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11月 1日火曜日: 台風の中を出陣
《8月6日(土)-1》
あの大震災から149日目……
朝6時半、天気予報によると、なんとか今夜の飛行機は大丈夫そうなのだが、しかしいっこうに台風の勢いは収まる気配を見せない。

嘉手納の銘菓を食べながら……

こんな感じ。

本日の予定。
白石准と楠定憲は、今夜の便で東京に帰る。それまではここでしっとり過ごすらしい。致し方なし。
宇夫方路はもう少し明るくなったら、家元の稽古場へ行く。実は本日、関りえ子琉球舞踊研究所のメンバーが、コンクールの新人賞を受けるのである。そのための最後の稽古とコンクール本番の手伝いに琉球新報ホールへ行かなければならないのである。
そして小生、高山正樹は、宇夫方女史を稽古場まで送り、そのまま取引先廻りである。数件回り終えたら糸満までレンタカーを返しに行き、那覇に戻ってコンクールの本番を見ようと思っている。
お目当ての出番が終わったら、また糸満へ。急遽糸満のコミュニティラジオの生本番に出演することになったのである。そして深夜のスカイマークで帰るという予定。
ああ忙しい。
午前8時、風雨は相変わらずだが、だいぶ明るくなってきた。ということで僕らは出発。津堅さんにはマンションをお貸しいただいて、本当に助かりました。感謝感謝です。
一階ロビー。土嚢で水の浸入を防いでいる。

しかし、町はすごいことになっている。
道の真ん中からは水が噴き出しているし……

街路樹は倒れているし……

取引先でのお仕事については後日報告ということで。

あの大震災から149日目……
朝6時半、天気予報によると、なんとか今夜の飛行機は大丈夫そうなのだが、しかしいっこうに台風の勢いは収まる気配を見せない。

嘉手納の銘菓を食べながら……

こんな感じ。

本日の予定。
白石准と楠定憲は、今夜の便で東京に帰る。それまではここでしっとり過ごすらしい。致し方なし。
宇夫方路はもう少し明るくなったら、家元の稽古場へ行く。実は本日、関りえ子琉球舞踊研究所のメンバーが、コンクールの新人賞を受けるのである。そのための最後の稽古とコンクール本番の手伝いに琉球新報ホールへ行かなければならないのである。
そして小生、高山正樹は、宇夫方女史を稽古場まで送り、そのまま取引先廻りである。数件回り終えたら糸満までレンタカーを返しに行き、那覇に戻ってコンクールの本番を見ようと思っている。
お目当ての出番が終わったら、また糸満へ。急遽糸満のコミュニティラジオの生本番に出演することになったのである。そして深夜のスカイマークで帰るという予定。
ああ忙しい。
午前8時、風雨は相変わらずだが、だいぶ明るくなってきた。ということで僕らは出発。津堅さんにはマンションをお貸しいただいて、本当に助かりました。感謝感謝です。
一階ロビー。土嚢で水の浸入を防いでいる。

