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毎週木曜日、朝日新聞の朝刊に折り込まれる「アサヒタウンズ」の12月10日版に、“喜多見で沖縄語を話す会”を紹介してくださいました。
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一面にもこんな案内が。うれしいですね。
早速、何人かの方からお問い合わせがありました。

多摩地区にお住まいで朝日新聞を購読している方々。そしてまだお読みになっていない方は、古新聞から探り出して、是非ご一読を。
なお、多摩地区以外にお住まいの方、朝日新聞を購読されていない方は、“おきなわおーでぃおぶっく”のOfficial_Blogでお読みいただけます。
http://ameblo.jp/okinawaaudiobook…

おお、そういえば、この取材が来た日の記事を、まだ書いていない。アップしたら、この下のスペースに追記してご案内します。
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2010年1月1日
やっと書きました。
“喜多見で沖縄語を話す会”第3回の記事
喜多見で沖縄語を話す会のサブカテゴリーを作りました。**************************


沖縄、浦添、国立劇場おきなわ、楽屋口。
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本番前、津嘉山正種さんは屋外の喫煙所で、ひとり風に打たれていらっしゃいました。煙草を吸っていたのかどうか、それはわかりません。
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色々ありましたが初めてこの沖縄で、聞かせていただきます。
「カミサンの実家の家族を招待したのです」
津嘉山さんはニッコリと笑われました。

ロビーへ。
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拝啓、津嘉山正種様。
舞台、拝見させていただきました。この舞台を、CDとして残したことが間違いではなかったと、あらためて確信しました。そして、その仕事をさせてくださった津嘉山さんはじめ青年座関係の皆様に、重ねて感謝申し上げたい気持ちでいっぱいです。
招待した妻の家族が、今日の舞台にどんな感想を持ったのか、とても興味があるのですが、僕はきっと、それについて聞くことはしないでしょう。
僕は、妻の家族から、敢えて離れて座りました。それは、彼らが舞台を観て泣くにしても笑うにしても、僕はその傍にいてはならないという気がしたからなのです。僕を知らない人ならば、僕が隣に座っても、僕は見知らぬ路傍の石なので、その人は自由に笑うことも泣くこともできるでしょう。でも、妻の家族にとっては、もはや僕は路傍の石ではありえないのです。
やがて客席の明かりが落ちていきます。密かに僕は、この後この劇場が、津嘉山さんのウチナーグチで大きな笑いに包まれることを期待していました。30数年前の、あの伝説の舞台がそうであったように。
しかし、そうはなりませんでした。それが残念なことなのかどうか、僕にはよくわかりませんが、きっと今日のお客様は、70年代の沖縄の人々よりもはるかに冷静であり、幸福であり、そして、諦めに包まれているのかもしれないと思ったのです。そして、みんな静かに涙されていた。
とすると、僕が人類館をCDにしようと決意した個人的な一つの事件、家事をしていた僕の妻が、青年座にお借りした人類館の記録DVDから流れ出てくる言葉、僕には全く理解できない言葉を聞いてゲラゲラと笑っていたのは、妻が不幸だということなのでしょうか。まあ、たとえそうだとしても、妻はまだ諦めてはいないのだと納得しておきましょう。
昨日は、隣の大劇場で大城先生の新作組踊りがあって、僕はそちらを観るために来ていたのですが、一般のお客さんに混じって、ロビーの椅子でひとり小劇場の開場を待っている知念正真さんをお見かけしました。
「ちょっと早く来すぎてしまった」
僕は開場前の小劇場に潜り込んで、制作の紫雲さんに、知念先生が既に来ていらっしゃることを伝えました。紫雲さんはあわてて知念さんを呼びにいかれた。
「彼は人付き合いが下手でね」
そんな幸喜さんの言葉を思い出したのです。
今度、もう一度知念さんを訪ねて、たくさんのお話を聞かせて貰おう、今、なぜかとてもそう思っています。今日の舞台のことも、妻の家族には聞けないが、知念さんには是非とも聞いてみたいと思うのです。もし聞けたなら、またお手紙でご報告します。
これからも、津嘉山さんがこの舞台を持って全国を巡り、沖縄の心を伝え続けられますこと、心より願っております。
今日は、ほんとうにありがとうございました。
(2009年11月22日 高山正樹)

