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7月30日金曜日: 沖縄の植物だらけ

昨日、益田さんから貰ったゴーヤーでお弁当を作りました。
ゴーヤーチャンプルー丼。
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本日のM.A.P.ゴーヤー全景。
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穴だらけの緑のカーテン。
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三男もだいぶ大きくなりました。
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しかし、カメ虫がついている。
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払っても払っても、またやってくんです。でもゴーヤーを食い散らかしている様子はありません。苦いから食べないのかな。
(※なんと能天気なこと。カメムシはゴーヤーの汁を吸うらしい。もしかすると、あの時の虫なのかも。確かに取り逃がしたのが何匹かいたっけ。高山)
去年のゴーヤーの種から育てた方にも、ついに実ができました。
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可愛い赤ちゃんも。
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三男の収穫へ
最初のゴーヤーから見る

それから、「伊江島の村踊」を見に行った時にロビーで貰ったハイビスカスの苗です。
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(※もしかして、これも栽培日記を公開するの?もういっぱいいっぱいだよ。高山)

父のところに届いたマンゴーとパッションフルーツ。おすそ分けしてくれました。
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事務所でみんなと食べました。
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7月30日金曜日: 「ななさんまる」の意味

7月30日、7・30(ななさんまる)交通方法変更
沖縄の施政権返還は1972年、それから6年後の1978年7月29日の午後10時、沖縄県全域で車輌通行止め及び駐車禁止の特別交通規制が開始され、翌30日、つまり38年前の今日の午前6時、アメリカに占領されていた期間を含め、33年間続いた沖縄の車輌右側通行の交通方式が「日本式」に変更された。ここに日本の交通方式が統一されたのである。
日本は、1949年にジュネーヴで作成された「道路交通に関する条約」に加盟しており、そこに謳われている「一国一方式」を遵守したものといわれるが、「道路標識等に関する議定書」には、日本は加盟していない。要するに、国際条約に加盟してそのルールに従うか否かは、各国のお家の事情でしかないということである。「交通方式の統一」が何故日本に必要であったのか。それも世界基準ではない左側通行に統一する意味とは。国際化された現代においては、どの理由も虚しく聞こえてくる。

沖縄では「ななさんまる」以降、数日間事故が多発した。特にバスやタクシーを運転するプロのドライバーが事故を起こした。『沖縄大百科事典』には、那覇を中心としたの都市が10日間以上にわたってマヒしたとある。高山正樹のカミサンは、この日親戚のおじさんの車でヤンバルまで物見遊山のドライブに出かけたらしい。曲がる時はオットット、あちこち溝に落ちた車があったという。

市民経済も混乱した。例えば釣り場へ行く道の右側には多くの釣具店があった。しかし、その多くの店が「ななさんまる」以後、廃業に追いやられた。それに類した例は、いくらでもある。

森口豁氏の映画、『沖縄の十八歳』シリーズについては、このM.A.P.after5でもご紹介したことがある。
 ⇒http://lince.jp/hito/moriguti…
沖縄の一青年、内間安男を追い続けた3本の記録映画。1本目に初めて登場した内間安男は、復帰運動に参加するよう同級生を説得する高校生だった。3本目は、劇団創造の「人類館」の初演で調教師を演じる内間安男が主人公だった。その2本を繋ぐのが、復帰後の現実の中で、タクシーの運転手をやりながら復帰の意味を問い続ける内間安男の内面を追ったシリーズ2本目の作品である。その中で、内間安男は「ななさんまる」の意味を問う。「ななさんまる」とは、単なる交通法規の変更などというものではなく、大和と沖縄の関係を根源的に示したひとつの事件だったのだ。

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7月29日木曜日: 次男を収穫

長男に続き、次男も黄色くなってきたので採りました。
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関琉舞研究所で、コンクールの新人賞を受けるための、東京での最後の稽古があるというので顔を出しました。おとといは自分の店があって稽古に来られなかった鮎ちゃんにもM.A.P.産のゴーヤーを食べさせてあげようと、収穫した次男を連れて(持って)行きました。
明日のゴーヤーへ
最初のゴーヤーから見る

沖縄料理屋をやっている鮎ちゃんだから、こんなゴーヤーなんかお笑いかもしれませんが、とっても喜んで、貰ってくれました。お店で出すのかな。まさかね。


【追伸】
夜、厚木カルチャーのメンバーの益田さんが、狛江の稽古にも来ました。庭で取れたゴーヤーを持ってきてくれました。
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(宇夫方路)

負けた。
しかし、読谷の記事にも書いたが、これは長レイシ、長ゴーヤーというやつで、九州に多いニガウリだ。
M.A.P.農業部で栽培しているのは、沖縄特有のアバシーゴーヤー。ずんぐりむっくり。フグの仲間のハリセンボンを沖縄ではアバサーというのだが、その姿によく似ているのでこの名前がついたということになっている。しかしホントかな。いったい誰が言い出したんだろう。こういうのが怪しいんだよなあ。
ちなみに、沖縄を出て20年以上のカミサン曰く……
「知らん」
(高山正樹)


昨日収穫した黄色くなりかかったゴーヤーの長男
次の日、益々黄色くなった。
あわててスライスした。
携帯で撮影した。
ピンボケ。
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関琉舞研究所の稽古場に持って行ってみんなで食べた。
ちゃんと歯ごたえがあってまだ大丈夫だった。
残ったのを家に帰って食べた。
もうフニャフニャだった。
ギリギリセーフ。
次男の収穫へ
最初のゴーヤーから見る

厚木の関さん(関さんがいっぱいいるからややこしい)も、お庭で作ったミニトマトを持ってきた。
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これは黄色いのが甘い。不思議。

それではと、名護市民会館で頂いたお菓子を出した。
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片野さん曰く、名護では有名、名護以外では見たことない“チョコもち”というお菓子。
美味しかった。

山猫合奏団の皆様、ごめんなさい。
(宇夫方路)

7月26日月曜日: 厚木のサティで踊ります

厚木に来ました。
本厚木北口から徒歩5分くらいのサティ7階にあるカルチャーセンターで琉球舞踊の教室を担当しています。
稽古日は、毎月第一第三木曜日なのですが、今日は自主稽古。サティの近くにある福祉会館の部屋を借りて稽古しました。

8月29日に、サティの8階でカルチャーセンターのダンス系教室合同の発表会イベントがあり、琉球舞踊のメンバーも6名のうち3名が出演、四ツ竹を踊ります。(狛江のメンバーも助っ人で参加。黒田さんと炭屋さんは初舞台を踏みます。)

このところずっと、そのイベントに向けて稽古をしているのですが、月2回の稽古ではとても覚えられないということで、カルチャーの時間割とは別にみんなで会館を借りて自主稽古することにしたのでした。みんないつもに増して真剣です。

ところが、稽古を始めてすぐ雷、電気が消えてしまいました。しばらくして電気は点きましたが、クーラーがなかなか復旧せず、扇風機で稽古、もう汗だくでした。

雷と一緒に、ものすごい雨が降ったようですが、稽古が終わって帰る時にはすっかり雨は上がっていました。
帰りがけに撮影した雨上がりのサティです。
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8月29日の日曜日、琉舞のメンバーの出番は2時半から3時くらいの予定です。お近くのかた、是非いらしてくださいね。
(宇夫方路)


ただいま。
元気してたかい、ゴーヤー君たち。
今日のゴーヤー全景
四日前の携帯で撮って沖縄に送ってもらった画像と、ほぼ同じアングルですな。
一番奥(左)が長男で手前(右下)が次男。それは間違いないのだが、その後が分からない。
 ⇒三男と四男の記事
上の方のでかいのがやっぱり三男だろうか。
たぶん三男のゴーヤー
最初の画像には写っていないけれど、これが四男ぽい。
四男ぽいゴーヤー

他にもこんなのとか……
長細いゴーヤーnull
あんなのが……
ちょっと曲がったゴーヤー
こんなのとあんなのは、去年の種から育てたものです。

問題は、長男がもう黄色くなってきたこと。
黄色くなってきた長男ゴーヤー

思い切って切りました。
今年の収穫第一号です。
収穫したばかりの長男ゴーヤー
スライスしたゴーヤーへ
最初のゴーヤーから見る

初収穫と言えば、今日は……
旧暦6月15日、六月ウチマー
『沖縄大百科事典』によると……
「沖縄諸島の稲の収穫儀礼。稲大祭。(中略)新穀を祖霊に供えて豊穣を感謝し、村や門中の繁栄を祈願する」

M.A.P.のゴーヤーは、お供えしたら食べる分がなくなっちゃうんだよね。せいぜい、自然に感謝していただくことにいたしましょう。




《2010年7月25日最後の仕事?》
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オープンしたのは2007年8月10日だった。結構話題になっていたと思う。
僕らが初めておきなわ堂を訪れたのは2008年の7月11日、それから2年である。「おきなわ堂」のカテゴリをあらためて読み返すと、なんとなく奥歯にモノの挟まったような感じなのである。
去年の2月10日に独立。4月27日にはテレビに出たりして、金城さん、頑張ってるなあと思っていた。

お店のスペースが、以前の半分になった。

沖縄関連の本なら古本・新刊、なんでもある、そういう当初のコンセプトは、もしかすると見直さなければならないのかもしれない。しかし、古本に関しては、榕樹書林じのんという老舗が余りにも強い。

それなら、新刊で勝負だ。おきなわ堂は古本屋さんらしくない明るいお店なのだから。だがそれも、那覇にジュンク堂ができて、県産本コーナーにも大きなスペースを充てている。巨大書店と勝負するのはなかなか厳しい。
雑誌にいたっては沖縄は買取が基本らしく、売れなくても返品ができない。2冊仕入れるか3冊にするかと悩まなければならない。沖縄の書籍販売の利ざやは、「内地」に比べて極めて小さい。たった1冊の売れ残りが、利益を消し去ってしまう。
客は、そんな事情なんか知らないから、品揃えは重要なのである。「品切れです」「取り扱っていません」などは、なんともよろしくない。売れないと分かっていても、置いておかなければ「郷土書大型専門店」の肩書きは名ばかりということになってしまう。

それなのに、金城さんは、我々M.A.P.のために、何かできないかと気にかけてくれている。人が好過ぎるよ金城さん。しばらくは「おきなわ堂」のために何が出来るのか、それだけを考えよう。
僕たちも、「おきなわ堂」のために何か出来ないか、考えてみたい思っている。

さあ、飛行機の出発時間が迫ってきた。レンタカーを返さなければいけない。
そうだ、これまで黙っていたが、実はこのレンタカー屋さんがおもしろいのだ。たった二人でやっているのだが、沖縄の特殊事情にあった方法で運営している。その結果、ものすごくリーズナブル。知りたい?でも教えてあげない。ネットで紹介して、もしお客が増えてしまったら、肝腎な時に我々が借りられなくなってしまうもんね。

おきなわ堂にお客さんが増えても、僕らはちっとも困らないから、M.A.P.は「おきなわ堂」を宣伝します。その宣伝する材料を作ろう。
単純に「内地」のやり方を沖縄に持ち込んでもうまくはいかないのだ。金城さんとは、いろいろ相談をしたいのだけれど、もう時間です。

また来ますからね、金城さんの笑顔を見るために。

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※7月25日の記事です。
《2010年7月24日の24時過ぎ》
“うりずん”からどうやってパラダイス通りまでやってきたのだろうか。ちっとも記憶に無い。だいたいこういう時は、デジカメに残された画像を見て思い出すのだが、なんたってそれが無い。本当にしつこいけれど……
 ⇒どうして画像が無いのか
ともかく、もう日付が替わった。前の晩ごうさんに会えなかったので、再度土に行ったおぼろげな記憶がある。しかし、定かではない。

その前なんだか後なんだか、ななしん屋に顔を出したらしい。こいつは間違いない。何しろ、もう一台のデジカメにこんな画像が残っているのだから。
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だが、なかじんさんとママの間にいる見目麗しき美女はいったいどなたなのだろうか。ああ、全く思い出せない。美女に会ったことを忘れるなんて、これは相当脳細胞が壊れている証拠である。

僕のデジカメを返せ!なんとかメモリーカードだけでもいいから返しておくれ。どうか僕の外部記憶装置を返してください。
そうか、このブログ自体が、脳細胞が壊れ始めた小生の外部記憶装置だったのだ。
(※この記事は2011年2月3日にアップしました。)
[subcate.ななしん屋]
[subcate.なかじんさん]
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去年の11月以来の“うりずん”です。今日も亘さんと一緒です。デジカメでたくさん画像を撮ったのですが、無くなりました。しつこいですが……
 ⇒どうして画像が無いのか
どういう画像を撮影したのかというと、うりずんの“どぅる天”とか、泡盛のボトルとか、亘先生が三線を弾いて歌っているところとか、壁に貼られている亘先生の博士号の免状とか(自宅じゃなくてうりずんにってのが亘さんらしい)、宇夫方路さんが亘先生の奏でる唄三線に乗って“ちじゅやー(浜千鳥)”を踊っているところとか、他のお客さんたちの笑顔とか……
ぜーんぶなくなっちゃいました。

東京に戻って間もなく、東村山にお住まいの子安さんという方から葉書が届きました。
「先日、うりずんでご一緒させて頂いた子安です」という書き出し。そうか、この日うりずんで一緒に飲んだご夫妻だ。

「路さんの琉球舞踊、とても素敵でした。うっとりしました。うりずんに居た、あの時間だけが、何だか別の場所に居たような、不思議でキラキラした時間でした」

読んだら、なんだか目頭が熱くなりました。どうしてだろう。子安さん、ありがとうございました。

そうだ!確かあの時、店の人に頼んで、子安さんのカメラでみんなで記念撮影したっけ。もしかしたら、子安さんにお願いすれば、その画像を送っていただけるかもしれない!

というわけで送っていただいた画像がこれです。
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左のおふたりが子安さんご夫妻です。高山正樹の右の方も、この日一緒に飲んだお客さん。そのお隣が亘先生がうりずんで飲んでいれば飛んでくる前城さんで、さらにその隣の宇夫方路の頭の上に写っているのが、亘さんの博士過程終了の免状です。

これでなんとか記事が書けました。子安さんに感謝です。子安さん、いつかまたどこかでお会いできる日を楽しみにしています。その日まで、お元気で……。

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宮城さんの工房“PEANUT'S”に伺いました。しかし、画像がない。ここが一番の問題なのです。せっかく撮影したでっかいシーサーの画像がないのです。
 ⇒どうして画像が無いのか
去年の暮れの時点で、でっかいシーサーをM.A.P.が扱う沖縄関連グッズの目玉商品にしようと考えていたのに、そしてようやくGOするために画像を撮影してきたのに、なんたることでしょう。その画像がないのです。沖縄の遠さが恨めしい。
※実はこの記事、10月15日に書いています。どうやって売り出そうか、ずっと考えていたのです。色々な意味で担当者がネック。しかし、いよいよ断固何とかしなければいけません!

でっかいシーサーの画像ゲットは思わぬことで失敗でしたが、他にもうひとつ、宮城さんにお願いしていたことがありました。それはハンサム・マーキーさんが主宰する“S1グランプリ”の優勝トロフィーの制作。
 ※“S1グランプリ”については、あらためてご案内することになると思います。
宮城さんはそのためにふたつの焼き物を準備してくださっていました。
 ※以下の画像は受け取ってきたものを東京に戻ってから撮影したものです。
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低予算でご無理をお願いしてしまいました。なのに2種類も。
「どちらでも。問題があれば言ってください」
「いえいえ、どちらも捨てがたいので、両方とも預らせてください」
工房の入り口nおところに、島トウガラシの木があって、黄色や赤に色づいた実がたくさんついていました。これもしっかりカメラで撮影してきたのに、残念です。
 ※貰って帰ってきたトウガラシ。ちょっと皺くちゃになってしまったけれど。
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今日はありがとうございました。なかなか思うようにはいかなくて申し訳ないのですが、色々作戦を立ててやっていきたいと思っています。
次回沖縄に来る時は、また必ず伺いますね。

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(この記事、実は10月の14日に書いたのです。)

玉那覇ウシ商店と対馬丸記念館はすぐ近くです。対馬丸記念館に行くのが本日の一番目の公式作業。でも画像はありません。
 ⇒どうして画像が無いのかを書いた明日の記事を読む
でも、もともと画像は写しませんでした。あまりその気にならなかったのです。
ちょっと残念なご報告をしなければなりません。
事務局長の瑞慶覧さんが突然お辞めになりました。お父様の具合が悪くなって、その介護をなさるというのが理由だと伺いました。ふっと、宮城文子さんのことを思い出しました。文子さんは義母の宮城巳知子さんが少し弱られたからという理由で、長年続けてきた仕事も辞めて東京から沖縄に行ったのです。仕事よりも家族、そんな沖縄の心みたいなものを感じます。

実は、ここ対馬丸記念館で、あるイベントが実現間近だったのです。それをすべて仕切ってくださっていたのが瑞慶覧さんでした。残念ながら、それが白紙に戻ってしまいました。瑞慶覧さんに任せっきりにしていたのが……、というような瑞慶覧さんの上司の方のお話でした。本当の理由はわかりません。例の事業仕分けも大きく影響しているのかもしれません。いいたいことは山ほどあるのですが(実際、この日全部申し上げてしまったのですが)、ここでご報告することは控えます。
仕切り直しをすれば実現できるのかもしれません。その糸口をちゃんと作っておくのが今日の仕事、無理に拝んだり、ごり押ししてやるものではありません。まずは気持ちよく何かを共有できるかどうか、その可能性の見極めることからやり直しです。

M.A.P.after5には“mystery”なるカテゴリがあって、その中に“消えたmystery”というサブカテゴリがあります。そこに加える記事がひとつ増えました。

瑞慶覧さん、きっとまたどこかでお会いできる日があることを願っています。

対馬丸記念館で、こんな本を買いました。
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(買ってきた本を後から撮影したのです。)
もう一度、きちんと勉強します。このツアーで、つい先日、プリティー千恵ちゃんから聞いた武州丸のこともあるしね。もしかすると、M.A.P.がやらなければならないのは、対馬丸ではなく武州丸なのかもしれません。

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※実はこの記事、8月の19日に書き始めたのですが……
今日(24日)と明日(25日)の画像がないのです。その原因は、デジカメをなくしたから。
 ⇒どうして無くしたのかを書いた明日の記事を読む
時系列が無茶苦茶でごめんなさい。。

まずはこの日、つまり今日、もうお昼。まずはソバを食べに行くことにしたのです。那覇の久米にある玉那覇ウシ商店へ。
しかし、さて、その画像がありません。どうしよう……

(……と思案しているうちに、10月になってしまいました。)
しょうがない、もうこうなったらなんとかしましょう。
まずはネットで玉那覇ウシ商店を検索して、よさげな画像のあるブログ記事へのリンクを貼っておくことにしました。
 ⇒http://blogs.yahoo.co.jp/kitamae_suba…

この玉那覇ウシ商店ですが、今はもう大阪に引っ越してされてしまった長島さんに教えてもらったお店。一日50食限定の手打ち麺で値段もすごく安い。女性ばかりのご家族でやっていらっしゃるようですが、これで生活していけるのかと心配になるくらいでした。
それ以来、沖縄へ来る度、時間があれば食べに来ました。個人的には、今まで食べた沖縄ソバの最高峰です。通常、沖縄ソバは油麺ですが、ココは生麺で、そのコシがすばらしいのです。

前回来た時、たまたま麺を練っているところに行き合わせました。そこで僕が「一日50食では大変でしょう」と、余計なことを口走ったのですが、「本当はもっと作りたいのだけれど、50食が限界だ」と、正直に答えてくださいました。

ところが、今日は少し違っていたのです。まず値段が上がっていました。「諸物価の値上がりにより」というような張り紙がしてありました。でもそんなことはどうでもいい。もっと高くてもいいのです。そうではなくて、楽しみにしていたコシが、残念ながらなかったのです。何が原因なのか、それはよく分かりません。生麺は扱いが難しいというハナシも聞くし。

