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和光小学校の修学旅行に同行し、宮城巳知子さんのお話を伺った時にお会いした“プリティちえちゃん”に再会しました。
といっても、本ブログでは初登場。
まずは和光小修学旅行の時に識名園の前で撮影した画像で、プリティちえちゃんのご紹介です。
識名園の前でプリティちえちゃんと
(10月28日撮影)
その日の記事
その日のOffcial_Blog(別窓で開くならシフトを押しながらクリック)

ところで、今回、宇夫方路の訪沖の最大の目的は芸能チャリティ公演に出演して太鼓を叩くこと。(それについては明日報告します!)その稽古をして、そのあと太鼓の知名先生と、嘉陽田早苗さん(知名先生の門下生)のお店「美風歌(びふうか)」にやってきました。
美風歌看板

で、プリティちえちゃんは南風原高校の英語の先生。(なんでプリティなのかは、まだ本人に聞いてません。)
この日は新報ホールで英語の大会があったそうで、プリティちえちゃんはその司会を担当、それが終わってから美風歌に駆けつけてくださいました。
時間も遅かったので、早々に切り上げようと思ったのですが、ここは沖縄、プリティちえちゃんが那覇西高校にいたときのPTA会長さんの源河さんご夫婦がお店にやって来られて、ご一緒することに。
美風歌にて

源河さんのご主人は安冨祖流の三線をやられていて、奥様は琉球舞踊敏風会の教師。さすが芸能の島、いたるところに芸能人がいらっしゃるのです。

で、宇夫方路が所属する喜納の会の会主である伊波正江先生のそのまた先生、つまり大先生は亡くなられた喜納初子先生なのですが、その初子先生と、源河さんの奥様が所属する敏風会の会主、宮里敏子先生とは、かつて名コンビと言われていたのです。

で、美風歌のオーナー嘉陽田早苗さんは、源河さんの奥様と幼なじみ。
で、なんだかんだ色々なつながりがあって、すっかり盛り上がってしまったのです。

みなさん、ここまでのややこしい話に、ちゃんと付いてこれましたか?
で、です。一番重要な話はここからです。

プリティちえちゃんのお母様はずいせん学徒隊の生き残り、つまり宮城巳知子さんの同窓生でいらっしゃいます。しかし、プリティちえちゃんのお母様は巳知子さんのように当時のことを人前でお話になることはありません。でもプリティちえちゃんは、お母様たちの経験を、なんとか語り継いでいきたいと考えている、そこで御高齢の宮城巳知子さんの後を継いで、巳知子さんの体験を題材に、語り部となるべく勉強をしていらっしゃるのです。

で、です。「おきなわおーでぃおぶっく」では、宮城巳知子さんの書かれた「ずいせん学徒の沖縄戦」を、プリティちえちゃんに読んでもらおうと、白羽の矢を立てたのです。
そして今日、それを快諾していただいたと、こういうわけなのです。

で、最後になりましたが、プリティちえちゃんの本名は宮城千恵さんです。なんでここまで本名を伏せて“プリティちえちゃん”で押し通したのかというと、ただでさえややこしい話なのに、宮城さんがたくさん出てきたらますますワケがわからなくなりそうだったからです。

あー説明、疲れました。明日、ちゃんと太鼓叩けるかしら。
(宇夫方路電話談、東京にて高山が代筆。疲れた…)

Official_Blogには、もう少し話が進んでから、ちょいと整理して記事を書きましょうね!


12月 4日木曜日: 門前仲町方面のこと

地図関連業務の取引会社に出向きました。
そういえばわりと近くに門仲天井ホールがあります。
そういえば、門仲天井ホールから、来年1月までの催し物のチラシが束で送られてきました。
そういえば、門天の黒崎さんに、宣伝しますねと言っておきながら、まだご紹介できずにいます。

というわけでとりあえずホームページのご紹介でお茶を濁します。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~monten/

そういえば、先日ご紹介しましたが、来年の4月11日に、門仲天井ホールで三笑亭夢丸さんの公演を行うわけです。ということならば、地図関連業務の取引会社で、皆さんにお知らせでもしておけば、何人かは観に来てくれるかな、なにしろ手打ち公演だものなあ、なんて思ったのですが、なんとも気分が乗らずに宣伝するのはやめました。それどころじゃないって感じです。営業マンとしては失格ですね。でもねえ…
不景気って、やなもんですね。

そう考えると、沖縄の「かんからさんしん」って、やっぱりすごいなあと思います。
みなさん、「かんからさんしん」、ご存知ですか?

