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《7月28日(木)東京》
東京の宇夫方路です。今日の朝、やっとゴーヤーを大きなプランターに植え替えました。
こっちが一昨年大崎で頂いた苗の孫。
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で、こっちが去年代田橋の沖縄タウンで貰った苗の子供です。
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これで沖縄へ行く準備が出来ました。
今日はこれから厚木と狛江の教室の日。しっかり先生をやって、深夜の飛行機で沖縄へ向かいま~す。
 ⇒琉球舞踊専用ブログ
(宇夫方路)

【追記(9月9日)】
この日から三日間、東京のモリタリングポストの数値が揺れた。それまでずっと0.06μSv/hに満たない値だったものが、この日28日が0.062、翌29日は0.067、30日が0.070。もちろん大した数値ではない。ただ、何年後にか振り返った時の備忘録として。
それ以後も小さな揺れはあるが、9月9日現在まで、比較的大きな値を示したのは8月19日の1日のみ。その数値は0.083であった。(ちなみに神奈川のモリタリングポストの茅ヶ崎でも0.081。)
 ⇒http://lince.jp/hito/sinjuku3……
それを知ったのが2日後の21日。
 ⇒http://lince.jp/hito/atonomaturi……

しかし気になるのは8月8日から9日にかけての、モリタリングポストのデータには全く表れない情報なのである。
 ⇒http://lince.jp/hito/omocha……
(高山正樹)

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7月23日土曜日: 旅立つ日の朝

《7月23日(土)-1》
東日本大震災から135日目……
大きなプランターに移して、寄り添う支持棒を立てて、去年からずっと張りっぱなしのネットまでの道筋をつけて、それから沖縄へ出発したかったのだが、なんやかやで間に合わなかった。

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あの3.11以来、全てのことが何かの象徴に思える。神経症と揶揄されても構わない。多くの偉大な芸術家がそうであったように、もちろん、僕は彼らの足元にも及ばないわけなのだが、それが何かの原動力になっている。「何か」とは、決して政治であるわけもなく、上滑りした原発の存否のことでもなく、というか、原発こそが「何か」の影なのだと思っている。
※この記事は、オヤジが息を引き取った日の翌日、2011年夏の終わりの日の朝に書き直している。

そしてM.A.P.after5は、やっと2011年の、沖縄ツアーへと繋がったのである。


7月17日日曜日: 飲んだから辛いのです

東日本大震災から129日目……

アップルって、どうなのさ。円高還元で値下げって、そりゃ勝手だけどさ、一言の相談もなしにコンテンツを提供してる方の取り分も勝手に値下げってどういうこった!なんて会社だ。あったまきた。ざーけんな。
もーiTunesなんて、ちったあハクがつくかと思ったが、もうそんな時代じゃあない。アップル大ッ嫌いだから配信やめちまうか。ってそれが出来ない奴隷契約。

【うんでもって呟いた】
7:46
嫌でもiTunes storeから撤退できない。メーカーにコンテンツの提供を止める権利なし。そういう最悪な契約。


まったく朝から腹が立つ。

コモンズが『脱原発社会を創る30人の提言』って本を出すらしい。執筆者は小出裕章、坂本龍一、田中優、上野千鶴子、保坂展人、飯田哲也、宇都宮健児、後藤政志、日比野克彦などなど……。コモンズさんは智内さんのどうもあんまり売れそうもない本を出版してくれる殊勝な出版社。

【うんでもって呟いた、その2】
15:31
智内さんの代弁「コモンズ頑張ってていいね」


ぼちぼちパンクしたタイヤを交換してパンクを直さないとイカン、と、重い腰を上げて事務所から外へ出た。

暑い…
ジリジリと太陽が照りつける…

この車とコンビを組んで日本全国を調査で走り回ってたんだ。タイヤ交換くらいどうってこたあない。
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しかし、昨日飲んじまったから辛いのよね。

あや……
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いったい何を踏んだのさ?

