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7月31日日曜日: 中の町社交街の朝

《7月31日(日)-1》
あの大震災から143日目……
当然、このビルは与座さんの持ち物。一階のテナントには居酒屋が入っている。
二階はまだ営業はしていないようだったが、与座さんが自分の趣味で作った居酒屋とコヒーショップ。
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「行列のできないコーヒーショップをやるんですよ」

羨ましい限りである。

そして三階への入り口。
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「え?あんなところに……」
と、奥様が呟いた場所。でも奥様は一度もここに来たことがないのだと与座さんはおっしゃっていたが、その真偽は不明。
では、ちょっとだけ……
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午前8時30分。寝不足ではあるが、一回目の開演が11時だから、ゆっくりはしていられない。表に出れば太陽が眩しい。
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中の町社交街。決して賑っているというわけではないが、キジムナーフェスタが開催されているパークアベニュー周辺ほど萎びてはいない。違う文化圏だと感じる。キジムナーフェスタに対しても、どこか白けている。
でも琉球舞踊の稽古場だけはしっかりとある。
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なるほど、考えた名前だな。
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“いちゃりばちょーでー”
会えばみんな兄弟。確かにね、しかし、兄弟は他人の始まりでもあるわけで。沖縄での相手との距離感は、なかなか大和の人間には計れないところがある。ずっと馴れ合いで緊張感なく接していると、時々大きな落とし穴に嵌ることになる。きっとお互い様なのだろうけれど、違和感が微妙であればあるほど、こちら側の気持ちしかわからぬものだ。ともかく、行き過ぎた甘えは禁物である。

町に雇われているのか有志なのか、夜の生ゴミの山は、朝のうちに比較的年配の女性たちによってすっかりきれいに片付けられていた。
客待ちのタクシーがたくさん停まっていた。
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運転手さんとは、なるべく目を合わさないようにする。兄弟になっているヒマはないから。しかし、我々の他に人は殆どいない。もしかすると、これからみんな起き出してくるのか。あるいは、この町の夜は、閉ざされた店の扉の奥で、まだ終わっていないのか、きっとそうに違いないと思うことにした。

(昨夜撮影した画像だが……)
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昨夜、与座さんに教えてもらった24時間営業の惣菜屋さん。そこで朝食を仕入れることにした。
null null ポーク玉子のおにぎり

沖縄の人は歩かない。中の町からパークアベニューまで歩くなんて言ったら間違いなく「アキサミヨー」と言われる。
やっぱり、僕らの他には、ひとっこひとり歩いてなんかいなかった。
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この歩道、無駄に広い……


《7月30日(土)-2》
山猫一族を名護の小屋に残して、僕は一足先に山を下りた。
そして鈴木雄介夫妻と待ち合わせている基地のフリーマーケットへ。

キョンプコートニーは小さな基地。
でも広い。
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ここでは第2・4・5の土日にフリーマーケットが開催される。バーベキューだとか、米軍ならではのグッズとか、そんな店も並んで、人がごった返しているのかと期待していたのだが、なんのことはない、古着だらけのしょぼいマーケットであった。
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大きな基地も、同じようなものらしい。

いったい、何から何を守っているのか。
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ここは金網の中。
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じゃあ後ほど、コザの特設会場で待ってるさ。
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《7月29日(金)-2》
キジムナーフェスタの特設会場(1)で、“チョンダラーの歌”の最後のリハーサルをしている頃、鈴木雄介は那覇にある世界遺産の識名園を訪れていたらしい。

実は一昨日の27日、鈴木夫妻と識名園の入り口まで行ったのだが、残念ながら定休日だった。どうも小生、識名園に縁がないらしい。いつ行っても何故か定休日の水曜日なのである。M.A.P.after5では2009年の2月4日の水曜日に門の画像だけアップした。

今回、鈴木雄介氏から識名園の中の画像が届いたので、ご紹介しよう。
識名園1 識名園2 識名園3 識名園4 識名園5

もう識名園の定休日が水曜だということは忘れない。いずれ訪れて、M.A.P.after5的記事を書こうと思う。ただ、それまでM.A.P.の息が続いていればのハナシだが。

そして鈴木雄介氏から届いたもう2枚の画像。
コザの街にある照屋林助三線店“てるりん”。
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そこで鈴木雄介が聞いたコザの町こと。家賃を払っている店はみんな閉めてしまった、家賃を払ってなお利益の上がる街ではなくなってしまったというハナシ。

