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1月26日水曜日: 沖縄からトンボ返り

《1月25~26日》
※宇夫方路2011沖縄旅日記(4)
25日。
松山のホテルで一休みをして西原町にある家元の稽古場に。
6月4日の公演の演目の相談と、沖縄の先生方の協力のお願いをしました。
その後、稽古も見て頂き、家元の車で那覇に戻ったのは夜中の2時でした。私の稽古自体は12時頃に終わったのですが、その後、家元の息子さんのたかひろ君を待っていたのです。たかひろ君は組踊りの研修生になり、発表会のため稽古が1時過ぎまであったのです。

ともかく、沖縄での芸能関係の稽古は夜遅い場合が多いのです。それにはワケがあるのですが。

今度から教師会(教師の勉強会)が水曜日になります。参加するためには、最低平日1日半事務所に行くのを休まなければ行かれなくなりました。困ったなあ。

26日。
沖縄から、事務所に直行です。
沖縄のファミリーマートで買ったおみやげ。
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それから幸地さんが両親へのお土産にと買ってくださったチャーリーレストランのアップルパイ
夜の第24回ゆんたくの会で、皆さんにお裾分けしました。
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(宇夫方路)
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【追伸】
宇夫方路女史は、1月18日の合同新年会のことを“ゆんたくの会”専用ブログで記事にして、その中で、例のいろは歌の巻物のことを國吉先生に聞いてみよう、と、書きました。
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そして今日、“ゆんたくの会”で、それをせっかく國吉先生に聞いたのに、宇夫方さん、専用ブログには何にも書かないんだもんねえ。ほんとにワジワジするさーって言う感じ。やっぱり表記が問題なんだそうです。
これについてはいずれ別途記事できっと報告します。

《One Break》
昨年の3月21日以来、ほぼ10ヶ月ぶりに沖縄語音韻講座を再開します。いよいよ本編です。
まずはア行から。
同時に、声門破裂音のア行も説明しましょう。
沖縄語の「あ・い・う・え・お」には声門破裂音とそうではないのと2通りあるということは、10ヶ月前の記事で書きました。
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上段が声門破裂音をともなわない音で、下段の赤文字が声門破裂音です。[ʔ]は声門破裂音を表すIPA表記です。この[ʔ]の有無が「弁別的な機能を果たしている」ということが、沖縄語の特色なのだということも書きました。
まず、10ヶ月前の記事をお読みください。
 ⇒声門破裂音について【沖縄語音韻講座プロローグ(5)】
厳密に言うと、声門破裂音と区別するために、声門破裂音でない音には、その前に[’]を付けます。
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沖縄語50音表のア行は、この2行で確定です。

日本語にも、声門破裂音の「ʔあ」「ʔい」「ʔう」「ʔえ」「ʔお」と、そうではない「’あ」「’い」「’う」「’え」「’お」の両方の音が存在しているのだけれど、どちらを使っても言葉の意味が変わることはないので、意識して使い分けられることもなく、したがって表記は弁別性のない「あ」「い」「う」「え」「お」の一通りしかありません。従って、聞き分けることもしません。

しかし、沖縄語の場合は、声門破裂音かそうでないかによって、意味が変わってしまう単語があります。

「ʔうとぅ」:音、「’うとぅ」:夫
「ʔいん」:犬、「’いん」:縁
「ʔおーじ」:扇、「’おーじ」:王子
……etc.

