11月10日木曜日: 大説『南』のこと(追記再投稿)
《9月10日(土)》
大震災から184日目……
昨日、山猫合奏団の「お問い合わせフォーム」からこんなメッセージが届きました。
金芝河「南」で検索してやってまいりました。
読みたい人はご一報をと(3年ほど前ですが)ブログに書かれていらっしゃったのを見て、メールさせていただきました。
実は私も一時期、学校での音楽・演劇公演に携わる仕事をしておりましたことがありまして、勝手ながら親近感を覚えてしまい、お言葉を真に受けさせていただいた次第です。
門仲天井ホールは音響も素晴らしかったので、なんとか存続してほしいです。(微力ながら、署名には参加しました)
とりとめないですが、「雨」の情報を教えていただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
署名欄には内山誠さんというお名前が書かれていました。掲載可否に「可」のチェックを入れてくださってあったので、ご紹介させていただくことにしました。たぶん最後の「雨」は、「南」の間違いだと思われるのですが、もしそうでなければ内山さん、ご指摘ください。
実はこの記事は9月27日に書いています。コメントを頂いた9日から既に3週間近く、ずいぶんとお返事が遅れてしまい、大変申し訳なく思っております。
このM.A.P.after5なるブログは、時系列が無茶苦茶で、大変読みずらいとかねがねアチコチからチクチクと言われておりますが、当方はめげることなく、平気で数週間遅れ、酷いものは数ヶ月、さらには年単位遅れて記事をアップするというやり方を貫いております、というか陥っております。
いろんなところでいろんな方にお会いして、写真を撮らせていただいたりして、「今日のこと、記事にさせていただきたいのですが」などとお願いをして、「楽しみにしています」なんて有難いお言葉をいただきながら、いつまでたっても記事がアップされない、さぞ不愉快な思いをされた方も多いのではないかと、申し訳なく思い、深く反省もしているのですが、どうにもならないのです。
ただただ時間がないのです。ならば記事を簡単にするとか(だいたい長ければ長いほど読んでなんかもらえないわけですから)、どうでもいいことは書かずに飛ばしてしまえばいいのに、それがどうしてもできない神経症。連続性のなかで物事をきっちりと繋ぎながら考えていかなければ、どうにも気がすまないという性癖があるらしく、簡単に済ませることがなかなか出来ないのです。
でも結局、その所為で暫定記事だらけ、かえって歯抜けの櫛状態で、朋友は冷たく去っていくばかりであります。
まあ、読者がいっこうに増えない理由は、記事の並びのややこしさよりも、ややこしい記事を書いている小生自身のややこしさが原因であることは重々承知しております。
「南」は韓国の詩人金芝河の著作ですが、それを“社長とは呼ばないで”という個人的なブログのひとつの記事の中で、ちょっとした小道具として使ってみたのです。その記事はこれです。
⇒“「作家の日記」と大説「南」”(2008年6月19日)
頂いたコメントから察するに、内山さんはサイト全体あちこち覗いてくださった御様子、普通なら直帰するような記事なのに、有難いやら恥ずかしいやら、大変恐縮であります。
“「作家の日記」と大説「南」”という記事は、“社長とは呼ばないで”の中の「三太郎」というカテゴリの記事のひとつで、実は小生、我ながら密かに一番気に入っているカテゴリが「三太郎」なのです。その一連の文章の中に、“社長とは呼ばないで”を書き続ける意味のようなものを、そっともぐりこませています。どうか一度お読みください、なんてお薦めするような代物でもありませんけれど。
できることならば、大説「南(ナム)」のような世界を、僕もまた僕なりに構築したいという大それた願望があって、当初は“社長とは呼ばないで”にそれを託し始めたのです。それがいつしか、このM.A.P.after5を含むサイト全体で「大それた願望」を実現したいと思い始めました。
たぶんそうなったのは、具体的な「現実」とどう立ち向かうのかという「誠実な課題」と無関係ではありません。しかしそれは、「現実」を表現世界にどう取り込むのかという「野望」と鏡像関係にあります。もしかすると、共犯関係と言った方が適切かもしれない。
いやいや、どうも語りすぎました。これは“社長とは呼ばないで”の世界、ここではこのくらいでやめておきます。
さて、お問い合わせいただいた金芝河(キム・ジハ)の「南」はこれです。