次回、もう一度挑戦しよう。今度はきちんと「カタメで」とお願いしてみようっと。
今日のところは画像がなくてよかったのかも、です。

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《追伸》
去年の2月の長島さん
長島さんへ。
山猫合奏団を沖縄に呼ぶために、あんなに一生懸命手伝ってくださったのに、当時はなかなか実現困難で、やっと沖縄に来れたのに、そうしたら長島さんがそこにいないなんて、神様は何を考えているのでしょうか。本当に残念です。

いつの日か、長島さんの住んでいらっしゃるすぐそばで、山猫合奏団の公演が出来ることを切に願っています。その時は、是非ともご家族みなさんをご招待したいと思っています。
そんな日が、一日も早く訪れますように。
(10月4日記)


《2010年7月24日午前1時54分》
CHIKIから流れて、みんなで“ななしんや”にやってきました。
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當間みえさんはもうすっかり出来上がっていました。
だから、とってもいい調子でした。
ママに借りてキジムナーフェスタで使わせて貰った三線をお返ししました。
ママありがとうございました、でした。
恩納村で貰ったマンゴーをママにあげました。
「もらいものですが」でした。
ママに剥いてもらってみんなで食べました。
高山正樹が一切れ落としました。
とっても悲しそうな顔をしていました。
……と、後で西岡さんが言ってました。
そんな、ななしん屋でした。
[subcate.ななしん屋]

それから、やっぱりみんなで“土”に行きました。
ごうさんのお宅に泊めてもらったお礼を言うつもりでした。
でもごうさんはいませんでした。
せっかくだから一杯くらい飲んでいこうということになりました。
与儀勝之さんの「雨とヤリ」がありました。
おきなわおーでぃおぶっくの、津嘉山正種さんの“人類館”がありました。
久米明さんの“ノロエステ鉄道”もありました。
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でも、高山正樹の“カクテルパーティー”はありませんでした。
カウンターで、仲村清司氏が飲んでいました。
沖縄好きにはよく知られた作家でした。
西岡さんは仲村清司氏と顔見知りでした。
やっぱり沖縄は狭いのでした。
西岡さんはしばらく仲村清司氏の隣に座っていました。
仲村清司氏はバックにネコを連れていました。
西岡さんはそのネコをしばらく触っていました。
……と、後で西岡さんが言ってました。
西岡さんが戻ってきました。
高山正樹がみんなの写真を撮りました。
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そんな、“土”でした。
[subcate.沖縄Bar土]

午前2時51分。

もはや、記憶が断片的なのでした……

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宇夫方女史は今年3月20日以来、高山正樹は初めての“CHIKI”です。
何故か頬っぺたをつまんでいた西岡美幸ちゃんと、チーム琉球と命名された那覇の沖縄語を話す会の皆さんをお誘いしました。でも沖縄語の皆さんは仕事がお忙しくて(沖縄の労働環境は苛酷です)、県庁にお勤めの當間さんだけが来てくださいました。
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當間みえさんは2度目のM.A.P.after5登場、美幸ちゃんはもうお馴染みですね。
さて、ここCHIKIですが、なかじんさんが教えてくれたお店です。沖縄の食べ物屋さんに対して手厳しいコメントを発するなかじんさんが「おいしい」と推薦するお店、さてお味は如何?
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確かにおいしい。いい意味で、沖縄にいるということを忘れさせてくれる味です。
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もちろんゴーヤーだって使います。でもそれも沖縄で店を出しているのだから、ごく自然に地元の野菜を使っているというだけのこと。
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器だってセンスのいい壷屋焼きですが、それも自然。沖縄でいい器を入手しようと思えば、壷屋焼きが一番手軽に決まっています。
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ヒラヤーチーなんてメニューもあるにはあります。沖縄に来てもう一週間以上になります。せっかくこういうお店に来て、わざわざヒラヤーチーを頼まなくてもよかったのですが、なにぶん宇夫方女史が好きな炭水化物なので。他の女性も賛成。美幸ちゃん、頬っぺたつまむぞ。
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マグロのカマ。シークァーサーが添えてあったりしますが、沖縄の雰囲気はゼロです。
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それもそのはず、CHIKIのマスターはヤマトゥンチュ。奥さんは沖縄の方ですが。
おいしい料理に会話も弾む、そんな感じ。もうだいぶ食べたけど、當間さんが電話でチーム琉球のお仲間を呼び出しました。ここはやっぱり沖縄。すごく遅い時間から飲みに出るなんて普通のことですから。
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やって来たのは澤岻弥生さん。ヤマトから沖縄に嫁いでいらっしゃいました。東京のM.A.P.主催の沖縄語を話す会は、あっちへ転びこっちへ転び。おかげでちっともウチナーグチがしゃべれるようにはならないのだけれど、そんな沖縄語をめぐる雑談を通して、色々な沖縄が見えてくる、それがとっても楽しいのです、そんな話に、弥生さんはとっても興味をもってくださいました。沖縄でウチナーグチを学ぶことと、少し離れた東京で、それもどちらかといえばヤマトゥンチュが中心になってウチナーグチを学ぶこととは、やっぱり少し違います。ちょっと硬い言葉で言うならば、東京で勉強していると、沖縄と大和の比較文化論みたいになってくる。沖縄を鏡にして、日本の文化も見えてくるのです。そこがおもしろい。たぶん、彼女が沖縄にお嫁さんに来たヤマトゥンチュだからこそ、そこに興味が沸くのだと思うのです。
東京にいらっしゃる機会があれば、是非喜多見の会にも顔を出してくださいね。

てなコアなハナシをしていても、まだまだ頼む料理。メニューにないゴーヤーチャンプルー。マスター曰く「作りますよ。でも僕、ポークが嫌いなんですよね。だから豚肉ですけど、いいですか」
もちろん結構。むしろ大歓迎です。
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ともかくおいしいのです。「ポークが嫌い」というマスター。沖縄へ観光に行く人には興味の沸かないお店かもしれません。でもね、ポークなんて、戦後米軍が持ち込んだ「毒」です。むしろこの店にこそ、本当の沖縄のひとつがある、そんな気もするのです。

さりげなく、基地反対だから“CHIKI”。
このお店の名前の、隠された由来です。
沖縄に来た時は、又必ずお邪魔します。
マスターと、比較文化論を語りたいから。
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[subcate.パラダイス通り]
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タイフーンFMを後にして、パラダイス通りへ向かいました。
機織工房“しおん”の長池朋子さんが参加しているグループ「てぃとぅてぃ」が、“tituti"というお店を開いたのです。「てぃとぅてぃ(tituti)」は「手と手」ということですね。
《“てぃとぅてぃ”の関連記事》
 ⇒「オキナワンクラフト“うりずん”」のこと
 ⇒「“喜瀬の風”展」の案内
 ⇒“喜瀬の風”展(喜瀬別邸にて)
 ⇒「オキナワンクラフト“桜”」の案内
 ⇒ オキナワンクラフト“桜”(哲学の道・ギャラリー“花いろ”にて)

《長池さんから届いていた案内はがき》
titutiの案内はがき

古い民家を改装したお店。オープンしてまだ2週間足らず。
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長池さん、素敵なお店ですね。おめでとうございます。
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ホームページを見つけました。M.A.P.には真似の出来ないとっても素敵なサイトです。
 ⇒http://tituti.jimdo.com…
titutiについて、ホームページには「異分野の工芸家(陶芸/漆芸/紅型/織物/木工)とデザイナー、インテリアコーディネーターとで集うブランドネーム」と書かれています。私たちが何かを語るより、そちらをご覧頂く方がよさそうですね。

この日、お店にいたお仲間たちと記念撮影をさせていただきました。
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左から、お馴染みの織物担当の長池朋子さん、真ん中の方がtitutiのインテリアコーディネーター金城雅子さん、そして右の方が木工作家の西石垣友里子さんです。
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場所はこちら……
 ⇒titutiのブログのMAPのページ
那覇にお越しの際は、是非一度お立ち寄りのほどを。

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7月23日金曜日: 読谷の海を眺めながら

朝の散歩を終えて、読谷の海辺でお茶をしに出掛けた。

撮影中のボク。
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ボクが撮った海。
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今から65年前、ここから米軍が上がってきたのだ。
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義理の母も逃げた。そして蘇鉄を食べて生き延びた。
その恐怖がどれほどのものであったのか、どうか想像してみて欲しい。
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やっぱり、ボクは沖縄で癒されることなんかない。

海岸にオオハマボウの木が植えられていた。
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オオハマボウの花は赤くなって散る。あるいは散ってなお赤くなったのか。沖縄では墓の近くに咲くアカバナーを後生花と呼ぶ。
散ったオオハマボウの花
実はこの記事、11月23日のハイビスカスの記事をアップした後に書いたのだ。どうしてもその順番でアップしたかったのだ。ブログで、そんなこんなややこしい細工をしてみたところで、誰も気がついてくれそうもないのだが、ボクの独りよがりの自己満足なのだ。

つまり「オオハマボウ」の別名が「ゆうな」であるということ。
なぜごうさんは、それを教えてくれなかったのだろう。

さあ、いよいよ、金城実氏のアトリエへ向かうのだ。

もう沖縄の朝はもうすっかり暑い。
さとうきび畑のスプリンクラーが動き出した。
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7月23日金曜日: 朝の読谷を歩く

朝、ひとり散歩。

墓と船とオジイ。何も考えず、トボトボ歩く。
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新築の赤瓦の家。きっとお金持ちなんだろうなあ。
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新築なのに、やっぱり水タンクが乗っている。ホントにまだ必要なのかな。
 ⇒沖縄の水タンクのこと
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潮風にやられた車。
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僕が初めて来た頃の沖縄の車は、こんな車ばっかりだった。きっと水不足も影響していたのだろう。車を洗うための水なんかなかった。水は貴重だったのだ。
ヤンバルのダムの功罪。判断不能。
ゴーヤーだ。
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でっかいヘチマもある。しかし何だこの長いゴーヤーは。
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きっとこれ九州に多い長レイシという種類に違いない。沖縄のゴーヤーはアバシーゴーヤーでなくっちゃね、なんて、これも勝手なナイチャーの思い込みかな。
バナナだ。
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これだって、本物の島バナナじゃない。
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あ、これ知ってる。ドラゴンフルーツだ。
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こいつが沖縄で栽培されるようになったのは、近年になってからなのだ。でも、海ぶどうのお店でとってもおいしく頂きました。
 ⇒恩納村の打ち上げの記事
おお、島とうがらしだね。
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ホントかな。こいつも偽物だったりして。
あー、ダメだ。せっかく心静かに、無心で歩いていたはずなのに。僕は、沖縄にいると、ちっとも癒されないのです。
旅の続きへ

沖縄タイムスの真久田さんと別れて、読谷(よみたん)に向かった。“土”のごうさんが読谷に住んでいる。そのごうさんに、チビチリガマを案内してもらうのだ。
沖縄にはたくさんの鍾乳洞がある。その自然の洞窟を沖縄の人は「ガマ」と呼ぶ。「ガマ」は、あの沖縄戦で防空壕や避難壕になった。読谷にあるチビチリガマも、そうしたガマのひとつである。
 ⇒読谷村戦跡めぐりマップ
小さな駐車スペースに車を止めて、ごうさんの忠告で手足に虫除けスプレーを吹きかけて、ガマの前の広場へと降りて行く。
チビチリガマへの階段
そこにはアメシガーラという細い川が流れていた。その流れは、ガマの中へ消えていくのだが、その先、どこに繋がっているのか、誰も知らない。
アメシガーラ(アメシ川)
「チビ」は尻のこと。「チリ」は切るという意味。つまり「チビチリ」の名は、この「尻切れトンボ」の川に由来している。
チビチリガマ
ガマの入り口にはこんな立ち入り禁止の看板が立てられている。
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「ここから先は、墓となっていますので……」
「私達、肉親の骨が多数残っています」
不思議な文言である。

1945年4月1日、アメリカ軍は読谷において上陸を開始、沖縄本島における地上戦が始まる。翌々日の4月3日に、このチビチリガマで悲劇が起きるのだが、以来この場所は近寄ってはならない場所となり、人々は口を閉ざした。
1983年に刊行された『沖縄大百科事典』に「チビチリガマ」の項目はない。

下嶋哲朗氏が、読谷から開拓者として八重山に渡った当山ウトさんと出会ったのは1978年のことだった。
戦後の八重山開拓移民のことも、日本人の多くが知らない。その歴史を知ってもなお、沖縄に基地を押し付けることを致し方なしと判断する日本人がいるとしたら、日本という国など消えてしまって構わないとさえ僕は思う。しかしそれはまた別の機会に話そう。
1983年の夏、下嶋哲朗氏が中心になって調査が始まる。そして、チビチリガマであった「集団自決」の真実が明らかにされていった。
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読谷村では、「村史」のうち、第五巻の資料編4 『戦時記録』 上下巻を、Web上で公開している。
 ⇒http://www.yomitan.jp/sonsi…
村史には読谷村の「集団自決」について、12ページに亘って記述がある。ここで、僕がそれを要約することはしない。是非ご自分でお読みいただきたい。
 ⇒http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05a/index.htm

チビチリガマの左手に大きな碑があって、次のような言葉が刻まれていた。

チビチリガマから世界へ平和の祈りを
1945年4月1日、米軍はこの読谷村の西海岸から沖縄本島へ上陸した。それは、住民を巻き込んだ悲惨な沖縄戦・地上戦であった。その日のうちに、米軍はチビチリガマ一帯に迫っていた。翌2日、チビチリガマへ避難していた住民約140名中、83名が「集団自決」をした。 尊い命を喪った。
あれから38年後、やっと真相が明らかになった。その結果、83名のうち約6割が18歳以下の子供達であった。その他、2名が米兵の手によって犠牲になった。
「集団自決」とは「国家のために命をささげよ」「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」といった皇民化教育、軍国主義による強制された死のことである。
遺族は、チビチリガマから世界へ平和の祈りを、と「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」を彫刻家金城實氏と住民の協力のもとに制作した。しかし、像の完成から7ヶ月後、11月8日、心なき者らにより像は無残にも破壊された。住民は怒り、遺族は嘆いた。
全国の平和を願う人々はそのことを憤り、励ましと多大なカンパを寄せた。あれから7年が経過し平和の像の再建が実現した。チビチリガマの犠牲者への追悼と平和を愛するすべての人々の思いを込め、沖縄終戦50周年にあたり、再び国家の名において戦争への道を歩まさないことを決意し、ここに碑を建立する。
1995年4月2日
チビチリガマ遺族会

再建された平和の像は、ガマの右にある。既に黄昏近く、安物のデジカメで写すには暗かった。はたして、坐像が見えるだろうか。
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M.A.P.では、先に読谷にまつわる2本の映画の上映会を開いた。
 ⇒第一夜【ゆんたんざ沖縄(1987年)】
 ⇒第二夜【チビチリガマから日本国を問う!(2010年)】
しかし告知宣伝がママならず、残念ながら多くの方にご覧頂くことができなかった。こういう作品を声高に宣伝することに何故か躊躇してしまう役者の性癖。しかし、それはプロデューサーならあってはならぬこと、忸怩たる思いである。

平和の像を制作した金城実氏は、読谷にアトリエを構えている。ごうさんのお友達である。だから、アトリエへごうさんに連れて行って貰おうと思っている。しかし今日はもう遅い。あつかましくもごうさんのお宅に泊めていただくことになった。

太陽が読谷の海に沈んでいく。
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沖縄の空には雲が多い。天辺の空に雲がないことはよくあることだが、水平線近くの空は、角度の所為で大気が厚い。だから、読谷の太陽が、雲に隠れずに海に沈むことは殆どないという。
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この日も、太陽は海に到達する前に、灰色の雲の中に没していった。

スクで一杯。
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ごうさんと奥様に感謝。
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7月22日木曜日: 孤立無援の交流

沖縄タイムスへ寄った。
真久田さんに会った。
「名護市民会館の、鳩山さんが記者会見したロビーで記念撮影してきましたよ」
「あそこは観光地じゃないよ」
と、真久田さんは笑った。

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もう、山猫合奏団の高山正樹ではない。
では、何の高山正樹なのか。そのあたりがよく分からなくなってきた。なぜ沖縄なのか。全て「第4の琉球処分」の所為である。

「M.A.P.という会社の代表ではないのですか」
「しばらく、許して欲しい。会社がどうかなれば、責任は全て取る」

きっと、たくさんの人に会う。けれど、というか、だからこそというか、僕の沖縄へのアプローチは、きっと孤立無援なのである。
「お願いです。くれぐれもひとつの記事だけで、何かを判断してしまうことのありませんように……」

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7月22日木曜日: 山猫ツアー最終日

前々から行ってみたい所があった。
せっかく糸満にいるのだから、と行ってみた。
糸満市の中央市場。
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沖縄の市場といえば、那覇の公設市場ばかりがクローズアップされ、観光客でごった返している。しかし流行のラー油をバーター販売していたり、いい意味でも悪い意味でも、観光客慣れを越え「観光客ズレ」してさえいる。20年前はもう少し素朴であったと記憶する。
もしかすると、ここ糸満の市場には、それよりももっと前の沖縄が残っているのではないか、そんなことを漠と思っていた。しかしそれも「オレは少し沖縄に詳しいぞ」という大和人(ヤマトゥンチュ)の勝手な視線なのかもしれないのだが。

残念ながら2台つるんだ車をうまく停められる場所がなくて、やっぱり那覇の公設市場で昼飯を食うことにしたのだが、今日のところはかえってそれでよかったのかもしれない。物見遊山な気分ではない時に、いつかゆっくり来てみようと思う。
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ここにもキジムナーフェスタのビラが。なんだか遠い昔の出来事のようだ。

《那覇公設市場》
昨年の11月以来のご紹介。
物見遊山なら、ここがいい。築地と外国人観光客のような軋轢は一切ない。店と客との思惑が一致しているから。
今日の曇り空を感じさせない華やか(?)さ。
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こいつはチマグーか?
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 ⇒テビチとチマグーについて

高山正樹の義理の父親が大好きだった中味。中味汁に中味ソバ。
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「沖縄産」の本場もの。
でも、高山正樹は苦手。曰く、でも最近は食べていないから、もしかして食べやすくなっているのかも。豆腐ようや泡盛のように。
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へえ、牛の中味なんてあるんだ。でも、安い。「日本産」なのに。
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日本産の牛より沖縄産の豚のほうが上等。

新宿京王百貨店の沖縄展で買って5月22日に食べた肉はこのお店の商品だった。。
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新宿に来ていた親父さんに挨拶をしようと思ったのだが、残念ながらこの日は不在。(もしかすると、いつもいないのかもしれない……)

一階の市場で魚を買って二階の食堂で料理してもらうのもここの定番。
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満腹。
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(食い尽くされた夜行貝の殻)
 ⇒白石准氏のブログ(公設市場一階の画像満載)
 ⇒白石准氏のブログ(公設市場の二階で食ってる食ってる)

そうして、レンタカーを一台だけ返しに行きました。
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那覇空港へ。
 ⇒白石准氏のブログ(那覇空港の3人)

これで、山猫合奏団2010沖縄ツアーの終了です。このツアーがいい形で次に繋がっていきますように。
そうして、みんなそれぞれの活動の場へ散っていったのでした。

しかし、高山正樹と宇夫方路の旅はまだまだ続きます。
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辺野古のことを考えながら、ペンションを引き上げるために片付けをしていました。

《恩納村》
昨夜までのゴミは、届ければルミさんが処理をしてくださるとのこと。荷物とゴミ袋を車に積み込んで、ムーンビーチ前のルミさんのお店“華絵”に向かいました。
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この度は色々とお世話になりました。
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ずっと「ルミさん」と呼んできましたが、本名は宮崎るみ子さんです。
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近くに来たために、カメラの餌食になっていまったスタッフの皆様です。
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最後にコーヒーまで頂いて、いよいよお別れです。
また、お会いできることを信じて。

あれ……
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旦那さん、村会議員に立候補するの?とルミさんに聞いたら
「そうらしいね」
だって。