汗グダグダ。もう今日はおしまい。帰って寝ることにした。


7月14日木曜日: もしも明日が本当に……

東日本大震災から126日目……
種から芽は出たけれど、土を持ち上げる力のないゴーヤーたち。
あんなにたくさんあった種なのに、命を繋いだのはたった四つだけ。
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でもね、少し植えるのが遅かったけれど、放射能も気になるけれど、丹念に育ててみようと思う。

こんなの貰ったから食べてみた。
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特に意味はない。

【この日呟いたこと……】

管直人が脱原発を宣言した。すると、政財界から無責任だと一斉に批判の嵐。散々叩いて人気を底まで落としておいたから、巷の顔色をうかがうことも無く、安心して管直人を責め続ける。
「実現できるかどうか検証もせずに思いつきで勝手なことを言うなんて、首相としてもってのほかだ!」

13:08
まず目標を定めてそこへ向けて最大限努力するってダメなの。道筋を確かめてからでないと目標は掲げられないの。そうだとしたら、やっと見つけた小さな道たちはもぐらたたきのようにことごとく保守的な人々に否定され潰されだろう。そして結局何も変えられない。そんな国。

17:58
県外移設を言った鳩山由紀夫をできるわけないとボロクソにけなし、結果県外移設は頓挫。最低の首相として辞任。世論が支えていればどうなったか分からないのに。「脱原発」も同じ運命。責めるのはもう少し見極めてからでも遅くないのではないか。

18:07
今の菅直人像は、原発を推進したい勢力(大手メディア)によって作られたもので、それに世論が影響されているのだとしたら。絶対にそうではないと言えますか?このままだと菅直人の次は原発を止めない人。



「もし世界の終りが明日だとしても私は今日林檎の種子をまくだろう」
なんだか喩え話じゃなくなってきた気がする。


7月12日火曜日: 実感なく……


昨日、発注業者から担当者がやってきた。
あれ、心機一転じゃなかったの?
小さな仕事。だが背に腹は変えられない。

任せた。僕は手を出さないから。

【この日呟いたこと……】

19:30
なんで1ドル79円台なんだ?ってなことは今月からはどうでもいいことにしようって決めたんだ。だってちっとも実感がないから。だけど気になる円ドル相場。まるで放射線みたい。


経済弱者、情報弱者には実感なく、したがってしばらくは無関係。
「すぐには影響ありませんから」

東日本大震災から124日目……

千葉県流山市のごみ焼却処理施設から、基準値を大きく上回る放射性セシウムに汚染された焼却灰30トンが、最終処分のため秋田県に搬入された。

22:36
「辺境」の人々の心が踏みにじられていく。それに目を瞑った豊かさなどなくていい。原発全基即時停止は、経済や実感とは一線を隔した美学の問題。




7月10日日曜日: 一日中ぶつぶつ……

東日本大震災から122日目……
“チョンダラーの歌”をどうしよう、そのことを考えるために、今日の三線の稽古を休むことにした。
 ⇒この日の三線教室専用ブログの記事

しかし、いっこうにアイディアが浮かばない。勢い、ツイッターばかり眺めていた。
ぶつぶつ、ぶつぶつ……

【呟いたこと……】

10:00
シャワーを浴びようとパンツに手をかけたら揺れた。テレビつけて変なカッコでニュース速報を待つ。


民主党の前原誠司が辺野古移設について「どこが与党でも推進」と強調したというニュース。どこがって自民党以外にないのだろうが、ふと思ったので呟いた。

12:32
原発再稼動も同じ。それに反対する人間が総理になったら菅直人と同じようにボロボロにされる。メディアが共謀。洗脳される国民。


13:09
何か確信があって菅直人を擁護しているのではない。ただボクの周りには菅をボロクソに言う者ばかり。メディアが流す偏った表層的な情報のイメージを、何故これほど単純に信じているのか。疑え、と言いたいのだ。


我が家の比較的近くで、放射線量を継続的に調べてツイートしている方を見つけた。
 ⇒http://twitter.com/#!/Ilovemana
そこで……
13:15
一度我が家の傍でも計っていただきたい。その際は是非同行させていただきたいものです。

……と呟いておいた。

竹田圭吾は原発について比較的中立で信用が置けるというような誰かのツイッターを読んだので、しばらくフォローとやらをしていた。だいぶ前に一度書いたことだが、彼がこんなことを呟いた。

「そこまで反原発を唱えるなら、なぜ同じ熱意で反米軍基地と言わないのだろう。汚染や放射線が心配とか、要するに自分の身の安全を心配してるだけじゃないか。と、もし自分が嘉手納町民や名護市民だったら」