しかし、町はすごいことになっている。
道の真ん中からは水が噴き出しているし……

街路樹は倒れているし……

取引先でのお仕事については後日報告ということで。


7月24日土曜日: 対馬丸記念館で消えたミステリー
(この記事、実は10月の14日に書いたのです。)
玉那覇ウシ商店と対馬丸記念館はすぐ近くです。対馬丸記念館に行くのが本日の一番目の公式作業。でも画像はありません。
⇒どうして画像が無いのかを書いた明日の記事を読む
でも、もともと画像は写しませんでした。あまりその気にならなかったのです。
ちょっと残念なご報告をしなければなりません。
事務局長の瑞慶覧さんが突然お辞めになりました。お父様の具合が悪くなって、その介護をなさるというのが理由だと伺いました。ふっと、宮城文子さんのことを思い出しました。文子さんは義母の宮城巳知子さんが少し弱られたからという理由で、長年続けてきた仕事も辞めて東京から沖縄に行ったのです。仕事よりも家族、そんな沖縄の心みたいなものを感じます。
実は、ここ対馬丸記念館で、あるイベントが実現間近だったのです。それをすべて仕切ってくださっていたのが瑞慶覧さんでした。残念ながら、それが白紙に戻ってしまいました。瑞慶覧さんに任せっきりにしていたのが……、というような瑞慶覧さんの上司の方のお話でした。本当の理由はわかりません。例の事業仕分けも大きく影響しているのかもしれません。いいたいことは山ほどあるのですが(実際、この日全部申し上げてしまったのですが)、ここでご報告することは控えます。
仕切り直しをすれば実現できるのかもしれません。その糸口をちゃんと作っておくのが今日の仕事、無理に拝んだり、ごり押ししてやるものではありません。まずは気持ちよく何かを共有できるかどうか、その可能性の見極めることからやり直しです。
M.A.P.after5には“mystery”なるカテゴリがあって、その中に“消えたmystery”というサブカテゴリがあります。そこに加える記事がひとつ増えました。
瑞慶覧さん、きっとまたどこかでお会いできる日があることを願っています。
対馬丸記念館で、こんな本を買いました。

(買ってきた本を後から撮影したのです。)
もう一度、きちんと勉強します。このツアーで、つい先日、プリティー千恵ちゃんから聞いた武州丸のこともあるしね。もしかすると、M.A.P.がやらなければならないのは、対馬丸ではなく武州丸なのかもしれません。
⇒旅の続きへ
玉那覇ウシ商店と対馬丸記念館はすぐ近くです。対馬丸記念館に行くのが本日の一番目の公式作業。でも画像はありません。
⇒どうして画像が無いのかを書いた明日の記事を読む
でも、もともと画像は写しませんでした。あまりその気にならなかったのです。
ちょっと残念なご報告をしなければなりません。
事務局長の瑞慶覧さんが突然お辞めになりました。お父様の具合が悪くなって、その介護をなさるというのが理由だと伺いました。ふっと、宮城文子さんのことを思い出しました。文子さんは義母の宮城巳知子さんが少し弱られたからという理由で、長年続けてきた仕事も辞めて東京から沖縄に行ったのです。仕事よりも家族、そんな沖縄の心みたいなものを感じます。
実は、ここ対馬丸記念館で、あるイベントが実現間近だったのです。それをすべて仕切ってくださっていたのが瑞慶覧さんでした。残念ながら、それが白紙に戻ってしまいました。瑞慶覧さんに任せっきりにしていたのが……、というような瑞慶覧さんの上司の方のお話でした。本当の理由はわかりません。例の事業仕分けも大きく影響しているのかもしれません。いいたいことは山ほどあるのですが(実際、この日全部申し上げてしまったのですが)、ここでご報告することは控えます。
仕切り直しをすれば実現できるのかもしれません。その糸口をちゃんと作っておくのが今日の仕事、無理に拝んだり、ごり押ししてやるものではありません。まずは気持ちよく何かを共有できるかどうか、その可能性の見極めることからやり直しです。
M.A.P.after5には“mystery”なるカテゴリがあって、その中に“消えたmystery”というサブカテゴリがあります。そこに加える記事がひとつ増えました。
瑞慶覧さん、きっとまたどこかでお会いできる日があることを願っています。
対馬丸記念館で、こんな本を買いました。
(買ってきた本を後から撮影したのです。)
もう一度、きちんと勉強します。このツアーで、つい先日、プリティー千恵ちゃんから聞いた武州丸のこともあるしね。もしかすると、M.A.P.がやらなければならないのは、対馬丸ではなく武州丸なのかもしれません。
⇒旅の続きへ
11月20日金曜日: 羅針盤のない航海
対馬丸記念館。

