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《2月23日-1》
宇夫方女史は銀座へ、ある方にあることをお願いするために出かけて行きました。待ち合わせ場所はわしたショップの前。
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銀座わしたショップは、2009年の11月8日の記事以来2度目の登場です。ああそうだ、そちらの記事も是非読んでください。コメントも合わせて。是非……
 ⇒http://lince.jp/hito/demo…
チョンダラーか……
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 ⇒チョンダラーのこと

おい、何か見えるのか?
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俺は眼が悪くてさ、ちっとも未来が見えないんだ……
(宇夫方路が撮影した画像を使って、高山正樹が3月25日に記事を書きました。)
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2月22日火曜日: 二十日正月・尾類馬

昨日は琉球舞踊厚着カルチャーのメンバーは自主稽古をした模様。
 ⇒琉球舞踊専用ブログ記事

旧暦1月20日、二十日正月(ハチカソーグァチ)
正月行事の最終日。仏壇に田芋練り(ターンムニー)を供えるところが多い。
辻町ではジュリ馬が行われた。その起源は不明だが、辻遊郭の豊年と商売繁盛を祈るお祭りである。「ジュリ」とは遊女のこと。「尾類」とも書く。『沖縄大百科事典』によると「獅子とミルクを先頭に、各楼から選ばれたジュリが板を馬首に象った<ジュリ馬>を前帯にはさみ、装いも美しく遊郭内を練り歩いた」とある。

今年も辻町の町内会主催で開催。昔のように大々的にできない原因は「遊郭」。


踊っている人たちのウチナーカンプーとジーファーがいいですなあ。


2月18日金曜日: 後生の正月・正月十六日

旧暦1月16日、後生の正月
去年は「十六日祭(ジュールクニチー)」と紹介した。そしてこんな記事を書いた。

久米村:ポーポー(沖縄のお菓子)などを持って墓参りをする。
首里:墓参りする。一年間に不幸のあった家では、ミージュールクニチ、あるいはミーサという。
那覇:前の年に亡くなった家族の冥福を祈る。
天久:ミーサ。那覇に同じ。
小禄:ミーサー。那覇に同じ。昔は三年間毎年続けた。


つまらない記事である。今年はもう少しなんとか、と調べ始めたら、大変なことになって、どうやら今日中に書き終わることはなさそうだ。
2011年版の“この日何の日沖縄篇”について、2月2日の記事に「リアルタイムでアップできるのでは」と書いたばかりだというのに、たった3週間足らずでもう挫折した。
それどころではない。今年のトゥシビー(新暦1月3日、旧暦2月5日)も、旧暦12日のアマウェーダーも書きそびれている。

ともかく、なんだかんだと忙しいのだ。それなのに、こうまでしてブログを書く意味なんてあるのかな、とも思いつつ、続けている。まあ、もう少し頑張ってみよう。

“社長とは呼ばないで”にいたっては、1年以上も間が開いてしまったが、それもなんとか再開するつもりである。

後生の正月についても、こうなったらゆっくり書く。

【3月3日に追記】
まずは……
 ⇒「今年のトゥシビー」を追記しました。
 ⇒「今年のアマウェーダー」を追記しました。

そして……
『沖縄大百科事典』より

後生の正月:(グショーヌソーグヮチ)沖縄諸島では旧暦1月16日の〈正月十六日〉をいうことが多いが、本島北部の大宜味村では8月10日の柴差、八重山諸島では八月十五夜以降のシツィの祭りにも〈後生の正月〉という。正月十六日には一族そろって墓参りをし先祖供養をしたが、宮古諸島の狩俣ではこの日を〈正月の大祝い(ウフヨー)〉、池間島や伊良部島で〈正月の祝い(ユーイ)〉、また奄美の徳之島で15日の〈小正月〉の晩を先祖の〈年の夜〉(大晦日)とし、翌16日を〈親方祭り(ウヤホーマチリ)〉という例からすると、大正月以前の先祖の正月は小正月だったと思われる。柴差の日を一年中の行事の総括りといい、八重山諸島でシツィの初日を〈年の夜〉(年の晩とも)とよんで〈節振舞(シツィフルマイ〉を盛大にするのは、現世で祝いを怠ると死霊があの世の呪いに誘うため、村里に近づいてくると考えられているからである。この伝承に、収穫祭が生産年の変わり目の正月儀礼であり、死者儀礼ともする古代意識をうかがうことができよう。

