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インターネットの情報に疲れています
検索エンジンのシステムがブラックホールというのも頂けません。

ところで、M.A.P.after5はなんでもかんでもごちゃ混ぜのおもちゃ箱、そこからやがてピックアップされ、カテゴライズされた情報を、暫時Officialなサイトに公開していくという、当初の基本方針は変わりません。
http://lince.jp/hito…
(おまけ⇒http://lince.jp/mugon/shounin…

しかし、その元ネタは、やっぱりきちんとしたものでありたいという至極当たり前のことを、あらためて気をつけていこうと思っています。

だから、このところ、毎日勉強です。
勉強中

そういう姿勢を理解し応援してくださる方々もいらっしゃるわけで、ありがたい限り、國吉眞正さんから、このような本が届きました。
「沖縄語の表記について」
表記の統一と沖縄文字の導入(ご提案)
沖縄語の表記について

國吉さん。ありがとうございました。
一生懸命、でも楽しんで勉強しています。

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山猫合奏団も参加した川崎・しんゆり芸術祭2009ですが、今日はアートセンター“アルテリオ”小劇場へ、津嘉山正種さんの「人類館」を観に行きました。
青年座のホームページの記事
青年座のブログの記事

青年座へ追加納入する“人類館”のCDを持参。
さっそくロビーで販売。
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他の“おきなわおーでぃおぶっく”のCDも売ってくださいました。感謝です。

売れてるかしら、と真顔の宇夫方路。
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売ってくださっている青年座の小笠原さんのお顔と、この日の舞台についてはおきなわおーでぃおぶっくのOfficial_Blogで……

“人類館”のCDを制作するきっかけを下さったふじたあさや先生もいらっしゃっていました。(ちなみにあさやさんのカテゴリも作っちゃいました。)
ふじたあさや先生
あさや先生は「しんゆり芸術祭」の総合プロデューサーです。
3日の山猫合奏団の公演について、「評判いいよ」とおっしゃって下さいました。
事務局の方からも、「ありがとうございました。大変いいものを見せていただきました。またお願いいたします」と、とてもうれしいお言葉を頂きました。こちらこそ、ほんとうにありがとうございました。

4月 2日木曜日: 喜多見と狛江と川崎と

昨日の4月1日、山猫合奏団のブログのほうで、「多摩人」という地域雑誌に“どんぐりと山猫”が紹介されたことをご報告しました。
http://lince.jp/lince/topics…

今日も、K-pressというインターネット情報誌の取材がありました。やっぱり、このあたりの地域情報を発信しているメディアです。
取材されながら、むしろこちらがたくさんの地域情報をご教授いただくことになりました。

ここ一年で、やっぱり全国紙に掲載されないと、大きな効果はないと痛感しているのですが、しかし一方で、一歩一歩進んでいくしかないのだとも思っています。
喜多見のことも、世田谷のことも、狛江のことも、川崎のことなんか特に、まだまだ知らないことばかりです。

考えてみれば、例えば沖縄は130万県民。世田谷だけで80万人くらい住んでいるのですから、それに川崎や多摩地区を含めれば、その人口は沖縄をあっさり越えてしまいます。
沖縄を丹念に歩いているように、私たちの足元にも、もっと細やかに目を向けていかなければいけないのだと、あらためて思った今日なのでした。

2月 6日金曜日: 沖縄出張6日目のお昼

おもろまちのDFS(デューティーフリーショッパーズ)ギャラリア3Fにあるフードコロシアム。大きいフロアの中央にオープンキッチンがあって、200種類の世界の料理が並んでいます。ちょっと楽しいのです。
テラスもあります。
フードコロシアムのテラス
この季節、とても気もちがいいのです。

でも…

テラスから、道を隔てた向こう側に高台が見えます。
高台の排水池
白い建造物は排水池。要するに大きな水槽ですね。おもろまちに住んでいる人たちは、この巨大水槽の恩恵を受けているのでしょうか。もう各家庭で水タンクを設置したりしなくてもいいのかな。

「上がっていく階段の入口には、何の表示もないのですが」
「何があるの?」

フードコロシアムを出て、金城君に案内してもらって、その階段を登ってみることにしました。
先ほどまでくつろいでいたテラスが見えます。
デューティーフリーショッパーズ

階段を登りきると、見晴らしのいいスペースがあって、そこにはこんな案内板が。
慶良間チージ(シュガーローフ)の案内
この辺り一帯が、シュガーローフという場所であったことを記すプレート。つまりここは、沖縄戦史上最も熾烈といわれたシュガーローフの戦いが繰り広げられた場所だということなのです。

その記憶が刻まれたこの土地が、開発によってどんどんと平坦にされていきます。

排水池から見た街
排水池のあるこの高台だけは、その地形が残っているように見えますが、元来ここはこんもりとした丘ではなく、なだらかな丘陵だったのです。つまり排水池の箇所だけ高さを確保して、その周辺は削り取られたということのようです。

