10/02/08
: 二風谷の記憶、アイヌの俎板
《1986年の萱野茂氏の思い出》
カテゴリ: アイヌ
昨夜の10時からでした。どなたかご覧になった方はいらっしゃいますでしょうか、こんなTV番組がありました。
ETV特集「あるダムの履歴書~北海道・沙流川流域の記録~」
番組の内容を詳しくお知りになりたい方は下記サイトへ 。
2010年2月7日(日)第303回「あるダムの履歴書」の番組解説をご覧ください。
⇒http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum…
ただ僕は、とめどなく涙があふれて仕方がなかったのです。
アイヌのこと、二風谷のこと、萱野茂氏のこと…
それらは「社長とは呼ばないで」に、少しづつ綴っています。
例えば…
⇒萱野茂「アイヌの碑」
⇒着いた日のこと
「社長とは呼ばないで」は、遅々として進まないブログではありますが、これからも必ず続けて書いていきます。この“MAPafter5”をやめる事はあっても、「社長とは~」はやめません。めでたく社長の任を解かれたら、「もう社長ではありません」という題名に変えてでも続けます。その中のカテゴリー、「アイヌのこと」を是非お読み頂きたいと思うのです。
⇒「アイヌ」のこと
その「アイヌのこと」に書くつもりのなかったいくつかのこと。
1986年から2年間、僕は沙流川のアイヌの伝説を基にした芝居の主演を務めていました。その最期の公演を終えて、僕は観客に向かってこう語りかけました。
「今、沙流川に大きなダムが作られようとしています。そして、アイヌの聖地が失われようとしている。本当にダムを作ることが必要なのでしょうか……」
あれから二十数年、あの美しかった沙流川は死にました。ダムも、建設当初から一部の学者が指摘していたように、完成からわずか5年で土砂に埋もれ、その機能を失いつつあります。
その芝居で共演していた女性が、沖縄出身の、今の僕の妻です。
萱野茂さんは、アイヌ式の結婚式を開いてあげようとおっしゃってくださったのですが、シャモ(大和の人間)である我々には荷が重く、お断りしました。
その時に、二風谷の工房の方に記念に彫っていただいたアイヌの俎板を、久しぶりに引っ張り出してきました。

使わなければいけないよと言われていたのに、もったいなくて結局一度も使っていない。間違っていた、と、僕は今、思っています。
俎板の側面には、「二風谷」と掘られています。

YUSUKE氏に借りたNIKONで撮ってみたのですが、うまくいきません。
そうだ、事務所に持っていって、五味さんに撮ってもらおう…

「五味さん、ここに彫ってある文字を撮りたいのだけれど…」

なるほどねえ…
そういえば昨日は北方領土の日でした。
二風谷の民宿で一緒になった外国の青年が言っていた言葉を思い出しました。
「北方領土を返せ、しかし日本にではなく、アイヌの人々に」
それが僕の「沖縄」の始まりでもあったのです。
⇒「社長とは呼ばないで」の「沖縄のこと」
⇒この日の五味さんのブログ
ETV特集「あるダムの履歴書~北海道・沙流川流域の記録~」
番組の内容を詳しくお知りになりたい方は下記サイトへ 。
2010年2月7日(日)第303回「あるダムの履歴書」の番組解説をご覧ください。
⇒http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum…
ただ僕は、とめどなく涙があふれて仕方がなかったのです。
アイヌのこと、二風谷のこと、萱野茂氏のこと…
それらは「社長とは呼ばないで」に、少しづつ綴っています。
例えば…
⇒萱野茂「アイヌの碑」
⇒着いた日のこと
「社長とは呼ばないで」は、遅々として進まないブログではありますが、これからも必ず続けて書いていきます。この“MAPafter5”をやめる事はあっても、「社長とは~」はやめません。めでたく社長の任を解かれたら、「もう社長ではありません」という題名に変えてでも続けます。その中のカテゴリー、「アイヌのこと」を是非お読み頂きたいと思うのです。
⇒「アイヌ」のこと
その「アイヌのこと」に書くつもりのなかったいくつかのこと。
1986年から2年間、僕は沙流川のアイヌの伝説を基にした芝居の主演を務めていました。その最期の公演を終えて、僕は観客に向かってこう語りかけました。
「今、沙流川に大きなダムが作られようとしています。そして、アイヌの聖地が失われようとしている。本当にダムを作ることが必要なのでしょうか……」
あれから二十数年、あの美しかった沙流川は死にました。ダムも、建設当初から一部の学者が指摘していたように、完成からわずか5年で土砂に埋もれ、その機能を失いつつあります。
その芝居で共演していた女性が、沖縄出身の、今の僕の妻です。
萱野茂さんは、アイヌ式の結婚式を開いてあげようとおっしゃってくださったのですが、シャモ(大和の人間)である我々には荷が重く、お断りしました。
その時に、二風谷の工房の方に記念に彫っていただいたアイヌの俎板を、久しぶりに引っ張り出してきました。
使わなければいけないよと言われていたのに、もったいなくて結局一度も使っていない。間違っていた、と、僕は今、思っています。
俎板の側面には、「二風谷」と掘られています。
YUSUKE氏に借りたNIKONで撮ってみたのですが、うまくいきません。
そうだ、事務所に持っていって、五味さんに撮ってもらおう…
「五味さん、ここに彫ってある文字を撮りたいのだけれど…」
なるほどねえ…
そういえば昨日は北方領土の日でした。
二風谷の民宿で一緒になった外国の青年が言っていた言葉を思い出しました。
「北方領土を返せ、しかし日本にではなく、アイヌの人々に」
それが僕の「沖縄」の始まりでもあったのです。
⇒「社長とは呼ばないで」の「沖縄のこと」
⇒この日の五味さんのブログ

ごうさんのコメント
あぁ......
アイヌの人々やネイテブアメリカンの人たちは例外ですが。
ぼくたちは、罪深い民の末裔なんですね。
これから、生きている間に、どれほどの罪滅ぼしができるでしょうね......