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《8月6日(土)-2》

第46回琉球古典芸能コンクール。

後日書きますが……
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【この日久しぶりに呟いた3連発……】
16:23~54

琉球新報ホールで舞踊コンクールを見ています。新人賞の女踊り。一切拍手禁止、妙な緊張感。

今FM局からのお迎えを待っています。本日6時から糸満のFMタマンの生放送に出演。打ち合わせ無しのぶっつけ本番です。

生放送の後、那覇で2時くらいまで飲んで、深夜4時発のスカイマークで東京へ戻ります。沖縄の皆さま、大変お世話になりました。又来ます。



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7月11日月曜日: フラフープ教室?

東日本大震災から123日目……
【宇夫方路の沖縄報告】
7月9日、12時50分のスカイマークで沖縄に到着。まずホテルにチェックインをして、そのまま家元の稽古場に向かいました。関りえ子研究所から今年コンクールに出るのは2人、関優子さんが優秀賞に、久手堅鮎子さんが新人賞に挑戦します。
10日の午前中、喜納の会で琉球新報ホールを借りて、受験生みんなで舞台稽古をしました。私はそのお手伝いをするために沖縄に来たのです。

ところで、家元の伊波正江先生、先月の6月4日の公演のときよりも痩せたみたい。どうしたんですか?と伺ったら、今沖縄ではフラフープがはやっているんですって。中村志津子先生もそれで痩せているらしい。
そこで私も!と、稽古の合間に挑戦してみました。
私と関りえ子先生は初体験ですが、関優子さんと久手堅鮎子さんは「なつかしい!」だって。微妙な歳の差?

では、私の師匠、関りえ子フラフープ初体験の模様です。
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(宇夫方路)


コメントしようのない報告だなあ。こんなことなら琉球舞踊教室よりフラフープ教室のほうが流行るんじゃないか、というか、琉球舞踊って、そんな楽なわけ?
(高山正樹)
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※宇夫方路2011沖縄旅日記(2)
又吉健次郎さんの工房です。
健次郎さんの結び指輪を、結婚何周年かの記念にと注文される方が時々いらっしゃるのです。その度、健次郎さんに結婚記念日に間に合うよう制作をお願いします。今日もそうして仕上がった結び指輪を受け取りにきたのです。

でも今日は健次郎さんはお留守でした。なんでも若い女性とどこかへ出掛けたとか。さて、何時に帰るか分からない。夜は夜でやっぱり若い女の子と桜坂劇場にCoocoのライブを観にいく約束があるらしい。お元気だこと。
主人不在の仕事場
仕方がないので、いつもと変わらない仕事場だけ撮影させていただいて帰ろうと立ち上がったところへ、健次郎さんがお帰りになりました。まあいいタイミング。
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実は先日の1月15日、M.A.P.after5のアクセス数が突然倍になりました。検索ワードを調べてみると、又吉健次郎さん関連の記事を目当てに来る人がその原因らしい。そこで井上真喜ちゃんに「何かあった?」と電話で聞いてみたのです。そうしたら、なんでも世界不思議発見というテレビ番組で、健次郎さんの房指輪が紹介されたのだとか。

M.A.P.では房指輪は扱っていませんが、それでも結び指輪の注文がバタバタといくつか入りました。うちのサイトでもそうなのだから、さぞ工房“またよし”は大変だったはず、こちらに入った注文の制作をお願いして大丈夫かなあと心配したのですが、いつもの通り気持ちよく請けてくださいました。

coccoの時もすごかったけれど、それにも増して今回はたくさんの問い合わせあったらしい。全国放送のテレビって、やっぱり影響力大きいんですねえ。M.A.P.にも取材来ないかなあ。

