過去の投稿

あなたは現在 2008年10月 の投稿をご覧頂いています。

10月31日金曜日: 外間守善氏のこと

外間守善という方は、柳田国男とともに沖縄研究の祖師と仰がれるような存在です。伊波普猷の提唱した「沖縄学」、その志を引き継いだ人物で、沖縄を少しでもきちんと勉強しようとした人ならば、その名前を知らないということはない、そのような人です。
高山正樹の書斎にも何冊も外間さんの著作がありますが、なかでも「うりずんの島」という本は、高山のお気に入りです。
null

27日のこと。《その日の記事を読む》
沖縄タイムスのロビーにて。儀間進さんのお話。
「外間守善は戦争のことは全く話さなかったですよ。同級生の大田昌秀はよくしゃべるけどねえ。外間守善は、ちょっとでも戦争の話になると、体が震えだしてねえ。それが最近になって語り出したようだ。沖縄タイムスに自分の回想を連載していて、その中で、戦争のことも書いていたのではなかったかなあ」

「じゃあ、タイムス社からもう出版されているんじゃないですかねえ」
高山はそういって、受付の又吉さんのところへ向かいました。
「あのね、外間守善さんて、知ってる?」

又吉さんは、社員名簿を開くという失態を、またもやらかしちゃったのです。
「あーあ」
「あ、またやっちゃいましたか」
「やっちゃいました」…
《前に「やっちゃった」時の記事を読む》

そうして入手した本です。
「回想80年 沖縄学への道」外間守善
null

高山はさっそくパラパラとめくってみました。そうしたら、そこにびっくりする記述を見つけたのです。
「あ、外間さんの妹さん、対馬丸に乗船されていらっしゃったのですね。そして、あの事件で亡くなられたのですね」
「ほー、それは知らなかった…」

沖縄にいると、とてつもない話が、すぐ身近にあるといつも感じさせられます。
人もそうです。人間国宝がカルチャーセミナーみたいな企画で教えていらっしゃったり、居酒屋に行けば民謡の大物がすぐそばで歌っていたり、映画を見に行ったら隣に有名な映画監督が座っていたり、古本屋を探していると池澤夏樹や又吉栄喜の署名本がちょこちょこ出てきたり。

考えてみれば、いつも気楽にお話させていただいていますが、儀間先生だって、大変なお方、今でこそ沖縄のメディアではたくさんのウチナーグチの話題で賑わっていますが、儀間先生はそのパイオニア的存在なのですから。

実は、この日の儀間さんのお話ですが、この外間守善氏の話の前後に、もっとずっと長い物語がくっついているのです。でもそれは、ここでは手に負えません。いずれ高山が、「社長とは~」に書くと申しておりますので、ややこしい続きは、そちらの方で。

» 続きを読む

10月28日火曜日: ほんとうの強行軍の記憶

沖縄に関わっていると、人と人の「つながり」ということを改めて思うのです。

高山正樹の奥方の親友に琉球舞踊の先生がいて(関連記事へ)、その方を舞台で共演していた宇夫方路に紹介してから、もう20年近くになります。その踊りのお仲間の宮城文子さん(関連記事へ)は、ずいせん学徒隊の語り部である宮城巳知子さんの義理の娘さんです。

巳知子さんのお話を是非とも伺いたいと思い、文子さんに紹介していただいて、沖縄の嘉手納で宮城巳知子さんにお会いしました。(関連記事へ)
その際に和光小学校の修学旅行のお話を伺い、世田谷にある和光小学校に校長先生をお訪ねして、その修学旅行に同行させていただけるようお願いすることにしました。(関連記事1へ)(関連記事2へ)

その修学旅行が今日だったのです。
その行程は、「おきなわおーでぃおぶっく」のOfficialサイトのブログで報告しているので是非お読みください。
《Officialサイトのブログ記事》
(別窓で開く場合はシフトを押しながらクリックしてください。)

