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6月30日
宮森小学校米軍ジェット機墜落事件のあった日


今からおおよそ半世紀前の今日、1959年の6月30日、嘉手納基地を飛び立った米軍ジェット戦闘機が旧石川市の宮森小学校に墜落、児童11名を含む17名が死亡、負傷者は212名に上った。
事故の原因や賠償の問題など、沖縄の米軍絡みの事故にいつもつきまとう話しが、この事件にも当然のようにある。

『沖縄大百科事典』によると、この事件が沖縄での反基地闘争の萌芽となり、復帰協結成へと進展していったという。当時、世界の航空史上稀な大惨事として内外に報道されたというが、生まれたばかりの僕にその記憶があるわけもなく、以来、一度も聞いたことがなかった。
僕はこの事件のことを、先日の文京区民センターで初めて知った。

1999年、琉球朝日放送が、宮森小学校米軍ジェット機墜落事件の原因は、当時発表された不可抗力などではなく、明らかな人為的ミスであったという米軍の事故報告書を公表する番組を制作した。しかし今現在まで、米軍は対外的には墜落原因を公表していない。

決して過去の話ではない。2004年の8月、米軍ヘリが沖縄国際大学に墜落した事件は記憶に新しい。

大江健三郎風に言えば、こうした事故に対する想像力を持っている者ならば、普天間基地と共存するなど考えられないであろう。ただ目先の利益のために、あえて想像力を働かせないことに慣れてしまった者たちだけが、沖縄の基地に依存して生きていることを言うのである。
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仮に今の普天間基地の現状を知りながら、その危険を感じることができないとしたら、刺激的な情報の氾濫する中で、等身大で正常な想像力を失ってしまっているのかもしれないと、一度自らを疑ってみることが必要なのかもしれない。

よく聞かれることだが、はじめは基地の周りには何もなかった。後から住民が移り住んできたのだという主張。それは元々どういうふうに住民が土地を奪われたのかとか、普天間基地返還の計画とか、沖縄の土地の少なさとか、諸々の事実を全く考慮しない薄っぺらな議論であるということはさておいても、正常な想像力が機能していれば、どういう理由で基地周辺に人々の生活圏が形成されたかという理由がどうであれ、異常さを感じる取る想像力の結果に変わりはないはずなのだ。自殺しようとしている男が、今にもビルの屋上から飛び降りようとしている光景の恐怖感は、その男の人となりとはなんの関係もない。

静岡空港は、滑走路の延長上に成長した木があってその開港が大幅に遅れた。それは間抜けな話しだと笑って済ませることもできるが、普天間基地の滑走路延長上には、もっと危険な建造物が建っていて、米軍機はそれを避けて離着陸をしているのである。当然、日本の法律でも空港のそばにあってもいい基準を其の建造物は全く満たしていない。しかし日本政府は、普天間は米軍施設であって日本の航空法を適用する飛行場ではないと嘯くのである。当然、米軍の基地建設の条件からもかけ離れているのである。(このことは、近日中に別記事で書く。)

ちなみに、宮森小学校米軍ジェット機墜落事件を忘れないための講演活動を続けていらっしゃるのは、1945年6月23日に摩文仁で自決したとされる牛島満中将の御息子、牛島貞満さんである。
その貞満さんはこう語った。
「軍隊は住民を助けることはない。父がそれを証明している」と。



6月29日22時32分。
ワールドカップ日本対パラグアイ戦、間もなくキックオフ。
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22時52分。
日の丸を先頭に、代表選手たちが入場してくる。
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スタンドには巨大な日の丸。
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ワールドカップが始まれば、きっと多くの日本人が普天間のことを忘れる、あるウチナーンチュがそう予言した。日本の活躍が予想外に続いて、その予言が現実になっている。
今、僕がそんな話しを誰かに言えば、間違いなく顰蹙を買う。
「それとこれとは全く関係がないだろう。日本人が日本のサッカー代表チームを応援しているんだ、それに水を差すようなことを言うなんて気が知れない……」