さて、高山正樹氏に頼まれたことを聞かなくっちゃ。ある小道具屋さん(実は外間小道具店)で聞いたもうひとりの金細工師のこと。
少しここまでのことを整理します。浦添美術館での展覧会の時は三人の又吉さんの作品が展示されました。又吉健次郎さん(首里の又吉)と開南で小道具店を開いていた又吉さん(那覇の又吉)と、そしてもう一人の「首里の又吉」さん(実は修さんとおっしゃいます)。那覇の又吉さんはすでにお亡くなりになりました。
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「もう修さんも作っていないはずだよ、見に行ったけど道具もなかった。小道具屋は叩いて作っているというけど、本当はもう作る人はいなくて、外国で作っているんだよ」これが健次郎さんのお答えでした。
真喜ちゃんによると、修さんはまだ作っているはず。でも、健次郎さんと修さんは同じ門中ではあるけれど、それほど親しくない。そして健次郎さんは、踊りや芝居の小道具には興味がないから、修さんのことは分からないのだと思うとのこと。
仲嶺舞踊小道具店の仲嶺眞永さんのお話しを思い出しました。
「コンクールとかに出るようなときは、いいものを挿すでしょうが、普段はもっとね。でも、それを作る人がいなくなってしまって」

民具として、本物のジーファーにこだわる健次郎さんは、それを作る技術が途絶えてしまうのはいけないと思っています。若い金細工師がいないのは食べていけないから。だったらみんなで若い職人さんを育てて、琉球舞踊の先生になったら、その人から道具を買うというシステムにすればいい。これは健次郎さんのアイデアです。
でも琉球舞踊の人たちは、家元レベルの方々でも、小道具が本物かどうかにはあまりこだわってはいません。また、たとえこだわったとしても、本物のジーファーはとっても丈夫で、母から娘に、先生から弟子にと伝えていける道具だから、新規の需要はあまりないでしょう。上等な漆器が、何百年経っても使えるために却って新しいものが売れないという事情と同じです。

一方、房指輪は手に入らなくて琉球舞踊の人たちは困っています。でもそれも、琉球新報の舞踊コンクールのルール変更で、房指輪を使わなくてはならなくなったから、それだけのことなのです。

ともかく、「もうひとりの首里の又吉」=修さんにお会いしたくなりました。もしかすると、修さんこそ「クガニゼーク」ではない小道具を作る職人「カンゼーク」なのかもしれない……

やっぱり、小道具屋さんに何度も通って、こちらの諸々の思いをお話しして、修さんに伝えてもらうしかないのかなあ、そんな風に思ったのでした。
(宇夫方路から報告を受けた高山正樹が、宇夫方路のフリをして代筆をしました。)
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横浜市金沢区の金沢公会堂にて。
金沢区民参加ステージ2010 第2回公演「潮の音」
「潮の音」のチラシ
昨年から始まったこの公演は、金沢区を拠点として活動する様々なジャンルの芸術家を一堂に会しての催しです。
私は佐藤美智子さんと「仲里節」を踊ります。私も佐藤さんも金沢区とは関係がないのですが、昨日の記事でも書きましたが、野村流古典音楽保存会の水谷亮介さんに声を掛けていただいての出演となりました。

私たちが楽屋入りしたときは第一部のお芝居の準備中でした。
地元の民話を元に作られた「身代わり観音」というお芝居には、金沢区民の皆さんが出演します。小学生も一緒です。金沢区にお住まいの水谷さんご夫妻は村人役でのご出演。
水谷さん御夫妻
奥様がかわいい!
さらに水谷さんは、このお芝居の音楽を担当していらっしゃるとか。大活躍ですね。

第二部はいよいよ地元の芸術家たちの競演です。
筝・尺八、かっぽれ、民謡、パントマイム、三線、フラダンス、創作舞踊というさまざまなジャンルの舞台が続きます。
水谷さん出番は5番目。お琴の嶺井幸枝先生の伴奏で水谷さんの独唱が2曲。3曲目が「仲里節」で、私たちが踊るのです。地元の方たちは、琉球舞踊を見たことのない人がたくさんいるとのこと、そこで踊りも見せたいという水谷さんの思いから、私と佐藤美智子さんが踊ることになったのです。
宇夫方路と佐藤美智子さん
「仲里節」は今度の私のお披露目公演でも踊らせていただこうと思っている曲です。本当は踊り手が舞台に出る前に、袖で琉歌を歌うのですが、これが難しい。発音もイントネーションも難しいのです。今回は残念ながら歌なしでやりました。
沖縄語と唄三線を頑張って勉強して、お披露目公演では何としても歌入りでやりたいと思っています。

