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琉球舞踊の講座を持たせていただいている厚木カルチャーが今年で31年目、そして秦野店が7年目を迎えた記念ということで、合同講師会が行われました。

場所は東海道線の根府川から山に登ったところにあるヒルトン小田原リゾート&スパ。このホテルはお風呂から海が見えて非常に気持ちが良いらしいです。次は泊りがけで来たいですね。

講師の先生があまりにもたくさんいらしてとても皆さんとお話しすることは出来ませんでしたが、同じテーブルだった先生方を紹介します。
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左から水彩スケッチの本山先生、ジャグ゙リングのmimo先生、私の後ろが百人一首の津久井先生、洋裁の清水先生、書道の松川先生、健康体操の山下先生、その前がてまりの小松先生、腹話術の中村先生です。ここのテーブルはとても珍しいジャンルの先生が集まって、とても楽しかったです。

最後に社長さん(左)と厚木の小林店長(右)と記念撮影。


社長さんは陶芸をやられるそうで、ご自分で作られたお皿をお土産に頂きました。


ちょいと別件で沖縄タイムスに電話。そしたら又吉さんのあっかるい声。
そうだ、名前、聞いちゃおっと。
しつこいけどまたおんなじ画像を見てください。

沖縄タイムスの受付の画像

又吉千夏さん(左)と山田早希さん(右)でした。

“セロ弾きのゴーシュ”のジャケットデータを作ってくれた俳優のおーちゃんこと岡野友信君が、今回のオーディオブックCDでもデータ作成のお手伝いをしてくれました。
これでCDの制作に関して、こっちでやることは全て終わりです。
後は宣伝。これが難しい。

そのおーちゃんに
「ねえねえ、演出家のふじたあさやさんがとってもいい文章をホームページに書いてくれたから読んでみてよ」
と言ったら、おーちゃんは
「あんな字いっぱい書いてあったら読みませんよ。だいたい文字を読みたくない人がオーディオブックを聞くんでしょ、あの文章を読むような人は、オーディオブックなんか聞かないで、本買って読みますよ。」

おーちゃんにしちゃあなかなかもっともなことを言うじゃないかと、ちょいと呻った高山正樹は、なんだかいいこと思いついたらしく、ホームページ担当の佐々木君と何やら相談しています。

これもまたミステリーみたいですね…。

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8月18日月曜日: 那覇の空の不思議

沖縄の空が不思議。
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雲? 違う・・・、何だろう。初めて見た・・・。

夜のゴーヤー。

来年、東京のマンションのベランダで育ててみようかな・・

ブログっぽくなってきた・・・
おこられそう。


8月17日日曜日: うちなーかんぷー

沖縄で、琉球古典芸能コンクールが行われています。
私と同じ研究所のメンバーがコンクールに挑戦するので、陣中見舞い兼諸々のお手伝いのために沖縄に来ています。

楽屋にて。
みんな舞台の準備中。着物を着たりお化粧したり、髪を結ったり。
コンクールで浜千鳥を踊る人の髪を、ちょっと撮らせてもらいました。
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これは、琉球舞踊の女踊りでよく使われる うちなーかんぷー(髪型)の一つです。
頭のてっぺんで髪の毛をひっ詰めた後、側面の髪の毛をひっぱり出してふっくらさせるのです。
沖縄は暑いので、中に空気をいれるためこのような髪型になったのだとか。

間もなくコンクールの本番です。


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9月の13日と14日に「国立劇場おきなわ」で上演される「嵐花」のチラシです。
左下に「字幕表示あり」とあるのがおもしろいですね。
この公演時に、「国立劇場おきなわ」のロビーにて、大城先生のオーディオブックCDを販売させていただくのです。

大和にも唐にもない物言う踊り・・・、沖縄の近松門左衛門、玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)が、如何に組踊(くみおどり)を創作したか、その精神の内的世界を描いた戯曲です。
1988年、高山正樹は前進座劇場でこのお芝居を観ています。おもしろかったとか、感動したとか、そんな言葉では言い表すことのできない「おきなわ」の存在の重さを、その時、高山は感じたと言います。
高山の書斎に、その舞台が劇場中継されたTV番組の収録ビデオと、上演パンフレットが大切に保管されてあります。そのパンフレットには、贅沢にも大和の言葉に訳された台本が掲載されているのです。正確にいうと、まず大城先生は日本語(大和の言葉)で執筆され、それをうちなーぐちに翻訳されたのですから、翻訳される前の台本ということになります。
そしてさらにそのパンフレットには、高山と長く親交のあった舞台美術家の故西山三郎氏がスタッフとして一文を寄せて、大城先生の作品に参加できるうれしさと怖さについて書いていらっしゃいます。
それから20年の歳月を隔てて、まさか大城立裕先生とこんな仕事をさせていただけることになろうとは、高山には深い感慨があるようです。
そして今回、大城氏はふじたあさや氏に上演台本を送られていたのですが、それが届いた二日後に、偶然にも高山がふじた氏のお宅に伺い、後日大城先生にお許しを頂いてその台本をお借りしました。それもまだ高山の書斎にあります。これもまた、不思議なことです。
沖縄でこの記事を読まれる方がいらっしゃれば、9月、是非「国立劇場おきなわ」で、この公演を観ていただきたいと思うのです。