僕はなんだか引っかかったから、「だからよー」と呟いた。

彼は反原発なのか否か。また、嘉手納町民でも名護市民でもない竹田圭吾は沖縄の米軍基地をどう考えているのか。彼の過去の言説を調べれば分かることなのだろう。だが僕は、竹田圭吾の冷静を装った短い言葉が、どうも鼻についたのである。
彼は、この短い言葉で、反原発を唱える人々に向けて、原発と同様に沖縄の基地問題にも目を向けようというメッセージを送ろうとしたのか、全くそうではないだろう。結局彼は何も語っていない。
「この男は、人間的な感覚を無意識のうちに高みから見下しているのではないか」

だから彼の言説は無味乾燥で、生きた人間を置き去りにしている。国家全体の利害にとって、沖縄の基地や原発が必要だという理由を見つければ、彼は簡単に賛成に回るだろう、そんなふうに思えた。だから、「自分が嘉手納町民や名護市民だったら」という言い方が、やけに「汚い」と思った。

以来その印象は強くなった。何度かRTの実験もしてみたが、反応があるわけもなかった。

ある人が、竹田圭吾のツイートに対して、「いつからかすっかり脱原発に変身した?」と呟いた。竹田圭吾はそれに「元からだよ」と反応した。この「すっかり」が重要だったのだ。
そこで僕はRTした。

13:29
なんだそうだったんですか。そうじゃないと思ってたからフォローしていたのに。分かりにくいなあ


すると竹田圭吾から返信がきた。
「フォローしてほしいなんて誰も頼んでないけど。」
“元からだよ”といい、“誰も頼んでないけど”といい、初めてやり取りする年長者に対してなんとも失礼な言い方だ。
しかし僕はジッとこらえて真面目に答えたのである。

14:31
もちろんフォローするかしないかはこちらの勝手。分かりきったハナシです。なのにそこだけを突っ込んだ返信。本旨の「分かりにくい」に正面から答えが返ってくれば面白いと思ったのですがね。


竹田圭吾は僕をブロックした。僕は竹田圭吾を見限った。

すると、三線の稽古を終えた鈴木雄介からツイッターでメッセージが届いた。
「twitter いじってるヒマあるんだったらコンサートに来なさい」
今日の夜、シーサーズのライブなのである。“チョンダラーの歌”で閃けば、元気に出かけるつもりなのだ。しかし、どうも期待薄である。

ぶつぶつ、ぶつぶつ……

デーブ・スペクターが「菅さんが一番最初にストレステストを受けた方がいいと思ってるのは私だけ?」と呟いた。またこれだ、と、思った。そしてデーブ・スペクターに向けて呟いた。

18:24
貴方の他にもたくさんいます。きっと日本人の9割くらいは。しかし一番最初にストレステストを受けるべきはやっぱり原発でしょう。違いますか?


そして鳥越俊太郎の呟きを見つけてリツイートした。
「メヂイアやTwitterみてると、管さんに悪口雑言、悪口言いたいを放題、バッシング集中砲火だねぇ。管さんの悪口が日本の流行みたい。流行に乗り遅れないよう先を争っているよ。でも今回の震災・原発どれもが想定外のこと。何べんも現場を見てきた者が言うが。そんなに簡単にはいきませんぜ。」

18:34
でもさ、ストレステストなんかやらずに原発は停止する。その上で温暖化問題に叡智を傾け、もし電力不足があるならそれもなんとか対策を搾り出す。きっと哲学も必要。そんな日本発の潮流が生まれないかなあ。ストレステストの結果が原発再稼動の根拠なんてのだけは御免だなあ。


昼過ぎ、放射線量を調べている方に向けての呟きに、夕方返信が来た。
「当方幼子連れにて、予定を合わせるのが難しいので同行はご容赦ください。」
そこで僕も返事を書いた。
18:34
それは残念です。農作物と同じで、計測した人が分かる情報を人は信頼する、それがM.A.P.after5の理念(大げさ?)。でもしかたないですね


この方はGM管のTERRAとシンチレーション式のDoseという二つの機種を使っていて、いつもおおよそGM管が0.09μSv/h、シンチレーション式のほうが0.05μSv/hといったところ。その違いを直接伺ってみた。

19:23
二機種の数値の違いをどう読めばいいのか、ご教授頂けませんか?