《糸満市》
そのあと、みんなでデジタルピアノを沖縄水産高校へお返しに行きました。
水産高校の前の道で、白石准が何かを見つけたらしい。
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蟻と蝉
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アリ、見えますか?
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僕たち、やっぱりアリではなさそうです。セミやキリギリスです。でもね、セミもキリギリスも遊んでいるわけではない。歌うのが仕事なのです。だから、何があっても、お客さまに楽しんでいただかなければならないのです。どんなに憂鬱なことがあっても、それを隠して舞台に上がります。ルミさんが、でっかいホテルのロビーを、美しい花で飾るように。

辺野古のこと、決して忘れているわけではありません、と、僕は一生懸命、自分を納得させようとしていたのでした。
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《そして……》
朝、ちょっと早起きして、楠定憲さんと宇夫方路さんと、辺野古まで行ってみました。
宇夫方さんは、昨日の喧騒の後片づけがあるから行かないと言ったのですが、無理やり引っ張っていきました。M.A.P.で、これだけ沖縄のことに関わっているのだから、一度は見ておいて欲しいと思ったからです。
楠さんも黙って付き合ってくれました。若い頃、酒を飲みながら、アイヌのこと、沖縄のこと、ずいぶん話しました。たいがい楠さんは聞き役だったけれど。
 ⇒“社長とは呼ばないで”の「アイヌのこと」のカテゴリ
 ⇒“社長とは呼ばないで”の「沖縄のこと」のカテゴリ

沖縄らしくない小雨が降っています。空はどんよりと曇っています。
coccoの“ジュゴンの見える丘”、そのyouTubeの画像の中でcoccoが呼んだ「馬鹿みたいにきれいな海」を僕は見たいと思っていました。しかし……

車を小半時ほど走らせると、ジュゴンが棲息するという大浦湾が見えてきました。
大浦湾から滑走路が計画されている辺野古崎を望む
この海が、大規模なアオサンゴ群のある生物の宝庫なのか。僕は曇った空を恨めしいと思いました。もしも降り注ぐ太陽の光に照らされた海が、圧倒的な美しさで僕たちに迫ってきてくれたとしたら、僕の脳みそに巣食う政治的なあらゆる理屈を消し去ってくれたかもしれない。そうすれば無条件に美しい海を守ろうという感情が僕を満たしたに違いない、僕はそうなることを、少し恐れながらも期待していたのです。

しかし、空も、海も、沿道の集落も、「内地」の伊豆あたりの、梅雨時の風景と、少しも変わることはありませんでした。否応なしに、僕の中で全てが冷静に相対化されていきます。
路沿いの「大浦湾を守れ」という立て看板
日々間断ない現実の生活と、ジュゴンが棲む海の観念的な美しさが、天秤を静かに揺らし続けています。

何かを理由に、基地の移設に反対をする人々。
新基地移設絶対反対の横断幕を抱えて座り込む人たち
「私たちの土地に」と書いてあるのだから、きっと地元の人なのでしょうね。
座り込む人たちと演説する人とそれに聞き入る支援者たち
支援者らしい皆さんは、いったいどこから来たのだろう。普段、何をしている方たちなのだろう。国際反戦沖縄集会で、「大和から来た人たちは沖縄で活動しないで大和に帰ってください」と言ったUさんのような人たちが増えていることを、この方たちは知っているのだろうか。
雨の中に立つ支援者たち
(※Uさんとは誰なのか、いずれお話ししたいと思っています。)

ここで、6月26日の伊波洋一氏の講演で聞いた話、知った事実をご紹介したいと思います。
伊波洋一氏の講演会で配られた克明な資料
普天間の海兵隊基地の移転先はグアムに決定していて、その米軍の計画は既定路線としてすでに進められているというのです。移転先がグアムになった経緯と理由は色々とあるのですが、ともかく、ここ辺野古に普天間の基地機能が移転してくることは100%ないと伊波氏は語りました。しかし、アメリカ政府はそのことを認めない。日本外務省も、たとえグアム移転という米軍情報を得ていたとしても、表向き政府間の協議で決められたことしか公式には認めることはしません。ではなぜ、これほど辺野古の話が持ち上がるのか。そのもっとも大きな理由は、海兵隊海外移転費用を日本に負担させる条件を整えるためです。

またこんな話も聞かれました。最後の質疑応答で、高江についての質問が出た時、伊波氏はそれに対して、沖縄の米軍基地が国外に移転する場合、それに見合った基地を日本のどこかに作る(それは現状沖縄でしかないのですが)という決まりがあり、それが「高江のヘリパッド」なのだ答えました。
びっくりしました。本当なのだろうか、本当だとしたら、どれだけの日本人がその事実を知っているのだろうか。

基地を1減らせば、どこかで1を増やす。これはアメリカが日本に対しての威信を維持しておくために必要な措置で、それ以外に特段の理由はなく、ただ基地の量に応じて支払われる「思いやり予算」がこれを支える実質的な背景だというのです。本当にそんなことで、住民の生活がズタズタにされてしまうというのか。

もしも普天間のグアム移転が既に決まっていることだとしたら、反対すればするほど、日本が米軍に出すお金を引き上げるためだけにやっていることになりはしないか。そんなふうにも考えられてしまうことが実に厄介なのです。
(※例えば、沖縄の基地反対運動は、基地の賃貸料を引き上げるためにあるという話も、まことしやかに語られることでもあります。)

来た道を帰ります。まだ通行止めだけれども、ほぼ完成している立派な直線道路は、新基地へおおきな車輌でもいけるようにと作られている道です。旧道は新しい道にウネウネとまとわりつくように通っています。
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なぜ? 基地ができないことが分かっているのになぜ?
ひとつは土建業者の利権。それも本土の業者。もうひとつ、自衛隊としては米軍の要求で基地ができることを願っているらしい。その後を自衛隊が使うため。土地が返還されてしまったあとに、自衛隊基地を作ることは不可能だから。

色々なことが絡み合っていて、僕にはこの中から真実を見極めることが全くできないのです。考えれば考えるほど、口は重たく閉じようとします。それでも僕は、必死に語り伝えたいと思っています。僕が見たもの、聞いたもの、考えたこと。

さらに口を重たくするサイトを見つけました。辺野古の人たちと基地の友好的な関係を案内するサイトです。
 ⇒http://www.henoko.uchina.jp/index…
 ⇒http://www.henoko.uchina.jp/base…
サンディエゴでの日米安全保障条約50周年記念イベントとイメージが重なっていきます。

辺野古の海が決定的に美しかったならば、こんな憂鬱に見舞われることはなかったのではないだろうか。まず現実を知ること、それが一番大切なことなのだと思うことに変わりはないのですが、しかし現実を見て知って物事を判断することの危うさもまたあるのだということを、僕は思っていたのでした。
 ⇒沖縄を見ずに「沖縄」を書くと決めた木下順次のこと

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ややこしいことのふたつめ
Bar“土”のマスターごうさんの日記を、ごうさんに許可を貰って、ここに「沖縄通信」として転載します。

【沖縄通信 No.6】(from ごうさん)
第27回 6・23 国際反戦沖縄集会で
「大和から来た人たちは沖縄で活動しないで、大和に帰ってください」
「大和で活動してください」
演説の終わりで、Uさんは、このことを強調して演壇から下りた。

司会のHさんが
「ここにはいろんな考え方の人が集まっていますので、Uさんのように考えてる人もいますね」
と、フォローすると、
会場前列から「Uの意見を弱めるような発言をするな」と、声が上がった。

「Tさん、それなら、壇上に上がって、自分の意見を言ってください」
Tさんは壇上に上がり、更に民族主義的な、大和排斥的なことを言ったらしい。

聴衆の中の一人として、知花昌一が声を上げた。

「Tさん、やまとんちゅうにもうちなんちゅうにもいろんな人がいる。
排斥するよりも、力を合わせて運動を展開していくほうが活路が開けるんじゃないだろうか?
実際、辺野古新基地建設阻止運動は大和から来た人たちが半数以上いて、運動を支えている。
うちなーのことはうちなんちゅうでやる、と言ってるあなた自身、現地に行って、行動してるの?」

と知花昌一が問いかけると、Tさんは
「確かに知花さんは現地に行って戦ってるけど、うちなんちゅのみんなが知花昌一になれるわけじゃない」
と言い放って、議論はちょんちょん。

という一幕があって、その夜、金城実アトリエで、そんなこんなを議論した。

チェ・ゲバラはアルゼンチン出身だが、カストロやキューバの人たちから迎え入れられ、キューバ革命の大いなる力になったのではないか?

人頭税廃止運動を展開し、琉球王国によって課せられた重い人頭税に苦しんでいる宮古島の人々を重税から開放した。運動の中心人物は新潟出身の中村十作ではなかったか?

今、沖縄から靖国を問う裁判、靖国訴訟を支え続けてくれてる人々のほとんどは大和から来てる人たちだ。

だから、大和だウチナー(ウチナーで括ってしまったら、ヤイマーもミャーコも排除されるのだが)だのと、こだわりを捨て、世界規模で沖縄の基地のことなどを考える方向性をもっと浸透させなければ。
それをみんなに解ってもらうためにはどうしたらいいのか?

沖縄の住民の人たちのパワーをもともっと引き出すには何が必要なのか?
ということなどなどを、深夜まで、酒を酌み交わしながら、非国民的男どもは延々と語り合ったのだ。

しかし、沖縄県民は今回の選挙で
変節を繰り返してるあい子さまを選び、筋金入りの山城さんを見放したのだ。
いったい自分たちの将来を...

投票率は全国最下位。
あの県民大会などの怒りをどこに持って行けばいいのか解らなくなったのか?
日本にもアメリカにも沖縄にも民主主義は死語なのだろうか...

※6・23 国際反戦沖縄集会の会場にぼくはいなかったので、やりとりの正確さ詳しさが欠けてるだろうと思います。


【11月17日に追伸】
僕はこのごうさんの日記を転載するにあたり、この出来事について、何かを言おうとずっと考えていました。でも、なかなか書けずにいました。
この頃、多くの沖縄の人たちが大和を憎み始めているという印象を強く受けていました。だから、知花昌一さんの発言に救われた思いがして、そのことを書きたかったのですが、Uさんの名誉を傷つけることなく書くにはどうしたらよいかと考えていたのです。

さらにある日のこと、「やまとんちゅ」の運動家に寛容であった知花さんが、「もう独立しかないのではないかと思い始めている」と発言された場に居合わせることになりました。とうとうココまできたかと、その時僕は思いました。権力に対する闘争である限り、共闘は可能でしょう。しかし、独立運動となれば話は別です。支援はできても、知花さんの立つ場所とこちらとの間には、絶望的な溝が横たわっている、そんなことを考えていたら、ますますコメントできなくなっていきました。
(※その日の記事も、まだアップできずにいます。)

その頃から、沖縄のために活動している「やまとんちゅ」に対して、度々疑問を感じるようになりました。しかしなかなか説明しがたい。どういえばいいのでしょう、例えば活動家たちは、自分の考えの正しさを、あまりに天真爛漫に信じ過ぎているのではないか……

結果僕は、Uさんの「民族主義」に激しい嫌悪を感じながら、その一方で、Uさんの気持ちを尊重したいという思いに駆られるようになりました。
しかしUさんは、そういう僕と、「天真爛漫な活動家」とを全く区別しないでしょう。僕はUさんから拒絶されているのです。

だから、もう黙って転載だけしておくしかないと思ったのですが、結局少し語り過ぎてしまいました。

でも、これでようやく、辺野古のことを書く準備ができました。

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※この記事は、実は8月13日に書いたものである。
沖縄ツアーの記事がなかなか書けずに、ようやく21日のご報告まで書き終わって、いよいよ22日というところで、ハタと止まった。22日は、朝、辺野古に行ったのだが、その報告をする前に、面倒な記事をふたつばかり書かなければならない。

ひとつめ
6月26日、僕は宜野湾市長伊波洋一の講演を聞きに行った。そして記事を書いた。
 ⇒http://lince.jp/hito/hidakatotinai…
その中で、サンディエゴ市の上級政策補佐官が、普天間飛行場受け入れを示唆している、という話をご紹介した。そして、その話には補足が必要なので、その時、ちょうどサンディエゴに行っていた宇夫方女史が帰ってくるのを待って、現地の情報を加味してあらためて書くと言った。その「ひとつめ」がまだ書けずにいる。
宇夫方路は6月29日に帰ってきているのだから、もうひと月半になる。それなのに、約束した記事が書けないのには理由がある。

僕は宇夫方女史に、はたしてサンディエゴの一般の住民たちは、基地のことをどう考えているのかということを聞いてきて欲しいと連絡をしたのだ。その実際に現地で聞いた声が、僕が加味したいと考えた情報であった。しかし残念ながら、僕のメッセージが彼女に伝わったのは、彼女がサンディエゴを離れたあとだったのである。

そこで宇夫方女史の帰国後、サンディエゴでお世話になった日本人向けフリーペーパー“ゆうゆう”のスタッフ、Noriko_Sato_Sahara(佐藤紀子)さんに宇夫方のほうからメールを送ってもらって、このM.A.P.after5を御案内したうえで、僕が知りたかった内容を質問してみたのである。
佐藤さんからは「週末に記事を読んで、お答えします」という嬉しいお返事をいただいた。
しかし、結局未だにそのお答えが届かない。多忙な方なので、もしかするとお忘れなのかもしれないとも思ったが、催促のメールを差し上げるのは控えている。

僕の質問をお送りするよりも前に、佐藤さんが取材で撮影されたサンディエゴの6月の催し物の画像を、こちらのブログで紹介してもよろしいということで大量にお送りくださっていた。そのうちの“赤い靴像除幕式”の画像は、既に7月4日の記事でご紹介した。“少女像贈呈祝賀昼餐会”の画像は、それより前の6月28日の記事に追加でアップした。
大量の画像データをお送りくださったことに感謝し、また大変お手間を取らせてしまったのではないかと恐縮もしている。

しかし、そんな面倒なことをしてくださったにもかかわらず、その後の質問に対するお答えは届かない。もしかすると、とても答えにくい質問を僕はしてしまったのかもしれない。我々はできるだけ中立にと記事を書いているつもりなのだが、それでも反米反基地の傾向は否めない。あるいはそれがお気に召さなかったのかもしれない。

ともかくここで、佐藤さんが送って下さった画像データのうち、まだご紹介していない画像、“赤い靴像除幕式”の前日(6月26日)に開催された日米安全保障条約50周年記念イベントの画像をアップしておくので、どうかご覧いただきたい。

質問のお答えは、今少し待ってみようと思っている。

※そして11月12日に追記。
いくらなんでも、もうお答えはいただけないだろう。残念ながら現地の一般の方々の声は聞かぬまま、伊波洋一氏(今現在沖縄県知事戦を戦っている)の講演で聞いたサンディエゴの基地事情をご報告したいと思う。

サンディエゴの基地は(サンディエゴに限らずアメリカ国内の基地は全てということらしい)、市民の住居とは数十キロ離れていて(法律で決まっているらしい)、騒音や危険が市民に及ぶことは決してない。仮に決まっている距離以内に誰かが住めば、移動しなければならないのは基地の方だという。だから、基地を新たに作った場合、その周り数十キロの範囲は人が住んではいけないという法律をまず作るのだという。サンディエゴにおける基地と住民は、基地はただ市民に利益をもたらす存在として、いたって友好な関係にあるというのだ。そしてサンディエゴ市には、まだまだ基地を受け入れる余地があり、誘致した基地は、さらに市を潤すことになる。従って、サンディエゴは普天間の米軍基地の受け入れを表明したのだと。

そんなサンディエゴの市民たちは、遠く離れた沖縄の基地事情を全く知らない。「世界一危険な基地」と呼ばれる普天間基地の航空写真をアメリカ人に見せると、こんな基地が存在するなんて信じられないことだと誰もが驚くという。アメリカだったら、絶対に許されない基地だと。

僕は8月13日にアップした日米安全保障条約50周年記念イベントの画像に一切コメントをつけるのをやめることにした。この記事の「»続きを読む」にアップした大量の画像をご覧になって、皆さんは何を感じるだろうか。このM.A.P.after5は、なかなかコメントしていただけないブログ、歯がゆいが、全てこちらの責任と、半ば諦めている。

面倒な記事のふたつめは次の記事で。
旅の続きへ

見ていただきたい画像は……

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ふたつ前の記事(コンクリの護岸)の記事と……
 ⇒http://lince.jp/hito/okinawamap/churaumi…
ひとつ前の記事(伊江島の土地闘争)の記事と……
 ⇒http://lince.jp/hito/okinawamap/kaiyoohakukooen…
是非それらの記事を読んでから、この記事をお読みください。

お魚君たちの様子は白石准ちゃんがしっかり撮ってアップしているので、それはそちらに任せるとして……
 ⇒http://juninho.blog16.fc2.com/blog-entry…

M.A.P.after5は人間中心にしてみよう。魚を見る人間を撮って展示する「人類館」。
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ピントを合わせたのは、向こうの外人さんたち。
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感度をあわせたのは右の女の子たち。
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准ちゃんが撮っていない水槽。海の森。マングローブ。
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この旅のはじめにご紹介した「ウチナー・パワー沖縄,回帰と再生」のカバーと色合いが似ている。
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この中で、馬場繁幸氏が「マングローブとともに生きる」という文章を書いている。

「『美ら島沖縄』のキャッチコピーが巷にあふれている。だが、島のまわりをコンクリートの護岸で取り囲むことが、はたして『美ら島沖縄』なのであろうか。」
「補助金でせっせと沿岸の道路工事をし、赤土を流出させ、サンゴ礁をダメにしている。海岸にコンクリート護岸を建設し、海から眺めるとコンクリートで取り囲まれた醜い海岸風景を作り上げている。『美ら島』とはもてなしの美しさ、心の美しさも含めてのことであるはずだ。」

マングローブのある岸は、サンゴ礁と同様に、人間にとって重要な生物多様性を確保する、貴重なシステムなのである。

准ちゃんのブログと一緒に歩いていこう。
 ⇒http://juninho.blog16.fc2.com/blog-entry…

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知りたいのは癒されたい人々の心。
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僕は、リニューアルする前のマンボウが大好きだった。

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でもさ、やっぱり普天間の爆撃機を思い出す。
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ステルス戦闘機。
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水槽の上。冷房なし。
本当は、すごく暑いのだった。
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本当はすごく危険なのだった。
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安全な場所から……
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……見る。撮る。
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美ら島水族館を後にして、イルカショーへ。
跳んでるイルカは准ちゃんのブログに一杯あります。
 ⇒http://juninho.blog16.fc2.com/blog-entry…
だからこっちは、やっぱり伊江島とお客さん。
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おもしろかった。
さて、ボチボチわれわれも準備しなくっちゃねえ。
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旅の続きへ


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目的の「美ら海水族館」は海洋博公園の中にあります。とても広い公園です。
当時、海洋博開催のために土地を奪われ、それを苦にして自殺した人もいました。
海洋博ショックというものもありました。博覧会後、反動でたくさんのホテルなどが倒産し、ひどい不況が訪れたのです。残されたのは破壊された自然だけ。それをもって海洋博は悪であったとする論説も数多くあります。むしろそれは沖縄を良く知っているという多くの「文化人」の常識でもあります。

しかし海洋博の数年後、沖縄のリゾート産業は、海洋博の年の実績を、軽々と越えて発展していきました。「美ら海水族館」は、以来ずっと沖縄観光の花形のひとつであったということも事実です。

僕には、海洋博の功罪を云々することはできません。「美ら海水族館」はやはり魅力的なのです。一方で素直に楽しむことのできない自分もいる。
大和が沖縄に押しつけた「癒しの島」という役割。その象徴としての「美ら海水族館」。

大きな駐車場に車を停めて、水族館に向かいます。
伊江島が見えてきた。
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実は、僕は密かにこの島を、あらためて眺めて見たかったのです。いわゆる「集団自決」のあった島。
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それだけではありません。沖縄がまだ米軍の統治下にあった頃、この島では沖縄の復帰運動の原点といわれる土地闘争がありました。そんなこと、水族館を訪れるたくさん観光客の殆どは知らないんだろうな。

