3月29日月曜日: 京都は雪(そして深夜に追記したのです)
再び、京都へ。

今、京都は、雪です。
雪、見えますか?

この道の向こう側には、鴨川があります。

30年ほど前、深夜、したたか飲んでここで泳ぎ(溺れ?)、同志社大学の教室に忍び込んで机を並べ、その上に新聞紙を敷いて寝たのです。
雪は、どんどんと降ってくる。

今にも咲きそうだった桜の蕾たちが震えています。
こんなお店を見つけました。

中国菜“燕燕(えんえん)”

料理は、説明し難き旨さ。これから、必ず毎回訪れよう。
注文した酒は……

何故、紹興酒を頼まなかったのだろう。
過去からも、仕事からも、そして沖縄からも、なかなか逃れられないらしいのです。
今、京都は、雪です。
雪、見えますか?
この道の向こう側には、鴨川があります。
30年ほど前、深夜、したたか飲んでここで泳ぎ(溺れ?)、同志社大学の教室に忍び込んで机を並べ、その上に新聞紙を敷いて寝たのです。
雪は、どんどんと降ってくる。
今にも咲きそうだった桜の蕾たちが震えています。
こんなお店を見つけました。
中国菜“燕燕(えんえん)”
料理は、説明し難き旨さ。これから、必ず毎回訪れよう。
注文した酒は……
何故、紹興酒を頼まなかったのだろう。
過去からも、仕事からも、そして沖縄からも、なかなか逃れられないらしいのです。
(高山正樹)
3月20日土曜日: 基地を反対するとCHIKIになる
& コンサート【古謡と沖縄音楽の近代化】
夕方、沖縄に行った宇夫方女史から画像が届きました。
浦添市のてだこホールです。

3月2日の記事にちょっと書きましたが、井上真喜ちゃんが出演するのです。
~山内盛彬生誕120周年記念コンサート~
“古謡と沖縄音楽の近代化”

もうとっくに終っている時間なのですが音沙汰なし、きっとどっかで飲んだくれているのでしょう。
【追記1】
他の画像が届きました。
一緒に飲んだくれているのは、やっぱりこの人らしい。
井上真喜ちゃん。ジーファーを挿してますねえ。

【追記2】
続いて、宇夫方路の画像に関するコメント到着。
てだこホールの小ホールです。
こじんまりして、客席も後ろが高くなって見やすいし、いい感じ。
ここで山猫合奏団のコンサートができたら最高ですね。
まきちゃんの写真は終演後のまきちゃんです。
肝心の公演はどうだったんだ?
後ほど、宇夫方路さんにコメントさせましょう!
【追記3】
宇夫方路の報告第2弾です。


公演が終わって、なかじんさんとまきちゃんとご飯。
ななしん屋の先にある呑喰屋“CHIKI” 自然食を使った沖縄のレストランチェーン“だいこんの花”から独立した店長さんが最近はじめたお店です。
写真は温野菜と島豆腐もち、他に大根のポトフとポテトフライとリゾットを食べました。
沖縄レポートとしては一番重要な島豆腐もちがピンボケで使えねえ。ポテトフライ食ったなんて報告、どうでもいいよねえ……。
【追記4】
宇夫方報告第3弾“ななしん屋”
やっぱり一軒じゃ済まなかったらしい。

手前の男性は県立芸大美術工芸学部教授の丸田憲良さん。陶芸家でいらっしゃいます。京都伏見のご出身。天皇・皇后陛下に天目茶碗を献上という経歴の持ち主。
なかじんさん曰く、「この人の焼き物はいいよ、見せてもらいなよ」
名刺を戴いて、次回は是非とも伺うお約束をしました。
写真の一番奥の方は、近くにお住まいの与那覇さんです。
(よく見えませんが、与那覇さんの表情の変化がとても面白いので2枚のっけちゃいました。)
オマケ。「今日のなかじんさん」

⇒前回のなかじんさん
浦添市のてだこホールです。

3月2日の記事にちょっと書きましたが、井上真喜ちゃんが出演するのです。
~山内盛彬生誕120周年記念コンサート~
“古謡と沖縄音楽の近代化”

もうとっくに終っている時間なのですが音沙汰なし、きっとどっかで飲んだくれているのでしょう。
【追記1】
他の画像が届きました。
一緒に飲んだくれているのは、やっぱりこの人らしい。
井上真喜ちゃん。ジーファーを挿してますねえ。
【追記2】
続いて、宇夫方路の画像に関するコメント到着。
てだこホールの小ホールです。
こじんまりして、客席も後ろが高くなって見やすいし、いい感じ。
ここで山猫合奏団のコンサートができたら最高ですね。
まきちゃんの写真は終演後のまきちゃんです。
肝心の公演はどうだったんだ?
後ほど、宇夫方路さんにコメントさせましょう!
【追記3】
宇夫方路の報告第2弾です。
公演が終わって、なかじんさんとまきちゃんとご飯。
ななしん屋の先にある呑喰屋“CHIKI” 自然食を使った沖縄のレストランチェーン“だいこんの花”から独立した店長さんが最近はじめたお店です。
写真は温野菜と島豆腐もち、他に大根のポトフとポテトフライとリゾットを食べました。
沖縄レポートとしては一番重要な島豆腐もちがピンボケで使えねえ。ポテトフライ食ったなんて報告、どうでもいいよねえ……。
【追記4】
宇夫方報告第3弾“ななしん屋”
やっぱり一軒じゃ済まなかったらしい。
手前の男性は県立芸大美術工芸学部教授の丸田憲良さん。陶芸家でいらっしゃいます。京都伏見のご出身。天皇・皇后陛下に天目茶碗を献上という経歴の持ち主。
なかじんさん曰く、「この人の焼き物はいいよ、見せてもらいなよ」
名刺を戴いて、次回は是非とも伺うお約束をしました。
写真の一番奥の方は、近くにお住まいの与那覇さんです。
(よく見えませんが、与那覇さんの表情の変化がとても面白いので2枚のっけちゃいました。)
オマケ。「今日のなかじんさん」
⇒前回のなかじんさん
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3月18日木曜日: M.A.P.琉舞教室稽古場風景
《宇夫方路の報告を高山正樹がつっこむの巻》
(宇夫方路)M.A.P.カルチャー狛江琉球舞踊教室を終えて事務所に戻る途中。お腹すいたからセブンイレブンへ。
16日からセブンイレブンのお米が変わったそうです。
そこで、一番味が分かりそうな塩むすびを買ってみました。

