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《9月5日(月)》
大震災から179日目……

【この日呟いたこと……】

11:24
五日間ネットから離れた。すると世の中の出来事が見えなくなった。その隙間をポケットの中の線量計が埋めた。「顕著な変化なし」だが僕の機種で計れるのはγ線のみ。α・β線は分からない。目の前の食物の正体も不明。精進落としの刺身をつつきながら、僕はそんなことを考えていた。

12:43
腎臓癌の術後しばらく自然食にしていた。仕事に復帰して、仕方なくコンビニ弁当も食べるようになったが、食後いつも気持ちが悪くなった。一ヶ月くらいで慣れた。まだ転移はしていない。直ちに健康に影響などないし、たとえあっても原因なんか分からない。

18:09
疲れが溜まっていて、免疫力を回復するためには保養が必要。というわけで、ボーっとなでしこジャパンの試合をテレビで見ているんだが、女子サッカーって、歓声がないとこんなにつまらなかったんだ。

18:47
実は放射線で壊れた細胞を修復するために保養が必要と言いたかったのだ。喉の調子が一ヶ月経っても戻らない。色々調べたが、放射線の影響の可能性を100%否定しきれないのでいる。α線?β線?因みに、線量計を入手して以来、書斎のベランダで計るγ線の値は、0.1μSvを下回ったことがない。




沖縄からの客人は、僕の書斎に泊まってもらった。そのために徹底的に掃除をした。客人は昨日沖縄に帰った。そこであらためて線量を計ってみたのだが……
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0.11μSv/h、ちっとも変わらない。やはりこのほんのちょっと高めの線量は、建物の素材に由来するものなのか。しかしそれって自然線量なのか人工線量なのか。
 ⇒安全デマか煽っているのか《自然線量を考慮しないと……》
だが、元来放射線自体は、それが自然線量だろうが人工線量だろうが、そこに質的な区別は全くないわけで、よく言われる「一年間に許容される人工放射線量」というのは、人間の健康を考えての絶対的な指標ではなく、人間が寿命で早死にするのは問題にならないが、人為的なことで寿命を縮めることは許されないという倫理規定のようなものなのである。

各地の原発は完全に放射線を管理できているわけではない。ほんのわずかかもしれないが、チビチビとおかしなものを漏らしている。しかしそれをいちいち気にして、不安がったり怒ったりするストレスは、間違いなく漏れている放射線より健康に悪影響を及ぼす。だからそんなちっぽけなことは忘れているほうが体にはいいに決まっている。しかし、原発関係者が「だからいいでしょ」と言うとしたら、それこそ「盗人猛々しい」のである。

例えば1000円盗まれたとする。その犯人探しに時間がかかるとしたら、その時間どっかでアルバイトしたほうがずっといい。しかし、だから犯人をほったらかしにしていいという法はない。本来、犯人は捕まえなければならないのである。

盗まれた1000円をどう考えるのか、これが池田信夫の煙草や交通事故と原発を比較するくだらない理屈の一面の正体である。
しかし事態は、もはやそんな倫理規定の議論をしている場合ではないところまで切迫しているらしい。それを頭から馬鹿にしていた池田信夫は二重の阿呆。今や、誰もが盗まれた額面1000円の、本当の意味を測りかねている。

一週間前の予告の通り、後編が始まった。
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これについては、後日。

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この話も後日、宇夫方女史から。


11月10日木曜日: 日常……(再投稿)

《8月29日(月)》
大震災から172日目……
赤ん坊たち。
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いかん、擬人化することはやめようと決めたんだ。


11時19分。本日の事務所の空間放射線量。
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0.07μSv/h。


【何故か呟きたくなった……】
18:50
昔。毎晩僕は眠りの中で自分が癌であることを忘れた。朝「癌?いやな夢……」スーッと意識がはっきりするにつれ「夢じゃない、俺は癌なんだ」と思い知らされた。そんな毎朝の目覚めが怖かった。今、多くの人が、考えたくないことを朝の来ない夢の中へ追いやろうとしている。

分かりにくい呟きだ。
2009年の6月のこと、ある人の死が契機になって、僕は“社長とは呼ばないで”にひとつの記事をアップした。
 ⇒乗り越えてはいない
そうか、僕はこの文章の要約を呟いたのだ、と、呟いた後に気がついた。
これ、流行の言葉で言えば、正常性バイアスってやつだ!