筑紫哲也氏が「広告批評」2008年8月号に寄せた文章から…

「凄惨な沖縄戦が終って収容された住民たちが先ず始めたのが、米軍支給の缶詰やパラシュートのひもを用いての『カンカラ三線』だった」
(「私が沖縄にこだわりつづけるワケ」)
謹んで筑紫哲也氏のご冥福をお祈りします。


10月31日金曜日: 外間守善氏のこと

外間守善という方は、柳田国男とともに沖縄研究の祖師と仰がれるような存在です。伊波普猷の提唱した「沖縄学」、その志を引き継いだ人物で、沖縄を少しでもきちんと勉強しようとした人ならば、その名前を知らないということはない、そのような人です。
高山正樹の書斎にも何冊も外間さんの著作がありますが、なかでも「うりずんの島」という本は、高山のお気に入りです。
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27日のこと。《その日の記事を読む》
沖縄タイムスのロビーにて。儀間進さんのお話。
「外間守善は戦争のことは全く話さなかったですよ。同級生の大田昌秀はよくしゃべるけどねえ。外間守善は、ちょっとでも戦争の話になると、体が震えだしてねえ。それが最近になって語り出したようだ。沖縄タイムスに自分の回想を連載していて、その中で、戦争のことも書いていたのではなかったかなあ」

「じゃあ、タイムス社からもう出版されているんじゃないですかねえ」
高山はそういって、受付の又吉さんのところへ向かいました。
「あのね、外間守善さんて、知ってる?」

又吉さんは、社員名簿を開くという失態を、またもやらかしちゃったのです。
「あーあ」
「あ、またやっちゃいましたか」
「やっちゃいました」…
《前に「やっちゃった」時の記事を読む》

そうして入手した本です。
「回想80年 沖縄学への道」外間守善
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高山はさっそくパラパラとめくってみました。そうしたら、そこにびっくりする記述を見つけたのです。
「あ、外間さんの妹さん、対馬丸に乗船されていらっしゃったのですね。そして、あの事件で亡くなられたのですね」
「ほー、それは知らなかった…」

沖縄にいると、とてつもない話が、すぐ身近にあるといつも感じさせられます。
人もそうです。人間国宝がカルチャーセミナーみたいな企画で教えていらっしゃったり、居酒屋に行けば民謡の大物がすぐそばで歌っていたり、映画を見に行ったら隣に有名な映画監督が座っていたり、古本屋を探していると池澤夏樹や又吉栄喜の署名本がちょこちょこ出てきたり。

考えてみれば、いつも気楽にお話させていただいていますが、儀間先生だって、大変なお方、今でこそ沖縄のメディアではたくさんのウチナーグチの話題で賑わっていますが、儀間先生はそのパイオニア的存在なのですから。

実は、この日の儀間さんのお話ですが、この外間守善氏の話の前後に、もっとずっと長い物語がくっついているのです。でもそれは、ここでは手に負えません。いずれ高山が、「社長とは~」に書くと申しておりますので、ややこしい続きは、そちらの方で。

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10月28日火曜日: ほんとうの強行軍の記憶

沖縄に関わっていると、人と人の「つながり」ということを改めて思うのです。

高山正樹の奥方の親友に琉球舞踊の先生がいて(関連記事へ)、その方を舞台で共演していた宇夫方路に紹介してから、もう20年近くになります。その踊りのお仲間の宮城文子さん(関連記事へ)は、ずいせん学徒隊の語り部である宮城巳知子さんの義理の娘さんです。

巳知子さんのお話を是非とも伺いたいと思い、文子さんに紹介していただいて、沖縄の嘉手納で宮城巳知子さんにお会いしました。(関連記事へ)
その際に和光小学校の修学旅行のお話を伺い、世田谷にある和光小学校に校長先生をお訪ねして、その修学旅行に同行させていただけるようお願いすることにしました。(関連記事1へ)(関連記事2へ)