※『沖縄大百科事典』「伊江島と血闘争」より
「(前略)米国大統領・米国民政府・琉球政府などへの祈願・陳情、接収地における武装米兵との実力闘争、長期間の座り込み、沖縄全島に及ぶ〈乞食行進〉、世論の喚起など種々の戦術で粘り強い闘争を展開、100人余の逮捕者を出す。もっとも熾烈化したのは米国民政府令第109号「土地収用令」によって、1955年3月11日から米軍が武力を行使、真謝区の住戸13戸をブルドーザーで壊し、農作物とともに焼き払うという強行手段をとってからである。(後略)」

この闘争は復帰後まで続きました。その土地闘争の指導者、いまや伝説となった平和活動家、亜波根昌鴻氏が亡くなったのは2002年の3月、まだそれから10年も経ってはいないのです。

間もなく入り口。
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ドッカーン!
なんだかさ、普天間飛行場のソバで見上げた、飛び立ったばかりの米軍爆撃機を思い出してしまうのです。
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癒される前に腹ごしらえのバイキング。
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7月21日水曜日: “清ら海”の記憶

「行った事がないのなら、定番の“美(ちゅ)ら海水族館”にでも行こうか」

國吉眞正先生
この旅の始め、那覇空港には「美ら島沖縄総体2010」という横断幕が張られていました。その時にも少し書きましたが、もう沖縄で「ちゅら」という言葉に「清ら」という字を当てているのを見つけるのは、かなり難しいことになってしまったようです。沖縄県の広報誌でさえ「美ら島沖縄」というくらいなのですから。
このM.A.P.after5のブログもそうです。竹原さんの仙川のお店の名前は「美ら風」だし、オオシッタイの上山弘子さんの藍染は「美ら藍」です。どちらも「ちゅらかじ」「ちゅらえ」と、読み方にはこだわっているんですけどね。きっと國吉先生にすればおっしゃりたいことがたくさんおありでしょうね。

でも、僕はこうも思うのです。沖縄の「ちゅら」は「清ら」でなければならないと、ナイチャーの僕が語ってはいけないのではないか、それもナイチャーが都合の良いイメージを沖縄に押し付けることではないのか。
それならば、「ちゅら」を「美ら」として、それが日本に浸透していって、その結果、沖縄から大和を逆照射するように、大和の「美」の概念に「清い」という意味を、大和の「美しさ」が捨ててきた「清らかさ」を、再び取り戻すことになるのだとすれば、それはそれでありなのかもしれない……

名護から58号線を離れて海洋博公園に向かいます。進行方向左側に、東シナ海のきれいな海が拡がります。思わず車を停めて海を眺めることにしました。
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確かに、美しいのです。きっと、あの頃よりも。

僕が初めてこの道を通ったのは、今から二十数年前、沖縄海洋博が開かれたのは1975年の7月から76年の1月ですから、すでにそれから10年は経っていたのだと思います。でもリゾートホテルや何やらの建設で、まだまだたくさんのダンプカーが土煙を上げて走っていました。海は、箇所箇所赤土で汚れていたように記憶しています。その時の海の記憶よりも、今日の海は美しい。

でも……
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護岸工事が施された海。あの頃の沖縄に、こんな海はなかった。そしてこんなに晴れているのに、この海はどこかくすんでいます。
20数年前の沖縄の海は、リゾート開発が進む地域は別として、本島でさえとても美しかったのです。今でこそ那覇空港近くの海は赤茶けていますが、当時は空港へ着陸する寸前に飛行機の窓から見下ろす海も、やっぱりものすごくきれいでした。

この話を、津嘉山正種さんにしたことがあります。すると、津嘉山さんはこうおっしゃられました。
「そうですね、確かに20年前の沖縄の海は、今よりずっときれいだった。でも、僕の子どもの頃の海は、あなたが見た20年前の海の、何十倍も美しかったのですよ」

僕は、またしてもやってきた憂鬱を感じながら、ある評論を思い出していました。

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恩納村ライオンズクラブ会長さんのご挨拶で始まりました。
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お酒を飲まない方はビン入りペプシコーラ。
ビン入りペプシコーラ

ここは“海ぶどう丼発祥のお店”。
ネットで検索すればいくらでも出てきます。それならば、まず海ぶどう丼を頂かなければいけません。
元祖海ぶどう丼
ネバネバトロトロが全くダメな四国出身の楠さんは、とろろ抜きにしてもらいました。
特別な味付けをしているわけではないので、きっと皆さんの想像通りのお味であります。素材が良ければ不味いわけがない。
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「うまい!」
前会長の昇かおるさんが挨拶している間も隠れて食ってる。
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そして、特にというか意外にというか、旨かったのがこれ。
海ぶどうの茶碗蒸しです。
海ぶどうの茶碗蒸し
ピンボケ写真しか撮れなかったのが残念。
その他にもお刺身たくさん。たとえば鮑とか……
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それから、くだもの。
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どれもこれも、もちろん文句なしです。
沖縄ならではのものもたくさん。フルーツならばパッションフルーツ。
パッションフルーツ
パッションフルーツは、もともとアメリカ大陸の亜熱帯地域の果物だったようですが、今では福島県あたりでも栽培しているらしい。じゃあ「沖縄ならでは」というのは違うんじゃないの、なんてね。
ドラゴンフルーツも同様です。
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スクのから揚げ。
スクのから揚げ
スクについてはだいぶ前に一度書いたけれど、今日は第2弾。
スクは旧暦の6月1日(今年は7月12日)の大潮に乗って、さんご礁の浅瀬に大挙して押し寄せてくる。珊瑚の近くの藻を食べに来るのです。この時を逃さず、スクが藻を食べる前に一年分のスクを獲ります。藻を食べてしまったスクは臭くて不味いのです。このスク漁はたった10分で終わります。捕れたてのスクは刺身で食べます。刺身とまではいきませんが、カラ揚げだって、この時期にしか食べられないのです。あとはみんなスクガラス(塩辛)にして保存してしまうのですから。
(※実際には、一日(ついたち)を挟んで3日間は漁ができるという話も聞きますが)

そして真打登場。ヒージャー(山羊)の刺身です。
山羊の刺身 ヒージャーの刺身
さばかれる前の山羊君は下記記事から……
 ⇒http://lince.jp/hito/siotoabura…
刺身なら食べられます。というか、これはおいしかった。全然臭くない。脂の部分はどうかなとも思ったのですが大丈夫でした。20年くらい前、ヤンバルで新築祝いか何かで食べた時はもっと臭かったという記憶があります。泡盛もそうだけれど、どんどんと臭みをなくす工夫がされているのでしょうか。もしかするとあの山羊汁も? いや、ヒージャー汁だけは絶対食べられない自信があります。

お店“海ぶどう”のオーナー白井敏夫さんです。
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今日は本当にありがとうございました。
白井さんは神奈川県のご出身。沖縄に移住して、最初のころは色々とご苦労されたようです。お店で出す料理だって、なかなか地元の方には受け入れてもらえなかったり。それでもこの地でずっと頑張ってこられたのは、いったいなぜなんだろうなあ。
白井さん、あなたはウチナーンチュになれたのですか……

もしもこのブログが、会社や山猫合奏団や、その他いろいろな方々と関係のない個人的なブログであったなら、もっともっと書きたいことを書けるのかもしれません。この日、端っこの方の席でそっと聞いた話のこと。名護のこと。沖縄にお嫁入りするということ。

もう少しして、この憂鬱から逃れられたら、その時には、まろやかにやんわりと書いてみたいと思います。今はどうしても書けそうにありません。書かなければいけないと、ずっと思っているのに……

白井さんが、別の席で飲んでいた名城一幸さんを引っ張ってきました。沖縄芸大で三線を学んだ彼に、ひとつ唄ってもらおうというのです。
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名城くんは気持ちよく唄ってくれました。こういう時、唄うことを断るようなウチナーンチュに、僕は今まで会ったことがありません。
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指笛を鳴らす、というか鳴らないふたり。すーすー、ひーひー。

この島には、島酒を飲み、そして三線を奏で、そんな島唄さえあれば、ホールで聞く音楽なんていらないという人たちが、きっとたくさんいるんだろうな。その三線だって、野村流だろうが安冨祖流だろうが関係ないという人たち。

会長とスリーショットです。
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貰った名城くんの名刺にはこんな肩書きが書いてありました。
“琉歌大賞・恩納村文化村文化協会担当兼三線指導者”
「大学では、まず安冨祖流と野村流の違いを勉強するんですけどね」
彼はきっと、古典も、民謡も、BIGINも、分け隔てなく弾くんだろうな。彼の三線は、東京の居酒屋で行われるライブの三線とは、やはりレベルが違う。でも、ちっとも威張らない感じ。
ちなみに、名城一幸君は東江祐吉君とは大学の同級生でした。こんなこと、沖縄ではいくらでもあることだから、もう不思議でもなんでもありません。

でもさあ、沖縄にだって、チェロの大好きなおばさんもいるんだよね、ルミさん。
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譜めくりしてくれた伊禮門夏子ちゃんだっているし。
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いちゃりばちょーでー!
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まあ、ここ(↓)までくると、よく分かりませんが……
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是非とも、また呼んでください。この恩納村のもっともっとたくさんの人たちと、「兄弟」になりたいから。
(入場料をタダにしたら黙っていてもお客さんが集まると思ったら大きな間違い。知らない人は、そう簡単に大切な時間を預けてはくださいません。価値ある時間と思ってくださらない限り。)
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起床……
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今日はいい天気。
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朝の徘徊癖のある楠さんは、どこ行っちまったんだか、車と共に所在不明。

僕は散歩。
まるで、沖縄じゃないみたい。
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ここ、沖縄の別荘地なのです。少し高いところにあるので、避暑地なのかもしれません。でも、「内地」からわざわざ沖縄まで避暑に来るという人はいそうもないから、たぶん沖縄のお金持ちがオーナーという場合が多いのではとも思ったのですが、定かではありません。
しかし、最近の夏の最高気温は、東京より沖縄のほうが2、3度低いのが普通。なにしろ沖縄では、35度以上の猛暑日なんて殆ど皆無なのです。緑の多さと海風が島を冷やしているのでしょうかねえ。もしかすると、沖縄が日本の避暑地になる日も意外に近かったりして。

それにしても今年は台風が少ない。台風は海をかき回して海水温を冷やしてくれる。でも今年は台風が来ない。このままだと珊瑚が大打撃を受けることになるんだって聞きました。台風と珊瑚の関係についてはきちんと調べた話ではないので、コピペしてブログに使わないでね。

行方不明だった楠さんが戻ってきて(万座ビーチまで行って中に入ろうとしたらガードに静止されたんだって)、朝ごはんを食べてから、楠・宇夫方・高山の3人で、明日の名護の会場へ打ち合わせに行きました。
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戻ってきて一息ついて、あらためて楠さんと宇夫方女史は先発隊で恩名村の今日の会場に出発。

お昼、観光客に有名な“なかむらそば”で合流することにしました。
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58号線を挟んで反対側は海。金城さんの「生まれ島」伊江島が見えています。
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シーズンなので、店内はごった返しています。
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沖縄に来てまで御稲荷さんを頼むんだから楠さんらしい。
大島君はジューシー。抑えるところは抑えてますな。
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癖のないあっさりした味。ナイチャーの口に合うようにしているのかな。

はじめて来た店では、必ずソーキそばと決めているのですが……
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今度来る機会があれば、アーサーそばにしてみようかな。
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おなかいっぱい。準備完了。
(高山正樹)
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最終ステージも無事終わって、表方(おもてかた=これって専門用語?)の皆さんの記念撮影です。
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毎回の呼び込み、アンケートの回収などなど、いろいろとお世話になりました。またお会いできる日がありますように。

高山正樹とヨーフーさんは、この2日間、会場でスレ違うたびお茶目な挨拶を交わしていたら、いつの間にか仲良しになりました。
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でも、ヨーフーさんとも今日でお別れ。
ちなみに、この三人が被っているキャップは
コリンザの2階にある100円ショップで買ってお揃いです。
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100円ショップだけど210円でした。
みんなで撮影した記念のスナップはOfficial_Blogで見てね。⇒http://lince.jp/lince/korinza…

今日からは3泊、みんなでチャンプルー合宿です。
キジムナーフェスタ、ささやかな打ち上げ。
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リラックス、リラックス。
あ、そうだ、ウチナーグチで「クス」というと「うんち」のことです。
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キジムナーフェスタの本筋は山猫合奏団のOfficial_Siteの方でご覧頂くとして。
 ⇒http://lince.jp/lince/acorns_history/korinza…

こちらはM.A.P.after5的話題を。
昨日ウチナーグチで口上したということはご報告しましたが、本日分をyouTubeにアップしました。ちょっと聞きずらいですが、まあお聞きください。最後は大島君の楽器紹介もあります。

やっぱりほとんど聞き取れませんな。ましてやウチナーグチ、ナイチャーに分かるわけないね。
では、実況中継風に文字に起こしてみましょうかね。
ぐすーよー、はじみてぃやいびーん(皆様、始めまして)」
(お客さん笑:まずナイチャーがウチナーグチを使ったというサプライズと親近感。これで掴みはバッチリ)
わんねー、山猫……ええと、ヤマ…マヤー小(ぐぁー)、合奏団ぬ、高山正樹やいびーん。みーしっちょーてぃくみそーれ(私は山猫合奏団の高山正樹です。お見知りおきくださいませ)」(お客さん拍手)
とーちょーから、飛行機から、ちゃーびたん(東京から飛行機で来ました)」
(笑い:「~から」も「~で」も、ウチナーグチはどちらも「から」を使います。そのあたり、くすぐりもうまくいきました。)
ゆたさるぐとぅうにげーさびら(よろしくお願いいたします)」
(ちょっと笑い。ここで前列のきょとんとしている子供たちをいじくってウケてますが、実はそれで時間を稼いで次の言葉を思い出していたのです。)
「今日は雨の中、(本当は「ちゅーやあみぬなーか」と言わなければならなかったのですが出てきませんでした。)わじゃわじゃめんそーち、うたびみそーち、(わざわざおいでをたまわりまして:ここでお客さんの小さな笑いが起こります。これ沖縄の人でもなかなか使いこなせないような、首里あたりのお年寄りが昔使っていたような、立派な敬語なのです。きっとびっくりされたんだろうな)いっぺーにふぇーでーびる(ほんとうにありがとうございます)」(大爆笑)

こうなれば、後はたいがい何をやっても大丈夫。そういう幸運な時間は、そうそうやってくるものではないのです。役者にとって至福の時間といっても過言ではありません。急遽電話で教えてくださった、親富祖恵子先生に感謝感謝です。

この日はプリティー千恵ちゃんが観に来てくれました。
宮城巳知子さんのオーディオブックを、早く作らなければいけないと思いつつママなりません。もしプリティー千恵ちゃんが東京の近くに住んでいれば、ことはトントンと運ぶだろうに、でもそうはいかない。この困難の中で、なんとしてもやらなければならない仕事なのです。
誰もが知っている“ひめゆり部隊”。ほとんど知られていない“ずいせん部隊”。伝えなければいけないことがあるのです。

この日、千恵ちゃんが言ったこと。「武州丸って知ってましたか、わたし知らなかった」
対馬丸は、どうにか多くの人に知られるようになったけれど、武州丸を知っている人はほとんどいません。なぜ?犠牲者が少なかったから?奄美の徳之島だから?
そのうち、M.A.P.after5で、詳しくお伝えできればと思っています。

会場のコリンザ一階のホールでは、集まる子供たちに向けた特設絵本売り場があります。そこで千恵ちゃん、お友達とバッタリ。お友達のお名前は磯崎主佳さん。
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(左から千恵ちゃん、主佳さん、宇夫方路)
磯崎主佳さんは数多く絵本の挿絵を手がけていらっしゃいます。そのうちの一冊がこれです。
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6月の空。先日ご紹介したばかりの宮森小学校米軍ジェット機墜落事件を題材にした絵本です。

本当に、日本人が知らないことがいっぱいあるのです。
 ⇒関連記事「ひめゆり部隊とずいせん部隊のこと」

お昼です。迷いに迷って、結局会場内で売られていた秋刀魚弁当を食べました。尻尾がはみ出しているのに思わず引かれて。
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プリティー千恵ちゃんが食後のデザートを奢ってくれました。
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高山正樹は唐辛子入りのアイスクリームを食べたのですが……
「決して不味くはないけどさ、入れる意味がわかんない……」

実は主佳さんはキジムナーフェスタ事務局の大池さんの奥様。
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今回、山猫合奏団は大池さんに何かとお世話になりました。また大池さんご夫婦は、沖縄に移り住む前はM.A.P.の事務所と比較的近いところにお住まいで、沖縄の居酒屋をひとつ教えていただきました。今度行ってみよう。

さて、あと一回最後のステージ、気を引き締めていきましょう。
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高山正樹と宇夫方路は連泊。
ホテルで読んだ今日の新聞に智内さんの「ウチナーパワー」の記事が載っていました。
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売れるといいなあ。

今日も天気はあまりよろしくないないようで。
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このホテルもムーンビーチのそばのホテルなのだから、なかなかなのですが、しかし、後から来た3人は、昨夜は“沖縄かりゆしビーチリゾート・オーシャンスパ”に泊まったらしい。恩名村のライオンズクラブの方がオーナー。シーズンでお客さん一杯なはずなのに、山猫合奏団の「アーティスト」さんたちに是非泊まってもらいたいということで用意してくださったのです。(高山正樹もメンバーなのですが……)
白石准氏のこの日の記事に画像がありますが、楠定憲氏も朝起きて、カメラを持ってホテルの中を徘徊していたらしい。
というわけで、楠氏から貰ったスナップをちょいとご紹介。
准ちゃんが撮った画像と同じように、中庭のプールを写したものですが……
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ちょっと角度が違う。
すごいなあ。
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准ちゃんがウェディングスペースだと言っている場所ですが……
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晴れてたら冷房効かすの大変だろうなあ。余計な心配? いえいえ地球のことを考えているんですよ。

※沖縄のリゾートホテル事情について……
 ⇒http://lince.jp/hito/casalatida…

さあ、二日目もがんばりましょう!
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大島、楠、両氏到着。
草津から直行する白石准はまだ。でも朝ちゃんと起きたよというメールがあったので、落し物とか忘れ物さえなければ大丈夫でしょう。さえなければ? それが問題だ……

大島君はさっそく音出しです。
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准ちゃんが到着してからの様子はOfficial_Blogにて。
 ⇒http://lince.jp/lince/acorns_history/korinza…

さて、昨日名護市民会館で思いついた「いいこと」とは、ウチナーグチで口上を述べること。マチグヮーでウチナーグチを使えばシーブンしてくれるように(市場で沖縄語を使えばオマケしてくれるように)、世界演劇祭でヤマトゥンチュが口上を沖縄の言葉でやれば、きっと喜んでもらえるに違いない、そう思ったのです。

ぐすーよー、はじみてぃやいびーん。わんねー やままやーぐゎーがっそうだんぬ たかやままさきやいびーん。みーしっちょーてぃくみそーれー。とーちょーから ひこうきから ちゃーびたん。ゆたさるぐとぅ うにげーさびら。

さっぱり分からない方は下記記事をご参考に。
 ⇒http://lince.jp/hito/3-5…
 ⇒http://lince.jp/hito/hajimari…

これで掴みはOK。本番の様子はいずれ動画をアップする予定。(って、さて、いつになるのやら……)

この日、西岡美幸さんがお友達を連れて観に来てくださいました。ありがとう!
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西岡さんとは5月8日以来の再開です。なぜか写るのを嫌がる彼女。頬っぺたをつまんだりして何を隠そうとしているの?
まあ確かに、2ヶ月前に比べると若干ね……
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お友達のお名前は丑番直子さん。フォトグラファーです。西岡さんが100店シリーズ「いろふぁにふぉと」の写真のモデルになったのも、彼女が写真を担当していたからなのです。

ところで丑番さん、実は私たちM.A.P.が、楽天で「いろふぁにふぉと」を販売していること、知ってるかなあ。
 ⇒楽天市場“沖縄map”「いろふぁにふぉと」のページ

丑番さんはピンホールカメラで街を撮るというワークショップの講師をされていて、その作品展が、キジムナーフェスタに合わせるように、ここコリンザの近くで開催されているのです。

