかったならば、こんな憂鬱に見舞われることはなかったのではないだろうか。まず現実を知ること、それが一番大切なことなのだと思うことに変わりはないのですが、しかし現実を見て知って物事を判断することの危うさもまたあるのだということを、僕は思っていたのでした。
 ⇒沖縄を見ずに「沖縄」を書くと決めた木下順次のこと

旅の続きへ


去年の5月5日以来の赤城山未来スタジオ。
やってきたわけはこれ。
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「かのうとあつこ」が「かのうとあつことまるすけ」になったらしい。
ほんとは「まるすけ」じゃなくて「えんすけ」なんだってさ。てっきり円助は「まるすけ」だと思ってた。このキャンバス、懐かしいねえ。ここには「かのうとあつことえんすけ」の似顔絵じゃなくて、今は亡き西山三郎さんの絵が乗っていたんだよね。
 ⇒西山さんの古い思い出

西山さん縁の方々が、新潟から来ていました。
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今井宏明さんご一家。奥さまのお名前は千尋さんです。小国で、和紙を漉いていらっしゃいます。
これもそうなのかなあ。
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あのなかじんさんも、小国で紙を漉いて、銘酒久保田のラベルを作っていたとか。皆さん、なかじんさんこと中島さんをよくご存知でした。実はなかじんさん、劇団群馬中芸とは古いお付き合いだってハナシ、したことあったけなあ。
よくわかんないからなかじんさんのサブカテゴリを作りました。

“コッペパンはきつねいろ”
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あの頃は思いもよらなかった。まさかこんなことになろうとはねえ。
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いなほ保育園から、たくさんの子どもたちが、あつこのお祝いにやってきた。
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園児や、卒園した子どもたちの出し物が続く。
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アイヌの歌と踊りは本格的です。
沖縄は……
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ちょっと嘘っぽいなあ。
韓国は……
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知識がないので判断不能。

おじさんとしてはね、群馬中芸の役者さんたちにもっともっと表に出てきてもらいたかったのだけれど。まるで貸し小屋のスタッフみたいだったのがちょっと残念だったんだ。なんでなんだろうって、少し考え込んじゃった。群馬中芸という劇団のあり方。

でも、今日はきっとこれでいい。
披露宴の主役はお嫁さんだから。
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あのあつこがお色直しなんかするんだから。
あつこが一番祝ってもらいたいのは、きっといなほの子どもたちなのだろうから。

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カテゴリ: アイヌ
昨夜の10時からでした。どなたかご覧になった方はいらっしゃいますでしょうか、こんなTV番組がありました。

ETV特集「あるダムの履歴書~北海道・沙流川流域の記録~」

番組の内容を詳しくお知りになりたい方は下記サイトへ 。
2010年2月7日(日)第303回「あるダムの履歴書」の番組解説をご覧ください。
 ⇒http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum…

ただ僕は、とめどなく涙があふれて仕方がなかったのです。
アイヌのこと、二風谷のこと、萱野茂氏のこと…
それらは「社長とは呼ばないで」に、少しづつ綴っています。
例えば…
 ⇒萱野茂「アイヌの碑」
 ⇒着いた日のこと

「社長とは呼ばないで」は、遅々として進まないブログではありますが、これからも必ず続けて書いていきます。この“MAPafter5”をやめる事はあっても、「社長とは~」はやめません。めでたく社長の任を解かれたら、「もう社長ではありません」という題名に変えてでも続けます。その中のカテゴリー、「アイヌのこと」を是非お読み頂きたいと思うのです。
 ⇒「アイヌ」のこと

その「アイヌのこと」に書くつもりのなかったいくつかのこと。
1986年から2年間、僕は沙流川のアイヌの伝説を基にした芝居の主演を務めていました。その最期の公演を終えて、僕は観客に向かってこう語りかけました。
「今、沙流川に大きなダムが作られようとしています。そして、アイヌの聖地が失われようとしている。本当にダムを作ることが必要なのでしょうか……」

あれから二十数年、あの美しかった沙流川は死にました。ダムも、建設当初から一部の学者が指摘していたように、完成からわずか5年で土砂に埋もれ、その機能を失いつつあります。

その芝居で共演していた女性が、沖縄出身の、今の僕の妻です。
萱野茂さんは、アイヌ式の結婚式を開いてあげようとおっしゃってくださったのですが、シャモ(大和の人間)である我々には荷が重く、お断りしました。

その時に、二風谷の工房の方に記念に彫っていただいたアイヌの俎板を、久しぶりに引っ張り出してきました。
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使わなければいけないよと言われていたのに、もったいなくて結局一度も使っていない。間違っていた、と、僕は今、思っています。

俎板の側面には、「二風谷」と掘られています。
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YUSUKE氏に借りたNIKONで撮ってみたのですが、うまくいきません。
そうだ、事務所に持っていって、五味さんに撮ってもらおう…

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「五味さん、ここに彫ってある文字を撮りたいのだけれど…」