大説「南」は、1983年、文芸雑誌「海」の4月号に凡そ70ページにわたって掲載されました。しかしそれは、膨大な「大説」のごく一部にしか過ぎません。大説「南」は、第一部「水山(スサン)」、第二部「巫夫(ミブ)」、第三部「出関」から成り、それらはそれぞれ三場に分かれ、一場はまた三景ずつで構成されているのですが、「海」に掲載されたのは、この内の第一部・第一場・第一景のみです。
和田春樹氏の解説によると、この「第一景」は、「1982年12月25日発行の奥付をもって、ソウルの創作と批評社から出版されようとした」が発行当日に発行禁止処分となり、全冊が「断裁」されたとのことです。
「辛うじて救われた少部数のうちの一冊が東京に届き、日本語訳として、ここにはじめて世に出ることとなったのである。」
その後の大説「南」の出版事情など、小生不勉強でよく分からず申し訳ありません。
反共法により投獄された金芝河ですが、その後は神秘主義的なものに傾倒したり、最近は左派を徹底的に批判したりという噂を聞いています。その思想的な変遷はどうあれ、金芝河の大説「南」の第一景は、今から30年前、悶々と悩んでいた二十代の若造を興奮させたことは事実です。
「ありとあらゆる人間、ありとあらゆる民衆、ありとあらゆる衆生、ありとあらゆる鬼神に ありとあらゆる宇宙まで 生きるにゃ生きたがまっこと生きたのじゃないゆえに ありとあらゆるものどもを あまねくまことに生きさせる真生命が まさしくこの韓半島、それもちょうどこの南の地 南朝鮮から生ずるという 神秘で不思議な伝説 奇異かつ言語道断な予言が絶えることなく伝えられ」
若造は、「このちっぽけな俺の中にも全宇宙に匹敵する世界が内蔵されていて、一生かけてそれを表出させることができるのかもしれない」と勘違いをしました。その悪夢から、未だ目覚めることが出来ずに、脳みその中に三太郎という分身を住まわせているのです。ただ重要な鍵は、この大説「南」の「第一景」以降の、未読である膨大な26景の存在なのかもしれないと、今にして思っているのです。
内山誠さま、よろしければご連絡をくださいますよう。

夜、また京都から画像が届いた。
今日もまた一言だけ。
“京都新聞”
「新聞、何を取ったらいい」
「さあ、東京新聞の系列なんてないよなあ」
「京都新聞は?」
「わからない、自分で調べてごらん」
「うん」
三十数年の時を隔てて……
【この日呟いたこと……】
21:49
あの頃の鳩山・松本・菅・鉢呂。「抱かれたくないタレントNo.1」程度の世論と低俗なマスコミが、ガチンコ力士たち(すごく弱いけど)を次々と土俵から引きずり下ろしていく。なんだか気分は千秋楽。
22:19
「低俗なマスコミ」という言い方は取り消します。そういう言い合いに嫌気が差していたはずなのに、あまりの虚しさに思わず……。何故だか、津嘉山正種さんが嗚咽したことを思い出しています。
⇒津嘉山正種さんが嗚咽した日のこと
大震災から184日目……
昨日、山猫合奏団の「お問い合わせフォーム」からこんなメッセージが届きました。
金芝河「南」で検索してやってまいりました。
読みたい人はご一報をと(3年ほど前ですが)ブログに書かれていらっしゃったのを見て、メールさせていただきました。
実は私も一時期、学校での音楽・演劇公演に携わる仕事をしておりましたことがありまして、勝手ながら親近感を覚えてしまい、お言葉を真に受けさせていただいた次第です。
門仲天井ホールは音響も素晴らしかったので、なんとか存続してほしいです。(微力ながら、署名には参加しました)
とりとめないですが、「雨」の情報を教えていただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
署名欄には内山誠さんというお名前が書かれていました。掲載可否に「可」のチェックを入れてくださってあったので、ご紹介させていただくことにしました。たぶん最後の「雨」は、「南」の間違いだと思われるのですが、もしそうでなければ内山さん、ご指摘ください。
実はこの記事は9月27日に書いています。コメントを頂いた9日から既に3週間近く、ずいぶんとお返事が遅れてしまい、大変申し訳なく思っております。
このM.A.P.after5なるブログは、時系列が無茶苦茶で、大変読みずらいとかねがねアチコチからチクチクと言われておりますが、当方はめげることなく、平気で数週間遅れ、酷いものは数ヶ月、さらには年単位遅れて記事をアップするというやり方を貫いております、というか陥っております。
いろんなところでいろんな方にお会いして、写真を撮らせていただいたりして、「今日のこと、記事にさせていただきたいのですが」などとお願いをして、「楽しみにしています」なんて有難いお言葉をいただきながら、いつまでたっても記事がアップされない、さぞ不愉快な思いをされた方も多いのではないかと、申し訳なく思い、深く反省もしているのですが、どうにもならないのです。
ただただ時間がないのです。ならば記事を簡単にするとか(だいたい長ければ長いほど読んでなんかもらえないわけですから)、どうでもいいことは書かずに飛ばしてしまえばいいのに、それがどうしてもできない神経症。連続性のなかで物事をきっちりと繋ぎながら考えていかなければ、どうにも気がすまないという性癖があるらしく、簡単に済ませることがなかなか出来ないのです。
でも結局、その所為で暫定記事だらけ、かえって歯抜けの櫛状態で、朋友は冷たく去っていくばかりであります。
まあ、読者がいっこうに増えない理由は、記事の並びのややこしさよりも、ややこしい記事を書いている小生自身のややこしさが原因であることは重々承知しております。
「南」は韓国の詩人金芝河の著作ですが、それを“社長とは呼ばないで”という個人的なブログのひとつの記事の中で、ちょっとした小道具として使ってみたのです。その記事はこれです。
⇒“「作家の日記」と大説「南」”(2008年6月19日)
頂いたコメントから察するに、内山さんはサイト全体あちこち覗いてくださった御様子、普通なら直帰するような記事なのに、有難いやら恥ずかしいやら、大変恐縮であります。
“「作家の日記」と大説「南」”という記事は、“社長とは呼ばないで”の中の「三太郎」というカテゴリの記事のひとつで、実は小生、我ながら密かに一番気に入っているカテゴリが「三太郎」なのです。その一連の文章の中に、“社長とは呼ばないで”を書き続ける意味のようなものを、そっともぐりこませています。どうか一度お読みください、なんてお薦めするような代物でもありませんけれど。
できることならば、大説「南(ナム)」のような世界を、僕もまた僕なりに構築したいという大それた願望があって、当初は“社長とは呼ばないで”にそれを託し始めたのです。それがいつしか、このM.A.P.after5を含むサイト全体で「大それた願望」を実現したいと思い始めました。
たぶんそうなったのは、具体的な「現実」とどう立ち向かうのかという「誠実な課題」と無関係ではありません。しかしそれは、「現実」を表現世界にどう取り込むのかという「野望」と鏡像関係にあります。もしかすると、共犯関係と言った方が適切かもしれない。
いやいや、どうも語りすぎました。これは“社長とは呼ばないで”の世界、ここではこのくらいでやめておきます。
さて、お問い合わせいただいた金芝河(キム・ジハ)の「南」はこれです。

