このミステリーの終着駅はどこにあるんだろう、一日ずっと考えていました。
「クガニゼーク」と「カンゼーク」の謎。どうもただ言葉だけの問題ではない、ずっと思っていたことです。

だから、この件に関連する記事の一覧を表示したページを作ったりもしたのです。そしてそのページを久しぶりに更新しました。
 ⇒【「クガニゼーク」と「カンゼーク」に関する主な記事一覧】
きっかけは大山街道ふるさと館のそばにあった川崎市の案内板なのですが。

少し、これまでのことを整理したいと思います。

現在沖縄で残っている「金細工」の職人さんは、もう又吉健次郎さん一人だと、僕は頭からそう思っていました。
以下がそれに関する記事です。
 ⇒首里のジーファーと那覇のジーファー

ところが、ある時、まだ見ぬ「金細工」職人がいるらしいという噂が耳に入りました。僕は、期待を抱いてその影を追いかけたのですが、結局それは、又吉健次郎さんの影でした。そのことを書いた一連の記事がこれです。
 ⇒2009年12月22日の記事その1(仲嶺舞踊小道具店のジーファー)
 ⇒2009年12月22日の記事その2(まだ見ぬ金細工師の顛末)
 ⇒2009年12月22日の記事その3(顛末を健次郎さんに話す)

しかし、これらの記事を今回あらためて読み直してみて、確かに昔ながらの方法でジーファーを作っているのは、もう健次郎さんしか残っていないのかもしれないけれど、簡易的な叩き出しの方法で作っている方ならどこかにいるかもしれない。その結論はまだ出ていないということに思い当たったのです。

今年の8月、宇夫方路は沖縄のある小道具屋さんに立ち寄りました。
 ⇒8月11日の記事を読む
そのお店で聞いたある情報。それは、これまでの流れから考えれば、すぐにも御報告したいことでした。しかし、言っていいものかどうか、迷ったのです。
もう少し調べてからと考えました。しかし、忙しさにママなりませんでした。

そこで、年の瀬になって、意を決してお話ししてしまおうと決めました。

健次郎さんとは別に、ジーファーを作っている職人さんがいるということ。
そして、その方が誰にも言わないでくれとおっしゃっているということ。

もしかすると、「クガニゼーク」とは違う「カンゼーク」のことを知りそして語ることのできる方かもしれない。もう引き返すことはできません。またもや竜頭蛇尾の結果に終わるのかもしれませんが、「クガニゼーク」と「カンゼーク」の謎を解く糸口がありそうならば、あきらめず追いかけてみたいのです。

ただ、願わくば、どなたにも御迷惑がかかりませんように。


【12月26日追記】
井上真喜ちゃんにあらためて電話をしました。
浦添美術館での展覧会では、3人の又吉さんの作品を展示していたとのこと。「首里の又吉」、「那覇の又吉」、そしてもうひと方、やはり首里で「金細工」をしている又吉さん。
「首里の又吉」は、言わずと知れた健次郎さんです。
「那覇の又吉」については、昨年の11月に健次郎さんの工房に伺った時の記事に書きました。その那覇(開南)の又吉さんの仕事については仲嶺舞踊小道具店の奥様に聞きました。そして那覇の又吉さんは亡くなられてしまった。それで、もう「クガニゼーク」は健次郎さん一人になってしまったと聞いていました。つまりもう一人の首里の又吉さんも、もういらっしゃらないのだと僕は思い込んでいたのです。

ところが真喜ちゃんの言葉は意外なものでした。
「でも、もうひとりの首里の又吉さんは開業していないからなあ」
そうなんだ、まだご健在なのか……

「あくまでも民具を作っているんだ。踊りのためだけの道具は作らない」という健次郎さん。
開南の又吉さんは簡易的な叩き出しでジーファーを作って健次郎さんよりもずっと安い値段で売っていたのかもしれない。
「コンクールとかに出るようなときは、いいものを挿すでしょうが普段は……」とおっしゃった仲嶺真永さん。
開南の又吉さんが亡くなって、踊りの人たちは困っているはずなのに、健次郎さんのところへは注文に来ない。
別のルートがあるらしいのだが、ジーファーを扱っているお店の方は何故か皆がそのルートについてはっきりと教えてくださらないような気がする……
いったい何があるんだろう。いや何もないのかもしれない。いずれにしてもゆっくりといこう。あせって手を伸ばしても、何ひとつ手に触れるものはなさそうだ。実は一番の近道が、三線の古典と、ウチナーグチを学ぶこと、そんな気がしてきたのである。