(高山正樹)それがどうしたの…
(宇夫方路)今日は厚木と狛江の教室で話題がいっぱい。いっぱい過ぎて、だからとりあえずおにぎりのはなしでお茶を濁しちゃったのです。
(高山正樹)しょうがねえなあ。じゃあ僕の詰まらないも報告しちゃおう。今日、昭文社に行って、近くのそら庵に寄って、こんな本を100円で買ってきました。
「京都人は日本一薄情か 落第小僧の京都案内」という新書です。なかなか面白そう。
(宇夫方路)おんなじ詰まらないハナシでもセブンイレブンは喜多見のはなし。でも、京都じゃあM.A.P.と全然関係なくありませんこと?
(高山正樹)最大のミステリーと、ちっぽけなミステリーと、至極私的なこと。今のところは。それより早くそちらの話題を教えてよ。
(宇夫方路)今、頑張って報告を書いていますから、もう少々お待ちを……
Z Z Z Z z z……
あらためて……
(※青字の突っ込みは高山正樹です!)
【まずは厚木教室の報告】
厚木教室では、「かぎやで風」と「四ツ竹」と「貫花」を稽古しました。「かぎやで風」と「四ツ竹」はかなり踊れるようになりましたが、「貫花」はまだまだこれからですね。11月に舞台を踏もうと、みんな頑張っています。
前回の稽古日に、お母さまのとしびー祝いの引き出物をお土産にくださった安藤さんに、お母さまの御歳を伺いました。85才のお祝いだったそうです。
※沖縄語を話す会に通ってるんだからさ、「としびー」ではなく「トゥシビー」と言いましょう。それから、85才のお祝いということは、7度目のトゥシビーでいらしたということですね。実におめでたい。
「日本では88歳のお祝いもあるけど、沖縄では次の大きいお祝いは95歳のかじまやーです。『かじまやー』とは『風車』のことで、風車を持って町を歩くんです。」と安藤さん。
ん? あれ? ちょっと待って? 「かじまやー」って95歳だっけ?
※えーとね、まず「かじまやー」は97歳です。97歳のトゥシビーを特別に「かじまやー」っていうんだよね。でも、正月にはやらないで、旧暦の9月7日にやるのです。
それから、沖縄にも米寿はあります。こちらは旧暦の8月8日で「トーカチ」といいます。これらについては下記記事に詳細資料を追記したので興味があったらどうぞお読みください。
⇒http://lince.jp/hito/okinawamap…
ついでに、沖縄に米寿はあっても喜寿(77歳)や白寿(99歳)はありません。
さらにです。カジマヤーの語義ですが、97歳にもなれば子どもに還って風車で遊ぶからとよく説明されますが、カジマヤーには風車の他に十字路という意味もあり、古くは七つの十字路を巡る儀礼があったとか。そこからきているのではないかという説もあるのです。
「女の子の最初のとしびーのお祝いは13歳ですよね。」
「とっても大きいお祝いだったですよ」
そこで私は「喜多見で沖縄語を話す会」で高山氏から聞いた話を披露しました。
「昔は女性がお嫁に行くのが早かったから、13歳のお祝いは実家でする最後のお祝いだったんですって。だからとても大きいお祝いだったそうですよ。」
「あ、そうなんですかあ」
「でも今は次のお祝いのときもまだ嫁に行ってない人も多いですよね」
※あのね、男の子も女の子も最初のトゥシビーは13歳なんです。ただ、女の子の場合、13歳を盛大にやるということなのです。
こんな感じで、沖縄出身の人たちでも東京で暮らしていると沖縄の行事がわからなくなってしまうようです。
※宇夫方さん。あなたがそれを助長させちゃあダメだよん。
厚木にはブラジルで生まれ育った沖縄2世(3世かな?)の知念さんがいらっしゃいます。その知念さんによると…
「アメリカでは15歳でお祝いするんですよ」
「成人式なんかはないの?」
「成人式はないの」
住む所によって行事もかなり違いますね。
※読者の皆様。この知念さんコメントについて、M.A.P.は保障をいたしません。というか、宇夫方路女史が、テーゲーに人の話を聞いている可能性がありますので。知念さん、ほんとうに宇夫方さんの報告、間違っていませんか?
【続いてM.A.P.狛江教室の報告】
こちらもまずは「かぎやで風」から。いやいや、読むときは「かじゃでふう」でしたね。
※「かじゃでぃふう」だよ。「で」じゃなくて「でぃ」。
炭屋さんから「かじゃでふう」ってどういう意味ですか、という質問が。
私「さあ、意味は考えたことないなあ。」
炭屋さん「ふう、は風ですよね」
金城さん「御前風(ぐじんふう)とも言いいますよ。伊江島では○○○○って言うのよ」
あら、肝腎な○○○○を忘れちゃった。
※なんたるいい加減な報告!このブログでも「かじゃでぃふーぶし」の薀蓄を書いたことがあります。
⇒http://lince.jp/hito/freetalk…
またまだご紹介していませんが、興味深い異論についての新聞記事を、沖縄語を話す会で配ったでしょう。なーんにも憶えてないんだから。炭屋さん、金城さん、これからも宇夫方さんのこと、よろしくお願いします。
休憩時間に4月3日の「花見の宴」のご案内をしました。
私「せっかくだから、こういう企画は沖縄の行事に合せてやったらいいかもね」
「4月3日は何かないかな」
「清明(シーミー)のころかな」
「じゃあ、花見の宴の横に『シーミー』って書こうか」
「駄目よ、シーミーはお墓の前でやるのよ」
「そうなんだ」
「浜下り(はまうり)は?」
そこでM.A.P.で販売していた旧暦の入った手帳が登場。4月3日は旧暦の2月19日。「シーサーの日」だそうです。
※だからさ、浜下りは4月16日、シーミーは4月18日だよ。そういうのみんなこの日何の日沖縄篇で書きますから。
なんてハナシが弾んでしまいました。
しゃべってばかりいるみたいですが、ちゃんと稽古もしましたよ。
今日は「かぎやで風」「四ツ竹」「繁昌節」の稽古。
4月10日の公演に向けて、頑張ってまーす!
※あんじょうがんばりなはれや、いろいろと。
16日からセブンイレブンのお米が変わったそうです。
そこで、一番味が分かりそうな塩むすびを買ってみました。

(高山正樹)それがどうしたの…
(宇夫方路)今日は厚木と狛江の教室で話題がいっぱい。いっぱい過ぎて、だからとりあえずおにぎりのはなしでお茶を濁しちゃったのです。
(高山正樹)しょうがねえなあ。じゃあ僕の詰まらないも報告しちゃおう。今日、昭文社に行って、近くのそら庵に寄って、こんな本を100円で買ってきました。
「京都人は日本一薄情か 落第小僧の京都案内」という新書です。なかなか面白そう。
(宇夫方路)おんなじ詰まらないハナシでもセブンイレブンは喜多見のはなし。でも、京都じゃあM.A.P.と全然関係なくありませんこと?
(高山正樹)最大のミステリーと、ちっぽけなミステリーと、至極私的なこと。今のところは。それより早くそちらの話題を教えてよ。
(宇夫方路)今、頑張って報告を書いていますから、もう少々お待ちを……
Z Z Z Z z z……
あらためて……
(※青字の突っ込みは高山正樹です!)
【まずは厚木教室の報告】
厚木教室では、「かぎやで風」と「四ツ竹」と「貫花」を稽古しました。「かぎやで風」と「四ツ竹」はかなり踊れるようになりましたが、「貫花」はまだまだこれからですね。11月に舞台を踏もうと、みんな頑張っています。
前回の稽古日に、お母さまのとしびー祝いの引き出物をお土産にくださった安藤さんに、お母さまの御歳を伺いました。85才のお祝いだったそうです。
※沖縄語を話す会に通ってるんだからさ、「としびー」ではなく「トゥシビー」と言いましょう。それから、85才のお祝いということは、7度目のトゥシビーでいらしたということですね。実におめでたい。
「日本では88歳のお祝いもあるけど、沖縄では次の大きいお祝いは95歳のかじまやーです。『かじまやー』とは『風車』のことで、風車を持って町を歩くんです。」と安藤さん。
ん? あれ? ちょっと待って? 「かじまやー」って95歳だっけ?
※えーとね、まず「かじまやー」は97歳です。97歳のトゥシビーを特別に「かじまやー」っていうんだよね。でも、正月にはやらないで、旧暦の9月7日にやるのです。
それから、沖縄にも米寿はあります。こちらは旧暦の8月8日で「トーカチ」といいます。これらについては下記記事に詳細資料を追記したので興味があったらどうぞお読みください。
⇒http://lince.jp/hito/okinawamap…
ついでに、沖縄に米寿はあっても喜寿(77歳)や白寿(99歳)はありません。
さらにです。カジマヤーの語義ですが、97歳にもなれば子どもに還って風車で遊ぶからとよく説明されますが、カジマヤーには風車の他に十字路という意味もあり、古くは七つの十字路を巡る儀礼があったとか。そこからきているのではないかという説もあるのです。
「女の子の最初のとしびーのお祝いは13歳ですよね。」
「とっても大きいお祝いだったですよ」
そこで私は「喜多見で沖縄語を話す会」で高山氏から聞いた話を披露しました。
「昔は女性がお嫁に行くのが早かったから、13歳のお祝いは実家でする最後のお祝いだったんですって。だからとても大きいお祝いだったそうですよ。」
「あ、そうなんですかあ」
「でも今は次のお祝いのときもまだ嫁に行ってない人も多いですよね」
※あのね、男の子も女の子も最初のトゥシビーは13歳なんです。ただ、女の子の場合、13歳を盛大にやるということなのです。
こんな感じで、沖縄出身の人たちでも東京で暮らしていると沖縄の行事がわからなくなってしまうようです。
※宇夫方さん。あなたがそれを助長させちゃあダメだよん。
厚木にはブラジルで生まれ育った沖縄2世(3世かな?)の知念さんがいらっしゃいます。その知念さんによると…
「アメリカでは15歳でお祝いするんですよ」
「成人式なんかはないの?」
「成人式はないの」
住む所によって行事もかなり違いますね。
※読者の皆様。この知念さんコメントについて、M.A.P.は保障をいたしません。というか、宇夫方路女史が、テーゲーに人の話を聞いている可能性がありますので。知念さん、ほんとうに宇夫方さんの報告、間違っていませんか?
【続いてM.A.P.狛江教室の報告】
こちらもまずは「かぎやで風」から。いやいや、読むときは「かじゃでふう」でしたね。
※「かじゃでぃふう」だよ。「で」じゃなくて「でぃ」。
炭屋さんから「かじゃでふう」ってどういう意味ですか、という質問が。
私「さあ、意味は考えたことないなあ。」
炭屋さん「ふう、は風ですよね」
金城さん「御前風(ぐじんふう)とも言いいますよ。伊江島では○○○○って言うのよ」
あら、肝腎な○○○○を忘れちゃった。
※なんたるいい加減な報告!このブログでも「かじゃでぃふーぶし」の薀蓄を書いたことがあります。
⇒http://lince.jp/hito/freetalk…
またまだご紹介していませんが、興味深い異論についての新聞記事を、沖縄語を話す会で配ったでしょう。なーんにも憶えてないんだから。炭屋さん、金城さん、これからも宇夫方さんのこと、よろしくお願いします。
休憩時間に4月3日の「花見の宴」のご案内をしました。
私「せっかくだから、こういう企画は沖縄の行事に合せてやったらいいかもね」
「4月3日は何かないかな」
「清明(シーミー)のころかな」
「じゃあ、花見の宴の横に『シーミー』って書こうか」
「駄目よ、シーミーはお墓の前でやるのよ」
「そうなんだ」
「浜下り(はまうり)は?」
そこでM.A.P.で販売していた旧暦の入った手帳が登場。4月3日は旧暦の2月19日。「シーサーの日」だそうです。
※だからさ、浜下りは4月16日、シーミーは4月18日だよ。そういうのみんなこの日何の日沖縄篇で書きますから。
なんてハナシが弾んでしまいました。
しゃべってばかりいるみたいですが、ちゃんと稽古もしましたよ。
今日は「かぎやで風」「四ツ竹」「繁昌節」の稽古。
4月10日の公演に向けて、頑張ってまーす!
※あんじょうがんばりなはれや、いろいろと。
3月 4日木曜日: やはり京都は恐るべし
《京都【西陣織】のこと》
朝一、桜井篤史の寝首を襲って……

