大崎からこんな電車に乗って、歴史を遡る……
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国立演芸場。
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第九回夢丸新江戸噺優秀賞受賞作品“身替り首”(原作:中島要)がトリ。
これ、深川の話なのです。ぴったり。何が? さて、奏楽舎は、どこまで深川にこだわるのか、なかなか難しい選択。それに、いつ結論を下すのか。今は全てミステリーですね。

というわけで、本日は仲入り前の“おかふい”という噺について。六代目三遊亭圓生の得意ネタ。ところが、これはこれでなかなかお話ししにくい。
若い頃に廓の遊びで頂いた「おみやげ」の所為で鼻を失った番頭さんのいるお店の噺。そのお店の旦那と器量良しの女房も、訳あって鼻を削ぎ落とすことになる。鼻のない夫婦の会話が実におかしい。
「お前がかわふい」
「あなたがいとふい」
そいつを聞いていた番頭さんが思わず吹き出す。
「こいつはおかふい」

テレビじゃあ絶対にやらないし、今は高座でも滅多に聞けない噺なのです。夢丸師匠も何十年ぶりかに口演されるのだと先日おっしゃっていました。
放送ではやれない落語(なんと半分がNGらしい)という話題はよく聞くことなので、ちょいと今日は別の視点から。船饅頭の続編とでもいいましょうか。
深川の船饅頭のこと

遊女は、これを鳥屋(トヤ:鳥の羽根の生え替わり)と呼びました。頭髪が抜けるから。吉原では、「鳥屋につく」と一人前の遊女。いったい何の話ですかって。つまり、遊女にとって妊娠は恥、この病気にかかると妊娠しにくくなったり流産し易くなったり、何とも哀しい話ではありませんか。そして、江戸の男達にとって、鳥屋の遊女と遊ぶのが粋だったのだとか。しかし鳥屋の遊女の行く末は船饅頭。
落語は、江戸の歴史の裏側を記憶している大切な文化なのだと、あらためて思うのです。
(初代三遊亭圓朝や初代柳家小せんも、こいつが原因で亡くなったらしい。江戸の住民の半数が感染していたという説もあります。)

夢丸師匠の噺に、みんなあっけらかんと大笑いしました。いったい笑いとは何なのでしょう。心理学的にいうと、笑うことと泣くことは極めて近しいといいます。笑いは、時に残酷でもあるけれど、泣いて溢れる涙と同じように、笑って流す涙にも、遊女の悲しさを浄化する力があるように思うのです。

終演後、東京奏楽舎のメンバーと楽屋へ。師匠の奥様に御挨拶をして、録音したての“身替り首”のテープを、夢丸師匠からお預かりして……

あせらず、ゆっくりと、です。
でも、あっという間に時は過ぎていく……。