《7月5日(火)-1》
東日本大震災から117日目……
政治は所詮マキャヴェリズム、そんなふうに思ったのはもう数十年も前のこと。以来政治家の手練手管についてとやかく言っても仕方がないと思った。見える政治手法がどうであれ、それについて感情的に突っ込んでいては、むしろ本質が見えにくくなると。

宮城県知事に対して、聞くに堪えない暴言を吐いた復興大臣がとっとと辞任した。だが、政治のハナシをしたいわけではない。

復興のため大企業に漁業権を与えるという宮城県知事の構想に漁民たちが反発しているという。住民の頭越しに打ち出される知事の復興構想のバックには野村総研がいる。「地元の方ではなく、物事を地球規模で考え大所高所から見れる人による復興を」と知事。
復興相はそれを問題視していたらしい。それが暴言の原因だったのかは定かではないが、湧き上がる非難の嵐にあっさり辞任した。

【そこで呟いてみた……】

10:25
あえて呟く。B型の所為にした政治家を弁護する気は全くないが、背景があってのことだとしたら、と感情を制御した。しかし辞めて終に最悪な男になった。喜ぶ知事と愚民。


要するに、目的を放棄してしまえば手法も何もありゃしない。仮にたとえ止むに止まれぬ思いからの必要な厳しい叱責だったとしても、辞めてはただの暴言に堕すると言いたかったのだ。もはや批判に対して弁解の余地はなくなった。
「いや、どんな立派な目的があろうとも、間違った方法を許してはならない」
そうだ、きっとそれがまっとうな考え方だ。だが、完璧な人間なんていやしない。ましてやメディアの流す情報にバイアスがかかっているとしたら、結果、感情的な世論の盛り上りが、役に立つ政治家を抹殺するということにもなりかねない。このことは、辞任した復興相がご立派な目的を持っていたかどうかとは全く別の問題である。

11:16
所詮政治家が政治家に向かって放った暴言。周りにいたのは電力会社に飼いならされていたマスコミ。その中の一社が豹変したことに意志があるわけもなく、きっと3.11がもたらした昂ぶった感情の所為。それに反応した世論が政治を停滞させる。


「これはオフレコ。書いたらその社はおしまいだから」
もしも野村総研が財界系シンクタンクでなければ、逆に宮城県知事が大企業に漁業権を与えることを拒否してのこの状況だったとしたら、はたしてどうだったのか。何の根拠もない。ただ、ふとなんだかずいぶん危なっかしい状況に思えて、つい呟いてみたのだが、吐き出した言葉を読み返すと、全く薄っぺらな床屋談義で、ひどく自分が嫌になった。

11:26
当然、僕、政治嫌いです。だから役者なんかになったのです。でも「沖縄問題」は僕にとってずっと政治ではなかった。「原発」もそうなりました。経済や政治を越えて突きつけられた根源的な問いだと僕は思っています。経済や政治に邪魔されずに向かい合いたい、それが僕の変わらぬ希望なのです。


そこでこう呟いてみたのだが、なんとも言い訳がましくて、ますます自己嫌悪なのである。



ゴーヤーのためのネット。2010年のまんま放置してある。
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たとえば去年の今頃、何かをしておけばよかったのだろうかと考えてみるのだが、何も見つからない。原発のことを言っているのではない。会社のこと、仕事のこと。あの頃、すでにこうなることを想定していたから、それに備えようと躍起だった。そうして想定の通りになったのだ。しかし、実際こうなる前は、僕以外の人間には、僕の想定は並列的な予測のひとつに過ぎなかったわけで、それが会社の代表の言うことだから否定はしないが、どうしても切迫した危機感を持てないということだったと思う。所詮「社長」以外の者にとっては他人事、あるいは、あれで精一杯だったというのだろうか。

「反省してるのか」
「他人の能力を信じることなどせずに、上手く使いこなすことだけを考えればよかったのかもしれない」
「思い上がった反省だな」
「お前は息子を叱咤することはないのか」
「息子なら、何があっても見棄てはしない」

覆水に微塵の未練もない。ただこれからのことを考えるのだ。やりたいことだけを考えればいい。そう、決めた。

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「去年使ったプランターの上に乗っけちゃってるけど、いいのかね」
3月15日も、21日も、このままここにあって雨にしっかり濡れた土が入ったプランター。なんとかこの土から出てくる放射線量を測ってみたい。

4月の初めにガイガーカウンターを注文した。だが時すでに遅く品切れ。入荷したら知らせるとのことだったがいっこうに音沙汰がない。もう十分儲けたからと商売を止めてしまったのか、あるいは粗悪品を指摘されでもしたのか。たぶん、この先もう業者から連絡は来ないだろう。

頼んだ製品が入荷しないうち、色々と調べてみた。どうやらガイガーカウンターでの計測は、素人にはかなり難しいということを知った。とくに低い放射線を正確に測ることは、安物の機械では不可能らしい。品切れでよかった。無用な買い物をするところだった。ただ、この土で育てたゴーヤーを食べても問題ないのかどうか、せめてそれくらい自分で調べて確かめたいのだが、その手立てがない。

ここ世田谷の喜多見にも、結構あちこちに畑がある。収穫された野菜は、いったい誰が食べるのだろうか。

去年よりだいぶ遅れたが、ゴーヤーの芽が土の上に顔を出した。
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「おい、俺のやりたいことは何なのか、お前、もし知っていたら教えてくれないか」
「……」
「よく分からなくなったんだ、社長なんかやっているうちにさ」
「……」

ひまわりが土の中の放射性物質を吸収してくれるというのはどうやら本当らしいのだが、咲いたひまわりは放射性汚染物質で、その処理に困るのだそうである。