昔の写真を持ち出すという桜井篤史の反則技で、親父の過去が曝露されたりして……
ここに長居すると碌なことがなさそうなので……
早々と懐かしき円町へと向かう。

この川の上の方には西陣があって、染めたばかりの布を川の水で洗っていたから、当時、この川はいつも青や赤に染まって不気味であった。
しかし、西陣織もすっかり様変わりしたらしい。
自動機織機の導入。生産地の移動。品質の低下。それらが西陣織の衰退を招いたのか、あるいはなんとか衰退を止めようとした苦肉の策であったのか。「本当の西陣織とは」、それを恐れずに問うた時、西陣織は「正しく」復活するのかもしれない。しかし、そうなればきっと、一握りの名工たちが「先生」となり、「匠」の作品は芸術となって高値で売られるが、一方、多くの人たちが生活の糧を失うことになる、それが望ましいことなのかどうか。
こんなサイトを見つけた。
⇒http://www.macnet.or.jp/pa/yasuto/genzyou…
そして、ふと沖縄のmoso'sのことを思い出した。
娘が行きたいというから、40年前に住んでいた場所を訪れたのだ。

(青いのだーれ?)
昔の面影など何一つ残っていなかった。あんまり普通すぎて、何の感慨も起こらない。
通っていた小学校まで歩いてみた。こんなに近かったっけ。
校庭側の裏門から。

元々こんな裏門は無かった。今立っているこの場所は蒸気機関車の通る線路であったはず。今はそれが高架になって、その下に新しい道が通ったということらしい。
そういえば小学校では、組の名を、「い」「ろ」「は」といったっけ。三年い組。四年ろ組。今でもそうなのかな。
御前丸太町の交差点。
記憶の片隅に残っている一つの思い出。母親に連れられて初めて京都に来た日のこと。京都駅から路面電車に乗ってこの御前丸太町で降り、ちょうど昼時なので蕎麦屋に入った。そこで食べたきつねうどんの味が、忘れ得ぬ記憶となって残った。おいしいまずいではなく、それは今まで知らなかった世界の味だったのだ。
その店が、たぶんここなのではなかったか。この日、貸し店舗の張り紙がしてあった。

40年前の蕎麦屋が、最近まで残っていたことに、変化の遅いいつまでも変わらぬ京都を見るのか、40年続いた蕎麦屋が無くなってしまうことに、時の流れを感じるのか。
(老いた母親は憶えていないという。もしかすると記憶違いなのかもしれないが。)
京都に革新的な文化が生まれ易いのは、元来京都人気質が新しもの好きである所為なのだ。だがそれは、どんなに新しい文化が現れても、決して太刀打ちできない京都の伝統があるという余裕のなせる業なのかもしれない。
西陣織は元々平安後期の新しい人気ブランドだったが、以後一度すっかり衰退した歴史も持つ。現在の技法を取り入れたのはそれからずっと後、安土桃山の時代である。
仮に西陣織がすっかり消滅したとしても、もしかすると京都の人は、平然とこう言うのかもしれない。
「結局、西陣はんは、京の町とは合わへんかったのと違いますやろか」
京都は、500年かけて文化の価値を見極める、ありそうな話である。
そうだとすると、やはり、京都は恐るべしなのである。
昔の写真を持ち出すという桜井篤史の反則技で、親父の過去が曝露されたりして……
ここに長居すると碌なことがなさそうなので……
早々と懐かしき円町へと向かう。
この川の上の方には西陣があって、染めたばかりの布を川の水で洗っていたから、当時、この川はいつも青や赤に染まって不気味であった。
しかし、西陣織もすっかり様変わりしたらしい。
自動機織機の導入。生産地の移動。品質の低下。それらが西陣織の衰退を招いたのか、あるいはなんとか衰退を止めようとした苦肉の策であったのか。「本当の西陣織とは」、それを恐れずに問うた時、西陣織は「正しく」復活するのかもしれない。しかし、そうなればきっと、一握りの名工たちが「先生」となり、「匠」の作品は芸術となって高値で売られるが、一方、多くの人たちが生活の糧を失うことになる、それが望ましいことなのかどうか。
こんなサイトを見つけた。
⇒http://www.macnet.or.jp/pa/yasuto/genzyou…
そして、ふと沖縄のmoso'sのことを思い出した。
娘が行きたいというから、40年前に住んでいた場所を訪れたのだ。
(青いのだーれ?)
昔の面影など何一つ残っていなかった。あんまり普通すぎて、何の感慨も起こらない。
通っていた小学校まで歩いてみた。こんなに近かったっけ。
校庭側の裏門から。
元々こんな裏門は無かった。今立っているこの場所は蒸気機関車の通る線路であったはず。今はそれが高架になって、その下に新しい道が通ったということらしい。
そういえば小学校では、組の名を、「い」「ろ」「は」といったっけ。三年い組。四年ろ組。今でもそうなのかな。
御前丸太町の交差点。
記憶の片隅に残っている一つの思い出。母親に連れられて初めて京都に来た日のこと。京都駅から路面電車に乗ってこの御前丸太町で降り、ちょうど昼時なので蕎麦屋に入った。そこで食べたきつねうどんの味が、忘れ得ぬ記憶となって残った。おいしいまずいではなく、それは今まで知らなかった世界の味だったのだ。
その店が、たぶんここなのではなかったか。この日、貸し店舗の張り紙がしてあった。
40年前の蕎麦屋が、最近まで残っていたことに、変化の遅いいつまでも変わらぬ京都を見るのか、40年続いた蕎麦屋が無くなってしまうことに、時の流れを感じるのか。
(老いた母親は憶えていないという。もしかすると記憶違いなのかもしれないが。)
京都に革新的な文化が生まれ易いのは、元来京都人気質が新しもの好きである所為なのだ。だがそれは、どんなに新しい文化が現れても、決して太刀打ちできない京都の伝統があるという余裕のなせる業なのかもしれない。
西陣織は元々平安後期の新しい人気ブランドだったが、以後一度すっかり衰退した歴史も持つ。現在の技法を取り入れたのはそれからずっと後、安土桃山の時代である。
仮に西陣織がすっかり消滅したとしても、もしかすると京都の人は、平然とこう言うのかもしれない。
「結局、西陣はんは、京の町とは合わへんかったのと違いますやろか」
京都は、500年かけて文化の価値を見極める、ありそうな話である。
そうだとすると、やはり、京都は恐るべしなのである。
3月 3日水曜日: 京都は分からないことばかり
【自転車が作った御所の轍の心理学的考察】
我が家に雛人形が飾られてありました。