夜8時帰宅。
やっぱり気になる我が書斎のちょっと高めの線量。
入る前にドアの外で調べてみた。待つこと5分。0.11μSv/hから動かない。
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因みに、鍵にくっついている飾りはサーターアンダギー。
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言われなきゃなんだか分からない。
さて、中はどうなんだ?
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おんなじだ。ということはこの建物全体が高いのか。建材が原因?だとすれば気にすることはなく、ひとまず安心なのだが。

ある人のツイッターで、金城実さんのTV出演情報を知った。BSをつけてみる。
鶴瓶のなんとかという番組。結局今日は金城さん、出てこなかった。
予告編。
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どうやら来週の後編にお出ましらしい。
ナレーションは久米明さん。声は建材、じゃない御健在。ひとまず安心。
だが、洒落ではなく、訓練された俳優の声って、まるで強固な建材のようだななんて思いついて、ひとり部屋の中でニヤニヤしていた。

すると、「日常」という言葉が、ふいに思い浮かんだのだった。
(高山正樹)


宇夫方女史から、この日の報告が届いた。

私がお世話になっているオフィス成城保険の懇親会が、今晩ありました。久しぶりにみんなの顔が揃いました。世田谷支社の担当の方も見えました。そして成城学園前のイタリア料理のお店で、みんなで食事をしました。
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8月17日のS社での記事もそうなのだけれど、今までなら書かなかった類の話題。なぜそんな報告をアップしたのか。
これから、こうした仕事の報告が増えるということかというと、そうではなくむしろ逆で、今書いておかなければ、今後書く機会がなくなってしまうかもしれないから、それで書いた記事なのだ。

いつまでも変わらないと無意識に信じている日常は、いつだって少しずつ変質していっているのであって、そして、なんの予告もなしに突如弾けるのだ。地震のように。



M.A.P.の記事のアップは、時系列が無茶苦茶である。しかし、実は関連した一連の記事は、それぞれ出来るだけ順番を崩さないようにアップしているつもりなのである。例えば沖縄の話しは、なかなか即時に書くことが出来ないような内容も多い。特に書くのに苦労する記事は、悩みに悩んで、数ヶ月後にアップなどということになる。すると、それ以後の簡単な話も、停滞している記事と関係していると、下書きのママ決定稿にはならずにアップの順番待ちとなる。

特に基地関連のことなどは、なかなかナイーブなこともあって、本日10月23日現在、7月17日の高江の記事が未だ決定稿とならず、それ以降の様々な記事がアップできないという有様なのだ。
※(10/25)高江のこと、やっとアップしました。

例えば、 もうだいぶ前のハナシだが、“六千人の命のビザ”の本番二日間の記事が未だ暫定のママ決定稿にできないでいるのは、たまたま初日の9月16日に撮影した一枚の画像から得たインスピレーションが原因なのである。
音響の渡邉禎史さんが喫煙室の中で座っている画像
僕はこの画像からアウシュビッツのガス室を連想してしまった。すると途端に金城実氏が禁煙について語った講演ことを思い出したのである。
金城実氏については、いくつもの暫定記事があってアップ準備中なのだが、そこで書きたいことは、どれもこれもおいそれとやっつけられるような代物ではない。まずは7月22日の暫定記事からなのだが、なかなか忙しくて落ち着いて考える時間が取れないのだ。

どうも小生の粘着気質がいけないらしい。要するにブログ向きの文章が、小生には書けないらしい。会う方会う方に、ブログに書きますねなどとお約束しながら、全く書かずにいて外交辞令だけのいい加減な奴みたいになっている。当たり前だ。何十日も書かずにいれば、書く気がないと思われても仕方がない。陳謝するのみであるが、しかし必ず書く。どんなに遅れても、どんなに読みにくくても。どうかお見捨てなきよう、ただただ平伏。

というわけで、新しい記事はゴーヤーばかり、ああゴーヤー日記書いてる人ね、などと言われている。つまり、このブログを案内して読んでくださる殊勝な方も、せいぜいトップページの3つぐらいの記事しか読んでくださらないということなのだろう。それがきっとブログというものなんでしょうなあ。