すると、「私も素人なので正確にはお答え出来ません」との鄭重なお答えが返ってきた。

そこでちょっと調べてみた。
ここから先は、下記記事と合わせてお読みくださいませ。
 ⇒安全デマか、煽っているのか
いわゆるガイガーカウンターは、普通GM管(ガイガーミュラー計数管)のことを指す。GM管は本来β線を計測するもので、物の表面線量測定に向いている。空間線量で問題になるのはGM管では計測しにくいγ線。飛んでるγ線を感知するわけだけれど、GM管はγ線が1000個飛んだうち例えば10個程度しか捕まえられない。そこでγ線に合わせて×100というような補正するわけだが、β線の方は逆に1000個のうち100個を拾ってしまうので、その入射したβ線も100×100で計算してしまって結果とても大きな値になってしまう。それを避けるためには、アルミ板を使うなど、何らかの方法でβ線を遮断しなければならないのだが、これがなかなか完璧にはいかないらしい。つまりGM管はどうしても放射線値が高めにでる傾向があり、0.1μSv/h以下の値を正確に測定することはできないと思ったほうがいい。しかし、通常値を超える高い放射線の測定には十分有効とのこと。

一方、シンチレーション式はγ線を計るには適している。GM管は放射線が飛んでる回数しか検出できないが、シンチレーション式は放射線のエネルギーを検出できるものもある。要するに精度はよいのだが、ちょいと高価。

だが、β線や、さらにα線を無視てもよいのかということだけれど、α線・β線は透過力が低く、皮膚の表面で止まってしまう。皮膚は放射線に対する感受性が低い(放射線に強い)ので、空間の放射線量を計る場合はα線・β線をシーベルト(Sv)の計算(つまり人体への影響)に入れないほうがむしろよいのだ。
空間にα線・β線を出す放射能(放射線を出す元素及び物質)があったとしても、例えばヨウ素やセシウムが出すβ線は、プラスチック板で遮ることができる。悪名高きプルトニウムはα線、こちらは紙一枚でOK。とりあえず、外で呼吸したいのならマスクしろってこと。

但し、以上はあくまで空間線量の外部被曝の話である。今や危険なのは内部被曝。体内に取り込んだ放射能が出すα線・β線が問題なのだ。保育園の砂場の汚染状況などは、むしろGM管のガイガーカウンターを使うほうが有効なのかもしれない。しかし、それでもサンマの汚染は計れないのである。

ああ、本日のお勉強はここまで。これ以上は手に負えない。
というか、そんな勉強している場合じゃあなかったのだが。もう、シーサーズのライブはとっくに終わっている。
深夜、僕は、鈴木雄介に間の抜けた返信をした。

24:49
インスピレーションがいっこうに沸かないからtwitterいじくっているわけよ


ぶつぶつ、ぶつぶつ……



東日本大震災から118日目……

最初に出るボテッとした葉っぱが双葉で、本当の葉っぱのことはなんていうんだっけ?
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小学校の理科で勉強したこと、なーんにもおぼえていないような。
放射能のことなんか、なーんにも知らずに健気に伸びる植物たち。やっぱり原発は恐ろしく傲慢なシステムだと思う。

どうぞ、幼稚な感性だと笑いなさい。

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夕方、あの九州男児でB型の松本龍氏のことだが、実は「名古屋議定書」の立役者であるというようなことを知った。他にもいい評判が結構ある。もちろん、黒いハナシもあるわけだが。

【そこで呟いた……】
10:25
一応さ、こんな話もあるということ。毒入りカレー事件も、羽賀研二も、きっと、その他にも一杯いっぱい……


僕も全く知らなかったのだが、あの毒入りカレー事件も羽賀研二の件も、その有罪判決には色々と問題点があるらしいのである。特に「毒入りカレー」の方は、問題を追求し告発している市民団体もあって、その資料を読ませて頂いたが、その内容に愕然とした。もちろん真実は分からない。しかし当時あれだけ騒いで容疑者を徹底的に叩いたメディアが、新しい見解について一切報道しないというのは、やっぱりどうにもおかしい。親方日の丸の日本人ばかりなのだ。官僚もメディアもダメという状況の中で、「正しい政治家」を選ぶ能力は、今の日本人には無い。