大説「南」は、1983年、文芸雑誌「海」の4月号に凡そ70ページにわたって掲載されました。しかしそれは、膨大な「大説」のごく一部にしか過ぎません。大説「南」は、第一部「水山(スサン)」、第二部「巫夫(ミブ)」、第三部「出関」から成り、それらはそれぞれ三場に分かれ、一場はまた三景ずつで構成されているのですが、「海」に掲載されたのは、この内の第一部・第一場・第一景のみです。
和田春樹氏の解説によると、この「第一景」は、「1982年12月25日発行の奥付をもって、ソウルの創作と批評社から出版されようとした」が発行当日に発行禁止処分となり、全冊が「断裁」されたとのことです。
「辛うじて救われた少部数のうちの一冊が東京に届き、日本語訳として、ここにはじめて世に出ることとなったのである。」
その後の大説「南」の出版事情など、小生不勉強でよく分からず申し訳ありません。
反共法により投獄された金芝河ですが、その後は神秘主義的なものに傾倒したり、最近は左派を徹底的に批判したりという噂を聞いています。その思想的な変遷はどうあれ、金芝河の大説「南」の第一景は、今から30年前、悶々と悩んでいた二十代の若造を興奮させたことは事実です。
「ありとあらゆる人間、ありとあらゆる民衆、ありとあらゆる衆生、ありとあらゆる鬼神に ありとあらゆる宇宙まで 生きるにゃ生きたがまっこと生きたのじゃないゆえに ありとあらゆるものどもを あまねくまことに生きさせる真生命が まさしくこの韓半島、それもちょうどこの南の地 南朝鮮から生ずるという 神秘で不思議な伝説 奇異かつ言語道断な予言が絶えることなく伝えられ」
若造は、「このちっぽけな俺の中にも全宇宙に匹敵する世界が内蔵されていて、一生かけてそれを表出させることができるのかもしれない」と勘違いをしました。その悪夢から、未だ目覚めることが出来ずに、脳みその中に三太郎という分身を住まわせているのです。ただ重要な鍵は、この大説「南」の「第一景」以降の、未読である膨大な26景の存在なのかもしれないと、今にして思っているのです。
内山誠さま、よろしければご連絡をくださいますよう。
(高山正樹 拝)

夜、また京都から画像が届いた。
今日もまた一言だけ。
“京都新聞”
「新聞、何を取ったらいい」
「さあ、東京新聞の系列なんてないよなあ」
「京都新聞は?」
「わからない、自分で調べてごらん」
「うん」
三十数年の時を隔てて……
【この日呟いたこと……】
21:49
あの頃の鳩山・松本・菅・鉢呂。「抱かれたくないタレントNo.1」程度の世論と低俗なマスコミが、ガチンコ力士たち(すごく弱いけど)を次々と土俵から引きずり下ろしていく。なんだか気分は千秋楽。
22:19
「低俗なマスコミ」という言い方は取り消します。そういう言い合いに嫌気が差していたはずなのに、あまりの虚しさに思わず……。何故だか、津嘉山正種さんが嗚咽したことを思い出しています。
⇒津嘉山正種さんが嗚咽した日のこと
11月10日木曜日: 消え行くことに抗って繋がろうとする意思
(追記再投稿)
《9月9日(金)》
大震災から183日目……

昨日の朝、見落とした子供。

しゃぼん玉飛んだ、屋根まで飛んだ、屋根まで飛んで、壊れて消えた……

川崎の新百合ヶ丘へ。
待っている間に、駅前にて。

切れたもの、繋げるために……。


たとえこのまま消えてしまったとしても、魅力的なミステリー。
なんでもいいから、時々写真撮って送りなさい。それで、父は安心するのだから。
食べるもの、気をつけるんだよ。
そうして、一枚の画像が届いた。
今日の鴨川。「鴨川デルタ」と一言だけ注釈がついていた。