確かに、中央パークアベニューの周辺は、シャッターを閉めた店だらけである。よくも悪くも、たくさんのアメリカ兵が闊歩していた頃とは比べものにならない。

※数日後、ある方からは、この街の衰退の原因は、米軍基地の縮小ではなく、大和と御同様、大型郊外店出店の影響だと伺った。それが本土資本なのかどうかはわからないが。

でも、この町を一見してゴーストタウンと呼ぶとしたら、きっとその人は、コザの何かを見落としている。確かにシャッター街であることに間違いはないのだが、「内地」の地方都市のそれとは何かが違う。
ここコザのシャッター街の中にも、かつてのコザの匂いを保っているような店が点在していて、そこは宇宙ステーションのように活気があるのである。
「家賃を払っている店はみんな閉めた」というが、ほんとうにそうなのだろうかと僕は思う。ところどころにある元気な店が、全て家賃を払っていないとは、どうも思えない。

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どうやらコザは、まだ死んではいない、しっかりと息づいている、と、僕は感じている。
だが、その確証を語るには、僕はまだまだコザの街を知らない。

【おまけ】
ちょうど2年前のパークアベニューを見つけました。途中、痩せた猫が二匹。それからチャーリー多幸寿、そして最後は去年のメイン会場だったコリンザまで。


※因みに、コリンザは40億円近い負債を抱え清算、はたして今後どうなることやら。今回コリンザ3階のあしびなー劇場以外をキジムナーフェスタで使えなかったのは、たくさんの債権者全てから合意を得ることが困難だったということらしい。芝居なんかに貸すなんてもってのほかだという人もいるのだとか。その結果、得られるはずの収益も得られず、コリンザはコザの街にムダに凛(リン)と立っている。そのかわり、コザの街に数多くある空き店舗の中から、劇場として使えそうなところを、オーナーに賃料を払って特設会場として使用することとなった。コザの街復活のためなら賃料不要、街の人たちがそんなふうに協力してくれれば何かが変わるとも思うが、コリンザの状況を見ればあり得ないことか。


7月29日金曜日: チョンダラーの朝

《7月29日(金)-1》
あの大震災から141日目……
お午前3時半。那覇空港へ宇夫方路を迎えに行き、そのまま沖縄市へ向かう。
沖縄市の手前のマクドナルドに入り、今日本番の“チョンダラーの歌”の構成台本を仕上げる。宇夫方女史は熟睡中。

やがて空が白みだす。
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そうして本番。だけれども、そいつはやっぱり別の記事にしよう。
どんなお方がお読みになるかわからないから……


《7月23日(土)-2》

【この日呟いたこと】
11:06
アイルランドにフィドルという楽器があることを今朝のBSで知った。バイオリンと全く同じ楽器だが奏法は沖縄の三線の早弾きにものすごく似ている。
まるで打楽器。似ているのは奏法だけではない。人々と音楽の濃密な関係。いずれブログに書く。これから沖縄に向かいます。戻りは8月6日の予定。


あの大震災から135日目……
富士山か……。
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僕は、一度も富士を美しいと思ったことがなかった。だが、太宰治の富獄百景を読んで以来しばらくの間、富士を見つけると、真剣に眺めてみるようになっていた。何故だが今日はそんなことを、太宰の言葉とともに思い出した。

「実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり、東西、百二十四度、南北は百十七度、決して、秀抜の、すらと高い山ではない」
「ふと、この山を見つけても、そんなに驚嘆しないだらう。ニツポンのフジヤマを、あらかじめ憧(あこが)れてゐるからこそ、ワンダフルなのであつて、さうでなくて、そのやうな俗な宣伝を、一さい知らず、素朴な、純粋の、うつろな心に、果して、どれだけ訴へ得るか、そのことになると、多少、心細い山である」

沖縄への飛行機、熟睡しているのが常なのだが、この日は起きていた。昼の便ということもあるが、どうしても沖縄へ着く前に読み終えておきたいものがあったのだ。
大城立裕氏の新作「普天間よ」。
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 ⇒毎日新聞に掲載された「普天間よ」のこと
 ⇒朝日新聞に掲載された「普天間よ」のこと
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胸が熱くなった。何故か…、説明し難い。いずれ、言葉が見つかれば、その時に別途記事にて書く。

カミサンの実家。
着けばまず、沖縄タイムスに目を通す。「普天間よ」のことが、大きく取り上げられていた。
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「沖縄の心 ゆるがぬ深さ」
そりゃそうなのだが……
それから、今日からキジムナーフェスタが始まったという記事も。
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といって、特にそれらのことを話題にすることも無く……
虚ろな「深さ」に戸惑っている暇もなく、オリオンビールは夏バージョンなのだ。
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7月11日月曜日: フラフープ教室?