「もう、日本を見捨てて、どこかの国へ移り住むことが、正しい選択なのかもしれない」
「しかし、それは簡単じゃない。足りないもの、捨てることのできないもの。少し、年を取り過ぎてしまった」
「せめて子供たちは、すくすくと伸びる力のあるうちに、と思うのだが……」

夜は三線の稽古である。
 ⇒三線教室専用ブログ
「僕の三線の腕前は、ワケあって、すくすく伸びる気配なし」
「ワケありのおとなには進歩なんかないな、きっと」
「しかたねえ、こんなときは飲むに限る」

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【追伸(8月19日)】
その「ワケ」とは“チョンダラーの歌”を、キジムナーフェスタのエンターテーメントとしていかに仕上げるかということ、それがどうやら頭から離れそうもないってこと。ともかく、アイデアはひねり出してもろくなことはない。湧き上がって来るのを待つのみ。三線も、もう少し上手ければ、稽古しながらフッと考えが思いつくってこともあるんだろうが、ここまで今の状態だといっぱいいっぱいだから、きっと脳みそにそんな余裕は生まれそうもない。
しょうがねえや、もう一軒行こう。


《7月5日(火)-1》
東日本大震災から117日目……
政治は所詮マキャヴェリズム、そんなふうに思ったのはもう数十年も前のこと。以来政治家の手練手管についてとやかく言っても仕方がないと思った。見える政治手法がどうであれ、それについて感情的に突っ込んでいては、むしろ本質が見えにくくなると。

宮城県知事に対して、聞くに堪えない暴言を吐いた復興大臣がとっとと辞任した。だが、政治のハナシをしたいわけではない。

復興のため大企業に漁業権を与えるという宮城県知事の構想に漁民たちが反発しているという。住民の頭越しに打ち出される知事の復興構想のバックには野村総研がいる。「地元の方ではなく、物事を地球規模で考え大所高所から見れる人による復興を」と知事。
復興相はそれを問題視していたらしい。それが暴言の原因だったのかは定かではないが、湧き上がる非難の嵐にあっさり辞任した。

【そこで呟いてみた……】

10:25
あえて呟く。B型の所為にした政治家を弁護する気は全くないが、背景があってのことだとしたら、と感情を制御した。しかし辞めて終に最悪な男になった。喜ぶ知事と愚民。


要するに、目的を放棄してしまえば手法も何もありゃしない。仮にたとえ止むに止まれぬ思いからの必要な厳しい叱責だったとしても、辞めてはただの暴言に堕すると言いたかったのだ。もはや批判に対して弁解の余地はなくなった。
「いや、どんな立派な目的があろうとも、間違った方法を許してはならない」
そうだ、きっとそれがまっとうな考え方だ。だが、完璧な人間なんていやしない。ましてやメディアの流す情報にバイアスがかかっているとしたら、結果、感情的な世論の盛り上りが、役に立つ政治家を抹殺するということにもなりかねない。このことは、辞任した復興相がご立派な目的を持っていたかどうかとは全く別の問題である。

11:16
所詮政治家が政治家に向かって放った暴言。周りにいたのは電力会社に飼いならされていたマスコミ。その中の一社が豹変したことに意志があるわけもなく、きっと3.11がもたらした昂ぶった感情の所為。それに反応した世論が政治を停滞させる。


「これはオフレコ。書いたらその社はおしまいだから」
もしも野村総研が財界系シンクタンクでなければ、逆に宮城県知事が大企業に漁業権を与えることを拒否してのこの状況だったとしたら、はたしてどうだったのか。何の根拠もない。ただ、ふとなんだかずいぶん危なっかしい状況に思えて、つい呟いてみたのだが、吐き出した言葉を読み返すと、全く薄っぺらな床屋談義で、ひどく自分が嫌になった。

11:26
当然、僕、政治嫌いです。だから役者なんかになったのです。でも「沖縄問題」は僕にとってずっと政治ではなかった。「原発」もそうなりました。経済や政治を越えて突きつけられた根源的な問いだと僕は思っています。経済や政治に邪魔されずに向かい合いたい、それが僕の変わらぬ希望なのです。


