《7月17日-7》
沖縄市に戻る前に、21日の山猫合奏団の公演会場である名護市民会館に寄ることにしました。今回の山猫合奏団のツアーは、名護市民会館のご協力がなければ実現できませんでした。だからこそ、少しでも多くのお客さんに来ていただかなければなりません。幸い名護の公演に先がけてキジムナーフェスタがあり出し物も違います。ならばキジムナーフェスタの会場で、名護の公演の宣伝をしようと思い立ち、チラシを受け取りにいくことにしたのです。

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でも、もしキジムナーフェスタでの“どんぐりと山猫”の評判が悪ければ、却って逆効果になってしまうかもしれません。こいつは賭けだな、なんてね。
もういい歳なんだから、肩の力を抜いて楽しめる仕事をしたい、そんな思いでプロデュースを始めたのですが、どっこいなんだか若い頃を思い出すような、青臭い不安と期待。こんなはずじゃなかったのにな、と、この緊張感をちょいと楽しんでいます。

市民会館に到着すると、こんな案内が貼ってありました。今日の催し物の案内です。
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しまくとぅば語やびら 名護市大会
見ていきたいなあ、と思ったのですが、今夜は沖縄市のコリンザでキジムナーフェスタの開会イベントやらパレードやらがあるらしく、是非参加をとスタッフの方から言われていて、何をするんだか勝手がよくわからないのですが、でも行かないわけにはいきません。仕方なく沖縄市へ向かいました。

なるほど、今の沖縄の子供たちは、もう島の言葉なんか見向きもしないのかなと思っていたのですが、一生懸命「しまくとぅば」を勉強している子供たちがたくさんいるんですね。頼もしい……

そうだ、いいこと思いついた!
旅の続きへ

【裏】
名護市には、今、話題の辺野古があります。その名護で公演をする、それがこの旅の、僕の憂鬱の原因のひとつでもあったのです。
名護市は沖縄本島の西海岸から東海岸までに亘っていて、(沖縄本島全域でいえることなのですが)賑やかなのは西海岸側、名護市民会館もそちら側にあります。辺野古は東海岸です。

基地に苦しむ市町村ほど財政は比較的豊かです。反対に、基地の無い行政区は大変厳しい。本土東北地方の原発みたいなものですね。
また、沖縄の東海岸は、豊かな自然があっても観光客が来るような目立った施設がない。

名護の基地は、東に辺野古弾薬庫とキャンプシュワブがあります。名護は決して基地に依存した市ではありませんが、もしかすると、このふたつの米軍施設がなければ、山猫合奏団の公演に予算などつかなかったのかもしれません。

そういえば、最近とんと聞かれなくなってしまいましたが、泡瀬の埋立も東海岸だったよなあ。

澤地久枝さんは、その名著「琉球布紀行」の中で、奄美大島でのエピソードを紹介しています。
「(奄美は)復帰以前は『米軍の占領下』という沖縄と同じ歴史を通っている。しかし沖縄の本土復帰よりも十九年早く、復帰は実現した。
『オキナワがうらやましい。……基地があるから』
初老のタクシー運転手の呟きには、おきざりになった島人の本音がにじんでいるようだった。」

この「運転手の呟き」に、昨日紹介した島尾伸三さんの文章が重なって、僕の眩暈はひどくなっていくようです。

僕の頭はこんなふうにゴチャゴチャしていたのですが、会館の方々と辺野古の「へ」の字もなく笑顔で挨拶を交わして、名護を後にしたのでした。

でも、皆様お願いです。だからといって、沖縄の多くの人が基地を望んでいるんだなどという固定観念を持つことは決してしないでください。大嫌いな軍隊なのに、その基地に頼らざるを得ない人々の深い苦悩というものを、どうか想像してみていただきたいと思うのみです。