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東日本大震災から51日目……

【この日呟いたこと】
7:38
ツイッターにアクセスしようとしたら「Twitter is over capacity」と出たり、繋がっても呟けないことがよくある。そこでmixiの「つぶやき」をツイッターに飛ばす設定にしてここで呟くことにした。こんな使い方もあるんだな。
7:44
相変わらずなぜがツイッター本体では呟けない状態が続いている。mixiからツイッターへはすぐに反映された。これ、使えそうだ。しかしリツイートができない。


いよいよ明日が本番であるということを、ツイッターから発信してみたかったのである。やっとその方法を見つけて、山猫合奏団専用の「呟き」から呟いた。
17:33
ずっと忙しくて呟けませんでした。さあ、いよいよです。これから最後の合わせに本番会場へ出陣です。明日から、ブログも怒涛の更新?だめだな、白石准はこのブログの管理画面に入る方法を忘れたらしい。楠定憲は言うに及ばず。せめてここで呟けよってか


昨年は山猫合奏団のOfficial_Blogカテゴリ「過去のNEWS」の中に、「2010しんゆり芸術祭」というサブカテゴリを作って、公演までの道のりをわりと丹念に報告した。
 ⇒http://lince.jp/lince/oldnews/2010art/

しかし、今年はそれができなかった。それは高山正樹が市民劇に参加していたり、宇夫方路が琉球舞踊公演を6月に控えていたり、ということもあるのだが、それよりも、今回の“オツベルと象”は、今までにない練習回数が必要で、山猫合奏団についての突っ込んだブログを書くなどという余裕がなかったのである。
畢竟、山猫合奏団のブログは開店休業、練習報告はこのM.A.P.after5で、「今日は山猫合奏団の練習だった」みたいな一言で済ませることと相成った。
まあ、それはそれでよしとしよう。そこでM.A.P.after5の「山猫合奏団」のサブカテゴリに、さらに「2011しんゆり芸術祭」という分類を作ってみることにした。
 ⇒http://lince.jp/hito/mapinfo/yamaneko/2011art
でも、これで全てというわけではない。今回は高山正樹はずいぶんと練習を欠席したので、練習回数はさらに多いのである。
そして、その成果が明日出る。

夜7時。新百合ヶ丘へ。
昭和音大北校舎第一スタジオ改めスタジオ・リリエ。
本番前日のリハーサルである。
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古本大志クンはアコーディオンも弾くのだぞい。
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この演目は音響さんなくしてはできない。渡邉禎史さんにお願いをした。
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照明は龍前正夫照明研究所。
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稲垣護さんはスケジュールの関係で欠席。明日の本番前、Bassメインの部分のみをアタる予定。
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 ⇒この日のことについての白石准のブログ記事

今回、全員揃っての練習というのはほとんどなかった。そのくらい忙しい連中と仕事ができることを喜びとしよう。本番で初めて全員揃って通すという芝居ではありえない緊迫感、それが却って本番を良くする要素になると信じている。

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4月19日火曜日: 余震は続いているけれど

昼過ぎから昭和音大で5月1日の公演の打ち合わせ。
“アルテリッカしんゆり2011”の音楽部門のプロデューサーである熊谷仁士さんが、まるで山猫合奏団ののマネージャーみたいな雰囲気で同席してくださった。熊谷さんは元東京交響楽団の副楽団長という方。なんだか申し訳ないやら有難いやら、不思議な感じなのである。
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山猫合奏団の単独チラシ。

絵と題字は今回も宇夫方隆士氏にお願いしたが、それに金色の丸(まるで月のようだ)を追加したのは熊谷仁士さんのアイデアである。とてもいい感じ。


夕方から、今日も事務所で練習だった。
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[subcate.山猫合奏団]

東日本大震災から40日目、相変わらず余震が続いているけれど……
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4月 5日火曜日: サンタマリア……

東日本大震災から26日目の夜……
本日も夜は山猫合奏団の練習。
新作“オツベルと象”。
 ⇒公演案内

白石准は、練習の度に、大量に楽譜を差し替える。
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もう大変。

決算月なのに。
市民劇もあるのに。
琵琶も練習しなければいけないのに。

「いろいろなことが津波のように押し寄せて」
しかし、3月11日以来、この慣用句は使いずらくなった。

桑田佳祐の“TSUNAMI”も、ネットで騒がしい。

もう何年も前、上田正樹がライブのトークで、 “TSUNAMI”を歌う桑田佳祐を、とてもひどく批判をしているのを、BSのテレビか何かで観たおぼえがある。僕は特に桑田佳祐のファンでもなんでもないが、その時から上田正樹が嫌いになった。こんなことはブログで言うような話ではない。しかし、今だから敢えて言おうと思った。