東日本大震災から123日目……
【宇夫方路の沖縄報告】
7月9日、12時50分のスカイマークで沖縄に到着。まずホテルにチェックインをして、そのまま家元の稽古場に向かいました。関りえ子研究所から今年コンクールに出るのは2人、関優子さんが優秀賞に、久手堅鮎子さんが新人賞に挑戦します。
10日の午前中、喜納の会で琉球新報ホールを借りて、受験生みんなで舞台稽古をしました。私はそのお手伝いをするために沖縄に来たのです。

ところで、家元の伊波正江先生、先月の6月4日の公演のときよりも痩せたみたい。どうしたんですか?と伺ったら、今沖縄ではフラフープがはやっているんですって。中村志津子先生もそれで痩せているらしい。
そこで私も!と、稽古の合間に挑戦してみました。
私と関りえ子先生は初体験ですが、関優子さんと久手堅鮎子さんは「なつかしい!」だって。微妙な歳の差?

では、私の師匠、関りえ子フラフープ初体験の模様です。
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(宇夫方路)


コメントしようのない報告だなあ。こんなことなら琉球舞踊教室よりフラフープ教室のほうが流行るんじゃないか、というか、琉球舞踊って、そんな楽なわけ?
(高山正樹)
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東日本大震災から119日目……

台湾は国家ではないため、日本政府が外国人留学生に対して支給している東日本大震災の補助金を、台湾の留学生は受け取る資格がないとして、学校側から支給を拒否されたというニュースがあった。

【そこで呟いた】
16:18
日本の役人とルール、鄭ちゃん、こんな国でごめんね


鄭ちゃんとは台湾から照明の勉強をしに日本へやってきて、今龍前照明で頑張って働いている子のことである。

先月の毎日新聞に続いて、朝日新聞にも「普天間よ」について大城立裕氏へのインタビュー記事が掲載された。

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大城さんはこんなふうに答えている。

「私は小説に政治問題を取り入れるのは好きではありません。政治的に描くのではなく、沖縄人のアイデンティティーを奪還できるかどうかというテーマで象徴的に描けないかと考えた。基地問題の本質は、奪われた土地を取り戻したいという沖縄人のアイデンティティーです。基地にされた土地には、もともと人間がいた。人が生き、生活を営み、歴史を紡いできた。土地にはその記憶が染みついている。我々沖縄人はそこに生きているというアイデンティティーを奪還するのだ、という思いを書いたつもりです」

重要なのは、大城さんが政治を作品に持ち込まないということではない。基地問題は政治問題ではなく、沖縄人のアイデンティティーの問題だと言っていることだ。大和にとっての沖縄の基地問題も、実は政治問題などではなく、沖縄の人々のアイデンティティーを踏みにじっている加害性のことなのだという自覚が、大和の人間にどれほどあるだろうか。

「琉球舞踊は沖縄の代表的な文化、いわば魂です。ヘリの爆音に伴奏の音曲はかき消されてしまうが、それでも主人公は踊り続ける。そしてヘリが飛び去り、再び音曲が聞こえてくると、踊りはぴったりと音曲に合って終わる。基地の重圧に琉球文化は負けない、との思いを込めました。沖縄人の基地への抵抗、闘いは粘り強く続く、との希望の表明でもあります」

例えば宇夫方路が、そんな意識を持って踊っているとは思えない。沖縄の琉球舞踊の先生方も同じであろう。ただ、外側から沖縄舞踊を見つめていると、確かにその背景に「政治的」な沖縄の歴史が見えてくる。
ほんの30年くらい前まで、日本もまた同じであった。今の日本の表現者の多くが、あらゆる政治的なものから自由でいられると信じているらしいのだが、しかしもしかするとそれは錯覚であって、やがて痛烈にそれを思い知らされる日が来ることになのかもしれない。

【そんなことを思いながら呟いた】
16:36
拝啓、大城先生。ぼくツイートしました。7人目です。たった。今月お伺いします。台風とお葬式がなければですが。/いま沖縄から考える。大城立裕さんに聞く/朝日新聞


すると、「台湾人留学生への震災補助金を拒否」はガセネタだというニュース。台湾の主要誌「自由時報」の誤報か、栃木県宇都宮市にある大学事務の誤解に基づく不幸だという。

【それでも僕は呟いた】
17:21
だそうです。中国メディアの環球時報が「台湾のNOWnewsによると」と報じたんだとか。でも鄭ちゃんに向けた「こんな国でごめんね」はそのままにしておこう。


さらにある方から情報を頂いた。どうやらガセネタというわけでもないらしい。日本と台湾は国交がないため国費留学がない。国費留学でないと震災補助金が貰えないのだというのである。詳しいことは分からない。ただ杓子定規の官僚的顔つきをした日本人の顔が浮かんでくる。