ここではOfficialサイトのブログでご紹介しきれなかった画像や話題などをいくつか。

ナゲーラ壕への道
ナゲーラ壕への道

2番目に行った識名壕は識名園のそばにあります。
識名園入口
和光小学校の子供たちは、トイレを利用するために識名園の駐車場に立ち寄って、すぐに識名壕へと出発しました。

でも、この時、ちょっと思ったのです。
識名園は、世界遺産にも指定されている名園です。歴史的にも大変興味深いところなのです。
かつて琉球は、中国から使者(冊封使)が来ると、彼らをこの識名園に招きました。琉球国が大きな国であることを示すために、識名園は琉球の土地を見渡せ、しかし且つどこからも海が見えない場所を選んで作られたのでした。海が見えると、琉球が小さな島国であることがわかってしまうから。

確かに、和光小学校の修学旅行の意義や一日の日程を考えれば、識名園を見学する余裕がないことは致し方ない、それもよく分かるのだけれど、ここにも、もうひとつの沖縄の心があるのになあ、ここをただトイレだけのために寄ってサヨナラというのはなんともなあ、と、ふと、勝手なことを考えてしまったということです。

識名壕へ入る入口。
識名壕へ入る入口

識名壕の中から見た入口。
壕の中から見た入口
四角くシルエットに見えるのはウガミ(拝み)の場所です。帰り際に、先生がお線香を供え、手を合わされていらっしゃいました。

もうひとつ米須壕にまわって、ずいせんの塔で宮城巳知子さんのお話を聞き、そして最後にひめゆりの塔へ。
地元の人さえ知らないガマと、たくさんの観光客で賑わうひめゆりの塔。子供たちはその違いに何かを感じることがあったのかどうか。

女性スタッフにとっては重過ぎて、最初の壕だけで後は遠慮したのですが、子供たちは飄々としていました。壕よりも、そこらあたりをウロウロしているマヤー(猫)の方に興味がある子どもたちもいたりして。
でも、それでいいのだと思ったのです。彼らが大人になった時、この体験をフト思い出して、そして自分の力で考え始める、それが正しいあり方なのだと。やがてこの子供たちがどんな結論を出すことになろうとも、今、ともかく材料を与えてあげられればいいのだと。

本日のところは、重い話はこのくらいにいたしまして、ひめゆりの塔の近くにある大きなお土産屋さんで見つけたちょっと大きめのシーサーのご案内。
お帰りシーサー
これ、上を向いてるんです。
このくらい大きいシーサーを買って内地に持って帰ると、置くところに困って結局玄関の床へじか置きになるというのはよくある話。このシーサー、床に置くのに最適なのです。
「おかえりなさい」って感じ。癒されるなあ。6千数百円、ちょっとばかりお高いんですけどね、いいアイデアだなあと感心いたしました。

和光小学校の皆さんとはここでお別れ、お帰りシーサーのせいなのか、なんだかムショウに癒されたくなって、神の島、久高島が見えるレストランのテラスで、ボーっとしました。
遠くに見える久高島
遠くに見えるのが久高島です。
20年以上前の、高山正樹の久高島の思い出は、いつか改めてご紹介しますね。

夕方、大城立裕先生のお宅にお邪魔して…

そして夜。
国際通りからちょっと入った竜宮通りという路地に見つけた「小桜」というお店。
竜宮通り入口
「小桜」とは、M.A.P.がプロデュースする三笑亭夢丸さんの落語の題名。気になったのでカシャと一枚。

大城立裕先生のお誕生会でお世話になった「じんじん」へ。
じんじん入口 じんじん店内
沖縄特有のおしぼりコースターです。
体に優しい肴
ちょっと疲れているみたいな高山の様子を見て、ママが体に優しいメニューを作ってくれました。すごくおいしかったのです。
null
ありがとうございました。
そうだ、前回ご紹介できなかった、大城オジイのために設置した手摺です。
null
《大城立裕先生お誕生会の日の記事》

