10/09/29 : 経堂散策の記
カテゴリ: M.A.P.縁の人たち
【今日呟いたこと……】
11:34
M.A.P.で働いてくれているあるミュージシャンの話。2年後には音楽のダウンロードは全てタダになる。そうしないレーベルは潰れるだろう。今の若者は音楽で大金が稼げるとは全く考えていない。僕は考えた。時代はライブ。そしていいCDは、細々とだが、きっとしっかり残るに違いない。
経堂。
高山正樹が生まれ育った町である。だからといって、そんなことは当ブログとは関係がない。
しかし、山猫合奏団のブログに、つい昔の写真などをアップして、タイミングよくたまたま今日経堂くんだりまで行ったものだから、なるたけM.A.P.after5っぽいものを拾って記事にしてみよう。
さていい飲み屋はないものかと界隈をうろつく。
まずは経堂駅の北側、すずらん通り。
おや、どこかで見たような。

喜多見の魯園菜館とそっくり。「魯」の字を「豫」の字に変えて「豫園菜館」。ルビは「ロエンサイカン」のママ。
そういえば先日久しぶりに行った時に、マスターが4軒やってた店を大変だから2つにしたって言ってたっけ。ここがきっとそのやめた店のひとつなんだ。
呉服屋さん。もう閉まっていたがこんな張り紙がしてあった。

沖縄の染織家の展覧会を開いていたシルクラブのことを思い出した。
権威を失った西陣織のことも。
目ぼしい店が見つからなくて、(北じゃなくて)南の農大通りへ向かう。
クレープ屋さん。

ここはもともとは大黒屋という行きつけの居酒屋だった。高校からの腐れ縁の連中とよく飲んだ。
ある日、店がガラッと変わっていた。いつもカウンターの中で商売物の酒をあおっていた店のオヤジが(といっても今のボクよりずっと若いのだが)、白い洒落たキャップを被って女子高生と喋っていた。つまらなそうに。
ボクも、つまらないと思った。
こんな店があるんだな。知らなかった。

でも今は身体のメンテナンス中。いくら沖縄でもホルモンは遠慮しておこう。
この道をこうして歩くのは何年ぶりだろう。
ボクはこのパチンコ屋でアルバイトをしていた。

こういう名前だったかどうかは憶えていない。なにしろ30年以上も前のことだ。
オーナーらしき人は正体不明の美女だった。いつも黒いワンピースを着ていた。
2階の部屋に住み込んでいたイワクありげの30前の男に、閉店後、釘の見極め方を教わった。次の日の休憩時間に、今はもうないが、近くにあったもう一軒のパチンコ屋で腕試しをした。アルバイト代よりも、そっちのほうが稼ぎがよかった。
このパチンコ屋で、ボクは初めて楠定憲氏と話した。楠さんはよくこの店に打ちに来た。ボクがパチンコ台を開ける鍵の束をジャラジャラと人差し指の先で回しながらホールを歩いていると、楠さんは出る台を教えろとセコイことをボクに言った。ボクはそれは出来ねえと、やっぱりセコイことを答えた。
鳥八はちっとも変わっていない。

ココには楠さんとほんとによく飲みに来た。学生時代から、卒業してもずっと。
そうして、ようやく入った店は……
それは別途記事で書くことにする。
11:34
M.A.P.で働いてくれているあるミュージシャンの話。2年後には音楽のダウンロードは全てタダになる。そうしないレーベルは潰れるだろう。今の若者は音楽で大金が稼げるとは全く考えていない。僕は考えた。時代はライブ。そしていいCDは、細々とだが、きっとしっかり残るに違いない。
経堂。
高山正樹が生まれ育った町である。だからといって、そんなことは当ブログとは関係がない。
しかし、山猫合奏団のブログに、つい昔の写真などをアップして、タイミングよくたまたま今日経堂くんだりまで行ったものだから、なるたけM.A.P.after5っぽいものを拾って記事にしてみよう。
さていい飲み屋はないものかと界隈をうろつく。
まずは経堂駅の北側、すずらん通り。
おや、どこかで見たような。
喜多見の魯園菜館とそっくり。「魯」の字を「豫」の字に変えて「豫園菜館」。ルビは「ロエンサイカン」のママ。
そういえば先日久しぶりに行った時に、マスターが4軒やってた店を大変だから2つにしたって言ってたっけ。ここがきっとそのやめた店のひとつなんだ。
呉服屋さん。もう閉まっていたがこんな張り紙がしてあった。
沖縄の染織家の展覧会を開いていたシルクラブのことを思い出した。
権威を失った西陣織のことも。
目ぼしい店が見つからなくて、(北じゃなくて)南の農大通りへ向かう。
クレープ屋さん。
ここはもともとは大黒屋という行きつけの居酒屋だった。高校からの腐れ縁の連中とよく飲んだ。
ある日、店がガラッと変わっていた。いつもカウンターの中で商売物の酒をあおっていた店のオヤジが(といっても今のボクよりずっと若いのだが)、白い洒落たキャップを被って女子高生と喋っていた。つまらなそうに。
ボクも、つまらないと思った。
こんな店があるんだな。知らなかった。
でも今は身体のメンテナンス中。いくら沖縄でもホルモンは遠慮しておこう。
この道をこうして歩くのは何年ぶりだろう。
ボクはこのパチンコ屋でアルバイトをしていた。
こういう名前だったかどうかは憶えていない。なにしろ30年以上も前のことだ。
オーナーらしき人は正体不明の美女だった。いつも黒いワンピースを着ていた。
2階の部屋に住み込んでいたイワクありげの30前の男に、閉店後、釘の見極め方を教わった。次の日の休憩時間に、今はもうないが、近くにあったもう一軒のパチンコ屋で腕試しをした。アルバイト代よりも、そっちのほうが稼ぎがよかった。
このパチンコ屋で、ボクは初めて楠定憲氏と話した。楠さんはよくこの店に打ちに来た。ボクがパチンコ台を開ける鍵の束をジャラジャラと人差し指の先で回しながらホールを歩いていると、楠さんは出る台を教えろとセコイことをボクに言った。ボクはそれは出来ねえと、やっぱりセコイことを答えた。
鳥八はちっとも変わっていない。
ココには楠さんとほんとによく飲みに来た。学生時代から、卒業してもずっと。
そうして、ようやく入った店は……
それは別途記事で書くことにする。

白石准さんのコメント
でもこれがおじさんの密かな楽しみ。