そこでこう呟いてみたのだが、なんとも言い訳がましくて、ますます自己嫌悪なのである。



ゴーヤーのためのネット。2010年のまんま放置してある。
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たとえば去年の今頃、何かをしておけばよかったのだろうかと考えてみるのだが、何も見つからない。原発のことを言っているのではない。会社のこと、仕事のこと。あの頃、すでにこうなることを想定していたから、それに備えようと躍起だった。そうして想定の通りになったのだ。しかし、実際こうなる前は、僕以外の人間には、僕の想定は並列的な予測のひとつに過ぎなかったわけで、それが会社の代表の言うことだから否定はしないが、どうしても切迫した危機感を持てないということだったと思う。所詮「社長」以外の者にとっては他人事、あるいは、あれで精一杯だったというのだろうか。

「反省してるのか」
「他人の能力を信じることなどせずに、上手く使いこなすことだけを考えればよかったのかもしれない」
「思い上がった反省だな」
「お前は息子を叱咤することはないのか」
「息子なら、何があっても見棄てはしない」

覆水に微塵の未練もない。ただこれからのことを考えるのだ。やりたいことだけを考えればいい。そう、決めた。

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「去年使ったプランターの上に乗っけちゃってるけど、いいのかね」
3月15日も、21日も、このままここにあって雨にしっかり濡れた土が入ったプランター。なんとかこの土から出てくる放射線量を測ってみたい。

4月の初めにガイガーカウンターを注文した。だが時すでに遅く品切れ。入荷したら知らせるとのことだったがいっこうに音沙汰がない。もう十分儲けたからと商売を止めてしまったのか、あるいは粗悪品を指摘されでもしたのか。たぶん、この先もう業者から連絡は来ないだろう。

頼んだ製品が入荷しないうち、色々と調べてみた。どうやらガイガーカウンターでの計測は、素人にはかなり難しいということを知った。とくに低い放射線を正確に測ることは、安物の機械では不可能らしい。品切れでよかった。無用な買い物をするところだった。ただ、この土で育てたゴーヤーを食べても問題ないのかどうか、せめてそれくらい自分で調べて確かめたいのだが、その手立てがない。

ここ世田谷の喜多見にも、結構あちこちに畑がある。収穫された野菜は、いったい誰が食べるのだろうか。

去年よりだいぶ遅れたが、ゴーヤーの芽が土の上に顔を出した。
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「おい、俺のやりたいことは何なのか、お前、もし知っていたら教えてくれないか」
「……」
「よく分からなくなったんだ、社長なんかやっているうちにさ」
「……」

ひまわりが土の中の放射性物質を吸収してくれるというのはどうやら本当らしいのだが、咲いたひまわりは放射性汚染物質で、その処理に困るのだそうである。



6月16日にゴーヤーの種から顔を出した芽がだいぶ伸びてきた。
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かわいい2009年に実ったゴーヤーの孫からも芽が出た。
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今日は7月1日なのだ。だから今年も頑張って育ててみることにした。そして、まずは小さなプラスチックの鉢に植えてみた。
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去年の7月1日には、もう花がたくさん咲いていたっけ。そして、あの正体不明の連中が現れた日だ。
 ⇒2010年7月1日:正体不明の生き物が生まれた日
だから、なんだか今年のゴーヤーが不憫で仕方がない。「ごめんな」なんて声を掛けてみたりして。

今年の栽培日記のカテゴリを作ることにした。

我が家の三匹の猫に加えて、またひとつ、東京から逃げ出すことを妨げる足かせを作っちまった。
ちゃんと食べられるゴーヤーが実ってくれるだろうか。そのころ我が家と会社とこの国は、いったいどうなっているんだろう。
 ⇒2011年最初のゴーヤー栽培記の記事


東日本大震災から113日目。

「現代思想」の5月号。
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ツイッターの「宮台真司ボット」で「党派的なヘタレ左翼雑誌」と揶揄されている。
「うしろめたかったりイケてなさに打ちひしがれたりする大学教員が、仲間はずれが嫌で『弱者の味方』自己イメージを交換して、左翼的コミュニケーションの接続を自己目的化する」
……ということらしい。