去年はどうしたのだろう。そういうことに全く無頓着なので、ちっとも記憶にありません。それなのに、今年は何故か目についた。
もの言わぬ人形を横目に、ちょいとワケあって京都に向けて家を出ました。
新横浜駅から「のぞみ」。
鉄っちゃんではないので、なんとか系みたいなことはさっぱり分かりません。

町田から横浜線にパスモを使って乗って、新横浜構内で新幹線の切符を買った際、パスモのデータをキャンセルして、あらためて町田から京都までの乗車券に変更ということになりました。この時は、これはJRの気配りかなと思ったのです。
しかし、後で知ったのですが、町田から京都までの料金より、町田から長津田までの料金プラス横浜市内から京都までの料金の方が安いらしいのです。素直に新横浜駅構内で横浜市内から京都までの切符を購入し、新幹線乗り場への改札口で駅構内で購入したその切符とパスモを連続して投入すると、難なく安い方の料金が適用されたらしい。そのことを、横浜駅構内の新幹線切符売り場の窓口の人は教えてくれなかったということです。
鉄ちゃんならこういうことも詳しいのかなあ。
うちのような小さな会社で、こんな処理をして、それが評判になったらいっぺんにつぶれます。金額の高い安いの問題ではありません。
うとうとしていればアッという間です。
京都駅から四条の大丸まで、烏丸通りを歩いてみることにしました。途中、東本願寺に寄ってみたりしながら。
阿弥陀堂を修復しているらしい。

⇒しんらんしょうにんのホームページの関連記事
なんだか大々的な事業の一環のようです。
⇒『御影堂御修復日記』
(後日、この5月20日と7月6日にゴーヤーを植えてどうしたこうしたという日記を見つけたのですが、「ゴーヤ」と記述されているのが気になったのです。)
ところで大々的な事業って何なのか、少しも理解していないのですが、「あと何日」のカウントダウンの看板があったので、今日のこの日に来たのだという記念に、とりあえず撮影してみました。

1994年の癌を告知された日、そして書き始めた子どもたちへの手紙。その頃、京都から届いた一本のビデオテープ。題名は「玄米スープの作り方」。以来僕は、その玄米スープを飲み続けています。
そのビデオを制作してくれたのが映像作家の桜井篤史。その古き友との十数年ぶりの再会でした。
彼はこの日も素足に下駄で現れた。
「うどんが食いたいって? 京都といえば蕎麦だろうが」

御所。
京都の方々は、「天皇様は只今お江戸の方へお出かけになっているだけだから、そのうちこちらにお戻りなる」という。
自然に出来る自転車の道です。道はいたって広いのに、殆どの自転車がこの一本道を通る。
「心理学だな」
どうだかね。ただ砂利が剥げて、走りやすくなっているというだけのこと。でも、それを言っちゃあ面白くない。この一本の道で、宇宙の摂理まで語り倒す、そんな男たちが新しい世界を構築してきたのだ、なんてね。
なんにも分かっちゃいなかったのだと思うのです。でも、今にして思えば、実はそのことだけが、推進力だったのかもしれません。分かりっこないことを、分かったように錯覚する麻薬。
分からないことと、分からないということを知っていることと、本当に分かっていることと、分からないことを分かったようなつもりになっていること、それらの微妙なバランスが、何ものかを生み出してきた。ところが、そのバランスの適正な加減が一番分からない……
何ワケのわからないことを言ってるんだ。
左手にハイライト、右手にヒヤ酒、意味ありげに何の意味の無いことを語り続けた夜。そこいらの草だけ食んでる今どきの「男子」には理解不能だろうけどさ。
1977年1月1日、爆弾テロの標的にされた梨木神社。

結果はちょっと焦げただけ、未遂に終って神社は保たれた。
同志社大学ゲバ字担当の桜井氏は何を思う?
宣教医ジョン・C・ペリーの元自宅。後に同志社大学(ハワイ)寮。

現在は多目的に使用されているらしいのですが詳細がわかりません。
自転車の道はここまで繋がっていたのかい。

下鴨神社まで足を延ばす。爆破しにくい世界遺産。

しかし、世界遺産って、誰がどうやって決めるのだろう。
そんなこと、別に、知りたくないのです。世界遺産に指定されれば景観が保たれるなんて、薄っぺらなハナシです。
シュレディンガーの猫?
虎だよ。寅年なんだから。

生きてもいるし死んでもいる。加藤清正の虎退治、絵の虎は生き返ったけれど。いやはや現代物理学はオカルトじゃありません。最高に想像力がかきたてられる分かりにくいハナシ。信じることではなく、まずはひたすら考えること。
娘よ。おじさんたちの高尚な漫才についてきているか?
分かりやすいハナシをしましょう。
これ、京都だけでも十数個ある“さざれ石”のうちの1個です。