美しい女性はすぐアップにしたがるM.A.P.after5の悪い癖。

うれしきミステリー。
納品を終えて首里へ。コンビニに寄る。
できることならば、全てにおいてよき航海であることを願っているのだが。

沖縄でコンビニといえば「ローソン」か「ファミリーマート」。セブンイレブンはない。
僕にとって、ここ沖縄は、船に乗って来るか、空を飛んで来るかでしかたどり着くことのできない場所なのだということをあらためて思う。それから、僕の妻の、愛する故郷に歩いて帰れぬ場所に住むということの決意。
そして、この島を闊歩する故郷を持たぬ若者たちの喧騒。

まず、乾いた喉を潤して、あらためて「対馬丸」に向かおうと思っている。
「本当に伝えるべきことは何なのか」
座礁を避けて蛇行している間に、目的地を見失ってはならない。
ただ、頼れる羅針盤がない。
美しい女性はすぐアップにしたがるM.A.P.after5の悪い癖。
うれしきミステリー。
納品を終えて首里へ。コンビニに寄る。
できることならば、全てにおいてよき航海であることを願っているのだが。
沖縄でコンビニといえば「ローソン」か「ファミリーマート」。セブンイレブンはない。
僕にとって、ここ沖縄は、船に乗って来るか、空を飛んで来るかでしかたどり着くことのできない場所なのだということをあらためて思う。それから、僕の妻の、愛する故郷に歩いて帰れぬ場所に住むということの決意。
そして、この島を闊歩する故郷を持たぬ若者たちの喧騒。
まず、乾いた喉を潤して、あらためて「対馬丸」に向かおうと思っている。
「本当に伝えるべきことは何なのか」
座礁を避けて蛇行している間に、目的地を見失ってはならない。
ただ、頼れる羅針盤がない。
3月19日木曜日: 対馬丸通信が届きました。
Official_Blog にも書きましたが、対馬丸記念館から「対馬丸通信」18号が届きました。

それには昨年9月23日に琉球新報に掲載された“おきなわおーでぃおぶっく”の記事が紹介されていました。

他に記事がなかったのか、あんまりCDが売れないからか、いずれにしてもご紹介くださることはとても有難いことで感謝なのですが、今日ご紹介したいのは、その右ページの記事のことです。
「沖縄通信no.2」でご紹介した沖縄戦の遺骨発掘収集活動をしていらっしゃる「ガマフヤー」の具志堅隆松さんが、対馬丸記念館で講演をされました。その時の要旨が掲載されているのです。その中に、具志堅さんでなければ書けない一文がありました。それをここで、ちょっとご紹介したいと思うのです。
注釈なしで……
「壕内の収集でよく見られる、上半身が無い遺骨の原因が解ったときはショックでした。なぜ上半身が無いのか、それは手榴弾による自爆者の遺骨なのです。日本軍は兵士に手榴弾を2個与え1個はアメリカ兵を殺すため、もう1個は捕虜になる前に自分を殺すために使えと命令しています。(中略)そしてその遺骨の傍らには、アメリカ兵に対して使うことのなかった手榴弾が残っています。」

それには昨年9月23日に琉球新報に掲載された“おきなわおーでぃおぶっく”の記事が紹介されていました。


他に記事がなかったのか、あんまりCDが売れないからか、いずれにしてもご紹介くださることはとても有難いことで感謝なのですが、今日ご紹介したいのは、その右ページの記事のことです。
「沖縄通信no.2」でご紹介した沖縄戦の遺骨発掘収集活動をしていらっしゃる「ガマフヤー」の具志堅隆松さんが、対馬丸記念館で講演をされました。その時の要旨が掲載されているのです。その中に、具志堅さんでなければ書けない一文がありました。それをここで、ちょっとご紹介したいと思うのです。
注釈なしで……
「壕内の収集でよく見られる、上半身が無い遺骨の原因が解ったときはショックでした。なぜ上半身が無いのか、それは手榴弾による自爆者の遺骨なのです。日本軍は兵士に手榴弾を2個与え1個はアメリカ兵を殺すため、もう1個は捕虜になる前に自分を殺すために使えと命令しています。(中略)そしてその遺骨の傍らには、アメリカ兵に対して使うことのなかった手榴弾が残っています。」
2月 4日水曜日: 沖縄出張4日目、長ーい一日
朝一、対馬丸記念館再訪、“カクテル・パーティー”納入。
時間がちょっとあるので…
福州園へ
あら休園。