その修学旅行が今日だったのです。
その行程は、「おきなわおーでぃおぶっく」のOfficialサイトのブログで報告しているので是非お読みください。
《Officialサイトのブログ記事》
(別窓で開く場合はシフトを押しながらクリックしてください。)

ここではOfficialサイトのブログでご紹介しきれなかった画像や話題などをいくつか。

ナゲーラ壕への道
ナゲーラ壕への道

2番目に行った識名壕は識名園のそばにあります。
識名園入口
和光小学校の子供たちは、トイレを利用するために識名園の駐車場に立ち寄って、すぐに識名壕へと出発しました。

でも、この時、ちょっと思ったのです。
識名園は、世界遺産にも指定されている名園です。歴史的にも大変興味深いところなのです。
かつて琉球は、中国から使者(冊封使)が来ると、彼らをこの識名園に招きました。琉球国が大きな国であることを示すために、識名園は琉球の土地を見渡せ、しかし且つどこからも海が見えない場所を選んで作られたのでした。海が見えると、琉球が小さな島国であることがわかってしまうから。

確かに、和光小学校の修学旅行の意義や一日の日程を考えれば、識名園を見学する余裕がないことは致し方ない、それもよく分かるのだけれど、ここにも、もうひとつの沖縄の心があるのになあ、ここをただトイレだけのために寄ってサヨナラというのはなんともなあ、と、ふと、勝手なことを考えてしまったということです。

識名壕へ入る入口。
識名壕へ入る入口

識名壕の中から見た入口。
壕の中から見た入口
四角くシルエットに見えるのはウガミ(拝み)の場所です。帰り際に、先生がお線香を供え、手を合わされていらっしゃいました。

もうひとつ米須壕にまわって、ずいせんの塔で宮城巳知子さんのお話を聞き、そして最後にひめゆりの塔へ。
地元の人さえ知らないガマと、たくさんの観光客で賑わうひめゆりの塔。子供たちはその違いに何かを感じることがあったのかどうか。

女性スタッフにとっては重過ぎて、最初の壕だけで後は遠慮したのですが、子供たちは飄々としていました。壕よりも、そこらあたりをウロウロしているマヤー(猫)の方に興味がある子どもたちもいたりして。
でも、それでいいのだと思ったのです。彼らが大人になった時、この体験をフト思い出して、そして自分の力で考え始める、それが正しいあり方なのだと。やがてこの子供たちがどんな結論を出すことになろうとも、今、ともかく材料を与えてあげられればいいのだと。

本日のところは、重い話はこのくらいにいたしまして、ひめゆりの塔の近くにある大きなお土産屋さんで見つけたちょっと大きめのシーサーのご案内。
お帰りシーサー
これ、上を向いてるんです。
このくらい大きいシーサーを買って内地に持って帰ると、置くところに困って結局玄関の床へじか置きになるというのはよくある話。このシーサー、床に置くのに最適なのです。
「おかえりなさい」って感じ。癒されるなあ。6千数百円、ちょっとばかりお高いんですけどね、いいアイデアだなあと感心いたしました。

和光小学校の皆さんとはここでお別れ、お帰りシーサーのせいなのか、なんだかムショウに癒されたくなって、神の島、久高島が見えるレストランのテラスで、ボーっとしました。
遠くに見える久高島
遠くに見えるのが久高島です。
20年以上前の、高山正樹の久高島の思い出は、いつか改めてご紹介しますね。

夕方、大城立裕先生のお宅にお邪魔して…

そして夜。
国際通りからちょっと入った竜宮通りという路地に見つけた「小桜」というお店。
竜宮通り入口
「小桜」とは、M.A.P.がプロデュースする三笑亭夢丸さんの落語の題名。気になったのでカシャと一枚。

大城立裕先生のお誕生会でお世話になった「じんじん」へ。
じんじん入口 じんじん店内
沖縄特有のおしぼりコースターです。
体に優しい肴
ちょっと疲れているみたいな高山の様子を見て、ママが体に優しいメニューを作ってくれました。すごくおいしかったのです。
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ありがとうございました。
そうだ、前回ご紹介できなかった、大城オジイのために設置した手摺です。
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《大城立裕先生お誕生会の日の記事》