正月十六日:祖霊供養の祭り。ジュールクニチーと称し、正月元旦がイチミ(生身)の正月であるのにたいし、グソー(後生)の正月であるといわれている。清明祭が盛んな那覇や沖縄本島中部では、過去1年に死者のでた家、いわゆるミーサ(新仏)の家だけが墓参りをするが、本島北部や宮古・八重山地方では、ミーサに関係なくそれぞれが所属する墓へ行って先祖供養をする。(中略)過去1年に死者の出たばあいを初十六日という。

そういえば、ななしん屋のママが「宮古には正月や清明祭(シーミー)より大切な“後生の正月”というものがあるんだよ」と言っていたっけ。
 ⇒2009年2月の沖縄の旅2日目の夜のこと
「宮古」のカテゴリーを作りたい、でも、きっと僕には、まだその資格はない。


宇夫方路女史の荷物持ちで霞ヶ関ビルへ。
会場は35階。
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1968年(昭和43)にオープンした日本最初の超高層ビル。36階建て。一般客が利用できるのは35階までである。当時、ずいぶん高いビルが出来たもんだと、わざわざ上りに来た記憶がある。今やこの程度では全くびっくりしないけれど。
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関東沖縄IT協議会の新年会だそうで。そこで、宇夫方さんがまた頼まれて踊ることになったそうで。去年の6月15日以来、2度目だそうで。

懇親会の前に講演会があった。中島セイジ氏という方の講演。花笠やら衣装やらを控え室に運び込み用無しになって暇な僕は、途中からだがそいつを聞かせていただくことにした。
なんだか遠い話しをしている。業務をマニュアル化して拡大していく大手企業に対する批判、その矛先はセブンイレブンなんかにも向かう。それだけ聞けば沖縄の人たちにも受けそうなハナシだが、何かが違う。そんなことでうまくいくのならば、もう少し沖縄にも生き生きした会社がたくさんあってもよさそうだが、そうはなっていない。
結局、登り方は違うが、登ろうとしている山に大差はない、そんな感じ。僕らが目の前にしている山は、それじゃあない。
関東沖縄IT協議会の会長である重田辰弥さんが、この講演について、ご自分のブログでこんなことを言っている。
「激烈な生き残り競争に喘いでいる我々零細企業の現実には俄かに首肯出来ない点、様々あるとは言え……」
首肯である。そういうふうに聞いていた人も結構いたんだろうなと思うのだが、中島さん、その感覚、分かるかなあ。

踊りのことは、琉球舞踊専用ブログで宇夫方女史本人が書くのかと思いきや、なんだか画像はこっちでアップしてちょうだいみたいなことになってる。
 ⇒M.A.P.琉球舞踊教室ブログのこの日の記事
しょうがねえなあ。でも碌な画像ねえよ。
ほら……
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四ツ竹だっけ。だって、殆ど誰も見ちゃいねえんだもん。
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鳩間節は少しテンポがいいから、四ツ竹よりはチラチラ眺める人もいたけれど。
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右手前の方が重田会長さんだが、やっぱり見てない?
玉城デニーさんとか瑞慶覧長敏さんとか、衆議員の議員さんもいたりして。
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佐藤忠男氏の祝賀会の時も思ったが、いったい皆さん、こういう催しに何を求めて来るのだろう、なんてね、自分のことを考えればわかりそうなもの。

もし、昨年の10月20日、新富町の“仲宮里”に行って、関東沖縄IT協議会副会長の今井恒子さんに偶然お会いすることがなければ、今日のこの日はなかったのかもしれないわけだし、きっとみんな、登山口を探している……

東京沖縄県人会および東京琉球舞踊協会の名誉会長の仲田清祐さんの奥様の仲田美智子さん(ここまで肩書きをご紹介する必要があるのかい?)もいらしていた。
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今日の会を仕切っていたスタッフの方々の打ち上げにお招きいただいた。僕は付き添い。だが、低い丘にさえ上がれずにいるM.A.P.にとっては、これからが本番か。
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僕の隣(右手前)にいらっしゃるのは東京沖縄県人会の副会長であり、東京沖縄県人会機関紙「おきなわの声」の編集長、金城驍(たけし)さんである。
実は金城さん、先月18日のM.A.P.沖縄関連サークル合同新年会に御主席くださるべく狛江の駅までいらしたとのこと。ところがメモを忘れて、結局そこから場所が分からずに帰られたのだとか。なんと残念なこと。