私が所属している玉城流喜納の会では、通常は安冨祖流の地謡をお願いします。毎年夏に行われる古典芸能コンクールを受けるときにも安冨祖流の音楽で踊ります。コンクールの本番は琉球新報が用意するCDで踊るので、受験生は予めそのCDを買って練習するのです。そんな関係もあって、三線を習うなら安冨祖流の古典と決めていました。
けれども、実際に県人会のフェスティバルや琉球新報主催の公演など、色々な舞台で踊るときには、野村流の地謡で踊ることもしばしばです。同じ曲でも、歌い方や伸ばし方が微妙に違って、微妙だからなおさら音取りが難しいのです。でも、安冨祖流でも野村流でも踊れなければプロとはいえないのです。
今回野村流の水谷さんの地謡で躍らせていただいて、踊り手と地謡との気持ちが合えば、流派は関係ないと感じました。一緒にやらせていただけたことは、とても有意義だったと思っています。

楽屋でも舞台裏でも、スタッフや他の出演者の皆さんがとても一生懸命で、私たちも気持ちよ躍らせていただきました。ありがとうございました。また機会があれば、是非呼んでいただきたいと思いました。
みんなで記念撮影
(左から、私、水谷さんの奥様、水谷亮介さん、嶺井先生、佐藤美智子さん)
(宇夫方路)
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台風が近づいていて、飛行機はかなり揺れたらしいのですが、ぐっすりと寝ていたので、わからないうちに那覇に着いていました。到着時刻は何と午前2時半。風に乗って予定よりかなり早く着いたらしいのですが、特にうれしくありません。だってともかく朝まで寝るだけですから。
そのままタクシーで関先生のお父さんのお宅へ。関先生の子どもたち、双子の尭之と杏那が敷いておいてくれた布団にソーッと潜ってそのまま朝まで熟睡しました。

関りえ子研究所のメンバー、関優子さんが今年優秀賞に挑戦します。受験日は13日です。私はその稽古のお手伝いに来たのです。優秀賞の課題曲、女踊りは伊野波節(ぬはぶし)。この花笠を持って踊ります。
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(私もお披露目公演でこれを踊るつもりです。ちなみに「伊野波節」は三線の新人賞の課題曲でもあります。)

男踊りは「下り口説(くだいくどぅち)」と「前の浜(めえのはま)」のどちらか、受験日の2週間前に抽選があって、それによってどちらを踊るかが決まります。

午前中は那覇の家元の稽古場で稽古をさせていただいて、夕方新報ホールに行きました。
段取りは一週間前の新人賞の時と同じです。
コンクール期間中、朝審査が始まるまでと、昼休みの1時間とその日の審査が全部終わった後、ホールを閉めるまでの間、舞台を自由に使わせてくれるのです。受験者はその時間を狙って一斉に舞台に立ちます。舞台の中央まで何歩で行かれるか、どこを目指して歩くのか、顔の向きや目線の高さなど、それぞれ確認をするためです。
受験者の数で午前中の審査が終わる時間はおおよそ検討がつけられますが、棄権をする人や途中失格になる人が出ると終了が早くなることもあります。そのため、余裕を持ってホールに出かけました。

ホールに着くと、ロビーのテレビでは興南高校の試合が放映されています。私たちと同じように舞台が空くのを待っている人やちょっと手の空いた人たちが、テレビ観戦中でした。
ここで歓声をあげると、舞台まで聞こえるんだそうです。夏の甲子園とたいてい時期が同じなので、ロビーの歓声を聞きながら踊るということも時々あるらしい。