ななしん屋でママに再会。
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三線を借りて定番の安里やユンタをやってみた。
何もしないという歌い方。テクニシャンの高山正樹には、これがなかなか出来ないのです。その奥深さに、高山は、真剣に三線を習おうと心に決めたのです。
《前回の「ななしん屋」の記事》

そして「土」へ。
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ごうさん。結婚おめでとう。今奥さんのお腹にいるお子さんが二十歳になったとき、ごう(のん)さんは80歳か。日本一かっこいい80歳になってください。
《前回の「土」の記事》
疲れた…。
あした朝、東京へ帰ります。
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他にもいくつかお話したいことがあるのですが、それは後日ということで…


和光大学付属の小学校は、世田谷と町田の鶴川に2校あります。先日、世田谷の小学校にお伺いしたことはご報告しましたが(その時の記事へ)、その際、鶴川小学校の6年生の授業で、対馬丸の船員だった中島高男さんをお招きして体験談をお話していただくのだと伺って、是非参観させていただきたく校長先生にお願いしたところ、快くお許しくださいました。
行田校長先生です。鶴川と世田谷と、毎日交互にいらっしゃいます。
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そして今日がその授業の日、朝から鶴川小学校へお邪魔しました。
授業前の校長室にて。
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中島高男さん(左)です。右の方は、こども王国首脳会議事務総長の山本和昭さん。
中島さんは82歳。15歳で対馬丸の船員となり、それから2年後の17歳の時に、あの対馬丸の悲劇に見舞われたのです。船員で生き残られた方も何人かいらしたそうですが、現在御健在なのは中島さんおひとり。他の方は、もう皆さんお亡くなりになってしまわれました。

いよいよ子どもたちの前でお話が始まります。
まずは校長先生から、中島さんのご紹介です。
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戦争が始まった頃のお話から、当時対馬丸がどのような仕事をしていたか、そして疎開する子どもたちがどのように船に乗り、そうして……
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中島さんのお話しを、子どもたちも食い入るように聞いています。

中島さんは、特にことさら誇張してお話されたわけではありません。ただ体験されたことを淡々とお話になっただけです。ですから、ここでそれを文章にしてご紹介することも容易なことかもしれません。しかし、中島さんの肉声だからこそ現れてくる心と、思わず漏らされた中島さんの嗚咽を伝えることは決してできません。

「対馬丸のことをしゃべったら、軍法会議にかけて処刑する」
これは「かん口令」などではなく、中島さんにとっては、日本軍の「脅し」以外の何ものでもなかったのではないでしょうか。17歳の青年にとって、それがどれほどの恐怖であったか、想像に難くありません。
そうして中島さんは、結局33年間、口を閉ざすことになるのです。

今、沖縄の戦争の真実をめぐって、様々なことが言われています。だからこそ一方で、ようやく重い口を開き始める方もたくさんいらっしゃいます。そうした方を含めて、体験された方々の搾り出されるような「声」に耳を傾けることの重さを、今日は改めて思い知らされたのです。どこかの誰かの論説に影響されて、そして早急な結論を出す前に。

あっという間の1時間半、貴重なお話、本当にありがとうございました。

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沖縄でお会いした宮城巳知子さんのご紹介で、和光学園小学校の行田稔彦校長先生にお会いしてきました。
今後、色々と勉強させていただくことが多々ありそうです。それらについては、随時ご報告してまいりますが、本日は…
生と死・いのちの証言“沖縄戦”
沖縄戦を体験した方々の証言を集めたDVDと、時間的な制約でDVDに記録できなかったたくさんの貴重な証言を何とかしたいとの思いで、行田稔彦先生が編集された書籍です。宮城巳知子さんのお話も収録されています。

まずは沖縄の生の声に耳を傾けること、そこからしか始らないのだろうと思うのです。

「おきなわおーでぃおぶっく」Official_Blogへ転記
(本の分厚さが分かる画像あり)

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井上真喜さま
この度はありがとうございました。
というわけで、やっぱりアメリカの匂いも嗅いどかなきゃねと、ステーキやさんの定番「ピザハウス」へランチを食べに行きました。
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ほんとは、なんで沖縄に住みついちゃったのか、ちょっと興味があったんだけど、それはミステリーにしておこう。