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皆さんと名刺交換などさせて頂いた。ほとんどが会社の社長さんである。でも名刺を見る限り、何をやっていらっしゃる会社なのか、チンプンカンプン。お互い様か。それにしても、IT関連の会社ってホントによく分からない。

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右の女性が副会長の今井恒子さんで、やっぱりフロッサという会社の社長さんである。石垣のご出身。

あらためて、関東沖縄経営・IT協議会の会長の重田辰弥さん。ご両親は奄美の方である。日本アドバンストシステム代表取締役会長はじめ役職多数。
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そのほかの初対面の方々まではとても御紹介できない。チンプンカンプンということもあるし。今日お会いした方々のうち、再会して御紹介できることになる方がいらっしゃるのかどうか。

霞ヶ関ビルを出ると、ビルの間から東京タワーが見えた。
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君はもうすぐ2番になっちゃうんだね。2番になると肩身が狭い?

「どうして2番じゃいけないんですか」
そういって総スカンを食らった女性がいたけれど、あまのじゃくな僕は、おっしゃるとおり、2番でも十分だと思っている。
日本のGNPは中国に抜かれて世界で3番になるらしい。いったい世界にはどのくらいの数の国があるのだろう。200位?


2月15日火曜日: 紺碧会のおみやげ

宇夫方女史は昨日に続きこの日もどこかへお出掛け。紺碧会とかいう泡盛関連の会合だったらしい。そしてずいぶん偉い方々と会ってきたらしい。
 ⇒http://mapryukyubuyou.ti-da…
それをなぜ琉球舞踊専用ブログに書いたのか、なにやらワケがあるらしいのだがよく分からない。
まあ、なんでもよろしい。こういう御土産をゲットしてきてくれるのならば。
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紺碧色の瓶に入った紺碧という銘柄の泡盛。
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紺碧会と金武町のタコスの関係はよくわかりません。
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746って何だ?

25年も続いているのか。
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だめだ、オイラ行ってないから、この記事書けません。
(高山正樹)
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今日はバレンタインデー。M.A.P.の西岡さんが、手作りお菓子を作ってきてくださった。
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本日、宇夫方女史は誰かの代理でどっかにお出掛け。
 ⇒http://mapryukyubuyou.ti-da…

ところで、琉球舞踊に“松竹梅鶴亀”というなんとも欲張りな演目があるそうで、頭に松・竹・梅・鶴・亀の被り物を乗っけて踊るんだとか。最低5人。松・竹・梅・鶴・鶴・亀・亀で7人の場合もあり。松・松・竹・竹・梅・鶴・鶴・亀・亀だと9人。松・松・松・竹・竹・竹・梅・鶴・鶴・亀・亀で11人。いったい何処まで増やせるのだろう。何故か梅は必ず一人。何だか想像しただけで笑えるが、決して笑わす踊りではないらしい。
因みに宇夫方女史の初舞台は痩せていたので鶴だった。今なら亀か。

高山正樹はお昼にツルツルっとカップ沖縄ソバを食べました。
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そして、この日の宇夫方さんが、出席した会合で貰ってきた御土産はこれ。
田芋のドラ焼き
ドラえもんの好物。バレンタインとは無関係。単なる日常。

沖縄の“オバー”の、カメー攻撃って知ってますか?
(※ウチナーグチで「カメー」とは「食べなさい」の意)

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その頃、カミサンは杉並公会堂にいた。

八重山古典民謡保存会関東支部
設立三十周年記念公演
大濱安伴生誕百年記念公演

「どうだった」
「なんもわからんかったさ」

一昨年の11月の“八重山芸能 あやぱに会”の時と全く同じ感想だ。沖縄語を話す会で仕入れてくるウチナーグチの昔話を、僕が殆ど意味を理解しないまま読んでも、それを聞いてケラケラと笑うカミサンなのだが、八重山の言葉は全くチンプンカンプンらしい。