【この日呟いたこと……】
17:22
「死の町」発言がなんで不穏当なの?この国、狂ってきたらしい。
17:37
国が決めた暫定基準値を安全とするか否かは個人で判断すべきもの。数値を示さず、ND(不検出)なんて誤魔化す現状で、福島を応援しよう的な販売促進企画には首を傾げるが、そこで買うも買わぬも個人の勝手。しかし抗議した人たちを「心無い」と評したフジTVのニュースのコメントは酷かった。
17:48
何年も前からスーパーに勤めていた友達が賞味期限や産地偽装は業界の常識だと言っていた。息子は、あるスーパーを抱える会社に就職内定したのだが、会社の人から同じことを言われたという。「でも、うちは絶対にやらないって言っていた」という。全てさらけ出さなければ、再生なんかきっとない。
18:00
では本題です。来年、琉球新報社主催の琉球古典芸能コンクール三線の部の新人賞に挑戦することにしました!あー、言っちゃった!僕、安冨祖流です。課題曲は伊野波節。しぇんしぇいは新城亘先生、あー、ほんとに言っちゃった。知ーらねっと。
18:07
なんだか自分の呟きに自己嫌悪。やっぱり140字って、苦手なようです。
22:16
懸命に勉強し、自ら考え、何が分かり何が分からないのかが見えてくると、確固たる覚悟が生まれます。それは芝居も三線も原発も同じことだという気がしてきました。今日、ふじたあさや・新城亘両先輩と話をしてそう思ったのです。ふたりとも原発の話なんかしなかったけどね。
【おまけ】

特に意味はなし。
大震災から183日目……

昨日の朝、見落とした子供。

しゃぼん玉飛んだ、屋根まで飛んだ、屋根まで飛んで、壊れて消えた……

川崎の新百合ヶ丘へ。
待っている間に、駅前にて。

切れたもの、繋げるために……。


たとえこのまま消えてしまったとしても、魅力的なミステリー。
なんでもいいから、時々写真撮って送りなさい。それで、父は安心するのだから。
食べるもの、気をつけるんだよ。
そうして、一枚の画像が届いた。
今日の鴨川。「鴨川デルタ」と一言だけ注釈がついていた。

【この日呟いたこと……】
17:22
「死の町」発言がなんで不穏当なの?この国、狂ってきたらしい。
17:37
国が決めた暫定基準値を安全とするか否かは個人で判断すべきもの。数値を示さず、ND(不検出)なんて誤魔化す現状で、福島を応援しよう的な販売促進企画には首を傾げるが、そこで買うも買わぬも個人の勝手。しかし抗議した人たちを「心無い」と評したフジTVのニュースのコメントは酷かった。
17:48
何年も前からスーパーに勤めていた友達が賞味期限や産地偽装は業界の常識だと言っていた。息子は、あるスーパーを抱える会社に就職内定したのだが、会社の人から同じことを言われたという。「でも、うちは絶対にやらないって言っていた」という。全てさらけ出さなければ、再生なんかきっとない。
18:00
では本題です。来年、琉球新報社主催の琉球古典芸能コンクール三線の部の新人賞に挑戦することにしました!あー、言っちゃった!僕、安冨祖流です。課題曲は伊野波節。しぇんしぇいは新城亘先生、あー、ほんとに言っちゃった。知ーらねっと。
18:07
なんだか自分の呟きに自己嫌悪。やっぱり140字って、苦手なようです。
22:16
懸命に勉強し、自ら考え、何が分かり何が分からないのかが見えてくると、確固たる覚悟が生まれます。それは芝居も三線も原発も同じことだという気がしてきました。今日、ふじたあさや・新城亘両先輩と話をしてそう思ったのです。ふたりとも原発の話なんかしなかったけどね。
【おまけ】

特に意味はなし。
11月 8日火曜日: 新宿3丁目地下の線量は……
(改稿・画像追加暫定再投稿)
《8月19日(金)》
雨だけど……
雨だから……
新宿の“かりゆし”へ。

混ぜる前のタコライス。

⇒混ぜた後のタコライスの記事へ

この日のことは8月9日の記事と8月13日の記事とを仕上げたら書きますが……
鈴木雄介が、こんなオモチャを持って来た。

小生が買わなかったガイガーカウンター。GM-10。

「雨だけど、どうなのさ……」
縦軸がCPM。横軸が時間。CPMとは“count per minute”、つまり、一分間に検知した放射線の数。ご覧のように毎分4だったり21だったり誤差は激しい。従って長い時間測って平均を出す。それに0.00833をかけるとμSv/hに換算できるらしい。しかしこれは、セシウム137の場合が120CPM≒1μSvであることを根拠にしている。
「で?」
だいたいこの機械がはたして放射線を100%検出しているのかどうか。そうじゃない安物の場合、性能によって割り増し補正して表示しているわけだが、それが正確であるかどうかがわからない。本来製品一個一個について補正しなければいけないのだが、まさかそんなことをやっているとは思えないし。
「だからさ、正しいとしてさ」
真ん中の青い線を見るとだな、おおよそ平均13.5CPMってところだから、13.5×0.00833で0.1μSvってところかな。
「それって割と高いんじゃないの?」
全部セシウム137だったらってことだからね。それにγ線やβ線の違いをどういうふうに補正してるんだかも分からないしねえ。ともかくだ、この程度なら気にするほどの空間線量ではないだろうってことだけは確からしい。それ以上のことは分かりません。それ以上のことを期待してもダメ。まずはこの程度で十分と思えば結構使える。この認識はけっこう重要だな。
※以上の会話はフィクションです。高山正樹がちょっと勉強して追記してみました。

カチャーシー。

沖縄の血が騒ぐ?