今夜の僕は、何故か当然のように日本を応援している。しかし、やはりこの記事を書かずにはいられないのだ。

30日。午前1時52分。
日本の敗北に落胆する若者たち。
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日本人よ。日本のサッカーを応援するエネルギーの半分でいいから、沖縄の普天間のために使ってみて欲しいと思うのだ。そして、日の丸を打ち振る前に、日の丸に嫌悪する人々の思いを想像して欲しいのだ。

それから3ヶ月経って、日本はワールドカップのことも普天間のことも、すっかり忘れてしまったかのようである。
実は9月19日に、この記事を、そっと書いているのだ。
すでに、顰蹙を買うことすらない。

社長とは呼ばないで「本当に書きたかったこと」


夕方4時過ぎ、成田に到着到着しました。
みんなはまだサンディエゴ。私は仕事があるので一足先に帰ってきました。
(宇夫方路)

アメリカから送れなかった画像を、食べ物中心でお送りしてみます。

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【サンディエゴからの第四報】
(日本時間28日午前10時30分・現地時間27日午後6時30分)

姉妹都市のイベントが終わってから、衣装のままヒロさんのお店に移動しました。ヒロさんが日本食レストランを経営されていることは、一昨日ちょっとご紹介しましたが、あらためて……
Hiro Nitta さんのお店はこちらの2軒です。
 CHOPSTIX ~Sushi & Teriyaki Cafe~
 CHOPSTIX TOO ~Sushi & Noodle Cafe~


お世話になったお礼に、ショッピングセンターの一角にある“TOO”のほうのお店の前で、琉球舞踊を御披露することにしたのです。
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今日は日曜日でお休みでしたが、営業しているショッピングセンターでお買い物中のお客様を集めて、“ちゃっぷスティック2”の入口のところで踊りを見せちゃおうという企画。

只今準備・搬入中。
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最初はパラパラだったお客様ですが、「かせかけ」「四ツ竹」「日傘」「太鼓囃子」と演目が進むにつれ、だんだん増えてきて、最後にはみなさんとっても喜んでくれました。
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お別れの記念撮影をしたはずの実優さんですが、イベントのあとは単独行動だというので、それならご一緒しましょうと、赤い靴の衣装のまま連れてきちゃいました。
羽島実優さん

それからもう一人のゲスト、ジョセフくんのこと。
赤い靴のパーティーで一人の女性に声を掛けられました。
「わたしの息子も琉球舞踊を習っているのです」
息子さんのお名前はジョセフくん。お話を伺うにつれ、もしかするとという心当たりの男性がいます。
佐藤さんが最高賞を受けた時、外国から受験しに来ていた若い男性がいました。踊りが上手でいい男だったので、おばさんたちは密かに注目していたのですが、もしかするとその時の彼がジョセフくんではないのか。
お母様によると、ジョセフ君は昨日まで沖縄に行っていて、今、家で寝ているとおっしゃるので、是非起こして呼んでくださいということになったのです。

わざわざやってきてくれた彼は、やっぱりあの時の彼でした。
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ジョセフくん、私たちの踊りを三板(サンバ)で盛り上げてくれました。きっと旅疲れだろうに、ありがとう。

最後はカチャーシー。
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でも今日は特別、最後の最後、ジョセフくんが私たちのために躍ってくれました。
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お休みのお店の中で軽く打上げ。お店のビールとジュースで乾杯。
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右手前の若者は、私のパソコンをネットに繋いでくれたヤス君です。
今日もせっかくのお休みを返上して手伝ってくれて、最後に自慢のサックスまで披露してくれました。
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ヤス君はこのあとデートの約束があるとかで、1曲だけ演奏してそそくさと帰っていきました。ヤス君、いろいろありがとう。

あっという間の楽しい時間。もうネオンに灯が点ります。
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報告小休止。続く。
(報告:宇夫方路 代筆:高山正樹 いつものこと?)