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今度の“狛江市中央公民館”のつどいで、我々三線教室のメンバーは、定番の新“安里屋ゆんた”と、この竹富島の正調“安里屋ゆんた”の両方を演る。
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八重山地方には、大和にも沖縄にもない音韻があって、こいつがまた難しいのだ。
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「八重山古典民謡保存会」といえば、いつか代田橋の“たきどぅん”で公演の打ち合わせをやっている時に居合わせたよなあ。
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確か、この支部長さんは、たけみママのお兄さんだったはず、と、昔の記事を探してみた。あったあった。
 ⇒八重山古典民謡保存会の皆様(画像再掲)
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ね、オイラの向こう隣で何故かソッポを向いているのが東玉盛靖修さんだ。
おや?、この画像の右側一番手前の美しい女性、どこかで見たような、ああ、もしかして、亘さんの“やいま”でのライブの時、ゲストで歌った女性じゃないかいな。
さっそく“やいま”で貰った名刺を出してきて確かめた。それからそのお名前を、この日のプログラムに探した。
するとほら、ありました!宮薗あき子さん。
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そうか、“やいま”で歌う姿を見て、どこかでお会いしたような気がしたのだけれど、それが“たきどぅん”だったんだ。あー、すっきりした。

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2月12日土曜日: 古鎌倉街道の中道の支道

二本担いでいくのはちょっと無理だな。
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詰日が刻印されていないほうが古いのかもしれないが……
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詰日が表示されているほうにしよう。じゃないと、古いことがわからないからね。
記録がないと、誰も信じない。
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2005年9月1日か。泡盛は瓶熟成するからね。5年ものの酒(クースー)だ。ずっと本部の暗い戸棚の中に置いてあったから、きっといい状態で熟しているに違いない。

喜多見の事務所で少し仕事をして、自転車で阿佐ヶ谷に向かう。と、すぐに雪が降ってきた。失敗したかな。
北上して国道20号(甲州街道)に出る。新宿方面に走り、上北沢から左に曲がるのだが、そこにこんな看板があった。地図調査用語で言えば交差点名板である。
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後で調べたら、鎌倉街道の中道の支道らしい。この南は、世田谷区を突っ切って、祖師ヶ谷大蔵から喜多見の南側を回るようにして登戸へと続いている。機会があれば、地図でも携えて歩いてみるか。

石橋山の合戦に破れ安房国に逃れていた源頼朝が、やがて味方を増やして武蔵を窺う。いよいよ畠山重忠らを味方につけ、武蔵の国を通って鎌倉入りする。記録には残っていないが、稲毛三郎重成も、従兄弟の重忠と共にその中にいたに違いない。その折に通った道がここだという説もあるらしいが真偽は定かでない。

ここから1km足らずのところに神田川が流れていて、架かる橋の名が鎌倉橋であった。
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当時の古い道筋と今のこの商店街とは位置が違うのかもしれないが、歴史などというものを学ぶと、なんでもないこんな道からも、古(いにしえ)の匂いを感じようとしている素直な自分がいて不思議だ。
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時の支配者が残した記録から抹消された真実……

鎌倉道は途中から東へ、中野の方角へ抜けていく。ボクはそれと分かれてまっすぐに北へ向かう。

今日はこれから、阿佐ヶ谷でMHKの会合なのである。

旧暦1月7日、七日の祝(ナンカヌスク)
久米村:ナンカノシュク。七草雑炊(ナナクサジューシー)を霊前に供える。
首里:七日の節供(ナンカヌスク)といって雑炊(七日粥)と酢の物を供える。
那覇:七日祝(ナンカヌスク)である。七草を入れた雑炊をご霊前に供える。
(※那覇の項を担当執筆した方は、子供の頃経済的な理由でやらなくなったそうである。)
真和志:七日(ナンカ)の祝(シュクー)。年の夜(ユルー)に飾った、仏壇、神棚、床、火の神、および門の芯松(シンマーチー)、色紙など一切を取り下げる。晩に、御仏壇に雑炊飯を供える。
小禄:豚のコー引きといって豚小屋を拝みに行く。
(以上すべて『那覇市史』資料篇より)

