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11月16日水曜日: 台風一過(追記再投稿)

《9月21日(水)》
大震災から195日目……
雨。外。
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なので内も測ってみた。
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外と同じ0.07μSv/h、少し高い?
いや、特筆すべきこと、なし。

ちょいと“劇団あとむ”の稽古を見学に行った。
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思い出し稽古のようなものだから、あれこれ言うことはないのだけれど、演じることと音楽を奏でることの違いを、僕はツラツラ考えていたりしたのだ。
そんな僕の感覚を、もしも彼らに話してみたとして、そしたらいったいどういう反応が返ってくるだろう。
「みんな、どんな役者になりたかったの?」
……なんて、今演じているプロの役者に聞いたら失礼だよね。

線量計はいつだって持ち歩いているのさ。
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最初は見えない周りのことを知りたかったからなのだが、今は、決して忘れてはならないことを忘れない用心のための、小指に結わいた紙縒りのようなものになった。
「俺は何故芝居を始めたのか」
もちろん、彼らに話すつもりなど毛頭ない。至極私的な理由なのだと、一生懸命自分に言い聞かせている。「フクシマ」のことも、「オキナワ」のことも。

【この日呟いたこと(その1)】
12:40
食べ物は気をつけたいんだけど、出前頼んじゃったんだけど、雨と風がすごいことになってるんだけど、出前が届くかどうか心配なんだけど、今日の夜は芝居を観に行く予定なんだけど、だけど、だけど……


府中へ、青年劇場の「普天間」を観に行くはずであった。予約もしていた。が、近づく台風の影響で、電車が止まった。東京では経験したことのないような大きさの台風。劇団に問い合わせると、公演を中止する予定はないという。
車で行くことにした。事務所の向かいにある駐車場へ行く間に傘が壊れた。こんな台風で傘を差すのが間違っていると、台風慣れした地方の人には言われそうだが(沖縄の人は言わない、なぜなら沖縄の人たちは台風が来たら表に出ないから)、僕だって放射能のことがなければ、傘なんて開かなかった。
でも結局濡れちまったわけだから、適切なリスク管理ができていなかったということ。情緒に支配された非論理的な行動である。
エンジンをかけた。と数メートル先にあるガレージの屋根が剥がれて飛んで、別の車の上に音を立てて落ちた。傷、大丈夫かな。明日、もめなきゃいいけど。
出かけるのをあきらめた。

事務所に戻った。すっかり濡れた。窓から、壊れた屋根を撮影してみた。
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青年劇場に、キャンセルの電話を入れた。

【この日呟いたこと(その2)】
18:40
電車が止まっているので青年劇場の「普天間」は車で行くことにした。車に乗るまでに傘が壊れた。目の前のガレージの屋根が飛んだ。出かけるのは諦めた。予約をキャンセルした。先方がお金のことを言い出した。まだお金を払っていなかったから問題なかったが、すでに買っちゃった人は?


やがて台風は北へ去った。福島、大丈夫かな。
東京の電車は運行を再開したらしい。

夜のことは後日。
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リック・タナカのことは、まとめて書く。
次の記事(9月22日の計測)へ

11月 1日火曜日: 台風の中を出陣

《8月6日(土)-1》
あの大震災から149日目……
朝6時半、天気予報によると、なんとか今夜の飛行機は大丈夫そうなのだが、しかしいっこうに台風の勢いは収まる気配を見せない。
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嘉手納の銘菓を食べながら……
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こんな感じ。
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本日の予定。
白石准と楠定憲は、今夜の便で東京に帰る。それまではここでしっとり過ごすらしい。致し方なし。
宇夫方路はもう少し明るくなったら、家元の稽古場へ行く。実は本日、関りえ子琉球舞踊研究所のメンバーが、コンクールの新人賞を受けるのである。そのための最後の稽古とコンクール本番の手伝いに琉球新報ホールへ行かなければならないのである。
そして小生、高山正樹は、宇夫方女史を稽古場まで送り、そのまま取引先廻りである。数件回り終えたら糸満までレンタカーを返しに行き、那覇に戻ってコンクールの本番を見ようと思っている。

お目当ての出番が終わったら、また糸満へ。急遽糸満のコミュニティラジオの生本番に出演することになったのである。そして深夜のスカイマークで帰るという予定。

ああ忙しい。

午前8時、風雨は相変わらずだが、だいぶ明るくなってきた。ということで僕らは出発。津堅さんにはマンションをお貸しいただいて、本当に助かりました。感謝感謝です。

一階ロビー。土嚢で水の浸入を防いでいる。
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しかし、町はすごいことになっている。
道の真ん中からは水が噴き出しているし……
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街路樹は倒れているし……
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取引先でのお仕事については後日報告ということで。
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11月 1日火曜日: 台風の散歩は迷惑だ