旅の続きへ


【サンディエゴからの第二報】
(日本時間27日午前8時10分・現地時間26日16時10分)

サンディエゴでの今日の予定(日本は朝だから昨日ですね)は、8時半までに朝食を終えて準備する予定でした。
私は田中さんと同室でしたが、ふたりとも2度寝して、8時過ぎに起こされてびっくり。大慌てで朝食を食べて(何があっても食事は食べるのです)、化粧して、髪を結って、なんとか間に合わせました。

現地の日本人学校で踊りを披露しました。
まずはお昼休み時間に中庭の特設野外ステージで…
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「四ツ竹」…
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「日傘」…
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私は関ゆうこさんと「太鼓囃子」を披露しました。
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そのあと、4年生の教室へ。「古典芸能を学ぶ」という授業がおこなわれ、「かせかけ」「貫華」「繁昌節」を踊りました。
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最後に子供たちとカチャーシーを踊り、日本から持っていったお土産「星の砂」を渡しました。
子供たちは、星の砂と聞いて目を輝かしました。

学校を後にして、サンディエゴの北にある高級住宅地、ラホヤに行きました。“ラホヤ”って、宝石って意味らしい。

海辺に公園があって、アザラシがたくさん寝そべっているのを見つけました。
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ラホヤの街が一望に見渡せるMt. Soledad Veterans Memorial。
丘の上には記念碑が建っていました。
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戦争で戦った兵士たちが祀られているのです。
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きっと、沖縄で戦って死んだ人もいるんでしょうね。
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沖縄の摩文仁の丘を思い出しました。
もしかすると、一緒に祀るのが本当じゃないのかな。
旅の続きへ

M.A.P.after 5に度々登場する怪しいおじさん(日高さん)のカテゴリーを作りました。
その日高さんのご案内で、水道橋の文京区民センターまで、こんな会に参加するために行ってきました。
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宮森小学校米軍ジェット機墜落事件51周年と銘打った伊波洋一宜野湾市長による普天間基地関連の講演です。

会場の様子ですが……
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(前の席は仏教関係の方ですね。近頃、こうした集会によく参加されているようです。)
宇夫方女史がデジカメをサンディエゴに持っていったので、加えて携帯電話のカメラなんか滅多に使わないので、こんな写真しか撮れませんでした。

この会で配布された資料の中に、こんな記述がありました。
「サンディエゴ市のフェルナンデス上級政策補佐官は、『閉鎖される海外基地を多く受け入れたい』と語っており、普天間飛行場の受け入れ実現の可能性を示唆しました。」
このことについて、補足の説明が必要です。できれば、宇夫方女史がサンディエゴにいるうちに彼女に伝え、現地の人と話してきてもらいたいと思っていることなのですが、きっと間に合わないでしょう。
帳簿なんかと格闘していなければ、もっと準備ができたのにと、残念でなりません。

今日のことは、宇夫方女史が帰ってきたら、あちらの情報(たぶん不十分な情報)を一応聞き取り、それを合わせて整理して、日を改めてご報告したいと考えています。
※【追伸】(8月13日)
 未だ報告できません。⇒理由はこちら

その後、水道橋から千駄ヶ谷へ。智内さんに誘われて、島尾伸三氏の写真展にお邪魔しました。青山タンバリンギャラリー。
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(かりゆしウェアっぽい服を着ている後姿の方が島尾伸三氏です。)
今日が最終日ということで、到着した時には、もう皆さんビールを飲んでいらっしゃいました。
展示写真を片付け、近くの居酒屋へ。すっかりご馳走になってしまいました。

島尾氏からとても興味深いお話を伺ったのですが、果たしてどこまでブログに書いていいものか、ただ今思案中です。こちらはいずれ、本記事に追記したいと思います。お楽しみに。むふふ……

でも智内さんの秘密は書きません、絶対。
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(哀愁の智内さん)
というわけで、智内好文さんのカテゴリーも作っちゃいました。