これが「弁別的」ということであって、従って正しい沖縄語を習得するためには、どうしても声門破裂音を自由に使い分け、聞き分けられなければならない、というわけです。

この声門破裂音を具体的に理解するために、我々が無意識に発音している母音が、いったいどういう時に声門破裂音になり、またどういう時にならないのかを、実際に実験してみたいと思います。
まず、「あ」の一音だけ単独に発音してみてください。欠伸をしながらとか、息遣いの荒い状態であるようなことがなければ、その「あ」は、きっと声門破裂音です。「い」も「う」も「え」も「お」も、一音だけ発音すれば声門破裂音になるはずです。
次に「あいうえお」をひとつの単語であるかのように、「あいうえお」と、一気に続けて声に出してみてください。その場合、きっと最初の「あ」だけが声門破裂音で、後に続く「い」「う」「え」「お」は破裂しない音で発音されているはずです。
この実験でわかることは、日本人が普通に発音する場合、語頭の母音は自然に声門破裂音になり、語中の母音は声門破裂音にはならないということです。

沖縄語でも、単語の途中に声門破裂音が現れることはありません。ということは、声門破裂音の「弁別的」な問題は、単語の最初の一音だけに着目して、それが声門破裂音ではない場合だけを意識していればいい、なぜなら、それ以外は、日本語と同じだから、ということになりそうです。

そこで、新沖縄文字を考案した沖縄語を話す会の船津好明先生は、声門破裂を伴わない音の方にだけ、新しい文字をあてがいました。以下が新沖縄文字を使ったウチナーグチ50音表の、ア行の部分です。
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上段の赤文字が声門破裂音(ということにしておきましょう)。下段が声門破裂を伴わない母音です。
「あ」には、声門破裂音ではない新しい文字はありません。それは、声門破裂音ではない「あ」が語頭にくる単語が、沖縄語にも存在しないからです。
また声門破裂を伴わない「お」の音には、新字ではなく既存の「を」の字を船津先生は充てられました。
※しかし、「を」と表記しては[wo]と発音されてしまう惧れがあり、この船津先生の選択に、僕は疑問を持っています。それについては下記記事を是非お読みください。
 ⇒「うちなーぐち講座《2》の2」

さて、僕自身が学習者としてこの新沖縄文字を実際に使ってみて、このア行に関して、少し戸惑ったことがありました。それについて、補足説明が必要であるように思います。

繰り返しますが、声門破裂音は語頭にしか現れません。単語の中間で現れる母音は、すべて破裂しない音です。
しかし、新沖縄文字の表記法では、語頭に破裂しない母音が来た時だけ新文字を使うというのがルールです。それ以外はすべて、つまり語中の破裂しない母音に対しても、見慣れた通常の仮名文字を使って表わすのです。

実際には、「あ」にも声門破裂音とそうでない音が存在するのですが、しかし文字はひとつです。それは先に述べたように、単語の頭に声門破裂音ではない「あ」が来ることがないからなのです。

当初僕は、音と文字が1対1に対応していないことに、大変戸惑いました。しかし今は、それで新沖縄文字に不備があるとは思っていません。新沖縄文字は、日本の仮名文字に慣れた方々が、できるだけ負担なく沖縄語を学べるアイテムとして開発されたものですから、論理的整合性よりも現実的な使い易さを優先することは正しいし、それこそが他の言語学者の方々が考案した表記法と、新沖縄文字が一線を画しているところで、だからこそ沖縄で沖縄語を守ろうとする多くの人たちから歓迎され、採用され始めている理由なのでしょう。

しかし、にもかかわらず、あえて指摘させていただきたいことがあります。

再度、上の新沖縄文字の50音表を見てください。下段の赤文字は「声門破裂音ではない音」ですが、それに対して上段は「声門破裂音」なのかというとそうではなく、「弁別性のない表記」というのが正しい説明でしょう。「声門破裂音」であることを強調する必要はないという判断があるようです。なぜなら、通常日本語を使っている学習者は、特に意識しなくても、「声門破裂音」については正しく発音するであろうということが、暗黙のうちに期待され信じられているからだと思うのです。確かに、実験結果はそれを裏付けているようにも見えます。

しかし、果たしてほんとうにそうでしょうか。

「あなた」という単語を、単独に発音すれば、いわゆる「標準語」を使う日本人は、語頭の「」は自然と声門破裂音になります。しかし単語は、一連の文章の中で使われることの方が多いのです。
「わたしと、なた」
句読点「、」でワンブレイクを入れれば、「あなた」の「」は声門破裂音のママでしょう。
しかし……
「わたしとなた」
……と続けた時、「あなた」の「」は途端に声門破裂音ではなくなってしまいます。