興南高校は勝ちました。
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私たちはちゃんと静かに観戦してました。

舞台を確認した後は、また稽古場に戻って、確認してきたことを踏まえての稽古です。

夕飯は関先生の娘、杏那ちゃんがゴーヤチャンプルーを作ってくれました。豆腐がなかったから豆腐抜きだったけどね。でも、おいしかった。
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いよいよコンクール受験の当日です。
今日は朝から琉球新報ホールに入って化粧を始めます。下地だけ私が塗ってあげて(というか、勉強のために塗らせて頂いたという方が正しいかもしれません)、後は会主の先生方にお任せします。
新人賞の女踊りの課題曲は「かせかけ」と「天川」の2曲です。そのどちらかを選ぶのですが、ほとんどの人が「かせかけ」を選びます。
「天川」は何の道具も持たない手踊りなので、新人には難しいからのようです。

今日3日は、26人が新人賞を受けているのですが、まず女踊りを26人一通り終わると、今度は男踊りです。こちらの課題曲は「上り口説」一曲です。
男の頭は「かたかしら」という結い方をします。
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楽屋から舞台ソデに行く途中にチラシが貼ってありました。
「沖縄は訴える」緊急発行だって。
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これ、「内地」で買えるのは私たちM.A.P.のサイトのみです。たぶん。
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男踊りを終えると、すぐに撤収です。そして、明日の受験生のための稽古と準備です。

私は明日からお芝居の稽古です。それに仕事も溜まっているし。だからコンクールのお手伝いは今日まで。明日はお任せして、私はこれからちょっと仮眠をして、朝4時に那覇を発つ飛行機で東京へ帰ります。羽田に6時半ごろ着くので、朝から事務所で仕事が出来るのです。いいような、悪いような……
(宇夫方路)

8月 2日月曜日: 新人コンクール前夜

朝6時35分羽田発の便で沖縄へ。

今年、私の所属する関りえ子琉舞研究所からは、琉球古典芸能コンクール舞踊新人部門に2名、優秀部門に1名が挑戦します。新人のコンクールは昨日の1日から行われているのですが、関研究所のメンバーはそれぞれ3日と4日が出番です。私はそのお手伝いに来たのです。
今日は、琉球新報ホールで行われているコンクールの昼休みに、空いている舞台で明日の位置などを確認し、そのあと那覇にある家元の稽古場に行って、最後の稽古と明日の準備です。

9時半くらいに那覇に到着した私は、お昼までちょっと時間があるので、新城亘先生に紹介して頂いた先生の後輩がやっていらっしゃる三線のお店に寄ってみることにしました。
途中、もう終わったキジムナーフェスタのポスターがまだ貼ってありました。
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「上原さんしんや」。
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ここで爪の話なども聞いたのですが、爪を作るのは、やっぱり別に専門の方がいるんですね。


午後、稽古場では、明日着る衣装にアイロンを掛けたり、忘れ物がないかのチェックをしたり。
稽古場に、古いカレンダーが貼ってありました。
2008年のコザ信用金庫のカレンダーです。
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モデルはキジムナーフェスタのオープニングでばったり会った西村綾乃さんでした。ご主人が沖縄市でバーを経営しているそうで、知っていればキジムナーフェスタの時に行ったのになあ。
(宇夫方路)


7月29日木曜日: 次男を収穫

長男に続き、次男も黄色くなってきたので採りました。
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関琉舞研究所で、コンクールの新人賞を受けるための、東京での最後の稽古があるというので顔を出しました。おとといは自分の店があって稽古に来られなかった鮎ちゃんにもM.A.P.産のゴーヤーを食べさせてあげようと、収穫した次男を連れて(持って)行きました。
明日のゴーヤーへ
最初のゴーヤーから見る