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なるほどねえ…
そういえば昨日は北方領土の日でした。
二風谷の民宿で一緒になった外国の青年が言っていた言葉を思い出しました。
「北方領土を返せ、しかし日本にではなく、アイヌの人々に」

それが僕の「沖縄」の始まりでもあったのです。
 ⇒「社長とは呼ばないで」の「沖縄のこと」

一週間実験延長決定。
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この日の五味さんのブログ

20年前からの、たまりにたまった新聞の切り抜き。
でっかい段ボールふたつに一杯。
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沖縄8割、アイヌ1割、その他1割くらい。
ボチボチ、整理しようかなと。

ペラペラとめくっていると、時を忘れる。

若き大城立裕氏を見つけたり。
喜那昌吉氏と萱野茂氏が対談していたり。(まさかこのふたりが国会議員になろうとは、当時は考えられませんでした。)

萱野茂氏の記事ふたつ……
http://lince.jp/mugon/kaeruhi…
http://lince.jp/mugon/ainunoisibumi…

それから、皆さん覚えていらっしゃいますでしょうか。
朝日新聞の損傷サンゴ捏造事件。
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上が1989年4月20日の「K・Yって誰だ」というコラム。
この記事が記者の捏造であることが発覚し、いろいろあって、下がサンゴの回復状況を報告した10月27日の記事です。

それから20年、このサンゴ、今どうなっているんだろう。

その他の記事も、いずれ機会があればご紹介します。
(高山正樹)


4月22日水曜日: 織物工房“しよん”

昨日21日のご報告です。
おきなわワールドにて。

あらためて、織物工房“しよん”です。
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左から、喜久村敦子さん、牧山昌子さん、そして長池朋子さんです。
今日からM.A.P.の正式な仲間です。

「しよん」のカテゴリを作りました。
http://lince.jp/hito/okinawamap/monodukuri/siyon

皆様、よろしくお願いいたします。

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詳しいご紹介は、近日中に。

しよんのそばに咲いていた「オオベニゴウカン」
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マメ科の花。赤い綿のよう。不思議。
花が終わると、木苺みたいな実になるのです。

花は咲きました。後は実をつけるのです。なんとしても。


それから…

紙漉き工房「紙芳」
前回の訪問の時の記事

こちらは会社組織なので、クリアしなければならなことが多いのです。

今日の「海」
アイヌ犬「海」

これ、いいよねえ…
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» 続きを読む

4月15日水曜日: 成井俊美さんのご紹介

宮城巳知子さんの「ずいせん学徒隊」の挿絵をお書きになった成井俊美さんが、喜多見の事務所までおいでくださいました。
巳知子さんの御長女のご主人でいらっしゃいます。つまり、宇夫方路の琉球舞踊の仲間、宮城文子さんの義理のお兄様ということです。

ウチナームコのツーショットです。
成井俊美さんと(ウチナームコのツーショット)
沖縄の妻を持つヤマトの男でなければ分からないような、「それそれ、それ、ありますよねえ」という話がたくさん。

内地には、京都文化の亜流しかない、それを相対化できるような、京都文化に拮抗する文化は、この日本の中では琉球文化を措いて他にはないと、成井さんは語られました。
「京都文化の亜流しかない」という点については、アイヌ文化や、その他の地方文化についても不勉強なので、僕の意見は保留しますが、沖縄が大和を相対化するということは、全くその通りだと思うのです。われわれ「大和」の人間は、「沖縄」を鏡として、自らを常に見つめていかなければならないと思うのです。

その素晴らしい「琉球文化・沖縄文化」を、大和はどのように受け入れていくべきなのか、また、沖縄の人たちがその「文化」を「内地」に向けて発信していくことに、我々のような人間が協力できることはないのだろうか、話は尽きません。

しかし、沖縄の人たちだけでは、なかなか困難なのではないかという成井さんの語られる言葉は、様々な経験が背景にあって、とても重いものがあります。沖縄の若者たちにも、できれば素直に耳を傾けてもらいたいようなお話だと思うのです。

出る釘は打たれる、伝統という名目に固辞して、新しいものを受け入れようとしない、とても閉鎖的な一面が沖縄にはある……

我々のような「よそ者」は、無責任にそんな批評もするのだけれど、沖縄の若者たちは、沖縄を愛していればいるだけ、沖縄の地で一生暮らしていこうとしているわけで、そこで「我」を主張して生き難くなるようなことは慎しみたいと思うだろうことはよく理解できるのです。しかし、そこを打破しなければ、新しいことは、全て「内地」の根無し草たちに持っていかれてしまうでしょう。
なんとしても、古いシガラミを断ち切る勇気を持って欲しいと、ふたりのおじさんは思うのでした。

成井俊美さんは大先輩(失礼?)、今後、教えていただきたいことがたくさんあります。また、ご一緒できる「仕事」も、探っていきたいと思います。

「ビジネスにしなければいけないのです」

ビジネスについて、注釈なしに同意できることは、とてもうれしいことです。

成井様、これから、どうかよろしくお願いいたします。
(4/22投稿)

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高山正樹 Masaki Takayama
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