50年前の建物。米軍の施設をそのまま使っているのです。
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今日は敬老の日。沖縄ではとても大切な日。日本中で敬老の日が敬老の日として、本当に機能しているのは、もしかすると沖縄だけなのかもしれません。
この日は、おじぃやおばぁを連れた家族連れが、たくさん来ていました。

真喜ちゃんが、まだ行ったことがないというので、宜野湾にある佐喜真美術館へ。丸木夫妻が「沖縄戦の図」を寄贈された美術館です。
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慰霊の日には屋上の正面の隙間から、陽の光がちょうど差し込むように設計されているのです。
この美術館の敷地は、米軍基地に出べそのように食い込んでいます。
佐喜真さん個人がこの美術館を作るために、基地の中にある祖先から受け継いだ土地の一部を何年もの交渉の末に取り戻したのです。
個人が米軍基地の形を変える、これは奇跡でしょうか。それとも、やればできることをやらないだけなのかな。
それについては、そのうち高山が、ブログらしきものの方に、そっと書くことでしょう。

そんなわけで限られた敷地には駐車場がありません。で…
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ということになっている。
で、このフェンスの向こう側には、ちょっとした公園があるので、ところどころに…
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こんな穴が開いていて、でも塞がれていて、そばにはこんな看板が…
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なんとも考えさせられる看板です…

佐喜真美術館の方、色々ご説明ありがとうございました。
で、近くの本屋さんをご紹介頂いて、その結果は、Officialのブログにて。
《追伸》
それから、M.A.P.after5にコメントをつけていただけるようにしました。
大島くん、ありがとうでした。



嘉手納へ
道の駅「かでな」名物のでっかいチーズバーガー
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長寿日本一は崩れていく。今やNo.1メタボ県なんだとか。

左は基地、右が嘉手納の町。
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宮城巳知子さんにお会いしました。
8月14日の記事でご紹介した宮城文子さんの義理のお母様です。
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県立首里高等女学校ずいせん学徒隊員として従軍、沖縄戦の語り部。


戦争を語ってくださらない方々もたくさんいる。その理由は様々です。高山の義理の父はもう死んでしまったし、お義母様も何故か多くを語らない。無理に聞くこともできません。でも語ってくださる方がいるのなら、まずその声に耳を傾けることをしなければならないのじゃないかな、と、そう思ったのです。

また、ひとつの「はじまり」です。

これから、国立劇場「おきなわ」へ行きます。


午後、FM沖縄へ。
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ここから入ればよかったのですが、ここは関係者専用で、お客さんの入口は違うのかなと、ちょっと勘違いして、ひとつ北側の道に入り込んでしまったのです。
下の画像の一通入口の標識の道です。
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右下のアカバナーの咲いてるところがFM沖縄の敷地です。
ちなみに、正面は米軍Camp Kinserのゲート。裏門という感じ。

で、この一通を入ってしまってどういうことになったかというと、ちょっと地図をご覧ください。《地図を見る》
国立劇場おきなわの北東にFM沖縄があって、その北側には広大なCamp Kinser。その間に細い一通の道路があるのですがお分かりになりますか?その道は国道58号へ抜ける一本道、入ったが最後行くところまで行くしかありません。
FM沖縄の裏手も、多分米軍の敷地のようで、この道の両側ともずっと金網が続いているのです。
ことさら、だからどうだという話ではないのですが、小説「カクテル・パーティー」の時代からずっと続いているのだろう異質なものの存在から与えられる不安感を、ちょっと感じたということでしょうか。
もし地図が無かったら、58号に抜けるまでの不安はもっと大きかったのかもしれません。「カクテル・パーティー」の冒頭に主人公が語るキャンプの中の思い出と通じるものがあるような気がしたのです。

そんなことがあって、ちょっと手間取ったのですが・・・
放送制作部の部長、山川悦史さんにお会いすることができました。
そしたら、既に昨日番組の中で紹介してくださったとのこと、全てがゆっくりのこの島で、こんなテンポで事が進むなんて奇跡です。
FM沖縄は若いエネルギッシュな会社、沖縄の新しい姿、ちょっと淋しい気もしますが、これって本土の勝手な思いですね。