1個残して、あとは全部爆破しちゃったらいかがでしょうか。右翼が左翼を装ってやるなんていかが?
すいません。発言の一切が冗談です。
去年はどうしたのだろう。そういうことに全く無頓着なので、ちっとも記憶にありません。それなのに、今年は何故か目についた。
もの言わぬ人形を横目に、ちょいとワケあって京都に向けて家を出ました。
新横浜駅から「のぞみ」。
鉄っちゃんではないので、なんとか系みたいなことはさっぱり分かりません。
町田から横浜線にパスモを使って乗って、新横浜構内で新幹線の切符を買った際、パスモのデータをキャンセルして、あらためて町田から京都までの乗車券に変更ということになりました。この時は、これはJRの気配りかなと思ったのです。
しかし、後で知ったのですが、町田から京都までの料金より、町田から長津田までの料金プラス横浜市内から京都までの料金の方が安いらしいのです。素直に新横浜駅構内で横浜市内から京都までの切符を購入し、新幹線乗り場への改札口で駅構内で購入したその切符とパスモを連続して投入すると、難なく安い方の料金が適用されたらしい。そのことを、横浜駅構内の新幹線切符売り場の窓口の人は教えてくれなかったということです。
鉄ちゃんならこういうことも詳しいのかなあ。
うちのような小さな会社で、こんな処理をして、それが評判になったらいっぺんにつぶれます。金額の高い安いの問題ではありません。
うとうとしていればアッという間です。
京都駅から四条の大丸まで、烏丸通りを歩いてみることにしました。途中、東本願寺に寄ってみたりしながら。
阿弥陀堂を修復しているらしい。
⇒しんらんしょうにんのホームページの関連記事
なんだか大々的な事業の一環のようです。
⇒『御影堂御修復日記』
(後日、この5月20日と7月6日にゴーヤーを植えてどうしたこうしたという日記を見つけたのですが、「ゴーヤ」と記述されているのが気になったのです。)
ところで大々的な事業って何なのか、少しも理解していないのですが、「あと何日」のカウントダウンの看板があったので、今日のこの日に来たのだという記念に、とりあえず撮影してみました。
1994年の癌を告知された日、そして書き始めた子どもたちへの手紙。その頃、京都から届いた一本のビデオテープ。題名は「玄米スープの作り方」。以来僕は、その玄米スープを飲み続けています。
そのビデオを制作してくれたのが映像作家の桜井篤史。その古き友との十数年ぶりの再会でした。
彼はこの日も素足に下駄で現れた。
「うどんが食いたいって? 京都といえば蕎麦だろうが」
錦市場を抜けて……
京都の方々は、「天皇様は只今お江戸の方へお出かけになっているだけだから、そのうちこちらにお戻りなる」という。
自然に出来る自転車の道です。道はいたって広いのに、殆どの自転車がこの一本道を通る。
「心理学だな」
どうだかね。ただ砂利が剥げて、走りやすくなっているというだけのこと。でも、それを言っちゃあ面白くない。この一本の道で、宇宙の摂理まで語り倒す、そんな男たちが新しい世界を構築してきたのだ、なんてね。
なんにも分かっちゃいなかったのだと思うのです。でも、今にして思えば、実はそのことだけが、推進力だったのかもしれません。分かりっこないことを、分かったように錯覚する麻薬。
分からないことと、分からないということを知っていることと、本当に分かっていることと、分からないことを分かったようなつもりになっていること、それらの微妙なバランスが、何ものかを生み出してきた。ところが、そのバランスの適正な加減が一番分からない……
何ワケのわからないことを言ってるんだ。
左手にハイライト、右手にヒヤ酒、意味ありげに何の意味の無いことを語り続けた夜。そこいらの草だけ食んでる今どきの「男子」には理解不能だろうけどさ。
1977年1月1日、爆弾テロの標的にされた梨木神社。
結果はちょっと焦げただけ、未遂に終って神社は保たれた。
同志社大学ゲバ字担当の桜井氏は何を思う?
宣教医ジョン・C・ペリーの元自宅。後に同志社大学(ハワイ)寮。
現在は多目的に使用されているらしいのですが詳細がわかりません。
自転車の道はここまで繋がっていたのかい。
下鴨神社まで足を延ばす。爆破しにくい世界遺産。
しかし、世界遺産って、誰がどうやって決めるのだろう。
そんなこと、別に、知りたくないのです。世界遺産に指定されれば景観が保たれるなんて、薄っぺらなハナシです。
シュレディンガーの猫?
虎だよ。寅年なんだから。
生きてもいるし死んでもいる。加藤清正の虎退治、絵の虎は生き返ったけれど。いやはや現代物理学はオカルトじゃありません。最高に想像力がかきたてられる分かりにくいハナシ。信じることではなく、まずはひたすら考えること。
娘よ。おじさんたちの高尚な漫才についてきているか?
分かりやすいハナシをしましょう。
これ、京都だけでも十数個ある“さざれ石”のうちの1個です。
1個残して、あとは全部爆破しちゃったらいかがでしょうか。右翼が左翼を装ってやるなんていかが?
すいません。発言の一切が冗談です。
夜の部。
肝臓の機能と二日酔いの関係が良く分かりません。

珍しいホルモンの部位がどこなのかが分かりません。

そろそろ、何がなんだか分かりません。

お金、ちゃんと払ったかなあ。
デジカメから記憶にない画像が。

京都は、分からないことばかり……
肝臓の機能と二日酔いの関係が良く分かりません。
珍しいホルモンの部位がどこなのかが分かりません。
そろそろ、何がなんだか分かりません。
お金、ちゃんと払ったかなあ。
デジカメから記憶にない画像が。
京都は、分からないことばかり……
2月22日月曜日: 世界共通の言葉を使う極少数の人々
カテゴリ: M.A.P.縁の人たち
昨年の“無伴奏デクノボー奏鳴曲”で
藤井つとむさんからお借りしていたチェロを
久泉さんの工房に預けてメンテナンスをお願いしています。
きとんとしてお返ししないといけませんから。
そんなこともあって、今年のしんゆり芸術祭、どうしようかなあなんて、ツラツラと考えながら、やっぱりあさやさんに借りっぱなしの本を、ボーっと斜め読みしています。
横田庄一郎・著「チェロと宮澤賢治」

ほんとうは、こんなのんびりしているヒマはないのですが、昨日、楠氏の、劇団あとむの「人間は愛だ」みたいな清き天使の芝居を観て、心優しき雪さんとドラさん(?)とお茶して、ドドさんがお父様と仲良く連れ立っている姿を見て、そんなこんなが、今日の僕に影響しているのかもしれません。
1995年、ほぼ一年間にわたって「宮沢賢治の世界展」なるものが全国11箇所で開かれた。しかし、京都会場での「入り」が悪かったらしい。著者は「日本の伝統文化とは異なる賢治の特質が現れているような気がする」と書いています。
京都ねえ…
雪さんの旦那さまが、同志社のご出身だと伺いました。
法華経にしろ、キリスト教にしろ、宗教って何なのでしょう。無宗教な僕にはさっぱりわからない。
賢治はエスペラント語の詩を書きたかったのだという話も紹介されています。
世界人類が幸福であること。理想です。しかし、ことはそう単純ではありません。
「賢治得意のエスペラントも、決して世界中の人々が同じ言葉をという理想通りに世間から理解されていたわけではない。エスペラントは当時の国際プロレタリア運動と結びついていたのである。」
さっき一つ、過去の記事をアップしたのですが、その記事は、今日の気分がすごく影響しています。
⇒日本の近代戯曲を読む(1/9のこと)
“セロ弾きのゴーシュ”の原文では、「カッコー」は「くゎくこう」と表記されていたらしい。
「外国へ行くために、どうしてもドレミファがやりたいのです」
⇒エスペラントのこと
⇒「くゎくこう」の「くゎ」のこと
吉田茂は「国会」のことを「こっくぁい」と言っていたし、未だ歌舞伎の世界では「勧進帳」は「くぁんじんちょう」だし。「シークァーサー」は、きっとずっと「シークァーサー」のママ。
沖縄の血を引く娘は、「哲学の道」をひとり歩くつもりなのでしょうか。あの、苦難の道を。
極めて、私ごとではありますが。
藤井つとむさんからお借りしていたチェロを
久泉さんの工房に預けてメンテナンスをお願いしています。
きとんとしてお返ししないといけませんから。
そんなこともあって、今年のしんゆり芸術祭、どうしようかなあなんて、ツラツラと考えながら、やっぱりあさやさんに借りっぱなしの本を、ボーっと斜め読みしています。
横田庄一郎・著「チェロと宮澤賢治」
ほんとうは、こんなのんびりしているヒマはないのですが、昨日、楠氏の、劇団あとむの「人間は愛だ」みたいな清き天使の芝居を観て、心優しき雪さんとドラさん(?)とお茶して、ドドさんがお父様と仲良く連れ立っている姿を見て、そんなこんなが、今日の僕に影響しているのかもしれません。
1995年、ほぼ一年間にわたって「宮沢賢治の世界展」なるものが全国11箇所で開かれた。しかし、京都会場での「入り」が悪かったらしい。著者は「日本の伝統文化とは異なる賢治の特質が現れているような気がする」と書いています。
京都ねえ…
雪さんの旦那さまが、同志社のご出身だと伺いました。
法華経にしろ、キリスト教にしろ、宗教って何なのでしょう。無宗教な僕にはさっぱりわからない。
賢治はエスペラント語の詩を書きたかったのだという話も紹介されています。
世界人類が幸福であること。理想です。しかし、ことはそう単純ではありません。
「賢治得意のエスペラントも、決して世界中の人々が同じ言葉をという理想通りに世間から理解されていたわけではない。エスペラントは当時の国際プロレタリア運動と結びついていたのである。」
さっき一つ、過去の記事をアップしたのですが、その記事は、今日の気分がすごく影響しています。
⇒日本の近代戯曲を読む(1/9のこと)
“セロ弾きのゴーシュ”の原文では、「カッコー」は「くゎくこう」と表記されていたらしい。
「外国へ行くために、どうしてもドレミファがやりたいのです」
⇒エスペラントのこと
⇒「くゎくこう」の「くゎ」のこと
吉田茂は「国会」のことを「こっくぁい」と言っていたし、未だ歌舞伎の世界では「勧進帳」は「くぁんじんちょう」だし。「シークァーサー」は、きっとずっと「シークァーサー」のママ。
沖縄の血を引く娘は、「哲学の道」をひとり歩くつもりなのでしょうか。あの、苦難の道を。
極めて、私ごとではありますが。
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5月17日日曜日: 5月15日に一番近い日曜日
5月15日は犬飼毅が武装した海軍の青年将校たちに暗殺された日。1932年(昭和7年)のこと。
軍服を着て街を歩くと、市民から非難されるというような、大正デモクラシーがまだ辛うじて残っていた頃の話。これからあと、日本は急速に戦争へと突き進んでゆく。
日本は、第2次世界大戦に敗れ、沖縄は日本国から分離される。
そして。
5.15事件から数えてちょうど40年、1972年(昭和47年)の5月15日午前0時をもって、沖縄の施政権がアメリカから日本に返還される。
「本土並み」の復帰を目指したが、実際に残った米軍施設の面積は沖縄県全域の12%であった。
今日は、その5月15日に一番近い日曜日。
喜多見にある沖縄県男子学生寮(南灯寮)の寮生たちは、沖縄復帰を記念して、エイサーを踊って喜多見の町を練り歩く。
あの大城君もいるのだ。