『沖縄大百科事典』では……
七日節句(なのかのせっく)
【奄美】〈ナンカンセク〉という。奄美諸島では、床の間、先祖棚などに飾ってあった供え物を下げて雑炊(七草がゆ)を作って食べる。また地域によっては、この日に天から鬼が降りてくるとか、正月料理を食べて肥満した人間を、夜、鬼が食べにくるとかいう伝承があり、雨戸をたたいたり、鉄砲を天に向かって撃ったり、ホラ貝を吹きたてたりして、村中いっせいに騒ぎたてた。
【沖縄】〈ナンカヌシュク〉という。各家夕食時に火の神、仏壇に雑炊、汁を供える。地域により祈願目的に相違があり、折目であることを報告するだけ(与那原町板良敷)、豊作を乞う(石川市)、正月豚の初七日でその厄を払う(本部町備瀬)など。七日の祝いの料理は豚肉雑炊を供えるところが多いが、那覇市久米村のように七草雑炊というところもある。竹富島ではこの日を後生(グショー)の正月だとして墓地へいくのを忌む。読谷村宇座那覇市泊与那城村伊計のように、この日に正月飾りを取り払うところもある。

たぶん、これごく一部です。はあ、もう大変。
これが沖縄なのです。

今晩は“ゆんたくの会(沖縄語を話す会)”です。勉強しているのは首里の言葉です。那覇の言葉とはニアリーイコールです。ヤンバル(沖縄本島中部)とは…… 勉強不足でよくわかりません。
これが沖縄なのです。


丸屋さんのカテゴリを作ったからというわけではないのですが、今日もお昼は丸屋さん。それも何故かまたカレー系。
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メンチカツカレーです。

しかし、この記事、必要か?
丸屋さん、いつもお客さんいっぱいだから、宣伝の必要もないし。

【3月3日に追記】
今日は今年の初牛(旧暦1月6日)です。
だから今日はアマウェーダー
正月初午の日、田植えのはじめにアマウェーダーを歌って五穀豊穣を祈願します。
南城市玉城字百名にある受水走水(ウキンジュハインジュ)は、沖縄の稲作発祥の地とされていて、その親田(ウェーダ)では今もこの行事が行われているようです。
南城市のホームページによると、今年も行われたようです。
 ⇒受水・走水で親田御願(ウェーダウガン)
ホームページでは今日の様子が報告されていました。
稲を運んだツルが落ちたとされる場所などで拝みを行ったあと、3人の男性が親田で田植え。
その後、祝毛(ユーエーモー)と呼ばれる場所に移動し、東西南北に向かって拝しました。
祝毛では参加した住民が「エー アマウェーダーヨー 米ヌ湧上ユイ」と、稲作の発祥や米作りの行程を歌った「天親田のクェーナ」を歌いながらお供え物や神酒を楽しみました。


これで今日の記事が整いました(?)。

去年の12月24日の朝のニュースだった。
ヘリパッド建設工事が再開された翌日の23日夜、沖縄東村高江区の最も集落に近い建設予定地の傍に設置された反対派テントが、米軍ヘリコプターのホバリングによって一部損壊されたという小さな報道。
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写されたこの椅子は、まさに僕らがあの日の高江で座った椅子ではないか。
7月17日の記事の画像再掲)
あの日のテント

僕は即日そのことをブログに書こうと思ったのだが、前日の工事再開を伝えずに、この日、自分が座った椅子が倒れている画像を見つけて、いいネタがあったなどと喜んでいるような気がして、記事にすることはやめにした。

その日の午前9時半、沖縄防衛局は、工事着工に向けての環境調査を始める。反対派住民は強く抗議、午前11時15分に作業は打ち切られた。

29日、在沖米海兵隊報道部は23日夜の「事件」について、「ヘリはテント上空でホバリングしていない」という見解を発表した。 

今年は、新暦の2月3日が旧正月であった。それから数日間、沖縄から何枚もの年賀状が届く。つまり、沖縄ではまだまだ旧正月が生きているのだ。その元日の午前10時26分、沖縄防衛局の職員と作業員約60人が、テントの壊された「集落に最も近い建設予定地」で、磁気探査や伐採作業を始めたのである。

ここ3日間くらい、ずっと自宅の近くの書斎で仕事をしているのだが、昼間時計代わりにつけているテレビから、沖縄の名護にいる斉藤祐樹の情報が、連日大量に流れ出てくる。ある人の情報によると、プロ野球のキャンプが始まると、沖縄ではテレビカメラが不足するらしい。きっと今年は「祐ちゃんフィーバー」で尚更だろう。
そして、カメラのないこの機会に乗じて、高江の作業が大規模になっていく。