是非、下記記事をお読みください。
知念正真さんにお会いした日のこと。爆笑に包まれた初演のこと。
つかこうへいの芝居は泣けてしかたないといった加藤新吉氏のこと。

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ロビーで、人類館以外のCDも売ってくださいました。
諸々清算。
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ありがとうございました。

妻の実家へ戻ると、こんなCMをやっていた。
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介護保険のご案内。
「だいわはうちゅ」とは全く違う、泥臭い沖縄の普通のおじさん。
そういえば、役所広司さん相手の映画監督役、変わりましたねえ。ところで、あのコマーシャルは沖縄でやってたのかなあ。

沖縄定番のジミーで、ランチバイキング。食べ過ぎ。
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そして浦添の国立劇場“おきなわ”へ
国立劇場おきなわのHPのこの日の案内ページ
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正面玄関を入って、左の大劇場では大城立裕作の新作組踊“さかさま「執心鐘入」”。13時半開場、14時開演。
右の小劇場では、津嘉山正種ひとり語り“人類館”の公演。1回目が14時半開場の15時開演。2回目は18時半開場で19時開演。
両方のロビーでおきなわおーでぃおぶっくのCDを販売しています。
人類館は明日もあるので、今日は“さかさま「執心鐘入」”を観るのです。
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大劇場の入口では、おきなわ堂の金城さんが、“おきなわおーでぃおぶっく”の宣伝チラシを配るお手伝いをしてくださいました。
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それにしてもなんだろうこのふざけたポスターは!
ほんとうにこれが組踊りのポスターなのだろうか……
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琉球の国劇である組踊りを、馬鹿にしているのではないかという声が、昨日までの沖縄の旅で、全く聞こえてこなかったというわけではありません。しかし僕としては、このポスターを見て、密かに不謹慎な(?)期待がどんどんと高まっていったのです。

果たして、この日の舞台は期待以上のものでありました。会場は爆笑の渦に包まれて…… まあ、そのあたりのことは、他の誰かがきっとどこかでお書きになるでしょう。また、あの単純な筋立て、脚本を、ここまでに仕上げた演出をはじめとするスタッフ・役者を賞賛する劇評も、あっちこっちで語られることでしょう。だからここでは、ちょいと違った視点から。

演出家や役者の創造力を掻き立てるような本を書くことは、実はなかなか難しいのです。読んだ時にはすきだらけで一見物足りなく感じられる本の方が、結果的には生き生きとした素晴らしい舞台を生み出すということはよくある話です。大城立裕という劇作家は、そこのところを熟知しているのではないかと僕は思っています。考えてみれば、歌舞伎にしろ狂言にしろ、古典の本はスキだらけ、だからこそ歌と踊りと、役者の技量を引き出すことができるのだといってもいい。必要なのは、スペクタルな背景を感じさせる筋立てなのです。

前に、執心鐘入が、いわゆる「道成寺もの」の一つであるといわれているという話しをしました。
執心鐘入についての記事
その際、大和の「道成寺もの」が安珍・清姫伝説ではなく、その後日談を元に創作されているということもお話ししました。しかし「執心鐘入」は、「道成寺もの」の発端である元の物語、安珍・清姫伝説の方に似た筋で、こちらにはその後日談はありませんでした。
このことも、今回大城立裕氏が「執心鐘入」の後日談を書こうと企んだ動機のひとつではなかったのか、今度大城先生にお会いした時に伺ってみようと思うのです。

和歌などの世界に、すぐれた古い歌や詩などから、その発想や言葉を意識的に取り入れ、新しい歌を創造する「本歌取」という表現手法があります。元の作品の存在をはっきりと示し、またその作品に対するリスペクトを表明し、その上で独自の表現を加味して作るのです。しかし、この「本歌取」は簡単なものではありません。原作に対する深くて広い教養がなければ、優れた作品を生み出すことはできないのです。