⇒去年の暮の大城源二君を見る。
豪徳寺にある女子寮(沖英寮)からも助っ人が来ている。

チョンダラー(※)だってちゃんといる。

※チョンダラーは「京太郎」と書く。その昔、京都からやってきた芸能者が沖縄にひろめた念仏踊りがエイサーの起源なんだとか。チョンダラーはエイサーを盛り上げる道化でありながら、実は隊列を制御する重要な役目を担っている。まさに聖と俗、トリックスター。しかし今日のチョンダラー君は、隊列を乱す張本人だった?
沖縄復帰は彼らが生まれるずっと前のこと。
「君たちはいったい何を祈って踊っているの」
この日、喜多見の町には、エイサーの太鼓の音が延々と響きわたっていたのです。
軍服を着て街を歩くと、市民から非難されるというような、大正デモクラシーがまだ辛うじて残っていた頃の話。これからあと、日本は急速に戦争へと突き進んでゆく。
日本は、第2次世界大戦に敗れ、沖縄は日本国から分離される。
そして。
5.15事件から数えてちょうど40年、1972年(昭和47年)の5月15日午前0時をもって、沖縄の施政権がアメリカから日本に返還される。
「本土並み」の復帰を目指したが、実際に残った米軍施設の面積は沖縄県全域の12%であった。
今日は、その5月15日に一番近い日曜日。
喜多見にある沖縄県男子学生寮(南灯寮)の寮生たちは、沖縄復帰を記念して、エイサーを踊って喜多見の町を練り歩く。
あの大城君もいるのだ。

⇒去年の暮の大城源二君を見る。
豪徳寺にある女子寮(沖英寮)からも助っ人が来ている。

チョンダラー(※)だってちゃんといる。

※チョンダラーは「京太郎」と書く。その昔、京都からやってきた芸能者が沖縄にひろめた念仏踊りがエイサーの起源なんだとか。チョンダラーはエイサーを盛り上げる道化でありながら、実は隊列を制御する重要な役目を担っている。まさに聖と俗、トリックスター。しかし今日のチョンダラー君は、隊列を乱す張本人だった?
沖縄復帰は彼らが生まれるずっと前のこと。
「君たちはいったい何を祈って踊っているの」
この日、喜多見の町には、エイサーの太鼓の音が延々と響きわたっていたのです。
お土産、その1
新しい100店シリーズ。

これ、観光客用のガイドブックではありません。地元の人に向けて編集されているもので、沖縄県内でのベストセラーです。わざわざ沖縄まで行って、ラーメンなんか食べないよといわれるかもしれませんが、どっこいこのシリーズを眺めていると、コテコテの沖縄っぽさなんか全く売り物にしていないのだけれど、それだけにさり気ない沖縄が感じられて、とても素敵なのです。
沖縄民謡が流れる店で沖縄ソバを食べるのもいいけれど、このシリーズを頼りに、自然体の沖縄を見つけて訪れてみるのもお勧めです。
⇒販売サイトへどうぞ!
その他の土産ばなし。
“しよん”の長池さんの作品が「オキナワンクラフト“うりずん”」でご覧になれます。

会場は京都の左京区にある“ギャラリー花いろ”です。

京都市左京区鹿ヶ谷桜谷町47番地
Tel・Fax 075-761-6277
5月2日から10日まで、11:00~17:00、開催です。
出展される皆さんです。
陶芸 金城有美子
漆芸 謝敷 眞起子
紅型 田中 紀子
紅型 金城 宏次
織物 長池 朋子
木工 西石垣 友里子
ガラス 屋我 平尋
外間守善氏の著作に「うりずんの島」という本があります。
そのことは、去年記事に書きました。
⇒http://lince.jp/hito/hokamashuzen…
その「うりずんの島」の前書きには、こう書かれています。
「『うりずん』というやわらかなリズムを聞くだけで、沖縄の島に住む人々の心はうるおいなごんでいく。
旧暦の二月頃から三、四月にかけ、枯れ枯れの冬期をくぐりぬけた大地が、ひそやかに黒土を盛り上げ、心の疼きを示そうとするその頃の季節が『うりずん』である。」
「枯れ枯れの冬期」という表現が、なんだか沖縄らしくないと感じてしまうとしたら、やっぱりステレオタイプの沖縄のイメージを疑ったほうがいいのかもしれません。
なんだかむしろ、沖縄は、古い大和が残る京都と、とても似合うという気もしてくるのです。
ちなみに、私、高山正樹は、小学校の3年間、京都の朱雀第二小学校に通っていました。
山陰本線沿いの学校で、木造二階建ての校舎の教室の窓から、校庭を隔てた向こう側に、大量の煙を噴き上げて走る蒸気機関車を、よく眺めていたことを思い出します。
まるで、夢のよう……
どうぞ足を運んでくださいといいたいところですが、京都近辺にお住まいの方で、このサイトを読んでくれている人っているのかなあ。
できれば僕も、懐かしい京都の街で沖縄の作品に触れてみたいのだけれど、忙しくて行けそうもありません。残念です。
最後に、井上真喜ちゃんからメールが届きました。
公演おつかれさまでした!
路さん、お美しかったですよ!!!!
さてさて
友人が「シーサーえかきうた」の動画を
YOU TUBEにアップしてくれました!
良かったらお仕事の合間にちょい見してくださいませ~
高山さんにも宜しくで~す!
真喜
真喜ちゃんの作品です。沖縄のテレビで放映中!
新しい100店シリーズ。

これ、観光客用のガイドブックではありません。地元の人に向けて編集されているもので、沖縄県内でのベストセラーです。わざわざ沖縄まで行って、ラーメンなんか食べないよといわれるかもしれませんが、どっこいこのシリーズを眺めていると、コテコテの沖縄っぽさなんか全く売り物にしていないのだけれど、それだけにさり気ない沖縄が感じられて、とても素敵なのです。
沖縄民謡が流れる店で沖縄ソバを食べるのもいいけれど、このシリーズを頼りに、自然体の沖縄を見つけて訪れてみるのもお勧めです。
⇒販売サイトへどうぞ!
その他の土産ばなし。
“しよん”の長池さんの作品が「オキナワンクラフト“うりずん”」でご覧になれます。