支援物資を被災地に上空から落下させて届けた米軍に対し、ルール違反だとクレームをつけた日本の馬鹿官僚に向かって、「重くて飛行に危険をきたしたから落としたのだ」と答えたとされるエピソード。なんだか映画のような出来すぎた話にも思えるが、ありそうなことだ。
しかし、その米軍の一部の兵隊が、沖縄で無茶苦茶なことをする。アメリカはたとえ犯罪者であっても自国民をかばう。しかし……

拝啓、大城立裕先生。日本の官僚たちは、沖縄の人々を自国民とみなしていないのでしょうか。今度、お会いできる日を、心から楽しみにしています。



【追伸】
「普天間よ」のことが新聞に大きく掲載されたので、宇夫方女史の父上、隆士氏が大城さんに手紙を送りました。数日後、大城さんからお返事が来ました。それには、この「普天間よ」を最後に、小説はもう書かないつもりである旨のことが書かれていました。


《7月2日26時》
東日本大震災から115日目になる。
広告掲載のお礼に“忠兵衛”へ。
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「とうがん煮たのあるけど食べる?」
「食べる食べる」
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絶品。だけど画像はピンボケ。次来た時もあるかなあ……

しかし、こんな時間に、こんなに食ってどうするんだよ……

健康ゲームどこへやら。

※(7月18日に追記)
放射線のことがなんとなく引っかかって、外を歩いたり走ったり自転車乗ったりする気にずっとならなかったのです。現時点では、福島第1原発事故で東京に降り注いだ放射性物質のセシウム137の量は、雨の降った3月21日の朝から翌日の朝までの24時間だけで、1960年代の前半まで大気圏内で核実験が行われていた時期に降っていた1年間の放射性物質の3倍近く、というデータが、ほぼ信用の置けるものなのではないかと思っています。それが安全なのかどうなのか、それは全くわかりません。
1957年頃に生まれた日本人(つまりまさに僕らの年代ですが)には癌が多く、その原因が核実験であるという研究もあるらしい。僕も30代という若さで腎臓ガンに侵されました。若い頃の喫煙と発症した頃のストレスと、そして子供の頃に浴びた放射線と、いったいどれがガンの一番大きな原因だったのか、どうも放射線ではなさそうですが、もしかしたら放射線を浴びていなければ、喫煙と精神的なストレスを乗り越えることができたのかもしれないと思わぬわけでもありません。

でも、ボチボチまた健康ゲームを再開しましょう。現在の東京あたりでの放射線が、この歳の僕の体に影響を及ぼすことは殆どないでしょう。それを気にするより健康ゲームを再開するほうがずっと寿命が延びることは間違いないから。別に長生きをしたいわけではないのですが、フーフーしながら生き続けるのは辛いもんなあ。



7月 2日土曜日: 630の講演会で

《7月2日(土)-1》
東日本大震災から114日目。

今日は大崎の沖縄語を話す会恒例の夏の宴の日。
 ⇒2009年7月4日の夏の宴
去年の夏の宴は知人の結婚式で出られず、今年は是非にと思っていたのだが、急遽思わぬオファーがあって、夏の宴の方を失礼することにした。

※後で聞いたことだが、今年の夏の宴には藤木勇人さんが来たとのこと。しょうがない。体はひとつしかないからね。しかし残念。
 ⇒藤木勇人さんとウチナーグチの話

オファーしてくださったのは“ゆんたくの会”の日高さん。
630事件を忘れてはいけないという講演会で琉球舞踊を踊ってくれないかとのことであった。講師は去年と同じ、あの牛島満中将の御子息の牛島貞満さんである。
 ⇒去年の講演会の記事
 ⇒630宮森小学校米軍ジェット機墜落事件のこと
 ⇒「慰霊の日」と牛島満中将のこと

沖縄戦や沖縄の基地問題などの市民運動に参加する「内地」の方々は、総じて琉球舞踊のような今の現実の沖縄の文化にはあまり興味を持っていない。僕は常々、それでは沖縄の諸問題も、その表層しか見えないのではないかと思っていた。

※逆に、大崎の沖縄語を話す会(ウチナーンチュが7割くらい)で基地問題が話されることは殆どない。例えば東京沖縄県人会では基地の話はタブーだとも聞いたことがある。

いい機会である。日高さんに感謝して、どうせなら三線もやるかということで参加した。
会場は明治大学のリバティーホールの教室。踊りの様子と三線演奏の様子はそれぞれの専用ブログにてご覧あれ。
 ⇒琉球舞踊の専用ブログ記事
 ⇒三線教室の専用ブログ記事