その意味で、今日の“さかさま「執心鐘入」”は、まさに本歌取でした。

幕が下りても拍手は鳴り止まず、やがて手拍子に変わります。これは芝居のカーテンコールではなく、まるでコンサートのアンコールのようでありました。舞台中央に迎え入れられた大城立裕氏がカチャーシーを踊って、最後の幕となりました。
終演後のロビーは、あっちでもこっちでも満足そうな笑顔で満ち溢れていました。そのロビーで大城先生とお話しすることができました。
「最後は踊らされてしまったよ。」
そこへ見知らぬ女性が寄っていらして、大絶賛の言葉の嵐、絶対に再演しなければダメだと言って去っていかれました。

先に言った「本歌取」について、大事な要素がもう一つあります。「本歌取」は連歌の技法でもあるのですが、「本歌取」で作られた歌を受ける方にも、作り手と同じような教養が必要であるということなのです。今日の公演の大成功は、実は客席を埋めていた方々の組踊りに対する理解に支えられていたのだと思うのです。いかに「執心鐘入」という組踊りが沖縄の人たちに知られている演目であるかを、僕はあらためて知ったのです。
僕は今回の沖縄の旅で、玉城朝薫の組踊「執心鐘入」の稽古を見学させていただくことができました。もしその経験がなかったならば、はたしてこれほどに今日の“さかさま「執心鐘入」”の公演を楽しめただろうか、いささか疑問です。
「執心鐘入」の稽古を見学した日の記事
でもだからといって、そのことが“さかさま「執心鐘入」”の価値を落とすことにはなりません。沖縄を本当に楽しもうとするなら、沖縄をもっともっと深く勉強してみてはいかがでしょうか。これ、絶対にお薦めです。

» 続きを読む

10ヶ月ぶりの“じんじん”です。
 ⇒前回“じんじん”に行った日の記事4ヶ月ぶりの儀間進さんです。
 ⇒前回、宇夫方が儀間進さんにお会いした日の記事null
そして2ヶ月前、宇夫方路が“儀間進のコラムを読む”那覇チームの皆さんとお会いしました。前回は6名のメンバーのうち2名でしたが、その後メンバーが1名増えて、今日はその7名のうち4名の方が集まってくださいました。僕は皆さんと初対面です。
 ⇒前回2名の方と宇夫方がお会いした時の記事
実際に儀間進さんのコラムを読んで録音するのは少し先になりそうですが、その準備段階として、とてもステキな広がりが見えてきました。
沖縄語を話す会の國吉眞正さんにも、大変お世話になっています。今日のところは、その全てをミステリーということにしておきますが、近日中に、色々な発表ができると思っています。

それにしても、今日はわたくし高山正樹が喋りすぎました。まずは僕の知っている大好きな儀間さんを、どうしても皆さんに伝えたくて仕方が無かったのです。本当は儀間先生がいらっしゃるのだから、儀間さんご本人のお話をたくさん聞けばよかったのに。
 ⇒わたくし高山正樹が儀間進さんのことを書いた文章

しかし、やっぱり今日も儀間進さんは儀間進さんでした。
「訛っている言葉なんてない。みんな同じ言葉なんですよ」
ややもすると首里や那覇の言葉が正しいといいたくなる、それを笑顔でたしなめる儀間さん。それは儀間さんのエッセイそのものです。