岩手の血でも踊る人はいる。

やっぱり僕は踊れなかったので、せめてこれくらいはと思って、ピースしてみた。

沖縄が恋しい。放射線を気にしなくて済む沖縄が……
雨だけど……
雨だから……
新宿の“かりゆし”へ。

混ぜる前のタコライス。

⇒混ぜた後のタコライスの記事へ

この日のことは8月9日の記事と8月13日の記事とを仕上げたら書きますが……
鈴木雄介が、こんなオモチャを持って来た。

小生が買わなかったガイガーカウンター。GM-10。

「雨だけど、どうなのさ……」
縦軸がCPM。横軸が時間。CPMとは“count per minute”、つまり、一分間に検知した放射線の数。ご覧のように毎分4だったり21だったり誤差は激しい。従って長い時間測って平均を出す。それに0.00833をかけるとμSv/hに換算できるらしい。しかしこれは、セシウム137の場合が120CPM≒1μSvであることを根拠にしている。
「で?」
だいたいこの機械がはたして放射線を100%検出しているのかどうか。そうじゃない安物の場合、性能によって割り増し補正して表示しているわけだが、それが正確であるかどうかがわからない。本来製品一個一個について補正しなければいけないのだが、まさかそんなことをやっているとは思えないし。
「だからさ、正しいとしてさ」
真ん中の青い線を見るとだな、おおよそ平均13.5CPMってところだから、13.5×0.00833で0.1μSvってところかな。
「それって割と高いんじゃないの?」
全部セシウム137だったらってことだからね。それにγ線やβ線の違いをどういうふうに補正してるんだかも分からないしねえ。ともかくだ、この程度なら気にするほどの空間線量ではないだろうってことだけは確からしい。それ以上のことは分かりません。それ以上のことを期待してもダメ。まずはこの程度で十分と思えば結構使える。この認識はけっこう重要だな。
※以上の会話はフィクションです。高山正樹がちょっと勉強して追記してみました。

カチャーシー。

沖縄の血が騒ぐ?

岩手の血でも踊る人はいる。

やっぱり僕は踊れなかったので、せめてこれくらいはと思って、ピースしてみた。

沖縄が恋しい。放射線を気にしなくて済む沖縄が……
11月 8日火曜日: フラフラと呟いたのだが……
《8月17日(水)》
あの大震災から160日目……
【この日呟いたこと……】
9:07
どうしても言わずにはいられない気分。日本はロシア・中国以下。自由な国民がいてこの状態だから、北朝鮮よりも悪いかもしれない。今、日本で起こっていることを知りながら黙っている人々とは、いったい何者なのか。
9:17
昨日、自由奔放に生きてきた親戚のスーパー爺さんの通夜でした。死に至った直接の原因は誤飲性肺炎。繋がれた管を片っ端からはずしてアッという間に逝ってしまった。90歳代とは思えぬ強力な筋肉でどうしようもなかった。一方オヤジは、何本もの管を受け入れて静かに生き続けている。
9:49
「僕がやりたいことは政治ではない」~芝居をやろうと思った僕の原点を見つめ直しています。時の施政者がおそれるトリックスター。ずいぶん遠いなあ……。まずは政治を政治の外側からの眼で相対化すること……。つまんないなあ、なんか違う。
10:00
親戚のスーパー爺さんは親戚中から「しょうがない奴だ」と言われていた。そんなスーパー爺さんが真面目でいい人を絵に書いたような僕のオヤジを一番尊敬していた。一方僕のオヤジは、スーパー爺さんのことが大好きで、あんなふうに生きたいといつも言っていた。
10:32
沖縄からの情報。本日の琉球新報に山猫合奏団の記事が載っていたらしい。さあ来年の沖縄公演のために動き出そう。そして現代のチョンダラーを目指してみるか。
すると、ツイッターでその記事を紹介してくださった方がいた。