しかし、プロデューサーとして、今度のしんゆり芸術祭で“オツベルと象”を上演することについて、考えるところがないわけではない。

さあ、もうみんな、嵐のように林の中をなきぬけて、グララアガア、グララアガア、野原の方へとんで行く。どいつもみんなきちがいだ。小さな木などは根こぎになり、藪や何かもめちゃめちゃだ。グワアグワア、グワアグワア、花火みたいに野原の中へ飛び出した。それから、何の、走って、走って、とうとう向うの青くかすんだ野原のはてに、オツベルの邸の黄いろな屋根を見つけると、象はいちどに噴火した。

その時はちょうど一時半、オツベルは皮の寝台の上でひるねのさかりで、烏の夢を見ていたもんだ。あまり大きな音なので、オツベルの家の百姓どもが、門から少し外へ出て、小手をかざして向うを見た。林のような象だろう。汽車より早くやってくる。さあ、まるっきり、血の気も失せてかけ込んで、「旦那あ、象です。押し寄せやした。旦那あ、象です。」と声をかぎりに叫んだもんだ。

間もなく地面はぐらぐらとゆられ、そこらはばしゃばしゃくらくなり、象はやしきをとりまいた。

そのうち、象の片脚が、塀からこっちへはみ出した。それからも一つはみ出した。五匹の象が一ぺんに、塀からどっと落ちて来た。オツベルはケースを握ったまま、もうくしゃくしゃに潰れていた。早くも門があいていて、グララアガア、グララアガア、象がどしどしなだれ込む。「牢はどこだ。」みんなは小屋に押し寄せる。丸太なんぞは、マッチのようにへし折られ、あの白象は大へん瘠せて小屋を出た。「まあ、よかったねやせたねえ。」みんなはしずかにそばにより、鎖と銅をはずしてやった。


これ以上、僕は何を申し上げることもない。ただ、決して能天気でいるわけではないということだけはお伝えしておきたいと思っている。

そして……

グララアガア、グララアガア、その恐ろしいさわぎの中から、
「今助けるから安心しろよ。」やさしい声もきこえてくる。


僕は今回の公演で、ひとりひそかに被災地の方々を思って祈ろうと思っているのである。
たとえ、他のメンバーがどう思おうとも。

サンタマリア


4月 5日火曜日: 東電の下請け作業員

東日本大震災から26日目……

地震以来、当ブログへのアクセス数が半分になった。東北地方からのアクセスは、ほとんどなくなった。

地震の前、僕は原発の記事を二つほどアップしていた。
 ⇒《電力中央研究所の中に原子炉がある(?)という噂》(1/15)
 ⇒《日立と旧武蔵工大にあった原子炉のこと》(2/3)
これらの記事を、いったいどのくらいの方が読んでくださったのだろう。被災された方々の中にも、もしかしたらお読みくださった方がいるのかもしれない。今読み返してみれば、なんともぼんやりした記事である。僕はいったい、どうしちまっていたんだろう。
2/3の「日立と旧武蔵工大~」の記事では、僕は原発で働く下請け作業員のハナシを、ひとつの「都市伝説」であるかのように紹介したのだ。真実に違いないと思っていたにもかかわらずである。「都市伝説」なんて言葉を使ってしてしまえば、きっと誰も耳を貸さない。僕は、いったい何に拘っていたのか。