じゃあ、ということで識名園へ
途中、与儀公園の脇を通ったので……

休憩中(?)のおじさん二人と、よく見えませんが「フレンド」という赤い看板を撮影してみました。
夜、女性一人で歩いても安心な公園。なぜ?
男性の場合は100円ライター2回カチカチが合図だとか。何の?
ミステリー。
識名園、おや休園。

残念。そうだ、せっかくここまで来たんだから識名壕を覗いてみましょう。
今回は、お家の方にご挨拶ができました。でも灯を持っていないので、ちょっと入口を見るだけです。前回の画像は中から撮影したものです。

ここに休園なんかありません。毎日の生活の中に祈りがあるのだから。
振り返れば、ここにも生活の匂いがするこんな風景が拡がっています。

⇒前回の識名園と識名壕の記事を読む。
お昼。
沖縄タイムスで教わった「てぃあんだー」で食事、そばタイムです。

さあ、食べるわよ、長島さん!

長島さん。お久しぶりです。長島千加さんは白石准ウォッチャーです。山猫合奏団沖縄誘致を画策してくださっていたりするのですが、夕刊がなくなるくらいの不景気で、なかなか「ムチカシー」、じゃない「ムチカサン」。

ご馳走様でした。 …ん?

「売切れ次第で完売」って、この看板、なんか変じゃない?
さて、お仕事の始まりです。金城君も合流。
沖縄テレビへ。
船越義輔さんは営業部長。
「対馬丸」は大城立裕・嘉陽安男・船越義彰の共著ですが、義輔さん、その船越義彰氏の御子息でいらっしゃいます。そんな繋がりで、大城立裕さんからご紹介して頂いたのです。

長島さんが撮影。ちょいと笑顔が足りないなあ。みんなちょっとお疲れかな。
ここでもちょっとおもしろいお話を伺いました。これも近いうちにOfficial_Blogにてご報告します。お楽しみに。)
商用でおきなわ堂へ。商談のお相手はいしだ文栄堂卸部の部長さん。

いよいよ始動!ミステリーの解明はすぐそこです!
で、人類館はどうしたかというと…

あれ本日入荷?納入したのは1日なのに。でも、確かにこのほうが新鮮味があって、すぐにでも買いたくなるね。せっかく作ったPOPも、一日だけ使ってポイじゃもったいないし。魚屋さんではないので賞味期限偽装ではないよね。許される範囲の営業努力ということで見逃してください。
と、大城立裕氏より携帯に電話あり。
「できたけど、今日来ないの」
確かにお願いしていたことがあったのですが、相変わらずお早い対応に感謝。「来ないの?」とおっしゃられれば、行かないわけにはいきません。
「飛んで参りますとも」
本日の大城立裕さんです。

というか、高山君、だんだん厚かましくなってません。
大城先生の「呆れたもんだ」という感じの笑顔。
記念撮影です。奥様が撮ってくださいました。

長島さんとは、ここでお別れ。次は、きっと白石准を連れてきますね。
金城君に案内してもらって桜坂劇場へ行きました。
⇒桜坂劇場のOfficial_Site
ここのホールで「どんぐりと山猫」とかできないかな。「ウラジロガシと西表山猫」版。
市民講座でも、何かできるかもしれない。宇夫方路の日舞教室なんてのはどうだろう。高山正樹の「標準語朗読講座」とか「鼻濁音講座」とか。はたして面白がってくれるか、石もて追われるか。
(ここまで書いて八木政男さんのお話を思い出しました。これもまたそのうちにOfficial_Blogにて。)
玉城さんと待ち合わせした時間にはまだ少し時間があります。劇場の前のベンチで、しばらくボーっと、道行く人たちを眺めていました。いい季節です。内地は温暖化で季節が失われている、そして春と秋が、とても短くなっている気がします。沖縄にはその春と秋が残っている、そんなことを実感した時間なのでした。
ボチボチ行こうか。テクテクと…
沖縄カフェ「ZOU」へ。