「はいさい」。沖縄の挨拶としてよく知られた言葉です。しかし女性は「はいさい」とは言わない。「はいたい」が正解。そのことも、コアな沖縄フリークたちには常識になりつつあります。でも、この日、儀間さんは教えてくださいました。女性が「はいたい」というのは、首里や那覇あたりでのこと。ちょっと北に行けば男も女も「はいさい」と言っています。
(もちろん、これにも注釈があります。北部でも、「はいさい」と「はいたい」を言い分けるところもある。どちらの方が多いかは定かではありません。)
さらに田舎へ行けば「さい」も言わずに「はい」だけ。
「まるで英語のようだ」
ウチナーグチは一筋縄ではいかない、と、ますます気が引き締まります。たとえば、と僕は思うのです。「沖縄の標準語」ということを、慎重に考えてみるのはどうだろう。首里という政治・文化の中心地。那覇という街の経済の力。沖縄芝居の心。先日会ったうるま市のおばあさんのように、日本の標準語と、沖縄の標準語と、そして自分の間切りの言葉と、とりあえず三つの言葉を勉強してみるというのはどうだろう。
うるま市のおばあさんに会った日のこと
(でも、それには異論があるでしょう。宮古や石垣などは全く別の言語なのですから。使われている音韻さえ違う。首里や那覇の言葉に関わる人たちが、それぞれの地域はそれぞれでおやりなさいというのは簡単です。しかし、首里や那覇だからできるという状況もあるのではないでしょうか。たとえば鹿児島県の奄美はどうするのだろう。沖縄県の条例からは漏れてしまう。間切りが違えば言葉が違う沖縄。いったいどうすればいいのか。このことはいずれ考えたいと思います。)

昼間、大城立裕さんに「新沖縄文字」について話したことを、僕は儀間さんに報告しました。
「驚きました。こんな若造の意見をきちんと聞いてくださり、ご自分にはなかった視点だということを認めてくださった。大城さんは、とても柔軟な頭脳をお持ちだということを、あらためて感じました。」
儀間さんはそれに対して、次のように答えられたのです。
「そうですね。彼のそういう柔軟さのことを、一番分かっているのは、僕だと思うんだ。」
その言葉に、僕は鳥肌が立ちました。
あの琉大文学時代にあったこと、それは調べれば調べられます。ここで僕が書くことは控えましょう。そのかわり、「社長とは呼ばないで」という怪しげなブログに書いた文章ふたつ、どうかお読みください。
 ⇒儀間進氏の「ほんとうのはなし」(儀間進氏のひとつの負い目)
 ⇒三太郎からのバースデーカード(儀間進氏のふたつ目の負い目)
そして、今まで儀間さんが話されたユーモアたっぷりの大城立裕氏のことを、きっといつかここでお話できる日が来るだろうと、確信したのでした。

今日も、じんじんのマスターが、こんな差し入れをしてくださいました。
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マスター、いつもありがとうございます。

そして、この日初めてお会いした皆さま。今日はちょっと遠慮してご紹介を控えましたが、もしお許しいただけるのなら、次回は是非とも皆さん一人ひとりのウチナーグチに対する熱い思いをご紹介させていただきたいと思っています。

宜(ゆた)さる如(ぐとぅ)御願(うにげ)ーさびら

» 続きを読む

11月19日木曜日: 内間安男と津嘉山正種

森口豁さんの“人類館”のフィルムがどうしても見たい。高山正樹の我がままを、Bar“土”のごうさんが森口さんに繋いでくれた。そうして実現した、たった一人のための上映会。
見れなかった前回の上映会のこと

その話を青年座に連絡したら、津嘉山正種さんが是非見たいといっているという連絡が来た。幸喜さんにも知念さんにも、青年座の方から連絡してもらうことにした。結局、幸喜さんは仕事、知念さんは体の具合で来られなかったけれど。

津嘉山さんが来ることを伏せて、上映会の告知をしてみたが、結局他には誰も来なかった。

約束の時間、パラダイス通りへ出てみた。案の定、遠くの方で、紙切れを持った津嘉山さんが、きょろきょろしていた。僕は大きく手を振った。津嘉山さんはこちらを見て、ちょっと笑った。

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カウンターで、生ビールを飲んで森口さんを待った。
「オリオンはないんですか」
「ありません。エビスだけです。」
「沖縄では、地元のオリオンを飲むことにしているのだが」
「メンテナンスが悪いんです。生ビールのサーバーは毎日洗わなければならないのはもちろんですが、週に一度くらいはメンテナンスに来てもらわなければならない、それなのに、いくら頼んでも来てくれなかった」
「アサヒ系列になってからそうなったの」
「いえ、その前からです」
「それはいけないですね。コマーシャルの話があるのだが、考えなくちゃいけないな」
「津嘉山さんが上に言ってくれれば変わるかもしれない」