単独で「とぅ」を発音すれば「ʔうとぅ(音)」になります。一方「’うとぅ」を単独で発音するのはなかなか難しい。かなり練習を要します。
しかし、文章になるとどうでしょうか。
例えば「うるさいとぅ」と言ってみましょう。声門破裂音は意識しなくても大丈夫だという期待が正しければ、「うるさいとぅ」は「うるさい音(ʔうとぅ)」になるはずです。しかし結果は逆です。続けて発音すると「’うとぅ」になります。「うるさい音」と言っているつもりが「うるさい夫」になってしまうのです。

つまり、文章の中間で使われる単語については、破裂しない音よりも、むしろ声門破裂音にこそ気をつけなければならないということなのです。

この問題にしばらく僕は困っていました。しかし、母音が頭にある単語が出てきたら、無条件にその単語の前にワンブレイクを入れて話せば、この問題はクリア出来るということに、最近気が付きました。そしてこれにはさらに想定外のうれしい発見があったのです。
母音から始まる単語の前にワンブレイクを入れ、破裂音を意識して発音すると、自然と単語の頭の母音が強調されます。それを母音から始まる単語の全てで行うと、沖縄のネイティブな人たちの雰囲気が出てくるのです。そのコツがわかれば、標準語の文章でも沖縄の人っぽく話すことができるようになります。これはいったいなぜなのでしょうか。

僕はこう考えました。
「沖縄語は声門破裂音かそうでないかによって意味の違う単語があるために(あったために)、声門破裂音をより強調して発音するという傾向が昔からある。たとえ標準語を喋っている時でも、沖縄の人の身体に染みこんだこの沖縄的発音の傾向はそのまま残っている。」
この発見に僕は最近益々確信を持ってきました。

今現在、新沖縄文字を使って沖縄語の勉強をしているのは、殆ど沖縄の人たちです。その人たちが、文章途中の声門破裂音に苦労しない理由も、ここにあるのではないかと思うのです。つまり、沖縄の人たちは、母音が頭にある単語が出てくると、無意識にわずかなブレイクを入れているのです。

しかしながら、それをするためには、文章の中でどこが単語の頭なのか、それが判断できなければなりません。しかし、沖縄語初心者にとっては、それがなかなかむずかしいのです。
従って僕は、単語の頭の母音については、声門破裂音にも専用文字を充てて欲しい、と思っているのです。そうなれば、新沖縄文字は、ますます沖縄語習得に便利なグッズになるでしょう。数少ないヤマトゥンチュのユーザーの意見ではありますが。

さて、船津先生は如何お考えでしょうか。



※宇夫方路2011沖縄旅日記(3)
健次郎さんの所をお暇して「おきなわ堂」にちょっと寄りました。
お店は昔の半分の広さになったけど、こじんまりして落ち着いた感じになりました。
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金城店長、じゃない、金城オーナー、頑張ってますよ、高山さん。
 ⇒前回訪問時の記事

そして宮城さんの工房“PEANUT'S”へ。去年の精算です。S-1グランプリvol.4のトロフィーの代金のお支払もしました。2種類作ってもらって、ハンサム・マーキーさんに渡しましたものです。そのうちのひとつが、S-1グランプリで優勝した岡村聡士君の手に渡っているはずです。
【2月3日に追伸(1)】
ハンサム・マーキーさんが持っているはずのもうひとつのトロフィーは、どうやら今年のS-1グランプリvol.5で使うことになったらしい、と久しぶりに現れた山川夏子さんが言ってました。こんどマーキーさんに聞いてみよう。

