《9月10日(土)》
大震災から184日目……
昨日、山猫合奏団の「お問い合わせフォーム」からこんなメッセージが届きました。

金芝河「南」で検索してやってまいりました。
読みたい人はご一報をと(3年ほど前ですが)ブログに書かれていらっしゃったのを見て、メールさせていただきました。

実は私も一時期、学校での音楽・演劇公演に携わる仕事をしておりましたことがありまして、勝手ながら親近感を覚えてしまい、お言葉を真に受けさせていただいた次第です。

門仲天井ホールは音響も素晴らしかったので、なんとか存続してほしいです。(微力ながら、署名には参加しました)

とりとめないですが、「雨」の情報を教えていただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。


署名欄には内山誠さんというお名前が書かれていました。掲載可否に「可」のチェックを入れてくださってあったので、ご紹介させていただくことにしました。たぶん最後の「雨」は、「南」の間違いだと思われるのですが、もしそうでなければ内山さん、ご指摘ください。

実はこの記事は9月27日に書いています。コメントを頂いた9日から既に3週間近く、ずいぶんとお返事が遅れてしまい、大変申し訳なく思っております。

このM.A.P.after5なるブログは、時系列が無茶苦茶で、大変読みずらいとかねがねアチコチからチクチクと言われておりますが、当方はめげることなく、平気で数週間遅れ、酷いものは数ヶ月、さらには年単位遅れて記事をアップするというやり方を貫いております、というか陥っております。
いろんなところでいろんな方にお会いして、写真を撮らせていただいたりして、「今日のこと、記事にさせていただきたいのですが」などとお願いをして、「楽しみにしています」なんて有難いお言葉をいただきながら、いつまでたっても記事がアップされない、さぞ不愉快な思いをされた方も多いのではないかと、申し訳なく思い、深く反省もしているのですが、どうにもならないのです。

ただただ時間がないのです。ならば記事を簡単にするとか(だいたい長ければ長いほど読んでなんかもらえないわけですから)、どうでもいいことは書かずに飛ばしてしまえばいいのに、それがどうしてもできない神経症。連続性のなかで物事をきっちりと繋ぎながら考えていかなければ、どうにも気がすまないという性癖があるらしく、簡単に済ませることがなかなか出来ないのです。
でも結局、その所為で暫定記事だらけ、かえって歯抜けの櫛状態で、朋友は冷たく去っていくばかりであります。

まあ、読者がいっこうに増えない理由は、記事の並びのややこしさよりも、ややこしい記事を書いている小生自身のややこしさが原因であることは重々承知しております。

「南」は韓国の詩人金芝河の著作ですが、それを“社長とは呼ばないで”という個人的なブログのひとつの記事の中で、ちょっとした小道具として使ってみたのです。その記事はこれです。
 ⇒“「作家の日記」と大説「南」”(2008年6月19日)

頂いたコメントから察するに、内山さんはサイト全体あちこち覗いてくださった御様子、普通なら直帰するような記事なのに、有難いやら恥ずかしいやら、大変恐縮であります。

“「作家の日記」と大説「南」”という記事は、“社長とは呼ばないで”の中の「三太郎」というカテゴリの記事のひとつで、実は小生、我ながら密かに一番気に入っているカテゴリが「三太郎」なのです。その一連の文章の中に、“社長とは呼ばないで”を書き続ける意味のようなものを、そっともぐりこませています。どうか一度お読みください、なんてお薦めするような代物でもありませんけれど。

できることならば、大説「南(ナム)」のような世界を、僕もまた僕なりに構築したいという大それた願望があって、当初は“社長とは呼ばないで”にそれを託し始めたのです。それがいつしか、このM.A.P.after5を含むサイト全体で「大それた願望」を実現したいと思い始めました。

たぶんそうなったのは、具体的な「現実」とどう立ち向かうのかという「誠実な課題」と無関係ではありません。しかしそれは、「現実」を表現世界にどう取り込むのかという「野望」と鏡像関係にあります。もしかすると、共犯関係と言った方が適切かもしれない。

いやいや、どうも語りすぎました。これは“社長とは呼ばないで”の世界、ここではこのくらいでやめておきます。

さて、お問い合わせいただいた金芝河(キム・ジハ)の「南」はこれです。
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大説「南」は、1983年、文芸雑誌「海」の4月号に凡そ70ページにわたって掲載されました。しかしそれは、膨大な「大説」のごく一部にしか過ぎません。大説「南」は、第一部「水山(スサン)」、第二部「巫夫(ミブ)」、第三部「出関」から成り、それらはそれぞれ三場に分かれ、一場はまた三景ずつで構成されているのですが、「海」に掲載されたのは、この内の第一部・第一場・第一景のみです。

和田春樹氏の解説によると、この「第一景」は、「1982年12月25日発行の奥付をもって、ソウルの創作と批評社から出版されようとした」が発行当日に発行禁止処分となり、全冊が「断裁」されたとのことです。
「辛うじて救われた少部数のうちの一冊が東京に届き、日本語訳として、ここにはじめて世に出ることとなったのである。」
その後の大説「南」の出版事情など、小生不勉強でよく分からず申し訳ありません。

反共法により投獄された金芝河ですが、その後は神秘主義的なものに傾倒したり、最近は左派を徹底的に批判したりという噂を聞いています。その思想的な変遷はどうあれ、金芝河の大説「南」の第一景は、今から30年前、悶々と悩んでいた二十代の若造を興奮させたことは事実です。

「ありとあらゆる人間、ありとあらゆる民衆、ありとあらゆる衆生、ありとあらゆる鬼神に ありとあらゆる宇宙まで 生きるにゃ生きたがまっこと生きたのじゃないゆえに ありとあらゆるものどもを あまねくまことに生きさせる真生命が まさしくこの韓半島、それもちょうどこの南の地 南朝鮮から生ずるという 神秘で不思議な伝説 奇異かつ言語道断な予言が絶えることなく伝えられ」

若造は、「このちっぽけな俺の中にも全宇宙に匹敵する世界が内蔵されていて、一生かけてそれを表出させることができるのかもしれない」と勘違いをしました。その悪夢から、未だ目覚めることが出来ずに、脳みその中に三太郎という分身を住まわせているのです。ただ重要な鍵は、この大説「南」の「第一景」以降の、未読である膨大な26景の存在なのかもしれないと、今にして思っているのです。

内山誠さま、よろしければご連絡をくださいますよう。
(高山正樹 拝)


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夜、また京都から画像が届いた。
今日もまた一言だけ。
“京都新聞”

「新聞、何を取ったらいい」
「さあ、東京新聞の系列なんてないよなあ」
「京都新聞は?」
「わからない、自分で調べてごらん」
「うん」



三十数年の時を隔てて……



【この日呟いたこと……】

21:49
あの頃の鳩山・松本・菅・鉢呂。「抱かれたくないタレントNo.1」程度の世論と低俗なマスコミが、ガチンコ力士たち(すごく弱いけど)を次々と土俵から引きずり下ろしていく。なんだか気分は千秋楽。

22:19
「低俗なマスコミ」という言い方は取り消します。そういう言い合いに嫌気が差していたはずなのに、あまりの虚しさに思わず……。何故だか、津嘉山正種さんが嗚咽したことを思い出しています。

 ⇒津嘉山正種さんが嗚咽した日のこと