また、丑番さんは“沖縄映像の祭”というイベントにも関わっていらっしゃいます。
今日は、この2010年作品募集のチラシをお客さまに配りました。
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詳細は丑番さんのブログ記事にあります。
 ⇒http://ushiban.blog.shinobi.jp/Entry…

ところで丑番さん、実は私たちM.A.P.は、楽天でこんなDVDを販売していること、知っているかなあ。
「20世紀末の13年間を疾風のように駆け抜けた映像作家集団、
ヴォワイアン・シネマテークの映像選集」とか……
 ⇒VOYANT CINEMATHEQUE 1983-1996
「Film Makers Fieldの中心メンバー福間良夫と宮田靖子制作による8mmフィルム23作品収録された世界初の貴重な一枚」とか……
 ⇒FMF / Fukuma Miyata Films

さて、沖縄ツアー初日の公演は無事終了。
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お疲れさまでした。さあ、飯食いに行くぞ!
しかし、この日のディナーは、メシ食いに行く、そんな下品な言葉とは似ても似つかないお食事なのでした……
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恩納村のホテルに泊まっています。
朝食の後、ゆっくり新聞を読みます。
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山猫合奏団関連の記事をいくつか見つけました。記事の内容は山猫合奏団のOfficial_Blogでお読みください。
 ⇒http://lince.jp/lince/topics/sinpookiji…

目の前は海。あんまり天気はよくなさそうですね。
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見える大きな建物はムーンビーチホテル。つまりその向こう側にムーンビーチが広がっているのです。
ちょっと手前にはルミさんのお店“フラワーショップ華絵”が見えます。
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今回のツアーの宿は全て恩名村のライオンズクラブが用意してくださったのですが、それはルミさんの大きな尽力があったからこそなのです。旅費を出してくださった名護市民会館同様、ルミさんがいなければ、やはり今回のツアーはきっと実現しませんでした。高いところから見下ろしながらではありますが、ほんとに感謝感謝、合掌です。

でも、こんなに高い場所なのに、残念ながらこのホテル、ネットがつながりません。向こうに見えるムーンビーチホテルのロビーには自前のPCをネットに繋げる設備があるらしい。そこで高山正樹は、PCを持ってそこまでトボトボ歩いて行きました。

その間、宇夫方路女史は、ルミさんの車に乗せて貰って、明日から山猫合奏団全員で合宿するペンションの下見に行きました。
こんなとこ。
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もちろんここも、ライオンズクラブのメンバーのお一人が提供してくださったのです。すでに冷蔵庫には肉がたくさん。お米も、レトルトカレーもある、何から何まで、本当にありがとうございます。内部の様子はいずれ。

結局、高山正樹はメールなどをチェックするくらいしかできませんでした。ブログの更新もお預けです。
※じゃあこの記事は何だってか?つまりこの記事は、ずーっとあと、8月3日に書いているのです。

すごいスコールが降ってきた。そんな中、沖縄市のコリンザへ出発です……

……到着。
コリンザに入ると、お弁当やら飲み物やら、買って飲み食いできるスペースがあります。そこに、うるま市の物産品を販売しているコーナーもあって、森山さんの石鹸も販売されていました。

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やっぱり人気らしい。M.A.P.販売サイト楽天市場“沖縄map”では、さらに進化した本土向けスペシャル版が買えるんですよ。
お得なお試し版もあります。

さあ、山猫合奏団の会場入り口の看板です。
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こんな客席。
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受付はキジムナーのスタッフの皆さんがやってくださるのですが、私たちはグッズを売るからね。準備しなくちゃ。
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気がつけばもうお昼。雨は止んでいるので、表に出てみることにしました。
街が寂しいのは昨夜と同じ、シャッター通りが続きます。でもところどころとっても賑っているのも昨夜と同じ、そういう店にアメリカーがいるのもやっぱり同じ。ただ違うのは、夜と違って昼だから初めてでも気楽に入れる感じ。

ここに決めました。
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沖縄で最初のタコスのお店。チャーリー多幸寿。沖縄で最初ってことは日本で最初ってことですかねえ。それは不明です。
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キジムナーフェスタのポスターとAサインバーの標識。
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 ⇒Aサインバーの記事を読む
お店は観光客と思しき人たちで一杯でした。
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しかし……
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重かった……
沖縄県は男性メタボ率第一位。

その頃、楠定憲氏と大島純氏は沖縄そばを食べていたらしい。
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(楠定憲氏撮影のスナップ写真)
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《7月17日-8》
食事をしてから沖縄市にあるコリンザに着くと、3階にある小劇場「あしびなー」で行われていた開会式も終わり、皆さんはもうパレードに出発した後でした。
「コリンザ」の意味はコザに凛と建っているからなんだとか。じゃあコザリンの方が分かりやすそうですが、さきにできた泊の「トマリン」の二番煎じを避けたのでしょうか。

キジムナーフェスタが始まったばかりでこんなことを書くのも気が引けるのですが、今年6月13日の沖縄タイムスにこんな記事がありました。
「複合商業施設コリンザを運営する第三セクター『沖縄市アメニティプラン社』は株主総会を開き同社の解散を決議した」
まあ、忘れてください。フェスティバルなんですから。

東松照明写真展の看板
会場の一角で開催されていた東松照明氏の写真展も気になるのですが、こちらは明日からいくらでも見る機会があるでしょうから、パレードを追いかけることにしました。

沖縄市のパークアベニュー通りから日の出通りに向かいます。
パークアベニューは、かつてのセンター通り。米軍相手の繁華街でした。またオキナワポップ・オキナワロックの発祥地で、夜は音楽の鳴り響く歓楽街、そんな街だったはず。でも今は、すっかりシャッター通りになってしまったようです。でも、内地の寂れ方とはどこか少し違います。時々開いている店はかつてのコザを彷彿とさせ、アメリカー(沖縄の年配の人たちはアメリカ人をこう呼びます)たちで賑わい、はじめての観光客にとっては勇気がないと入れない雰囲気です。
日の出通り(今はコザ・パルミラ通りというようですが)の入り口で、パレードの尻尾に追いつきました。
なんだか渋滞しているみたい。
パレードの尻尾
エクスキューズミーなどと言いながら(外人さんなんかあんまりいないのに)、人ごみをぬって前に進むと、十字路のちょっと広くなったところで、何かやっているみたい。
パフォーマンス中
ははあ、ここで参加団体がそれぞれ短いパフォーマンスを披露しているようです。
フェスタのスタッフさんに見つかって……
「ああ、山猫さん探してたんですよ」
いやいや、並んで歩かなくてよかった。高山正樹は一輪車乗ったりミカン三つのジャグリングくらいはできるようですが、山猫合奏団とは何の関係もないし、そんなことしたらかえって明日からの本番にお客さん誰も来なくなります。
「こんなことやるなんて聞いてないもん」
「そりゃそうですよねえ」
……だって。
他にもパレードに参加していない団体さんもけっこうあるようだし、まあ今日は一観客になって楽しむことにしましょう。
パフォーマンス中の広場
近くのお店から、在沖米軍の家族でしょうか
「アメリカー」が不思議そうに外の様子を見ています。
アメリカ人の集まるレストラン

終着点には仮設舞台がありました。
裏から見た仮設舞台
パレードは上の画像の奥からやってきて、舞台の前で左右にハケます。全てパレードが通り過ぎると、そこにテーブルとイスが出されて観客席が作られました。
仮設の観客席

西村綾乃さんにばったり会いました。
宇夫方路と西村綾乃さん
綾乃さんは喜利の会会主の西村先生の娘さんです。宇夫方路と一緒に教師免許を頂いた方。モデルとしても活躍中。この日、キジムナーフェスタのオープニングに御出演していらっしゃいました。やっぱり沖縄は狭いなあ。

そして……
雑踏の中で山田智恵子さんと出会う
山田智恵子さんと沖縄市で再会したのです。
山田さんはちょくちょく沖縄にいらっしゃる方ではあるのですが、よりによってこの日に沖縄市に来る予定を立てていたとは、これって何かの運命?。

山猫合奏団のほかのメンバーはまだ来ていません。従って配給の500円の食券は2枚。ビンゴゲーム参加の権利も高山正樹と宇夫方路の2人分。こういうのはおじさん嫌いなので、山田さんが高山の代理で参加。
山田さんと宇夫方路ビンゴゲーム開始

今日のビンゴゲーム、早く揃った人が一等賞なのではなく、そのあとくじ引きで様々な商品が当たるというシステム。一番いい品物が液晶テレビ。二番目がニンテンドーのDSだそうで。ニンテンドーのDSって何?

ゲームの半ばが過ぎた頃、とうとう宇夫方路の数字が5つ並びました。舞台に上がって山猫合奏団の宣伝。
山猫合奏団の宣伝をする宇夫方路
当たった賞品は女性物の衣類でした。

揃わない人の方がずっと多い中、なんと山田さんもBINGO!
BING GET
そして、なんとなんとニンテンドーのDSをGET!

それから、中央パークアヴベニューにオープンしたばかりのお店、プレヤーズカフェへ。
ビールとノンアルコールで乾杯
今晩の宿は恩納村。このあと車で戻らなければいけないのです。運転手の高山正樹はノンアルコールビール。高山と宇夫方は夕食を食べてしまった後なので、注文は控えめに。でもいわゆるツマミみたいなものはありません。

こういうプレートの料理で飲むのも悪くない。でもノンアルコールだからなあ。そしてさっき晩飯を食べちゃったしなあ。残念。
プレート料理
若い頃、よく横浜に行って、それぞれ一品料理を注文して、ちょっと背伸びして飲んでいたことを思い出しました。異国の雰囲気。

「え、ビンゴゲームで当たったんですか、すごい!」
お店の女の子もビンゴ会場にいたらしいのです。
プレヤーズカフェの女の子
聞けば奈良の女の子でした。
「なんで大仏に鹿の角を生やしちゃったんだろうね、よく奈良の人、許したネエ」
「最初は結構問題になったんですよ」
セント君の話題で大いに盛り上がりました。

沖縄でちょっと気になる女の子に出身地を聞くと、「内地」から来たという子が多いのです。でも、それって何も沖縄に限ったことではないのだと最近思っています。そこの土地が好きだから、その土地に住んで頑張る。ただ生まれたところだから住んでいるという人より輝いているのは当たり前のこと。
若者はいつだって根無し草か、新しい場所を求めているのかもしれません。山田さんが沖縄を訪れるのも、もしかしたらそういうことなのかな。それほど若くはないか?失礼。

沖縄の多くの若者が沖縄に戻っていくのは、それだけ沖縄がいいところなのか、それとも日本の他の場所がひどすぎるのか、それとも……
いずれにしても、十派一絡みたいな分析はしたくありません。

またひとつ、いつか再訪したいお店ができました。

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《7月17日-7》
沖縄市に戻る前に、21日の山猫合奏団の公演会場である名護市民会館に寄ることにしました。今回の山猫合奏団のツアーは、名護市民会館のご協力がなければ実現できませんでした。だからこそ、少しでも多くのお客さんに来ていただかなければなりません。幸い名護の公演に先がけてキジムナーフェスタがあり出し物も違います。ならばキジムナーフェスタの会場で、名護の公演の宣伝をしようと思い立ち、チラシを受け取りにいくことにしたのです。

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でも、もしキジムナーフェスタでの“どんぐりと山猫”の評判が悪ければ、却って逆効果になってしまうかもしれません。こいつは賭けだな、なんてね。
もういい歳なんだから、肩の力を抜いて楽しめる仕事をしたい、そんな思いでプロデュースを始めたのですが、どっこいなんだか若い頃を思い出すような、青臭い不安と期待。こんなはずじゃなかったのにな、と、この緊張感をちょいと楽しんでいます。

市民会館に到着すると、こんな案内が貼ってありました。今日の催し物の案内です。
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しまくとぅば語やびら 名護市大会
見ていきたいなあ、と思ったのですが、今夜は沖縄市のコリンザでキジムナーフェスタの開会イベントやらパレードやらがあるらしく、是非参加をとスタッフの方から言われていて、何をするんだか勝手がよくわからないのですが、でも行かないわけにはいきません。仕方なく沖縄市へ向かいました。

なるほど、今の沖縄の子供たちは、もう島の言葉なんか見向きもしないのかなと思っていたのですが、一生懸命「しまくとぅば」を勉強している子供たちがたくさんいるんですね。頼もしい……

そうだ、いいこと思いついた!
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※7月17日のことです。
《7月17日-6》
トミヒサさんに案内されて、アメリカ海兵隊の基地のゲートまで行ってみることにしました。アメリカの海兵隊は陸軍にも海軍にも属さず独立性を保ち、ひたすら洗脳的に殺人訓練をしているという話は、最近日本のメディアでもよく紹介されていることです。その海兵隊がここ高江近くのヤンバルの森で、高江の住民を敵だと想定して(と、トミヒサさんは言います)ゲリラ戦の訓練をしている。その訓練を管理する基地。一人で近づいた人が、その後行方不明になったとか、そんなまことしやかな噂話があったりするところ。カメラを向けると、米兵が鉄砲を構えてやってくるらしい。

まさかね。ちょっと車の中から撮ってみようか。なるべく離れたところで、すぐ逃げられるように。
「やめときなよ」
「だいじょうぶだよ」
カシャ!(次の画像は、削除することになるかもしれない画像)
アメリカ海兵隊の基地のゲート
すると、途端にガードがいると思われる建物から、米兵らしきひとりの男が出てきて、拳銃を背負ってこちらに向かってくるではありませんか。
「やばい!逃げろ!」
逃げなかったらどうなったのか、定かではありません。でもなかなかスリルのある体験でありました。

高江のルポはこれで終了です。
トミヒサさんに別れを告げて、いよいよ頭をキジムナーフェスタに切り替えなければいけません。

でも僕の頭は、なんだか痺れているようです。高江を離れても、道の両側にはしばらくヤンバルの森と沖縄の海が拡がっています。
すると、ダムが目に入ってきました。車を停めてカメラに収めることにしました。
ヤンバルのダム
道の反対側には綺麗な海が見えます。
ダムから海に水を流すためらしい水路

また【Voice of TAKAE ~沖縄県東村高江で起きていること~】(pdf)から引用させてください。
北部訓練場には、5つのダムが点在し、沖縄本島生活用水の60%を賄う貴重な水源地です。2007年には、そのダムに投棄された弾薬類が1万発以上発見されました。更に、ベトナム戦争時、北部訓練場において、米軍が枯葉剤を散布していたことも明らかになりました。

トミヒサさんなどが話すことを聞いていると、ヤンバルは枯葉剤で汚染されている可能性が高いみたいな印象を持たされてしまいます。でも、トミヒサさんは決してそんなことは言っていませんでした。ただ可能性があると言っただけ。でもそんな印象を受け取ってしまったのは何故なのでしょう。聞く側の僕に「そう思いたい」というような、とても危険な因子があるのかもしれません。ありがちなハナシです。

要は、まず知るべきことは地質検査の数値など客観的な事実であり、それに対する様々な立場からの見解を中立的に並列した資料のような情報なのです。私たちは常に偏った側のデータや発言だけで予断しないことを肝に銘じなければいけないし、発信する側も、受け手に予断させてしまうような表現や、考え方を誘導するようなデータだけを提出するようなやり方は避けなければならないと思っています。例えば1%の可能性なのに「可能性がある」と言っては、嘘ではないが適切だとは思えません。伝えるべきは、そして聞きたいのは、何%なのかという数値です。

一方、悪しき相対主義にも陥りたくはないし、権力を補足するような発言もしたくはない、そう強く思ってもいる。

ガードレールから真っ青な海へ落ち込んでいく水路を覗き込んでいたら、ああ、眩暈がしてきたのでした。

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《7月17日-5》
もうひとつの座り込みテントにも数人の方がいらっしゃいました。静かにおしゃべりをしたり、読書に耽っていたりと、ゆっくりと穏やかな時間が流れているようでした。そんな日がずーっと続けばいいのだけれど、ブルドーザーでもやってきてくれないと危機感が薄れる、とはトミヒサさんの言。
テント無断設置禁止の張り紙
沖縄防衛局の張り紙です。ここは米軍に提供している区域だから、日本人は邪魔をしないように、という内容です。佐喜真美術館の近くにもこれに類する看板がありました。というか、沖縄ではいたるところで見かける警告。かつて自由に使っていた自分たちの土地、いったい国が守っているのは沖縄の日本国民なのか米軍なのか、沖縄の人たちが日本政府に対して不信感を抱くのも当然かもしれません。

ところが、おかしな看板を見つけました。
NOTICE 全ての訓練はこの看板の後方のジャングル戦闘訓練センターで実施しなければならない
いったい誰に向けてのメッセージなのだろう。
「ホントはね、この看板は裏返しなんだ、ほらね」と、看板をひっくり返して見せていただきました。つまり、この奥でゲリラ訓練をしている米兵に、ココから先で軍事訓練をしてはいけないという看板なのです。言い換えれば、すぐそこで実弾演習が行われている可能性があるということでもあります。おそろしい。
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洒落で看板を裏返しにしちゃったらしい。おじさんのイタズラです。表は(どっちが表でどっちが裏かは知りませんが)、無断で立ち入ると日本国の法律によって罰せられるという見慣れた警告看板です。腹立たしい。裏返しにしたくなる気持ちもよく分かります。米兵は間違えてこっちで訓練しても罰せられることなどないのですから。

入っちゃいけないという道をトミヒサさんに案内されてちょいと奥まで行ってみました。
なんだ、あれは。
筒のようなもの
あ、ここにもある。
罠
字、読めますか?沖縄県マングース対策事業だって。
手をふれないでください
沖縄県文化環境部自然保護課が設置しているのですね。これ、マングースを捕獲するための罠なのです。ハブを駆除するために放たれたマングース。しかしマングースはハブの天敵ではありません。かなり力は拮抗しているらしい。つまりマングースはわざわざ危険を冒してハブを食べようなんてしないのです。ヤンバルクイナを獲って食べる方がずっと楽なのです。そうやって増えたマングースは、農作物まで荒らすようになってきた。今やマングースは人間と共にハブと闘う味方ではなく、駆除されるべき悪玉なのです。

旧式の罠もあります。
旧式の罠
「環境省やんばる野生生物保護センター」とあります。
罠に付けられたプレート
環境省の外来生物対策事業。こっちは国が設置したんですね。

石垣島で、サトウキビの害虫であるアオドウガネを駆除する目的で導入されたオオヒキガエルは、現在は人体や自然環境に影響を与える特定外来生物のひとつとされる。環境省那覇自然環境事務所は「石垣島オオヒキガエル捕獲大作戦」なる大会を主催、捕獲した頭数や重さに応じて参加者を表彰。
エゾオオカミは日本オオカミの亜種。かつて入植者の家畜を襲う害獣とされ、懸賞金までかけられて徹底的に駆除され絶滅した。そして今、オオカミのいなくなった北海道で増えに増えたエゾシカによる農作物被害に困った人間様は、日本オオカミに近い品種を再導入してなんとかしようと目論んでいる。
またオーストラリアでは、保護していたカンガルーによる被害が拡大したために、「カンガルーの子供の人道的な殺し方」なる指針を政府が出したらしい。

人間が自然をコントロールできるなどと思うのが間違い、今や大切なのは生物多様性、人間も他の生物と同等、謙虚に生きること、確かにその通りだと言いたくなります。しかしやはり僕は思うのです。そんな単純な「宗教」ではどうにもならない。人間はこのまま自然と悪戦苦闘して未来を開拓していくしかない、その行く末が理想の世界なのか破滅なのかは誰にもわからない、しかし、背負わされてしまった十字架を下ろすことはもう許されないのではないか。

つまり、生物多様性が大切だという人たちの多くは、生物多様性を破壊すると、やがては人間世界にも悪影響が出て、とてつもないしっぺ返しが来る、だから生物多様性を守らなければいけないのだ、そのように言っているだけで、それもまた人間のエゴではないのか、そう思えて仕方がないのです。