宴会シーサー。宮城さん制作ミニチュア版です。
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ああ、悪い画像。実はデジカメを忘れてきてしまったのです。
実は今回の重要な仕事のひとつが、おととしの暮れにご紹介したでっかいシーサーの商品紹介用の写真を撮影することだったのに。M.A.P.での注文販売が決定して、前回キジムナーのツアーの時にお邪魔してデジカメで撮影したのですが、そのデジカメをなくしてしまったあの事件がなければ、今頃は東京のいくつかの沖縄料理のお店に、宮城さん制作のでっかいシーサーが飾られてあったかもしれないのに。

今回ともかくコンパクトカメラを買って撮影してみたのですが、どうかなあ……。

【2月3日に追伸(2)】
現像してみた結果。この画質じゃあシーサーが可哀想です。
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只今、今後の対策を検討中です。

それから、いしだ文栄堂へ行きました。
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新しい商品がたくさん出たのです。

【2月3日に追伸(3)】
これが新商品です。あとでデジカメで撮影しました。
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これSくん。はやく販売サイトにアップしなさい!

そうして、とりあえず松山のホテルにチェックインしたのでした。でも、今日はまだ終わらないのです。
夜の部の報告はあらためて。
(ちっとも宇夫方女史が記事を書かないので、仕方なく高山正樹が代筆)
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※宇夫方路2011沖縄旅日記(2)
又吉健次郎さんの工房です。
健次郎さんの結び指輪を、結婚何周年かの記念にと注文される方が時々いらっしゃるのです。その度、健次郎さんに結婚記念日に間に合うよう制作をお願いします。今日もそうして仕上がった結び指輪を受け取りにきたのです。

でも今日は健次郎さんはお留守でした。なんでも若い女性とどこかへ出掛けたとか。さて、何時に帰るか分からない。夜は夜でやっぱり若い女の子と桜坂劇場にCoocoのライブを観にいく約束があるらしい。お元気だこと。
主人不在の仕事場
仕方がないので、いつもと変わらない仕事場だけ撮影させていただいて帰ろうと立ち上がったところへ、健次郎さんがお帰りになりました。まあいいタイミング。
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実は先日の1月15日、M.A.P.after5のアクセス数が突然倍になりました。検索ワードを調べてみると、又吉健次郎さん関連の記事を目当てに来る人がその原因らしい。そこで井上真喜ちゃんに「何かあった?」と電話で聞いてみたのです。そうしたら、なんでも世界不思議発見というテレビ番組で、健次郎さんの房指輪が紹介されたのだとか。

M.A.P.では房指輪は扱っていませんが、それでも結び指輪の注文がバタバタといくつか入りました。うちのサイトでもそうなのだから、さぞ工房“またよし”は大変だったはず、こちらに入った注文の制作をお願いして大丈夫かなあと心配したのですが、いつもの通り気持ちよく請けてくださいました。

coccoの時もすごかったけれど、それにも増して今回はたくさんの問い合わせあったらしい。全国放送のテレビって、やっぱり影響力大きいんですねえ。M.A.P.にも取材来ないかなあ。

さて、高山正樹氏に頼まれたことを聞かなくっちゃ。ある小道具屋さん(実は外間小道具店)で聞いたもうひとりの金細工師のこと。
少しここまでのことを整理します。浦添美術館での展覧会の時は三人の又吉さんの作品が展示されました。又吉健次郎さん(首里の又吉)と開南で小道具店を開いていた又吉さん(那覇の又吉)と、そしてもう一人の「首里の又吉」さん(実は修さんとおっしゃいます)。那覇の又吉さんはすでにお亡くなりになりました。
 ⇒関連記事を読む
「もう修さんも作っていないはずだよ、見に行ったけど道具もなかった。小道具屋は叩いて作っているというけど、本当はもう作る人はいなくて、外国で作っているんだよ」これが健次郎さんのお答えでした。
真喜ちゃんによると、修さんはまだ作っているはず。でも、健次郎さんと修さんは同じ門中ではあるけれど、それほど親しくない。そして健次郎さんは、踊りや芝居の小道具には興味がないから、修さんのことは分からないのだと思うとのこと。
仲嶺舞踊小道具店の仲嶺眞永さんのお話しを思い出しました。
「コンクールとかに出るようなときは、いいものを挿すでしょうが、普段はもっとね。でも、それを作る人がいなくなってしまって」