会場は京都の左京区にある“ギャラリー花いろ”です。

京都市左京区鹿ヶ谷桜谷町47番地
Tel・Fax 075-761-6277
5月2日から10日まで、11:00~17:00、開催です。
出展される皆さんです。
陶芸 金城有美子
漆芸 謝敷 眞起子
紅型 田中 紀子
紅型 金城 宏次
織物 長池 朋子
木工 西石垣 友里子
ガラス 屋我 平尋
外間守善氏の著作に「うりずんの島」という本があります。
そのことは、去年記事に書きました。
⇒http://lince.jp/hito/hokamashuzen…
その「うりずんの島」の前書きには、こう書かれています。
「『うりずん』というやわらかなリズムを聞くだけで、沖縄の島に住む人々の心はうるおいなごんでいく。
旧暦の二月頃から三、四月にかけ、枯れ枯れの冬期をくぐりぬけた大地が、ひそやかに黒土を盛り上げ、心の疼きを示そうとするその頃の季節が『うりずん』である。」
「枯れ枯れの冬期」という表現が、なんだか沖縄らしくないと感じてしまうとしたら、やっぱりステレオタイプの沖縄のイメージを疑ったほうがいいのかもしれません。
なんだかむしろ、沖縄は、古い大和が残る京都と、とても似合うという気もしてくるのです。
ちなみに、私、高山正樹は、小学校の3年間、京都の朱雀第二小学校に通っていました。
山陰本線沿いの学校で、木造二階建ての校舎の教室の窓から、校庭を隔てた向こう側に、大量の煙を噴き上げて走る蒸気機関車を、よく眺めていたことを思い出します。
まるで、夢のよう……
どうぞ足を運んでくださいといいたいところですが、京都近辺にお住まいの方で、このサイトを読んでくれている人っているのかなあ。
できれば僕も、懐かしい京都の街で沖縄の作品に触れてみたいのだけれど、忙しくて行けそうもありません。残念です。
最後に、井上真喜ちゃんからメールが届きました。
公演おつかれさまでした!
路さん、お美しかったですよ!!!!
さてさて
友人が「シーサーえかきうた」の動画を
YOU TUBEにアップしてくれました!
良かったらお仕事の合間にちょい見してくださいませ~
高山さんにも宜しくで~す!
真喜
真喜ちゃんの作品です。沖縄のテレビで放映中!
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4月15日水曜日: 成井俊美さんのご紹介
宮城巳知子さんの「ずいせん学徒隊」の挿絵をお書きになった成井俊美さんが、喜多見の事務所までおいでくださいました。
巳知子さんの御長女のご主人でいらっしゃいます。つまり、宇夫方路の琉球舞踊の仲間、宮城文子さんの義理のお兄様ということです。
ウチナームコのツーショットです。

沖縄の妻を持つヤマトの男でなければ分からないような、「それそれ、それ、ありますよねえ」という話がたくさん。
内地には、京都文化の亜流しかない、それを相対化できるような、京都文化に拮抗する文化は、この日本の中では琉球文化を措いて他にはないと、成井さんは語られました。
「京都文化の亜流しかない」という点については、アイヌ文化や、その他の地方文化についても不勉強なので、僕の意見は保留しますが、沖縄が大和を相対化するということは、全くその通りだと思うのです。われわれ「大和」の人間は、「沖縄」を鏡として、自らを常に見つめていかなければならないと思うのです。
その素晴らしい「琉球文化・沖縄文化」を、大和はどのように受け入れていくべきなのか、また、沖縄の人たちがその「文化」を「内地」に向けて発信していくことに、我々のような人間が協力できることはないのだろうか、話は尽きません。
しかし、沖縄の人たちだけでは、なかなか困難なのではないかという成井さんの語られる言葉は、様々な経験が背景にあって、とても重いものがあります。沖縄の若者たちにも、できれば素直に耳を傾けてもらいたいようなお話だと思うのです。
出る釘は打たれる、伝統という名目に固辞して、新しいものを受け入れようとしない、とても閉鎖的な一面が沖縄にはある……
我々のような「よそ者」は、無責任にそんな批評もするのだけれど、沖縄の若者たちは、沖縄を愛していればいるだけ、沖縄の地で一生暮らしていこうとしているわけで、そこで「我」を主張して生き難くなるようなことは慎しみたいと思うだろうことはよく理解できるのです。しかし、そこを打破しなければ、新しいことは、全て「内地」の根無し草たちに持っていかれてしまうでしょう。
なんとしても、古いシガラミを断ち切る勇気を持って欲しいと、ふたりのおじさんは思うのでした。
成井俊美さんは大先輩(失礼?)、今後、教えていただきたいことがたくさんあります。また、ご一緒できる「仕事」も、探っていきたいと思います。
「ビジネスにしなければいけないのです」
ビジネスについて、注釈なしに同意できることは、とてもうれしいことです。
成井様、これから、どうかよろしくお願いいたします。
巳知子さんの御長女のご主人でいらっしゃいます。つまり、宇夫方路の琉球舞踊の仲間、宮城文子さんの義理のお兄様ということです。
ウチナームコのツーショットです。
沖縄の妻を持つヤマトの男でなければ分からないような、「それそれ、それ、ありますよねえ」という話がたくさん。
内地には、京都文化の亜流しかない、それを相対化できるような、京都文化に拮抗する文化は、この日本の中では琉球文化を措いて他にはないと、成井さんは語られました。
「京都文化の亜流しかない」という点については、アイヌ文化や、その他の地方文化についても不勉強なので、僕の意見は保留しますが、沖縄が大和を相対化するということは、全くその通りだと思うのです。われわれ「大和」の人間は、「沖縄」を鏡として、自らを常に見つめていかなければならないと思うのです。
その素晴らしい「琉球文化・沖縄文化」を、大和はどのように受け入れていくべきなのか、また、沖縄の人たちがその「文化」を「内地」に向けて発信していくことに、我々のような人間が協力できることはないのだろうか、話は尽きません。
しかし、沖縄の人たちだけでは、なかなか困難なのではないかという成井さんの語られる言葉は、様々な経験が背景にあって、とても重いものがあります。沖縄の若者たちにも、できれば素直に耳を傾けてもらいたいようなお話だと思うのです。
出る釘は打たれる、伝統という名目に固辞して、新しいものを受け入れようとしない、とても閉鎖的な一面が沖縄にはある……
我々のような「よそ者」は、無責任にそんな批評もするのだけれど、沖縄の若者たちは、沖縄を愛していればいるだけ、沖縄の地で一生暮らしていこうとしているわけで、そこで「我」を主張して生き難くなるようなことは慎しみたいと思うだろうことはよく理解できるのです。しかし、そこを打破しなければ、新しいことは、全て「内地」の根無し草たちに持っていかれてしまうでしょう。
なんとしても、古いシガラミを断ち切る勇気を持って欲しいと、ふたりのおじさんは思うのでした。
成井俊美さんは大先輩(失礼?)、今後、教えていただきたいことがたくさんあります。また、ご一緒できる「仕事」も、探っていきたいと思います。
「ビジネスにしなければいけないのです」
ビジネスについて、注釈なしに同意できることは、とてもうれしいことです。
成井様、これから、どうかよろしくお願いいたします。
(4/22投稿)
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12月24日水曜日: 儀間進さんの長ーい雑談
【「わー」と「わー」のはなし】
今日午前中は宜野湾の嘉数で太鼓の稽古。
ということで宜野湾にお住いの儀間進さんと、普天間飛行場の南にある田園書房で1時にお会いすることにしました。2階の、テーブルと椅子が置いてあるちょっとしたスペースにて、儀間さんの「うちなーぐちフィーリング」をオーディオブックにする企画の現状報告、30分くらいのつもりでお話を始めました。
「たくさんの若い人たちを交えて読みたいのです。」
すると儀間さんから出てきた名前……
比嘉光龍(ばいろん)さん「正統派の方言をしゃべるねえ」
親富祖恵子さん「首里のおばあちゃんから首里言葉を教わったから上手だよ」
知念ウシさん「外国人と結婚してラディカルな考え方を持っている人だ」
伊狩典子さん「首里言葉は、日本で言うと京都の言葉みたいなところがあってね、首里言葉はお高くとまっていてねと思う人もいる、それがいいという人もいる」
小那覇全人さん「この人がいいかな」
玉城満さん「この人に言えば14、5人集まるんじゃないかな」
(註:この方はあの「笑築歌劇団」を主宰されている方。でも今は政治の道に。奥様がプロダクションをやっていらっしゃるという話は聞いたことありますとは高山正樹談でした。)
吉田妙子さん「女優さんだね」
そしてやっぱり
八木(はちき)政男さんと北村三郎さん。一番は何と言っても北島角子さん。「若い人たちを指導するなら八木さんが適任だろうな」
こうして並べると、御年配の方も結構いらっしゃいますね。そしてみなさんこの道ではいっぱしの方々です。ご協力頂ければそれはそれは嬉しいのですが……。
ただしゃべっても生きた言葉にはならないよと儀間先生、そこはほんとにきちんとやらなければいけないと肝に銘じております。でも、だからといって、しゃべれる方々だけでこの企画をやっても、企画自体が生きたものになって拡がっていくかどうかはまた別です。たくさんの若者たちが、今はしゃべれないけれど、この企画を通して生きたウチナーグチを考え、八木さんのような方にご指導を受けて、一生懸命練習して、そうして出来上がったオーディオブックには、ちょっと拙いかもしれないけれど、色々な意味で彼らの生きた言葉が収録されている、そうなれば素敵だと思うのです。ハードルは高いけれど、なんとかやり遂げたいと思っているのです……
ということを、今度お会いしたときに儀間さんにお伝えしなきゃね。
「この間、目の前に八木(はちき)さんが立っていたので、ポンと肩を叩いて、実はこういうふうな話があって、お声が掛るかもしれませんといっておきました」
先生、お気遣いありがとうございます。
それから儀間さんの話しは流れに流れて、あの伝説的な雑誌「琉大文学」のこととか、そして「わー」と「わー」のはなし。
⇒「わー」と「わー」をラジオでしゃべった時の記事
「わたし」と「豚」の発音の違い。そこで儀間さんは実演してくださったのですが、やっぱりよくわかりませんでした。どっちかが、「ゥわー」で、最初にウッと荷物を持つ時のように喉仏の下あたりに力を入れるのだそうです。
「ゥっ」「ゥを」「わゥッ」「ゴボ」「ブホ」「ゲポ」……、苦しい、だめだ、やっぱり、できない。無理です。
津嘉山さんは「う」と「わ」を一緒に言うのだとおっしゃっていましたが……
「をゥ」「オェ」、やっぱり無理です。
それから「やー」と「やー」も同じ。「家」と「あなた」
やっぱりどっちかが最初にイッと喉仏の下あたりに力を入れる。
「ィやッ」「うんや」「もういや」「いやん」「ばかん」「うっふん」……。できません。
方言のはなし。宮古は全く違う。沖永良部は沖縄に近い。鹿児島や熊本には沖縄と同じような言い方がたくさんある云々……。
このあたりですでに時間は2時半を回る。もう予定を大幅にオーバー。
「では、もうそろそろ……。」
「ごめんなさいね。僕は真面目な話がダメなんです。雑談が好きでね、雑談ばっかりなんですよ。教師をやっていた時も、教員室で雑談ばかり、後ろで聞き耳を立てている人がクスクス笑っていたり、お前うるさいからあっち行けと言われたりしたんです。だから今度高山さんが来た時はしゃべらないようにしますから」
「それはダメです。高山は儀間さんの雑談が大好きなんですから」
「いやいや」と儀間さんは笑っていらっしゃいました。
で、今回は儀間さんのお写真を撮るのを忘れてしまいました。
儀間さんとお別れして「おきなわ堂」へ御挨拶に。
本日の商品展示状況。