また日高さんからメールが届いた。

山谷の食堂が閉鎖される前(閉鎖は1996年3月で私は93年1月から専従していました)のことです。福島原発の老朽炉をリニューアルする作業に従事して、放射能被曝で体調を崩して怖くなり飯場から逃げ出してきた日雇い労働者の話を聞く集会がありました。そこで驚くべき非人間的な労働現場の実体を知りました。
原発の燃料棒を抜きとった原子炉隔壁容器の中に、彼ら日本のホームレス労働者100人と、アメリカから黒人のホームレス労働者100人を、10~15人ずつ3分交代で入れて、原子炉内部の壁に分厚くこびりついたカス状の放射能酸化物を雑巾で拭き取らせるという話でした。
アメリカではロボットにさせる作業だが、コストを減らす目的から、身寄りがなく、誰からも文句を言われる恐れがなく、使い捨てにできる日米のホームレスを、簡単な短時間の仕事で高額報酬を払うという約束でかき集め、福島原発をはじめとする各地の過酷な環境現場で働かせていたという話。
手配師は暴力団系で、「60歳以下で住所不定の、家族との関係が切れて友人知人もいない孤立したホームレス」という条件で人を集め、飯場では逃げないように、監視役の暴力団員が大勢事務所にたむろしていたらしい。彼らには毎日現金が支払われたが、食費、宿泊費、入浴費、洗濯などの費用を徴収され、手元にはタバコ銭ほどしか残らなかったというのです。
原子炉容器は、隠語で「シュラウド」と言われていたそうです。調べてみると「シュラウド」とは「死装束」や「京帷子」を意味する"shroud” だと分かりました。
福島原発の原子炉の製造元はアメリカのジェネラルエレクトリック社(GE)ですが、GEから始まった俗称を東電もそのまま使ったのでしょう。使い捨て人夫としてかき集められた日米のホームレスたちは、放射能被曝で遠からず死ぬ運命にさらされたわけで、彼らは生きたまま京帷子(原子炉)を着せられたのです。
私の記憶ですと、福島原発から始めて、その後全国の他の原発でもホームレスを動員して同じ作業をする予定だと聞いたように思います。


日高さんの話について、僕は原発の作業現場など実際に見たわけでもないので、真偽はまったくわからないと申し上げるしかない。
日高さんは沖縄語を話す会のメンバーで、とても穏やかな紳士である。でも、時々広瀬隆氏の資料などを持ってきて配ったりする。山谷で行われた集会も、藤田祐幸氏のキャンペーンだったようだ。広瀬氏も藤田氏も、「~のデマ」とネット検索すれば、彼等を詐欺師だと断じるような記事がたくさんヒットする。
日高さんが嘘を言うとは考えられない。しかし、藤田祐幸氏がやらせのイベントをやった、あるいは話をした作業員が何らかの理由で嘘を語っていたという可能性をまったく否定できるものでもない。だから、後はどうかご自分で判断していただきたい。

ああ、僕はまだ何かに拘っている。

朝日新聞の、3月26日の記事。
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それは、次のように結ばれている。
「東電は今後、放射線量が高く変化する可能性がある場所で作業する場合、事前に放射線管理計画を提出させた上で、社員が作業員に同行する。」
この記事を注意深く読めば、東電という会社が、かつてそんなとんでもないことをやっていたとしても、ちっとも不思議ではないと感じる。

それから3月29日の記事では、作業員の話がいくつか紹介されている。
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「給料は日給制で、1日1万数千円。『俺らは東電から仕事を受注した元請け企業から仕事をもらう立場。今回の状況であいつらは来なかったと思われたら、その後の仕事はどうなると思う?』」
「東電の孫請け会社に勤める、第一原発の近くで生まれ育った40代男性は、避難所で会社からの呼び出しを待つ。『ここは原発以外に働くところがないから』」


2/3日のコメントで紹介した動画を、あらためてここに貼り付けてみることにする。
“隠された被曝労働~日本の原発労働者~”
1995年、イギリスで放映されてTV番組である。

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4月 2日土曜日: 自粛は御勘弁です

《4月2日(土)-4》
東日本大震災から23日目の喜多見の夜……
うぶかたです。自分の稽古が終わって事務所に戻って仕事です。
林香さんもいます。今日は、はるのちゃんも一緒です。
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近頃、お子さまの顔をインターネットに載せるなんて絶対ダメという親御さんが多くなりましたけれど、M.A.P.は大丈夫。これだけたくさんの仲間が顔を出しているブログ、その中にはそれなりに有名な方や強い方々もたくさん、そこでなにか良からぬことを考える人なんて、きっといません。

今日はお兄ちゃんたちも一緒。
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「この顔は明らかにあのオヤジの子供だな」と高山正樹氏は言います。はるのちゃんたちのお父さんは照明さんです。舞台監督もやります。
舞台のスタッフ業界も、今度の震災で大変です。中止、中止、キャンセル、キャンセル。被災地での公演や停電や余震なら仕方ないけど、「こんな時にそんなことを」みたいな自粛を迫る御節介な圧力だけはどうか御勘弁。

「ボクたちだって生きていかなきゃならないんだぜい」

子供たちのために、がんばって働く母です。
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仕事を終えて、所ジョージさんお薦めのお店“錦菜館”に、両親と食事に行きました。
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今月は、私と義母の誕生月だから、お祝いしたのです。自粛、しなくてもいいですよねえ。
(宇夫方路)
※撮影の画像をネタに高山正樹が記事を捏造しました。
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高山正樹 Masaki Takayama
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