民具として、本物のジーファーにこだわる健次郎さんは、それを作る技術が途絶えてしまうのはいけないと思っています。若い金細工師がいないのは食べていけないから。だったらみんなで若い職人さんを育てて、琉球舞踊の先生になったら、その人から道具を買うというシステムにすればいい。これは健次郎さんのアイデアです。
でも琉球舞踊の人たちは、家元レベルの方々でも、小道具が本物かどうかにはあまりこだわってはいません。また、たとえこだわったとしても、本物のジーファーはとっても丈夫で、母から娘に、先生から弟子にと伝えていける道具だから、新規の需要はあまりないでしょう。上等な漆器が、何百年経っても使えるために却って新しいものが売れないという事情と同じです。

一方、房指輪は手に入らなくて琉球舞踊の人たちは困っています。でもそれも、琉球新報の舞踊コンクールのルール変更で、房指輪を使わなくてはならなくなったから、それだけのことなのです。

ともかく、「もうひとりの首里の又吉」=修さんにお会いしたくなりました。もしかすると、修さんこそ「クガニゼーク」ではない小道具を作る職人「カンゼーク」なのかもしれない……

やっぱり、小道具屋さんに何度も通って、こちらの諸々の思いをお話しして、修さんに伝えてもらうしかないのかなあ、そんな風に思ったのでした。
(宇夫方路から報告を受けた高山正樹が、宇夫方路のフリをして代筆をしました。)
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※宇夫方路2011沖縄旅日記(1)
昨日の夜は山猫合奏団と東京奏楽舎の合同新年会で午前様。朝3時に目覚ましをかけ仮眠。調布駅4時半発のリムジンバスで羽田へ。飛行機の中で爆睡して無事那覇に到着。そうして、5ヶ月ぶりに沖縄へやって行きました。

6月4日の公演の事で、家元にお願いと相談を兼ねてご挨拶に行くのが今回の旅の一番の目的です。
でも、沖縄にはしばらくご無沙汰だったので、取引先にも行かなければなりません。沖縄で動くには車がないととっても不便。父の知り合いの幸地さんにご無理をお願いをして、車を出して頂きました。

まずはしよんさんの工房へ。
しよんさんの工房は沖縄ワールドの中にありました。最後のお伺いしたのは去年の7月16日です。その時「沖縄ワールドの工房を訪れるのはこれが最後、“しよん”さんはついに自前の工房を開設することになったのです」とお知らせしました。その後、9月1日から南城市の新工房に移転するという御案内を頂きました。
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ご紹介しなければしなければと思いつつ、タイミングを逸していました。ごめんなさい。やっと今日来ることができたので、遅ればせながらあ、機織工房“しよん”の新工房のご紹介です。
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新しい工房では販売はせずに作るだけと聞いていましたが、時々訪ねてくる人がいるので、今では少しですが商品を置いて販売もしているとのこと。皆さん、お近くに行く機会があれば、一度お寄りになってはいかがですか?

新しいマース袋をおあずかりしました。まもなくM.A.P.販売サイトと楽天市場沖縄mapにアップする予定です。
 ⇒機織工房しよんのホームページ
 ⇒機織工房しよんのブログ
しよんさんの工房を出るともうお昼の12時を過ぎていました。どうりでお腹が空いていると思いました。そこで、南城市の有名なチャーリーレストランに行きました。
チャーリーレストラン
終戦後すぐアメリカ人相手に開店したお店で、当時はドライブインとして休憩所や売店もあったそうです。
店に入るとすぐ目に入るのはショーケースに並んだたくさんのパイ。
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アップルパイ、ブルーベリーパイ、チェリーパイ、おいしいと評判なんだって。
幸地さんが両親へのお土産にと、アップルパイを一つ買ってくださいました。何から何まですいません。
食事はステーキとかもたくさんあるのですが、私は煮付け(てびち)定食、幸地さんは魚汁の定食を頼みました。
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てびちも魚もでっかい。これこそ沖縄の定食、というか、アメリカ人仕様なのかな。戦後の沖縄は長寿の称号を失いつつあります。