ななしん屋でママに再会。
null
三線を借りて定番の安里やユンタをやってみた。
何もしないという歌い方。テクニシャンの高山正樹には、これがなかなか出来ないのです。その奥深さに、高山は、真剣に三線を習おうと心に決めたのです。
《前回の「ななしん屋」の記事》

そして「土」へ。
null null
ごうさん。結婚おめでとう。今奥さんのお腹にいるお子さんが二十歳になったとき、ごう(のん)さんは80歳か。日本一かっこいい80歳になってください。
《前回の「土」の記事》
疲れた…。
あした朝、東京へ帰ります。
null

他にもいくつかお話したいことがあるのですが、それは後日ということで…


10月27日月曜日: 強行軍

10:30国立劇場おきなわ
null

11:00FM沖縄にて山川悦史さん
null

13:00沖縄タイムス
儀間進さんにお会いするのも、もう4回目、おきなわおーでぃおぶっく次回企画の詰めのご相談をしていたのですが、お話はあっちへ転びこっちへ転び、いつものことですが、それが全部ほんとに楽しくて貴重なお話なのです。今日もたっぷり聞かせていただきました。いずれゆっくりご紹介します。お楽しみに。
null
お馴染みの又吉さんと儀間進さんの2ショット。受付の椅子に座っちゃう儀間先生の遊び心が大好きなのです。いつもはカメラを向けると、真面目なお顔をされてしまうのですが、今日は笑わしちゃった。そうしたらどうですこの笑顔。これがホントの儀間先生のお顔です。ああ儀間先生を持って帰りたい。一家にひとり儀間おじい…
《儀間さんのスマシタお顔を拝見する》

15:30おきなわ堂
null
おきなわ堂の会社の仕入部の部長さんとお会いして、そこを通して沖縄県内の書店にCDを卸していただくことになりました。大感謝です。

レジ脇にはお茶も飲めるお休み処があって、
そこにはCDの宣伝チラシと、宇夫方隆士氏の散文集が置かれてありました。
null

おきなわ堂に関するミステリーは、まだまだ続くのです。

17:00琉球新報
null
高山正樹は来年1月4日付の「晴読雨読」というコラムの執筆依頼を受けていたのですが、その担当の高良由加利さんに御挨拶。記者の久場さんに撮って頂きました。

そして新報ビルから撮った那覇の町。
null

19:30明日の打ち合わせをカフェで。
null
最近、沖縄にはこうした素敵なカフェが増えてきました。
おきなわ堂のミステリーと、ちょっと関係するんだよなあ。

null
とってもおいしいピザ、御馳走様でした。





泡盛は瓶の中でも熟成するらしいのです。本土に出荷して売れ残った泡盛が、不良在庫として返品されてくると、古酒(クース)を作りたくても場所がなくて作れない小さな沖縄の酒蔵元は大喜び、お酒を寝かしておく倉庫をタダで借りていたようなもの、返品された泡盛を、ちょっと味を調整して、古酒として売るのです。
しかし、やがて泡盛が瓶の中でも熟成するということが本土の酒屋さんにも知れ渡り、それから返品が無くなったとか。
今でもヤンバル(沖縄本島北部)の小さな酒屋さんなんかで、10年前の泡盛が埃を被って売れ残っていたりすると、大変なお宝を発見したってことになるわけです。

で、高山正樹は本日から沖縄に滞在ですが、奥方の実家で見つけたミニボトル、今は亡き義父様のコレクション。全て30年物の古酒であります。
null

二本ほど頂戴して、至福の時をすごしたのでありました。
さあ、明日からがんばろうっと。
(今日もまた、宇夫方路のフリして高山正樹が書きました。)

17日の午後4:00、青年座で津嘉山正種さんと打合せ。

「高山さんのお読みになったカクテル・パーティー、是非聞かせてください」
「津嘉山さんにお聞かせするなど、お恥ずかしいかぎりです。弁解ではありませんが、物理的な制約がたくさんあって、忸怩たる思いがあります。」
「いや、山には、いろんな登り方があります。大切なのは、登り始めることだ」

