10/03/17 : いろいろな始まりの予感
カテゴリ: 沖縄のことを…
本日の出来事です。
【お昼】
「金城さんの沖縄料理を食べる会」のため、PushPallのSpaceに設置されている水周りと料理器具の下見に金城さんと行きました。ついでにランチを食べました。

金城さんの沖縄料理を食べる会については、明日、ブログで告知する予定です。
【午後一】
いよいよMAP主催の三線教室がスタートです。新城亘先生傘下の教室ということで、ようやく始められることになりました。
以前ちょっとご紹介した持田明美さんと大御所(?)新城亘さんです。

持田さんは本家の沖縄語を話す会で、ずいぶんとウチナーグチを勉強されたのだそうです。國吉眞正さんのこともよくご存知でした。人前できちんと歌うためには、ウチナーグチの勉強は不可欠。M.A.P.の三線教室は「喜多見で沖縄語を話す会」と色々な交流をもってやっていこうと思っています。そのへんが他にはない私たちの「ウリ」ではないでしょうか。定期的に開催する予定(?)の「金城さんの沖縄料理を食べる会」も、そんな交流の一つだと思うのです。
三線教室に関しては、近々発表いたします。
そして、満を持して「三線(サンシン」のサブカテゴリーを作成しました。
【after_5】
事務所にお客様がいらっしゃいました。
20年くらい前、国際通りの久高民藝で買った琉球ガラスの鉢を、高山正樹が書斎の押入れの奥から探し出して持ってきました。

これって、再生ガラスなのかなあ。
今まで琉球ガラスにはあまり興味がなかったのだけれど、今日お客様とお話して、少し調べてみようかなと思い始めました。
さて、「琉球ガラス」というのサブカテゴリーをつくるまでいくのかどうか、今のところ生まれたばかりのミステリーで、先がまだよく見えません。
(お客様のYさんにも「金城さんの沖縄料理を食べる会」の御案内をしました。来てくだされば楽しいのになあ。)
【夜】
色々と決まったので、飲みたくなりました。お腹もすいたので今日は鳥研へ。
お通しとキャベツで始まって……


【深夜】
スナック“ぎま”に行きました。そして三線教室のこと、沖縄語を話す会のことなどをお知らせしました。
お店をやめたら、沖縄へ帰って暮らすんだというママ、本当はいろいろな会に出て行きたくて仕方がないのです。だけどお店があるからなかなかそれができない。でも、とりあえず無理をして、私たちの三線教室に顔を出してくださることになりそうです。
きっと、すぐにもスナック“ぎま”のサブカテゴリーを作らなければならなくなりそうですね。
常連のお客様を囲んでの記念撮影。