なんとこの方は、シーサーズの持田明美さんの古くからのお知り合いだった。全く不思議な縁である。
15:08
100歩譲って原発が安全である可能性があるとしても、決定的なことが言えず、日本中、世界中でたくさんの人が必死に考えているという現状の中で、北海道の一知事が再稼動を決めてしまう。狂気だ。その狂気すら止められない日本。
あっちへフラフラ、こっちへフラフラ、でも、こうして並べてみると、結局原発から始まって原発で終わって、なんだか嫌になってきた。
だから、というわけでもないけれど、ちょいとこれから験直しに出掛けるとしよう。
あの大震災から160日目……
【この日呟いたこと……】
9:07
どうしても言わずにはいられない気分。日本はロシア・中国以下。自由な国民がいてこの状態だから、北朝鮮よりも悪いかもしれない。今、日本で起こっていることを知りながら黙っている人々とは、いったい何者なのか。
9:17
昨日、自由奔放に生きてきた親戚のスーパー爺さんの通夜でした。死に至った直接の原因は誤飲性肺炎。繋がれた管を片っ端からはずしてアッという間に逝ってしまった。90歳代とは思えぬ強力な筋肉でどうしようもなかった。一方オヤジは、何本もの管を受け入れて静かに生き続けている。
9:49
「僕がやりたいことは政治ではない」~芝居をやろうと思った僕の原点を見つめ直しています。時の施政者がおそれるトリックスター。ずいぶん遠いなあ……。まずは政治を政治の外側からの眼で相対化すること……。つまんないなあ、なんか違う。
10:00
親戚のスーパー爺さんは親戚中から「しょうがない奴だ」と言われていた。そんなスーパー爺さんが真面目でいい人を絵に書いたような僕のオヤジを一番尊敬していた。一方僕のオヤジは、スーパー爺さんのことが大好きで、あんなふうに生きたいといつも言っていた。
10:32
沖縄からの情報。本日の琉球新報に山猫合奏団の記事が載っていたらしい。さあ来年の沖縄公演のために動き出そう。そして現代のチョンダラーを目指してみるか。
すると、ツイッターでその記事を紹介してくださった方がいた。

なんとこの方は、シーサーズの持田明美さんの古くからのお知り合いだった。全く不思議な縁である。
15:08
100歩譲って原発が安全である可能性があるとしても、決定的なことが言えず、日本中、世界中でたくさんの人が必死に考えているという現状の中で、北海道の一知事が再稼動を決めてしまう。狂気だ。その狂気すら止められない日本。
あっちへフラフラ、こっちへフラフラ、でも、こうして並べてみると、結局原発から始まって原発で終わって、なんだか嫌になってきた。
だから、というわけでもないけれど、ちょいとこれから験直しに出掛けるとしよう。
11月 1日火曜日: 飛行機の出発時間は午前4時
《8月6日(土)~7日(日)》
長く居座った大迷惑台風もようやく去った様子。高橋進さんと那覇で食事をすることに。井上真喜ちゃんも呼んで、パラダイス通りの“CHIKI”に行くことにしました。
ところが……

「え?どうして?」
真喜ちゃんも、“CHIKI”が閉店したのは知らなかったらしい。
ともかく、仕方ありません。店を変更しました。
久しぶりの“苗”です。

さっそく“かつを飯”を注文。初めて撮影。

あんまり上手く撮れなかったけれど。
このお店、何を食べてもおいしいのです。ついつい沖縄っぽくないものを注文してしまいます。

高橋さんと話したハナシは後日報告。

なかじんさんも呼んじゃいました。なかじんさんに“CHIKI”のことを聞いたら、なんでもご主人の御親戚の事情だとか、残念だけれどしょうがないですね。
白石准と楠定憲は無事羽田に到着したらしい。
さて、なかじんさんと高橋さんはお帰りになり、しかし、我々が乗る飛行機が那覇を発つ午前4時までにはまだだいぶ間があります。
こんな時はやっぱりパラダイス通りです。
ともかく、2011年の沖縄ツアーは以上をもって無事(?)終了です!長い間ご愛読ありがとうございました、って、まだ暫定記事ばっかりですけどね。
⇒旅の始まりの記事へ(順番に読むことが出来ます)
長く居座った大迷惑台風もようやく去った様子。高橋進さんと那覇で食事をすることに。井上真喜ちゃんも呼んで、パラダイス通りの“CHIKI”に行くことにしました。
ところが……

「え?どうして?」
真喜ちゃんも、“CHIKI”が閉店したのは知らなかったらしい。
ともかく、仕方ありません。店を変更しました。
久しぶりの“苗”です。

さっそく“かつを飯”を注文。初めて撮影。

あんまり上手く撮れなかったけれど。
このお店、何を食べてもおいしいのです。ついつい沖縄っぽくないものを注文してしまいます。

高橋さんと話したハナシは後日報告。

なかじんさんも呼んじゃいました。なかじんさんに“CHIKI”のことを聞いたら、なんでもご主人の御親戚の事情だとか、残念だけれどしょうがないですね。
白石准と楠定憲は無事羽田に到着したらしい。
さて、なかじんさんと高橋さんはお帰りになり、しかし、我々が乗る飛行機が那覇を発つ午前4時までにはまだだいぶ間があります。
こんな時はやっぱりパラダイス通りです。
ななしん屋でしっかり時間を潰して、ボチボチよき頃合。