高江は名護から車を飛ばせば1時間もかからない。しかし斉藤祐樹に張り付くカメラのうち、たった一台すら高江に向けられることはない。つまり、斉藤祐樹を追いかける報道陣とやらの中には、高江を伝えようとするジャーナリストがひとりもいないということなのか。

沖縄語を話す会の富久さんは、「今、高江が大変なことになっていますから」といって、沖縄へ向かった。

僕も、どうしても、書かずにはいられなくなった。
斉藤祐樹に、何一つ悪いところなどないことはよく分かっている。しかし僕は、この先何年か、彼を応援する気にはきっとなれないであろう。


旧暦1月4日、ヒヌカンウンケー(火神加那志の下天)
前年の12月24日に天に昇った火の神加那志(かまどの神)が再び降臨してくる日。かまどの神にお供えをする。『那覇市史』資料編に拠る。「小禄」には記述なし。

『沖縄大百科事典』火の神(ヒヌカン)の項によると「元来〈かまど〉そのものを拝したのであるが、やがてかまどをかたどった3個の石に変わる」とある。また「沖縄諸島に仏壇が登場したのは後世のことで、それ以前、家庭を守る神は火の神であった。したがって、家庭に吉凶のあるときは、火の神を拝した。現在でも、家庭における重要なできごとは、最初に火の神、つぎに仏壇を拝する順序をとっている」。

昨年の記事、殆ど其のママ。
只今午前0時。自動的にアップする設定。さてヒヌカンウンケーは何時頃降りて来るものなのだろうか。


2月 5日土曜日: 今日は“三日の祝”です

旧暦1月3日、三日の祝
「ミッカ」だったり「ミッチャ」だったり、「シュク」だったり「シュクー」だったり「シク」だったり。わけわからん。首里の場合。「ミッチャヌシク」一般農家は午後仕事を休む。昔、国王の初行事があったらしい。
以上は去年の記述です。

芸が無いので『那覇市史』資料編からもう少し詳しく拾ってみる。
※印は高山正樹のコメント
●久米村(クニンダ):「ミッカノシュク」(三日の節供)
夕食の膳を霊前に供する。
※「ミッカヌ~」が正しいのでは?
●首里:「ミッチャヌシク」(三日の節供)
一般農家は朝のひととき、田畑を廻って午後は仕事を休む。
※首里の仕事始めは優雅に一日遅れって感じ?
●那覇:(記述なし)※商業の町だってこと?
●真和志(天久):三日の祝(シュクー)
御仏壇にお昼の御膳を供える。午前は畑に出て農作業を営み、午後から、親戚の御仏壇を拝んで巡る。
※この微妙な違い……
●小禄村:初ウクシ・初バル
暮れに飾った農機具をおがんで下ろす。昔はごちそうを準備して、畑におがみに行った。
※たぶん、もっとたくさんのバリエーションがあるんだろうなあ……

【3月3日追記】
今年も忘れてました。今年はウサギ年。そして今日は旧暦で今年初めてのウサギ。従って今日は……
(今年の)トゥシビー
 ⇒去年のトゥシビー
 ⇒【トゥシビー】についての説明


旧暦1月2日、ハチウクシー
(参考:『那覇市史』資料編第2巻中の7)
ハチウクシー(初興し)。要するに仕事始め。小禄では3日。久米村では書初めをする。首里は那覇市史に記述なくてわからない。
それから初拝み。これは小禄でも同じ。

(※ここまでは昨年の記事をコピペ)

『沖縄大百科事典』によると……
初起し はつおこし(ハチウクシー):年頭におこなう仕事始めの儀礼。正月2日か3日に仕事を手がけるまねをする。農家では〈ハチバル〉(初の畑仕事)といい、畑を3度鍬で掘り起こしたり、畑の見回りをして朝のうちに切り上げる。(中略)漁民は〈舟起し〉として、サバニに供物をしたり、鰹船などでは、大漁旗を掲げ、船霊に年間の安全、豊漁祈願をして祝う。大工は鋸の目立てをする。どの職業も本格的な仕事始めは初起しの翌日である。

もうひとつ。
マドゥトゥシビー
『沖縄大百科事典』によると、首里・那覇の還暦を過ぎた人は、今日から2月15日(つまり旧暦の1月13日)の間の、自分と同じ干支の日に小宴を開くのだそうです。それを「マドゥトゥシビー」という。