そのあと、牛島貞満さんの講演。
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1959年の6月30日の17名の命を奪った米軍ジェット戦闘機の宮森小学校墜落事件も、沖縄でさえ風化しつつあるという。しかし、と僕は思う。沖縄戦で命を落とした住人(軍人を含まない)は10数万人を越える。これがいかに異常な数であるか、沖縄という小さな県だけで、今度の震災での死亡者行方不明者3万人の数倍の人が、天災ではなく、人の手によって殺されたのだということを想像すれば、実に空恐ろしくなる。そして終戦後も、さらには日本に復帰した後も、次々と繰り返される基地がらみの事件。宮森小学校墜落事件がどんなに理不尽な事件であったとしても、それは沖縄で起こった数え切れない出来事のうちのひとつのエピソードにしか過ぎないのだ。630事件の真実を知れば知るほど、そんな悲惨な事件にもかかわらず、沖縄では単なるひとつのエピソードにしかならないということに愕然とする。それなのに、何故「内地」の日本人がこれほど沖縄問題に無頓着でいるのか、「それは絶対に許されることではない」と大声で叫びたくなるのだ。

原発の即時停止を主張する者たちを、非現実的でヒステリックな馬鹿だと見下す経済学者や政治家は、これまで数十年間、原発で命を削っていた最下層の労働者を見ようともせず、中央から離れた過疎の町に原発を押し付け、遠い未来の子孫に廃棄物の処理を丸投げしている。彼らは、階級と空間と、そして時間における辺境の者たちに対する想像力を完全に失っているとしか思えない。

「2番じゃいけないのですか」
それどころじゃない。3番だって10番だって50番だってかまわない。某政治家が、今のこの日本の豊かさを子孫に伝えたいと、良き爺さんのように語れば語るほど、世界中にどれほど貧しい人たちがいるのか、その数は、豊かな人々よりはるかに多いという事実をどう考えているのかと聞きたくなる。日本が良ければそれでいいのか。僕が貧しい国の親であったなら、きっと殺意すら覚えるに違いない。

そしてそれは、日本が沖縄に対してしてきたことと重なるのである。沖縄は辺境であり続けたのだ。だが、「沖縄」と「原発」の辺境は必ずしも重ならない。棄てられた者は棄て去っていた者でもあり、棄て去られてきた者が今度は棄て去る。そして僕は、いつも辺境から遠く、棄て去り続けていたのではないか……

そう思うと、琉球舞踊の静かな歩みと、三線の音の違和感が、ひどく身に染みるのである。

会の後、お誘いを受けた。牛島さんはじめ、皆さんと色々とお話をしたかったのだが、生憎この後約束があって失礼することにした。きっと毎年おやりになるのだろう。来年こそは、大崎の夏の宴と重なることがないことを期待して。

だけど、来年、いったいこの日本はどうなっているんだろうなあ。

(※7月18日に追記)
菅直人、国内で脱原発を言い、リトアニアやベトナムやトルコには原発輸出。本当なら許しがたい。日本から見ればリトアニアもベトナムもトルコも辺境。



7月 1日金曜日: 女ふたりの打ち上げ

《7月1日(金)-5》
《宇夫方路の報告》
久しぶりに田中きとみさんと会いました。

6月4日の公演で使用した衣装の費用などの清算をしながら、軽く打ち上げをしましょうということになったのです。きとみさんは明日の朝が早くて寝不足になるとつらいからということで、私の仕事が終わってすぐ始められるように喜多見まで来てもらって、さっと飲んでお開きにそましょうという予定だったのですが。

鳥力中央研究所に行ったら、まだ炭を起こしているところ、こんな早い時間に来たのは初めて。焼きものの準備ができるまで、まずはビールとから揚げを頼んで「おつかれさま」の乾杯をしました。

今の関りえ子琉舞研究所のメンバーの中では、きとみさんと私が一番の古顔。でも、考えてみたら二人だけで飲んだのは初めてかもしれません。

炭が起きれば焼き鳥や焼き野菜を頼み、お酒はキープしてあった一升瓶の泡盛。6月の公演のこと、稽古のこと、踊りのこと、8月のイベントのこと、話しが尽きなくなりました。

と、「どうぞ」と味噌汁が出てきました。
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おやまあ、もう11時近い。6時前にお店に入ったんですから、もう5時間も居座っていたわけね。
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たくさん食べるわけでもなく、キープしてあったお酒をひたすら飲んでしゃべって、あんまりいいお客じゃなかったですね。高田君ごめんなさいね。

でも、とってもいい打ち上げになりました。


高山正樹 Masaki Takayama
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