⇒前回訪れた日」の記事


先に来ていた玉城さんと、授業が終って駆けつけてくれたプリティちえちゃんです。
玉城さんはウチナーグチペラペラ。尊敬しちゃう。
そしてプリティちえちゃんは、ほんとうに高校の英語の先生なのです。メモなんか取っちゃって、やっぱり尊敬しちゃう。
そうか、つーこたァ、ふたりともバイリンガルかい。
「ところでちえちゃん、そのカッコで授業してきたの」
「そうだよん」
ちえちゃんはここでお帰りです。今度、具体的なこと、ゆっくりとお話ししましょう。

(プリティちえちゃんの本名は宮城千恵さん。説明するのがややっこしいので前の記事を読んでください。⇒http://lince.jp/hito/pritytiechan.html)
「土」に行く前に、屋良文雄さんに会えるのは今日の今しかないと、急遽、屋良さんのお店の「寓話」へ電話して、屋良さんがピアノを弾く時間を確認して、さあレッツラゴーです。
よかった、間に合った。

沖縄ジャズの真髄を、今、目の当たりにしているのです。
ドラムスも、サックスも、ウッドベースも、みんな渋かったけど、屋良さんだけを見ていた気がする。

なんだろう、このどうしようもない自然体は……
しびれたのです。
金城君は、じのんで買った本を小脇に抱えていたのですが、それを見つけた屋良さん。
「勉強なんかしちゃだめだ」
このオジイにしか言えない深いおことばです。

今度一緒に、おもしろいことやりましょうと、お約束しました。
屋良文雄さんに、きっと外交辞令はありません。
白石准ちゃん、わかった? 沖縄が呼んでるよ!
パラダイス通り「土」へ。

さらし首の薄ら笑い。

(玉城さんは、限界まで付き合ってくれて、途中で走って帰りました。無事、帰れたかなあ…)
旅の続きへ
時間がちょっとあるので…
福州園へ
あら休園。

じゃあ、ということで識名園へ
途中、与儀公園の脇を通ったので……

休憩中(?)のおじさん二人と、よく見えませんが「フレンド」という赤い看板を撮影してみました。
夜、女性一人で歩いても安心な公園。なぜ?
男性の場合は100円ライター2回カチカチが合図だとか。何の?
ミステリー。
識名園、おや休園。

残念。そうだ、せっかくここまで来たんだから識名壕を覗いてみましょう。
今回は、お家の方にご挨拶ができました。でも灯を持っていないので、ちょっと入口を見るだけです。前回の画像は中から撮影したものです。


ここに休園なんかありません。毎日の生活の中に祈りがあるのだから。
振り返れば、ここにも生活の匂いがするこんな風景が拡がっています。

⇒前回の識名園と識名壕の記事を読む。
お昼。
沖縄タイムスで教わった「てぃあんだー」で食事、そばタイムです。

さあ、食べるわよ、長島さん!


長島さん。お久しぶりです。長島千加さんは白石准ウォッチャーです。山猫合奏団沖縄誘致を画策してくださっていたりするのですが、夕刊がなくなるくらいの不景気で、なかなか「ムチカシー」、じゃない「ムチカサン」。

ご馳走様でした。 …ん?

「売切れ次第で完売」って、この看板、なんか変じゃない?
さて、お仕事の始まりです。金城君も合流。
沖縄テレビへ。
船越義輔さんは営業部長。
「対馬丸」は大城立裕・嘉陽安男・船越義彰の共著ですが、義輔さん、その船越義彰氏の御子息でいらっしゃいます。そんな繋がりで、大城立裕さんからご紹介して頂いたのです。

長島さんが撮影。ちょいと笑顔が足りないなあ。みんなちょっとお疲れかな。
ここでもちょっとおもしろいお話を伺いました。これも近いうちにOfficial_Blogにてご報告します。お楽しみに。)
商用でおきなわ堂へ。商談のお相手はいしだ文栄堂卸部の部長さん。