(高山君、こんなこと、書いていいの)
(それで変わってくれればいい。変わってほしいから書くのです。)

2Fギャラリーにて
「沖縄の18歳」と、「一幕一場・沖縄人類館」の2本。

上映が終わって、宇夫方路が明かりをつけても、津嘉山さんは、しばらく振り返ることはなかった。

左から、関りえ子、土のオーナーごう、津嘉山正種、森口豁、高山正樹。
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その車座を、宇夫方路が撮っている。

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あの日、腕組みをして微動だにしなかった男が、調教師を演じた内間安男という男を褒めた。
「内間がいたから、この芝居ができたのだろう」
微動だにしなかったこと
その日の《表》の記事

津嘉山さんは、「人類館」をひとりで演じることの苦労を語った。泣けて泣けて仕方がない。しかしあまり泣いてしまうと、調教師役ができなくなる……、そう言った津嘉山さんの目から涙があふれた。
ごうさんの差し出したタオルで、津嘉山さんは涙をぬぐった。
「なんで俺は泣くのかなあ」

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「津嘉山さんは、何故この芝居をひとりでやろうと思ったのですか」
ある時、津嘉山さんは、東京の役者たちと沖縄の芝居をしたことがあった。津嘉山さんは方言指導も兼ねていた。稽古の最中、他の役者の言葉ばかりが気になった。稽古が終ると
「なんでネーネー(二回目のネーが下がる)というのかなあ、なんでネーネー(限りなく平板)と言わんかなー」
人類館をやりたいと思った時、やれる役者を東京で探すのは無理だと思った。
「ひとりでやるしかなかった」

ある芝居を、沖縄の連中とやったことがある。朝10時の稽古開始なのに、昼過ぎても集まらない。いつも早く来る役者は決まっているので、いつも同じところの稽古ばかり。「なんで時間通りに来れないかー」と聞くと「歯医者があってさー」。
蜷川幸男の芝居で稽古に遅れたら大変。稽古初日から立ち稽古だから、それまでにみんな台詞を入れてくる。
「そんな稽古を沖縄でやったら、三日で役者はみんなやめるね」

津嘉山さんは、この後予定が入っていてケツカッチンだったはずなのに、一時間も長くいて、あわてて帰っていった。

ちなみに、宇夫方路の踊りの先生で、高山正樹のカミサンの親友である関りえ子はミーハーであることが判明した。
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ごうさんの携帯が鳴った。
「ビール代を払うのを忘れました」
「いえいえ宇夫方が払うと言っているから大丈夫です」
おい、ごう、そんなこと言ってない。
「やった、津嘉山さんの電話番号ゲット!」
ごうさんも、ミーハーであった。
(文責:高山正樹)
[subcate.人類館]
[subcate.Bar土]
《そういえば…》
人類館の初演で辻の女性を演じた北島角子さんは、とっても若くてかわいいのでした。
いよいよ始まりました!
案内告知記事を読む

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本日の予定は、今後どのように進めていくかを皆さんとご相談しようということだったのですが、ちょっと入門の感じでウチナーグチの話が始まると、どんどん話題が膨らんで、当初2時間くらいの予定が、あっという間の3時間。
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宜(ゆた)さる如(ぐとぅ)御願(うにげ)ーさびら
「宜しくお願いいたします」
(「とぅ」は元来大和の言葉には無い音、だから新沖縄文字があるのです。)
「とぅ」の新沖縄文字の記事を読む