《8月5日(金)》
あの大震災から148日目……
那覇のビジネスホテル。
朝、目が覚めてトイレに行こうとベッドから降りると、足が冷たい。なんだと思ったら、床に敷かれたカーペットがビショビショに濡れている。

どうやら横殴りの雨がサッシの隙間からしみ込んできているらしい。特にガタついた窓ではない。つまり、沖縄の台風恐るべしなのである。
小さな部屋である。大きな荷物を入れておくような棚がないので、荷物は床に放り出してあった。たまたま窓から離れた入り口の方に置いてあったから助かったが、あと小一時間もしたら、着替えから紙の資料まで、大変なことになっていたに違いない。

今晩も宿泊予定のホテルである。部屋を変えて貰おうとフロントに電話を入れた。しかし、どの部屋も同じような状況らしい。

事の顛末は後日書けることを書こうと思うが、結局、今日も飛行機が飛ばずに東京へ帰れない白石准と楠定憲と、みんなで那覇にある前NHK交響楽団首席トランペット奏者、津堅直弘氏所有のマンションに転がり込むことになったのである。

いたる所で信号が壊れている。
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殆どの店が閉まっているが、ただ一軒、地元のスーパーが営業していて助かった。
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ここで買出しをしてマンションに篭る。
それぞれが、持参したPCをいじくる以外やることがない。
沖縄で10階以上のマンションなんて滅多にない。避難しているらしい船が見える。
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夜になるとますます恐ろしい感じになってきた。
なんとか窓に当たる雨のすさまじさをカメラに収めようとするのだが、なかなか上手くいかないのである。
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「このくらいの台風、どうってことないさ」と、壁に掛けられた津堅のトランペットが笑っていた。
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それにしても時速数キロとは。犬の散歩じゃないんだから、いくらなんでももう少しスピード上げられないもんかいなあ。


《8月4日(木)~5日(金)》
夜、マスターにお礼しなければと“うりずん”へ。

詳細は後日、まずはざっと報告。

入嵩西康文さんもいらっしゃいました。
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今夜も宇夫方女史は踊ります。
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お客さんたちも最高に楽しそうです。
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もちろん仕切っているのは新城亘先生。
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“うりずん”のオーナー土屋さんの実に楽しそうな笑顔。

亘先生を中心に、女性のお客様たちを交えての恒例の記念撮影。
その1
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あれ、なんで楠さんいるの?
その2
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まあ、准ちゃんまで。
そうなんです。ふたり、台風で帰れなかったんです。

だから、詳細は後日。


それから“土”へ行って……
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“ななしん屋”に行って……
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そして午前様。

次の旅の記事へ


《8月4日(木)-1》
あの大震災から147日目……
こんな御宿に泊めていただいているのである。
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朝6時過ぎ、表に出てみた。
おや?
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ずいぶんと近づいてきているらしい。
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実はこの記事、この日ではなく、ずっと後の10月の終わりに書いている。旅はいつでもそうだが、なかなか落ち着いてネットに投稿することなど出来ない。ならば書かなければいい。しかし、一貫性と連続性が重要なファクターだと相変わらず僕は思い込んでいて、いくら遅れても、どうしても書かずにはいられない。このブログを、続き物として読んでくれる人なんて、滅多にいやしない。そんなことは重々承知しているのだが。

記事が書けないことを埋め合わせるように、ツイッターを開いて、今の気分に合った他人様の呟きを見つけて久しぶりにリツイートしてみたりした。那覇に住んでいる「大一」という人の呟き。
「泡瀬干潟の問題。仮に万が一、埋立に経済的合理性があったとしても、壊したらもう元通りにはできない貴重な自然と、経済的合理性があるという開発を天秤にかけた時に、簡単に自然を切り捨てていいのだろうか?将来に必要なのはどこにでもある人工物より自然だ」

僕は、もうひとつの別の気分を、自分自身で呟いてみることにした。他人の呟きをいくら探しても、なかなか見つからない気分だから。

【そして久しぶりに呟いた】
8:27
今の日本国で人らしくあろうとすれば、ここ沖縄で、ネットなどとは一切無縁に暮らす、それしかないのかも。「そんな都合のいいこと許してくれますか」と、そっと心の中で沖縄の人たちに尋ねてみた。