境界線の向こう側にある豊かな自然を破壊するものは、米軍の訓練だけではありません。むしろ、晴れて返還されれば、このヤンバルの森が手付かずに残されることはないでしょう。全域ではないにしろ、沖縄の人たちのための開発が始まるでしょう。自然にとっては、そのほうがむしろマイナスかもしれません。だとすれば看板の裏も表も、自然にとって大した差異はありません。

米軍が管理する区域の道を歩きながら、ヤンバルクイナやジュゴンなどの「感傷的な自然」や、生物多様性をお題目のように唱える「漠然とした自然」を、基地問題に絡めて語る「緩さ」には、僕は陥りたくないと密かに思っていたのです。

ハブを捕らえれば、一匹5,000で役所が買い取ってくれる。例えばそれに異を唱えて運動している人っているのかなあ。かわいいマングースを駆除することに反対している人は存在するらしいのでが。
(文責:高山正樹)
[subcate.基地のこと・戦争のこと]
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《7月17日-4》
トミヒサさんに、色々と高江の説明をしてもらっていたその時、ふとすぐソバの木になにやらゴソゴソとうごめくものが。
なにやらゴソゴソとうごめくもの
キノボリトカゲ。トミヒサさんが教えてくれました。環境庁指定の絶滅危惧種です。
キノボリトカゲ

トミヒサさんたちは、ここで寝泊りしているわけではないのですが、突然ブルドーザーがやってきた時、身体を張って工事を阻止するために、昼間は毎日ココに詰めているのです。
テントの様子1 テントの様子2
今日は地元の方はいらっしゃらないようでした。
そんな仲間の一人の青年が、このテントのすぐソバで撮影したという動画を見せてくれました。
ビデオカメラに写ったノグチゲラ
ノグチゲラです。沖縄県の県鳥。開発による生息地の破壊、また人為的に持ち込まれたジャワマングースなどに食べられて、その数は減少し、1972年に国の天然記念物、1977年に特別天然記念物、1993年には国内希少野生動植物種に指定されるという「輝かしい」経歴を持った鳥です。そうした生き物が、ココでは簡単に見れるのです。撮影した動画は、いずれネットにアップするとのこと。

その彼に、希少価値の全くない我々を写してもらいました。
デジカメで撮影する青年 N-4ゲート前の高山正樹と富久さんと宇夫方路
彼の腕が悪いのではありません。主役は背景のN-4ヘリパッド。我々なんかどうでもいいから、画像をトリミングしちゃいました。

ここでは、トミヒサさんはみんなから親しみを込めて(?)チョロキュー、じゃないトミキューさんと呼ばれています。

ちょうどお昼時。チョロキュー、じゃないトミキューさんに案内してもらって“夢欄(ムーラン)”というお店に行きました。
“夢蘭(ムーラン)”
と、いきなりスコールです。
スコールで濡れる椅子
まあすぐに収まると思ったのですが、あんまり激しい雨なので席はビショビショ、もう晴れても、すぐには座れそうにありません。残念ながら眺めのいい席はあきらめて、雨の吹き込まないところへ行ってお食事にしました。
“夢蘭”の建物は殆どご主人の手造りです。今も改築中。屋上のテーブル席に屋根を作っている最中でした。
“夢欄”のご主人と一緒に
沖縄ソバにはもれなくモズクが付いてくる。
沖縄ソバとモズクを食べる
高山正樹は食後にぜんざいも食べました。
ぜんざい
さらに旬のパイン。ご主人のサービスです。ホッペタが落ちそう。
パイン

間もなく、雨はすっかり上がりました。さっきの雨がウソのようないい天気。自然豊かなヤンバルの森を見渡すことが出来ました。
ヤンバルの森
僕は生物多様性についてややっこしいことを書きましたが、要するに人間とはエゴから逃れることはできないよ、きれいごとを聞くと眉に唾をつけたくなるよ、ということを申し上げたかったのです。なにしろ、生物多様性から受けた先進国の恩恵分を、その生物が生息する発展途上国にお金で支払えみたいなことになっているのですから。

しかし、この森を実際にこうして眺めていると、やっぱりこの自然は無条件に守らなければならないという気持ちが沸き起こってきます。この感覚は理屈ではなく、もしかすると、人間の太古のDNAが影響しているのかもしれない、なんて思ってしまうのです。

この後、もうひとつのテントが近くにあるというので、トミヒサさんに案内してもらいました。
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《7月17日-3》
高江とは、こんなところにあります。
高江までの行き方1
トミキュウさん(今日からそう呼ぶことにしました)から貰っていたチラシを頼りに車を走らせます。
高江までの行き方2

ここだ。
座り込みの場所
いました。トミキュウさん。
座り込みのテント
今日の沖縄タイムスにも掲載されていましたが、ここには琉球新報があって、やはり同じ内容の記事があって、それが話題になっていました。
今日の沖縄タイムスの記事
おまけですがキジムナーフェスタの記事もあったんですけどね。
キジムナーフェスタの記事
無理やり話題にしてみました。(こういうとき「爆」って書くの?)

トミキュウさんから色々と教えてもらったのです。
説明する富久さん1 説明する富久さん2
GとかN-1とかの赤丸が問題のヘリパッド。
ここは今日の新聞で問題になっているN-4の入口なのです。
N-4の入口 N-4の地図
すぐ近くに民家があるのですね。そして、赤丸が二つ並んでいる。それは何を意味しているのか。

そもそもヘリパッドとは何ぞや。

※どのように説明しようか、考えています。しかし少し先を急がなければなりません。はやくキジムナーフェスタのご報告をしないといけません。だから、高江のことは、後日ゆっくり書くことにします。
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《7月17日-2》
高山正樹は、那覇に宇夫方路を迎えに行きます。
崇元寺石門の近く。
旧崇元寺石門
正しくは、旧崇元寺第一門。そういえば、M.A.P.after5には沖縄の定番観光地があんまり出てこない。たまにはいいかともう一枚、ガイドブック定番の角度で。
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説明はしません。あんまり定番だから。ただ、この崇元寺は中国からやってきた冊封使との関係が深かったお寺だということ、あの沖縄戦でほとんど壊滅、辛うじてこの第一門の一部だけが残り、戦後復元されたのだということ、この門の奥、お寺の敷地の大半は売却されたということ、そのくらいは書いておきましょう。

沖縄の高速道路は、沖縄自動車道と南風原道(那覇空港道)、ともに只今無料化実験中。今回の山猫合奏団のツアーは、きっと行ったり来たりなのでとても助かります。本当に無料化がいいことなのかどうかはわからないけれど、当事者になってしまえばやっぱりタダは有難い。ムチカシサンです。

今日はヤンバルの森まで足を伸ばすつもりなのですが、電子ピアノを乗せたまま行くわけにはいかないので、まずキジムナーフェスタの会場に寄って荷物を降ろすことにしました。沖縄市にあるコリンザ。高速のおかげで9時前に着きそう。開いてるかな、沖縄だからちょっと不安……。
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でも8日間のフェスティバルの初日、着いた時には、ちょうどスタッフの皆さんが続々と会場に集まっているところでした。

藤木勇人さんの東京公演でお会いした今さんと再会しました。
お待ちかね、今科子さんのご紹介です。



じゃーん!
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明日から、よろしくお願いしまーす。

会場を確認して、スタッフの方々にご挨拶して、そしてさらに北へ。再度高速に乗ります。高速の終点は名護市の南。そこからは一般道です。

途中、ちょっと車を停めて、本日ふたつめの定番のご紹介です。
国指定の天然記念物。名護のひんぷんガジュマル。
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説明は案内板をお読みください。具志頭親方蔡温にまつわるはなし。
 ⇒ひんぷんガジュマル案内板の画像をポップアップで見る

「徳田球一この地に生まれる」
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ご自分で調べてみてください。蔡温も徳田球一も、沖縄ではとっても有名な歴史上の人物です。

さあ先を急がなくては。遅くなると、花火大会の渋滞につかまっちゃうから。
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《7月17日-1》
朝早く目覚めてしまうのは、暑さのせいか、齢のせいか。真夏は沖縄より東京の方が暑いのだし、西に位置する沖縄は、夜は8時頃まで明るいが、朝はなかなか明けないのだ。つまり、早起きはやっぱり齢のせいだな。

庭に出てみる。
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でっかいゴーヤーだ。
あっちにピント合わせたり……
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こっちにしてみたり……
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そんなことしていたら、お義母さんに声を掛けられた。
「早いねえ」
去年食べたゴーヤーの種を植えただけ。これが、南国の力なんだな。豊かさは、所得金額だけじゃあ計れないということ。

家に入って、お義母さんにいれてもらったコーヒーを飲みながら、トートーメーに供えられていた朝刊に目を通す。

キジムナーフェスタ、いよいよだ。
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山猫合奏団は明日からだけどね。
連載してたんだ。
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あ、沖縄水産高校、裁監督がいなくなってからダメだって聞いてたけど、野球部も頑張ってるんだな。
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糸満ダービーだね。
その、糸満であった出来事……
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こういうことを、ここからずっと東の日本人たちは、全く知らないんだ。
遠い遠い、どこかの国の政治家のことば……
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生物多様性。最近流行の言葉。だけれども、そこだけを見ていると、きっとことの本質を見誤る。
僕は今日、コザや名護や辺野古よりもずっと北の、ヤンバルの森まで行ってこようと思っているのだ。
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もし、あの噂が本当なら、死ぬのはジュゴンや海藻ではない。

そうか、今日は海洋博で花火大会があるのか。
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少し遅れると、こいつの大渋滞にはまってしまうらしい。いったい、どのくらいの観光客が集まるんだろうなあ。

さあ、そういうことなら、早く出かけましょう。
お義母さま、お世話になりました。こちらの父母が健在なうちに、どうぞ東京の方にもいらしてくださいませ。もし、お嫌でなかったならば。

たった一日の新聞なのに、ずいぶんとたくさんのネタが拾えたなあと思いながら、また、この角を曲がるのである。
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この突き当たりに、石巌当はない。
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《7月16日~17日:宇夫方》
10日も東京を離れるので、いろいろと処理しておかなければならないことがあって、昨夜は1時間くらいしか眠れませんでした。だからとっても眠い。でも、ホテルで一休みしたら復活。間もなく日が変わって17日になる時間ですが、那覇の夜はこれからです。ななしん屋まで、歩いて行くことにしました。

実は、キジムナーフェスタの“どんぐりと山猫”では、ちょっとしたお遊びとサプライズがあるのです。そのひとつが三線。

「きのこの楽隊」で、楠さんがトロンボーンを吹く、そのパターンはすでに去年のしんゆり芸術祭2009でご披露したのですが、今回はそれに高山正樹氏が三線で参加します。もともとは、白石さんが高山さんにギターでもやればと、ちょっと言ったのがことのはじまりで、いやそれなら今回は三線だと、高山さん。そうすれば絶対に盛り上がるというプロデューサー的判断らしいのです。

そんなわけで、その三線をななしん屋のママから借りることになったのです。明日からは恩納村に宿泊なので、なんとしても今日借りに行かなければなりません。当の本人は奥さんの実家でゆっくりしているらしい。まったくもう。
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でも、久しぶりに元気なママに会って、ますます元気になりました。
常連のお客さんと乾杯!
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ななしん屋2回目というお客様も来ていました。ブライダルの仕事をしていらっしゃる桃井さんという方です。だいぶ前に一度来て、その後もずっと気になっていたのだとか。沖縄には仕事で何回も来るそうですが、なかなか那覇に泊まる機会がなかったので、今日はとても嬉しいんだって。
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「また来ます」とママと握手をしてお帰りになりました。

それからちょっと“土”へ。今日はごうさんもいるはず。
与儀勝之くんのお兄さん烈之さんがカウンターにいらっしゃいました。今年の1月以来の再会です。今日も先にお帰りで、また写真を撮り損ねてしまいました。ご紹介できなくて残念。
今度はゆっくり飲んだくれましょう。

ごうさんも元気みたい。
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キジムナーにも名護にも来てくれるって。ありがとう。

土を出て、もう一度ななしん屋に。三線を持っていけるように、ママが準備しておいてくれたのです。
男性3人組みが飲んでいました。
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真ん中の方はママの息子さんなのです、当ブログ初登場です。両脇のお2人は息子さんが働くお店のオーナー会社の方々で、関東営業所所長の阿部さん(右)と副所長の湊さん(左)。
頂いた名刺の裏には、お店の名前がたくさん並んでいました。湊さんは「沖縄料理うるまアリオ亀有店」と「龍潭柏高島屋店」の店長も兼任されていらっしゃるとのこと。お店ではライブもやるそうです。機会があったら行ってみよう。

あれ、もう2時半だ。

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このゲートのところを曲がれば、義母が一人で暮らす家まで間もなくである。
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そこに、家族が集まってくれるのだ。
一年に一晩しか咲かない月下美人。
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この偶然に、ことさら何かの意味を求める者などいない。

夏限定のオリオンビール。
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オリオンビールはやっぱり夏の沖縄で飲むのが一番うまい。
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それには理由がある。ビールは、揺らせば揺らすほど不味くなる。オリオンビールの工場は名護にある。だから、沖縄でも名護に近づけば近づくほど、旨いオリオンビールが飲めるのだ。

ゴーヤーも……
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さしみも、てんぷらも嬉しいのだが……
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こんなコクのある墨汁は、ここでしか食べられない。
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義理の兄弟たちは言った。
この母が作る上等墨汁は、僕が来た時にしか食べられないのだと。

明日は土曜日だが、みんな休みではない。沖縄の小さな会社では、至極当たり前のことである。労基署も、ただ黙っている。なぜなら、労基署が動けば、会社が立ち行かなくなることを知っているから。

まずはレンタカーを借りて、そのまま電子ピアノを借りに糸満の沖縄水産高校へ行きました。
その記事は山猫合奏団のブログで見てください。
 ⇒沖縄水産高校にて
山猫合奏団のブログではご紹介しなかった画像を一枚。吹奏楽部の部室か音楽室か、その本棚です。
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さすがに沖縄ですね。三線の楽譜がいっぱいです。

その後、沖縄ワールドの“しよん”さんのところへ。
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今日は敦子さんが対応してくださいました。
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パワーストーン付マース袋。間もなく販売です。

沖縄ワールドに、“しよん”さんの工房を訪れるのは、きっとこれが最後です。“しよん”さんはついに自前の工房を開設することになったのです。この次来る時、新しい工房を見るのが楽しみだな。

沖縄ワールドで、遅めの軽い昼食。
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地ビールの“ニフェデビール”だって。
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ウチナーグチで「ありがとう」はニフェーデービル。そのモジリですね。
これ、ハイビスカッシュ。
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駄洒落ばっかり。

それからいしだ文栄堂さんで100店シリーズを仕入れ。

そしてホテルにチェックイン。今回初めて泊まるホテルは、去年壷屋小学校のやちむん市に行ったとき、高山正樹氏がポークと卵のおにぎりを買って食べたマックスバリューの近く。
今夜はヘルシー弁当。にんじんしりしり、ゴーヤチャンプルー、モズクてんぷらなど。
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お茶も水も沖縄のものです。


東京とおなじものもいっぱいあるんですよ。ただ沖縄独特のものだけ選んで買ってきました。
なんとなく。。。
山猫合奏団沖縄ツアーはあさってからです。今夜は嵐の前の静けさ、かな。
(宇夫方路)

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那覇空港に着くと、こんな横断幕が張られていました。
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「歓迎 美ら島沖縄総体2010」
※ウチナーグチの「ちゅら」という言葉に「美しい」という字を当てることはおかしい、「清ら」が正しいのですと、いつもいつも國吉先生はおっしゃいます。「ちゅら」が大和の「美」だと理解してしまったら、沖縄の文化は正しく伝わらない。そのことをいつか書かなければと思っていながら、ここまで来てしまいました。この旅の間に、どこかであらためて書ければいいのですが……

私事ではございますが、わが母校、東京都立駒場高校が、あの強豪帝京高校とともに東京都のサッカー代表で出場するらしいのです。さらに私事ですが、今から数十年前、全国高校サッカーの東京予選決勝で、東京都立駒場高校は帝京高校に延長で3-4のスコアーで破れ、惜しくも全国大会出場を逃したことがあります。その時の駒場のキャプテンが、僕の弟でした。弟は準決勝の本郷戦で、ファールを受けて骨折し、決勝には出られなかったのですが、松葉杖を突いてベンチ入りした弟は、決勝戦のテレビ放送のおいしい話題であったようで、何度も何度も画面に登場し、アナウンサーはその度に準決勝での弟の活躍を水増しして伝え、「おれを国立へ連れて行け」などとドラマチックに絶叫し、おかげで弟は、他のどの選手よりも目立っていました。
その試合を、僕はスタンドで観戦していましたが、その時の駒場側の応援スタンドレポーターが、やはり駒場の同級生、日テレの新人アナウンサー、菅家ゆかりさんでした。その彼女が今、おきなわおーでぃおぶっくの「対馬丸」を読んでくれているのだから不思議なものです。

さて、本題です。
今、沖縄の少年たちは、サッカーや野球に一生懸命です。そして、子どもより一生懸命なのが、親であるらしい。
数年前、沖縄でこんなことを聞いたことがあります。今の沖縄では、現実的な夢を持つことができない。だから大人たちは、自分の子だもたちが、プロのサッカー選手や野球選手になるという夢を追って、何をも差し置いて、子どものスポーツ活動を優先している、それがちょっと問題なのだというはなし。

「歓迎 美ら島沖縄総体2010」
そして僕は、ますます憂鬱なのでありました。

拝啓、智内好文さま。

いよいよ「ウチナー・パワー~沖縄 回帰と再生」が出版されましたね。おめでとうございます。早速お送りいただき、ありがとうございました。すぐにも読んで、宣伝をと意気込んだのですが、地味ながらその内容の重さに、しばしば立ち止まって沈思黙考、申し訳なく思っています。

今日から沖縄へ行ってきます。山猫合奏団の沖縄公演ツアーのためです。山猫合奏団の公演を沖縄で実現させる、それは、大げさに言えば僕の夢でした。山猫合奏団の仲間や、山猫合奏団を応援してくださる方々は、僕の最も大切にしなければならない人たちですが、そのみんなに、僕が30年間「沖縄」の何に拘ってきたのか、その一端を知ってもらえる機会がやっと訪れたのです。同時に、沖縄を通じて知り合った方々には、僕が沖縄とは関係の無いことも一生懸命に関わっている人間だということを知ってもらえるのです。「沖縄問題」が全ての日本人にとっての課題であるならば、今回のような機会こそがとても大切なのだと、僕は思っているのです。M.A.P.after5なるブログは、このためにこそあったのかもしれません。

にもかかわらず、何故かとても憂鬱なのです。その原因を説明するのは、なかなか困難なのですが、僕は周期的に、沖縄に関わっていることがとても嫌になる、ちょうどその時期にあたってしまったようで、でもこんなことを言うと、沖縄に関する優れた仕事を継続的に続けてこられた智内さんから、きっと叱られるに違いありませんね。

沖縄へ向かう機内で、東京から持ってきた唯一の本「ウチナー・パワー」をツラツラと読んでいます。
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沖縄が「沖縄」に「回帰」し、そして「再生」しようと声を上げれば上げるほど、どうやら僕の憂鬱は募っていくようなのです。

島尾伸三氏がプロローグを書いています。「夢幻琉球」という表題で。
「奄美大島で小・中学校を過ごした1950年代から60年代なかばまで、沖縄は輝いていました。沖縄にはアメリカの珍しいものや便利なものが何でもあって、道にあふれるほどいろんな自動車が走っていて、毎日たくさんの飛行機が町や村の上を飛んでいるというのです。(中略)その憧れは、1972年の沖縄への復帰後数年もしないうちに、奄美の人間にはすっかり色あせたものになってしまいました。その理由は(中略)アメリカ軍からの横流しや戦利品と呼ばれていた盗品を日本へ密輸して大儲けできる魅力が、失われたからです。」
なんという逆説でしょう。僕は、この島尾氏の文章に拮抗できる言葉を、たったひとつとして持ち合わせていないことに気づくのみです。
その代わりといっていいのかどうか、僕は、先日島尾伸三氏から聞いた話を、思い切って公開してしまおうと思ったのでした。
 ⇒http://lince.jp/hito/mapinfo/hidakatotinai…