しばらくはこんな風に簡単な話し言葉を憶えたり、昔話を読んでみたりして、今日のように、“うちなーぐち”にまつわるいろんなおしゃべりをしながら、沖縄の「音」に慣れていこうということになりました。
今日の参加者はM.A.P.琉球舞踊教室の金城さんと片野さんと
そしてラジオ沖縄東京支社の山川さんの3人と…
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M.A.P.の高山正樹と宇夫方路。
先生は、もちろん國吉眞正さんです。
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第一回はちょっと少ない人数でしたが、あんまり楽しかったので、淋しい感じは全くありません。そして次回からはもっとたくさんの方々に集まっていただけることになりそうです。みんなでお菓子を食べながら。
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沖縄語を話す会は、大崎にならって隔週開催する予定なのですけれど、曜日を決めてしまうと出席できない方も出てきそうなので、例えばその都度曜日を変えるなど、検討していこうということになりました。
とりあえず、年内の日程は……
 11月24日(火)
 12月2日(水)

  ※12月5日(土)は本家大崎の忘年会です。
 12月25日(金)(12月21日月曜日の予定を変更しました。)
と、決定いたしました。


なんだかとってもワクワクしてきました。ここから、色々なことが始まる予感があります。
どうぞみなさんも、まずはお気軽に参加してみてくださいね。
大歓迎です。

さあ、M.A.P.after5のうちなーぐち講座も、ボチボチ再開しないとね!
(※「M.A.P.after5のうちなーぐち講座」はちょっと難解。でも実際の「沖縄語を話す会」はちっともアカデミックではありません。ほんとに気楽に参加してください。初心者大歓迎です。途中参加でも、時々休んでも月一回でも全然問題なしです。)




10月30日金曜日: 喜多見で沖縄語を話す会

“喜多見で沖縄語を話す会”(仮称です)
その第一回会合の日時が決まりました。

日時:11月9日(月)19:00~
 (遅く来られる方はご一報いただけますと助かります)
場所:株式会社M.A.P.事務所(狛江市岩戸北4-10-7-2F)
 (小田急線喜多見駅徒歩3分)
お問い合せ:Tel 03-3489-2246
 (一応会社なので土日祝は出ない場合があります) 

第一回は開設準備会(説明会・相談会)ということにいたしました。
“沖縄語を話す会”を喜多見で開設するにあたり、まずは興味を持ってくださった方々が、どういうふうなことを希望していらっしゃるのか、日時や頻度はどの程度がよいのか、等々、皆さんのご意見ご要望を伺い、ご相談して皆んなで考えて企画していきたいと思います。

現在のところは、次のように考えています。
開催は月2回で、会費は会場費・資料代(コピー代等)及び講師の方の交通費などの実費を分担していただくということで、半期(10回くらいでしょうか)数千円程度におさえたい。

ちなみに大崎で20年間続いている本家の“沖縄語を話す会”の勉強方針は……
「挨拶や日常の簡単な会話ができることを目標にする。学問的な勉強や研究はいたしません。」

楽しく「ゆんたく」しながら、いつのまにか“うちなーぐち”がしゃべれるようになっている、うちなーぐち以外にも、沖縄に関する様々な情報が得られる、そんな会にしたいと思っています。時々しか参加できないという方もOKです。
うちなーぐちが全く分からないという方も大歓迎です。 

第一回の開設準備会はもちろん無料、実質的な勉強会が始まった後も、体験や見学は無料です。少しでもご興味のある方は、非一度、試しにお越しください。
ご質問などございましたら、気楽にお問い合わせくださいませ。

あらためて講師(こんな堅苦しい肩書きはご本人は嫌がられるかな)のご紹介です。

國吉眞正(くによししんしょう)
國吉眞正さん (お顔のお写真再々掲)
1937年6月16日 フィリピン・ミンダナオ島生まれ。
・9歳の時、沖縄県旧東風平村字上田原にある母の実家へ帰る。
 初めて沖縄の言葉に接し、うちなーぐちに興味を持って育つ。
・沖縄工業高等学校勤務
・日本アイ・ビー・エム株式会社入社
  研修センター講師
  コンピュータシステム設計・検定・管理などを担当
  戦略的長期研修企画・計画、教育方法などを担当
・旧通産省・特許庁外郭団体(財)工業所有権協力センター主任研究員
 (コンピュータ分野の特許文献の解析・調査・研究など国の仕事に携わる)
・現在
  沖縄語を話す会事務局長。    
  法政大学沖縄文化研究所・国内研究員。