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6月23日水曜日: 慰霊の日【牛島満中将】

6月23日、慰霊の日
1945年6月23日(22日という説もある)、第32軍司令官の牛島満中将と参謀長の長(ちょう)勇中将が摩文仁で自決した日。これによって沖縄での組織的な戦闘が終結したとされ、沖縄では終戦記念日よりも意味のある日である。
(※しかし、それ以後も散発的な戦闘が続いている。牛島満中将は自決する前に最後まで戦うよう訓令を出したとも伝えられる。従って「慰霊の日」を6月23日にすることに疑問を呈する意見も多い。実際、沖縄の守備軍が嘉手納米第10軍司令部で正式に降伏文書に調印したのは、終戦の玉音放送よりもずっと後の9月7日のこと。その間にも、民間人を含めたたくさんの命が失われたのである。)

復帰前の1961年、立法第85号によって公休日とされた(この時は6月22日、1965年に23日に変更)が、復帰による日本国の法律適用のため、休日としての法的根拠を失う。
1974(昭和49)年、沖縄県の「沖縄県慰霊の日を定める条例」によってあらためて制定され、1991年には休日条例で再度沖縄独自の祭日となる。しかし沖縄県でも国家公務員は休日とはならない。

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【参考】
牛島満司令官は日本軍の敗北が決定的になったとき、「最後まで敢闘し、生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし」となお徹底抗戦の命令を下したとされる。(『沖縄大百科事典』による)
しかし、自らは最後を見届けることなく早々と自決したというわけである。

摩文仁の丘には牛島満と長勇を慰霊する「黎明の塔」がある。


町田の公演からいったん事務所に戻り、たった2時間弱しかありませんが、少しの間を惜しんで帳簿作業です。
そして代田橋へ向かいます。

去年ゴーヤーがたわわに実っていた場所、黄色い花が一輪、もう咲いていました。
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そうか、こんなふうにネットを張ればいいんだな。

今朝告知しましたが、あまみのユキへぃ君のライブを聞きに来たのです。
“たきどぅん”に入ると……
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間もなく開演ですね。

奥でユキへぃくん(麦藁帽を被っている少年)が準備中。
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鈴木修さんも来ました。宇夫方さんの影に隠れて、山猫合奏団のドラさんもいます。町田からそのまま拉致してきたのです。

いよいよ、ユキへぃ君登場!
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では、ユキへぃくんのご紹介。
本名、福永幸平。鹿児島県奄美大島出身。2001年、NHK教育テレビ「真剣10代しゃべり場」に出演。そこで映画監督の河瀬直美氏と出会い、映画「沙羅双樹」の主演に抜擢される。「沙羅双樹」は、2003年カンヌ国際映画祭コンペ部門に出品された。

そんな経歴を持つユキへぃ君と初めてこの“たきどぅん”で会った日、ユキへぃ君がちょいと唄ってくれた奄美民謡は、まるで泣いているかのようで、深い哀愁があってすばらしかった。その唄をもう一度聞きたくて、このライブを開いてもらったのです。

でもまあ、ユキへぃ君、若いんだもんね。歌いたい歌があるんだよねえ。
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例えばこんな感じ。

これはしっとりしていますが、彼の真髄はこんなもんじゃない。クラシックのドラさん「びつくり?」 youTubeにもあるんだけどね、あんまりだから紹介しません。
でもね、ユキへぃ君、奄美の方言なんかもちゃんと練習しているのです。
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奄美民謡を期待していたお客さんたちの微妙なノリ。
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宇夫方女史は三板(サンバ)で、ちょっと遅れて来た日高さんはタンバリンで盛り上げるのですが、こちらも微妙な空気です。
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でも、後半にはしっかり奄美民謡も披露してくれたし、そうして、最後はやっぱりカチャーシーで盛り上がったのでした。
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ライブが終わればいつもの“たきどぅん”
マーキーさんはYusuke氏のipadをいじくり……
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Yusuke氏はユキへぃ君のエレキカンカラ三線をいじくり……
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あらまあ日高さん。
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さすが、市民運動家ですね。
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みんなそれぞれバラバラだけど、いちゃりばちょーでー、「一度会ったら皆兄弟」です。だからみんなで記念撮影。
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もう一枚。
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でも、僕たちはとっても少数派。だって今晩はワールドカップの日本対オランダ戦、みんなテレビにかじりついているはず。こういう日は、殆どお客さん来ないと、“たきどぅん”のママが言っていました。
「今日は助かった、ありがとねえ」
ちなみに、日本は0-1で敗れたようです。