近くにあるハーフムーンの丘も、開発され崩されていきます。
今、多くの沖縄の若者たちは、まだたくさんの遺骨が眠っているであろうこの土地が、このように惨たらしく昔の姿を失っていくことに、その心を痛めているのです。
インターネットで検索すれば、いくらでも情報を得られる時代です。どうか一度、調べてみて、知って欲しいのです。

それをしてくださるということを前提にして…
御幣を恐れず、今僕の頭に去来した色々なことをお話ししたいと思います。気楽なコメントが全く頂けなくなることを覚悟の上で。

今僕は、神奈川県で、川崎市の分譲した土地に住居を構えています。周りには緑が多い。その森が、やはり開発によって少なくなっていきます。僕は、出来ることならその森を残して欲しいと思っています。しかし、今僕が住んでいる土地を、市が分譲のために開発をはじめる時、近隣の人たちはいったいどう思ったのでしょうか。

また…
かつて、首里城が復元される前、首里の丘に首里城建設に反対するたくさんのビラが貼ってあるのを見たことがあります。
その後、沖縄料理を出す東京の居酒屋で、沖縄県人会の会長さんが、首里城はニライカナイの心だと、その復元を大変喜んでおられた。僕はその方に、首里城はオボツカグラではないですかと生意気なことを言ったのです。ニライカナイは海の彼方にある庶民的なあの世、オボツカグラは天上にある権威的な他界のこと。それまでご機嫌麗しかった会長さんの顔はいっぺんに曇り、「お前はなんにもわかっとらん」と、若き僕は叱られました。

地上戦の後の、この一帯の写真などを見ると、建造物はおろか木々すらも全くない焼け野原です。しかし、辛うじてその土地の形だけは残っているように見えます。その地形を、今誰かが変えようとしているわけですが、しかし、あのベトナムは、爆薬のみによって、その国土の全ての地形が、すっかり変えられてしまったのだと聞きました。もしかすると、ベトナムのお年寄りたちの故郷の山並みは、記憶の中にしか残っていないのかもしれません。悲惨さを比べて勝ち負けを競うことに、何の意味もないことは分かっています。ただ、何故か僕は、そのことを思い出してしまったのです。

間違っていたら教えてくださいね。

ヤンバルの森のこと。20年前に聞いたことです。アメリカが実弾軍事演習に使っていた森のこと。緑は弾薬によって傷つけられてはいるが、もしその土地が返還されたら、たちまち本土の資本がやってきて、あの自然は完全に失われるだろうという話。

同じ理由で、北方領土が還ってくれば、瞬く間に貴重な自然が失われていくでしょう。いったい今の日本人のうち、どれだけの者が、真剣にアイヌの人々に、「北方領土」と呼ばれている土地を返す可能性を考えているのでしょうか。

沖縄の旅も、残すところあと僅かです。数時間後には飛行機に乗ります。
もう少しだけ、どうかお付き合いくださいますよう。
(文責:高山正樹)
旅の続きへ



毎年新百合ヶ丘で行われる恒例の麻生区芸能協会の発表会。
今年は新百合21多目的ホールで行われました。トリは関りえ子琉球舞踊研究所。関りえ子さんは高山正樹の奥方の親友で宇夫方路は関りえ子先生の一番弟子なのです。
宇夫方路が講師を務めている厚木カルチャーセンターとJIN DANCE FACTORYの生徒さんたちも「関りえ子琉球舞踊研究所」の門下生として、「四ツ竹」で初舞台を踏みました。
今回は関りえ子先生と同門の中村志津子先生(毎月沖縄から教えに来ていらっしゃいます)の東京の生徒さん5名に協力をお願いして、一緒に踊って頂きました。

一緒に舞台を踏んだメンバーと関先生です。
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舞台の進行が早くて、思ったよりも早く出番が来てしまいました。みんなリハーサルも心の準備もできないうちに本番を迎えることになってしまったのですが、何とか幕を降ろすことができました。初舞台としては合格点かな?

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厚木カルチャーからは5名が出演。前列左から知念さん、西里さん、後列左から城戸さん、安藤さん、山田さん。みんなとってもがんばりました。
あと一人、増田さんという方がいらっしゃるのですが残念ながら増田さんはクラス会で沖縄に帰っているため、出演できませんでした。次回はぜひとも一緒に舞台を経験しましょう。

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こちらはJIN DANCE FACTORY佐藤さん(左)と片野さん(右)です。片野さんは関先生のところで宇夫方と一緒に稽古をしていましたが、足首の骨を折ってからずっとお休みをしていました。現在JINさんの教室でリハビリ中。佐藤さんは一度沖縄に遊びに行ってすっかりはまってしまったということで今年の7月から踊りを始めました。関先生からなかなかすじがいいと太鼓判を押されました。ううん!宇夫方責任重大です。



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高山正樹 Masaki Takayama
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