そしてその夜・・・
いよいよ大城立裕先生のお誕生会です。
場所は国際通りにある「じんじん」というお店。30年前から大城先生が通う居酒屋の老舗です。
地下に降りる階段には手摺がついているのですが、これは大城立裕おじいのために設置したのだそうです。
大城先生は、我々が予定の10分前にお店に着いたとき、すでに生ビールを飲んでいらっしゃいました。お約束の時間より先に相手がいらっしゃってるなんて、普通沖縄では考えられないこと。しかし大城先生は時間より前にいらっしゃっていた。ここでも高山は、本土と沖縄の狭間で生きてこられた大城立裕という作家のありようについて、思うことがたくさんあったようです。

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右にいらっしゃる方は儀間進さんです。儀間さんについてはまた近々にご紹介しますが、この2ショット(左の高山はオマケ、OfficialTopicsBrogではトリミングして消してしまいました)はいろいろな意味で大変貴重なのかもしれません。
前においてある立派な刺身盛りは「じんじん」のマスターからの大城先生へのお誕生祝いです。大感謝。

実は大城先生、「今日国立劇場のゲネプロがあることを失念していた。せめて第2幕くらいは観てやらんと、なので1時間ほどで失礼します。申し訳ない」。
でも、2時間近くいらっしゃいました。

大城先生と儀間先生の会話は、ここではとてもご紹介できないようなお話も含め、沖縄文学史にまつわる大変興味深いものでした。この場に立ち会えたこと、大変幸せな時間を頂いたのだと思います。
沖縄のオジイの飄々としたユーモアとペーソス、沖縄にはオバアばっかりじゃなくて、オジイだっているんだぜい!

そして記念撮影です。
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左上の方はおきなわ堂の店長の金城さん。そして右の方が沖縄タイムス学芸部長の真久田さん。この度は大変お世話になりました。今後ともよろしくお願いいたします。
それから後ろに見えるのは、お店の方は床の間だとおっしゃいますが、どう見たってこれはトートーメー(沖縄の仏壇)でしょう。誰か見知らぬ人が写っていたりしませんか?

そして、大城先生は「僕を肴にして」と言い残されて国立劇場へタクシーで向かわれました。

さて、これでお開きにはならないのが沖縄。
じんじんさんより、おーでぃおぶっく出版祝いをいただきました。
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うまかったんだなあ、これが。

まずは大城立裕氏を肴にしていろいろと・・・
やがて儀間先生の箸が鯛の目玉に伸びたあたりからは儀間オジイの独壇場。
(ちなみに、反対側の眼は真久田さんがお食べになりました。)

沖縄で中庸はダメというお話はなかなか深かった。
八方美人になったら沖縄では何もできない。集落が違えば言葉が違うところなのだから。ウチナーグチを扱うのは難しいが、いくら気をつけたって必ず違うと文句をいう者が出てくる。きちんとやって、後は面の皮を厚くしなさい、そして片耳を塞げばいい、という激励に勇気を頂きました。
多くの人から嫌われているということはその人が偉いという証拠。誰からも相手されないようなもんはたいしたことない、とは誰のことをおっしゃったのかなあ。

儀間進先生が終バスでお帰りになった後も、まだまだ演芸劇場は続いたのでした・・・

じんじんさん閉店時間でようやくお開き。
そのあと、井上真喜ちゃんと、再び「土」へ。実は「土」のマスターの「のん」さんから、大城立裕氏の「カクテル・パーティー」が図書館にないというメールが届いていて、ならば「おきなわ堂」の店長さんに持ってきて頂いてそれを届けることにしたのです。初版本だけどちょっと傷ものなので3000円也。
(ほんとうは「のん」さん、大城立裕氏に文句がいっぱいある人、でもだったらまず「カクテル・パーティー」くらい読まなきゃねえ。というか、CD買ってくれればいいのに、なかなかインテリさんの場合、そうはいかないんですよね。私たちが「カクテル・パーティー」を宣伝すればするほど、古書を扱うおきなわ堂さんが儲かるだけ? CDは買ってくれないし、大城先生に著作権料が入るってことも全くないわけだし、あーあ、なかなか難しいなあ・・・)

おまけ:
「のん」さんのメールによると、「のん」さんも「苗」に時々かつお飯を食いに行くし、「島思い」で歌ってるかなちゃんとは多分友達らしいということなので、その函館出身のかなちゃんの写真をご披露します。
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高山正樹 Masaki Takayama
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