しかし是非、ワンクリック、ツークリックして過去の記事を開き、一生懸命書いた記事を読んでくださいますよう、心からお願い申し上げます。

【今日のゴーヤー】
昨日のことがあるので、残った2本のゴーヤーも、よくよく見た。
最後の2本のゴーヤー
するとそのうち一個が、やっぱり一部分黒ずんでいる。
黒ずみのあるゴーヤー
わかりにくいのですが……
黒ずみのあるゴーヤー2
角度を変えて、って、おんなじか?
黒ずみのあるゴーヤー3
最初のゴーヤーから見る
6日後のゴーヤーへ

宇夫方女史、出陣時間にて、切って中を確かめるのは、また後のお楽しみ。


8月23日月曜日: 収穫のタイミング

朝です。

収穫のタイミングが難しい。
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当然食べたいし、来年のために種も取りたいからね。

しかし今年はホントに多難です。
四日前にこう(↓)だった小さなゴーヤーが……
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こんなになっちゃいました。
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それからやっぱり四日前のブサイク君ですが……
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こいつは頑張って、大きくなってきた。
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ポコポコ生まれたチビゴーヤーたちは……
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これとか…
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あれとか…
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こいつとか。
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どれもこれも小さいうちにもう黄色くなってきました。
ひどいのは、こんなのです。
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あさってのゴーヤーへ
最初のゴーヤーから見る
デジカメで撮影したり、水をあげたりして、それから今日も自転車で代田橋へ、稽古です。

第143回芥川賞発表。受賞作は赤染晶子さんの「乙女の密告」。
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アンネ・フランクをゲシュタポに密告したのはいったい誰なのか。ユダヤ人のアイデンティティを京都外国語大学の「乙女」たちと重ね合わせる不思議な作品。
ちなみに、金城実さんの母校も京都外語大です。

芥川選評について、高山正樹は言いたいことがあるのです。それはいずれ“社長とは呼ばないで”に書くのです。


どうやらこの二つのゴーヤーだけは収穫できそう。
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どちらも去年のゴーヤーの種から育ったもの。
あさってのゴーヤーへ
最初のゴーヤーから見る

今日から代田橋。
“六千人の命のビザ”
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いずれ告知するが、カテゴリをどうしようか。この芝居だけに限ったカテゴリにはしたくない。正直に言えば、杉原千畝・幸子夫妻の「美談」には殆ど興味がない。この史実の裏側にある得体の知れない暗黒の景色を、僕は眺めていたいだけなのだ。
カテゴリは、断固ユダヤ(Jew)に決めた。
※でもやっぱり「六千人の命のビザ」のカテゴリも作成することにしました。(12/3)

稽古の後、一度事務所に戻って、夕方、また出掛ける。西山監督から預っていたDVDを返しに、三軒茶屋で行われている上映会に伺った。ちょうど映写が終わって、金城実の「独演会」が始まった頃に到着した。
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(後日、少し面倒なことを、書きたいと思っている。)
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 ⇒関連記事(大逆事件のこと)


7日に告知したことですが……
茅場町にある新川区民館の7号室にて。
西山監督の映画「チビチリガマから日本国を問う!」上映&トーク
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8月6日はトークショーだけでしたが、今日は上映会の後のトークショーということだったので、映画についての感想、質疑応答みたいな形で始まりました。
 ⇒「チビチリガマから日本国を問う!」の案内記事
「ちと長いなあ」
金城実さんが口火を切ります。まあ、この件については、「西山監督もしつこいからなあ」という愛情の篭った金城さんのまとめで終わりにしましょう。こうした映画について、物理的な時間の適正な長さみたいなものを語ってみてもつまりません。
そういえば、M.A.P.でもこの映画の上映会を開いたのに、小生、内容について、個人的には何も書いていなかったですね。ということで少しだけ。
僕の感想は、西山監督がM.A.P.の本部にお泊りになった日に監督にはお伝えしました。
最後の場面、読谷での集会の光景。そこに特定の政治集団の旗はなく、殆どが各市町村のものであったこと。カメラはゆっくりとそんな群集の姿をパンしながら捉えていく。あの4月25日の沖縄読谷の県民大会は、党派立場のようなものを越えた市民たちが、個人の意思で参加したものであったということ、無言だが、映像は雄弁にそれを物語る。それは感動的なラストでした。そういう僕の感想に、監督はそうなんだよと深く同意してくださったのです。
でもそのあと、僕はこんな記事を書きました。
 ⇒集まったのは左寄りの人たちだけで、地元は云々というハナシもあり……
また、各市町村といっても、その旗を提供しているのは各役所で、役所の職員たちは、基地がなくなっても給料のさがらない極めて生活の安定した人たちなのだ、そんなハナシも聞きました。他にもいろいろと異論はあるのでしょう。
しかし、たくさんの方たちの意見を聞いてみた上での僕の印象を言えば、市民レベルでの静かな叫びという、この映画のラストのイメージが、やっぱり実態に一番近いのではと、今僕は思っています。