いよいよ始動!ミステリーの解明はすぐそこです!
で、人類館はどうしたかというと…

あれ本日入荷?納入したのは1日なのに。でも、確かにこのほうが新鮮味があって、すぐにでも買いたくなるね。せっかく作ったPOPも、一日だけ使ってポイじゃもったいないし。魚屋さんではないので賞味期限偽装ではないよね。許される範囲の営業努力ということで見逃してください。
と、大城立裕氏より携帯に電話あり。
「できたけど、今日来ないの」
確かにお願いしていたことがあったのですが、相変わらずお早い対応に感謝。「来ないの?」とおっしゃられれば、行かないわけにはいきません。
「飛んで参りますとも」
本日の大城立裕さんです。

というか、高山君、だんだん厚かましくなってません。
大城先生の「呆れたもんだ」という感じの笑顔。
記念撮影です。奥様が撮ってくださいました。

長島さんとは、ここでお別れ。次は、きっと白石准を連れてきますね。
金城君に案内してもらって桜坂劇場へ行きました。
⇒桜坂劇場のOfficial_Site
ここのホールで「どんぐりと山猫」とかできないかな。「ウラジロガシと西表山猫」版。
市民講座でも、何かできるかもしれない。宇夫方路の日舞教室なんてのはどうだろう。高山正樹の「標準語朗読講座」とか「鼻濁音講座」とか。はたして面白がってくれるか、石もて追われるか。
(ここまで書いて八木政男さんのお話を思い出しました。これもまたそのうちにOfficial_Blogにて。)
玉城さんと待ち合わせした時間にはまだ少し時間があります。劇場の前のベンチで、しばらくボーっと、道行く人たちを眺めていました。いい季節です。内地は温暖化で季節が失われている、そして春と秋が、とても短くなっている気がします。沖縄にはその春と秋が残っている、そんなことを実感した時間なのでした。
ボチボチ行こうか。テクテクと…
沖縄カフェ「ZOU」へ。

⇒前回訪れた日」の記事


先に来ていた玉城さんと、授業が終って駆けつけてくれたプリティちえちゃんです。
玉城さんはウチナーグチペラペラ。尊敬しちゃう。
そしてプリティちえちゃんは、ほんとうに高校の英語の先生なのです。メモなんか取っちゃって、やっぱり尊敬しちゃう。
そうか、つーこたァ、ふたりともバイリンガルかい。
「ところでちえちゃん、そのカッコで授業してきたの」
「そうだよん」
ちえちゃんはここでお帰りです。今度、具体的なこと、ゆっくりとお話ししましょう。

(プリティちえちゃんの本名は宮城千恵さん。説明するのがややっこしいので前の記事を読んでください。⇒http://lince.jp/hito/pritytiechan.html)
「土」に行く前に、屋良文雄さんに会えるのは今日の今しかないと、急遽、屋良さんのお店の「寓話」へ電話して、屋良さんがピアノを弾く時間を確認して、さあレッツラゴーです。
よかった、間に合った。

沖縄ジャズの真髄を、今、目の当たりにしているのです。
ドラムスも、サックスも、ウッドベースも、みんな渋かったけど、屋良さんだけを見ていた気がする。

なんだろう、このどうしようもない自然体は……
しびれたのです。
金城君は、じのんで買った本を小脇に抱えていたのですが、それを見つけた屋良さん。
「勉強なんかしちゃだめだ」
このオジイにしか言えない深いおことばです。

今度一緒に、おもしろいことやりましょうと、お約束しました。
屋良文雄さんに、きっと外交辞令はありません。
白石准ちゃん、わかった? 沖縄が呼んでるよ!
パラダイス通り「土」へ。