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今日です。
“ユキへぃ歌唄会”
東京代田橋、沖縄タウン内“たきどぅん”にて

ユキへぃくん、今日の今日の告知でゴメン。
なにしろ、決算書類の作成がギリギリで全く他の時間が作れないのです。ろくすっぽ寝てもいない。
でも、今晩はワールドカップの対オランダ戦も見ずに、知り合いつれて連れて“たきどぅん”に馳せ参じるからさ。

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ユキへぃくんの紹介や“たきどぅん”でライブを開催することになった経緯は下記記事でお読みください。
 ⇒http://lince.jp/hito/zantei/amami…

事務所を出ると、途中、“酒菜”の看板にこんなチラシ。
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“たきどぅん”には確かテレビなかったよなあ。

さて、これからすぐに“たきどぅん”に行くというわけではないのです。その前に大事なお仕事があって、まずは町田へ向かうのです。

町田のことは山猫合奏団のブログにて。
 ⇒http://lince.jp/lince/acorns_history/matida…

そういえば先週の平田大一さんに続き、今週のトップランナーは宮本亜門氏でありました。亮次くん、戸籍名も亜門に変えたんだ、知らなかった。
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“喜多見で沖縄語を話す会”の第一回は昨年の11月でした。早いもので、今日で大よそ半期が終わるということですね。
いつも皆さん全員集まるというわけでもなく、だから2回に1回しか来なくても、久しぶりに参加しても、特に置いてきぼり感なしという緩ーい感じがよろしいようで。

今日はいろいろ今までの復習をしてみました。アーカイブはサブカテゴリーにて。

するとあんまりちゃんと國吉先生を撮影していないことが判明。そこで今日はでっかく行きましょう。國吉眞正先生です!
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ピーチクパーチク生徒さんたちです。
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では本日の参加メンバーをご紹介してみますかね。
M.A.P.代表理屈担当の高山正樹と、琉球舞踊教室のメンバーでもある炭屋さん。
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過激な小説(饒舌)家、Mr.Tomihisaと、謎のおじさんMr.Hidaka。九州男児×2
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本日は見学の鈴木修さんと、お馴染み五味さん。演出家とカメラマン。
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それとも裏方さんと自転車乗り?
そして、花田さんとは不思議なご縁。
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写真撮影は宇夫方路でした。
本日のご報告はこれまで。
第14回(M.A.P.after5)へ
第14回(沖縄語を話す会専用ブログ)へ

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4月25日の東京沖縄県人会総会でお会いした関東沖縄IT協議会の副会長、今井恒子さんからお声が掛かり、今日、沖縄経営者協会・関東沖縄IT協議会合同懇親会で踊ってきました。
音楽もテープではなく、贅沢にも持田明美さんに三線をお願いして、「かぎやで風」と「貫花」を踊りました。「かぎやで風」から「貫花」へ、私の着替えの間に、持田さんには一曲「恋の花」もご披露いただきました。

この日持田先生に開口一番「高山さんは?」と聞かれたので、「お金の計算してます」と答えました。
今日は三線教室琉球舞踊教室などのサークルや、キジムナーフェスタなどのイベントの宣伝もさせていただこうと意気込んで来たのですが、二人とも出し物の準備と片付けで余裕がなく、こういう場合は出演しない別の人が来て、会場でうろうろする必要がありそうです。
持田先生曰く、「高山さん、計算している場合じゃないよ!」