打ち上げにもお邪魔しました。
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5月26日のM.A.P.で企画した西山監督の“ゆんたんざ沖縄”上映会に来て下さった高橋美香さんもいらっしゃいます。
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今回、金城実さんは今月6日から来週21日土曜日まで、茅場町のGALLERY MAKIで開催されている作品展のために東京へいらしたのですが、それに合わせて、東京各地で西山監督の新作「チビチリガマから日本国を問う!」の上映会も開かれています。その各会場では、高橋美香さんが撮影した金城実作品の写真を展示しているのです。
(※僕たちが沖縄読谷にある金城さんのアトリエに伺ったのは、ちょうどこの作品展のための荷出しが終わって一息ついた時で、金城さんご自身も明日東京へ出発しなければならないというとってもラッキーなタイミングでした。)

打ち上げは自己紹介で始まったのですが、皆さんそれぞれ思いが深く、また様々な活動をされている方たちばかりで、自己紹介の時間は延びに延びて、結局終わりの方は、すでにラストオーダーの時間もとっくに過ぎて、一人3分という指示が司会者から出たのですが、それもママならず、最後はお店の人に水を頼んでも断られました。
(※僕は人類館のCDを制作して販売していますみたいことをじゃべりました。知ってる、買ったよ見たいな方もいらっしゃって、ありがたいことです。)

やっとお開き。川岸さんも一緒です。帰るまえに記念撮影を。
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なんか視線が変じゃない?
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金城さんが川岸さんに名刺を上げようかということになったのですが、そうしたら大変なことになってしまいました。
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「どこやったかなあ」
そこらじゅう金城さんの着替えだらけ。
「金城さん、もういいです」
「あったあった」

最後の最後。
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「あんたもさ、いい仕事してるんだからさ、がんばれよ」
ありがとうございます。また今度、酒持って読谷にお邪魔します。


8月 8日日曜日: (まず画像のみ)

昨日の8月6日から始まっているのですが……
彫刻家・金城実氏の東京滞在イベント「沖縄を忘れた日本」
……のお知らせです。
先日、沖縄の読谷にある金城実さんのアトリエに伺った時にご案内されていたのですが、今日まで多忙で告知できませんでした。陳謝。
●金城実彫刻展「島の土から」
期間:8月6日(金)~8月21日(土)12時~19時
(但し本日7日は休み)
会場:GALLERY MAKI(Tel・Fax:03-3297-0717)
日比谷線・東西線茅場町駅、3番出口下車隅田川方向へ徒歩7分
E-mail:gallerymaki@hotmail.com

●パネルトーク「差別の構造~沖縄という現場」
金城実/石川文洋(写真家)/鎌田慧(作家)/辛淑玉(人材育成コンサル
タント)、他に知花昌一(読谷村議)も参加予定。
日時:8月7日(土) 14時~17時 ※今日です!
参加費:500円
場所:日本教育会館8階第3会議室(Tel:03-3230-2831)
都営新宿線・半蔵門線神保町駅A1出口下車徒歩3分

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●映画「チビチリガマから日本国を問う!」上映&トーク
日時:8月13日(金)17時30分開場上映18時~
場所:新川区民館7号室
参加費:1,000円
トーク:金城実/小倉戸利丸(富山大学教員)/西山正啓(記録映画作家)