井上真喜ちゃんと再会。

宇夫方さん、ガサガサ何してるの、ふたりに笑われてるよ。

宇夫方さん、ガサガサ何してるの、ふたりに笑われてるよ。
さらし首の薄ら笑い。

酔っぱらいの馬鹿笑い。

なんという一日。
(玉城さんは、限界まで付き合ってくれて、途中で走って帰りました。無事、帰れたかなあ…)
旅の続きへ
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2月 2日月曜日: 大城立裕氏(沖縄2日目の午前中)
朝一番、対馬丸記念館へ。
下の画像にもありますが、あの中島高男さんの本が出版されました。
⇒Official_Blogを読む
対馬丸記念館の裏には、琉球王府より特別な扱いを受けた八つの神社(琉球八社)のひとつ、波上宮があります。

なんだか大和風で、拍子抜けしますか? これも、沖縄です。
またその隣には波上山護国寺という沖縄最古のお寺もあるのです。察度王時代の1368年、波上宮の別当寺として建立され琉球王の勅願寺でした。境内には、明治初期のキリスト教宣教師ベッテルハイムの碑もあります。
いずれご紹介しましょう。
この護国寺と対馬丸記念館の関係は、こちらをどうぞ。
⇒対馬丸記念館のホームページ
そして、久米明さんのことをご報告に、大城立裕先生のお宅へ。
立裕オジイはカメラを向けると、いつも難しいお顔をされるので、なんとか笑わせて、写真家の石川真生さんが撮影したような笑顔をゲットしたかったのですが……。


まあ55点というところでしょうか。
ちなみに、芥川賞決定の電話を受け大喜びの大城氏という、あの有名な写真は、実際の芥川賞決定報告の電話を切ったあとに、写真を撮りそこなった新聞記者に頼まれてポーズを取った「やらせ」なのだそうです。ああ、こんなこと、バラしてしまっていいのでしょうか。まあ、おめでたいことだし、やらせに乗ったのも喜びの延長の遊び心だったということは、皆さんの笑顔を見れば分かります。時効ということでひとつお許しください。
大城氏のご自宅を辞して、さあ、金城くんと再会です。
旅の続きへ
下の画像にもありますが、あの中島高男さんの本が出版されました。

⇒Official_Blogを読む
事務局長の瑞慶覧さんと記念撮影。

なんか変ですか…。
昔の美川憲一さんをちょいと太らせた感じ?
もすこし笑ってくださればいいのにね。
きっとカメラマンの問題ですねえ。

なんか変ですか…。
昔の美川憲一さんをちょいと太らせた感じ?
もすこし笑ってくださればいいのにね。
きっとカメラマンの問題ですねえ。
対馬丸記念館の裏には、琉球王府より特別な扱いを受けた八つの神社(琉球八社)のひとつ、波上宮があります。


なんだか大和風で、拍子抜けしますか? これも、沖縄です。
またその隣には波上山護国寺という沖縄最古のお寺もあるのです。察度王時代の1368年、波上宮の別当寺として建立され琉球王の勅願寺でした。境内には、明治初期のキリスト教宣教師ベッテルハイムの碑もあります。
いずれご紹介しましょう。
この護国寺と対馬丸記念館の関係は、こちらをどうぞ。
⇒対馬丸記念館のホームページ
そして、久米明さんのことをご報告に、大城立裕先生のお宅へ。
立裕オジイはカメラを向けると、いつも難しいお顔をされるので、なんとか笑わせて、写真家の石川真生さんが撮影したような笑顔をゲットしたかったのですが……。



まあ55点というところでしょうか。
ちなみに、芥川賞決定の電話を受け大喜びの大城氏という、あの有名な写真は、実際の芥川賞決定報告の電話を切ったあとに、写真を撮りそこなった新聞記者に頼まれてポーズを取った「やらせ」なのだそうです。ああ、こんなこと、バラしてしまっていいのでしょうか。まあ、おめでたいことだし、やらせに乗ったのも喜びの延長の遊び心だったということは、皆さんの笑顔を見れば分かります。時効ということでひとつお許しください。
(文責:高山正樹)
大城氏のご自宅を辞して、さあ、金城くんと再会です。
旅の続きへ
8月11日月曜日: 一方沖縄では大城立裕先生にインタビュー
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