持田先生イベント出演情報
 ⇒http://haisaikomaesanshin.ti-da.net…
持田さんの参加するユニット“シーサーズ”のyouTube
 ⇒http://haisaikomaesanshin.ti-da.net…

今井さんからお土産に沖縄そばを頂戴しました。
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持田明美・宇夫方路のコンビ。なかなかいい感じ。持田先生、これから売り出しませんこと?
(宇夫方路)
【24日追伸】
“おきなわの声”の編集長、金城驍さんが懇親会での踊りの写真を撮ってくださっていたので、写真くださいとお願いをしたところ、まだフィルムが残っているからもうちょっと待ってねと連絡がありました。デジタルカメラじゃなかったのね。
というわけで、写真を戴いたら改めてご紹介いたします。

6月14日月曜日: 間もなくキックオフ

朝。
やや!
しなびてきたノニ。でも臭い。
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6日前のノニ

昼。
お金の計算。胡散臭い?
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消費税をシステムに組み込みながらだから大変なのだ。
経理とアクセス両方にかなり精通していなければ出来ない仕事。外注したらきっと100万円でも収まらない。誰も褒めてくれないから、致し方なく自画自賛。僕、ホントは役者なのに。臭い役者?

夜。
仕事をふんぎる。「ふんぎる」って「糞切」?臭。
なぜなら、間もなくキックオフだから。
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「坂本竜馬が流行っているらしい」
「何言ってんだ?」
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「沖縄で、あのドラマを見ていると、不思議な感じがするらしい」
「あのさ……」

沖縄を「処分」した側の物語。島から日本を眺めると、全く違う相貌が現れる。
日本を応援するって、いったい何なのだろう。当然だと思っていることの不思議。

「黙って応援しろよ」
臭い者にはフタ。

6月13日、旧海軍司令部壕慰霊祭

第4海上護衛隊司令官兼沖縄方面根拠地隊司令官大田實少将は、1945年6月6日、海軍次官に宛てて、かの有名な電文を打つ。

……沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ
県民に対し後世特別ノ御高配ヲ賜ラんコトヲ


そして6月13日未明、幹部数名とともに旧海軍司令部壕内にて拳銃で自決する。
今年は第40回の慰霊祭である。

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息子、大田英雄氏はその著書『父は沖縄で死んだ』の「あとがき」にこう書いた。
「沖縄戦で“鉄の暴風”のもと県民四人に一人の生命が奪われ、いままた在日米軍(専用)基地の四分の三をその背に負わされている沖縄は、そのうえ身近に核の恐怖にさらされている。こんなひどいことが、許されてよいはずはない。」
1989年の文章である。




6月12日土曜日: 平田大一さんの記事

朝日新聞に平田大一さんのでっかい記事。
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平田さんはM.A.P.とも縁がある。

宇夫方隆士さんと平田大一さんの共演をお楽しみください。
 ⇒http://lince.jp/poecias/coffee…

手抜きのブログ……
だって金勘定が終わらねえ。
こんなことするために生まれてきたんじゃないんだが……

6月11日金曜日: 夜もウゴメイテイル

日が変わって、もう11日の午前1時半。もう帰ろう。といっても自宅ではなく本部だが。

そうだ、ゴーヤーはどうなってるんだろう。
暗くて見えない。
フラッシュ炊いて撮ってみよう。
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あら、ずいぶん大きくなったねえ。去年の8月1日よりもでかいね。

子どもたちはどうした?
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いたいた。
5日後のゴーヤーへ
最初のゴーヤーから見る

新宿の沖縄物産展で買った軟骨ソーキで一杯やって、そしてようやく眠るのだ。
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最近の睡眠時間は4時間ぐらい。寝静まった夜に、いつも蠢いている。