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» 続きを読む

《2010年7月23日》
彫刻家、金城実氏のアトリエは読谷の儀間にある。「ホテル日航アリビラ入口の交差点から残波岬方面へ向かい1つ目を右折すると金城実アトリエの看板がある」と、箆柄暦(ぴらつかごよみ)という沖縄関連イベント情報サイトに案内がある。
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残波岬から南へ2km、海から東へ1kmあたり、大小のサトウキビ畑と住宅の混在する地域の一角。大きなトラックが出発しようとしていた。8月から東京で開催される金城実展に出品する作品を、たった今積み終わったところで、明日には金城実さんも沖縄を出発する。僕らは実にいいタイミングだったようだ。今日を逃しては、金城さんとお話しできる機会はずっと先になったに違いない。

初対面の挨拶など特にない。土のオーナーのごうさんが一応僕らのことを紹介してくれたが、どうやらそんなものも必要ない。金城さんにとっては、近所の顔見知りがちょっと寄ったのとなんら変わりがないようだ。トラックを見送ると、アトリエの中へ招かれるでもなく、当然のようにみんなで入っていった。

金城さんは、テレビ番組のDVDが送られてきたから見るかとごうさんに聞く。見る見ないの返事なんか待つことなく、DVDを持ってきて機械にセットした。
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沖縄で放送されたばかりのTV番組らしい。
JNNルポルタージュ“ちゃーすが(どうする)!?沖縄~金城実のレジスタンス”
「なかなかうまく編集してるなあ」
関東でも、いずれ放送されるはずである。

作品の多くはトラックに載って出かけてしまったが、残ったものや製作中のものを見せていただいた。それらは、歴史上の人物のデスマスクだった。

平敷屋朝敏のデスマスク。
金城実・作「平敷屋朝敏のデスマスク」
平敷屋朝敏(へしちゃちょうびん)は玉城朝薫と同時代に活躍した文学者である。「手水の縁」という組踊りの作者だとされるが、それに疑問を呈する学者もいる。琉球王府に叛いたとして、わずか34歳で磔の刑に処された。琉球王府が平敷屋朝敏の記録を抹殺したのだろうか、この事件についても謎が多い。
しかし、平敷屋朝敏に関わる歴史の真偽について、ここでどうこう言うつもりは無い。今日の主役は金城実である。伝説の平敷屋朝敏像を語ることによって、現代に生きる金城実の実相が浮かび上がればそれでいい。

(以下覚え書き、順次執筆中)

なぜ朝薫ではなく、平敷屋朝敏なのか。

瀬長亀次郎のこと。
金城実・作「瀬長亀次郎」

製作中のチェ・ゲバラのデスマスク。
金城実製作中のチェ・ゲバラのデスマスク
なぜ、木彫りなのか。
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恨を解いて浄土を生きる。

倒木に実が生るのを待つ。
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祈りの壁はすべてを突き破るか。
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(サイドバーに文字のないところなら、突き破るのです。⇒)

旅の続きへ


沖縄タイムスの真久田さんと別れて、読谷(よみたん)に向かった。“土”のごうさんが読谷に住んでいる。そのごうさんに、チビチリガマを案内してもらうのだ。
沖縄にはたくさんの鍾乳洞がある。その自然の洞窟を沖縄の人は「ガマ」と呼ぶ。「ガマ」は、あの沖縄戦で防空壕や避難壕になった。読谷にあるチビチリガマも、そうしたガマのひとつである。
 ⇒読谷村戦跡めぐりマップ
小さな駐車スペースに車を止めて、ごうさんの忠告で手足に虫除けスプレーを吹きかけて、ガマの前の広場へと降りて行く。
チビチリガマへの階段
そこにはアメシガーラという細い川が流れていた。その流れは、ガマの中へ消えていくのだが、その先、どこに繋がっているのか、誰も知らない。
アメシガーラ(アメシ川)
「チビ」は尻のこと。「チリ」は切るという意味。つまり「チビチリ」の名は、この「尻切れトンボ」の川に由来している。
チビチリガマ
ガマの入り口にはこんな立ち入り禁止の看板が立てられている。
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「ここから先は、墓となっていますので……」
「私達、肉親の骨が多数残っています」
不思議な文言である。