沖縄料理屋をやっている鮎ちゃんだから、こんなゴーヤーなんかお笑いかもしれませんが、とっても喜んで、貰ってくれました。お店で出すのかな。まさかね。


【追伸】
夜、厚木カルチャーのメンバーの益田さんが、狛江の稽古にも来ました。庭で取れたゴーヤーを持ってきてくれました。
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(宇夫方路)

負けた。
しかし、読谷の記事にも書いたが、これは長レイシ、長ゴーヤーというやつで、九州に多いニガウリだ。
M.A.P.農業部で栽培しているのは、沖縄特有のアバシーゴーヤー。ずんぐりむっくり。フグの仲間のハリセンボンを沖縄ではアバサーというのだが、その姿によく似ているのでこの名前がついたということになっている。しかしホントかな。いったい誰が言い出したんだろう。こういうのが怪しいんだよなあ。
ちなみに、沖縄を出て20年以上のカミサン曰く……
「知らん」
(高山正樹)


九段会館大ホールで「沖縄芸能フェスティバル2009」が開催され、関りえ子琉球舞踊研究所も出演しました。

昼の部は13時開演。「浜うりてぃ語ら」と「エイサー」を踊り、「浜うり」にはM.A.P.カルチャーのメンバーも参加しました。
みんなの着物の色が白と黄色の2種類だったので、リハーサルで前列と後列を色で分けることにしました。そのため、まだ慣れてないメンバーが前列に入ることになってしまい、その緊張と、地謡に慣れていないせいもあって、ちょっと踊りが乱れてしまいました。一応順番どおりには踊ってはいたのですが、上手と下手で音のとり方が違ってしまったのです。真ん中の人は大変。ちょっと残念でした。
でも踊りの後半は、なんとか盛り返して、最後のポーズでは拍手を頂きました。とても暖かいお客様に感謝いっぱいでした。

昼の部が終って、國吉さんが見に来てくださっていたので、今回の私たちの踊りの地謡をお願いした仲宗根善久先生の楽屋へ、二人でご挨拶に伺いました。何故國吉さんと御一緒したのかは内緒、いまのところミステリーです。
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左の方が、野村琉古典音楽保存会の師範、仲宗根善久先生でいらっしゃいます。
写真を撮ってくださったのは、やっぱり今日の昼の部を見にきてくださった五味さんです。いつもいつも撮影をお願いしているので、五味さんが写ることはあんまりありません。いつもありがとうございます。

夜の部は、昼とは出し物が違います。「エイサー」は同じですが、もう一つは「繁昌節」を踊りました。みんな稽古の時よりも良かった。客席からも手拍子があがって、それに乗って踊れたみたい。

終演後の九段会館ホール玄関口。
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帰りに、昼の部で踊った「浜うり」を来年もう一回踊りたいという意見がありました。このまま終わらせては悔しいというのです。そういう気持ちが大切。是非やりましょう!リベンジです。

今日の舞台を見てくださったお客様へ。もしこの記事をお読みくださった方がいらっしゃいましたら、是非率直な感想をコメントでお寄せください。それを糧に、来年も頑張ります!
(宇夫方路でした)
[subcate.MAP琉舞教室]

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きのう閉まっていたお店へ、諦めきれずに再訪しました。
それは仲嶺舞踊小道具店。
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踊りで使うジーファーは、ここで売っているものがいいという噂を聞いたのです。ジーファーを作っている「クガニゼーク」は、もう又吉健次郎さんしかいない。ならば、ここで売られている踊り用のジーファーを作っているのは、いったい誰なのだろう。もしかすると、「カンゼーク」の謎を解く手掛かりがあるかもしれない……