⇒[subcate.ななしん屋]
井上真喜ちゃんは最後まで付き合ってくれて、空港まで送ってくれました。
大々感謝であります。

このお礼は次回必ずね。でも、今度はいつ来れるのかなあ。
まさか避難なんて、そうじゃなければいいのだけれど。
途端になんだか憂鬱になってきたのでした……。

⇒[subcate.ななしん屋]
井上真喜ちゃんは最後まで付き合ってくれて、空港まで送ってくれました。
大々感謝であります。

このお礼は次回必ずね。でも、今度はいつ来れるのかなあ。
まさか避難なんて、そうじゃなければいいのだけれど。
途端になんだか憂鬱になってきたのでした……。
ともかく、2011年の沖縄ツアーは以上をもって無事(?)終了です!長い間ご愛読ありがとうございました、って、まだ暫定記事ばっかりですけどね。
⇒旅の始まりの記事へ(順番に読むことが出来ます)
11月 1日火曜日: FMたまん生放送ぶっつけ1時間!
《8月6日(土)-3》
FM世田谷“せたがやじーん”以来のラジオ生本番でした。
すいません、ちょっと先を急いでいるので。とりあえず画像だけ。
パーソナリティーの高橋進さんと記念撮影。

⇒高橋進さんのブログ記事

後日、諸々必ずお話しします。
FM世田谷“せたがやじーん”以来のラジオ生本番でした。
すいません、ちょっと先を急いでいるので。とりあえず画像だけ。
パーソナリティーの高橋進さんと記念撮影。

⇒高橋進さんのブログ記事

後日、諸々必ずお話しします。
11月 1日火曜日: 台風の中を出陣
《8月6日(土)-1》
あの大震災から149日目……
朝6時半、天気予報によると、なんとか今夜の飛行機は大丈夫そうなのだが、しかしいっこうに台風の勢いは収まる気配を見せない。

嘉手納の銘菓を食べながら……

こんな感じ。

本日の予定。
白石准と楠定憲は、今夜の便で東京に帰る。それまではここでしっとり過ごすらしい。致し方なし。
宇夫方路はもう少し明るくなったら、家元の稽古場へ行く。実は本日、関りえ子琉球舞踊研究所のメンバーが、コンクールの新人賞を受けるのである。そのための最後の稽古とコンクール本番の手伝いに琉球新報ホールへ行かなければならないのである。
そして小生、高山正樹は、宇夫方女史を稽古場まで送り、そのまま取引先廻りである。数件回り終えたら糸満までレンタカーを返しに行き、那覇に戻ってコンクールの本番を見ようと思っている。
お目当ての出番が終わったら、また糸満へ。急遽糸満のコミュニティラジオの生本番に出演することになったのである。そして深夜のスカイマークで帰るという予定。
ああ忙しい。
午前8時、風雨は相変わらずだが、だいぶ明るくなってきた。ということで僕らは出発。津堅さんにはマンションをお貸しいただいて、本当に助かりました。感謝感謝です。
一階ロビー。土嚢で水の浸入を防いでいる。

しかし、町はすごいことになっている。
道の真ん中からは水が噴き出しているし……

街路樹は倒れているし……

取引先でのお仕事については後日報告ということで。

あの大震災から149日目……
朝6時半、天気予報によると、なんとか今夜の飛行機は大丈夫そうなのだが、しかしいっこうに台風の勢いは収まる気配を見せない。

嘉手納の銘菓を食べながら……

こんな感じ。

本日の予定。
白石准と楠定憲は、今夜の便で東京に帰る。それまではここでしっとり過ごすらしい。致し方なし。
宇夫方路はもう少し明るくなったら、家元の稽古場へ行く。実は本日、関りえ子琉球舞踊研究所のメンバーが、コンクールの新人賞を受けるのである。そのための最後の稽古とコンクール本番の手伝いに琉球新報ホールへ行かなければならないのである。
そして小生、高山正樹は、宇夫方女史を稽古場まで送り、そのまま取引先廻りである。数件回り終えたら糸満までレンタカーを返しに行き、那覇に戻ってコンクールの本番を見ようと思っている。
お目当ての出番が終わったら、また糸満へ。急遽糸満のコミュニティラジオの生本番に出演することになったのである。そして深夜のスカイマークで帰るという予定。
ああ忙しい。
午前8時、風雨は相変わらずだが、だいぶ明るくなってきた。ということで僕らは出発。津堅さんにはマンションをお貸しいただいて、本当に助かりました。感謝感謝です。
一階ロビー。土嚢で水の浸入を防いでいる。

しかし、町はすごいことになっている。
道の真ん中からは水が噴き出しているし……

街路樹は倒れているし……

取引先でのお仕事については後日報告ということで。

11月 1日火曜日: 台風の散歩は迷惑だ
《8月5日(金)》
あの大震災から148日目……
那覇のビジネスホテル。
朝、目が覚めてトイレに行こうとベッドから降りると、足が冷たい。なんだと思ったら、床に敷かれたカーペットがビショビショに濡れている。
どうやら横殴りの雨がサッシの隙間からしみ込んできているらしい。特にガタついた窓ではない。つまり、沖縄の台風恐るべしなのである。
小さな部屋である。大きな荷物を入れておくような棚がないので、荷物は床に放り出してあった。たまたま窓から離れた入り口の方に置いてあったから助かったが、あと小一時間もしたら、着替えから紙の資料まで、大変なことになっていたに違いない。
今晩も宿泊予定のホテルである。部屋を変えて貰おうとフロントに電話を入れた。しかし、どの部屋も同じような状況らしい。
事の顛末は後日書けることを書こうと思うが、結局、今日も飛行機が飛ばずに東京へ帰れない白石准と楠定憲と、みんなで那覇にある前NHK交響楽団首席トランペット奏者、津堅直弘氏所有のマンションに転がり込むことになったのである。
いたる所で信号が壊れている。