沖縄タイムスの又吉さん、当日、劇場で会おうね。一緒にあなたの生まれ島の沖縄のこと、勉強して、そうして私たちは、単純に感動しようね。それで、CDも買ってね。
(この記事は、高山正樹が、他人のフリして書きました。悪い癖です。)

「おきなわおーでぃおぶっく」Official_Blogへ転記
(チラシを大きくして見れます。裏を見れます。)


《追伸》
嵐花の小説版です。



オーディオCDの「あとがき」を大城立裕先生にしゃべっていただくことになり、昨日の10日、その録音を野外で行いました。
ついでに録画も。担当してくださったのは去年の春沖縄に移住した井上真喜さん。元NHKエンタープライズのエンジニアなのです。ありがとうございました。
録音場所は対馬丸記念館の裏にある旭が丘公園。どうしても自然の風の音が欲しかったのです。
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沖縄は9日までずっと天気が悪く、昨日の10日も朝のうちは雨、でもお約束をした午後2時にはすっかり雨は止みました。
沖縄はいつでも真っ青な空というイメージがあるのですが、結構雨や曇りの日が多いんです。
なお、大城立裕さんのお話は是非CD買って聞いてくださいね。


最後に対馬丸記念館に飾ってあった対馬丸の模型の前で記念撮影です。なんだかとってもペアルック。

なお来る8月22日には対馬丸記念館において対馬丸慰霊祭があるとのこと、大城先生は記念館の受付の方から「大城先生、是非いらしてくださいね」と声を掛けられました。大城立裕先生はそれに答えて「うん、うん、うん」と小さく返事されたのですが、後でこんなことを呟かれたのです。
「実は今まで、一度も出たことないんだ。遺族の方にお会いするのが悲しくて、つらくてねえ。」
今年もきっと、先生が慰霊祭に参加されることはないんだろうなあ。

この後、大城立裕翁は急いでお帰りになりました。なんてったって甲子園での高校野球、沖縄代表浦添商業高校の試合のプレイボールの時間が迫ってるんですから。
浦添商業高校はめでたく2回戦を勝ち抜きました。おめでとうございます。



8月10日日曜日: 東京では緊急事態!

朝、高山正樹は寝床から飛び起きた。
「しまった、あそこの読み、間違えている!」
まだ8時前、しかし待っちゃいられない。あっちこっちに電話・・・

急遽スタジオ入り、間違った箇所と、ついでに気になったところを録り直す。転んでもタダでは起きないのだ。
でも、泣いても笑ってもこれで終わり。
沖縄はどうしたかなあ、大城立裕おじいの録音は終わったかなあ。

もう後はただ待つだけです。


2008年の春、会社を設立して初めての決算を前にして、高山正樹は考えていました。
自立した一人前の会社にするために、僕らにできることは何なのか。たくさんのことを思い浮かべたけれど、そのほとんどが次々と消えていきました。
その中に、オーディオブックもありました。例えば、著作権切れの作家の作品を朗読してデータ配信するのはどうだろう。でも、誰もが思いつきそうなお手軽な発想、事実、そんなサイトは、もうすでにたくさん存在していました。
高山正樹は思いました。「これも違うな」。

ある日、高山正樹は、ふっと気がついた、高山の書斎には1000冊近い沖縄関係の蔵書があるのです。「これだ!」と高山正樹は思いました。その日のうちに、知り合いのルートを頼って、沖縄タイムスの文芸部長にコンタクトをとりました。「是非とも、大城立裕先生にお会いしたいのですが。」
沖縄に特化したオーディオブックを作る。ならばその始まりは大城立裕氏以外には考えられない・・・

「何をしたいのか、その意図は何か」沖縄タイムス文芸部長の真久田さんから当然の質問が来ました。
即刻、高山正樹は20年間の沖縄との関わりを綴ったメールを送りました。(高山正樹の沖縄との関わりについては、いずれ高山本人が「社長とは呼ばないで」に書くでしょう。)
すぐに真久田さんより、「大城先生が会ってもよいとおっしゃっておられます。直接に電話するように。たった今なら御自宅にいらっしゃいます」と、大城先生の電話番号が書かれた返信メールが届いたのです。

6月8日。初めて大城立裕先生のお宅に伺いました。首里の高台にある、平屋の一見ごく普通のお宅。
奥様が上等な「ちんすこう」を出してくださいました。でも高山は緊張のためか口が渇いていて、もそもそして頂くことができなかったようです。