さあお腹一杯です。またよしさんの工房へ向かいました。
(宇夫方路)
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下落合のスワンベーカリーを後にして、神田に向かう。

こんな店が目に入る。
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タイに象はつきもの。そういえばコンケン・アイの看板にも象がいたっけ。
象にはアフリカゾウとアジアゾウがいる。アジアゾウの方が頭がいいらしい。さらにアジアゾウはインドゾウ・セイロンゾウ・スマトラゾウ・マレーゾウに分かれる。タイのゾウはインドゾウだが、独立したアジアゾウの亜種の「タイゾウ」とする分け方もある。井の頭公園にいたゾウもタイゾウなんだとか。

タイではゾウは神聖な生き物。ゾウに乗るのはタイ観光の売り物。しかし覚醒剤を打たれて働かされているゾウもあるらしい。今度、コンケン・アイのワニダ(真弓)さんに聞いてみよう。5月の“オツベルと象”のために。

“やいま”に着く。
null 居酒屋“やいま”の案内
狛江の“コンケン・アイ”は刺身とタイ料理の店だが、神田の“やいま”は沖縄料理とインド料理の店なのである。M.A.P.三線教室の専用ブログで御案内していた新城亘新春ライブを聴きに来たのだ。

いやそれだけじゃない。高山正樹は飲みに来た。そして宇夫方路は踊りに来たのだ。だからそのへんのことは、宇夫方女史が三線教室と琉球舞踊教室のブログで書くのだろうから、こちらはやっぱりそれを待って追記しよう。

チュニジア(الجمهورية التونسية)のこととかも……
唄う
そして、ようやく追記した。《続き》へ……

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毎年恒例の東京琉球舞踊協会の新年会が、霞ヶ関にある東海大学校友会館で行われました。
 ⇒去年の新年会の記事

来賓の中に、去年の宮古郷友会のふるさと祭りでお世話になったクイチャーパラダイスの草野さんを見つけました。

草野さんのこの日のブログを見つけました。
 ⇒http://quipara.ti-da.net…
ちょっとおもしろ不思議な方みたい?

仲宗根善久先生もいらしていました。善久先生は現在沖縄と東京半々の生活なんだそうです。
「東京に彼女でも出来たらずっといるんだけどね」
(危ない発言、ばらしちゃって、いいのかしらん)

沖縄の映像制作会社映画、シネマ沖縄という会社の末吉真也代表とも名刺交換をさせて頂きました。何か一緒にできるかもしれない、またご連絡しますと仰ってくださいました。
後で分かったのですが、実は井上真喜ちゃんが制作を担当したDVDを、M.A.P.が委託販売するという話があるのですが、そのDVDを作ったのがシネマ沖縄だったのです。
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※このDVDについては、正式にM.A.P.での販売が決まってからご紹介します。
シネマ沖縄は1970年代にできた歴史ある会社です。真喜ちゃん情報だと、沖縄で一番のんびりした制作会社らしい。なんとおそろしい、いったい販売開始までどのくらいかかるのでしょうか。でも一度お会いしたので、少しは話しが進むかも、と真喜ちゃんは言っていました。

ともかく、沖縄は狭い。

【おまけ】
関琉球舞踊研究所の余興です。
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来賓の方たちに、テーブルごと3チームに別れて頂き、コップに洗濯ばさみをひたすらくっつけ、どこのチームが一番早く付けられるかというなんともくだらないゲーム。それを仕切っただけなんですけどね。でも、盛り上がりました。善久先生が必死に頑張って、善久先生のチームが1等賞を取りました。
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(左端が善久先生です。)
商品はちんすこう。実はこのゲーム、介護施設のボケ防止のゲームなんだって。これ内緒です。