そして記念撮影。
null

誘われて、津嘉山さん行きつけの居酒屋へ。
普段は殆ど沖縄について語られることはないのだそうです。だがこの日は、たくさんの沖縄のお話を聞かせてくださいました。大病されて、なお熱く、すばらしい俳優さんです。
null
元気な青年座の役者さんと、沈思黙考のふたり。

まず元気な彼が先にお帰りになって、気がつけば日付が変わりました。

帰途、ふたり吊革にぶら下りながら
「御自愛ください。お酒もほどほどに、煙草も、おやめになることはできないでしょうが、せめて2本を1本に」
「そうですね、まだまだやりたいこともあるし。ありがとうございます」

すばらしいものが出来る、今日、それを確信したのです。




和光大学付属の小学校は、世田谷と町田の鶴川に2校あります。先日、世田谷の小学校にお伺いしたことはご報告しましたが(その時の記事へ)、その際、鶴川小学校の6年生の授業で、対馬丸の船員だった中島高男さんをお招きして体験談をお話していただくのだと伺って、是非参観させていただきたく校長先生にお願いしたところ、快くお許しくださいました。
行田校長先生です。鶴川と世田谷と、毎日交互にいらっしゃいます。
null

そして今日がその授業の日、朝から鶴川小学校へお邪魔しました。
授業前の校長室にて。
null
中島高男さん(左)です。右の方は、こども王国首脳会議事務総長の山本和昭さん。
中島さんは82歳。15歳で対馬丸の船員となり、それから2年後の17歳の時に、あの対馬丸の悲劇に見舞われたのです。船員で生き残られた方も何人かいらしたそうですが、現在御健在なのは中島さんおひとり。他の方は、もう皆さんお亡くなりになってしまわれました。

いよいよ子どもたちの前でお話が始まります。
まずは校長先生から、中島さんのご紹介です。
null

戦争が始まった頃のお話から、当時対馬丸がどのような仕事をしていたか、そして疎開する子どもたちがどのように船に乗り、そうして……
null
中島さんのお話しを、子どもたちも食い入るように聞いています。

中島さんは、特にことさら誇張してお話されたわけではありません。ただ体験されたことを淡々とお話になっただけです。ですから、ここでそれを文章にしてご紹介することも容易なことかもしれません。しかし、中島さんの肉声だからこそ現れてくる心と、思わず漏らされた中島さんの嗚咽を伝えることは決してできません。

「対馬丸のことをしゃべったら、軍法会議にかけて処刑する」
これは「かん口令」などではなく、中島さんにとっては、日本軍の「脅し」以外の何ものでもなかったのではないでしょうか。17歳の青年にとって、それがどれほどの恐怖であったか、想像に難くありません。
そうして中島さんは、結局33年間、口を閉ざすことになるのです。

今、沖縄の戦争の真実をめぐって、様々なことが言われています。だからこそ一方で、ようやく重い口を開き始める方もたくさんいらっしゃいます。そうした方を含めて、体験された方々の搾り出されるような「声」に耳を傾けることの重さを、今日は改めて思い知らされたのです。どこかの誰かの論説に影響されて、そして早急な結論を出す前に。