それを知った上で。

柄谷行人「地震と日本」より……
「ゆえに、世界資本主義は二、三〇年のうちに存続することができなくなるだろう。しかし、資本主義の終りは、人間の生活の終りではない。資本主義的な経済成長や競争がない状態でも、人は生きていける。というよりも、そのときに初めて、人は真に「生きる」ことができる。もちろん、資本主義経済がは簡単に終るわけではない。それに抵抗して、諸大国は資源や市場をめぐって争うだろう。しかし、私は、日本人は二度とそのような道を選ぶべきではないと考える。今度の地震がなければ、日本人は「大国」を目指して空しいあがきをしただろうが、もはやそんなことを考えられないし、考えるべきでもない。地震がもたらしたものは、日本の破壊ではなく、新生である。おそらく、人は廃墟の上でしか、新たな道に踏み込む勇気を得られないのだ。」
(For this reason, global capitalism will no doubt become unsustainable in 20 or 30 years. The end of capitalism, however, is not the end of human life. Even without capitalist economic development or competition, people are able to live. Or rather, it is only then that people will, for the first time, truly be able to live. Of course, the capitalist economy will not simply come to an end. Resisting such an outcome, the great powers will no doubt continue to fight over natural resources and markets. Yet I believe that the Japanese should never again choose such a path. Without the recent earthquake, Japan would no doubt have continued its hollow struggle for great power status, but such a dream is now unthinkable and should be abandoned. It is not Japan's demise that the earthquake has produced, but rather the possibility of its rebirth. It may be that only amid the ruins can people gain the courage to stride down a new path.)

(※なんで英文を併記したのか。もともとこの論文がアメリカの新聞のエッセイ用に書かれたからということもあるのだが、それだけが理由ではない。それはまたいずれ別途記事で。)

きっと、今日7月1日は、株式会社M.A.P.にとって特別な日だ。しかし何がどう特別なのか、はっきりしない。色々と変わった。でもそれを言うつもりは今のところない。問題は具体的な事象の陰に隠れている本質的な変化なのだが、どうもそれを説明するのが難しい。だからそれを匂わすような話題をいくつか並べて見ようと思っている。

浜岡原発が止まった影響がトコロテン式に関西に及び、関西電力も節電をと言い出した。大阪の橋下知事が原発の必要性をいうための脅しだと怒った。そして在阪の2.000社に向けて「事業活動に影響を及ぼすような節電はお願いしない」というメールを送ったという。

【そこで呟いてみた……】
12:57
電力会社の陰謀による節電は拒否だが、事業活動に影響を及ぼすような節電こそ日本に必要な根源的転換。その意味では橋本知事も所詮同じ穴の狢か?


なんとも関心しない呟きである。「事業活動に影響を及ぼすような節電こそ日本に必要な根源的転換」という言い方が全くなってない。なんのことだかさっぱりわからない。「同じ穴の狢」もダメだ。「同じ穴」ってどんな「穴」なのか。このどうしようもない呟きは、流れてきたツイートの返信として呟いてみたものだが、当然こんな僕の「呟き」に反応があるわけもない。

「実験結果報告:社会的に無名の輩が、ツイッターというシステムを使ってややこしい思いを伝えることは困難である」

何を言ってるんだか。

今日から、事務所の冷房をやめる。どこまでやれるものだか、これも実験である。幸い十数台あるPCだが、よほど状況が変わらない限り、今後は20%程度の稼働率。つまり3~4台しか使わない。作業する人もそんなもの。数ヶ月前のように十数人がすし詰めでPC使って仕事をしていればこうはいかない。「事業活動に影響を及ぼすような節電こそ~」と簡単に呟いて平気なのは、こういう事情があったからである。もしもM.A.P.の業務実態が昨年度と比べて何の変化もなかったとしたら、「日本に必要な根源的転換」なんて能天気なことを簡単に言えたかどうか、しかしその事は考えないことにした。個人事業を会社にした時からずっと、実はこの状態を目指していたのではなかったか。いや「そうだった」と思い込むことにした。

僕は“M.A.P.after5”と同時に“社長とは呼ばないで”というブログを立ち上げたのである。
 ⇒社長とは呼ばないで「公開して後悔して、分裂して」

この会社の状況変化は、誰の所為でもなく、この僕が希望したものなのだ。今日、そう、決めたのである。

これから、2011年7月1日の記事を別途にいくつか書く。が、どうやらいっぺんには書き切れそうにない。だから、これから何度も2011年7月1日に立ち返って、いくつかの記事は追記しては再投稿することになるだろう。


高山正樹 Masaki Takayama
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