殆どの店が閉まっているが、ただ一軒、地元のスーパーが営業していて助かった。

ここで買出しをしてマンションに篭る。
それぞれが、持参したPCをいじくる以外やることがない。
沖縄で10階以上のマンションなんて滅多にない。避難しているらしい船が見える。

夜になるとますます恐ろしい感じになってきた。
なんとか窓に当たる雨のすさまじさをカメラに収めようとするのだが、なかなか上手くいかないのである。

「このくらいの台風、どうってことないさ」と、壁に掛けられた津堅のトランペットが笑っていた。

それにしても時速数キロとは。犬の散歩じゃないんだから、いくらなんでももう少しスピード上げられないもんかいなあ。
あの大震災から148日目……
那覇のビジネスホテル。
朝、目が覚めてトイレに行こうとベッドから降りると、足が冷たい。なんだと思ったら、床に敷かれたカーペットがビショビショに濡れている。
どうやら横殴りの雨がサッシの隙間からしみ込んできているらしい。特にガタついた窓ではない。つまり、沖縄の台風恐るべしなのである。
小さな部屋である。大きな荷物を入れておくような棚がないので、荷物は床に放り出してあった。たまたま窓から離れた入り口の方に置いてあったから助かったが、あと小一時間もしたら、着替えから紙の資料まで、大変なことになっていたに違いない。
今晩も宿泊予定のホテルである。部屋を変えて貰おうとフロントに電話を入れた。しかし、どの部屋も同じような状況らしい。
事の顛末は後日書けることを書こうと思うが、結局、今日も飛行機が飛ばずに東京へ帰れない白石准と楠定憲と、みんなで那覇にある前NHK交響楽団首席トランペット奏者、津堅直弘氏所有のマンションに転がり込むことになったのである。
いたる所で信号が壊れている。

殆どの店が閉まっているが、ただ一軒、地元のスーパーが営業していて助かった。

ここで買出しをしてマンションに篭る。
それぞれが、持参したPCをいじくる以外やることがない。
沖縄で10階以上のマンションなんて滅多にない。避難しているらしい船が見える。

夜になるとますます恐ろしい感じになってきた。
なんとか窓に当たる雨のすさまじさをカメラに収めようとするのだが、なかなか上手くいかないのである。

「このくらいの台風、どうってことないさ」と、壁に掛けられた津堅のトランペットが笑っていた。

それにしても時速数キロとは。犬の散歩じゃないんだから、いくらなんでももう少しスピード上げられないもんかいなあ。
10月31日月曜日: うりずん~土~ななしん屋
《8月4日(木)~5日(金)》
夜、マスターにお礼しなければと“うりずん”へ。
詳細は後日、まずはざっと報告。
入嵩西康文さんもいらっしゃいました。

今夜も宇夫方女史は踊ります。

お客さんたちも最高に楽しそうです。

もちろん仕切っているのは新城亘先生。

“うりずん”のオーナー土屋さんの実に楽しそうな笑顔。
亘先生を中心に、女性のお客様たちを交えての恒例の記念撮影。
その1

あれ、なんで楠さんいるの?
その2

まあ、准ちゃんまで。
そうなんです。ふたり、台風で帰れなかったんです。
だから、詳細は後日。
それから“土”へ行って……

夜、マスターにお礼しなければと“うりずん”へ。
詳細は後日、まずはざっと報告。
入嵩西康文さんもいらっしゃいました。

今夜も宇夫方女史は踊ります。

お客さんたちも最高に楽しそうです。

もちろん仕切っているのは新城亘先生。

“うりずん”のオーナー土屋さんの実に楽しそうな笑顔。
亘先生を中心に、女性のお客様たちを交えての恒例の記念撮影。
その1

あれ、なんで楠さんいるの?
その2

まあ、准ちゃんまで。
そうなんです。ふたり、台風で帰れなかったんです。
だから、詳細は後日。
それから“土”へ行って……

10月31日月曜日: 北谷のアメリカンビレッジへ
《8月4日(木)-4》
ここは北谷アメリカンビレッジ。返還された米軍基地の跡地。

訪れたのは“AKARA”

この中に“ボクネン美術館”がある。
中に入る前に、建物の姿などを撮影しておこうと思った。雨が降ってこないうちに。

と、沖縄市のコリンザの100円ショップで買った帽子が強風に煽られて……

ああ……

報告は後日しますよ、智内さん。

ここは北谷アメリカンビレッジ。返還された米軍基地の跡地。

訪れたのは“AKARA”

この中に“ボクネン美術館”がある。
中に入る前に、建物の姿などを撮影しておこうと思った。雨が降ってこないうちに。

と、沖縄市のコリンザの100円ショップで買った帽子が強風に煽られて……

ああ……

報告は後日しますよ、智内さん。