あっという間の1時間半、貴重なお話、本当にありがとうございました。

» 続きを読む

10月14日火曜日: 書斎

高山正樹の書斎です。

null

読書の秋?
そんな余裕は、ありません。寝ても醒めても仕事…
いえ、寝る時は眠らなければなりません。
でも、夢の中でも考えているらしい…


10月10日金曜日: 青年座へ

昨日9日、次回オーディオブックの打ち合わせに青年座へ。

ちょいと次回公演のご紹介。
null

3本立てという大きな企画で、全ての稽古場フル稼働、若い役者さんたちの声があっちこっちで鳴り響いておりました。


酒菜で、中真くんに再会。フルネームは中真水才(すいさい)です。
null
すでにもうかなり酔っ払ってるわけよね。

では、このダラーとした水才君とは似ても似つかない水才君の弟、光石(こうせき)君をご紹介しましょう。

水才君の父上、中真茂氏は元ボクサーで、沖縄ワールドリングというボクシングジムを開いていらっしゃいます。
そして弟の光石君は日本スーパーフェザー級11位の現役プロボクサーなのです。日本人にとってスーパーフェザー級はなかなか厳しい階級なのですが、そこで世界を狙える優秀な選手なのです。
では、プロフィールをご覧ください。
http://www.geocities.jp/dreamknockout/information2.html

ほんとに兄弟?水才くんからは想像もつかない精悍なお顔。
彼が日本ランキング11位に甘んじているのは、やはり沖縄という地域にハンデがあるらしい。マッチメーキングもお金がものをいう。もしかしたら、東京の大きなジムでやっていたら、すでに世界に挑戦できていたのかもしれません。でも彼は、沖縄の尊敬するお父さんのジムでやることしか考えていないんだろうな、きっと。頑張ってね。応援します。
水才君も、別の道で頑張ってね。それから早く彼女を見つけなきゃ。

なお、光石君は、沖縄の映画「風之舞~風の復活~」に出ているみたいですよ。



琉球舞踊、仙川のカルチャーの生徒さんたちです。
横道萬里雄さんとともに
中央のお方は体験入学の方です。そして右側のお方は大江健三郎のお兄さん!
…ではありせん。新しい生徒さん、横道萬里雄さんです。なんと91歳!
「早いのはついていけないので、ゆっくりな曲だけやらせてください。」
そして早い曲のときは正座して見守ってくださいました。でも手だけは一緒に動かして、練習されていらっしゃいました。
椅子をお勧めしても、足をくずしてくださいとお願いしても、いえ、わたしはここで、と正座を崩されませんでした。

どこの誰だっけ? もうこの先、短いかもなんて焦っている人は。横道さんの爪の垢でも煎じてお飲みあそばせ。

追伸。
体験入学された方は、この日「楽しかった」とおっしゃって、正式に入会手続きをされてお帰りになりました。仲間が増えていくのは、とてもうれしいことです。


10月 3日金曜日: CD完成を祝して

魯園菜館にて、「おきなわおーでぃおぶっく」第一弾完成、「お疲れ様でした」で「北京ダックを食す」の会。
北京ダック、肉はもやしと一緒に炒め物にして、ガラはスープに。それで全部占めて6000円也。やっすー。
北京ダックが来たところで、まずは記念撮影。
null
みなさん視線を北京ダックに向けて、そうして写真撮りましょう、って言ったのに、二人ばかりカメラ目線。これ、女の性(さが)?

まだまだこれからですが、ともかくホントにお疲れ様でした。

「おきなわおーでぃおぶっく」Official_Blogへ転記
(画像をトリミングするとこんなふうになります。)



沖縄でお会いした宮城巳知子さんのご紹介で、和光学園小学校の行田稔彦校長先生にお会いしてきました。
今後、色々と勉強させていただくことが多々ありそうです。それらについては、随時ご報告してまいりますが、本日は…
生と死・いのちの証言“沖縄戦”
沖縄戦を体験した方々の証言を集めたDVDと、時間的な制約でDVDに記録できなかったたくさんの貴重な証言を何とかしたいとの思いで、行田稔彦先生が編集された書籍です。宮城巳知子さんのお話も収録されています。

まずは沖縄の生の声に耳を傾けること、そこからしか始らないのだろうと思うのです。

「おきなわおーでぃおぶっく」Official_Blogへ転記
(本の分厚さが分かる画像あり)

» 続きを読む

高山正樹 Masaki Takayama
人気ブログランキングへ