《國吉さんのコメント》
うちなーぐちに関するお話であれば、全国何処へでもボランティアで行きます。但し学問は除きます。(笑)

“おきなわおーでぃおぶっく”からのお知らせです。
なんといってもCD「人類館」の魅力のひとつは、津嘉山正種さんのネーティブなウチナーグチですが、その訳を、“おきなわおーでぃおぶっく”のホームページにアップしました。
http://www.ownmap.jp/jinruikan…

どうぞ、Blog“おきなわおーでぃおぶっく情報”の方も時々チェックしてくださいね。
http://ameblo.jp/okinawaaudiobook…

今日も過去の記事をひとつ更新しました。
雌花と小倉神社の夏祭り(8/22)

儀間進さんの「シマクトゥバ」連載20年の特集記事が沖縄タイムスに掲載されたことは先日ご紹介しました。
http://lince.jp…
今日から、宇夫方路女史は沖縄出張、帰るまでにタイムスに寄って、新聞を貰ってくる予定にしていました。でも、それよりも一足先に、昨日、沖縄語を話す会の國吉さんから記事のコピーを頂くことができました。

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僕たちの大好きな儀間さんの笑顔は、少しも変わらずに健在です。
このインタビュー記事の中で、儀間進さんは、ご自分が日常で触れてきた言葉を連載で取り上げてきたと語っていらっしゃいます。

ちょうど今、儀間さんの初期の文章を読み直しています。そしてたくさんのことをあらためて教えていただいているのですが、今日はその中から、「沖縄のあいさつ語」というエッセイについて、お話ししたいと思います。

このエッセイの中で、儀間さんは、沖縄には毎朝家族同士で挨拶を交わすという習慣がないと述べ、琉球大学の石川清治先生が語られた面白いはなしを紹介しています。

「ある小学校で、お父さん、お母さんに朝のあいさつをしましょう、という事で実践をした。子供たちは家庭で毎朝あいさつをする。一日目、朝起きて、おはようございますと声をかけたら、お母さんがびっくりした。お父さんは眼鏡を落としそうになった。一週間ほどたったある日、お母さんはカシマサヌヒャー(うるさい)と怒鳴った。お父さんはワカトーン(わかっとる)といった。」

さらに儀間さんは、それに続けてこう書くのです。

「よくわかるのだ、そのお父さん、お母さんの気持ちが。(中略)他人行儀な、おはようございますよりも、眼をこすりこすり寝床から台所にやってきて、ごはん まあだ? ときくほうがずっと自然なのだ。」

そして、たしかに沖縄には紋切り型の「おはようございます」のような言葉はないけれど、朝、「オバア」が起きてくれば「ウーキンソーチー(お起きになりましたか)」というし、もし道で目上の人に出会い、その相手が木陰で休んでいれば「イチョーミセーミ(坐っておいでですか)」と声を掛ける、それが沖縄のあいさつなのだと。
(※「イチョーミセーミ」の表記について、コメントを必ずお読みください。)

この話を國吉眞正さんにしました。すると國吉さんも、自らの幼い頃のお話をしてくださったのです。学校へ行く道々、誰かに会えば必ず声を掛けなければならなかった、たとえば畑で芋を収穫している大人がいれば、「お芋をとっているのですか」という、すると相手からは「学校へいくのかい」と返ってくる。もし黙って通り過ぎようものなら、どこどこのあの子は、口もきかずに通り過ぎたといって大変なことになる。だから沖縄では、ちいさな子供でさえ、いつもアンテナを張って、状況を把握して適切な言葉を捜し、臨機応変に対応していたのですよと。
考えてみれば、朝の9時も過ぎているのに、おはようございますではないでしょう。雨が降っているのにgood morningというのもおかしい。状況によって変わる挨拶の言葉、至極あたりまえのことなのかもしれません。

