09/07/12 : 花柳紀寿郎のこと、新潟その3
カテゴリ: mystery
花柳紀寿郎は、女優の修行のためにと日本舞踊をはじめました。
1961年、作曲家、間宮芳生、劇作家、ふじたあさや、声楽家、故友竹生則、創作舞踊家、関矢幸雄らと共に“土の会”を結成。
1962年には、東京の草月会館で、寺山修二の「犬神」に出演します。
私が、先生の内弟子になったのは28年前。
観客を喜ばせるために、いつもでも、どんな場所でも真剣で、生半可なことは絶対許してくれませんでした。先生は何時もいつも表現のことばかり考えていました。昔、今はもう亡くなられたおばあちゃん(先生のお母さん)が、「紀子(先生の本名)はいつも日本舞踊の話ばかりするけれど、他の人はそれじゃあ疲れちゃうよ」とおっしゃっていらしたことを思い出します。
先生と出会ってから、もう30年以上も経ちましたが、昨夜の先生は、相変わらず舞台の話や踊りの話で尽きることはありませんでした。それとも、久しぶりに私が訪ねたからなのかもしれません。
朝はゆっくりの起床。小泉君が丹精込めて作ったおいしいお米、ふっくら炊きあがったご飯は、なによりの御馳走です。
朝、誓子ちゃんが言っていました。
「私はね、みっち(ここではみんな私のことをそう呼ぶのです)たちが、お母さんから違う、違う、違う、違う・・・・って怒られながら稽古していたのを見て育ったから、それが普通なんだと思っていたけれど、今の人は違う、違う!って言われると、すぐ出来ませんっていなくなっちゃうんだよね。」
「違う」と怒ってくれる人がいるということは、とても有難いことです。きちんと怒ること、きちんと怒られることは、とても大切なことだと思うのです。
東京へ戻る電車には、まだちょっと間があります。

なおりん号(なおえつ茶屋ではレンタサイクルもやっていて、1日100円です)で、直江津港の近くの橋までサイクリング。

ここは安寿と厨子王が母親と別れ別れになったところなんだそうです。
橋の欄干には…
片側に安寿と厨子王が山椒大夫に連れ去られる場面。

反対側には老いた母親と厨子王が再会する場面が刻まれてありました。

慌ただしい再会でしたが、また一緒に何かやろうね!と先生と約束をして、自転車をお店に返して、もう電車の時間が迫っていたので、二階にいた誓子ちゃんには、階下から携帯電話でさよならをして、急いで駅に向かいました。

(直江津の駅舎は船を形どっているのです。)
切符を買っていたら、後ろから「みっち!」と呼ぶ声。振り返ると、そこには誓子ちゃんが立っていました。

私にさよならをいうために、松葉杖を突いて追いかけてきてくれたのです。
生来頑張り屋の誓子ちゃんは、若い頃、仕事に根を詰め過ぎて体を酷使したために、突然リウマチになってしまったのです。それからは痛みとの戦い、ひどいときは寝たきりで、死にかけたこともありました。
今でも具合の悪いときは、2階から降りるのに半日かかるという体です。なのに今日は、がんばってがんばって、私を追いかけてきてくれたのです。
健康な私が、病気の誓子ちゃんに、持って帰れないくらい一杯の元気をもらったのです。
持って帰れない分は、誓子ちゃんに預けておくね。そして、近いうちに、直江津で先生ときっと何か一緒にやるから、その時まで、ちゃんと預かっておいてね。