今年の旧暦1月は(括弧内は新暦)……
1月2日(2月4日)寅
1月3日(2月5日)卯(今年のトゥシビー)
1月4日(2月6日)辰
1月5日(2月7日)巳
1月6日(2月8日)午
1月7日(2月9日)未
1月8日(2月10日)申
1月9日(2月11日)酉
1月10日(2月12日)戌
1月11日(2月13日)亥
1月12日(2月14日)子
1月13日(2月15日)丑

これについては、まずトゥシビーのシステムを理解していないと分かりにくいですね。トゥシビーについては、去年の記事をお読みください。
 ⇒【トゥシビー】のこと

要するに、60歳以下の人は、自分の干支と同じ干支の年の、旧暦の正月2日から13日までの間の自分の干支と同じ日にトゥシビーの祝宴を開く、けれども60歳を過ぎたら、自分の干支と同じ干支の年だけではなく、毎年正月、自分の干支の日にお祝いをする、それをマドゥトゥシビーという、というわけです。

『沖縄語辞典』によると、「マドゥ(madu)」は「隙間」のこと。また「平素」「不断」「ふつうの時」という意味もあります。つまり本来の「トゥシビー」の合い間であっても、お年寄りに対しては、平素からいつも敬いましょう、といったところでしょうか。

こんな調子で“この日何の日沖縄篇”アップしていきます。
というわけで、“この日何の日沖縄篇2011年版”というサブカテゴリを作りました。

さて、隙間なしに、途絶えることなくアップできるかなあ、やっぱり不安。

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旧暦の1月1日
沖縄の正月は、まずは若水(ワカウビー:元日に最初に使用する水)を井戸から汲んできて火の神のお供えをします。
※『那覇市史』によると、イチミ(現世)がグソウ(後生)を供養する「お盆」に対し、「正月」はその「お盆」の返礼として死者が現世の者を招く月だという。(「久米村の一年」より) しかし、あの世にはあんまり招かれたくない。だから現世の人は「折角のお招きですが、こちらにもこんなに御馳走があるので、お招きは謹んで御辞退申し上げます」という意味を込めて、たくさんお供え物をするらしい。

へーそうなんだなんて、まるで異国の文化みたいに言わぬこと。「若水」は昔の大和にもあった風習なのですから。
どうやら大和では、どんどんとあの世とこの世が離れていくらしい。

さて、沖縄での新年の御挨拶。
「いー正月でーびる、若年わかわかーとぅ、うとぅんしぇーびてぃー」
※因みに「いー正月」の「い」は声門破裂音[?i]ではありません。破裂しない「い」、つまり['i]です。新沖縄文字では「い゛」と書きます。ああ、中断している「沖縄語音韻講座」を、早く再開しなくちゃいけないなあ。

沖縄では、お正月になると「またひとつ若くなりましたね」と挨拶する。だって「年を取る」んだから、年は少なくなるというわけ。これが長生きの秘訣でしょうか。

もうひとつ。今日は……
新暦の2月3日、ニンジンの日なのです。
2005年、糸満市において、沖縄県産ニンジンの消費拡大を目的に2月3日が「ニンジンの日」に制定されたました。「人参」のゴロ合わせです。

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今日は旧暦の12月30日、年の夜(トゥシヌユル)です。
一年の終わりの日。“この日何の日沖縄篇”の2010年版は、結局、一年半ばで頓挫。そこで改めて“この日何の日沖縄篇”の2011版を、明日から始めようと思っております。基本的には“2010”の記事をコピペしてインチキしますから、なんとかリアルタイムでアップできるのではないかなと楽観視しているのですが、はたしてどうなることやら、われながら見ものですな。

で、今日の年の夜ですが、まだ旧暦2010年です。つまり2010年版の「この日何の日~」はすでに頓挫しているわけですから、「トゥシヌユル」の説明は来年2011年版の最後の日までお預けであります。

つまり本日は……
“この日何の日沖縄篇2011”が明日から始まるぞ!
という告知でした。あはは……

ああ、来年は大丈夫かな、ちょっと不安?

昨年末からM.A.P.で販売している2011年版の手帳です。
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よろしければ、まだ売ってますよ。(在庫あと2冊くらいです。)
 ⇒楽天市場“沖縄map”「沖縄リゾートダイアリー」のページ


高山正樹 Masaki Takayama
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