僕自身のことですが、僕は朝起きると、よくカミサンに、「起きたねー」とか、「起きましたか」とか言われます。そう言われた時の感覚をあらためて思い起こしてみるのですが、別段、特に気になったことはありません。しかし、朝はじめて顔を合わせたら、まずおはようございますのあいさつだろう、という風に、もしかしたら心のどこか奥の方で、そう感じていたのかもしれないとも思うのです。

起きたねー?
起きちゃ悪いのか。

坐っておいでですか?
見りゃわかるでしょう。

学校行くのかい?
この時間に小学生がランドセル背負って歩いていれば、それ以外には考えられないだろう……

「ウーキンソーチー」といえば、文化という伝統が背後で支えていてくれるから、その言葉に託された心もちも自然と相手に伝わるのでしょう。しかし、それをそのままヤマトグチに直訳してしまえばギクシャクする、そんな様々な例を、儀間さんは他のエッセイでもたくさん語ってくれています。

今日、この話を、高校3年になる娘にしたのです。

「あのさ、うちのかあちゃんさあ、朝、よく、起きたねーっていうよなあ。」
「うん」
「あれはね……」

娘は大変面白がって僕の話を聞いていました。

「國吉さんに聞いたんだけどね、毎朝母ちゃんが起きたねーっていうのはさ、あれが母ちゃんの挨拶で、あなたたちをちゃんと気遣っているのですよというメッセージなんだ」

僕は洗濯物を干しているカミサンに聞こえるように、わざと大きな声で話をしました。涙腺の甘い母ちゃんは、その時、きっと涙ぐんでいたのかもしれません。
30年近く、ずっと沖縄のことを考え続けていたのに、言葉についてはなぜかとても無頓着でした。もっと若い頃に、今のように言葉に対する具体的な関心が僕の中に生まれていたらと、ちょっと無念な気持ちもあるのです。

そうして儀間さんは、無味乾燥な共通語と、変わっていく沖縄の言葉の双方へ、たっぷりと皮肉を込めて、このエッセイを結んでいます。

「沖縄口のその場その場に応じたあいさつが消えて、どんな場でも一語ですますことのできる、共通語のさよなら、おはように代わったのも無理もないと思う。型があるというのは、何より手軽で便利であるから」

おきなわおーでぃおぶっくの、儀間進のコラムを読むという企画は、今日ご紹介した「沖縄語のあいさつ語」というエッセイから始めることに決定しました。

《追伸》
昨日、楠定憲氏は自分の家だってそれと同じだったと語りました。いつだって親父は、おお起きたかとしか言わなかった。「おはよう」なんて、家庭で交わした憶えがないと。
さて、これは楠さんの家庭に限ったことだったのか、あるいは彼の故郷、四国の香川全体にいえることだったのか、それは定かではありません……

「沖縄の挨拶」その《2》へ

又吉さんの工房を出て、おきなわ堂へ。
きのう琉球新報で、おきなわ堂さんがおきなわおーでぃおぶっくの“ノロエステ鉄道”を宣伝してくださって、そうしたら早速問い合わせがあったそうです。

新しい販売グッズを仕入れました。
ワンコインメニュー「スペシャル101」です。
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ガイドブックには違いないんですけど、おしゃれな旅行には似合わないB級グルメ。でも学生さんの節約旅行や移住を考えている方々には最適かも、です。
また、沖縄に行く予定のない方にでも、ちょっとパラパラめくっていると、何となく笑顔になってしまう面白グッズでもあります。

もうひとつ。「沖縄50音表」です。
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ウチナーグチには「ん」から始まる言葉がいっぱい。沖縄の「しりとり」はエンドレスなんです。

M.A.P.販売サイトで販売開始!

そのあと大城先生のお宅に“ノロエステ鉄道”完成のご報告。
本日の大城先生です。
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おきなわおーでぃおぶっくOfficial_Blogにも記事があります。
http://ameblo.jp/okinawaaudiobook/entry…

今日はこれまで。お稽古、行ってきまーす!

第6報に続く

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高山正樹 Masaki Takayama
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