「テンション高い大人数で飲むのが苦手でさ」
そんな屈折男に付き合ってくれた面々。
モスクワカヌ null
実はこの記事、3月30日に書いている。だからこの日、いったい何を喋ったのか、もうさっぱり覚えていない。

「市民」が主役になる方途について、いよいよ語り始めようと思ってはいるのだが。

しかし時間がない。今日はこれから山猫合奏団の合わせ。夜は沖縄語の勉強会。なんとかして2~3日中には必ず書く。
(3/30)

……なんて嘘ばっかり。もうちょっと待って。
(4/11)

……もう、全然嘘。とりあえず、この日の役名紹介だけはやっとこう。居酒屋で撮影した画像の真ん中の眼鏡の女性は南敦子さん。里の子供あやを演じます。彼女は標準語と関西弁のバイリンガルです。(実は小生、関西弁を使う女性に……)
これで小生の参加した稽古後の「飲み」は12回目となりました。役名紹介はこれで14名です。
(4/27)

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【川崎市民劇2順目の報告その1】
(2011年6月12日に記す)
大人数で飲むことが好きだとか嫌いだとか、意識なんかしたことはない。だが今回は何故か辛かった。
でも、今となってはそんなことはどうでもいい。なにもかも、3月11日から狂ってしまった。あの日以来、僕は、市民劇について沈思黙考し、たどり着いた想念を丹念に文章に起こしていくという辛抱強さを失ってしまったのである。

それから三ヶ月、決して萎えた気力が復活したわけでもないのだが、6月7日の制作主催のちょっと間の抜けた打ち上げの記事を書き終えたので、お約束の2順目の連載を、なんとか匍匐前進するみたいに始めてみることにした。

しかし、まずここまでの記事を読み直して、何をどう書いていたのかを思い出さないと、どうも続きが書けそうにない。

その1。「源平交代」という「歴史」から、源頼朝と稲毛三郎重成と畠山二郎重忠だけは自由であった。
 ⇒ 「枡形城・落日の舞い」仮想演出ノート(1)

その2。頼朝は北条の謀略によって殺された。たとえそれが史実でないにしても、それが歴史の真実である。でも、なんだか気に入らない結論だ。
 ⇒「枡形城・落日の舞い」妄想演出ノート(2)

その3。頼朝は平家の怨霊によって殺されたのである。それは北条の謀略となんら矛盾するものではない。それは単なる怨霊の棲家の違いだ。
また、頼朝の前に「源平交代」の歴史はなかった。壇ノ浦で平家が滅ぼされた時から「源平交代の歴史」が始まった。稲毛三郎重成と畠山二郎重忠が殺されたのは、この「源平交代の呪縛」に抗い、自由であろうとしたからである。
 ⇒古の歴史の真実

なるほど。だがその上で、「歴史からの自由」というここまでの到達点について自ら疑い、次の段階へ行こうとしていたらしい。少しづつ思い出してきた。

また、この前の記事では、ふじたあさや氏のツッコミをさらりとかわした古屋和子さんのことを書いた。
 ⇒ストーリーテラー《物語りたいことを物語る》
それまで「平家物語は息だ」と語っていた古屋さんが、「なんでもあり」と開き直ったどんでん返し。それをさらりと受け取ってしまういい意味(?)でのあさやさんのいい加減さ。
きっと「息」とは、歴史を抱え込んだ言霊と密接に関係している。無意識の領域にある一見非論理的な何物かとの交信である。「息」は、これまで述べてきたイントネーションにも通じることだ。

しかし、はたしてここでいう「歴史」とは何なのか。その「歴史」から本当に自由であったのはいったい誰だったのか。ここに「市民」が主役になる方途があると、この時僕は考えていたのである。

それにしても、この日どんな稽古をしたのかは全く記憶なし。2順目で追記しなければならない記事は、この先まだまだたくさんあるのにどうしよう。憶えているネタもあるにはあるが、書くにはちょいと憚られる。なので、あんまり書きすぎると手詰まりになって余計な言わんでもいいコトを言っちまいそうなので、今日のところはこのくらいでおしまい。
ボチボチいきまっさ。

【おまけ】
この日、神野美奈実さんが“のらぼう”を茹でてきて、みんなに食べさせてくれました。
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感想は、普通。この頃の神野はまだおとなしかった。
大震災の半月前のこと……