しかし、残念ながら今日も人の気配はありません。仕方が無い、あきらめて帰ろうとしたその時でした。
向かいのお店のお兄さんが、近くで遊んでいた子どもに声を掛けた。
「お客さんが来ているよ」
すると、その子どもがこちらに向かって
「ちょっと待ってください。今おじいちゃんを呼んできます」
そう言って、お隣のお家に消えたのです。
「ありがとうございました。」と、向かいのお店にお礼を言って待つこと数分。
「お待たせしました」と、お店を開けてくださったのがこの方です。
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どことなく垢抜けして、キリリとしたお顔立ち。後で名刺を頂いて分かったことなのですが、劇団眞永座の座長、仲嶺眞永さんでいらっしゃいました。納得であります。
昭和10年のお生まれ。昭和28年に沖縄芝居の役者になったが、昭和46年、生活のために小道具製作に専念することにした。でも、やはり舞台への想いが強く、2年前、眞永座を旗揚げた。その舞台には、八木政男さんも、北村三郎さんも出演された。

「カンゼークについてお伺いしたいのですが」
「カンゼークというのは鋳掛屋ですよ。壊れた鍋やヤカンを直す職人です。ナービナクークーサビラー、鍋の修理をいたしましょうと掛け声をかけながら旅をした。数年前までこのあたりにも来ていましたよ」
数年前というのは、果たしていつごろなのだろう……
「鍛冶屋の仲間ですよ」
「カンジャーヤーとはどう違うのですか?」
「カンジャーヤーは仕事場を持っていて、もっと大きなものも作ったが、カンゼークは小さな道具箱を持って小さなものを直す仕事。カンジャーヤーより下に見られていた。」

これが、僕の探していた答えなのでしょうか。よくわからない。だが、まだ繋がらないものがある。辻の遊女が踊っていた踊り。その頭に挿していたジーファー。それはいったい誰が作っていたのか。そのジーファーは又吉健次郎さんが受け継ぐ「クガニゼーク」の作るジーファーと何がどう違うのだろう。
仮に、雑踊の「金細工(カンゼーク)」のように、遊女のジーファーを直していたのが「カンゼーク」であったとしたら、僕が持ち込んだジーファーを直してくださる健次郎さんは、それこそ「カンゼーク」の仕事をしているということなのではないか……。

お店で売っているジーファーを見せていただきました。
ジーファーとカミサシ(男性用のかんざし)、どちらも3,000円とのこと。カミサシの方は他に耳かきのような押差(オシザシ)がついて2本セットです。
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軽い。
「アルミです。」
「流し込み(鋳型)ですか」
「いえ、叩いて作っていますよ」
「そうなんですか」
僕には、道具を見る目はありません。でも、どうしても眞永さんの言葉を信じることができない。眞永さんは、何か勘違いをされているのではないだろうか。いくらアルミとはいえ、叩いて3,000円はあり得ない。
(※ちなみに「津波三味線店」という那覇のお店では、踊り用の合金メッキのジーファーが4,500円で売っています。また、健次郎さんのおっしゃっていた那覇の又吉さんが、アルミのジーファーも、ちゃんと叩いて作っていたという話を聞いたことがあるのですが、まさか3,000円ということはなかったと思うのです。)
  ⇒那覇の又吉さんについて書いてある記事
「又吉健次郎さんがジーファーを作っていますよね」
「ああ、コンクールとかに出るようなときは、いいものを挿すでしょうが、普段はもっとね。でも、それを作る人がいなくなってしまって」
「その方は、那覇の又吉さんでは」
「いや、なくすわけにはいかないのでね。頼んで作ってもらっています。」
何だか頭の中がシクシクしてきました。「クガニゼーク」を継承する又吉さんたちではなく、僕の全く知らない別の「金細工」の世界が、どこかにあるのでしょうか。
「その人のところへご案内しましょうか」
「え、それはうれしい。ありがとうございます。」
「今日はこれから出かけなければならないので、明日か……」
「明日、東京に戻らなければならないのです。今度来た時に是非とも」

僕は、ジーファーとカミサシのセットを購入して、お店を後にしたのです。
  ⇒上原直彦氏が書いた仲嶺真永さんのこと

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高山正樹 Masaki Takayama
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