また、例えば新垣誠氏はこんなことを書いています。
「(前略)沖縄の独自性を訴え、ヤマトとの差異化を図った言説が一世を風靡してから久しい。(中略)近代国家に取り込まれて以来、沖縄は常に苦渋をなめてきた。国家の矛盾と日常をともにすればするほど、帰属意識は薄れ、独自のアイデンティティーを問い直す作業が始まることは自然なのかもしれない。」
「しかし、また、沖縄の独自性を構築する作業は、沖縄をエキゾチックな文化的他者として陳列・観察しようとする殖民者やオリエンタリストによって強奪・利用されてきた側面をもつ。」
「他者の理解とは、多くの矛盾と困難をはらんだプロセスだ。他者理解など、そもそも不可能なのかもしれない。唯一、底知れぬ忍耐と謙虚な姿勢が生み出す共感力のみが、他者へ近づく道なのかもしれない。ましてや、自己の世界観に他者を幽閉して展示物のように眺め、自己を定義する欲求によって他者を「理解」するプロセスは、暴力以外の何物でもない」

そんなこと、分かり過ぎるほど分かっていたはずなのです。それなのに、僕はあらためて自問しています。僕は、沖縄の何を理解し、何を伝えようとしているのだろうかと。そして再び沈思黙考するのです。

「ウチナー・パワー」をそっと閉じて機内誌を手に取りました。しかしそこにも観光客に向けた沖縄特集が。
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沖縄は、逃れがたく僕のそばにあり、そしてどの記事にも、僕は「違う、違う」とつぶやいているのでした。

どんなに憂鬱でも、これから10日間、僕はいつもよりもずっと注意深く、沖縄を見てこようと思っています。もしかすると、今回の報告は、いつもにも増して、遅筆、かつ、時には重たいものになるかもしれません。でも、どうか山猫合奏団の記事がお目当ての皆様方にも、すこしばかり辛抱して、ぜひともお読みいただきたいと願っているのです。

智内好文さま。東京にもどったら、お会いしたいと思っています。
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夜の12時を回って、いよいよ明日から沖縄ツアー。出発するまでにやっておかなければならないことが山積みです。結局自宅には帰れず、喜多見駅前のサミットで遅い晩飯を買いました。
駐車場から店内に入るところにチラシが貼ってありました。
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よく見ると“沖縄家庭料理フェア”なんぞをやっていたのです。
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時々沖縄が嫌になる、などといいながら、結局深夜沖縄しているのでした。
出来合いのソーミンチャンプルーを買って……
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それに石垣島のラー油などかけたりして……
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おまけに去年の今頃なんだかんだ能書き垂れていた“ばくだんおにぎり”を食べたりして……
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明日から沖縄なんだから、違うもの食べればいいのにねえ。
「嫌だけど、これもブログのためです」なんてね。

朝は野菜生活100、沖縄シークヮーサー&レモン。
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なんだかなあ……

昼、大槻紀子さんデザインのTシャツが完成して業者から届きました。
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沖縄出発にギリギリ間に合いました。沖縄で市場調査してきますね。

一日はアッという間に終わります。ゴーヤー君たちとも間もなく、しばしのお別れです。
長男はこんな大きくなりました。
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でも、これじゃあ大きさがよく分かりませんね。
では補足画像を……
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今回の沖縄は、ほぼ10日間くらいの予定。心配なのは会社ではなく(会社の業務はみんなが頑張ってくれるでしょう)ゴーヤーです(会社の連中は世話してくれないだろうから)。帰った時、どうなっているんだろう……
一週間後のよくわからないゴーヤーへ
最初のゴーヤーから見る

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7月14日水曜日: 絶品マンゴー

こんなに大きくなりました。
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明日のゴーヤーへ
最初のゴーヤーから見る

ところで、時々沖縄がとても嫌になります。疲れる、というほうが当たっているかな。ちょいと説明し難いハナシなのですが。
そんな時、山猫合奏団の合わせは、僕にとって一服の清涼剤なのです。
 ⇒沖縄に向けての最後の合わせ
…の、はずだったのですが、沖縄ツアーの合わせだし、合わせの前に沖縄のマンゴーを食べたりして、どうにも沖縄から逃れられない。
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しかし、こいつは最高に美味い! こういう沖縄なら、決して嫌になんかならないのだけどなあ……。
(高山正樹)


山田智恵子さんからメールが届きました。山田さんに許可を頂いて、まずは、ここにその全文を御紹介したいと思います。
山田智恵子さん

沖縄に駐留する米軍の家族の需要により、発展してきた沖縄のガラス。材料とてない占領時代、米軍から排出されるコーラやビールの空き瓶などを再利用して作られたガラスの器は厚くて重いものだったが、身体の大きいアメリカ人は気にしなかったそうである。

昨今土産物屋で「琉球ガラス」として売られているものは、色とりどりで鮮やかだ。それはそれできれいではあるが、なんだか北は遥か小樽の北一硝子を思い起こさせ、凍て付く空気の中、凛と佇むその独特の雰囲気には到底及ばす、私には二番煎じに感じられてならない。
もともと器は薄手で、きん、としているものが好きである。ぽってりとした琉球ガラスより、指先ではじけば音色を奏でそうなクリスタルガラス、ざらついてどっしりした陶器より、すべすべの磁器。

が、ある時再生ガラスのグラスを上から覗き込み、厚みのあるグラスの中に閉じ込められた沖縄の海の色と海の深さを見出し、目が眩むようだった。今でもそのグラスを覗き込むと沖縄の海の中にいるような気分になる。できればもう少し薄手の方が好みである、泡もないに越したことはない。なのにどこに惹かれるのか、息をするのを忘れるほどに、目を離す事ができなくなる。
縦に見れば波打った表面、昔の家々の窓ガラスはまだ技術が低く、こんな風に波打っていたものだ。いつの間にか遠くへ行ってしまった昭和の時代、幼い頃の記憶にある、まだ戦後復興期の熱気の残る時代、そういった時代への郷愁にかられ、この地との「戦後」の始まりのタイムラグに気づかされる。そんな再生ガラスはどこか物悲しい。

クリスタルガラスは光を鋭角に跳ね返すが、再生ガラスのぽってりとした厚みは光を溜め込む。閉じ込められた光は、メリーゴーランドのようにくるくる回っている。割れれば人間の身体などすっぱり切れる鋭さを持つクリスタルガラスに較べ、再生ガラスはそこまで傷つけることのない鈍さをもって砕け、なんだかほっとさせてくれる。

そんな再生ガラスに惹かれるまま、土産店以外にガラスを探した。

【奥原硝子製造所】
那覇にある琉球ガラスの草分け。シンプルでぽってりとした「再生ガラス」の代表のような作品が多い。後で知ったが、私の目を眩ませたのはここのグラスだった。私を虜にした淡いラムネ色よりもっと深い青のグラスがあった。ラムネ色のものが沖縄のリーフの明るい海なら、こちらは伊豆の黒潮を思わせる青である。泡盛の瓶を再生したものだそうだが、もう原料が手に入らないとの事。「この色はもうじき廃盤になっちゃうね」と製造所の方が残念そうに言われていた。

【宙吹きガラス工房“虹”】
工房は読谷の「やちむんの里」の入り口にある。読谷の赤い土を塗りつけたものなど独創的な作品で、ゴージャスだが華美ではない。作者の稲嶺盛吉さんは「現代の名工」で、1970年代奥原硝子工房に入り、その後牧港ガラス、ぎやまん館、琉球ガラス村で技術を磨き、1988年「宙吹きガラス工房 虹」を設立されたそうだ。
洗練されていてとてもきれいだが、でも私の想う「再生ガラス」とは趣が異なる作品である。(しかし御土産物屋さんで見た、ここのシンプルなグラスはまさに「再生ガラス」であった。お店の人が言うには「シンプルなものはあまり作られていない」との事)

【尋グラス工房】
沖縄市の住宅地の中に工房はある。ここは再生ガラスではなく原料ガラスの作品を作っている。作家はステンドガラスを作っていた人で、作品にもそれが現われている。
再生ガラスでないことを知りながらなぜ行ってみたかというと、あるお店で買ったグラスのせいである。透明で泡が閉じ込められ、歪んだ形をした大き目のグラス。これが350缶のビールが1本、泡を盛って丁度1本分きれいに入るのである。缶のままで飲むことが多いが、たまにグラスを使ってみたくなった時、1本きれいに入りきるグラスはなかなかない。上まで入らないのは寂しいし、缶にちょっと残るのも嫌だ。いくつも買ったがどれもよろしくない。やっと出会ったしっくりくるグラスだった。

【日月(ひづき】
工房は土日祝日は休みとの事で行ってみる事はできなかったが、読谷村共同販売センターで作品が売られていた。再生ガラスにしては薄手。あまりぽってり感がない分繊細な感じがする。作家は沖縄の方と結婚された京都の女性。作品は泡盛の瓶を使い、色の付かない透明なものばかり。太陽生命のCMに使われたことがあるそう。

【ガラス工房“清天”】
「やちむんの里」から残波岬へ向けて車を走らせている時に、土産店で見て「いいな」と思っていた工房の名前が目に入った。そこは道沿いにある屋根だけの売店で、不揃いの机の上に作品が並べられている。太陽の光の下で透かして見たガラスの先には緑の木々や空がある。ねじって模様を出した厚みのあるガラスの中で木や空が万華鏡のように踊っていて、とても綺麗だった。作品はBEAMSでも売られているそうだ。
ネットで再生ガラスの事を調べたら、材料の一つに板ガラスが挙げられていたが、ここのものは全部泡盛の廃瓶だそう。今は自分達で砕く事はせず、ペレットになったものを仕入れているとの事。コーティングをしてある瓶が混ざり込んだりすると綺麗に出来上がらない、板ガラスも綺麗にできないので使わない、と言われていた。

話はガラスから離れる。
1日屋根だけの屋外で一人ガラスと一緒にいるので人恋しいのか、“清天”のお兄さんとは長いゆんたくとなった。
仕事を聞かれ、理化学器械を扱う会社にいると答えると「かっこいいねぇ」と言う。何を指してそう言うのかと思ったら「何億もする商品なんでしょ。そんな金額のものを扱うなんてすごいねぇ」と言う。(単価が億を超える事はまずないが)売値が高いという事は通常それにかかる原価も高いし、競争も激しく、利益率が高いとは限らない。でも彼は単純に扱う金額の高さにしきりと感心していて、私は沖縄にはそういう産業がないであろう事に思い当たった。
話を始めてしばらくたった頃Yナンバーの車が来て、女性が2人降りてきた。気に入ったものがあったらしく、女性はお兄さんに「これで違う色のものはないですか?」とグラスを指差し、身振り手振りをまじえて英語で聞いた。お兄さんは「解らない」という素振りをするばかり。いくら英語がわからなくても2つのグラスを指差して「カラー」と繰り返し言うのを聞けば、言いたい事は想像できるだろう。
場所は先だっての米兵によるひき逃げ事件の現場近く。そこここに抗議の看板が立っていた。最初はアメリカ人を嫌っているのかとも思ってみた。でもその前に話してくれた、体験ガラス作りをしたアメリカ人とのやりとりの様子からはそんな感じは伺えない。そしてハタと気が付いた。彼は「color」という発音を聞き取れなかったのだ。彼女が言っている事をお兄さんに伝えると、彼はない事を申し訳なさそうに丁寧に日本語で話していた。

そして以前アラハビーチに行った時、向かいのショッピングセンターの駐車場で見た看板を思い出した。そこにはこう書かれていた。「BEACH USERS IS NO PARKING」 英語を学び始めた時、日本語をそのまま当てて、よくやってしまう間違いである。それが今この時代、日本語と英語のアナウンスが交互に流れるビーチの向かいにあるショッピングセンターの駐車場のきちんとした看板に堂々と書かれている。

それを見た時、沖縄は植民地ですらなく、「占領」されていたのだという事が実感を伴って私の中にストンと落ちてきた。(植民地なら言葉の教育がある)

面と向かって身振り手振りで「BEACH USERS IS NO PARKING!」と言えば、きっと通じる。そうやって沖縄の人達は生き抜いて来たのだ。

基地反対運動も、最初は腑に落ちない気持ちがあった。
根本的な解決を求めるには、日本が自分の軍を持つ事を考えるのを避ける事はできない。日本が軍を持てば、沖縄の人達も無関係ではいられない。でも、その覚悟を持った上での行動とは、どうしても思えなかったのだ。基地反対の叫びが心からのものに聞こえれば聞こえるほど、ますますわからなくなっていった。

基地反対が、ただひたすらの慰霊の思いの先にある、と気が付いた時のやるせなさ。

思いがかなって米軍が撤退したら、その後に自分達も参加しなければならない軍がやってくる、という事にもなりかねない構図の運動をしているとはよもや思ってもいないだろう。

そんな事がおこってはいけない。決していけない。

沖縄の人は「ヤマトは沖縄の気持ちをわからない」と言うが、沖縄も本土の事を知らない。相手を知らなくては、わからせる方法もわからない。(本土の人間がちょっと沖縄へ行ってみたところで、沖縄の事がわかるとは思えない。忍びない事だがきっと多分、沖縄からの発信がなければ、本土は本当のところを理解できないだろう。)

沖縄を知れば知るほど、本土は「違うところ」を見ていると感じる。“戦後”38年と65年、それだけでも同じステージで分かり合うことは、どちらからも難しい。50年代のコザを歌った歌を集めたオムニバスCDに付いていた沖縄市歴史年表の昭和20年の欄に「8月15日」の記述はない。

ただひたすらの反対では、進展は止められるかもしれないが、解決にはつながらない。のらりくらりとかわされるだけだ。
東京大空襲を保障できないのと同じ理由で沖縄の不発弾対策に国は補助ができないという。基地は簡単にはなくならないが、これは道はあるのではないかと思う。
どんな事でも小さな事が実現できなければ、大きな事はできない。
確信も希望もなく、可能性すら見えず、ただひたすら「できる事」を繋いで、はやぶさは帰ってきた。
私は私にできる何かの糸口を探している。


我々には琉球ガラスに対する見識が殆どないので、そこらあたりを補完していただく意味で貴重なご意見を伺ったと思っています。山田さん、ありがとうございました。

(※以下の文章は、10月21日にようやく追記したものです。)
実はこれ以前にも山田さんから一通のメールを頂いていました。そこには普天間基地の辺野古移転に断固反対を主張する民社党の福島党首に対して「具体案があるようには思えず見識不足と感じる」と書かれていました。
またその他にも……
「一国を預かる政府が有効な防衛手段を何も持たないというのは、是非は別として、無責任であり、あり得ない事でしょう」
「沖縄問題、基地問題は、突き詰めれば『日本は自らの軍を持つのか否か』という問題だと思います」

僕は、頂いたふたつのメールに、いったいどうお返事をしたらいいか、頭を悩ますことになりました。決して山田さんのご意見に対して異を唱えるつもりはありません。ひとつの見識であると尊重しています。しかし、もしも少し違った場所に立って同じ状況を眺めてみれば、違う何かが見えてくるのではないだろうか、そんなことを少しだけお伝えしたいと思いました。

山田さんは「根本的な解決を求めるには、日本が自分の軍を持つ事を考えるのを避ける事はできない」とおっしゃいます。しかし、僕はこう思うのです。沖縄から米軍基地をなくすことは、単に政治的なひとつの解決でしかなく、世界中から基地をなくすことが、唯一の根本的な解決なのだと、沖縄の多くの人々は思っているのではないでしょうか。その一里塚としての米軍基地反対。でも山田さんは、それを無責任で幼稚な見識だとおっしゃる。山田さんは確かに現実的な正しいご意見を持っておいでです。一方、「ただひたすらの慰霊の思い」という括りで、沖縄の人たちが「現実的に」考えられないことに一種の同情で無理もないことだとされているように思います。

「思いがかなって米軍が撤退したら、その後に自分達も参加しなければならない軍がやってくる、という事にもなりかねない構図の運動をしているとはよもや思ってもいないだろう」
しかし、この山田さんのお言葉は、沖縄に対して非礼であると敢えて申し上げたいと思うのです。沖縄の人々には本当に現実が見えていないのでしょうか。

沖縄で基地反対を主張する人たちは、投獄されても日本軍に参加することは拒否する、そういう現実感覚を持っているのだと僕は思うのです。もちろん、すべての沖縄の人がそうだとはいいません。本当にそうなれば、軍に参加せざるを得なくなる人々もたくさんいるでしょう。しかしたとえそうだとしてもなお、彼らの覚悟を、甘いと貶めてはならない。沖縄の「ただひたすらの反対」を、大和の革新政党のそれと同じものだとは、僕は決して言ってはならないと思っています。

全ての民族が、お互いのことを分かり合うのが理想、その意味では、沖縄の人々も大和を理解すべきでしょう。沖縄のことを理解してもらうために、情報発信することも必要でしょう。しかし、政治的な歴史を知った上で考えるのなら、大和は沖縄を知り理解すべきだが、沖縄が同じように大和を理解する必要はない、大和の沖縄に対する無理解の責任は、100%大和の側にあると僕は考えるのです。それが「歴史的な現実」です。

基地とは禍々しき存在であり、真に世界が平和になるということは、世界から全ての基地が消えることに他ならない、この単純な理念を共有した時にはじめて、沖縄も大和に向けて情報を発信すべきであり、沖縄も大和の文化を理解すべきなのだと、我々は沖縄の人々に対して主張できるのではないでしょうか。

僕は、山田さんの沖縄に対する真摯な姿勢と深い見識に心から敬意を表します。だからこそ、僕もまた、山田さんから頂いたメッセージに対して、一生懸命考えて何かお返ししたいと思いました。失礼、どうかお許しください。
そして、ここまでお返事が遅れてしまったことを、心からお詫びしたいと思っています。

(追伸)
琉球の再生ガラスに物悲しさを感じる山田さんの感性に、僕は深く同意します。でも、それも作り手に対して失礼なハナシなのかもしれないと、僕は今までの僕自身の見方を、少しく反省しているところです。
(文責:高山正樹)



沖縄から帰ってきた鈴木修さんと“ふくや”に行きました。
初登場以来5回目の登場です。
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それなのに、これまでも1回もちゃんと紹介していません。いかんいかん。ついにその日が来ました。
ちゃんとハナシをしたい時はついつい“ふくや”に足が向きます。
ある日、鈴木修さんなる人からメールが届きました。
「“人類館”を朗読劇にしたいので、知念正真さんの連絡先を教えてくれないか」
住所などは個人情報であるということもあり、どこのどなたかもわからないでお教えするわけにもゆかず、ともかくお会いしましょうということになったのです。その後、諸々途中経過であったことをいくつか簡単にまとめると、知念正真さんがウチナーグチがちゃんと喋れない役者にはやってもらいたくないということがあったり、それよりもなによりも、あんまり再演をよろしく思っていないことがあったり、だから会わなけでば埒があかないということになって鈴木修さんが会いたいと言っていますと知念さんにお伝えしたり、そうしたら「会っちゃったら、やっていいということになりそうだからなあ」と言って知念さんが言葉を濁らされたり……、もうこうなったらエイヤっと沖縄へ行っちゃうしかないということになって、そしてこの度、めでたく鈴木修さんは沖縄で知念さんに会うことができて帰ってこられたのでした。

なんとしても土産話が聞きたくて、ご無理を言って今日会う時間を作っていただいたのです。
結論から言うと、とっても有意義な話しができて、知念さんの思いもしっかりと聞いてこられたようで、しかしというか、だからというか、上演許可というところまでの話しにはたどり着かなかったようです。ともかく、ゆっくりとお付き合いを続けていって、その後どうなるか、成り行きですということでありました。良かったんじゃないかなと思います。いずれきっといい舞台ができる、そんな予感がします。

こちらも、昨日思いもかけず藤木勇人さんから伺った“人類館”にまつわるハナシをお伝えしました。

その他にも、劇団創造の又吉さんに紹介された芝居を観にいったり、あのトミヒサさんが座り込んでいる高江で泊まってきたりとなかなか忙しい旅だったようで、しかしそれらのハナシは又聞きでご報告するには正確さを失すると思われ、遠慮しておきましょう。