琉球舞踊の専用ブログにこの日のことを書きました。そちらがオフィシャルかな?
 ⇒http://mapryukyubuyou.ti-da.net…
(報告:宇夫方路、代筆:高山正樹)
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1月 9日日曜日: ムーチーを食べました


《高山正樹》
午後の今頃になって、昨日自転車で転んであちこちぶつけたところが痛くなってきました。もう仕事やめて帰ろうっと。だいたい今日は日曜なんだしね。
でも、性懲りも無く、自転車乗って帰るのです。

途中、多摩川に掛かる橋から、多摩の横山を撮影してみたのですが、曇っているのか靄っているのか、よく写りませんでした。
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《宇夫方路》
今日は関りえ子琉球舞踊研究所の稽古始め。
関先生がムーチーを持ってきました。
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ムーチーはカーサ(月桃の葉)に包んで蒸します。
「昔はもっと大きかったよね~」と、ウチナーンチュの皆さん。
最近は大きな葉っぱが少なくなってきて、それにつれてムーチーも小さくなっているそうです。
ムーチーの日には少し早いですが、稽古前にみんなで頂きました。
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※みんなが小さくならなくてもいいでしょうに……(高山)

伊計島にはこのカーサムーチーの風習がないのだそうです。伊計島は沖縄本島中部勝連半島の東にあるいくつかの島のひとつで、本島から見て一番奥にある島です。今でこそ「海中道路」が島々を繋いで、伊計島も本島と車で行き来できますが、昔はもちろん船でなければ渡れませんでした。そのため、カーサムーチーの風習が伝わらなかったんだそうです。ひとつ手前の島ではあるのにね、と伊計島出身の関優子さんが言ってました。

石川市(現うるま市)出身の佐藤さんは、小さい頃遠くに見えた伊計島は、てっきり無人島だと思っていたのだそうです。

《高山正樹》
「ムーチーの日」は旧暦の12月8日です。去年は1月22日がそれにあたっていました。その日の記事に「鬼餅」のことを詳しく書いてあるので、どうか読んでくださいね。
 ⇒R-16的「【鬼餅】のはなし

その他にもムーチー関連の記事はいくつかあります。
 ⇒沖縄通信no.3
 ⇒月桃の使い道
 ⇒金城さんが作ったムーチー
※ムーチーのカテゴリ、作ったほうがいいのかなあ……

昨年、“この日何の日沖縄篇”というカテゴリを作って、一年間で主な沖縄の行事を全部紹介しようと企んだのですが、後半息切れしてしまいました。今年あらためて仕切り直ししようと思っているのですが、今年の旧暦の1月1日は2月3日です。それまでにどうしようか考えることにします。

ともかく沖縄のムーチーの日は、新暦の年が開けてから行われ、さらに大和の餅のイメージもあって、僕なんかずっと正月の風物詩みたいに思っていました。でもムーチーは「師走(シワーシ)ムーチー」ともいうように、本来は年の暮れの行事なのです。

さて今年の(というか去年かな)旧暦12月8日は1月11日、つまりあさってです。さてその日に昨年の「この日何の日沖縄篇」の締めに「ムーチーの日」のことを書くかどうか、只今思案中です。


1月 5日水曜日: 貰ったお年玉のこと

京都からの御土産は北野天満宮の交通安全のステッカー。
北野天満宮の交通安全ステッカー
最近、健康ゲームで殆ど車には乗っていないのだが。

それから……
芸術新潮「沖縄の美しいもの」
どうしてまた……
かあちゃんの差し金かな。
パラパラとめくってみる。
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「骨董店で見た古いジーファーが気に入って、写しを作ったり……」てなことが書いてある。沖縄に骨董店なんてあったかな。だいたい新品を置いている店も、まるで骨董屋のようだしなあ。

今度沖縄へ行った時には、探していってみようと思った。

しかし、俺の娘は、親父が何にこだわっているのか、どこまで知っているのだろう。


高山正樹 Masaki Takayama
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