智内好文さんに案内いただいて、こんなイベントに出掛けていきました。

『ともにアートする夕べ』
保坂展人×劇作家坂手洋二×弁護士伊藤真
政界急変!どうなる普天間!どうする下北沢!
会場は北沢タウンホール。19:00開演 

参議院の選挙が近い、なんだかそんな感じがそこはかとなくする集まり。特に客席が。
普天間がなんでこんなことになっているのか、どうすればこんなことにならないのか、その核心が聞こえてこない。市民の目を持った代表を国会へ送り込む、ふーん、しかしそれじゃあきっとなんにも変わらない。

小田急線複々線化にともなく下北沢の再開発は確かにひどいです。小田急線複々線化工事の費用を道路財源から出すために、幅25メートルの道路を250メートルくらい作るというはなし。知らなかった。

もう35年も前のこと、小田急線で通学していたのですが、ラッシュ時のすし詰め状態の電車は歩くくらいのスピード。脂汗が流れてくる。押し付けられたドアのガラスの外に、高架に反対する看板が見える。それは沿線の瀟洒な住宅に点々と貼られていたのだが、僕はそれにひどく腹を立てていました。
小田急線の複々線化は未だに終わらない。市民感覚って、いったい……

終演後、ロビーには保坂展人さんが出ていらっしゃいました。特に求めたわけではないのに、名刺くれて握手されて、でも目は僕のことなんか見てはいない。
「ボク、東京の住人じゃないから、一票にもなりませんよ」

決して保坂氏をどうこう言いたいわけではありません。選挙ってこんなものなのだろうということ。
「智内さん、一杯やりましょう」

智内好文さんは政治とか市民運動とか、全く似合わない人。その智内さんがなんで今日の会にボクを誘ったのかというと、これです。
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天空企画「ウチナー・パワー~沖縄 回帰と再生」
お、いよいよですね、まだ中は白紙ですけど。
この執筆陣に一人に保坂展人氏が名を連ねているのです。
先日もご紹介したのですが、その時は画像での御案内だったので、それじゃあ検索に引っかからない。ですから今日は改めて執筆陣をテキストにしましょう。
 ●島尾伸三(写真家)
 ●石川清和(今帰仁診療所所長)
 ●吉村喜彦(作家)
 ●馬場繁幸(琉球大学農学部助教授)
 ●宮城能彦(沖縄大学人文学部教授)
 ●眞喜志敦(沖縄リサイクル活動市民の会)
 ●高橋進(共栄大学教授)
 ●大嶺隆(『ぜんざいの冨士屋』社長)
 ●永峰眞名(兵庫沖縄協会機関誌『榕樹』編集担当),
 ●三輪大介(沖縄大学職員)
 ●新垣誠(沖縄キリスト教学院大学准教授)
 ●保坂展人(前社民党衆議院議員)
 ほか

冒険的な人選ですね。お堅い分野だけに宣伝も難しそうですが、売れてほしいな。

お店で働いていたイトマンチュの安田君と。
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お疲れさまでした。
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今日のお土産です。
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今日は疑問詞の「ちゃっさ(どれくらい、いくら)」と「じる(どれ)」のお勉強。珍しくあんまり横道に逸れませんでした。だからご報告することはあんまりありません。

というわけで、いきなりお勉強の後のお楽しみの場へ。今日も“串かん”です。なにしろ時間が時間なので、駅から近いのがいいですな。それと、沖縄について色々語らうには、まったく気取らないこういうお店がいいみたいです。
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西山監督作品の上映会に続いて、ハンサム・マーキーさんが沖縄語を話す会にも見学に来てくれました。

國吉先生は、明日が本家大崎の「話す会」なので、その準備のため、残念ながら欠席。そのかわり、前回お話ししましたが、國吉先生が沖縄の老人ホームで紙芝居をやられたことが、琉球新報と沖縄タイムスに掲載されたので、その記事をご紹介したいと思います。
 ⇒琉球新報5/23付
 ⇒琉球新報6/4付
 ⇒沖縄タイムス


