新生M.A.P.未来に向けての出発です。

玉城流喜納の会 関東支部
宇夫方路初公演
をぅどぅい・うた・しまくとぅば・ひやみかち!
東日本大震災被災地支援チャリティー公演

いよいよ明日です!
皆様のお越しをお待ち申し上げています。


null 宇夫方路 

日時:2011年6月4日(土) 昼の部 2時開演 夜の部 6時開演
   (※いずれも開場は30分前)
会場:成城ホール
料金:前売り3,000円 当日3,500円

出演:宇夫方 路
    玉城流喜納の会
    喜利の会
    喜琉の会
    玉城流喜納の会関東支部関りえ子琉球舞踊研究所
    M.A.P.琉球舞踊教室
    厚木カルチャー琉球舞踊
解説:新城 亘(知る人ぞ知る三線博士)
特別出演(チェロ演奏):大島 純(山猫合奏団・東京奏楽舎)

【地謡】
歌・三線:野村流古典音楽保存会 水谷亮介・野村香司
      安冨祖流弦聲会 西村 勉・川崎仙子・持田明美・平沢千秋
筝:琉球筝曲興陽会関東支部 山崎千鶴
笛:沖縄横笛協会 宮良政子
胡弓:安冨祖流弦聲会 持田明美
太鼓:光史流太鼓保存会 具志 忍

【スタッフ】
構成:関りえ子
舞踊監修:伊波正江
うちなーぐち指導:國吉眞正(喜多見で沖縄語を話す会)
舞台監督:池尾秀雄(加藤事務所)
照明:坂本義美(龍前正夫舞台照明研究所)
音響:渡邉禎史
着付・結髪:玉城流喜納の会・玉木流からじ結い喜瀬教室東京支部

総合プロデュース:高山正樹
制作:(株)M.A.P.

※当日、ロビーにて、又吉健次郎氏が製作したジーファー(かんざし)と房指輪を展示いたします。
 

※またM.A.P.が楽天市場などで扱っている沖縄関連商品なども販売いたします。
 ⇒楽天市場沖縄map

主催:をぅどぅい・うた・しまくとぅば・ひやみかち!公演実行委員会
後援:沖縄コンベンションビューロー
    琉球新報社
    沖縄タイムス
    岩手日報
    沖縄芸能連盟
    東京沖縄県人会
    東京琉球舞踊協会
    (株)厚木カルチャー
協力:玉城流喜納の会

なお、本公演はたくさんのM.A.P.縁の方々の御協力・御支援に支えられて実現できることになりました。皆様には深く深く感謝申し上げます。

M.A.P.after5情報には御協力頂いた方々のカテゴリがたくさんあります。よろしければどうぞそれらの記事をお読みくださいませ。
 ⇒[subcate.龍前照明]
 ⇒[subcate.新城亘]
 ⇒[subcate.山猫合奏団]
 ⇒[subcate.東京奏楽舎]
 ⇒[subcate.喜多見で沖縄語を話す会]
《プログラムにメッセージを頂いた方のカテゴリ》
 ⇒[subcate.大城立裕]
 ⇒[subcate.又吉健次郎]
 ⇒[subcate.ふじたあさや]
《プログラムに広告を頂いたお店のカテゴリ》
 ⇒[subcate.魯園菜館]
 ⇒[subcate.スナックぎま]
 ⇒[subcate.酒菜]
 ⇒[subcate.中む食堂]
 ⇒[subcate.鳥力中央研究所]
 ⇒[subcate.忠兵衛]
 ⇒[subcate.ななしん屋]

なお、カテゴリのない皆様やお店については、あらためて別途記事にてご紹介していく予定です。
皆様、ありがとうございました。

間もなく、幕が開きます。

【蘇ったジーファー】
※高山正樹が当日のプログラムに寄稿した文章

雑踊りの「金細工」は「かんぜーくー」と読む。あるいは、「かんぜーくー」というウチナーグチに「金細工」という文字をあてたのかもしれない。
昭和30年代の首里言葉の聞き取りによって編纂された『沖縄語辞典』には、「かんぜーくー」(kaNzeeku)は「鍛冶屋・鋳掛屋」とある。
沖縄本部出身の義母に「かんぜーくー」のことを聞くと「ナービナクーさ。ナービナクークーサビラー、鍋の修理しますよーと掛け声をかけながら、鍋とかヤカンとか、直しにきていたさ」とのことであった。

かつて沖縄県が琉球王国であったころ、首里王府には「金奉行」があり、その管轄の元、高い技術を待った飾り職人たちが沖縄の「金細工」の歴史を築いていった。「金奉行」は「くがにぶぎょう」であり、「金細工」は「くがにぜーく」であった。1733年に「金奉行」は「小細工奉行」に改称され、1879年の廃藩置県(※註1)まで存続していた。

しかしその時から、沖縄の「金細工」は、王府という後ろ盾を失い衰退してゆく。「金細工師」たちはどこへ行ったのか、後の戦災で、殆どの記録と記憶が失われ、定かではない

例えば「踊り奉行」の管轄あった琉球舞踊は、男しか踊らぬもであったが、その伝統はシバイシー(沖縄芝居の役者)や辻の女性に受け継がれ、新作も数多く生まれていった。遊女たちは、それまで身分の高い者しか挿すことが許されなかった銀のジーファー(かんざし)や房指輪などを身に着けて、華麗な踊りを踊るようになった。

そんな銀の飾りを、「かんぜーくー」たちは直して回ったのかもしれない。「かんぜーくー」は「くがにぜーくー」の末裔だったのかどうか。

「くがにぜーくー」の技術を今に伝える人がいる。それが又吉健次郎氏である。健次郎さんは、かつて御自分では「かんぜーくー」と名乗っていた。しかし、王朝時代からの技術を受け継ぐものが御自分ひとりきりになってしまったと知ったときから、名刺の肩書きを「くがにぜーく」に変えた。
健次郎さんは、小さな銀の塊からジーファーを叩き出してゆく。そんな手間をかけた新品のジーファーは、もう手に入らない。健次郎さんも、今は記録に残すためのジーファーしかお作りにならない。ましてや、踊り用の少し大きめのジーファーは一切作らない。

ある日、義母が箪笥の奥から踊り用の一本の曲がったジーファーを持ってきて見せてくれた。まさかと思いながら、それをお借りして健次郎さんの工房に持っていった。健次郎さんは、それを見るなり叩き出したのである。鍍金やステンレス製では叩けない。
「これはいいものだよ、しばらく預かろうね、直して磨いておいてあげる」
名工「くがにぜーく」の又吉健次郎が「かんぜーくー」の仕事をしてくださったのである。こうして、埋もれていた一本のジーファーが、健次郎さんの手によって今に蘇った。

今日、そのジーファーが舞台に立つ。(註2)

註1:日本の明治政府が行った廃藩置県は1871年。しかし沖縄の廃藩置県は1872年の琉球藩設置を経て、「内地」から8年遅れて断行されました。これがいわゆる「琉球処分」と呼ばれるものです。
註2:本日特別に、玉城流喜納の会二代目伊波正江家元がこのジーファーをさして花風を踊ります。