能天気な連中は、今日帰るのである。
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だから、沖縄に残って仕事をする我々とはここでお別れである。
「お疲れさん、今度は東京で」

の、はずであったのだが……

午前9時を回った。海はいよいよ異様な感じになってきた。
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僕と宇夫方女史は、あちこち寄りながら那覇方面へ向かう予定。だがその前に、海の近くまで行ってみたくなった。少し北上すれば、道は海岸線の脇を通る。ちょっとした冒険心。
おお、これこれ、波が防波堤を飛び越している。
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ちょいと良さげなところに車を停めてカメラを構えた。
おお!
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わお!
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これね、画像じゃあ大したことないように見えるけれど、結構すごいのである。だんだん恐ろしくなってきた。ダメだ、もう行こう、と車を出した。しまった、帰りは海側だ、やばいかもしれない……、と!
ぎゃ~!!
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「撮った?撮った?今の、撮った?!」

教訓。
台風を甘く見ては絶対いけない!


8月 3日水曜日: 辺野古2011(5)

《8月3日(水)-1》
あの大震災から146日目……
去年の恩名村ではライオンズクラブさんがすばらしいお宿を用意してくださった。そして今年……
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「わ」ナンバーは殆どない。つまり、沖縄のお金持ちの別荘群。一番手前の軽自動車だけがレンタカー。僕が借りた車。こんなショボイ車は他には見当たらない。
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こんな豪勢なところに泊めていただいて、園長さんの御主人の会社の持ち物らしく、御主人の御計らいに感謝である。
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ん?
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波が……
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台風が近づいている。
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8月 2日火曜日: 辺野古2011(4)

《8月2日(火)-5》
「2006年のこと。一世帯当たり1億5千万円の一時金と年間200万円の補償金を国に要求する方針を決めたが、県内からも批判を受けて取り下げた」

公民館のロビーのガラス棚には、少年野球関連のトロフィーやら写真の額やらがたくさん並べられていた。
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沖縄の夕方は、いつまでも明るい。公民館の表では子供たちが素振りをしていた。
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山猫合奏団の公演を観た子供たちなのかどうか、数人の大人が付き添って指導していた。

今に始まったことではないのかもしれない。あるいは、沖縄ばかりではないのかもしれないから、どうか聞き流していただきたい。僕になんやかやと語る資格はない。
いつだったか、沖縄の方からこんなことを伺ったことがある。今、沖縄では子供に野球やサッカーをやらせることがとても流行っている。日曜や祭日の全てを、子供のスポーツの練習に付き合ったり、試合を観に行くことに費やす。子供のスポーツだけが生き甲斐というような親が増えているのだという。はっきりと口には出さないが、子供をプロ野球やプロサッカーの選手にする、そんな密やかな夢だけに支えられた生活。そこにしか主体的な希望を持てなくなってしまった沖縄、と、その方は言った。

カミサンの実家でも、家族の話題の半分は、子供のサッカーのことである。たとえ僕が沖縄の基地のハナシをしだしても、かつてのように深まっていくことなく、いつしかまたサッカーのハナシに流れていくので、最近は始めから黙っている。三線を弾いてみたところで、子供たちはさほど興味を示さない。キジムナーでの公演があっても、子供のサッカーの試合があればそちらが優先される。

「何々」より「何」の方が上等だというようなことを言いたいわけではない。ただ、「何か」しか見えなくなることは如何なものかと思うのだ。親がそうなっては、幼い子供はもっと見えなくなるに違いない。
僕には、それが一時金と補償金を要求しておかしいとは思わない感覚と決して無関係には思えないのだと、そんなことを言ってみても、きっと誰も聞かない。聞かなくてよい。僕には語る資格がないのだから。

夜のための買出しへ。西海岸まで出なければ大きな店がない。でも、例のトンネルを通ればあっという間だ。
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1ドル=74円……
西の海は茜色の気配。
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宿は東海岸。さびしいはずの東海岸だが。
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東の海はまだまだ明るい。
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え、こんなところがこんなところに?そして、今晩はここに!
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ダメだ、このままだと何を書き出すか、自分でも抑えられそうにない。日を改めて書く、と決めた。
だからさ、はやいところ“社長とは呼ばないで”という捌け口を再開しなきゃ。


8月 2日火曜日: 辺野古2011(3)