あ、coccoの隣だ!
それからちょっと頼みごとがあって琉球新報へ。
今日はいい天気でした。

ということで宜野湾にお住いの儀間進さんと、普天間飛行場の南にある田園書房で1時にお会いすることにしました。2階の、テーブルと椅子が置いてあるちょっとしたスペースにて、儀間さんの「うちなーぐちフィーリング」をオーディオブックにする企画の現状報告、30分くらいのつもりでお話を始めました。
「たくさんの若い人たちを交えて読みたいのです。」
すると儀間さんから出てきた名前……
比嘉光龍(ばいろん)さん「正統派の方言をしゃべるねえ」
親富祖恵子さん「首里のおばあちゃんから首里言葉を教わったから上手だよ」
知念ウシさん「外国人と結婚してラディカルな考え方を持っている人だ」
伊狩典子さん「首里言葉は、日本で言うと京都の言葉みたいなところがあってね、首里言葉はお高くとまっていてねと思う人もいる、それがいいという人もいる」
小那覇全人さん「この人がいいかな」
玉城満さん「この人に言えば14、5人集まるんじゃないかな」
(註:この方はあの「笑築歌劇団」を主宰されている方。でも今は政治の道に。奥様がプロダクションをやっていらっしゃるという話は聞いたことありますとは高山正樹談でした。)
吉田妙子さん「女優さんだね」
そしてやっぱり
八木(はちき)政男さんと北村三郎さん。一番は何と言っても北島角子さん。「若い人たちを指導するなら八木さんが適任だろうな」
こうして並べると、御年配の方も結構いらっしゃいますね。そしてみなさんこの道ではいっぱしの方々です。ご協力頂ければそれはそれは嬉しいのですが……。
ただしゃべっても生きた言葉にはならないよと儀間先生、そこはほんとにきちんとやらなければいけないと肝に銘じております。でも、だからといって、しゃべれる方々だけでこの企画をやっても、企画自体が生きたものになって拡がっていくかどうかはまた別です。たくさんの若者たちが、今はしゃべれないけれど、この企画を通して生きたウチナーグチを考え、八木さんのような方にご指導を受けて、一生懸命練習して、そうして出来上がったオーディオブックには、ちょっと拙いかもしれないけれど、色々な意味で彼らの生きた言葉が収録されている、そうなれば素敵だと思うのです。ハードルは高いけれど、なんとかやり遂げたいと思っているのです……
ということを、今度お会いしたときに儀間さんにお伝えしなきゃね。
「この間、目の前に八木(はちき)さんが立っていたので、ポンと肩を叩いて、実はこういうふうな話があって、お声が掛るかもしれませんといっておきました」
先生、お気遣いありがとうございます。
それから儀間さんの話しは流れに流れて、あの伝説的な雑誌「琉大文学」のこととか、そして「わー」と「わー」のはなし。
⇒「わー」と「わー」をラジオでしゃべった時の記事
「わたし」と「豚」の発音の違い。そこで儀間さんは実演してくださったのですが、やっぱりよくわかりませんでした。どっちかが、「ゥわー」で、最初にウッと荷物を持つ時のように喉仏の下あたりに力を入れるのだそうです。
「ゥっ」「ゥを」「わゥッ」「ゴボ」「ブホ」「ゲポ」……、苦しい、だめだ、やっぱり、できない。無理です。
津嘉山さんは「う」と「わ」を一緒に言うのだとおっしゃっていましたが……
「をゥ」「オェ」、やっぱり無理です。
それから「やー」と「やー」も同じ。「家」と「あなた」
やっぱりどっちかが最初にイッと喉仏の下あたりに力を入れる。
「ィやッ」「うんや」「もういや」「いやん」「ばかん」「うっふん」……。できません。
方言のはなし。宮古は全く違う。沖永良部は沖縄に近い。鹿児島や熊本には沖縄と同じような言い方がたくさんある云々……。
このあたりですでに時間は2時半を回る。もう予定を大幅にオーバー。
「では、もうそろそろ……。」
「ごめんなさいね。僕は真面目な話がダメなんです。雑談が好きでね、雑談ばっかりなんですよ。教師をやっていた時も、教員室で雑談ばかり、後ろで聞き耳を立てている人がクスクス笑っていたり、お前うるさいからあっち行けと言われたりしたんです。だから今度高山さんが来た時はしゃべらないようにしますから」
「それはダメです。高山は儀間さんの雑談が大好きなんですから」
「いやいや」と儀間さんは笑っていらっしゃいました。
で、今回は儀間さんのお写真を撮るのを忘れてしまいました。
儀間さんとお別れして「おきなわ堂」へ御挨拶に。
本日の商品展示状況。

あ、coccoの隣だ!
人類館のチラシを置いて頂きました。


それからちょっと頼みごとがあって琉球新報へ。
今日はいい天気でした。