1945年4月1日、アメリカ軍は読谷において上陸を開始、沖縄本島における地上戦が始まる。翌々日の4月3日に、このチビチリガマで悲劇が起きるのだが、以来この場所は近寄ってはならない場所となり、人々は口を閉ざした。
1983年に刊行された『沖縄大百科事典』に「チビチリガマ」の項目はない。

下嶋哲朗氏が、読谷から開拓者として八重山に渡った当山ウトさんと出会ったのは1978年のことだった。
戦後の八重山開拓移民のことも、日本人の多くが知らない。その歴史を知ってもなお、沖縄に基地を押し付けることを致し方なしと判断する日本人がいるとしたら、日本という国など消えてしまって構わないとさえ僕は思う。しかしそれはまた別の機会に話そう。
1983年の夏、下嶋哲朗氏が中心になって調査が始まる。そして、チビチリガマであった「集団自決」の真実が明らかにされていった。
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読谷村では、「村史」のうち、第五巻の資料編4 『戦時記録』 上下巻を、Web上で公開している。
 ⇒http://www.yomitan.jp/sonsi…
村史には読谷村の「集団自決」について、12ページに亘って記述がある。ここで、僕がそれを要約することはしない。是非ご自分でお読みいただきたい。
 ⇒http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05a/index.htm

チビチリガマの左手に大きな碑があって、次のような言葉が刻まれていた。

チビチリガマから世界へ平和の祈りを
1945年4月1日、米軍はこの読谷村の西海岸から沖縄本島へ上陸した。それは、住民を巻き込んだ悲惨な沖縄戦・地上戦であった。その日のうちに、米軍はチビチリガマ一帯に迫っていた。翌2日、チビチリガマへ避難していた住民約140名中、83名が「集団自決」をした。 尊い命を喪った。
あれから38年後、やっと真相が明らかになった。その結果、83名のうち約6割が18歳以下の子供達であった。その他、2名が米兵の手によって犠牲になった。
「集団自決」とは「国家のために命をささげよ」「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」といった皇民化教育、軍国主義による強制された死のことである。
遺族は、チビチリガマから世界へ平和の祈りを、と「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」を彫刻家金城實氏と住民の協力のもとに制作した。しかし、像の完成から7ヶ月後、11月8日、心なき者らにより像は無残にも破壊された。住民は怒り、遺族は嘆いた。
全国の平和を願う人々はそのことを憤り、励ましと多大なカンパを寄せた。あれから7年が経過し平和の像の再建が実現した。チビチリガマの犠牲者への追悼と平和を愛するすべての人々の思いを込め、沖縄終戦50周年にあたり、再び国家の名において戦争への道を歩まさないことを決意し、ここに碑を建立する。
1995年4月2日
チビチリガマ遺族会

再建された平和の像は、ガマの右にある。既に黄昏近く、安物のデジカメで写すには暗かった。はたして、坐像が見えるだろうか。
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M.A.P.では、先に読谷にまつわる2本の映画の上映会を開いた。
 ⇒第一夜【ゆんたんざ沖縄(1987年)】
 ⇒第二夜【チビチリガマから日本国を問う!(2010年)】
しかし告知宣伝がママならず、残念ながら多くの方にご覧頂くことができなかった。こういう作品を声高に宣伝することに何故か躊躇してしまう役者の性癖。しかし、それはプロデューサーならあってはならぬこと、忸怩たる思いである。

平和の像を制作した金城実氏は、読谷にアトリエを構えている。ごうさんのお友達である。だから、アトリエへごうさんに連れて行って貰おうと思っている。しかし今日はもう遅い。あつかましくもごうさんのお宅に泊めていただくことになった。

太陽が読谷の海に沈んでいく。
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沖縄の空には雲が多い。天辺の空に雲がないことはよくあることだが、水平線近くの空は、角度の所為で大気が厚い。だから、読谷の太陽が、雲に隠れずに海に沈むことは殆どないという。
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この日も、太陽は海に到達する前に、灰色の雲の中に没していった。

スクで一杯。
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ごうさんと奥様に感謝。
旅の続きへ 

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高山正樹 Masaki Takayama
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