"伊江島の村踊”関東公演
(横浜市鶴見会館大ホールにて)
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国の重要無形民俗文化財だそうです。
若い男の子がいっぱいです。
みんなこんな感じ。
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なかなか論評が難しい。ただ、帯の位置が高過ぎる天才バカボンのオンパレードでした。(これは今時の男の子たちの着方が下手だったから。それを後で聞いて、何故かホッとしたのでした。)
伊江島の総地頭が約200年間ヤマト旅(琉球の領主が薩摩や江戸に行く旅)に随行していたらしく、その折に見聞した芸能を取り入れたヤマト系の踊りがたくさんあるというのですが、正直よくわかりませんでした。なにしろ、なんで重要無形民俗文化財なのというような、いたって素朴な(でもちょっと変わった)村踊りなのですから。
(※首里の総地頭家に奉公していた上地太郎なる人物が作った「組踊忠臣蔵」は、今も伊江島で受け継がれています。)

とにかく大ホールは人でいっぱい。殆どが沖縄の人。そのうち半分くらいは伊江島を故郷と思っているひとたち。あの小さな島の単なる村踊りの公演に、これほど多くの人が集まるとは、本土のウチナーコミュニティの存在を、つくづく思い知らされる感じなのでした。

思った通り、伊江島出身の金城さんも来ていました。
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「あらー、来てくれたの、ありがとう」
この言葉の意味するもの。金城さんはスタッフではないのですから。

《おまけ》
じーまみ甘納豆。これね、おいしいんだから。
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「じーまみ」は、じーまみ豆腐のじーまみ。ピーナッツのこと。
ゲストのボク、これポリポリやりながら見てました。
(高山正樹)



藤木勇人さんの公演の打ち上げも、ようやくお開き。しかし表に出ても、しばし藤木さんと立ち話。それは、居酒屋でのコアな話の続きで、なかなか興味深いのだけれど、とてもここでは公開できない危ない話。
「女房と子どもがいるので、今は穏やかにしてますよ。どうか波風立てないで」
もちろん了解。もしブログに書こうものなら、こちらもアチコチ出入り禁止になりそうですからね。
気がつけばもう午前0時を回っている……。

ボク、車だからもちろんアルコールは全く飲んでません。でも、ウーロン茶で腹カッポンタッポン。
マーキーさんとテレビマンユニオンの田中さんを車でお送りすることにしました。狭くて汚くてゴメンナサイませ。
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マーキーさんはたっぷり飲んでるはずなのに全然普通だね。
マーキーさんも田中さんも、深夜の住宅地に消えていかれました。お休みなさい。

冗談じゃねえ、オレは一滴も飲んでねえんだ。このまま眠れるか!
“ぎま”だ! “ぎま”に行くんだ!
一、二杯水割り飲むと…
「はい、酔い覚まし…」と出てきた西瓜。
「あのね、ママ、ボク、まだ酔ってないんだけど、サービス? ふーん……」
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「おいしい……」
いくら落ち着いても、書けないものは書けません。7月30日脱稿。お休みなさい。

前の記事から
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「後日執筆する。少々お待ちを」……と書いたきり、御報告したいことはなかなかブログで簡単に書けるようなことではなく、ずいぶんと間が空いてしまった。

実はこの記事、9月21日に書いている。もうこれ以上引っ張るワケにもいかず、ボチボチここらでツラツラと書いてみようか。

藤木勇人さんは「うちなー噺家」と名乗っている。立川志の輔さんを師と仰ぐ。談志御大にはなかなか受け入れてはもらえないらしいが、志の輔さんからは「オレの弟子だと名乗っていい」とお墨付きを貰ったらしい。
実は、藤木勇人さんがこの世界で生きていこうと思ったきっかけは、沖縄の高校在学中に観た劇団創造の“人類館”だったという。
藤木さんは“人類館”の作者である知念正真さんのことを深く敬愛している。しかしその敬愛の仕方はそう単純ではない。
僕が知念さんについて、「おっかない顔してるけど、話すととってもシャイで優しくて、普通の人ですよねえ」と言うと、藤木さんは次のように答えた。
「一番ダメな人間が一番すばらしいということを教えてくれたのが知念さんです。僕の最も好きな人」と。
この日伺ったふたりの交流のエピソードは、とても興味深いが、残念ながらブログでは書けないことばかりで困る。

藤木さんは“人類館”を一人芝居でやりたいと考えていた。ところが津嘉山正種さんが先に演ってしまったものだから、自分はもうやらんでもいいかなと思われている。驚いたことは、人類館の再演には決してあまりいい顔をしない知念さんだが、藤木さんには「お前、やらないか」とおっしゃったというのである。知念さんの藤木さんに対する信頼、それはなんなのだろう。

知念正真が書いた「人類館」は、結果的に大きな罪を犯してしまったと藤木勇人はいう。戯曲「人類館」が、それ以後の大和と沖縄の対立構造を作ってしまったのだというのだ。それについては異論もあろうが、しかし「知念正真の“人類館”考」としては実におもしろい。知念さんから聞いた「人類館」の創作意図、「自分にとって沖縄の日本復帰とはなんだったのか、それを整理したかっただけなのだ」という知念さんの思いとも符合する。しかし、そんな知念正真の私的な想念であったものが、伝説的な初演の幕が下りたその時から「社会的な事件」となってしまった。以来、戯曲“人類館”は、知念正真の手から離れていった。そして調教師という登場人物は(実は大和の兵隊は沖縄出身者であったのだが)、沖縄を差別する極悪非道の人物として固定化されることになったのである。

しかし“人類館”に登場する調教師が悪いのではない、本来、人間に悪者などいないのだ、そう藤木勇人さんは語った。
「だから、落語が好きなんです。落語には、ダメだけれど悪い人間はひとりも出てこない。登場するのはみんな愛すべき普通の人たちです。そんな芝居がしたいんです。」

僕は、藤木勇人さんが演じる人類館が観たいと思った。そしてその舞台を客席から観て、心から笑う知念正真さんの顔を見てみたいと思ったのである。

もうひとつ、前の記事で語り足りなかったことを書いておこうと思う。

ウチナーグチについて。

藤木さんと話していて、藤木さんはウチナーグチを相当勉強されたことがあるのだと確信した。最近、ウチナーグチを復活させようと沖縄ではだんだんと盛り上がってきているが、しかしそれがそんなに簡単なことではないということを、藤木さんは深く理解されていると思ったのである。

一口にウチナーグチといっても、地域地域によって大きく違う。ウチナーグチを残すというと、たいがい首里言葉の権威がちらつき始める。しかし、首里言葉を「正しく」復活させることは、同時に各地域の言葉を殺すことにもなるという現実。
そう藤木さんが言ったわけではないが、僕はそう理解した。
藤木さんに奄美の血が流れているということもあるのかも知れないと、僕は勝手に思っていた。

M.A.P.の沖縄語を話す会は、この藤木さんのような思いを、決して忘れないということを第一義にしなければならない。あらためてそれを確認しなければいけないと、僕は襟を正したのである。

この日、テレビマンユニオンの田中さんという方が、藤木さんの「落語」を絶賛していた。どういうふうに絶賛したか、残念ながらそれもブログでは書けないこと。
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テレビマンユニオンといえば超有名な制作会社だが、予算が大きく減らされて、テレビ業界は大変らしい。

シーサー玉城さんちゃんと一緒に記念撮影。
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シーサー顔みっつだってさ。

次の記事へ続く……

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ぼちぼち時間だ。今から出れば余裕、開場前には劇場に着くだろう。
喜多見で電車を待っていたが、いっこうに電車が来ない。しばらくして止まっているというアナウンス。運転開始のメドも立っていないという。なんでもっと早く知らせないんだ。事務所まで走って戻って、車で中野まで行くことにした。

車をコインパーキングに止め、10分ほど歩いて住宅街の中にある劇場へ。20分の遅刻。
藤木勇人の「南島妄想見聞録Vol.22」
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NHKの朝の連続小説なんて、真剣に見たことなどない。でも、毎朝カミサンは時計替わりにテレビをつけていたから、あの「ちゅらさん」で民宿のオヤジ役をやっていた沖縄のタレント「藤木勇人」という名前には聞き覚えがあった。その名前をはっきり認識したのは、儀間進さんに、ウチナーグチのコラムを読むために、どなたから指導を受けたらよいかをご相談していた時だった。
 ⇒http://lince.jp/hito/okinawamap/zatudan…
でも、その時書いた記事には、「藤木勇人」の名前は書かなかった。つまり、ウチナーグチの指導者として、藤木勇人さんは儀間進先生のお眼鏡に適ってはいなかったのである。

後になって、「ちゅらさん」の「方言指導」を藤木勇人氏が担当していたということを知った。あの番組で使われる「方言」は、決してウチナーグチではなく、ほとんどがいわゆるウチナーヤマトグチであったが、聞くとはなしに耳に入ってくる堺正章や田中好子の台詞に、僕でさえ違和感を覚えた。カミサンの実家でも、みんな変だといっていたし、あれは「ちゅらさん語」だと眉をしかめるウチナーンチュも多いと聞いた。
藤木勇人は沖縄では知名度が高いから、彼の発信する間違った情報が、ウチナーグチを乱しているというような話も、しばしば聞いたことがあった。

それについて、僕に判断する能力があろうはずも無い。だから、僕は基本的に意見なしであった。しかし、3月14日の沖縄かりゆし寄席の記事を読み返してみると、沖縄の、どちらかといえばお年を召した方々の「正しく厳格な見解」に、僕は多分に影響されていたようである。

確かに、3月14日のかりゆし寄席の時の藤木勇人氏は、他の芸人たちの中に埋没した感じで存在感が薄かった。しかし今日、あらためてじっくり落ち着いて「藤木勇人」を体験して、彼の芸は、あの刺激の強いドタバタ芸と並べて観るものではないと実感したのである。
今日の藤木勇人は実におもしろかった。かりゆし寄席の若手の芸がつまらなかったというのではない。それはそれで大いに笑ったのだが、今となって何がどうおもしろかったのかと聞かれると、もはや大方が忘却の彼方なのである。しかし今日の藤木勇人の舞台は、きっと僕の記憶にずっと残るに違いない、そう思っている。

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(かりゆし寄席では漫才を披露していたシーサー玉城さんがお手伝いをしていた。宇夫方女史に右側の桟に隠れた青い服の女性。)

打ち上げに誘われた。いつもなら辞退するのだが、今日の舞台が気に入ったので、車で来ていて飲めないにもかかわらず、ずうずうしくお邪魔することにした。打ち上げの場所の案内の紙を頂いて、トボトボと歩き出す。

その途中にあった沖縄居酒屋“にぬふぁ屋”。打ち上げ会場は駅のそばの大手居酒屋チェーン店で、残念ながらここではない。
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大城洋子さんがそのお店のご亭主と挨拶を交わしていた。どうやらお知り合いらしい。と、宇夫方路が「このお店知ってる」と言い出した。宮城文子さんに連れられて来たことがあるという。ここのご亭主と文子さんはお友達。なんという狭いネットワークなのだろう。この大東京には、「沖縄人」の、小さくて、そして極めて強固なコミュニティーが存在しているのだ。
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宇夫方路は、今やその輪の中にすっかり溶け込んでいるように見える。が、きっと、それは上辺だけのことなのだろう。宇夫方女史も、まだまだ「沖縄のお客様」に過ぎないのだ。

打ち上げの店に到着。

このふたりも一緒に行った。
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筋金入りの重度沖縄病患者の川岸さん(左)とお友達の岡田由記子さん。岡田さんは女優さん。鳥獣戯画出身。今は退団して一人芝居をやっている。
(※川岸さんは今までもM.A.P.after5にちょこちょこ登場しています。喜多見で沖縄語を話す会の仲間です。)
みんなぐるっと一通り自己紹介をした。川岸さんは「私の沖縄病は一生完治の見込みはありません」とスピーチして受けていた。
お友達の岡田さんの番、「私は沖縄のこと、なーんにも知りません」!
そんな彼女は、シーサー玉城とすっかり意気投合した。沖縄を全く意識しないヤマトゥとベタベタのウチナーンチュとはとても気が合う、そういうパターンはよくある話。ウチナーンチュにとって一番厄介なのは、小生高山正樹のようなタイプである、って、ほっといてちょうだい……

さて、ここまでは軽いプロローグ。コアな話はこれからなのだが、あんまり長くなりそうなので、別途、次の記事にて。

次の記事へ続く……

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7月10日土曜日: 7月10日は指笛の日

7月10日、指笛の日
『沖縄大百科事典』で「指笛」を引くと……
「指を使って笛のように鳴らすこと」※指は10本だから10日らしい。
「フィフィともいう」
「人差指や小指を鍵型に曲げて口中に含み、舌にあてて吹き鳴らす」
※この時の指の形は7の字に似ているので7月らしい。
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「綱引きやハーリー、祝いの最後に踊られるカチャーシーには欠かせない効果音であり、火事やケンカなど異変のときに人を呼び集める合図ともなった」
※ハーリーが夏の行事なので10月7日ではなく7月10日になったらしいが、那覇の大綱挽は10月なのに、と高山正樹は思ったのだった。
『沖縄大百科事典』の「指笛」の項を執筆したのは船越義彰氏である。


7月 8日木曜日: 今日は“那覇の日”

7月8日、那覇の日
単なる語呂合わせです。

今日はこれだけ……

すでに鳩山政権は無くなり、後を継いだ菅政権も支持率が下がり、普天間の問題は消費税の影に隠れて、まるで終わったことのような有様。

というわけで今更ではあるのですが、というか、むしろだからこそあらためて……

先の5月におこなった西山監督の映画上映会の際、会場で販売した琉球新報社刊「沖縄は訴える」および「沖縄戦新聞」を、遅ればせながら“M.A.P.販売サイト”“楽天市場沖縄map”で扱うことにしました。
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「沖縄は訴える」は4・25県民大会の模様をはじめ、現在の沖縄米軍基地の実態を伝えた大判グラフ書籍、また「沖縄戦新聞」は、太平洋戦争時、もし正しく戦況を伝える新聞があったとしたら、こんな新聞であっただろうと、琉球新報が精力を込めて制作した仮想新聞です。
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どちらも日本(本土・内地・大和、うまい言葉がみつかりません)の書店では購入困難なものです。

是非、この機会にお買い求めください。
 ⇒“M.A.P.販売サイト”から購入
 ⇒楽天市場「沖縄は訴える」のページ
 ⇒楽天市場「沖縄戦新聞」のページ


7月 3日土曜日: 土曜日の朝

今日は土曜日。朝9時です。喜多見の街も、いつもよりなんとなく静かです。
事務所に着いて見上げると、たくさんのゴーヤーの花。
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このデジカメ、黄色がもうひとつ鮮やかに写らないのが不満です。花は上を向いていてこっちをみてくれない。いろいろと撮影位置を変えたりして……

そしたら、後からやってきた宇夫方さんと夏子さんに見つかっちゃった。
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(夏子さんが携帯で撮影)

上にあがって……
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手すりから手を伸ばしたり……
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下の方で咲いてる花を撮ったり……
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そして、今日の長男。まだ一人っ子です。
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去年収穫したゴーヤーの種から育てた子どもたちも忘れちゃいけない。
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それにしても気にかかるのはこいつらなのだ。
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だんだん赤くなってきた。
明日の虫へ
最初のゴーヤーから見る

虫の世界と、M.A.P.の働き虫には、土曜も日曜も関係ないのです。
さて、ボチボチ群馬の赤城山に向けて出発するか。

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今年も、もう半分終わってしまいましたねえ。
今日は“喜多見で沖縄語を話す会”の第十四回、一年目後期の始まりです。今まではこのM.A.P.after5で“話す会”の話題を毎回アップしていましたが、それはもう終わりです。今後は[喜多見で沖縄語を話す会のOfficial_Blog]に引き継ぐことにしました。つまり“喜多見で沖縄語を話す会”はM.A.P.after5から卒業です。

“第14回 喜多見で沖縄語を話す会”は下記ブログ記事へ
 ⇒http://kitamiuchinaguchi.ti-da.net…

でも《沖縄語の音韻講座》は、このM.A.P.after5で責任を持って完結したいと思っています。
またM.A.P.after5のサブカテゴリ《喜多見で沖縄語》が無くなるわけでもありません。高山正樹のウンチク・へ理屈や、会のあとの飲んだくれ状況などは、こちらに書きます。

最近、色々な方がM.A.P.after5を読んでくださるようになったので、他の関連ブログについてもご紹介しておきましょう。

M.A.P.after5のサブカテゴリのひとつに《山猫合奏団》があります。でも、もともと“山猫合奏団”には[山猫合奏団Official_Blog]があって、それと[M.A.P.after5]は “lince” というドメインの中に今も同居しています。(もうひとつ[社長とは呼ばないで]も同居人ですが、こいつは説明省略。)当初は、山猫合奏団のブログと、それをプロデュースしている会社のafter5的ブログの2本立てで出発したのです。

やがて、M.A.P.は“おきなわおーでぃおぶっく”を企画しました。そしてM.A.P.after5に《沖縄オーディオブック》というサブカテゴリを作り、いわばメーキングブログを書き始めたのです。
そして2008年9月14日、第一弾CD「カクテル・パーティー」が完成した際、[おきなわおーでぃおぶっく情報]というOfficialなブログを新たに開設しました。企画が形になったので、この新しいOfficialブログで、販売店情報やダウンロードできるサイトのご案内をしたり、発売が決定している新しい作品の制作情報などをお知らせすることにしたのです。
しかし、企画段階の話題は、今でもM.A.P.after5の範疇です。

(※元来、M.A.P.の沖縄語を話す会は、おきなわおーでぃおぶっくの“儀間進さんのコラムを読む”という企画のために始まったことなので、今までは“おきなわおーでぃおぶっく情報”のほうでも“喜多見で沖縄語を話す会”のご案内をしてきました。)

今年の5月には、M.A.P.の主催する三線教室が立ち上がり、同時に[はいさい狛江三線サークル]というブログを開設しました。M.A.P.after5のサブカテゴリ《三線教室》では、時々こぼれ話などをご紹介しようと思っています。

また[M.A.P.琉球舞踊教室Officialブログ]も作りました。こちらは宇夫方路が担当。琉舞教室には高山正樹が参加していないので、サブカテゴリ《MAP琉舞教室(狛江)》は新しいブログに完全移行となりそうですね。

というわけで、M.A.P.after5のサブカテゴリ《喜多見で沖縄語》的話題。

昨日の虫のハナシです。例の正体不明の虫。
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ちょっと赤くなりましたかねえ。
本日沖縄語を話す会に参加した五味さんと炭屋さんの、この画像を見た共通見解は、きっとてんとう虫だろうって。そして、てんとう虫は、星が奇数なら益虫で偶数なら害虫なんですって。へー不思議。でも益虫と害虫の違いは何だ? アブラムシを食べるのが益虫、ゴーヤーの葉っぱを食べるのが害虫。まったくもって人間様のご都合ですな。
ところで、やつらはどっちなんだろう。

そしてついに雌花です。
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去年雌花が咲いたのは8月25日でした。今年は2ヶ月近くも早いのです。妙な虫も多いけど。
明日のゴーヤーへ
最初のゴーヤーから見る

楽しいお勉強の後は、今日も“串かん”なのでした。
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7月 1日木曜日: 沖縄県産品の日らしい

今日、7月1日沖縄県産品の日らしい。
7月が沖縄県の県産品奨励月間らしいので、それで7月1日を県産品の日にしたのかね。よくわかりません。

今日はM.A.P.琉球舞踊教室があったらしい。別ブログに移行したのでよくわからないのです。ただ、帰ってきた宇夫方女史がこんなおみやげを持ってきたので、確かそうだったかなと思ったわけです。
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沖縄県産品かな。たぶんサーターアンダギーはこっちで誰かが作った手作りだろうから、沖縄県産品とは違うんだろうなあ。

 ⇒この日の稽古の記事(別ブログ)




高山正樹 Masaki Takayama
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