皆さん気のいい方々ばかりです。
スナック“ぎま”はカラオケスナックですが、この日は誰も一曲も歌いませんでした。それで楽しい。こうでなくっちゃね。一年後くらいには、ママが三線弾いて、高山正樹が歌って、宇夫方路が踊る、なんてお店になっているかもしれません。でもそれじゃあママ、カラオケで儲けられないね。
⇒ちょっとした関連記事。(コメントも併せてお読みください。)
『沖縄大百科事典』
ガラス工芸:沖縄でガラス製品が初めて作られたのは明治の後期。そのころは石油ランプのほや、漬物の瓶などを製造していた。戦後、米国人やその家族からの注文によって製造されるようになり、さらに職人たちの創意工夫が加えられ、南国的なおおらかさを感じさせる沖縄独特の手作りガラス工芸品が生まれた。割れ瓶やガラスの破片などを原料とするのが沖縄産ガラス製品の特徴。(後略)
※沖縄タイムスから『沖縄大百科事典』が刊行されたのが1983年です。それからどのように事情が変わってきたのでしょうか。ネットで検索すればいろいろと出てきますが。
僕のカミサンの妹のダンナさんが、かつて琉球ガラスの工房にいました。彼から色々と聞いたことがある。でも無責任にそれをここでお伝えすることは避けようと思います。こんど、きちんと聞いてこようと思っています。
【お昼】
「金城さんの沖縄料理を食べる会」のため、PushPallのSpaceに設置されている水周りと料理器具の下見に金城さんと行きました。ついでにランチを食べました。
金城さんの沖縄料理を食べる会については、明日、ブログで告知する予定です。
【午後一】
いよいよMAP主催の三線教室がスタートです。新城亘先生傘下の教室ということで、ようやく始められることになりました。
以前ちょっとご紹介した持田明美さんと大御所(?)新城亘さんです。
持田さんは本家の沖縄語を話す会で、ずいぶんとウチナーグチを勉強されたのだそうです。國吉眞正さんのこともよくご存知でした。人前できちんと歌うためには、ウチナーグチの勉強は不可欠。M.A.P.の三線教室は「喜多見で沖縄語を話す会」と色々な交流をもってやっていこうと思っています。そのへんが他にはない私たちの「ウリ」ではないでしょうか。定期的に開催する予定(?)の「金城さんの沖縄料理を食べる会」も、そんな交流の一つだと思うのです。
三線教室に関しては、近々発表いたします。
そして、満を持して「三線(サンシン」のサブカテゴリーを作成しました。
【after_5】
事務所にお客様がいらっしゃいました。
20年くらい前、国際通りの久高民藝で買った琉球ガラスの鉢を、高山正樹が書斎の押入れの奥から探し出して持ってきました。
これって、再生ガラスなのかなあ。
今まで琉球ガラスにはあまり興味がなかったのだけれど、今日お客様とお話して、少し調べてみようかなと思い始めました。
さて、「琉球ガラス」というのサブカテゴリーをつくるまでいくのかどうか、今のところ生まれたばかりのミステリーで、先がまだよく見えません。
(お客様のYさんにも「金城さんの沖縄料理を食べる会」の御案内をしました。来てくだされば楽しいのになあ。)
【夜】
色々と決まったので、飲みたくなりました。お腹もすいたので今日は鳥研へ。
お通しとキャベツで始まって……
たまごかけご飯で〆。
お店にチラシを貼ってもらいました。
【深夜】
スナック“ぎま”に行きました。そして三線教室のこと、沖縄語を話す会のことなどをお知らせしました。
お店をやめたら、沖縄へ帰って暮らすんだというママ、本当はいろいろな会に出て行きたくて仕方がないのです。だけどお店があるからなかなかそれができない。でも、とりあえず無理をして、私たちの三線教室に顔を出してくださることになりそうです。
きっと、すぐにもスナック“ぎま”のサブカテゴリーを作らなければならなくなりそうですね。
常連のお客様を囲んでの記念撮影。
皆さん気のいい方々ばかりです。
スナック“ぎま”はカラオケスナックですが、この日は誰も一曲も歌いませんでした。それで楽しい。こうでなくっちゃね。一年後くらいには、ママが三線弾いて、高山正樹が歌って、宇夫方路が踊る、なんてお店になっているかもしれません。でもそれじゃあママ、カラオケで儲けられないね。
⇒ちょっとした関連記事。(コメントも併せてお読みください。)
『沖縄大百科事典』
ガラス工芸:沖縄でガラス製品が初めて作られたのは明治の後期。そのころは石油ランプのほや、漬物の瓶などを製造していた。戦後、米国人やその家族からの注文によって製造されるようになり、さらに職人たちの創意工夫が加えられ、南国的なおおらかさを感じさせる沖縄独特の手作りガラス工芸品が生まれた。割れ瓶やガラスの破片などを原料とするのが沖縄産ガラス製品の特徴。(後略)
※沖縄タイムスから『沖縄大百科事典』が刊行されたのが1983年です。それからどのように事情が変わってきたのでしょうか。ネットで検索すればいろいろと出てきますが。
僕のカミサンの妹のダンナさんが、かつて琉球ガラスの工房にいました。彼から色々と聞いたことがある。でも無責任にそれをここでお伝えすることは避けようと思います。こんど、きちんと聞いてこようと思っています。

pamさんのコメント
http://lince.jp/hito/kitami...