《8月2日(火)-4》
僕らは座り込みはしていません。
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どういうこと? だからさ……
 ⇒辺野古2011(1)
僕らは音楽家と、それから、えーと、僕、何?
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明日の“どんぐり”のための合わせなのです。なんたって、久しぶりですから。今日の“ゴーシュ”は問題なし。お客さん次第ですけど。

近くの食堂へお昼を食べに行きました。
白石准ちゃんはヘチマの炒め物。
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水っぽくて独特の匂いがあって苦手だという人もいます。こういう時は必ずチャレンジする准ちゃんは「いいね!」(facebook風)

あくまで一般論として、僕が思っている個人的な意見なのですが、食べ慣れないものについては、最低3回くらい食べてみるまで、能書きは控えておくのがよろしい。

カツカレーライス。家庭料理っぽい工夫がされてます。
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つまり、家庭料理ってこと?
※「沖縄の家庭料理問題」については今までも時々書いてきました。
 ⇒沖縄の定番【那覇公設市場周辺】
 ⇒沖縄の家庭料理を出してもお金は取れない

沖縄へ来たんだから沖縄のもの食べなきゃっていうような沖縄フリークになってはいけません。何を食べようが自由です。

なんだか今日の僕はギスギスしてるなあ、なんでかなあ。

僕は“味噌汁”を頼みました。
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“味噌汁”というのは、沖縄の大衆食堂の定番メニューです。具沢山のお味噌汁にちょっとしたおかずと大盛りご飯がついてきます。他に“おかず”という定食メニューもあります。そんなことを知らずに、“おかず”と“味噌汁と“ごはん”を注文しようものなら、大皿のおかずと小さなおかずと、どんぶりの味噌汁と小さな御碗の味噌汁と、山盛り御飯が三つ出てきて大変なことになってしまいます。

さあ、腹ごしらえ完了。いよいよ本番です。まずはチェロの演奏から。
「はじまったよーん」
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「宇夫方さん録画中」
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 ⇒Official_Blogの記事

今回の公演は、宇夫方隆士氏の教会関係のお友達という繋がりで実現しました。そのお友達とは“児童養護施設なごみの園”の園長さんです。ある事情で親と一緒に暮らすことの出来ない子供たちの施設。今日のお客さんは、そこの子供たちと、近隣のお年寄りだと伺いました。そのほかにも近所の子供たちが来ていたのかどうか、なぜだか聞けませんでした。

終演後、ピザをご馳走になりました。
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でもお昼が遅かったので、けっこうお腹いっぱいなのです。それにこのピザ、米軍基地内の店のものです。基地に入ることのできるパスを持っている方に買ってきていただいたということで、デカイのです。うっぷ…
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米軍基地へのパスは、このあたりの方はけっこう持っていらっしゃったのだとか。でも「色々あってから」簡単には発行されなくなったのだそうです。だからこのピザは、パスを持っているお友達に頼んで買ってきていただいたとのこと。しかし、いったいどういう方にパスを待つ許可が下りるのでしょうか。これも聞けなかった。ああ、思い切って色々なことを聞いてみればよかったと、ちょっと、いやとっても後悔しています。僕は本当の現実を知る機会を、自ら放棄してしまったのです。

「お前は、この問題に対して能書きを言う資格はない」
「ヘチマのことはウチナーグチで“ナーベーラー”と言います。色々な味付けで、今まで10回くらい食べたことがあります」
「で?」

ピザは半分ほど頂いて、残りは今晩のお酒のツマミにということで、お持ち帰りとなりました。

あれ、なんだか僕、頭がおかしくなったのかなあ。
早く、“社長とは呼ばないで”を再開したいと思っているのです。


《8月2日(火)-1》
再び……
あの大震災から145日目……

7月30日の朝には気がつかなかったとんがり山を発見。
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ネットで調べてたぶんそうだろうというこの山の名前を見つけたのだが、万が一世界に向けて間違ってはいけない。
ただ、色々と調べていくうちに、500メートルにも満たない山々だが、沖縄の山を登るのは、かなり面白そうだということが分かった。

おはよう!
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出発。
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まず、明日の公演の打ち合わせのため、名護市民会館へ。
すると、とてつもなく美しい海が見えた。
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会館の方に伺うと、やはり今日はとりわけ美しいという。太陽の角度なのか、あるいは海の温度なのか、午後になるとくすんでしまうらしい。
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もろもろ詳細後日。


8月 1日月曜日: 古宇利島へ

《8月1日(月)-4》

(画像先行アップ)

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(後日執筆)


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高山正樹 Masaki Takayama
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