大城先生が、開口一番おっしゃいました。「又吉くんのほうが、いいんじゃないか」
又吉くんとは、「豚の報い」で芥川賞を取った沖縄の人気作家、又吉栄喜さんのことです。高山正樹は答えました。
「いえ、まず何としても大城先生の作品で始めたいのです。それも『カクテル・パーティー』から、それ以外は、全く考えておりません。」

大城立裕先生は、こちらのお願いを快くOKしてくださいました。次の日、大城先生をご紹介いただいたお礼と、併せて「セロ弾きのゴーシュ」のCD発売を記事にして頂けることになったお礼の御挨拶のため、おもろまちにある沖縄タイムス社まで出向きました。そのついでに、といってはなんなんですが、受付そばのテーブル一個を占拠して、山猫合奏団のコンサートを沖縄でやるための作戦会議をしていたのです。あつかましいはなしですね。でも、受付の二人の女の子は何の文句も言わず、それどころかニコニコ応対してくれて、とっても仲良くなりました。
「二人とも、とび抜けてカワイイ」とは高山正樹の弁。
「あんまりかわいいから、憎らしいから、もう一回画像を貼り付けちゃおう」
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そのうち、ついに高山が、受付の又吉さん(左側の彼女。偶然にも作家の又吉さんと同じ苗字)にちょっかいを出したのです。(右側は山田さんです。)
「ねえ、大城立裕さんて知ってる?」
すると彼女は、受付に常備している社員名簿を取りだして調べ始めました。
「違うよ、社員じゃないよ。あれー、大城立裕も知らないの? ここ、確か沖縄タイムス社だよねえ。今日の朝刊にも、大城さんの記事、出てるんだよ」、高山正樹はそう言って、新聞を持ってこさせて、その掲載記事を彼女に指し示したのでした。

ちょっとお昼を食べに出て、また営業会議の続きに戻ってくると、又吉さんが飛んできて、そして高山の手を取って、
「ごめんなさい。大城さんて大変な方だったんですね。うちでも何冊も本を出して頂いていて、大変お世話になってます。上で聞いたんですが、とっても叱られました。これからも色々教えてください。よろしくお願いしまーす。あ、それから、山猫合奏団の記事が出たら、その新聞、5部くらい、とっておきますから。また寄ってくださいね。」

あとでその話を真久田さんに話したら、
「今は、もうそんなもんですよ」と苦笑いしていらっしゃいました。

要するに、会社の顔に必要なのは、大城立裕を知っているかどうかではなくて、かわいいかどうかってことなのか、とは高山正樹の呟きです。
商売的には前途多難かなと、その時は思いました。でも今は違うことを思ってます。今の若い人は、沖縄の若者でも、大城立裕の名前さえ知らない。しかし、だからこそ逆にやりがいがある、やらなきゃならない、そんな気がしてきて、ファイトが湧いてきているのです。

今までは、まだ朗読の収録前だったので、お知らせできなかったことを、今日ついに御報告することができました。
明日、CDに特別収録する大城立裕氏のインタビューを録音して、あとは出来上がりを待つばかりです。また後日ご報告します。
あ、そうだ、ジャケットのデザインがまだ決まってない。大変だ・・・。




大城立裕「対馬丸」の録音。
菅家ゆかりさんは保幸氏よりさらに左のブースの中。
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助手の中島君。
ディレクターの高山正樹は手前のソファー。
収録3時間を終えて、恵比寿ビアガーデンへ直行。




いよいよ、おきなわおーでぃおぶっく第一弾、大城立裕・作、「カクテル・パーティー」の録音の日を迎えました。
いざ出陣、喜多見商店街を駅に向かって歩く高山正樹の上から何やら落ちてきてた。
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「運がついた」

恵比寿のスタジオにて。

2時間を超える大作。録音は7時間に及びまた。後は編集を待つのみです。
「冗談じゃない、印刷物の方が心配じゃ!」(保幸)
そうだけどさ、一杯飲んで帰ろうよ。



おきなわおーでぃおぶっく、大城立裕シリーズ第2弾「対馬丸」を読む。
元日テレアナウンサーの菅家ゆかりさんが、狛江にあるM.A.P.の企画室でテスト録音をしました。
七夕の日以来の喜多見ですね。
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さすが、昔とった杵柄、スイスイとお読みになる。しかし、それでOKとならないところが難しい。NEWS原稿じゃないからね。


ディレクターは高山正樹。sibuya-hokouはプロデューサー?本日のエンジニアは佐々木大。




ふじたあさやさんのお宅へふたりで伺った。
桃を切ってくださった。
ペロッと2×2個、腹の中に納まった。
お土産に、桃を3×2個と、しんゆり芸術祭への参加依頼と、お渡しして聞いておいていただいた「カクテル・パーティー」のサンプル録音に対してのダメ出しを頂戴した。

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いよいよ、あさって、本チャンの録音である。


高山正樹 Masaki Takayama
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