(宇夫方路)
【おまけ】
誓子ちゃんのサイトです。
⇒http://casa.ukulelesty…
それから、高山正樹氏が、かつてこんなことを書いていました。よろしければ、そちらも読んでみてください。
⇒http://lince.jp/mugon…
1961年、作曲家、間宮芳生、劇作家、ふじたあさや、声楽家、故友竹生則、創作舞踊家、関矢幸雄らと共に“土の会”を結成。
1962年には、東京の草月会館で、寺山修二の「犬神」に出演します。
私が、先生の内弟子になったのは28年前。
観客を喜ばせるために、いつもでも、どんな場所でも真剣で、生半可なことは絶対許してくれませんでした。先生は何時もいつも表現のことばかり考えていました。昔、今はもう亡くなられたおばあちゃん(先生のお母さん)が、「紀子(先生の本名)はいつも日本舞踊の話ばかりするけれど、他の人はそれじゃあ疲れちゃうよ」とおっしゃっていらしたことを思い出します。
先生と出会ってから、もう30年以上も経ちましたが、昨夜の先生は、相変わらず舞台の話や踊りの話で尽きることはありませんでした。それとも、久しぶりに私が訪ねたからなのかもしれません。
朝はゆっくりの起床。小泉君が丹精込めて作ったおいしいお米、ふっくら炊きあがったご飯は、なによりの御馳走です。
朝、誓子ちゃんが言っていました。
「私はね、みっち(ここではみんな私のことをそう呼ぶのです)たちが、お母さんから違う、違う、違う、違う・・・・って怒られながら稽古していたのを見て育ったから、それが普通なんだと思っていたけれど、今の人は違う、違う!って言われると、すぐ出来ませんっていなくなっちゃうんだよね。」
「違う」と怒ってくれる人がいるということは、とても有難いことです。きちんと怒ること、きちんと怒られることは、とても大切なことだと思うのです。
東京へ戻る電車には、まだちょっと間があります。
なおりん号(なおえつ茶屋ではレンタサイクルもやっていて、1日100円です)で、直江津港の近くの橋までサイクリング。
ここは安寿と厨子王が母親と別れ別れになったところなんだそうです。
橋の欄干には…
片側に安寿と厨子王が山椒大夫に連れ去られる場面。
反対側には老いた母親と厨子王が再会する場面が刻まれてありました。
慌ただしい再会でしたが、また一緒に何かやろうね!と先生と約束をして、自転車をお店に返して、もう電車の時間が迫っていたので、二階にいた誓子ちゃんには、階下から携帯電話でさよならをして、急いで駅に向かいました。
(直江津の駅舎は船を形どっているのです。)
切符を買っていたら、後ろから「みっち!」と呼ぶ声。振り返ると、そこには誓子ちゃんが立っていました。
私にさよならをいうために、松葉杖を突いて追いかけてきてくれたのです。
生来頑張り屋の誓子ちゃんは、若い頃、仕事に根を詰め過ぎて体を酷使したために、突然リウマチになってしまったのです。それからは痛みとの戦い、ひどいときは寝たきりで、死にかけたこともありました。
今でも具合の悪いときは、2階から降りるのに半日かかるという体です。なのに今日は、がんばってがんばって、私を追いかけてきてくれたのです。
健康な私が、病気の誓子ちゃんに、持って帰れないくらい一杯の元気をもらったのです。
持って帰れない分は、誓子ちゃんに預けておくね。そして、近いうちに、直江津で先生ときっと何か一緒にやるから、その時まで、ちゃんと預かっておいてね。
(宇夫方路)
【おまけ】
誓子ちゃんのサイトです。
⇒http://casa.ukulelesty…
それから、高山正樹氏が、かつてこんなことを書いていました。よろしければ、そちらも読んでみてください。
⇒http://lince.jp/mugon…

secoさんのコメント
上越タイムスのリンク先の記事(川端さんになってるやつ)、知りませんでした!灯台下暗し。
Paper、原本はお店においてあります。
お見送り、ホームまでいけませんでしたが
あの日、あらたなお見送り方法が見つかった日でもありました。
5番線ホーム。
あの船を模った直江津駅の南口へ行く通路(これまた私にはとてもなが~い通路です、なおえつ茶屋は北口です)にあいてる大きなま~るいガラスウィンドウ。
そこから5番線が見え、ほくほく線が停車しているのと
みっちがそれに乗車するのを(多分写真をとっていたのもみえてました)上からみていました。
越後湯沢までの鈍行、いかがでしたか?
直江津駅ホームから湯沢方面へ旅立つ電車を
丸い窓からみおくり、
船が港から出航するときってきっとこんな感じなのかも
なんて思いながら
たくさんの線路とだんだんスピードをあげてくほくほく線の後姿をみおくりました。
偶然ですが、今、京浜東北線だった車両が直江津駅に停車していて、ほくほく線とそれとが並ぶ光景を
丸い窓からみることができました。
風景もみっちを歓迎していたと思うし
またきてくださいといっているように思えました。