鳩山首相がつい先程辞意を表明しました。

このところ僕の身近の識者から、鳩山政権を潰すと、沖縄の基地を根本的に問い直すきっかけを今後100年失うことになりかねないといった意見を、いくつも聞かされていました。
はたして、鳩山首相は何の責任を取って辞任するのでしょうか。普天間基地を沖縄以外の場所へ移転させることができなかったことの責任でしょうか、それとも、そもそもそんな約束をしてしまったことの責任を取るのでしょうか。今のままだと、後者の流れになりそうな雲行きです。基地のない沖縄を願う沖縄の人たちにとって、この展開は、一部の人たちの懸念通り、最悪のシナリオなのです。
なぜこうなる前に、沖縄の普天間基地の「少なくとも県外への移転」実現のため、日本人は鳩山政権を支え、共にその方途を探そうとしなかったのでしょうか。

M.A.P.after5では、この手のハナシは基本的にしないと決めていたのですが、今日は「あえて」語り過ぎてみました。

なお、下記記事の最後にある【M.A.P.としての見解】をお読みください。
 ⇒http://lince.jp/hito/okinawamap/okinawatuusin2…
その「見解」は、今も変わることはありません。

【6月11日に追記】
やっぱり政治を語り過ぎるのは好きじゃないのです。だからこの日のゴーヤーで中和します。

苗から育てているゴーヤーの根元。
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土からちょっと上、茎が2本切れている。これ、双葉が切れて落ちたのです。
双葉はこれ。小学校の頃の理科の時間を思い出しますねえ。
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ちょいと丸い。下には種の殻がまだついてます。上には普通の葉っぱが生えてきています。去年は苗だけだったのでお目にかかれなかった双葉ですが、今年は種から育てているので見ることができたのです。
五日後のゴーヤーへ
最初のゴーヤーから見る

お昼は魯園菜館で冷麺。
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入り口には大量の紹興酒。
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中国からの直輸入かな。

ほんとはね、今日この記事にコメントしたので、それを読んでもらいたくて、追記してみたのです。
また、語りすぎてみました。


なんだか家族みたいだな。
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でも、間もなくお別れ。
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いえいえ悲しくなんかありません。うれしいことです。
行き先はこちら。大槻紀子さんです。
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明日のゴーヤーへ
最初のゴーヤーから見る

さて、長らくお待たせしました。
あらためて、大槻紀子さんのご紹介です。

大槻紀子
イラストレーター・エッセイスト
東京生まれ、神奈川育ち。
1993年、河原淳氏が主宰するイラストハウスで学び、翌1994年から本格的に活動開始。沖縄、バリ、奄美など南の島と音楽をこよなく愛する。
ユニークな視点のイラストルポを雑誌やウェブで発表。「おきなわ歳時記」(インターネットウルマ)、「沖縄ごはんを食べよう」(月刊よみがえる)、「どきどきバリ紀行」など
「THE BOOMのコンサートパンフ、宮沢和史MPB2など音楽関係へも作品を提供。
また残波岬ロイヤルホテルのランチョンマットのデザインなど、水彩、切り絵、ペン画を使い分け、ジャンルにとらわれない活動を展開。
趣味は沖縄のエイサーと唄三線。


例えば、大槻さんの書いたゴーヤー。
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いいでしょ。ゴーヤーを育てているから分かるのですが、ゴーヤーをよく知っていなければこれは書けません。大槻さんのイラストは、すべてきちんとした知識と愛情に裏打ちされている、だからこそ人を惹きつける力があるんだろうな。
※このゴーヤーのイラストは、インターネットウルマ(今は“ウルマックス”に受け継がれています)に大槻さんが連載していたエッセイルポ「おきなわ歳時記」の“ゴーヤーの日”のものです。

他にも色々とご紹介しようかと思ったのですが、出し惜しみすることにしました。だって、それはミステリー。

でも、高山正樹が気に入ってるキャラクターを、ふたつばかり切り取ってご覧頂きましょうか。
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おや、大槻さん。その髪止め、西岡美幸さんの壷屋焼ではありませんか。
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なんだかおもしろいコラボをしてみたくなってきたぞ!

» 続きを読む

高山正樹 Masaki Takayama
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